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【成人発達心遊記】13873-13880:2024年12月31日(火)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13873: 休息もまたトレーニングなり

13874: 一時帰国後の習慣の変化

13875: 2024年最後の夢

13876: 生成AIによる2024年最後の夢の解釈

13877: 関係性の深まりを願いながら

13878: 文化ごとの変性意識の違い

13879: 正当性の危機/翻訳依存症の病

13880: ヒルマ・アフ・クリントとミカロユス・チュルリョーニスの画集を眺めながら


13873. 休息もまたトレーニングなり 

     

時刻は午前6時を迎えた。今朝は強風注意報が出ていて、より詳しく見てみると、午後から強風に見舞われるようだが、午前中は風はそれほどでもない。それを見越して、今日もアクティブレストがてら朝に散歩に出かけよう。昨日のジムでのトレーニングは、上半身をメインに鍛えていった。下半身については短距離走トレーニングにおける疲労があったので、無理をしない範囲でストレッチを意識するような負荷量を下げたトレーニングに従事した。今日も引き続き無理をせず、短距離ダッシュは温存し、走ったとしても軽くジョギングする程度にしたい。明日は様子を見て短距離ダッシュをしてみる。その時にもいきなりかなりの力を入れて走るのではなく、6割ぐらいの力でまずは走ってみる。その分距離を少し伸ばし、次のセットからは距離を縮める代わりに速さを上げていく。そうした形で5セットほど走ることができたらと思う。パーソナルトレーナーのエリーザも述べていたように、短距離走には特別な筋肉が要求され、特に爆発的な瞬発力が筋肉に求められる。これまではジョギングやウォーキングなどを通じて遅筋しか日常生活の中で使っていなかったように思う。もちろんジムでのトレーニングにおいては速筋を鍛えてはいたが、短距離のように総合的に複数の速筋を使う訓練はしておらず、それゆえに今こうして筋肉痛を感じているのだと思う。無性に短距離を走りたいという気持ちが身体の中に渦巻いているが、今日はそれを抑えて休息に徹する。休むこともまたトレーニングの1つであるという認識を今の自分は持つ必要があるだろう。何かに関心を持つと、ついついそのことに没頭してしまう癖があるので、休息もまたトレーニングの1つであるという認識のもと、あまり無理をしない範囲でじっくり着実に短距離走に適した肉体を作り上げていき、少しずつタイムを上げていけるようにしたい。

今の気温は7度で、今日は今の気温が最高気温である。ここから気温が少しずつ下がっていき、正午過ぎには4度まで気温が下がる。2024年最後の日を迎えた今日は、正午過ぎに最低気温を迎え、そこからまた気温が上がっていくという不思議な形を取る。昨日もすでに新年に向けた爆竹や花火の音が聞こえていたが、今日はより盛大にそれが聞こえるだろう。特に深夜に新年を迎える瞬間にはフローニンゲンの市が打ち上げる花火が聞こえるに違いない。自分はもう午後8時半過ぎには就寝をしているので、それを聞くことはないかもしれないが、その時に目覚める可能性がある。願わくば、花火の音を聞かずにそのまま眠りの世界にいたいものである。2024年最後の日も、普段と代わりなく過ごしていく。自分がこの世界に対してできることは、自らの探究活動を通じた貢献だけである。それを心に刻み込みながら、今日も探究活動を喜びの気持ちと共に進めていく。フローニンゲン:2024/12/31(火)06:26


13874. 一時帰国後の習慣の変化 

         

