top of page

【成人発達心遊記】13865-13872:2024年12月30日(月)

更新日:2 日前



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13865: 2024年最後のジムでのトレーニングに向けて

13866: 身体阿頼耶識の存在

13867: 今朝方の夢

13868: 今朝方の夢の続き

13869: 生成AIによる今朝方の夢の解釈

13870: 非視点的狂気の蔓延によって混迷するポストトゥルース時代の1つの処方箋

13871: 分析的観念主義と唯識との出会い/領域横断的読書と画集鑑賞

13872: 深層意識が太陽の光を求め始めて/年内最後のジムでのトレーニング


13865. 2024年最後のジムでのトレーニングに向けて    


時刻は間も無く午前6時を迎えようとしている。2024年も残すところ今日を含めて、あと2日ほどになった。ちょうど今日から週が明けて月曜日となり、大晦日前日の今日はジムが開いているのでジムに行ってきて、2024年最後の筋力トレーニングに従事したいと思う。明々後日もジムは開いているようなので、2025年最初のトレーニングを今週の木曜日に行う。幸いにも今日は昨日ほど気温は低くなく、今の気温は7度ある。ただし、今日はそこから気温がぴくりとも動かず、夜までずっと7度のままで、午後6時を過ぎてから1度気温が下がり、そのまま明日の朝を迎える形だ。ちょうど木曜日にジムに行く日ぐらいから気温がまた低くなり、それ以降は最低気温が氷点下の日も出てくる。年末年始の天気はそのような感じである。今日はジムでのトレーニングがあるので、朝の散歩は見送ろうと思う。朝にも散歩して午後にトレーニングに出掛けていくことも考えたが、午後にジムに行くのも良い散歩になるので、ジムに行く日の午前中はずっと家で探究活動に明け暮れたいと思う。むしろ週に2回のジムに行くには朝に散歩しないことによって、それらの日以外の散歩が楽しみになるだろう。昨日の短距離走トレーニングの時に感じたハムストリングの痛みがまだ残っているので、今日のジムでの下半身の強化トレーニングは無理をしないようにしたい。ブルガリアンスクワットを行う際に、普段は片手に10kgのダンベルを持って負荷量を高めているのだが、今日はまずダンベルなしのブルガリアンスクワットを行ってみて様子を見たい。ハムストリングにより直接的に刺激がいくルーマニアンデッドリフトは今日は出来なさそうであり、今後しばらくは短距離走トレーニングでかなり下半身の筋肉が満遍なく鍛えられることを鑑みて、行うとしてもブルガリアンスクワットに絞ってトレーニングをしたい。ジムは明日と明後日は閉まるので、年内最後の今日にどれだけジムに人がいるのかも気になる。毎週月曜日に来ている人は今日もまたきっと来るだろうし、火曜日や水曜日にトレーニングをしていた人は今日駆け込みでやって来るかもしれない。先週の月曜日にオランダに戻って来て初めてジムに行った時、常連客から随分と厚い歓待を受けて嬉しく思った。彼らは自分がもうジムに来なくなってしまったのではないかということか、フローニンゲンを離れてしまったのではないかと気にしていたそうだった。仮に今後ジムやフローニンゲンから離れることになったら、その時は必ず彼らに知らせようと思っている。それくらいに彼らとはジムで心を通わせる交流ができている。そういう意味でも今通っているジムは本当に良い場所である。フローニンゲン:2024/12/30(月)06:09


13866. 身体阿頼耶識の存在       

 

