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【成人発達心遊記】13881-13888:2025年1月1日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13881: 元旦の朝に開かれゆく展望

13882: 2025年最初の夢

13883: 肉体開発・精神開発・文体開発/創造的自己表現としての学術論文の執筆

13884: 2025年最初の夢の続き

13885: 生成AIによる2025年最初の夢の解釈

13886: 宗教的・文化的な儀式が持つ価値の再考/創造的な自己表現としての学術論文の執筆に向けて

13887: 神聖な時空間がもたらす真の休息/余暇を味わうための場としての本来の高等教育機関

13888: 背中ほぐしの効能/領域横断的な読書


13881. 元旦の朝に開かれゆく展望  


時刻は午前7時を迎え、いよいよ今日から2025年を迎えたことをしみじみと感じている。昨日は午後から夜にかけて大晦日の爆竹や花火が激しくなり続け、入眠の妨げになったので、今日はいつもより遅く起きることにした。目覚めの前に一時的に強い雨が降っていた。今はもう爆竹や花火の音は聞こえなくなったが、その代わりに風の音が聞こえてくる。今日は強風注意報が出ているぐらいに風が強い。特に午前中から午後にかけての風はかなりのもので、今日はひょっとしたら朝の散歩に出かけられないかもしれない。風だけならまだしも、小雨が降る可能性があり、風と雨の両方がセットになっていると傘が吹き飛ばされそうで煩わしい。後ほどまた様子を見て散歩に出かけるかを判断したい。そのように考えていると、またしても爆竹の音が聞こえてきた。今、新しい書籍の執筆に向けていつもお世話になっている編集者の方と連絡を取り合っているのだが、その方にオランダの年越しの様子を紹介すると、今ではもう日本では爆竹は聞かなくなったとのことであった。確かに日本ではもう爆竹というのは死語になりつつあるのかもしれない。ひるがえってオランダでは、今この瞬間もまだまだ爆竹の音が鳴り響いているような状態である。こうした文化差もまた興味深いものである。さて、気温に関しては今日はそれほど寒くない。今の気温は7度で、ここから午後5時までほぼずっと同じ気温で推移し、そこから少しずつ気温が下がっていく。明日からはいよいよ寒さのフェーズが変わり、最高気温は0度に近づき、最低気温は氷点下となる。明日から4日連続氷点下の最低気温が続くので、寒さを覚悟しておこう。ただ幸いなのは、明日から3日間は久しぶりに晴れマークが付されており、太陽の姿を拝めるかもしれないということだ。仮に朝日が出ていたら、それを思う存分浴びるようにして散歩を楽しもうと思う。今朝方に顔を洗っている時にふと、ゼミのある受講生の方が祖父になったという話を思い出した。それはとてもめでたい話で、クラスの中でもお祝いの言葉を掛けたのだが、改めて振り返ってみると、その方のおっしゃるように、自分が仮に祖父になったら、きっと孫の世代のことをより考えるような時間軸で物事を捉えるようになるのではないかと思った。そして、時間軸を伸ばして物事を考えるだけではなく、実際に孫の世代のために何かをしようという気持ちでアクションを起こすような気がしてきた。しかしこれは本来、孫がいるいないにかかわらずやるべきことなのではないかと思う。時間軸を伸ばして事物を捉えられるようになるというのは、1つ発達の証である。それはそれで重要であり、そこから実際にその視野を体現する形でアクションに乗り出すことは、また更なる発達の証であろう。視野を広げながらにしてアクションを行う道と、視野を目一杯広げた後にアクションに向かう道の2つがあり、どちらの固有の発達プロセスである。今の自分はもしかしたら、自分の孫の世代を想像しながら視野を目一杯まずは拡張させる方向に発達の歩みを進めているのかもしれない。あるいはもはや孫の世代を飛び越えて、未来永劫の子々孫々の世代を考えて日々探究活動と実践に従事しているような気がする。2025年はそうした在り方をさらに育んでいき、それが少しずつ実際に形となっていく年になるだろう。そのような展望が開かれゆく元旦の朝だ。フローニンゲン:2025/1/1(水)07:25