日本の一時帰国はやはり習慣の見直しにつながっていたようで、オランダに戻ってきてからいくつか習慣が変わった。1つには朝に散歩をするようになったことがあり、2つにはヴィーガンからラクトオボベジタリアンになり、卵を食べるようになったことである。その他にも細かなところで言えば、朝から夕方にかけての自分のライフワークでも学術研究が言語脳をよく使うということもあり、英語のポッドキャストを聴かなくなり、その代わりに言語を媒介しないクラシック音楽を聴き始めたことである。その他にも、X(旧Twitter)のアカウントを削除する形で、Xを使うことをやめたことだ。Xをこれまで使っていた目的は、現在保有している暗号資産についての情報収集をするためだったが、それもまた別の手段を通じて行えることに気づき、Xを使う目的がなくなったからである。正直なところ、Xの言語空間はかなり澱んでおり、そこには美しさがない。もちろん有益な投稿もあるのかもしれないが、人々が自分の感情や怨念を生々しく吐き出しているだけの言語的ゴミ捨て場のような負のオーラを放つ雰囲気が前々から気になっており、一時帰国をしてオランダに戻ってきてからキッパリとアカウントを削除することにした。それ以外にも、これまでほとんど使っていなかったがInstagramやLinkedinのアカウントも軒並み削除した。Facebookについてはもう何年も前にアカウントを削除していたので、これで全てのSNSから自己を解放した形になる。SNSで得られる情報などたかが知れており、そこでのつながりの質も大したものではないので、SNSは使わないことに限るという判断をした。すると、どこか心が軽くなり、まるでそれはパソコン内のクリーニングをしてパソコンが軽くなり、動作が早くなるような感じに似ている。ここから心が軽やかになった状態で、低質な情報に左右されずに自分の取り組みに集中することができるだろう。ポッドキャストを聴く代わりにクラシック音楽や現代ピアノ曲を聴き始めたこともまた、自分の脳や心に大きな影響を与えている。これまでは確かに楽しくポッドキャストを聴いていたが、それは確かに脳の言語を司る容量を活用することでもあり、隙間時間にずっとポッドキャストを聴いていると、意外と脳が疲弊しているのかも知れないと思った。特に夕方近くになってくると、もはやポッドキャストを受け付けない自分がいて、そこからも日中は基本的に学術研究を通じて十分に言語脳を活性化させているのだから、休憩中や隙間時間は言語脳が優位になる活動を離れて、音楽を聴いて寛ぐのが賢明かと思ったのである。音楽を聴き始めて、今のところそれは功を奏している。あと学術探究を通じて書物から離れたいと思った時には、画集を開いてぼんやりとそれを眺めるようにしていることも効果的である。晴れの日であれば、家の前の庭がかなり広いので、そこで10mほどであれば短距離ダッシュができる。それは体を動かしてリフレッシュするにはうってつけである。このように、日中のメインの活動が言語脳優位な学術研究であることを踏まえ、その活動を最大限に有意義なものとするために、休憩中は体を動かしたり、音楽や絵画に触れたりすることを通じて、右脳を活性化させ、左脳を休ませるようにしたいと思う。こうした習慣の変化があったのは、一時帰国をして良かった点である。フローニンゲン:2024/12/31(火)07:00


13875. 2024年最後の夢 


時刻は午前8時を迎えた。大晦日の今日はとても静かで、闇が心地良い。まだ辺りは真っ暗で、2024年最後の夜明けをこれから迎える。今のところ花火も爆竹も上がっておらず、静寂さに包まれている。2024年最後の今日も、今年を締め括る意味で充実した探究活動を行いたいと思う。その前に、いつものように今朝方の夢を振り返っておきたい。夢の中で私は、見慣れない場所にいた。そこはスペインかポルトガルを彷彿させるようなイベリア半島の雰囲気があった。ある街の郊外にいて、時刻は夜だった。その場所は奥が森になっていて、ちょうど森と住宅地の中間にいて、そこで父と偶然に会った。父と出会った場所には、2つの犬小屋があった。その犬小屋には人間の赤ちゃんが寛ぐようなフワフワのベッドが敷かれていて、2匹の大きさの違う小型犬がそこで眠っていた。父と私は2匹の犬を起こさないようにして、犬小屋の奥に突如現れた押入れの引き出しから餌を取り出そうとした。すると、足元に犬に水を与える容器が現れ、そこに炭酸水を作るためのタブレット上の薬品が落ちた。すると容器の下から水がムクムクと現れ、薬品と混ざってすぐさま炭酸水ができた。炭酸水のシュワシュワする音に反応して、2匹の小型犬が目を覚ました。2匹とも尻尾を振りながら嬉しそうに父と私のところにやって来た。私は、ちょうどできた炭酸水を1匹のより小さい犬にあげようと思ったら、その犬は自ら率先して容器に頭を突っ込んで水をグビグビ飲み始めた。どうやらとても喉が渇いていたようで、すごい勢いで水を飲んでいった。しかし不思議なことに、水は一向に減らず、下からどんどんと水が湧き上がっていた。そして炭酸水を作るためのタブレットを入れていないにも関わらず、ちゃんと炭酸水が生成されていた。