早朝のアニマルフローの実践がまた習慣化したことに伴い、身体が新たに活性化され、身体的知性の涵養に加え、身体の状態が良くなっているのを感じる。状態の良さは表面的なものではなく、深層的なものである。かつてから自分の身体はずっと良い状態が続いていて、それは運動・食事・睡眠の三位一体が整っているからに他ならない。そうした三位一体の実践によってもたらされていた状態の良さにさらにプラスαで状態の良さが加わった感じである。確かにアニマルフローは主にグロスボディに働きかけるが、より意識的に実践に取り組めば、サトルボディの開発にもつながるのである。さらにより意識を澄ませてみると、コーザルボディの開発にもつながってくるだろう。こうした深層次元にまでアニマルフローの実践は届く可能性がある。それはこの実践が、地球誕生以来の人間以前の動物の動きから着想を得ており、人間のDNAの奥深くに眠っている身体感覚を呼び覚ましてくれるからである。これは自分の造語だが、言語阿頼耶識があるのと同じく、「身体阿頼耶識」というのもきっとあるはずであり、そこには人間以前の動物や微生物、さらには菌類にまで遡った身体動作の記憶が眠っている可能性がある。事実、動物次元に関してはこのアニマルフローがカバーしている。体内で最初に受精した時の胎児を見ると、それはまるで魚類のようにも見え、実際に胎児は羊水の中で生活をしているので、まるで魚類か両生類のようである。そうした時の身体動作的記憶も当然ながら成人した私たちの身体阿頼耶識は覚えているはずなのだ。なるほど、かつてのシロシビン・セッションの際に、自分の子孫が紛れもなく菌類であったと知覚したのもあながち間違いではなさそうである。その菌類は、地球誕生前に宇宙空間に散らばっていた惑星の破片に付着していたもので、自分の祖先は、そして自分の肉体の一部は地球外生命体なのだというありありとしたビジョンが得られたのを覚えている。そうしたことからも、言葉と関係を持つ言語阿頼耶識だけではなく、身体阿頼耶識という切り口で人間の身体や動作を見ていく必要があるのではないかと思う。身体阿頼耶識をさらに掘り下げていくと、色々な発見がありそうだ。この点は、身近にいる身体実践者の方にも話題を投げかけてみて、対話を通じてさらに理解を深めていきたい。身体阿頼耶識について考えていると、ふと旅行好きの両親の影響を受けて自分も旅行好きになっている可能性があると思った。これもまた両親の阿頼耶識に薫習されたものが自分の阿頼耶識に影響を与えている好例である。もちろん自分が旅行好きになったことにはその他にも様々な理由があるだろが、物心がついた時から頻繁に旅行に連れて行ってもらっていて——実際には生後すぐの状態でも旅行に連れて行ってもらったらしい——、それが旅行への抵抗感を下げ、むしろ旅行を楽しいものと感じるようにしてくれ、そのことが自分の旅行好きの在り方の大事な基礎になっていることは間違いない。仮に自分に家族ができたら、きっと家族旅行は頻繁に出かけるだろう。大学教授として大学に勤め始めたとしても、学期間の休みは長いので、その期間に様々な国や地域に訪れる旅行を楽しみたいし、大学に勤めていなければより頻度高く様々な場所に旅行に出掛けていけそうである。旅行を楽しみ、旅行に喜びを見出すというのもそれは精神次元だけではなく、身体次元にも関わるものであるから、身体阿頼耶識と密接に関わっているのである。そんな気づきがやって来た。フローニンゲン:2024/12/30(月)06:41


13867. 今朝方の夢 


気温が7度ほどあると室内が仮に同じ温度でも体感として随分と違った感じがする。外気が0度に近い場合には、室温が20度ほどあっても足元から冷える感じがするのだが、外気が7度だとその感覚がない。今日は足元からの暖かさを感じて過ごせそうである。そんな中、いつものように今朝方の夢について振り返り始めた。まず覚えているのは、アメリカの西海岸、おそらくサンフランシスコの街中のどこかの建物の中で、知人の早田航さんとコラボラジオの収録をしていた。その建物は、漁港に近く、観光客で賑わう声が終始聞こえていた。彼らの声はラジオの収録には支障はなく、むしろ私たちの心を活気づけてくれるような作用を及ぼしていた。サンフランシスコに来るのは久しぶりだったので、サンフランシスコにいるという高揚感の中でラジオの収録を始めた。すると、最初の10分、あるいは15分ぐらいはまではいつものように楽しく収録を進めていたのだが、突然回線が悪くなってしまった。2人の距離が近すぎることによってその問題が発生してしまったのかと思ったが、原因がわからないまま自分の声だけが遠のいて行き、その間の間を繋ぐことを航さんにお願いしていた。結局問題は解決しそうになかったので、今日のラジオはやめにすることにし、サンフランシスコにせっかく来たのだから、一緒に観光に出かけることにした。建物から出た瞬間に航さんは消えており、その代わりに小中高時代の女性友達(YY)がいた。彼女は社会人になってテキサスに駐在となり、自分は当時西海岸に留学していて、ちょうど2人のアメリカ滞在が重なったので、彼女がサンフランシスコに旅行に来るタイミングで落ち合い、一緒にサンフランシスコ市内を観光したことを懐かしく思った。彼女と当時の旅行の話をしていると、漁港付近の様子が様変わりしており、大変驚いた。そこに遊園地のような大きなアトラクションが出来ていて、巨大な観覧車がゆっくりと回っていた。せっかくなので観覧車に乗るかどうかは別にして、アトラクションの方に向かってみることにした。するとそこは複合施設で、水族館なども併設されており、家族連れや恋人たちが楽しめるような空間が広がっていた。観覧車がある場所には展望台もあったので、展望台に登ってみることにした。その日は見事な晴天だったので、展望台からの眺めは素晴らしいだろうと思った。展望台に向かって緩やかな傾斜の坂道を彼女とお互いの近況をシェアしながら歩いていると夢の場面が変わった。