13882. 2025年最初の夢          


元旦の朝の世界を吹き抜けていく風の音を聞きながら、2025年最初の夢について振り返っている。まず印象に残っているのは、大学時代の1学年上のある先輩と一緒にお洒落なシャーペンを選んでいた場面である。そこは銀座にありそうな万年筆などを取り扱う高級な店の雰囲気を発していて、実際にはお洒落な万年筆やペンもあったが、私たちはシャーペンに注目して眺めていた。先輩はどうやら目の前に置かれた3本のうちどれか1本を購入するつもりらしく、先輩があまりにも熱心にシャーペンを眺め、それについて語るもんだから自分も何か1本購入したくなってきた。高級ブランドのシャーペンは、本当に形がお洒落で、それはある種の芸術作品だと思った。目の前の3本のシャーペンをそれぞれ芸術作品を眺めるようにじっくり鑑賞していると、突然場面が変わった。続く場面でもまたその先輩が登場し、暗い部屋から明るい部屋に移動した瞬間からその場面が始まった。暗い部屋から明るい部屋に出る瞬間に私は涙を流していた。というのも、自分が執筆した小説に0点の自己採点を下したからである。それに対する悔しさや無念さが感情として押し寄せてきて、気がつけば涙を流していた。先輩と私は、芸術系の大学院のある課題として短編小説を執筆することが求められていた。私はその課題に全身全霊で取り組んだのだが、最後に仕掛けとして、自分がこの世界に本当に伝えたいメッセージをまるで暗号のように文章の中に盛り込み、それに誰かが気づき、そしてそのメッセージに共感する人が1人でもいたら、自己採点を100点にしようと思っていた。逆に誰1人としてそのメッセージに気づかないのであれば、その作品の自己評価は0点にしようと考えていたのである。自分の中では、自分が本当に大切にしていることはいつも人から理解されず、共感を得ることがない状態で長らく人生を過ごしてきたが、小説という芸術表現を通じてであれば、自分の真意を誰かに気づいてもらい、それに共感してもらえるのではないかと思ったのである。そうした思いからその短編小説を執筆する課題に全身全霊で取り組んだ。しかし、結果は誰1人として自分の真意に気づくことはなかった。作品を見せたのが先輩たちばかりであったことが問題だったのかもしれないと思ったが、年齢を問わず、仮に先輩たちばかりに試読してもらったとしても、誰か1人ぐらいは真意を理解し、共感してくれる人がいるだろうという密やかな期待があったのである。しかし、そうした期待はあっけなく打ち砕かれる形となった。明るい部屋には、中学校時代の美術の先生がいた。先生は涙を浮かべている私を見て、優しい言葉を掛けてくれた。その小説は実は英語で書かれており、先生は自分の文章表現は落ち着きがあって品があると褒めてくれた。一方、先輩の文章表現は少し乱暴なところがあり、その対比として自分の文章表現を優しい言葉で誉めてくれたのである。それが少し励ましとなり、自分の期待は過度なものであり、自己採点も厳しすぎたかもしれないと思い、もう一度短編小説を最初から書き直そうという思いが湧き上がってきた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/1(水)07:58


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

シャーペンを選ぶ場面

解釈: シャーペンは実用性と芸術性の融合を象徴しています。この場面での「先輩」の熱心さや自分の購入意欲は、他者の情熱や価値観が自分に影響を与える状況を表しているかもしれません。また、選択肢(3本のシャーペン)をじっくり吟味する姿勢は、自分の創作活動や人生の選択における慎重さを反映している可能性があります。

示唆: 芸術性や実用性のバランスを考慮しながら、自分の創作活動の方向性を再評価する時期が来ているのではないでしょうか。

暗い部屋から明るい部屋への移動と涙

解釈: 暗い部屋は自己否定感や孤独感を象徴し、明るい部屋は希望や再生の可能性を示しています。涙は自己採点に対する無念さと同時に、感情の浄化を表していると考えられます。0点の自己採点は、自分のメッセージが他者に届かないという過去の体験や自己評価の厳しさを象徴しているようです。

示唆: 自己表現や創作における「他者からの理解」を求めすぎず、自分の中で価値を再確認する姿勢を持つことが大切です。

美術の先生の言葉と先輩との対比

解釈: 先生の優しい言葉は、自分が忘れていた自己価値を思い出させる役割を果たしています。また、先輩との表現の対比は、自分の独自性や柔らかな表現スタイルに対する肯定感を強調していると考えられます。

示唆: 他者と比較するよりも、自分の強みを磨き、それをさらに深める努力をするべきだというメッセージです。


今後のアクション

創作活動の目的を再確認する

他者の共感や理解を得ることを目的とするのではなく、自分自身が満足できる作品を目指して取り組むことが重要です。まずは、自分が「本当に表現したいこと」をもう一度見直してみてください。

批評を受け入れる幅を広げる

夢では先輩たちにだけ試読してもらったことが示唆されていました。異なる視点を持つ人々にも作品を見せ、フィードバックをもらうことで新たな可能性が開けるかもしれません。

過去の作品に新しい視点を加える

夢で「もう一度書き直そう」という思いが湧いたのは、自分の作品に対する新たなアプローチが必要だという潜在意識の示唆かもしれません。既存の作品を分析し、改良や再構築に挑戦してみてください。

