時刻は午後の八時に迫りつつある。今日も一日が終わりに近づいていく。
今日はまだ新年が始まって三日目であるから、もしかすると世間はまだ休暇中なのかもしれない。私は異国の地で、今日もまた、自分のライフワークを一歩前に進めていた。
六時半の起床に始まり、就寝する夜の十時までライフワークだけに従事する生活を始めてもう随分と経った。少なくとも、欧州で生活をする三年間は、毎日がそのような形で進行していく。
ようやく自分の人生を生きれるようになったのだ。今の生活の有り様、およびそこから日々滲み出す充実感と幸福感を見ていると、本当にそのように思う。
今日の夕方に、フローニンゲン上空の空が、なんとも言えない薄紫色の雲で覆われていた。雲の向こう側には沈みゆく太陽が存在しており、夕日がその雲のに光を照射していた。その光景は妙に神秘的に思えた。
今日はついに、監訳中のウィルバーの書籍の第五章のレビューを終えた。いよいよ残すところあと二章となった。
本日のレビューを通じて、巻末に執筆する解説の文章に関する新たなアイデアがまた浮かんだ。それは是非とも読者に伝えたいメッセージだった。
明日は第六章をレビューしていく計画を立てており、レビューの最中に、また何か新しいアイデアが思い浮かぶかもしれない。そうしたアイデアが思いつき次第、それをメモしておくようにする。
今回の書籍を通じて紹介するインテグラル理論は、もう十年以上前に日本に紹介されている。知人であるインテグラル・ジャパンの鈴木規夫さんの精力的な活動のおかげもあり、インテグラル理論は随分と前に日本に紹介されているのだ。
私もその恩恵を受けてインテグラル理論と出会い、実際にインテグラル理論を体系的に学ぶために、アメリカのジョン・エフ・ケネディ大学に留学した。すでに十年以上も前にインテグラル理論が日本に紹介されていたにもかかわらず、それが現在まであまり普及されていないのはなぜなのだろうか、と考えることがある。
確かに当時は、まだロバート・キーガンの成人発達理論が知られる前であり、ましてや「ティール組織」という概念が紹介される前であった。当時に比べて現在は、インテグラル理論の認知が高まっていく文化的な下地が出来つつあるように思う。
一方で、インテグラル理論に出会った人たちの意識が十年前と変わっていないのであれば、結局今回インテグラル理論を紹介する試みは失敗に終わるのではないかと危惧している。
正直なところ、今回インテグラル理論を紹介することによって、かなりの確率でこの理論は、今から十年前とは比べものにならないほどに人々に認知されるように思う。だが、それは決してインテグラル理論を紹介することの成功ではない。
私が危惧しているのは、多くの人たちがインテグラル理論という奥深く緻密な理論体系を、さらに深く自らで探究することをせずに探究を終わらせてしまい、その状態のままで実践活動に臨もうとすることである。これは現在、世の中に知られつつある成人発達理論に関しても状況は同じである。
これまで私は、成人発達理論の基礎の基礎を、できるだけ平易な言葉で、しかもそれは学術書の形式を取らない形で世に共有する中で、さらなる学習に読者の方が乗り出すことを促すメッセージを投げかけてきたつもりであった。だがそれもあまり有効ではなかったのかもしれないと思う。
今回の書籍の巻末の解説文の中で何を述べるかは、現在案を練っている最中であるが、伝えるべきことはきちんと伝えておこうと思う。「本書はあくまでも、インテグラル理論の入門書であること」「醒めた目を持つことの大切さ」「その上昇志向的な前のめりな姿勢を何とかすることから始めること」など、それらに関しては言葉を選びながら、適切に読者の方々に伝えようと思う。
視線を上げると、そこには闇が広がっていた。自分にできることは何なのだろうか、と今夜もまた考える。明日もまたそれを考えるだろう。フローニンゲン:2019/1/3(木)20:15
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