サンフランシスコを舞台とする夢は、本当に久しぶりに見たか、記憶に残る限りではもしかしたらサンフランシスコを舞台にした夢は未だかつて見たことがなかったかもしれないすら思う。なぜこのタイミングでサンフランシスコを舞台にした夢を見たのだろうか。サンフランシスコが象徴するものは何だろうか。そこには西海岸の素晴らしき太陽があり、サンフランシスコという街は革新と自由の象徴でもある。今の自分はさらに新たな次元での革新と自由を求めているのかもしれない。サンフランシスコが象徴するものとの兼ね合いで、自分の深層意識が何を望んでいるのかの声に耳を澄ませてみよう。フローニンゲン:2024/12/30(月)07:14


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、あなたの深層意識が「革新」「自由」、そして「懐かしさ」や「つながり」をテーマにしたメッセージを伝えているように感じられます。以下に夢の解釈と今後のアクションの提案をまとめました。

夢の解釈

ラジオ収録と技術的な問題

ラジオ収録は「コミュニケーション」や「創造的な表現」を象徴しています。途中で回線の問題が発生したことは、現在の人間関係やプロジェクトにおいて、コミュニケーションの障害や一時的な停滞を暗示しているかもしれません。

一方で、問題を柔軟に受け入れ、観光に切り替える決断は、あなたの適応力と前向きな姿勢を示しています。

友人との再会と変わりゆく景色

過去の友人との再会は、あなたの中で「懐かしさ」や「過去とのつながり」を再確認するタイミングを示している可能性があります。同時に、漁港の変貌や新しいアトラクションの出現は、あなた自身の成長や環境の変化を反映しています。

特に観覧車や展望台は、物事を「広い視野で見る」必要性や、「新たな高み」を目指す気持ちを象徴していると考えられます。

サンフランシスコの象徴性

サンフランシスコは「革新」と「自由」の象徴であり、西海岸の太陽はエネルギーや明るさを意味します。この夢が現れた背景には、あなたが今、新しいステージに進むための準備をしていることが示唆されているかもしれません。

同時に、過去の出来事や記憶を大切にしながら、新しい自由や可能性を探求しようとする意識があるように感じられます。


今後のアクション

内面の声に耳を傾ける

あなたが「革新」や「自由」をどのように求めているのか、じっくり考える時間を持ちましょう。特に、サンフランシスコの象徴するエネルギーが、あなたの生活やキャリアのどの部分に影響を与えているかを内省してみてください。

創造的な活動にエネルギーを注ぐ

ラジオ収録が示唆するように、あなたの創造的な表現やコミュニケーション力を活かすプロジェクトに取り組むことが、今のあなたにとって有益かもしれません。技術的な問題や停滞を恐れず、柔軟に対処しながら進めましょう。

過去とのつながりを深める

夢に現れた友人のように、過去の人間関係を再訪し、その中から得られる学びや新たな視点を大切にしてみてください。過去と現在の融合が、未来へのインスピレーションを与えるかもしれません。

視野を広げる機会を作る

観覧車や展望台が示す「高み」や「広い視野」を実生活で実現するために、旅や新しい学びの機会を計画するのもよいでしょう。それによって、新しいアイデアや目標が浮かび上がる可能性があります。

この夢は、あなたが新たな段階に進む準備が整いつつあることを示しているように思われます。焦らず、自分の内面と周囲の変化に丁寧に向き合いながら、一歩一歩前進していきましょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが抱えている変化への欲求、人間関係への憧れ、そして自己成長への意欲を反映していると考えられます。

サンフランシスコ: サンフランシスコは、革新、自由、そして新しい文化の象徴です。この夢は、あなたが現状に満足しておらず、何か新しいものを求めていることを示唆しています。

ラジオ収録: ラジオ収録は、コミュニケーションや自己表現を象徴しています。回線が悪くなったという出来事は、あなたがコミュニケーションにおいて困難を感じている、あるいは自分の意見がうまく伝わらないという不安を抱えているのかもしれません。