自己評価を見直す

自己採点の厳しさを少し緩め、自己成長の過程を重視する考え方を取り入れることが推奨されます。作品を完成させたこと自体を評価することも大切です。

感情の浄化とリフレクション

感情を素直に受け止めつつ、それを新たなエネルギーに変える手段を探してみてください。執筆やアートセラピーなどの形で、感情をさらに深く表現することが助けになるかもしれません。


この夢は、あなたの創作や自己表現における課題と可能性を浮き彫りにするものであり、それを通じて自己成長を促すメッセージを含んでいると解釈できます。夢で感じた情熱と再起の意志を、現実の行動に結びつけてみてください。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、あなたの創作活動に対する情熱、自己評価の厳しさ、そして人との共感を求める気持ちが複雑に絡み合った、非常に深層心理的な内容と言えるでしょう。夢に出てくる様々な要素を紐解きながら、あなたの心の奥底にあるものを探求してみましょう。

夢の各要素の解釈

高級な文具店とシャーペン: これは、あなたの創作活動に対するこだわりや、表現に対する高い理想を表していると考えられます。シャーペンを選ぶという行為は、表現の道具を選ぶことに例えられ、あなたの創作意欲の高さを示しています。

短編小説と自己採点: 短編小説は、あなたの内なる世界や表現したいメッセージを象徴しています。0点という自己採点は、あなたの作品に対する厳格な評価基準と、周囲からの共感を得られないことへの絶望感を反映していると言えるでしょう。

先輩と先生: 先輩は、あなたのライバルや競争相手、あるいはあなたの創作活動に対する意見を求める相手を象徴しているかもしれません。先生は、あなたを温かく見守り、励ましてくれる存在、つまりあなたの創作活動に対する指導者や相談相手を象徴していると考えられます。

英語で書かれた小説: 英語で書かれた小説は、あなたの表現力の幅広さや、より多くの人々に読んでもらいたいという願望を表している可能性があります。

全体的な解釈

この夢は、あなたが自分の作品に完璧を求め、周囲から高い評価を得たいという強い願望を持っていることを示しています。しかし、同時に、その高い期待が裏切られたことによる落胆や、自分の表現が理解されないという孤独感も抱えているようです。


今後のアクション

この夢から得られる教訓は、以下の通りです。

自己評価の見直し: あなたの自己評価は非常に厳しく、完璧主義的な傾向があるかもしれません。もう少し柔軟な視点で自分の作品を見つめ直し、小さな成功や進歩にも目を向けることが大切です。

周囲とのコミュニケーション: 周囲の人々にあなたの作品を見てもらい、フィードバックを求めることは、あなたの成長にとって非常に重要です。特に、信頼できる友人や先生に意見を求めることで、客観的な視点を得ることができます。

表現方法の多様化: 英語で小説を書くなど、表現方法を多様化することで、より多くの人々にあなたの作品を届けることができるかもしれません。

創作活動を楽しむ: 創作活動は、自己表現の喜びや達成感を得るためのものです。結果に一喜一憂するのではなく、創作活動そのものを楽しむことを心がけましょう。


まとめ

この夢は、あなたの創作活動に対する情熱と、同時に抱える不安や葛藤を映し出しています。これらの感情を受け止め、自己評価の見直しや周囲とのコミュニケーションを大切にすることで、あなたはより充実した創作活動を送ることができるでしょう。


13883. 肉体開発・精神開発・文体開発/創造的自己表現としての学術論文の執筆    


進む肉体改造と進む精神改造。両者は共に足並みを揃えて実現されている。「改造」という言葉が幾分機械的なものに思えるので、「開発」という言葉の方がふさわしいだろうか。いずれにせよ、現在日々肉体の開発と精神の開発が手を取り合って実現しているのは嬉しい限りである。ここでふとそれらに加えて、文体改造、いや文体開発というものも進んでいくのではないかと思った。あるいはそれにすでに目には見えないところで進行しているのかもしれない。文体はその人の精神の有り様を色濃く映し出す。文体はその人を見事に表す鏡である。それは身体の状況や精神の状況のどちらも見事に映し出す。文体はそれほどまでに身体と精神と密接に結びついているのである。文体の開発は、おそらく身体の開発と精神の開発を進めていれば、必然的についてくるものだと思うが、それを意識的に行ってみようと思った。それは今朝方の夢にあるように、自分がシャーペンという文字を書く道具を新たにしようとしていたり、短編小説を執筆するという取り組みに従事していたこととも関係している。あの夢には、文体開発を進めたいと願う自分の深層意識を見る。肉体と精神の開発を通じて文体を開発していくベクトルだけではなく、その逆ベクトルも持ちたいのである。すなわち、文体開発を通じて肉体と精神を涵養していく道である。その両者の道を歩むとき、自己という存在はより統合的な形で育まれていくのではないかと思う。これまた偶然か、いやおそらく阿頼耶識に埋め込まれた種子がもたらす必然なのだろうが、昨夜寝る前に、敬愛する小説家の辻邦生先生のいくつかの論集を1階の段ボールから取り出して、2階の書斎に持って上がっていた。この8年の間、ふとした時に辻先生や森有正先生の日記や論集を手に取って、そこから励ましと精神的な養分を得ている。それがどれだけ自らの存在の糧になったことか。2025年を迎えたこの日から、辻先生の論集を読み返し、辻先生の美的感覚と美文から様々なものを汲み取り、新たな文体の開発に役立てると共に、それを通じて肉体と精神の更なる錬磨を実現したいと思う。