この夢の他に覚えているのは、自分が容姿端麗で高身長のある俳優のような姿になっていた場面である。その姿のまま、実際に通っていた中学校の校庭でサッカーに興じていた。ちょうどクラスマッチが行われており、最初は同学年の生徒たちと試合をしていたが、そこから先輩たちと試合をするようになった。私のチームにはサッカーが上手い同学年の友人が勢揃いだったので、先輩であっても打ち負かすことができた。とりわけ前線は180cmを超える大きなメンバーが揃っていて、パワープレイにおいても相手を簡単に圧勝していた。自分はその高身長の俳優と同じ姿だったので、身長が182cmぐらいあり、190cmに近い友人とツートップを組んでゴールを量産していた。すると気づけば、私たちはそのグラウンドで天皇杯の準決勝を戦っていた。残念ながら私たちはそこで敗退をしたのだが、プロ相手に天皇杯でそこまで勝ち上がれることは快挙だった。試合後、その土のグラウンドで今度W杯の決勝が行われることになり、自分が通っていた学校のグラウンドがそんな大事な試合の会場に選ばれてとても感慨深い気持ちになっていた。グラウンドを吹く風はとても嬉しそうで、グラウンドもまたW杯の決勝の舞台となったことをとても喜んでいるようだった。2024年最後の夢はそのような内容だった。フローニンゲン:2024/12/31(火)08:23


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

1. イベリア半島を思わせる場所と父との再会

解釈:

場所:イベリア半島の雰囲気は、文化的な多様性や歴史的な豊かさを象徴している可能性があります。これは、自分のルーツや現在の生活、あるいは過去と未来の間にある移行期間を表しているかもしれません。

父との再会:父は夢の中でしばしば「導き」や「知恵」を象徴します。この場合、あなたが父と共に行動し、犬たちを起こさないよう慎重に配慮する姿は、家族や自身の過去からの支援と協力を得ながら物事を進めている様子を示していると考えられます。

アクション:

家族や親しい人々とのつながりを大切にし、彼らからの知恵やサポートを今後の行動に活かしましょう。

過去の経験と現在の活動を統合し、未来への準備を進める時期にあることを認識しましょう。


2. 炭酸水の生成と犬の行動

解釈:

炭酸水:新しいアイデアやエネルギーの象徴として解釈できます。炭酸水が無限に湧き上がる様子は、あなたの創造力や精神的な活力が尽きることなく湧き上がっていることを示唆している可能性があります。

犬:忠誠心や無邪気さ、安心感を象徴します。犬たちが喜んで炭酸水を飲む様子は、あなたの提供するエネルギーやアイデアが他者にとっても有益であることを表しているのかもしれません。

アクション:

自分の中に湧き上がる新しいアイデアや活力を信じ、それを他者と共有する方法を探りましょう。

自然体で行動し、他者との調和を大切にしながら、自分のエネルギーを惜しみなく発揮してください。


3. 高身長の俳優のような姿とサッカーの試合

解釈:

俳優の姿:理想の自己像や、社会的な成功への願望を表している可能性があります。また、自信や自己表現の高まりを示しているかもしれません。

サッカーの試合:チームワークや競争を通じた成長、または人生の課題に立ち向かう姿勢を象徴します。先輩たちとの試合で勝利し、天皇杯準決勝まで進んだという展開は、自分の努力やチームとの協力が実を結びつつあることを暗示している可能性があります。

