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【成人発達探究記】12904-12908:2024年6月29日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12904. 第35回のシロシビン・セッションと第86回のクラスに向けて

12905. 今朝方の夢

12906. 明恵上人と英俊を見習った夢の観察行

12907. 六位五十一の心所を通じた夢の省察

12908. 第86回のゼミナールのクラスを終えて


12904. 第35回のシロシビン・セッションと第86回のクラスに向けて


時刻は午前6時を迎えた。目覚めた瞬間に、とても清々しい気持ちとなったのも涼しさのおかげに違いない。今の気温は12度で、晴れ渡る青空が広がっていながらそれくらいの気温しかない。今日も1日を通して快晴なのだが、それでも気温は22度までしか上がらない。なんと過ごしやすい気温だろうか。明日からは最高気温が20度を下回るほどであり、むしろ肌寒さを感じられるぐらいの気温になる。7月を目前と控え、7月に入ってもなおこのような涼しい気温であることに感謝したい。こうした過ごしやすい気温が自分の活動を背後から支えてくれている。日々の取り組みに集中力高く従事できているのは、頭の働きを阻害させない涼しい気候にあると言える。


今朝方もまたシロシビン・マッシュルームの収穫をした。一昨日までの暑い日にはキッチンに置いていると栽培に適した気温を超えていることもあり、1階の涼しい場所に置いていた。するといつの間にかいくつものマッシュルームが地面から頭を出していた。昨日からまた涼しくなったので再びキッチンに置いていたところ、今朝方の段階で収穫に適した大きさになっていたので収穫をし、オーブンで乾燥させ始めた。ここからじっくりとオーブンで乾燥させていく予定だが、まだ未収穫のものがいくつもあり、明日以降にも再び収穫できるだろう。この時期が一番栽培に適していると言えるかもしれないマッシュルームにとって最適な気温が続いていることを嬉しく思う。明日は予定通り、第35回のシロシビン・セッションを午後から実施する。4週間ほどのインターバルを設けたことによって、体験の質にどのような変化が見られるか楽しみである。前々回と前回は服用量を抑えていたこともあり、今回は「英雄の服用量」5.0g以上を摂取したいと思う。過去最大の服用量は5.3gだったが、一度5.5gで試してみてどれくらいの体験になるのかを確認してみたいと思う。きっとどこまでも深い意識体験になることが予想されるが、実際に身を持って体験する必要があるのでそれを検証してみよう。


今日は午後からゼミナールのクラスがある。第86回のクラスに向けて、午前中に再び今日のクラスの該当箇所を読み返しておきたいと思う。それに合わせて、今日のクラスでどのような対話をするのかについていくつか問いを設定しておきたい。もちろんクラスの中で自然発生的に生じたトピックや問いについて扱っていくのが一番望ましいが、それらを生み出すきっかけとなる問いをこちらでも準備しておきたい。どのような問いを準備するのかについては、また後ほどテキストの該当箇所を読みながら考えたいと思う。今日もまた輝くような充実した1日なるだろう。眩く輝く朝日がそれを自ずから予感させてくれる。フローニンゲン:2024/6/29(土)06:27


12905. 今朝方の夢


今の気温は12度ということもあって、足元から冷える。2階にいても少し寒さを感じるほどである。半袖半ズボンで過ごせるかはもう少し判断に時間を要する。必要であれば長袖長ズボンに着替え、体を冷やさないようにしたいと思う。先日までは暑さが厳しかったが、このように一転して寒さを感じるほどの気温になると、体調管理にはなお一層のこと気をつけなければならない。


今朝方の夢はとても断片的であったが、夢の中では何か重要な取り組みをしていたように思う。重要な夢を見ていたという感覚だけが確かに残っていて、その夢が何だったかについては思い出すことができない。その代わりに覚えている夢として、高校数学の応用問題を解いている自分がいた。それは自分が受験した大学の過去50年分に及ぶ問題から作られたもので、いずれの問題も骨があり、一筋縄では解けない問題ばかりだった。問題を解いていた場所は白い空間の中だった。そこには机が数列ほど綺麗に配置されていたが、そこには誰1人として人がいなかった。自分だけがその空間にいて、席を選んで腰掛けて問題に取り掛かっていた。その空間にいたのは自分だけだったが、どこからか人の声が聞こえてきて、問題に取り掛かってみての感想としてどのようなものがあるかを尋ねられた。私は感じたことを素直にシェアした。どの問題もやはり難しく、簡単には解けないものばかりであることを伝えたのである。とりわけ50年前の問題などは今の教科書に載っていないような用語が使われていることもあり、尚更解くのが難しかった。そうした化石的な問題については着手するのをやめて、解けそうな問題から取り組んでいくことにした。