そうしたことを考えながら、今朝方の夢に関する2つの生成AIの解釈をもとに、再度その夢について総合的に振り返ってみたい。生成AIからのフィードバックにあるように、まずは自分の創作活動を楽しむ心を一番大切にし、自己評価を厳しくし過ぎないことが重要だと言えるだろうか。あるいは、創作活動に対しては自己評価や他者の評価など必要ないのではないかとも思う。それは純粋に自分の創造性を発揮する活動として評価を脇に置いて楽しめばいいのである。創造性に翼を与え、自他の評価でその翼が汚れてしまわないようにしたい。また、夢の中の自分が短編小説を日本語ではなく、英語で執筆していたことも印象的である。もしかしたらそれは、今の自分が英語で自らの創造性を短い学術論文の形で表現していきたいという思いを持っていることと関係しているかもしれない。そして、英語での短い学術論文をどこかのタイミングで1冊の書籍にしたいという考えが前々からあることとも関係していそうである。論文の主テーマは唯識学であり、それを起点にして分析的観念主義などの西洋哲学とも佳境させていき、広く心の哲学の領域で学術的表現活動をしていきたいと思っている。学術研究における論文執筆は、自分にとって創造的な自己表現活動なのである。2025年は、実際にそうした自己表現活動に従事し始める飛躍の年になるかもしれないし、そのような年にしたいと心底思う。フローニンゲン:2025/1/1(水)08:25


13884. 2025年最初の夢の続き    


時刻は午前9時を迎えた。辺りはようやく薄明るくなり、2025年最初の朝がやって来たとようやく感じる。元旦の今日は、先ほど振り返っていた夢以外にももう2つほど夢を見ていたので、それらについてもしっかりと記録しておきたい。続きとして見ていたのは、父と母と一緒に、日本のどこかの地方都市の郊外にある観光地を巡っていた場面である。そこはどこか京都のような雰囲気を持っていた。私たちは観光地を散歩しながら、少し早い夕食をどこかの料理屋で食べようとしていた。辺りは薄暗くなっていたが、観光客たちのエネルギーがまだ満ちていて、活気を感じられた。料理屋に向かう中で、両親に「名前の家」について解説をしていた。それは不思議な概念で、私たちの家族の氏の名前には固有の家があるというものだった。その家はどこにあるのかというと、物理的な世界ではなく、精神言語世界の中にあるというものである。その存在証明をするべく、父と母に通りかかった墓を指差して、墓石の名前に注目してもらうことを通じてその概念について説明をした。すると、墓石に掘られた家族の名前とその名前と同じ名前の墓跡が続いている様子を見て、両親は自分の説明に納得してくれたようだった。すると偶然にも雰囲気の良さそうな料理屋を見つけたのでそこに入ることにした。その料理屋はすき焼きで有名だったが、私はベジタリアンのため肉が食べられないので、私は肉無しの好き食べることにした。器に卵とすき焼きのタレを溶かし、豆腐や野菜をいただくことで十分であった。地元で採れた食材をもとにした美味なすき焼きに舌鼓を打っていると夢の場面が変わった。