W杯決勝の開催地:身近な場所が重要な舞台となることは、自分の努力が広く認められる機会を示唆しているかもしれません。

アクション:

自分の理想像を目指しつつ、現実的な目標を設定し、着実に努力を重ねましょう。

他者との協力やチームワークを重視し、自分の役割を全力で果たしてください。

自分の活動や成果が周囲にポジティブな影響を与えることを意識し、自信を持って取り組みましょう。


全体のテーマと2024年最後の夢としての意味

この夢は、あなたの内面の豊かさや成長、他者とのつながり、そして未来への希望を象徴しています。特に、無限に湧き出る炭酸水やW杯の舞台となった校庭のイメージは、あなたが今後の活動を通じて大きな成果や影響を残せる可能性を暗示しているように感じられます。


具体的なアクションプラン:

自分のアイデアやエネルギーを具体的なプロジェクトに活用する。

周囲との協力を重視し、チームワークを通じて目標を達成する。

自信を持ち、自分の価値観や理想に従って行動する。

家族や過去の経験に感謝しつつ、新しい挑戦に取り組む。

この夢を「新しい年への序章」として捉え、行動に移すことで、2024年をさらに充実した形で締めくくり、2025年を素晴らしい年にしていけるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の各要素の解釈

イベリア半島、森、住宅地: あなたの心の内にある自然と文明、過去と未来、無意識と意識といった対比を表している可能性があります。森は、あなたの潜在意識や本能を表し、住宅地は、あなたの社会的な側面や意識的な思考を表しているかもしれません。

父と犬: 父は、あなたの権威や保護者としての側面、あるいは無意識的な男性性を象徴している可能性があります。犬は、忠誠心、友情、そして無条件の愛を表すことがあります。犬小屋に置かれた人間の赤ちゃんは、あなたの内なる子供、つまり純粋な心や創造性を象徴しているかもしれません。

炭酸水: 炭酸水は、爽快感や刺激、そして新しいアイデアや変化を象徴している可能性があります。湧き出る水は、あなたの創造性や潜在能力の豊かさを表しているかもしれません。

俳優のような自分、サッカー、天皇杯: 俳優は、あなたが社会的な役割や理想像を投影する対象である可能性があります。サッカーは、競争心、チームワーク、そして目標達成への情熱を表しているかもしれません。天皇杯は、あなたの高い目標や野心を象徴している可能性があります。


全体的な解釈

これらの要素を総合的に考えると、あなたの夢は、「自分自身の成長と可能性への期待、そして創造性の開花」 を暗示していると考えられます。

新しい自分との出会い: 俳優のような容姿になったり、サッカーで活躍したりするあなたは、これまでの自分とは異なる、より自信に満ちた新しい側面を発見しようとしているのかもしれません。

潜在能力の開花: 犬小屋から湧き出る炭酸水のように、あなたの内にはまだ発揮されていない素晴らしい能力や才能が眠っていることを示唆しています。

目標達成への意欲: 天皇杯で勝利を目指し、W杯の舞台となるグラウンドに立つという経験は、あなたの高い目標達成への意欲を表しています。


今後のアクション

この夢があなたに与えるメッセージを活かすために、以下のことを意識してみてはいかがでしょうか。

自己探求: あなたの夢は、自分自身について深く掘り下げるきっかけを与えてくれます。瞑想や日記をつけるなど、自己の内面と向き合う時間を持ちましょう。

新しいことに挑戦: 俳優のような新しい自分になるために、何か新しいことを始めるのはいかがでしょうか。例えば、新しい趣味を始めたり、スキルアップを目指したりするのも良いでしょう。

創造性を活かす: あなたの夢は、あなたの創造性が豊かであることを示唆しています。絵を描いたり、音楽を作ったり、物語を書いたりするなど、創造性を活かせる活動に取り組んでみましょう。

目標に向かって努力する: 天皇杯での活躍は、あなたの目標達成への意欲を刺激します。明確な目標を設定し、それに向かって努力することで、大きな成果を手に入れることができるでしょう。

