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【成人発達探究記】12889-12893:2024年6月26日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12889. 変化する季節の中で

12890. 今朝方の夢

12891. 今朝方の夢の続き

12892. 恍惚的没我状態が生み出す至福さ

12893. 久しぶりの真夏日を感じて


12889. 変化する季節の中で 


時刻は間もなく午前6時を迎える。今日もまた黄金色に輝く朝日が顔を覗かせている。その穏やかで優しく、そして暖かい光が地上に降り注いでいる。生命たちはそれを喜びの感情の中で浴び、命を輝かせている。昨日と同じ光景を眺めながら、これまた昨日同様にシロシビン・マッシュルームの収穫を行った。先ほどオーブンでの乾燥を始めたところである。ここ数日間は連続して収穫と乾燥を朝一番に行っている。新しい栽培キットでの収穫はこれにて1周目が終わり、先ほど2周目の栽培に向けてキット内の土の上を綺麗にしてから水に浸してしばらく時間を置き、2周目の準備を始めた。2周目の収穫は1周目よりも落ちることは確かだが、それでもかなりの収穫が見込めそうである。ここからも愛情を込めてシロシビン・マッシュルームを育てていき、瑜伽行としてのシロシビン・セッションを緩やかに継続させていきたい。今回は4週間ほどのインターバルを設ける形となり、隔週でセッションを行ってきた身からすると、随分と時間が空いた感じである。今週の日曜日にセッションを行ってみて、そのインターバルがもたらす事柄についても考察してみたい。無理に隔週でセッションを行うことは最初からないのであり、最も実りある形でセッションを行うための最適なインターバルが何かをこれから見つけていこう。今週末にセッションを行ったら再び2週間後にセッションを行ってみて、その時にさらにインターバルが必要なのかを判断してみよう。

その他にも昨日と同じことで言えば、今日もまたかなり気温が上がるということである。今日はなんと28度を超え、30度近くになるとのことである。早朝の今は18度と涼しさがあるのだが、ここから気温が上がっていき、午後1時から午後7時にかけてずっと最高気温の状態が続くようである。この真夏日と形容できるような状態は明日まで続く。明日も今日と同じ最高気温となり、明後日からはまた涼しくなり、最高気温は21度に留まる。なんと今週の日曜日からはまたしても最高気温が20度を下回る日々がやって来るようで、ここ最近の気温の変化には適応するのが少し難しいほどだ。今週の日曜日から数日間はしばらく19度の日が続くようで、その気温はかなり肌寒いと感じだろう。気温の変化に気をつけながら、常に体調管理を意識して過ごしていくことが求められる季節の中にいる。そうだとしても今の季節を、そして今の瞬間を大いに楽しもう。フローニンゲン:2024/6/26(水)06:10


12890. 今朝方の夢 


遠くの方で小鳥が鳴いているのが聞こえる。今日は少しばかり彼らがいる場所が遠い。いつもと違う場所で鳴いている小鳥の声に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っている。


まず覚えている場面として、英語の学習に打ち込んでいる自分がいた。英語の学習と言っても受験勉強のようなそれでは全くなく、英語を運搬するための能力、とりわけスピーキング能力の向上に向けた学習に打ち込んでいた。それはインプットとアウトプットから構成され、どちらかに偏ることなく大量のインプットとアウトプットを行っていた。それをどれだけ続けたのかわからないが、ある時にブレークスルーを経験し、大きな壁を乗り越えた感覚があった。ひとたびその感覚が得られると、自分が考えていることや感じていることを考えることなく速やかに発話できる自分がそこにいた。それには自分でも驚いてしまうほどで、ネイティブと同じく無意識を通じて英語を発話できる自分がそこにいたのである。それを受けてもちろん喜びの感情が芽生えたが、さらに自分の発話能力を磨いていき、ネイティブと同等のレベルではなく、ネイティブを超えていくための努力を惜しまないことを誓った。そのような場面があった。