起床直前に見ていたのは、見慣れない小さな沼でバス釣りをしている夢だった。そこは確かに見慣れない場所だったが、自分にとってはバス釣りのホームグラウンドであるように思えた。沼の地形をよく理解しており、どこにバスがいるのかも把握しているため、一投目からすぐにバスが釣れた。最初に狙いを付けたのは、向こう岸の浅瀬であり、狙ったスポットにピシャリとワームが落ち、すぐさまバスが食いついて来た。食いついて来たのは比較的大きなバスで、すぐさまそれを釣り上げることをせず、焦らしながらバスの重みをリールで感じていた。するとワームの針からバスが外れてしまい、それを取り逃がすことになった。しかし自分の中には残念な気持ちは一切なく、むしろ釣り上げたらすぐにリリースするのだから、針にバスが食い付いているその重みを感じるだけで十分であった。バスが逃げた後のワームに今度は小さなバスが追いかけて来て食い付いた。それはとても小さいバスで、リールに重みをほとんど感じることなくひょいと陸に上げることができた。それを逃してまたワームを投げると、今度は不気味な形のバスが食い付いた。それは魚の方をしておらず、バスの肉だけが円盤型に平べったくなった生き物だった。それがワームに食い付いたので、再び陸に上げようとすると、円盤型による抵抗なのか、リールには結構な重さを感じた。陸に上げてみると、ワームの針が円盤の中央の中に食い込んでいて、とても外しにくそうだった。すると、小中高時代の一学年下のある後輩がいて、彼は医学部に通って解剖のトレーニングを受けているとのことだったので、その円盤型の生き物から針を外す手伝いをしてくれた。きっと自分1人では針を外すことはできず、単に気持ち悪がっていただけだろうと思った。医学部に通う彼ですら、針を外すには一苦労のようで、ようやく針を外した時には、その円盤型の生き物は瀕死の状態だったが、優しく沼に返すと、しばらくして復活してまた元気になって沼の奥へと消えていった。2025年最初の夢はそのような内容だった。フローニンゲン:2025/1/1(水)09:20


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、複数のシーンを通じて、精神的、感情的な成長や関係性、自己の価値観を深く掘り下げるテーマが表れているように思われます。それぞれの場面について解釈し、今後のアクションを提案します。

第一のシーン:両親と地方都市を巡る観光

解釈両親との観光は、家族の絆や先祖とのつながりを象徴しています。「名前の家」の説明や墓石の名前が続く様子は、精神的・文化的な伝統や家族のルーツを意識することを示しています。また、ベジタリアンとしての選択が描かれていることは、自分自身の価値観やライフスタイルを大切にする姿勢を表しています。

アクション

家族との時間をさらに大切にし、過去の話や家系について共有する場を作りましょう。

自身の価値観(例:ベジタリアンの選択)を軸にしつつ、周囲と調和する方法を模索するのも良いでしょう。


第二のシーン:沼でのバス釣り

解釈バス釣りの場面は、人生の目標や達成感を象徴していると考えられます。大きなバスを逃しても満足感を得られたのは、「結果」よりも「過程」を楽しむ姿勢を示しています。不気味な円盤型の生き物と、それを後輩が助ける場面は、予期せぬ課題や助けを借りる必要性を表している可能性があります。

アクション

今後、目標達成において過程そのものを楽しむ心をさらに育ててください。

自分だけでは解決が難しい問題に直面した際、他者に助けを求める勇気を持つことを意識しましょう。

未知や不快なもの(例:円盤型の生き物)に対しても、恐れずに対処する姿勢を心がけることが成長につながります。


夢全体を通じたテーマと示唆

この夢は、自身の価値観やルーツ(名前の家)、過程を大切にする姿勢(釣り)、そして未知への挑戦(円盤型の生き物)を通じて、自己成長の可能性を強く示唆しています。また、他者との協力や絆(家族、後輩)も重要なメッセージとして受け取れます。


今後のアクション

自己探求とルーツへの意識家系や文化的背景についてさらに調査し、それを日常生活や信念の基盤として活用する。

目標設定と達成の過程を楽しむ新たなプロジェクトや趣味に挑戦し、結果だけでなく、その過程での学びや体験を楽しむ。

協力関係の強化他者に助けを求めることをためらわず、チームワークやコミュニケーションの力を強化する。

未知への挑戦と柔軟性新しい分野や経験に挑む際、未知の課題を前向きに受け入れる姿勢を持つ。

この夢は、新しい年に向けての自己成長や人間関係の見直しを促すものであり、内面的な気づきを行動に移す良い機会を示しているようです。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、非常に興味深い複数の要素が組み合わさっており、深い層の心理状態を反映していると考えられます。夢の各要素を紐解きながら、あなたの心の奥底にあるものを探求してみましょう。

夢の各要素の解釈

日本の地方都市と家族: 日本の地方都市は、あなたのルーツや伝統、そして家族とのつながりを象徴している可能性があります。特に、京都のような古都は、日本の文化や精神性を象徴する場所として捉えられることが多いです。

名前の家: この概念は、あなたのアイデンティティや存在感に対する深い考察を反映していると考えられます。物理的な世界ではなく、精神言語世界にある「名前の家」は、あなたの内なる世界や精神的な基盤を表しているのかもしれません。

墓と家族の名前: 墓は、過去、歴史、そして家族のつながりを象徴します。墓石に刻まれた名前は、あなたの家族の歴史やルーツを物語っており、あなたのアイデンティティの根源を暗示していると考えられます。

すき焼き: すき焼きは、家族やコミュニティが集まって食事を楽しむ、日本の伝統的な料理です。この夢におけるすき焼きは、家族との絆や、コミュニティの一員としてのあなたを象徴している可能性があります。