周囲の人とのつながりを大切にする: サッカーでのチームワークは、周囲の人とのつながりの大切さを教えてくれます。友人や家族との関係を深め、協力し合うことで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。


まとめ

あなたの夢は、あなた自身の成長と可能性への期待、そして創造性の開花を暗示しています。この夢をきっかけに、自分自身を深く理解し、より充実した人生を送るための第一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。


13876. 生成AIによる2024年最後の夢の解釈    


先ほど振り返った2024年最後の夢について、2つの生成AIの力を借りながら再度振り返りを行なっている。最初に現れたイベリア半島のどこかの国に関する夢は、やはりその場所が太陽が出るということと何か関係しているだろうか。引き続き自分の心の奥底には、太陽を希求する思いがある。こうして太陽の姿を拝むことのできない日が長く続いていると、おそらく今後もしばらくは太陽を希求する深層心が存在し続けるだろう。物理的な世界で太陽を拝むことができない代わりに、自分は心の世界の中で自らにとっての太陽を作り上げている。その光に照らされながらこの土地で日々生活を営んでいる。太陽の見えない場所での精神生活はとりわけ過酷なものだが、自分はその代わりに内なる太陽を発見した。あるいは、それを自ら創造したと言えるかも知れない。そのおかげで、自分はどんなに物理的な環境世界が過酷であっても生きていける力を手にした。内面の光とその輝き。それが自分の存在を温かく包み、活力をもたらしている。夢の中で父が現れることは、何やら「導き」や「知恵」を象徴するらしい。それでは母は何を象徴するのだろうか。それは「抱擁」や「慈悲」であろうか。夢の中で現れる父母をそのように眺めてみると、智慧と慈悲の涵養に向けた実践にまた新しい方向性が見出せるかも知れない。続く炭酸水に関する夢において、炭酸水が新しいアイデアやエネルギーの象徴として解釈できる可能性があることはとても興味深く思った。夢の中で炭酸水が無限に湧き上がる様子は、自分の創造力や精神的な活力が尽きることなく湧き上がっていることを示唆しているとのことで、確かに今の自分はそれを日常生活の中でも実感している。自分の創造力と活力は無尽蔵であり、汲み尽くすことができない。これからもそれらを溢れさせながら、自らのライフワークを喜びと共に前に進めていきたいと思う次第だ。その他に興味深い解釈としては、最後の夢において、自分が実際に通っていた中学校の土のグラウンドがW杯決勝の開催地となることに関するものだ。身近な場所が重要な舞台となることは、自分の努力が広く認められる機会を示唆しているかもしれないとのことで、これまでの自分の探究活動の成果が来年以降少しずつ社会に知られるようになるかもしれないし、自分はそれを望んでいる。社会の中で名を上げるとか名声を得るということを望んでいるのではなく、社会の治癒と変容に資すると思ってやって来たこれまでの自分の探究活動の内容が広く社会に認知され、共有されることを望んでいるのである。そうしたことが2025年に起きてくれればとても嬉しく思う。2024年最後の夢を再度総括すると、2025年は、夢の中の湧き出る炭酸水のように、自分の内にあるまた発揮されていない能力や才能を開花させながら、弾ける炭酸水のように溌剌と日々を送りたいものである。この夢を新たな年に向けた序章とし、2025年が更なる飛躍、あるいは飛翔の年になることを期待する。フローニンゲン:2024/12/31(火)08:46


13877. 関係性の深まりを願いながら 

   