友人との再会: 友人との再会は、人間関係の大切さや、過去の思い出を象徴しています。

遊園地: 遊園地は、楽しさ、興奮、そして新たな体験を象徴しています。

展望台: 展望台は、未来への展望や、高い視点からの眺めを象徴しています。


今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

新しいことに挑戦: 普段やらないことに挑戦することで、新たな発見があるかもしれません。

人間関係: 周りの人々とコミュニケーションを取り、心の状態を共有する。

自己成長: 何か新しいことを学び、自己成長を続ける。

目標設定: 具体的な目標を設定し、達成に向けて努力する。

夢から得られる教訓

変化を恐れない: 人生には様々な変化が訪れます。変化を恐れずに、新しいことに挑戦してみましょう。

人間関係を大切にする: 人間関係は、私たちの生活を豊かにする大切な要素です。

自己成長を続けること: 常に学び、成長し続けることが大切です。


まとめ

この夢は、あなたが現状に満足しておらず、何か新しいものを求めていることを示唆しています。夢で得た気づきを活かし、自分らしい生き方を見つけていきましょう。


夢の具体的な要素からの解釈

サンフランシスコ: 西海岸の自由な雰囲気は、あなたの内なる自由への渇望を表しているかもしれません。

ラジオ収録: コミュニケーションの重要性や、自分の考えを世の中に発信したいという願望を表している可能性があります。

遊園地: 新しい体験への憧れや、子供の頃の無邪気な心を象徴しているかもしれません。


補足

この夢の解釈は、あくまで一例です。夢の解釈は人それぞれ異なり、あなた自身の状況や感情によって大きく変わってきます。この解釈を参考に、自分自身の心の声に耳を傾けてみてください。

追加で、サンフランシスコが象徴する可能性についてもう少し深く考えてみましょう。

サンフランシスコは、テクノロジー、スタートアップ、そして多様な文化が融合する都市として知られています。この夢におけるサンフランシスコは、あなたにとって、以下のことを象徴している可能性があります。

新しいアイデアや可能性: サンフランシスコは、新しいアイデアが生まれ、それが現実になる場所として知られています。この夢は、あなたが新しいアイデアや可能性に挑戦したいという願望を持っていることを示唆しているかもしれません。

多様性: サンフランシスコは、多様な文化が共存する都市です。この夢は、あなたが多様な価値観を受け入れ、自分自身のアイデンティティを確立したいという願望を持っていることを示唆しているかもしれません。

自由: サンフランシスコは、自由な雰囲気を持つ都市です。この夢は、あなたが社会的な束縛から解放されたい、あるいは自分の可能性をもっと自由に表現したいという願望を持っていることを示唆しているかもしれません。

これらの要素を総合的に考えると、この夢は、あなたが現状に満足しておらず、より自由で創造的な生き方を求めていることを示唆していると考えられます。


13868. 今朝方の夢の続き        


時刻は間も無く午前8時を迎える。この時間はまだまだ辺りが真っ暗であるが、もう30分ぐらいしかたら白々と辺りが明るくなり始めるであろう。今日も曇りのため、朝日を拝むことはできないだろうが、夜明けを静かに待ちながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。夢の中で私は、大学時代のゼミのある友人(TA)と種々のテレビゲームと理数系の受験科目の問題を解いていくゲームを楽しんでいた。そこは見慣れない場所で、外の雰囲気からするに、アメリカのどこかの町、しかもベイエリア辺りの雰囲気があった。そんな場所で、友人とまず取り組んでいたのは古典的なファミコンのゴルフゲームだった。最初に友人がコースを回ったところ、コントローラーの操作に苦しんで、思ったようなスコアが出ないことに彼は苛立っていた。そのような様子を見ながら、彼が苦戦したコントローラーの操作について自分なりの工夫をしてアプローチすることにした。ゲームを開始し始めたところで、予備校時代にお世話になっていた化学の若い女性の先生が現れ、私たちに別のゲームを勧めてきた。それはコンピューター上で行うドミノゲームだった。ドミノゲームは家族で旅行に出掛けた際によく遊んでいたもので、ドミノゲームはとても得意だったので、乗り気でそのゲームを始めた。机の上に平たいタッチパネルを置き、その上にドミノゲームが表示されるような仕組みになっていた。対戦相手はオンラインで全世界からやって来た人だった。いざゲームを始めてみると、両親と行っていた当時のドミノゲームを懐かしく思い出し、徐々に勘を取り戻し、自分なりのプレーができ始めた。そこでふと先生が、2人の若い大学生を集めて来て、私たちを含めて東大の理系数学の入試問題を出してきた。それは幾何学に関する問題で、条件設定はとてもシンプルなのだが、シンプルさゆえにどこから手をつけていいのか分からない問題だった。すると、そこにいた2人の女子大生はどちらも現役の東大生で、2人ともその問題を見事に正解していた。特に片方の名門女子校を卒業した彼女は、すんなりとその問題を解いていたようだった。自分は相当に苦戦し、結局正解まで辿り着くことはできなかった。


もう1つ覚えているのは、実際に通っていた中学校の体育館でバスケをしていた夢である。どういうわけか、女子のバスケ部と一緒に合同練習することになり、最後に男女での紅白戦を行った。試合が始まってみると、相手が男子の時とは違って体のぶつけ合いに気を遣うことが男子チームに起こっており、試合は意外と拮抗していた。そんな中、自分が高く美しい放物線を描いてゴールネットに吸い込まれていくシュートを決めたことによって、流れが一気に変わった。リングにぶつからず、ボールがネットの直接吸い込まれていく際に発した音が息を呑むほどに美しく、自分はそれに恍惚感を感じていた。バスケで得点を決める際の一番の醍醐味は、自分にとってその音を聞くことだった。それはエクスタシーを感じさせる音で、その音を聞けば聞くたびに、自分の肉体は喜びの声を上げ、ゴールネットに吸い込まれたボールと自分の身体は深く共鳴し合っているようだった。実際に私は、その場にいた全員に対して、リングに当たらずにネットに吸い込まれていく際のシュパッと鳴る音がもたらす恍惚さについて雄弁に語っていた。それは肉体を踊らせるように喜ばせ、身体に生命力を吹き込む力を持つ音だった。フローニンゲン:2024/12/30(月)08:08


