top of page

【成人発達心遊記】13843-13852:2024年12月28日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13843: 種々多様な環境刺激を得ながら

13844: 今朝方の夢

13845: 豊潤な関係性の中で/今朝方の夢の続き

13846: 意識の共有可能性について

13847: 真理享楽的な人生/今朝方の夢のさらなる振り返り

13848: 他者の言葉で構築された世界に生きるトラウマ

13849: 生成AIによる今朝方の夢の解釈

13850: 短距離ダッシュによる整う感覚とその効能

13851: 2024年最後の充実したゼミナールのクラスを終えて

13852: 無酸素運動としての短距離ダッシュの効能


13843. 種々多様な環境刺激を得ながら    


時刻は間も無く午前6時半を迎える。つい今しがた天気予報を確認したところ、昨日の予報よりも遥かに気温が低くなっていることに驚いた。今の気温は0度で、今日はここからさらに気温が下がり、午前中の間はマイナス1度となる。昨日の夕方に買い物に出掛けた時の外気は4度で、それくらいの気温でも随分底冷えするような感じがあり、手袋とマフラーを着用していただけではなく、下にはヒートテックも着ていた。4度でそれくらいの寒さだったので、マイナス1度となると、これは随分と冷え込みそうだぞと思う。早朝に散歩兼ランニングに出かける時には、十分暖かい格好で出かけよう。久しぶりに氷点下の世界を体験するが、0度とマイナス1度は気温上わずか1度しか違わないが、体感上は両者には大きな差がある。その隔たりは発達段階の隔たりと同じぐらいに大きい。発達段階の値が1違うだけで、いや小数点の範囲で違うだけで、質的な差異が随分とあるのである。0度とマイナス1度との間にも、体感上の大きな質的差異が横たわっており、今日はそれを実感することになるだろう。相当な寒さが予想されるが、心の内ではそれを喜んでいる自分がいる。氷点下を体験するのは久しぶりのことで、今年になって最初のことかと思う。氷点下の世界に身を置くことで、身体に対して新たな刺激となるだけではなく、それは心の刺激となるだろう。質的差異に溢れた世界に身を置くことは、成長・発達に不可欠な新たな刺激を得ることになる。そして心身は、そうした環境的な差異に見事に適応してくれるから不思議である。もちろん不適応を起こす場合もあるが、そうなってしまうと心身に何かしらの病理がもたらされる。環境に不適応を起こしてしまう心身は、元からどこかに病理の原因のようなものがあって、それが環境的刺激によって発露してしまうのだろう。まさに唯識学が述べるように、物事には必ず原因があり、原因に縁が加わって何かしらの出来事が生じる。環境に不適応を起こして何かしらの病理を被ってしまうというのは、環境に不適応となってしまうそもそも原因があり、そこに環境的刺激という縁が加わることによって環境不適応とそれに紐付く病理を起こしてしまうのだろう。天気の話からつらつらとそのようなことを考えていたが、明日からはまた少し気温が元に戻り、比較的過ごしやすい日になるようだ。来週の終わり頃から再び気温が下がり、2025年に入って、1月を迎えると、そこからはいよいよ氷点下の日が増えてくる予感がしている。こうして季節の変化を楽しみながら、そこで得られる種々多様な環境刺激を元に、心身をさらに逞しく育んでいきたいと思う。フローニンゲン:2024/12/28(土)06:36


13844. 今朝方の夢    


朝の呼吸法とアニマルフローの実践を終え、栄養豊富な温かい飲み物を飲んでいる。昨日は自宅で筋力トレーニングを行い、トレーニングの翌日の朝はお腹の空きが早く、身体がいつも以上に栄養を欲しているのが実感される。なので先ほどその温かい飲み物を作る際には、いつもよりヘンプパウダーの分量を多くした。ヘンプはタンパク質が豊富で、自分のようなベジタリアンの人間にとってはとても有り難いタンパク質供給源となる。