つい先ほど、2024年最後の散歩を終えた。最初の5分間ぐらいはゆっくりとジョギングをし、それ以降もインターバルを挟みながらジョギングを繰り返していたので、散歩というよりもジョギングがメインであった。昨日のジムでの筋力トレーニングを受けて、それは最良のアクティブレストとなった。ハムストリングにはまだ張りがあるので、短距離走のトレーニングは控えた。今日1日しっかりと休ませれば、新年最初の元旦の明日は短距離走のトレーニングを再開できるかもしれない。今朝方の日記で書き留めていたように、その際には50%か60%ぐらいのダッシュから始める。50m走を走る感覚ではなく、400mあるいは1000mを走るような気持ちでそれくらいの力でまずは走ってみようと思う。ジョギングやウォーキングをしている最中にふと、人間関係を深め、深まった関係の中で生み出されるものの価値について考えていた。最近はとにかくコスパなどの効率性追求の波が至る所で見られ、それは人間関係においても見られるように思う。人と出会うことも、人間関係を構築していくことも、そこに効率性追求の考え方が見え隠れする世の中において、自分は人間関係にそうした概念を一切持ち込まないようにしている。効率性を追求しようとする人間関係は、あくまでも人間関係を水平的にしか捉えられていない。端的には、そこでは人間関係が持つ質的深みが蔑ろにされているのである。まさにそうした事態は、人間関係におけるフラットランド化と言えるだろう。人間関係において時間や相手の属性に関する数値的なものが持ち込まれ、それが支配的になることによって、本来人間関係が持つ深さが無視されてしまっているのである。そうした状態が進めば進むだけ、人間関係はますます貧困なものになっていき、人間関係を通じて育まれる心の豊かさもまた貧困なものになっていく。現在週末に開催しているゼミナールは、まだ3年目を迎えたところだが、それでも丸2年こうした学習・実践コミュニティを運営してみると、そこで醸成される関係性が徐々に深いものになっていることに気づく。そして、関係性の深まりを通じて協働プロジェクトなどが自然と生まれ、さらに深い関係性が築かれつつあることは嬉しい限りである。自分が今アドバイザーとして関わっているベンチャーキャピタルさんとは、2018年の秋に関係が始まったことから、今すでに丸7年ほどの付き合いである。それ以外にも、丸6年協働させていただいているベンチャー会社もある。ちょうど今年の冬から始まったまた別の会社さんとの付き合いも、それらの組織と同じくらいに長く続くことを祈っている。長く関係性を築くことを通じてしかもたらされないものがあることをふと気付かされた次第である。2025年もまた新たな関係性の始まりに期待しながらも、既存の関係性をさらに豊かに深める年であってほしい。そのようなことを願いながら朝の散歩から帰ってきた。フローニンゲン:2024/12/31(火)10:43


13878. 文化ごとの変性意識の違い  


鳴り響く爆竹の音。それに紛れて、また別のところで花火が上がっている。爆竹も花火もオランダでは法律で禁止されているのだが、この時期はどうやら無礼講のようだ。こうした形でとりわけ若い世代の人たちはガス抜きをし、心の機能を回復させる。社会全体が浮き足だし、集合的変性意識に入るこの時期において、こうしたガス抜きを通じて市民たちは心の機能を回復させる。何でもかんでも禁止しようとする禁止管理社会において、こうしたガス抜きは時に必要である。「バノプティコン」という形で禁止事項で雁字搦めになっている現代人においては、こうした脱法的行為を通じた心理的機能の回復が必要なのだ。その点オランダはうまい仕組みがいくつもある。他の国で違法な大麻、サイケデリクス、性が法律の管理のもとに利用できる仕組みが整っており、それらは全て私たちを日常ではない変性意識の世界に誘ってくれ、心の機能を維持・回復することに一役買っている。そして、違法ではあるが花火や爆竹なども、年末年始や国民的祝日の際に打ち上げられることによって、オランダ人たちは法律の外の空間に飛び出していき、心に調和をもたらしているようである。ひるがえって日本はどうだろうか。日本においても性に関してはアンダーグランドな世界が広がっていて、そこでは非日常意識を体験できる場がある。しかしそこではオランダのような政府によるしっかりとした労働管理がなされていないため、問題を孕んでいると言えるだろう。大麻やサイケデリクスなどは完全に違法であり、それらを所持すると麻薬及び向精神薬取締法に抵触し、重たい刑罰を科せられる。各国において、性や大麻・サイケデリクスがどのように文化的・制度的に取り扱われるのかは違いがあり、その違いからその国民の心の有り様の違いを考えることはなかなか面白いものである。ここでも、性や大麻・サイケデリクスに対して人人唯識であることが見える。いずれにせ、現代社会は本当に規制社会とでも言えるぐらいに自由を抑圧し、自己を超越するエクスタシーを感じにくい社会になっているので、自分にとっては息苦しい限りだが、今生活を営んでいるオランダにおいては、どこの国よりも自分は超越的な世界に触れる機会を得ている。望めばいつでも非日常的な意識に入っていくことができる。ただし、非日常的な意識に入ることが常態化されると、それが通常意識であるかのような錯覚が起き、変性意識状態に入る意義や価値が損なわれてしまう恐れがある。なので自分はゾーンの状態という変性意識状態にとどめ、それをできるだけ日々の学術研究を通じて享受しながら、常に心に養分を与えている。ここからまた自分が新たに住むことになる国や地域においても、そこでどのような変性意識に入ることができるのかに注意を向け、そこでの通常の意識がどのようなもので、変性意識体験を通じて何がもたらされるのかを考察したい。文化ごとの変性意識の捉え方とそうした意識状態への参入方法については引き続き観察を続けたいと思う。フローニンゲン:2024/12/31(火)11:07