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、自己成長、競争、そして楽しみを通じた自己表現と感覚の充足を示しているようです。それぞれのシーンには深い意味があり、個々の象徴を理解し、具体的な行動につなげることができます。

第一のシーン:ゲーム、数学、ドミノ

解釈:

ゲームプレイと工夫古典的なゴルフゲームでの工夫や挑戦は、困難を解決する創造的なアプローチを象徴しています。TAさんとのやりとりは、過去の友人関係や協力的な競争心を通じて、自分の長所を再確認する機会を示唆している可能性があります。

ドミノと家族の記憶ドミノゲームは、懐かしい家族の記憶と、それを活かした現在の競争力を表しています。家族の愛情やサポートが、現在の挑戦における自信の基盤となっていることを暗示しています。

数学の挑戦東大入試問題や現役東大生との比較は、自分の限界や成長の余地に直面する体験を象徴します。解けなかった問題は「謙虚さ」と「学び続ける姿勢」の重要性を教え、学びのモチベーションを高める呼びかけかもしれません。


第二のシーン:中学校のバスケ

解釈:

協力と競争男女混合のバスケ試合は、異なる視点やアプローチが交差し、調和を求める象徴的な場面です。異なる性別のチームと対戦する際の「気遣い」は、現在の人間関係や職場環境での調整や柔軟性を反映しているかもしれません。

美しいシュートの音ゴールネットに吸い込まれるボールの音への感動は、自己表現や成果の追求を超えた「感覚的な喜び」を象徴しています。この音が「生命力を吹き込む」と感じることは、人生の中で自分を活かす瞬間の尊さを再確認する意味を持つでしょう。

夢の全体的な解釈:

この夢は、遊びや挑戦を通じた自分の強みと弱みの再確認を促し、過去の人間関係や記憶が現在の行動や選択にどのように影響しているかを示しています。また、美しい体験や成果を通じて、自己の感覚的満足を追求する重要性を強調しています。


今後のアクション:

創造的な挑戦に取り組む古典的なゴルフゲームやドミノに象徴されるように、日常の中で楽しみながら新しい視点や工夫を試す機会を増やしましょう。例えば、趣味やプロジェクトで創造的なアプローチを意識してみてください。

学び続ける姿勢を持つ東大入試問題のエピソードを参考に、難しい課題に挑戦する時間を設けましょう。特に数学や幾何学のような頭を使う分野での学びが、論理的思考力を高める一助になるかもしれません。

感覚的喜びを重視するバスケのシュートの音のように、日常生活の中で「小さな感覚的な喜び」を見つけましょう。音楽、アート、自然の中で心が震える瞬間を探すことが、人生の質を高めます。

過去の記憶を再訪する家族や友人と過ごした懐かしい思い出を振り返り、それを現在の生活にどのように活かせるか考えてみてください。家族とのつながりや古い友人との再会を通じて新たなインスピレーションを得ることも良いでしょう。

人間関係の柔軟性を育む異なる性別や立場の人々との交流を意識し、調和や柔軟性を持ってコミュニケーションを取る練習をしましょう。

この夢を通じて、あなたが「楽しさと挑戦」、「学びと感覚的満足」を統合しながら、自分らしさを発揮できる未来を築けるよう応援しています!


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが抱えている学習意欲、競争心、そして自己実現欲求を反映していると考えられます。