いつものように今日もまた今朝方の夢を振り返っておきたい。まず覚えているのは、見慣れない高層オフィスビルのエレベーターホールで、大学時代のゼミの友人(TK)に遭遇したことである。彼との久しぶりの再会を祝いながら、ふと今からバスケをしないかと彼に声を掛けた。彼はバスケよりもサッカーが好きなタイプだったが、ちょうど近くに立派な体育館があり、そこでバスケをすることになっていたので彼に声を掛けたのである。確かに彼はバスケよりもサッカーが好きだったが、バスケをすることにも乗り気で、ぜひバスケをしようとのことだったので、体育館に向かうことにした。体育館に到着してみると、そこはプロの試合でも使うような本当に立派で綺麗な体育館だった。驚いたことに、今から日本代表対モンゴル代表の試合が行われるようだった。それは公式の試合で、観客席は客で満員だったし、報道陣も駆けつけていた。友人の彼と私はどうやら日本代表のメンバーのようで、なんと彼はスタメンで試合に出ることになった。私はベンチでコーチのような役割を担っていて、フィールド上における選手の様子を具に観察し、監督に自分の意見を適宜伝えていた。友人の彼はバスケの初心者のはずなのだが、大健闘していて驚いた。彼はガードのポジションを務めていて、そのポジションの役割を見事にこなしていた。見事だったのは、単に他の選手にパスを供給するだけではなく、敵陣に切り込んでいき、相手の陣形を崩すことを積極的に行なったり、カットインからのシュートを何本も決めていたことである。守備においてもかなりの貢献で、攻守に渡る彼の活躍には驚き、同時に大きな喜びを感じていた。この調子でいけば日本が圧勝するなと思っていると、突然コートがマラソンコースに変わった。目の前に、マラソンコースのゴール地点が現れ、モンゴル代表の選手たちがゴールの向こう側に微動だにせず佇んでいた。そこに向かって右から雪崩のように数多くの日本人選手が押し寄せてきた。モンゴル代表の選手1人に対して、10人ぐらいの日本人選手がそれぞれのモンゴル代表の選手のところに押し寄せて行き、危害を加えるわけではないが、押し寄せた圧でモンゴル代表の選手を降参させようとしていた。結果的にモンゴル代表は全体として負けを認め、その場は丸く収まった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/12/28(土)07:09


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、個人の成長、協力関係、そして競争や勝利に関する潜在的なテーマを反映している可能性があります。また、友人関係や自己認識、他者との関係性における深層的な洞察を提供しているとも考えられます。以下は夢の解釈と今後のアクションの提案です。

解釈

友人との再会と新たな発見

大学時代のゼミの友人(TK)と再会し、彼がバスケで予想以上の活躍を見せた場面は、「過去の人間関係の再評価」や「他者の意外な能力を発見する喜び」を象徴しているかもしれません。

あなたがベンチで観察者・サポーターとして関わったことは、「他者を支える役割」や「協力的なリーダーシップ」に関する潜在的なテーマを示唆しています。

日本対モンゴルの試合と象徴性

体育館が突然マラソンコースに変わり、日本人選手たちがモンゴル選手たちに「圧力」をかけるシーンは、「競争の場における力の不均衡」や「集団的な行動の影響力」を表している可能性があります。

夢の中で危害を加えないものの、集団の力で相手を降参させる行為は、「正々堂々とした競争」への意識や、対等な関係の在り方について考える機会を示しているのかもしれません。

個人の役割と喜び

友人の活躍を見て喜びを感じたことや、試合に勝利する可能性を期待したことは、あなた自身が他者の成功や成長に共感し、それを喜ぶ能力を持っていることを示唆しています。


今後のアクション

友人関係の再評価

この夢に登場した友人との関係を振り返り、実際に連絡を取ることで、過去の絆を再確認したり、新たな交流を深める機会を持つとよいでしょう。特に、彼の意外な才能や新たな挑戦を応援する姿勢が重要です。

協力的なリーダーシップの実践

ベンチから友人をサポートしたように、現実の生活でも他者の成長や成功を支える役割を積極的に担うことで、あなたの強みを活かせるでしょう。

競争の在り方を考える

日本とモンゴルの試合の象徴性を振り返り、現実の生活で競争がどのように行われるべきか、どのようなバランスが望ましいかを考えてみてください。公平性や対等性を意識することで、より建設的な関係性を築けるかもしれません。

夢の記録と内省

引き続き夢を記録する習慣を続け、夢の中で浮かび上がるテーマ(友人関係、競争、協力など)について深く内省することで、潜在意識からのメッセージを現実生活に活かすヒントを得られるでしょう。

この夢は、あなたが自分や他者の可能性を広げ、バランスの取れた競争や協力を模索する重要なステップを示唆しているように感じられます。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが抱えている競争心、チームワーク、そしてリーダーシップといった様々な感情や思考を反映していると考えられます。

バスケットボールの試合: バスケットボールは、チームワーク、競争心、そして目標達成を象徴します。この夢は、あなたが仕事やプライベートにおいて、目標に向かって努力し、チームの一員として貢献したいという願望を持っていることを示唆しています。