13879. 正当性の危機/翻訳依存症の病   

 

アメリカの思想家ケン・ウィルバーは、左下象限と右下象限の齟齬を「正当性の危機(legitimation crisis)」という言葉で表現している。正当性の危機とはすなわち、文化と制度の齟齬である。文化的成熟を遂げていても、それに制度が追いついてこない場合があるし、逆にテクノロジーなどの技術があっても、それに文化が追いついてこない場合がある。現代社会は、至る所で正当性の危機が見受けられる。自分の専門である成人発達学の領域で言えば、成人発達学の知見が世の中で知られることは、成人発達を取り巻く文化の進歩だと見ることができるかもしれない。しかし、その知見を活用する技術がついてきていないという問題は、とりわけ対人支援の実務領域で散見される。これはれっきとした正当性の危機の現象である。また逆に、発達測定などの高度な心理テクノロジーがすでに成人発達学の世界にはあるが、それを使いこなす集合的なリテラシーがないという点は、これもまた正当性の危機を象徴する現象だろう。こうして自分が専門とする領域においてもいくつかの正当性の危機が見られ、こうした状況に対して、何と何に齟齬が生じているのかを具に観察し、両者の溝を埋めるような取り組みをしたいと思う。性やサイケデリクスについてもそうであり、とりわけ日本におけるサイケデリクスの取り扱いは、文化的にも制度的にも未熟であり、今のところ際立った正当性の危機は見受けられないが、流れとしては欧米におけるサイケデリックルネサンスを受けて、まずは文化的な機運が高まり、それに制度が追いついてこないというような状況が見られそうである。それは暗号資産を取り巻く状況においても見られたことである。こうした状況分析と処方箋の立案に、改めてインテグラル理論は大きな貢献を果たしてくれると感じる次第である。


ある学問領域について深く理解しょうと思ったら、その学問領域に辛抱強く長く留まり、網羅的にその領域について探究してみる必要がある。さもなければ、得られる知は浅いものになり、知識は断片的かつ散逸的なものになる。先人発達学の学びにおいてもそれは当てはまり、残念ながらこの学問領域は英語が主要言語であるため、英語の文献に分け入っていかない限りは深く体系的な知識を構築することはできない。この分野において骨太で体系的な知識を身に付けている人がほとんどいない背景にはそのような事情がある。確かに日本は翻訳大国だが、それに安住してしまって翻訳書しか手に取らない状況がいつまでも続いていると、結局のところいつまで経っても英語が主要言語である学問分野の知識を体系立てて習得することはできないのだ。翻訳文化のシャドーとして、日本語ではない言語の学問分野の知識が表層的・断片的・散逸的なものになってしまうことが挙げられる。この点については様々なところで強調しているつもりだが、そうした主張をしても実際に英語の言語空間に飛び込む人がほとんどいないことは残念で仕方ない。このあたりにも日本における英語教育の失敗を見て取ることができる。またそもそも、原著を読むことなく効率的に知識を取り入れることが可能であるという思い込みや、効率的に知識を得ようとすることを推奨する文化があることもそうした状況を加速させているように思える。本当に効率的な知識の習得は、長い目で見ればその領域の原著を読み漁っていくことなのだが、そうした長期的な視野に立つことができず、近視眼的であることもまた問題として立ちはだかる。結局、翻訳依存症を患い、安易に翻訳書に頼って断片的かつ表層的な知識しか手に入れられない形で多くの人は人生を閉じていくのである。2024年の終わりにそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/12/31(火)14:02