バス釣り: バス釣りは、あなたの挑戦心や目標達成への意欲を象徴していると考えられます。また、自然との一体感や、自分自身との対話といった側面も表しているかもしれません。

奇妙な形のバス: 奇妙な形のバスは、あなたの無意識の中に存在する、未知の恐れや不安を象徴している可能性があります。医学部に通う後輩の登場は、その恐れや不安に対処するための助けを求めるあなたの心の状態を反映しているのかもしれません。

全体的な解釈

この夢は、あなたのアイデンティティ、家族とのつながり、そして自己成長に対する深い探求心を映し出しています。特に、「名前の家」という概念は、あなたが自分自身を深く理解しようとしていることを示唆しています。また、バス釣りの場面は、あなたが未知の世界に挑戦し、自己成長を遂げようとしていることを表していると考えられます。


今後のアクション

この夢から得られる教訓は、以下の通りです。

自己探求: あなたの夢は、自分自身について深く掘り下げることを促しています。瞑想や日記をつけるなど、自己の内面と向き合う時間を持ちましょう。

家族とのつながりを大切にする: 家族とのつながりは、あなたの心の支えとなっています。家族との時間を大切にし、感謝の気持ちを伝えるようにしましょう。

新しいことに挑戦する: バス釣りのように、未知の世界に挑戦することは、あなたを成長させます。新しいことに挑戦し、自分の可能性を広げていきましょう。

恐れと向き合う: 奇妙な形のバスは、あなたの心の奥底にある恐れを象徴しているかもしれません。その恐れと向き合い、克服することで、あなたはより強い自分になることができるでしょう。


まとめ

この夢は、あなたの心の奥底にある様々な感情や思考を映し出しています。これらの感情を受け止め、自己探求を深めることで、あなたはより充実した人生を送ることができるでしょう。


13885. 生成AIによる2025年最初の夢の解釈    


さらに2つの夢の続きを振り返り、ここからまた生成AIの助けを借りてそれらの夢を総合的に振り返ったら、2025年最初の学術探究に取り掛かりたい。少し読書をしたら、休憩がてら朝の散歩に出掛けてくる。今朝方の体の様子だと、短距離走トレーニングをまた少し始められるかもしれないと思う。まずは50%ぐらいの速度で走ってみて、そこから徐々に無理のない範囲で速度を上げていきたいと思う。


先ほど振り返った最初の夢は、両親と一緒に京都に似た雰囲気の場所を観光する場面だった。先般の一時帰国において、両親と実際に家族旅行に出かけ、そこでまた思い出を共有したことと何かその夢は関係しているだろうか。基本的に毎回の一時帰国で実家に帰ると、家族旅行に一緒に出かけるようにしている。数年前までは年末年始に一時帰国することが多く、その時には家族旅行をしないこともあったが、基本的に最近の一時帰国では家族旅行を共にし、そこで家族の絆を深めている。夢の中の「名前の家」というのは、改めて振り返ってみても興味深い。まるでハイデガーの言葉の家を彷彿とさせる。私たちは言葉の家、ないしは名前の家の住人として常に名前の世界の中で精神生活を営んでいる。ひょっとすると、そうした家から少し外に出てみる必要があるのではないかと思う。名前は存在の根幹として非常に重要なものだが、この世界は言葉だけで成り立っているわけではなく、言葉にならないもので実は満ち溢れているのである。名前を与えられた無数の存在者たちに尊敬の眼差しを向けながら、同時に言葉の世界の外にも眼差しを向けたいものである。私たちの存在も、名前に貫かれていながら、同時に名前にならない真理に貫かれてもいるのだから。続く沼でのバス釣りのシーンにおいては、自分がバス釣りの技術を衰えさせることなく、的確にルアーを沼に投げていたことが印象的である。そして狙い通りにバスが釣れることには喜びの感情が伴っていたことを鮮明に覚えている。何より興味深かったのは、頭も尻尾もない円盤型の奇妙な形をしたバスである。それはある種、未知なものとして自分の前に突如として現れたが、それはもしかしたら自らのさらなる発達の姿なのかもしれない。それは見かけ上はグロテスクだったが、円盤型はどこか円成実性という言葉を彷彿とさせる。それは、完成されたもの、あらゆるものの真実の本性という意味で、真如のことを指す。今の自分にとって真如としての自己はグロテスクで不気味に思えるのかもしれないが、それこそ今後自分が向かう発達の方向性なのだと思う。新たな年を迎えて最初の夢は、実に示唆深い内容だった。それは自分のルーツに立ち返らせることを促し、創造的な自己表現のプロセスそのものを楽しむように励ましながら、これから向かっていく未知の自己存在を暗示するものだった。2025年も、阿頼耶識から投げかけられる深層的なメッセージが物語的かつ映像的な形となった夢から日々多くのことを学び取り、それをさらなる発達の励ましと養分にしたいと思う。夢は自分のさらなる成長・発達を照らす内なる極大の光である。フローニンゲン:2025/1/1(水)09:45