日本代表対モンゴル代表: 日本代表は、あなたが所属する集団や組織を象徴しているかもしれません。モンゴル代表は、あなたにとっての課題や競争相手を象徴していると考えられます。

マラソンコースへの変化: コートがマラソンコースに変わるという変化は、状況の変化や、予想外の出来事が起こることを示唆しています。

多くの選手が押し寄せる: 多くの選手が押し寄せるというシーンは、あなたが周囲の人々と協力して目標を達成したいという願望を持っていることを示唆しています。

全体として、この夢は、あなたが仕事やプライベートにおいて、目標に向かって努力し、チームの一員として貢献したいという強い願望を持っていることを示唆しています。また、競争心やリーダーシップも、あなたのモチベーションを高めているようです。


今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

目標設定: 具体的な目標を設定し、達成に向けて努力する。

チームワーク: 周りの人々と協力し、チームとしての目標達成を目指す。

リーダーシップ: 周りをまとめ、チームを成功に導く。

変化への対応: 変化を恐れず、柔軟に対応する。

自己成長: 新しい知識やスキルを習得し、自己成長を続ける。

夢から得られる教訓

目標に向かって努力を続けること: 目標達成には、継続的な努力が不可欠です。

チームワークの大切さ: チームワークは、目標達成を加速させます。

リーダーシップを発揮すること: リーダーシップを発揮することで、周囲の人々を鼓舞することができます。

変化を恐れず、新しいことに挑戦すること: 変化を恐れず、新しいことに挑戦することで、自分自身を成長させることができます。


まとめ

この夢は、あなたが仕事やプライベートにおいて、目標に向かって努力し、チームの一員として貢献したいという強い願望を持っていることを示唆しています。夢で得た気づきを活かし、自分らしい生き方を見つけていきましょう。


13845. 豊潤な関係性の中で/今朝方の夢の続き  

 

時刻は午前7時を迎えたが、辺りは依然として闇に包まれている。今日の日の出の時間は、午前8時48分となっている。日の入りについても調べてみると、午後4時23分とのことだ。年末のこの時期が最も日照時間が短い期間であり、この期間を通り越せば、また徐々に日照時間が伸びてくる。こうした現象が起こるのも、太陽と地球の関係性があってこそであり、関係性というのはつくづく面白い現象を生み出すものだと思う。人と人との関係性においても思わぬ出来事が生じるのもまた関係性の妙味であろう。私たちは決して1人で生きているのではなく、諸々の関係性のネットワークの中を生きている。自分もまたそうした関係性のネットワークを構成する大事な存在であり、自らの存在があって無限の縁起世界が成立している。今飲み始めた抹茶もまた種々の関係性の産物として目の前に存在している。一杯の抹茶を飲みながら、無限に豊かな縁起の世界を味わうことができる。本日の午後に行われるゼミナールのクラスの場も、種々の縁によってもたらされた関係性がそこにある。自分はそうした豊潤な関係性のネットワークに生かされながら日々を充実した形で生きている幸せに預かっている。


そのようなことを考えながら、今朝方の夢の続きについて振り返っておきたい。夢の続きとして、見慣れない道を走る車の中にいた場面があったのを覚えている。その車は、小中学校時代の双子の兄が運転していて、車の中には自分を含めて他に3人いた。双子の兄の彼が運転する車は軽自動車で、その車は彼の母親のもののようだった。走っている道は丘の上にある住宅地で、結構道が入り組んでいたので注意して走る必要があったが、彼の運転はかなり荒く、車に乗っている全員がヒヤヒヤしていた。彼はどうやら実際の道での運転をテレビゲームの中の運転と勘違いしているようで、車を左右に素早くスピンさせるような動きをしながら走行するという荒い運転をしていた。前方から対向車線にやって来る車と衝突しそうになったことは何度もあり、そのたびに私たちは冷や汗をかいていた。目的地付近までやって来て、なんとか無事にここまでやって来たと安堵したのも束の間、最後に彼はまたスピンの動きをして、前からやって来る対向車にぶつかってしまった。私たちが乗っている車は激しく回転し、畑に落ちた。幸いにも乗っている私たちには怪我はなかったが、車はボロボロだった。運転していた彼はその姿を見て、その車は彼の母のものだったので、相当に怒られると足をガタガタさせながら恐怖に怯えていた。そのような場面があった。