13880. ヒルマ・アフ・クリントとミカロユス・チュルリョーニスの画集を眺めながら 


2020年にベルリンの美術館を訪れた時に出会ったスウェーデンの画家ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)の画集と、2022年にリトアニアの美術館を訪れた時に出会ったリトアニアの画家・作曲家のミカロユス・チュルリョーニス(1875-1911)の画集を眺めていた。どちらの画集も旅の思い出を思い出させてくれるのに十分で、旅先の美術館でお気に入りの画集を購入すると、こうして旅の思い出を思い出せるのがいい。それで言うと、先般の日本への一時帰国においては、唯識学に関する書籍を何冊か持って帰ることもあって、美術館で画集を購入することができなかったことだけが心残りである。今後はできる限り旅先で良い画集があったら購入したいと思う。それが後々旅を思い出すきっかけになるし、何よりも画集は右脳を刺激し、創造性を養ってくれる格好の材料となる。アフ・クリントの画集を眺めていると、神智学に影響を受けたこの画家の作品世界に引き込まれるものがあった。もちろんチュルリョーニスにも神秘主義的な側面が見られ、彼の作品にも大いに啓発を受けたわけだが、アフ・クリントがよく用いる螺旋構造のモチーフは、発達の根幹的なモチーフを連想させる。生命と宇宙の発達の両方を見通していたかのようなアフ・クリントの心眼に映る世界を存分に堪能していると、この画家の特別展示がどこかで行われていないかを探してみた。すると、デン・ハーグのデン・ハーグ市美術館でこの秋までアフ・クリントの作品の特別展示が行われていたようだった。残念ながらその展示はもう見逃してしまったが、また世界のどこかの都市でアフ・クリントの展示会が開催していればぜひ足を運びたいと思う。ちょうど日本でも特別展示が行われるようで、2025年の3月4日から6月15日まで東京国立近代美術館でそれが開催される。ゼミの受講生や知人にこの展示会のことをぜひ知らせておこう。デン・ハーグ市美術館での展示会は逃したが、この美術館にはまだ足を運んだことがないので、どこかのタイミングでぜひ足を運びたい。ここは世界最大級のモンドリアンのコレクションが有名で、1階にモンドリアン作品とデルフト焼きの作品があり、2階にゴッホ、モネ、シニャックなどの近代絵画作品が所蔵されているらしい。個人的にモンドリアンの作風は好きで、かつてオランダの他の都市にあるモンドリアン美術館にも足を運んだことだ。デン・ハーグ市美術館というモンドリアンの作品のコレクションが充実している美術館を見逃しているとは思ってみなかったことである。こうしたことに気づかせてもらったのも偶然ではなく、かつてアフ・クリントの作品をベルリンの美術館で見たからであり、またそこでアフ・クリントの画集を購入したからであった。仏教の教えの通り、世の中には偶然はなく、全て縁起によってもたらされる必然のようだ。2025年もきっと数多くの良縁に恵まれるであろう。打ち上がる花火と爆竹の音を聞きながらそのようなことを思う。フローニンゲン:2024/12/31(火)15:33


Today’s Letter

Today is the last day of 2024. I’m reflecting on what I have experienced this year. Overall, this year has been very fruitful for facilitating my development. I hope that the new year will be just as meaningful, or even more so, in cultivating my being and enriching the quality of my life. Groningen, December 31, 2024

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