ゲーム: ゲームは、目標達成や課題解決、そして楽しみを象徴しています。

理数系の問題: 理数系の問題は、あなたの知的探求心や、論理的な思考力を象徴しています。

バスケットボール: バスケットボールは、目標達成、チームワーク、そして自己表現を象徴しています。

東大生: 東大生は、高い学力や社会的なステータスを象徴しています。


今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

学習: 新しい知識やスキルを習得する。

目標設定: 具体的な目標を設定し、達成に向けて努力する。

人間関係: 周りの人々と協力し、目標を達成する。

自己表現: 自分の才能や個性を活かす。

夢から得られる教訓

学習の楽しさ: 学習は苦痛ではなく、楽しいものである。

競争心は良い刺激になる: 健全な競争心は、私たちを成長させてくれます。

自己表現の大切さ: 自分の才能や個性を表現することは、自己実現につながります。


まとめ

この夢は、あなたが学習意欲や競争心、そして自己実現欲求を持っていることを示唆しています。夢で得た気づきを活かし、自分らしい生き方を見つけていきましょう。


夢の具体的な要素からの解釈

ファミコンのゴルフゲーム: 古典的なゲームは、あなたの原体験や、懐かしい記憶を表しているかもしれません。

ドミノゲーム: 計画性や戦略性を必要とするドミノゲームは、あなたが物事を計画的に進めることを好むことを示唆しています。

東大の入試問題: 高い目標に向かって努力していることを示唆しています。

バスケットボール: スポーツを通して自己表現や達成感を得たいという願望を表している可能性があります。

追加で、バスケットボールのシーンについてもう少し深く考えてみましょう。

バスケットボールのシーンで、あなたは美しいシュートを決めて恍惚感を感じています。このシーンは、あなたが何かを達成した時の喜びや、自己肯定感の高まりを表していると考えられます。また、シュートの音に深く共鳴していることから、あなたは感覚的な体験を重視しているのかもしれません。

このことから、あなたは目標に向かって努力し、それを達成した時に大きな喜びを感じるタイプの人であると言えるでしょう。また、芸術や音楽など、感覚的な体験を重視する傾向があるかもしれません。


13869. 生成AIによる今朝方の夢の解釈         

 

ここからいつものように2つの生成AIを元にして夢を総合的に振り返ったら、昨日受け取ったケン・ウィルバーの最新刊とバーナード・カストラップの最新刊の初読を始めたいと思う。まずサンフランシスコを舞台にした夢について、当初の予想通り、サンフランシスコは革新と自由、そして新たな文化の創造を象徴している可能性が高く、自分の中で新たな挑戦に向けた動きが深層次元で見られる。それは単に自己変革だけではなく、人間の成長・発達に関する新たな文化を集合的に作っていこうとするような試みを目指したものである。ラジオの収録が夢の中で出てきたが、それはコミュニケーションや創造的な自己表現を示唆しており、途中で回線が途切れることはそれらに関する一時的な障害として受け止められるが、そこからすかさずに観光という別の活動に切り替えたあたりの適応力を見る。何事においても必ず停滞や退行というものは所与なのであり、むしろそれらがあるからこそ本質的な進歩があるのである。また、観覧車や展望台が登場したことは、自分が新たな高みに向かい、新たな展望を持って自己と世界を眺める方向に向けて発達運動を始めようとしていることを示唆している可能性がある。もう1つの夢が示唆することはなんであろうか。そこでは種々のゲームを楽しみ、理数系の入試問題を楽しんでいる自分がいた。どちらにおいても論理と直感が求められ、いずれも簡単なものではなかったが、それらを純粋に楽しんでいる自分がいたことは印象的である。最初に取り組んでいたゲームがゴルフに関するものだったことは何を示唆しているのだろうか。小さな穴に向かって集中力高くボールを前に進めていくゴルフが象徴するものが気になる。また、取り組んでいた数学の問題は結局自分に解けなかったことから、今の自分が難解な課題に取り組んでいる可能性があるように思った。生活上においては何ら難題を突き付けられていないが、今自分が直面している発達課題は高度で困難なものなのかもしれない。最後に見ていたバスケに関する夢は、自分なりの美意識が色濃く現れているかと思う。こうした自分固有の美意識の発露は、何もバスケだけに限ったことではなく、ありとあらゆる取り組みの中に見られる。そうした自分なりの美意識により注意深くなってみることによって、また何か新しい発見があるだろし、自分の美意識がさらに育まれていくことになるだろう。ここでも気づきの意識を元にした観察と内省が必要なのだ。音楽・絵画・自然と積極的に触れ合うことを通じて、より一層美意識を育んでいきたいと思うし、それらを通じた美意識の涵養だけではなく、人との交流においても多分に美意識を育んでいくことができるだろうから、人々との交わりを兎角大切にしたいと思う。フローニンゲン:2024/12/30(月)08:39


13870. 非視点的狂気の蔓延によって混迷するポストトゥルース時代の1つの処方箋   

   