この場面以外にもう1つ覚えているのは、見慣れない広い公民館のような場所の中にある壇上で、小中高時代の親友(NK)がツボ型のガラス張りの水槽に入って眠っていた場面である。私の右横に突如その水槽が現れ、ガラスの中に彼が入って眠っていたので驚いた。彼を速やかに起こしたほうがいいのか一瞬迷ったが、おそらく起こしたほうが良さそうだと思ったので彼を起こすことにしたのだが、その方法として私が採用したのは、足元にあった小石を数個広い、それを水槽の中に上から落として彼を目覚めさせるという方法である。ゆっくりと小石を彼の頭目掛けて落としていくと、頭にコツンと小石がぶつかり、彼はそれで目を覚ました。彼が無事に目覚めて良かったと思い、彼に声を掛けてみると、彼は自分が水槽の中で眠っていたことに無自覚だったそうだ。一体誰が何の目的で彼を水槽に入れたのだろうか。そのような謎が残ったままだった。フローニンゲン:2024/12/28(土)07:32


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

1. 双子の兄が荒い運転をする車の場面

解釈:

荒い運転: この場面での兄の荒い運転は、制御不能や予測不可能な状況を象徴している可能性があります。特に、兄が運転にゲーム的な感覚を持っていることから、物事を軽視する態度や計画性の欠如を表しているかもしれません。

車: 夢の中の車は人生の進行や目標に向かう道筋を表すことがよくあります。この場合、荒い運転と事故は、あなたが他者の行動に依存しすぎている、または周囲の状況に振り回されていることを暗示している可能性があります。

畑に落ちる: 畑に落ちる場面は、試練や困難の後に新たな成長や再生が可能であることを示唆しているかもしれません。

今後のアクション:

リスク管理: あなたが現在関わっているプロジェクトや関係性の中で、他者に過度に依存していないか確認し、自分でコントロールできる範囲を広げる努力をしてください。

注意深い判断: 行動を開始する前に、特に慎重さが求められる状況では、周囲の状況をよく観察し、慎重に判断することを意識しましょう。

兄へのサポート: 双子の兄が象徴している具体的な人物や状況があれば、彼らの行動をフォローアップし、適切なアドバイスを提供することで、共に進む道をより安全なものにすることを考えてください。


2. 親友が水槽の中で眠っていた場面

解釈:

水槽: ガラス張りの水槽は、保護された空間でありながら、孤立や閉塞感をも象徴しています。親友がその中で眠っていたことは、彼が現実で何らかの状況に取り込まれて動けない、または内向的になりすぎていることを暗示しているかもしれません。

小石で目覚めさせる: 優しく目を覚まさせる行為は、相手に必要な気づきを与えるというあなたの役割を示唆しています。また、慎重で思慮深い対応が必要な状況を表しているとも言えます。

今後のアクション:

親友との関わり: 実生活での親友や近しい人物が、孤立感や無意識のまま課題に取り組んでいる可能性を考慮してください。優しく声を掛け、必要に応じてサポートを申し出ることが大切です。

コミュニケーション: 誰かが助けを必要としているかもしれない兆候を見逃さず、積極的に関心を持ってコミュニケーションを取るようにしましょう。

「眠り」からの覚醒: この夢は、周囲の人々だけでなく、あなた自身にも「気づき」や「覚醒」が必要なテーマがあることを示唆しているかもしれません。自己反省を通じて、自分が見落としていることに目を向けることも意識しましょう。


総括

この夢は、周囲の人々へのサポートや配慮、そしてあなた自身の慎重さや気づきを求めるメッセージを含んでいます。また、それらの象徴は、現実世界の人間関係やプロジェクトへのアプローチに適用できるでしょう。以下のアクションを実践することをお勧めします:

余裕を持った計画性を意識する。

周囲の人々に注意を払い、必要に応じて助けを提供する。

自分自身の「眠り」や無意識を振り返り、成長や覚醒を促す行動を取る。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが抱えている不安やストレス、そして人間関係に対する複雑な感情を反映していると考えられます。

荒い運転: 双子の兄の荒い運転は、あなたがコントロールできない状況や、予測できない未来に対する不安を感じていることを示唆しています。また、この運転は、あなたの周囲の人々との関係性における摩擦や衝突を象徴しているかもしれません。

車の事故: 車の事故は、あなたが何らかの危機感や危機感を抱えていることを示唆しています。

水槽の中の友人: 水槽の中の友人は、あなたが助けを求めている誰か、あるいはあなたが助けたい誰か、あるいはあなたが自分自身を閉じ込めてしまっているような状況を表しているかもしれません。