この夢以外には、昔見ていたアニメのキャラクターと対話する場面があった。そのアニメは一世を風靡しただけではなく、世界的にも非常に人気のアニメで、今でも様々な世代から愛されている。そんなアニメの主人公とまずは対話したのだが、そのキャラクターは本当に心が清らかで、邪心が一切なく、まるで仏の生まれ変わりに見えた。そんな彼と話をすればするだけ、こちらの心も清らかになっていくような感覚があった。人というのは不思議なもので、互いが互いに影響を与え合う。私はそのキャラクターから影響をとても良い影響を与えてもらい、おそらく自分も何かしらの影響を彼に与えていたのだと思う。いずれにせよ、自らの心を清めてくれ、純粋な自己に立ち返らせてくれる人との対話の有り難さを噛み締めたところで夢の場面が変わった。


今朝方はそのような夢を見ていたが、改めて2つの夢を振り返ってみると、1つ目の夢に関しては今人生において重要な問題に取り組んでいるのかもしれないということを思わされ、2つ目の夢に関してはお互いに啓発し合う対話としてのゼミナールの場があることを思った。特に今日はゼミナールのクラスの日でもあるため、互いが互いを高め合い、心を清めていくような対話が今日のクラスの中でも実現されたらと願うばかりだ。フローニンゲン:2024/6/29(土)06:45


12906. 明恵上人と英俊を見習った夢の観察行     


今日は朝から本当に涼しく、清々しい気持ちで朝の時間を過ごしている。2階の気温は1階よりも高いのだが、それでも肌寒さを感じるほどの涼しさがある。二重窓の内側の扉を開けていることもあってか、外からひんやりとした空気が部屋の中に流れ込んできている。明日以降はもう二重窓の内側の扉を閉める形で過ごす必要がありそうだ。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢もまた阿頼耶識からの現行であることを踏まえると、それが再び阿頼耶識に種子として薫習されていくことについて考えていた。すなわち、夢をほったらかしにしていると、それが阿頼耶識に薫習され、心の成長を鈍化させたり、阻害することに繋がりかねないのである。逆に言えば、夢の中における自らの言動や行動にも注意深く観察の目を向けていくと、それは心の成長に繋がる可能性がある。不善の種子をさらに植え付けないためにも、夢を見っぱなしにせず、なおざりにするのではなく、観察対象として受け止め、心の浄化に励んでいくことの大切さを思う。そのことを重く受け止めていたのが明恵上人や英俊といった僧侶たちなのである。唯識学において夢は第六識が見るものとされている。深層意識である阿頼耶識や末那識が夢を見るのではない。夢を見ている主体は表層意識の第六識なのである。その第六識が見ている夢は、阿頼耶識と末那識の二層のフィルターがかかっている。それを見据えて夢を捉え直していくことが夢の振り返りに求められる。阿頼耶識に薫習されているどのような種子がその夢を顕現させたのか。それを考えるだけではなく、種子が夢として現行するためには諸縁という諸条件が必要なのであり、夢を現行させた諸縁についても分析をしていく。そして末那識が夢の中でどのような形で表れているのかを見ていくのである。阿頼耶識も末那識も無間断の心であり、それらは途切れることなく常に働き続けている。ゆえに当然ながら夢の中でもそれらは働き続けているのである。心の浄化を志向する夢の振り返りにおいては、とりわけ末那識の活動に焦点を当てていくと良いだろう。特に末那識は4つの根本煩悩を絶えず働かせているので、それらの働きに注目していく。4つの煩悩がどのような形で働いているのかを観察していくのである。こうした観察行を続けていけばいくほどに、少しずつ深層的な心の浄化が実現されていくであろう。今朝方の夢に関して言えば、末那識の働きはさほど強くなく、4つの根本煩悩がどのような形で発揮されていたのかは掴みにくい。唯識学の枠組みで夢を振り返っていく試みを日々行なっていけば、こうした微細な夢についても今後は末那識の働きを掴めるようになってくるであろう。明恵上人と英俊を見習って、夢という非常に充実した観察対象を提供してくれるものを振り返っていくことを通じた心の成長実践をこれからも大切にしていきたい。フローニンゲン:2024/6/29(土)07:21


12907. 六位五十一の心所を通じた夢の省察    


仏教研究の中で自分の楽しみを持つこと、自分なりの喜びを持つこと。ひとたびそうした楽しみや喜びを見出すことができれば仏教研究はより一層進展を見せていく。それは探究上における進展のみをもたらすのではなく、むしろそれ以上に心の成長をもたらしてくれることに意義と価値がある。仏教研究を通じて心を知る楽しみと自分を知る楽しみがある。「心の宗教」と言われる仏教を通じて心を深く理解し、仮の存在ではるが諸機能と固有な諸性質を持つ自己を理解することは大きな楽しみと喜びの感情をもたらしてくれる。