その他に覚えているのは、日本の大学に通っていた頃に生活をしていた東京の町が舞台になるものだった。大学の授業を終えると時刻は昼時で、大学の生協に行って昼食を食べようと思ったが、気が変わり、郊外にある大型スーパーに歩いていき、そこで何か昼食を購入しようと思った。その日は晴れていて、少し暑いほどだった。散歩がてらゆっくりとスーパーに向かい、スーパーに到着してみると、改めてそのスーパーの大きさに驚いた。そこに行けばなんでも揃うという感じがして、食料品に関しても選ぶのが困ってしまうほどの種類があった。スーパーの中に入り、昼食に何がいいかを考えながら歩いていたところ、久しぶりにパンでも食べようかと思った。クロワッサンやメロンパンなど普段口にしないようなものが美味しそうに見えたのである。しかしそこでふと、メロンパンに含まれる砂糖が精製された糖のような気がして、メロンパンの購入は控えた。精製された糖は現代に蔓延る毒であるという認識が多くの人にないことに危機感を感じるほどそれは健康を害する元になる。なので精製された糖が含まれたパンを購入するのは避けながら、できるだけ添加物の入っていないパンを購入することにした。すると、いくつかの全粒粉のパンとクロワッサンを購入する形となった。あとはパンに合わせて何を食べるかを決めようとしていると、気が付けばスーパーの外にいて、再び大学に向かって歩き出していた。どうやら午後の授業がこれからあるようで、スーパーであれこれ食材を迷っていたので随分と時間が経っていたこともあり、早歩きで大学に向かった。しかしスーパーからの帰りは購入した大きなペットボトルの水などが重たく感じ、歩くのが大変であった。そんなことから自転車で来ればよかったと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/6/26(水)06:24


12891. 今朝方の夢の続き


朝の栄養補給を兼ねて、毎朝楽しみにしているドリンクを飲みながら再び日記の執筆に手が伸びた。ヘンプパウダー、小麦若葉、カカオパウダー、蜂蜜と、全てオーガニックの素材を使ったものを混ぜたドリンクを飲みながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。


思い出した場面として、見慣れない学校の図書室にいた場面があった。そこで小中高時代の友人(HY)と話をしていた。今から春休みに入るということもあり、春休みの計画を彼と話し合っていたのだが、ある面白いイベントに彼を誘って一緒に出かけようと述べた。すると彼は少し渋った表情を浮かべて、やりたいことがあるからイベントには行けないと述べた。やりたいこととは何かが気になったので尋ねてみると、日記を執筆することに彼はハマっているらしく、日記の執筆に集中したいのでイベントには行けないとのことだった。まず最初にそれを聞いた時、私は彼が日記の執筆を始めたことを嬉しく思った。自分もまた日記の執筆を何よりも大切にしていたからである。彼が何をきっかけにして日記の執筆に目覚めたのかは定かではないが、日記を愛し、日記の実践に打ち込む同志として彼の考えを尊重したいと思った。しかしよくよく考えてみると、イベントなど日常に肯定的な亀裂をもたらすものに参加した方が日記の執筆も捗るのではないかと思った。イベントに参加すれば、それは日常にはない刺激となり、きっとそこで新たな考えや感覚が湧くだろうと思ったのである。新たな人との出会いを含めて、新たな考えや感覚との出会いのためにも、外出をして新たな場所に出かけてみるのは日記の執筆にきっと影響を与えると思ったので、彼にそのことを伝えると、それも一理あるなと思ったらしく、返事をしばらく待って欲しいとのことだった。彼に返事のための時間を与えようと思って図書室を後にしようとした。すると、偶然通りかかった仏教関係の書籍に目が止まった。そう言えばこの図書室では書籍の貸し出しだけではなく、書籍の販売も行なっていて、今目に留まった仏教書を購入したいと思った。その書籍の近くにはまだまだ興味深い書籍が何冊も置かれていたので、それらも合わせて購入を吟味しようと思ったところで自分の体は教室に瞬間移動していた。


教室では春休みに入る前の最後のクラスルームが行われていた。教壇には高校2年生の時の担任の先生が立っていた。先生は現代文を担当していたのだが、どういうわけかクラスルームの最中に黒板に数学の問題を書いた。その問題に対して後ろの方に座っていた知人のある男性が問題の解法を発表した。それは一見すると正しいように思えたが、どこか説明に抜け漏れがあるようにも感じた。それについて指摘しようか迷っていると、先生は春休み中の課題と春休みが明けた後に持って来るものについての連絡を始めた。春休みが明けた最初の登校日には美術用具を忘れずに持って来るようにと先生が述べ、春休み明けにすぐさま美術の授業があるのだろうかと想像しながらメモを取った。最後に先生が、クラスルームを終えて運んで欲しいものがあるとのことで、生徒を数人募集した。先生の近くにいた生徒から順番に心肺機能のチェックが行われ、私は比較的先生に近いところにいたのですぐに心肺機能をチェックされた。どうやら自分は風邪か何かから回復したばかりで、心肺機能がまだ万全ではなかったのでその任務から逃れることができた。さて今から春休みとなり、どのように過ごそうかと想像するだけでワクワクしている自分がいた。そして春休みがずっと続いて欲しいと願う自分がいた。フローニンゲン:2024/6/26(水)07:06