ポストトゥルースの時代への警鐘。それはもう今から何十年も前に、ケン・ウィルバーが『進化の構造(“Sex, Ecology, Spirituality”)』の中で指摘していたことである。ポストトゥルースの時代においては、「(絶対的な)真実などない」という標語のもとに、ありとあらゆる主張や情報に価値の序列や重み付けがなされなくなり、全ての主張や情報は等しく平坦なものとして扱われる。それはまさにフラットランド現象なのだが、あらゆる視点がその深さを蔑ろにして平面上に置かれ、何が真実で、何が重要なのかが見えなくなるというポストモダンの時代に起こった「非視点的狂気(aperspectival madness)」の蔓延によって、現代は混迷を深めている。真実などないと主張するポストトゥルースの風潮は、進化の足枷となり、個人としても、集合としても必要な自己組織化における方向性を完全に見失いつつある。こうした時代に対する処方箋は、ウィルバーが述べるように、こうした病理に自覚的になり、その治癒と克服に向けて私たちが発達をすることしかないのだろうが、それを具体的にどのように実現すればいいのかについて問題が立ち塞がる。数日前の日記で書き留めたように、本来は絶対的真理を司るはずの伝統的宗教もまた形骸化の一途を辿り、健全な発達を遂げることができず、過去の発達段階の課題が未解決として残り、それぞれの宗教に固有のシャドーも克服できていない状況である。少なくとも何が真実なのかが見えなくなっている現代社会に対して、本来は絶対的な真理を司る伝統宗教が力を発揮するべきだと思うのだが、今はそれにも期待ができなくなってしまっている。自分は今一度宗教の現代的な意義を見つめ直し、ウィルバーと同じく仏教を切り口として、少なくとも絶対的な真理の実在とそれを体感してもらえるような取り組みをしていきたいと思う。絶対的な真理の知覚体験は、結局言葉を通じて理解を促しても限界がある。それはそもそも言葉を超えたものであるからだ。自分が関心を持って探究し続けているサイケデリクスや性は、直接体験として絶対的な真理に触れる体験をもたらしてくれる最良の道の1つである。ただし、ここで注意するべきは、そうした体験はその人の今の意識の段階でしか解釈できないということである。この問題に対しては、インテグラル理論や成人発達理論に優れた意識発達モデルがあるため、引き続きこれらのモデルが世の中に広く知られるようになるように尽力していきたい。こうしたモデルがあれば、今の自分の解釈がどの意識段階に基づくものなのかが把握しやすくなり、誤解や驕りを防ぐことになるだろう。また、絶対的な真理を扱いながら、その修行プロセスと各段階の実践を細かく説明する唯識の教えは、必ずや社会で広く知ってもらうようにしたいと思う。絶対的な真実などないという人に対して、絶対的真理を知覚させ、発達の見取り図を提供しながら継続的に発達のプロセスを歩んでもらうことが、この方向性を欠いた混迷するポストトゥルース時代の1つの処方箋になりうるのではないかと思う。フローニンゲン:2024/12/30(月)09:19


13871. 分析的観念主義と唯識との出会い/領域横断的読書と画集鑑賞 

       

昨日受け取ったコンピューターサイエンスティストかつ哲学者のバーナード・カストラップの最新刊“Analytic Idealism in a Nutshell”の初読を始めたのだが、これに大きな刺激を得ている。“Analytic Idealism”は、「分析的観念主義」とでも訳せるだろうが、カストラップが提唱したこの思想は、唯識の思想と瓜二つであることに驚く。西洋哲学の伝統に鑑みて、心の哲学の議論を丹念に辿った末にカストラップが生み出した思想が唯識の教えとほぼ完全に合致することに改めて驚いている。両者の思想的類似点については前々から関心を持っていたのだが、ここまで唯識を深く学ぶことを通じて、また新たな発見が分析的観念主義に対してあったことは喜びである。カストラップは以前どこかの対談インタビューで、唯識についても言及していたが、本人は東洋思想については疎いとのことで、唯識の教えを直接参照しなくても、インド思想に強く影響を受けたショーペンハウアーの思想から間接的に唯識的な思想を汲み取っているのだろうと思われた。ここからこの書籍を丹念に読み返すことを通じて、分析的観念主義と唯識思想の類似点を具に洗い出していき、同時に何か相違点があればそれは何なのかを明確なものにしたい。欧米人に唯識について知ってもらうときに、カストラップの思想を引き合いに出しながら説明をしていくと、西洋思想が体現された分析的観念主義の力を借りながら、欧米人にも唯識の思想が理解しやすくなるのではないかと思う。