今日のゼミナールのクラスでは六位五十一の心所という51の心の作用を見ていく。前回夢が題材に上がったので、それに引き続き、例えば遍行の心所を取り上げて直近見た夢を振り返ってみるとどのようなことが言えるかを考えてみるのも面白いかもしれない。遍行のうち、最初の触と作意は瞬間的かつ無意識的に働く行為であり、それを意識下に取り上げて分析するのは難しいかもしれない。なので、夢の中でどのような感覚や感情が立ち現れたのかという受の分析や、どのような表象が立ち現れていたのかという想の分析、そして夢の中でどのような振る舞いをしたのかという思の分析をしてみると面白いかもしれない。夢は第六識が見ると唯識学では考えられており、この第六識が見る夢をまずは遍行の観点から振り返ってみるのである。仮に夢の中で前五識のいずれかが活性化されていれば、それに合わせて遍行の心所を振り返ってみるエクササイズをクラスの中で行ってみたい。


遍行の心所の分析が終わったら、今度は別鏡の心所の分析に取り掛かってみることを勧めてみよう。夢はかつて経験したことが元になっている場合が多いので、それは念の心所と関係してくる。かつてのどのような経験が夢として現れているのかを振り返ることは、念の心所の観点からの振り返りとなる。そこからは善や不善の心所の観点から夢をさらに紐解いていく。計算上は51の心の働きから夢を振り返ることが可能であり、それは実に豊かな夢の振り返りをもたらしてくれる。全ての夢に51の心所が現れるわけではないが、毎日の夢を51の心所の観点から振り返り続けていれば、きっと大いなる智慧と発見がもたらされるだろう。そしてそれは結果的に自己の心の浄化を実現し、心の成長という果実をもたらしてくれるはずである。フローニンゲン:2024/6/29(土) 09:52


12908. 第86回のゼミナールのクラスを終えて


時刻は午後3時を迎えようとしている。つい先ほど第86回のゼミナールのクラスを終えたのだが、今日もまた実りのあるクラスであった。このようにして毎週同じ時間に集まって、その1週間に起こった出来事を持ち寄る形である種ケーススタディを通じて唯識の理解を深めていくことができることに感謝している。テキストを1人読むだけでは決して得られない学びを得ることができていることに深く感謝したい。こうして毎週少しずつ受講生の方々と一緒に唯識について理解を深め、自分という存在と心について理解を深め、お互いについて理解を深めていくことができる場にいれることの幸せを思う。


今日のクラスで出てきた話として印象に残っていることはいくつもあるが、まずはクラスの最後の方に出てきた話題として、五位百法の分析をしていく際に、ある心の働きを見つけたら、それを固定してしまわないようにすることに注意したいと思う。例えば、何かしらの煩悩の働きを見つけたら、それで満足するのではなく、その煩悩のさらに奥にある煩悩を見ていくことや、実はそれが煩悩の働きではなく善の心の働きであることを検証したりしてみる。さらには、私たちは物語を通じて癒される存在でもあるので、ある1つの心の働きとしての心所を発見したら、そこから物語を紐解いていく、ないしは展開してみる形で心の働きの多様な可能性を模索してみるのである。そうすることによって、思わぬ心の働きに気づくこともあるだろうし、ある心の働きの背後にあるさらに深層的な働きに気づくこともあるだろうし、心の働き同士の相互関係も見えてくることもあるだろう。とにかく心の持つ可能性を抑圧せず、煩悩にせよ善の心所にせよ、まずは何物にも囚われることなく考えられる可能性を全て考え尽くしてみるということをしてみたい。端的には、本来動的な心を静的に眺めるのではなく、動的な心を動的に眺めてみることをしてみるのだ。それは諸行無常の真理にも合致するだろうし、そうした内観を通じて諸法無我の真理にも目覚めていくだろう。


それ以外にも、心の働きというのもまたある種阿頼耶識から現行して生じるものであり、現行するためには諸縁という諸々の条件が必要であることを念頭に置いておく必要がある。つまり現行してきたものだけに注目するのではなく、それを現行させた諸縁に注目してみるという観察行もしてみたい。なぜどのようにその心の働きが立ち現れたのかを考えてみるのである。こうした観察行を継続していけば、心の理解が深まり、心のさらなる浄化と成長がもたらされるだろう。フローニンゲン:2024/6/29(土) 15:09


Today’s Letter

Reflecting on a dream from the perspectives of the 51 mental functions proposed by the Yogachara school of Buddhism is bringing a tremendous amount of new findings about myself. I will continue to unpack my dreams from these viewpoints to purify and develop my mind. Groningen, June 29, 2024


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