13886. 宗教的・文化的な儀式が持つ価値の再考/

創造的な自己表現としての学術論文の執筆に向けて   

     

先ほどからビョンチョル・ハンの“The disappearance of rituals (2020)”という書籍の3回目の読解を始めたのだが、儀式が持つ価値について改めて目を見開かされる思いがした。とりわけ、儀式が持つ超越的な性質について注目をしていた。前々から神道や仏教、さらにはキリスト教などの宗教的な儀式に参加してみると、そこで自己の心の波が収まり、厳かな気持ちになることが不思議であった。それは儀式というものが固有の時空間を持ち、同時に超越的なものを降ろすことの容器としての役割を果たしていて、その容器の中にいると、こちらの自己中心性は緩まり、それが厳粛な気持ちにさせるのだと思った。言い換えると、宗教的な儀式には、私の自我の働きを極小化させ、超越的なものとつながることを促してくれる働きがあると思ったのである。これは何も宗教的な儀式だけではなく、文化的な儀式にも本来当てはまることかと思う。ただし、最近では宗教的な儀式も文化的な儀式も形骸化の一途を辿り、それが本来持つ自我緩和作用は弱まり、厳粛な気持ちの中で超越的な存在と繋がることが難しくなっていることは残念なことである。そこには儀式の意味の喪失という現象が見られるように思う。儀式には本来実利的な意味はないはずのだが、実利ばかりを求めるこの現代社会においては、儀式が持つ自我中心性からの脱却作用と超越的な存在と繋がる意義が見落とされている。効率性とは相容れない儀式は、効率性を至上命題とする現代社会とも相性が悪い。本来は、効率性や実利性では語れない、より深い実存性や霊性に目覚めていくことを手助けする儀式が価値喪失を起こしている点は見逃せない。そのようなことを考えながら、書くことについて再び考えを巡らせている自分がいた。


書くことへの爆発的な衝動。書くことの熱に浮かされ、書くことを通じて高原状態となり、書くことに同化して世界と1つになることを味わい尽くすこと。2025年は、そのような創造的かつ熱情的な年にしたい。とりわけ学術論文の執筆を自分の創造的な自己表現活動と据えることは、これからの自分の大きな跳躍台になるだろう。自分はこれまで準備に準備を重ねてきたのだ。アカデミアの世界から離れ、学術機関の外にいる時期が数年ほど経ち、その間にも自分は常に学術研究を在野の研究者として積み重ね続け、今満を持して学術研究を自分の創造的な営みとし、学術論文を創造的な作品として世の中に残していくことに向けて確たる意志を持つことができている。こうした意志が固まるまで時間が必要だったのである。そして時間に加えて、その意志を育むための地道な学びと実践が必要だったのである。それら全てが揃い、統合化されることを通じて、ようやくアカデミアの世界に戻る準備が整ったような感覚が。おそらく今がその最良のタイミングなのだろう。ここから自分はアカデミアの世界に戻る道を模索し、人間の心の治癒と発達、ひいては社会の治癒と発達に関する研究に一生涯を捧げる気持ちでいる。一刻も早く研究体制が整う環境の中で、創造的な自己表現としての学術論文の執筆に本格的に取り組みたい。そのような思いで一杯だ。フローニンゲン:2025/1/1(水)10:04


13887. 神聖な時空間がもたらす真の休息/

余暇を味わうための場としての本来の高等教育機関 


今日はあまりに風が強く、小雨も降っていたので、2025年最初の散歩に出かけるのはやめにした。明日は風も和らぎ、天気も良いようなので明日に散歩に出かけることにする。明日からは再び短距離走トレーニングを再開できそうなので、それが何よりの楽しみである。