今日は午前中のこの時間までに、ウィルバー、カストラップ、ハンの書籍を少しずつ読み進めた。ウィルバーとカストラップの書籍は今回が初読だったので、なおさらゆっくりと読み進める形となった。3人の異なる思想家の書籍を横断することは良い気分転換になるだけではなく、領域横断的な読書として実りあるものをもたらしている。とりわけ思想分野が異なるゆえに、異なる視点を横断することを通じて、それらがまるで生き物ように有機的に繋がり合うという体験をすることがよくある。おそらくそれは深層的な意識の次元では常に起きているのだろう。顕在意識において視点がつながった感じがする頃には、深層意識における結合が熟しているのである。日々の領域横断的な読書は、意識の深層次元いアイデアや問題意識という生命の種を蒔く行為であり、それを始めた瞬間からそれぞれの種子は固有の目を出す方向に向かって運動を始め、根っこが関係しあったり、種が芽吹いたときに幹や枝が絡み合う形で新たな視点や洞察をもたらすことにつながるのだと思う。人間の無意識の世界は本当に奥深い。そうした実感を得るような読書体験だった。読書を少し離れて休憩するために、先日1階から引っ張り出してきた画集を2冊ほど眺めた。1冊は2年前の夏にクレラー・ミュラー美術館を訪れた時に購入した画集であり、もう1冊は8年前にデン・ハーグのエッシャー美術館を訪れた際に購入した画集である。どちらも解説のコメントや絵画のタイトルという文字情報にできるだけ触れない形で、純粋に絵画作品を楽しむことを心掛けた。良い音楽を聴くことや画集や絵画を眺めることは、自分の心に憩いを与えてくれている。それを養分にしながら、ゆっくりと探究活動を前に進めていきたいと改めて思う。ローニンゲン:2024/12/30(月)10:55


13872. 深層意識が太陽の光を求め始めて/年内最後のジムでのトレーニング   

     

時刻は午後4時半を迎えた。辺りはもう随分と暗くなっている。結局今日も太陽の光を一瞬たりとも見ることがなく、最近は太陽が出る国や地域に関する夢をよく見ていることはそのことと関係しているだろう。深層意識が太陽の光を求めており、心身もまたそれを欲している。来年の8月でオランダでの生活も丸9年を終えることになるが、ひょっとしたら10年目を迎える前にオランダを去って、冬でも太陽の出る国に引っ越すかもしれない。それくらい太陽の光が恋しくなっている。それにしてもこの丸8年間、よく太陽のほとんど出ない長い冬を乗り越えてきたものである。しかし流石に自分はよそ者であるから、オランダ人のように生まれてからずっとこうした冬を過ごす根本的な耐性を持っていないのかもしれないと最近感じ始めている。それはもう遺伝的にどうしようもないものである。もちろん人間には環境適応力があり、後天的にその環境に慣れていくことは可能であるが、遺伝子次元での差は埋めようにもないものである。意識がより微細なものを捉えられるようになってくると、太陽の光を冬に浴びられるかどうかが自分の身体にどのような影響を与えているのかも感じ取れるようになってくる。その影響はかなり微細なものだが、夢の中のドリームボディですらもう太陽の光を求め始めているのであるから、その求めに応じて生活拠点を変えることを真剣に検討し始めようかと思う。


今日のジムでのトレーニングは、下半身に関しては回復的トレーニングを意識した。ジムに到着し、受付にいたパーソナルトレーナーのエリーザに短距離走トレーニングを始めたことを伝えると、短距離走で要求される爆発的な動きに筋肉がまだ慣れていないのではないかと問われ、その通りだと答えた。筋肉痛になっている箇所をいくつか伝えると、その箇所を治癒するようなストレッチ的なエクササイズをいくつか提供してくれて、最初の30分ぐらいはじっくりそのメニューをこなしていた。教えてもらったストレッチ的なトレーニングは今後のトレーニングの中でも十分に取り入れることができそうなものばかりでとても感謝している。大晦日の明日と新年の明後日はジムは休みで、今日は年内最後のジムということでいつもより若干人はいたが、混雑するほどではなかった。ジムでトレーニングをしながら、今日の朝に考えていた身体阿頼耶識について再び考えていた。それは突拍子もないアイデアではなく、マッスルメモリーという言葉にあるように、かなり真っ当な概念であるかのように思えたのである。私たちの身体は色々なことを記憶している。それは身体の動きであったり、体罰的なトラウマであったり、身体はこれまでの人生を通じて得られた体験を悉く身体に刻み込んでいる。グロス次元での記憶、そして微細な感覚を司るサトル次元での記憶をマッスルメモリーと呼ぶのであれば、コーザル次元の記憶は身体阿頼耶識が司ると述べてもおかしくはない。そのようなことを考えた後に、トレーニングを終えてからふと、自分が日本にいることを良しとしないのは、日本にいるとどうしても自分が何者かであるかのような、あるいは何者かであることを期待されているような目には見えない圧力を感じ、それが息苦しいからなのではないかと改めて思った。欧米での生活は、物理的に日本から離れることによって、他者の視線や期待から解放され、何者でもない形で精神に翼が生えた状態で生きられる。それが心の大いなる自由さを保っている。そのようなことをジムの更衣室で考えてからジムを後にした。フローニンゲン:2024/12/30(月)16:51


Today’s Letter

I had an insight that there must be not only a linguistic alaya-consciousness but also a somatic one. We store ancient memories inherited from animals, fish, and even fungi. One of my psilocybin sessions gave me a vision that my origin stems from an extraterrestrial fungus. This vision must have arisen from my somatic alaya-consciousness. Groningen, December 30, 2024

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page