12892. 恍惚的没我状態が生み出す至福さ 

   

時刻はゆっくりと午前9時に近づいている。今日もまた昨日に引き続き、早朝から見事な青空が広がっている。小鳥たちの賑やかな鳴き声も収まり、今は静けさが辺りを包んでいる。朝日の穏やかさと辺りの穏やかさが相まって、静謐な幸福感が内側から滲み出してくる。幸福の源泉として、こうした外的な環境があることは確かだろう。しかし唯識学の観点から述べれば、外的な環境すらもが私たちの心が生み出したものなのである。外的な環境は私たちの心を通じて映し出される鏡なのである。こうして今自分が置かれた環境から至福さを汲み取ることができるというのは、自分の心が穏やかかつ至福さに満たされているからなのだろう。


没頭できるものがあることの幸せ。日々をゾーンに入った状態で恍惚的没我状態で生きれることへの幸せを噛み締めている。対象はなんでもいい。自分の場合は言葉を通じた自己表現活動と学術研究が没頭対象であり、話すことと書くこと、そして唯識学の探究が没我状態を生み出してくれる。日々の至福さは環境から汲み取られるものだけではなく、没頭できる対象があることにも大きく起因している。むしろ環境以上にその力は大きいのではないかと思う。今日もまた絶えず没我の状態で時間を過ごしていけたらと思う。


英語の発話訓練において例文を作成する際に、現在形、過去形、未来形、現在進行形、現在完了形、過去完了形など、様々な時制を意識して例文を作っていくことを行なっていく。時制は心の中で生み出される固有の感覚であり、時間という虚構物をまたさらに脚色する形で様々な時間を感じられることは興味深いことである。時間感覚もまた私たちの心が生み出す仮の存在としての虚構物であるということを忘れてはならない。虚構物ではなく、真理の産物なのは、時間なき今というこの瞬間なのである。その瞬間に時間を仮構する形で私たちは毎日を生きている。仮構の背後にある今というただこの瞬間に感覚を研ぎ澄ませ、便宜上仮構の時を生きるように心掛けていく。言い換えれば、仮構の時の存在を意識しながら、絶えず只今を感じながら生きていくことを心掛けていこう。それが幸福感に包まれた日々を担保してくれるはずだ。フローニンゲン:2024/6/26(水)08:56


12893. 久しぶりの真夏日を感じて


時刻は午後4時半を迎えた。今日は天気予報を超えて異常なほどに気温が上がった。夕方のこの時間帯もまだ気温が30度ある。この時期は日照時間が一番長く、午後4時ぐらいが最も気温が上がり、引き続きこの気温は収まらないようだ。正午までは2階の書斎で活動できていたが、昼食を摂り終えてからは活動に支障が出るような暑さだったので1階に降りてゆっくり過ごしていた。今日のような真夏日は年に何日かあるが、それは両手で数えるほどである。確かに2階では暑さで参ってしまいそうになるが、1階に降りるとひんやりして問題なく過ごすことができる。オランダのどの家庭とも共通して今の家にはクーラーはないので、今日のような真夏日には1階に降りて活動に取り組もうと思う。真夏日であっても午前中までは心地良く過ごせるが、午後からは1階に降りるのが賢明のようである。


この時間帯になってふと、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中である知人の方から新たに翻訳書の翻訳者にならないかと持ちかけられていた。金銭的な条件として、出版社が特例とも言えるような金額を提示してくれたのだが、条件面というよりも自分は何かを紹介することよりも何かを生み出し、新たに創ることに関心があるため、その申し出を断ることにした。翻訳出版には基本的に携わらず、仮に本当に紹介するべき英語の書籍が見つかったら、その時にはまた翻訳者として活動をしてもいいかと思った。今はとにかく自分の関心事項を深めていく時であり、翻訳に時間を充ててはならないと思った。そのような夢を見ていた。真夏を感じさせるような暑さの夕方のこの時間帯に今朝方の夢をまた思い出すとは思ってもみなかった。暑さは確かに頭の働きを鈍らせる参ったものだが、こうして夢の続きをふと思い出させてくれる働きをしてくれたことに感謝したい。フローニンゲン:2024/6/26(水)16:53


Today’s Letter

The morning sun is brilliantly shining. All of the sentient beings are full of energy and joy.


One of my morning routines is keeping a dream journal. This is my yoga practice. Literally, this is the practice based on the principles of the Yogachara school of Buddhism. As Myōe (1173-1232) and Eishun (1518-1596) showed us, reflecting on dreams can cultivate our wisdom and compassion. Keeping a dream journal is an essential practice for me to reach the Buddha. Groningen, June 26, 2024


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