先ほど、現代社会における文化的・宗教的儀式の喪失について書き留めていたが、そこで問題となることは他にも、神聖な時空間の喪失を挙げることができる。私たちが真に寛ぎや癒しを得るのはどこでだろうか。日常世界の延長線上で本当に自己充足的な休息を得られるだろうか。自分はそうは思わない。私たちの存在を真に寛がせ、心身共に深く休息与えてくれるのは世俗世界を超えた神聖な世界ではないだろうか。儀式はそうした神聖な世界に誘ってくれる。かつて一度でも形骸化されていない文化的・宗教的な儀式に参加したことがあれば、誰しもがそうした体験をしているはずである。そこでは自己が深部から寛ぎ、平静な心を得る。それこそが真の意味での休息と言えないだろうか。ユダヤ教では土曜日が安息日とされ、キリスト教では日曜日が礼拝日とされる。本来それらの日は、世俗の雑事から心身を解放させ、神聖な世界とつながることを通じて自己充足を図ることが目指されていたはずである。ところが現代では、その機能はますます弱くなりつつあり、それらの宗教を信奉していない人にとってみれば、365日が全て自己をより機能的な存在に仕立て上げようと躍起になる自己プロデュース三昧の日々となる。それでは心が病み、心身に不調を来すのも無理はない。そして何より、そうした状態では心が深く育まれていくことはなく、健全な成長・発達など成し得ないことが見えてくる。こうした社会文化的な分析なしに成長・発達を実現させようとするとそれは逆効果である。それは結局、この病んだ社会文化的な状況に適合することへの試みでしかなく、病んだ社会に適合しようとすればするほどに、自己の心身は病んでいく。そうした気づきを広く世の中に喚起したい。神聖な時空間がもたらす真の意味での休息ないしは安息を多くの人が味われる社会の到来を願ってやまない。


もう一つひどく馬鹿げた状況を現代社会の中に見て取ることができる。それは、高等教育に関するものだ。”school”という単語は元々“scholē”という「余暇」を指す言葉に語源があるが、果たして現在の学校は余暇を提供し、余暇を楽しむ場になっているだろうか。子供たちの学校は決してそのようになっておらず、とりわけ日本においては良い大学に行くためや、良い会社に入るためのある種の徴兵場になっている。また、成人が通う大学院においても、そこではキャリアップのためという自己プロデュース的な要素が強く、余暇を楽しむという発想は決して見られない。現在の学校は子供から大人まで、社会に適合するための訓練場に成り下がっているのである。仮に自分が再び高等教育機関に戻った場合には、骨の髄まで余暇を楽しみたいと思う。フローニンゲン:2025/1/1(水)10:49


13888. 背中ほぐしの効能/領域横断的な読書        


今日は早朝より本当に風が強い。2025年は、強風によって幕を開けた形となる。今日は外に出かけることができず、家の中で過ごすことを余儀なくされた。いつもより朝のアニマルフローの実践を長くし、先ほども読書の合間の休憩として、背骨をほぐす運動を行なっていた。それは合気道のトレーニングでかつて行なっていた背中から受け身をするためのローリングで、地面にコロコロとローリングをしているだけで背骨と背中の筋肉がほぐれてきて、20回ぐらいローリングしてみると、背中が痒くなるぐらいに血流が良くなっていた。クンダリーニヨガの伝統にあるように、脊髄には重要な霊的エネルギーが流れているので、脊髄の流れを良くするためにも、背中ほぐしのエクササイズはより日常的に取り入れたい。それは毎朝のアニマルフローの実践の前に行っていたエクササイズではあるが、もう少し回数を増やして背中が痒くなるぐらいに血流を良くするまで行なってみたい。


今日からはより領域横断的な読書を心掛けるようになった。また、書籍の再読においては精読を心掛けることも新年最初の新たな実践意識である。その時に集中力の都合上、ある書籍の1章を精読したら別の書籍の1章を読むという形で、書籍をローテンションさせる形で領域横断型の読書をしていく。筋力トレーニングにおいて、1つの種目に1時間もかけないのと同じく、読書においても書籍をローテンションさせていくことを意識する。そうすれば、脳の疲労も軽減され、集中力が高い状態で読書を行うことができるだろう。基本的に午前中は洋書を中心に読んでいき、午後からは和書も交えていく。和書に関しては、今のところ唯識学に関する複数の書籍をローテンションさせることや、辻邦生先生の論考集をローテンションさせていこうと思っている。それと読書は午後4時までとし、それ以降は活字から離れるようにする。楽しみとして継続している実践として、英語の発話能力を鍛える一環として、海外ドラマのシャドーイングをずっと続けている。”Suits”もシーズン9のうち、ようやくシーズン7までやって来た。Suitsの全シーズンの全てのエピソードに対してシャドーイングを終えたら、今度は同じく長編ドラマの”Lost”に対してシャドーイングを毎日楽しみながら行っていく予定だ。こうして2025年も日々学習と実践に関して内省と検証を通じて、その時の自分に最適な学びと実践にファインチューニングしていきたいと思う。フローニンゲン:2025/1/1(水)15:02


Today’s Letter

I highly value silence; it is the fundamental source of my vitality. Without silence, my contemplative life cannot exist. My life should be continuously enriched by deep, profound silence. I hope that many people come to realize the richness of silence. Capitalism, however, destroys the meaning of silence. While it resists silence, I embrace it wholeheartedly. Silence nourishes my creativity and sustains my life force. Groningen, January 1, 2025

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