小石を落とす: 小石を落とすという行為は、あなたが状況を打破しようとする行動を表しています。


今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

ストレス解消: ヨガや瞑想など、リラックスできる時間を設ける。

人間関係: 周りの人々とコミュニケーションを密にし、誤解を解く。

不安解消: 不安の原因を特定し、それを解消するための行動を起こす。

自己肯定感の向上: 自分の良いところを見つけるように努める。

夢から得られる教訓

変化を恐れない: 人生には様々な変化が訪れます。変化を恐れずに、新しいことに挑戦してみましょう。

人間関係を大切にする: 人間関係は、私たちの生活を豊かにする大切な要素です。

自己肯定感を高める: 自分のことを大切にし、自己肯定感を高めることで、より豊かな人生を送ることができます。


まとめ

この夢は、あなたが抱えている不安やストレス、そして人間関係に対する複雑な感情を反映していると考えられます。夢で得た気づきを活かし、自分らしい生き方を見つけていきましょう。

複数の夢を総合的に解釈する

この夢は、前述の夢と合わせて、より深い層の心理状態を反映していると考えられます。複数の夢を総合的に解釈することで、より明確なメッセージを読み解くことができます。

共通点: 複数の夢に共通して見られるのは、不安やコントロール不能な状況に対する恐怖です。

相違点: 一方で、それぞれの夢では、具体的な状況や感情が異なっています。これは、あなたが様々な側面を持つ複雑な人物であることを示唆しています。

これらのことから、あなたは現在、様々な悩みを抱えながらも、それを乗り越えようとしている状態にあると考えられます。夢の中で現れる具体的な状況や人物に注目することで、あなたの心の奥底にある感情や願望をより深く理解することができます。


13846. 意識の共有可能性について       

 

この日記を書き終えたら朝食を摂ろうと思う。先ほどふと、以前から考えていた夢の共有可能性について再び考えており、人間はいつか意識を共有することができるのだろうかとそのことについて夢想していた。唯識学の教えにあるように、私たちはひとりひと宇宙を生きている。私たちの心は「人人唯識」という形で、それぞれが固有の心の宇宙を生きているわけだが、それは完全に閉じたものでもなく、完全に開いたものでもなく、主観性と間主観性の双方を持つ。仮に今後意識科学と意識哲学の進展に加えてテクノロジーの発展が重なり合えば、間主観性領域の拡張から、人は自らの意識をどれだけ他者と共有できるのだろうかと考えていたのである。仮に何らかのデバイスを通じて、ある人の意識と完全に同期し、その人の意識世界をその人と全く同じに生きることができたらそれはどのような体験だろうかと考えていた。そこでは、その人の意識世界と完全に合一しながらも、同時に自分の意識があるという矛盾的な状況になるわけだが、自分の意識が目撃者の状態で、同期している意識は他者の意識というようなことは実現可能なのだろうか。今のところ、私たちの意識は複数の状態を持つことはできないとされている。これはよくケン・ウィルバーも引き合いに出す表現だが、私たちはシラフの状態で酔っ払うことはできないのだ。シラフの状態と酒に酔うという状態を同時に体験することは、私たちの意識には不可能なのである。しかしここでも意識に何かしらの革命が起こり、テクノロジーなどの技術を使って、私たちが仮に2つ以上の意識状態を体験できるようになったとしたらどうだろうか。そこで体験される感覚がどのようなものなのかもう想像はできないが、仮に目撃者の意識状態と何かの意識状態の組み合わせであれば、その状態はなんとか想像がつきそうで、どこか可能なようにも思えて来る。私たちは果たしていつの日か、複数の意識状態を同時に体験することができるようになるのだろうか。それに加えて、間主観性領域の拡張に伴って、カーシェアリングならぬコンシャスネスシェアリングのようなことも実現するのだろうか。そうなってくると、シェアリングエコノミーの闇の部分として、意識を共有することに関する搾取や、ある特定の意識に人気が集中し、意識の画一化のような問題が顕在化するかもしれない。どこまでも他者に共有できない秘匿さがあることが人間の意識の最大の魅力なのかもしれず、それが社会の没落や崩壊の最後の砦なのかもしれないと思う。自分は自らに固有の意識をどこまでも深めていき、その固有性をどこまでも磨き続けたいと思う。それがこの画一化する社会に対する最良の自己防衛となり、社会変革の第一手になるような気がしている。フローニンゲン:2024/12/28(土)07:48


13847. 真理享楽的な人生/今朝方の夢のさらなる振り返り 


つい今し方朝食を摂り終え、再び日記の執筆に戻ってきた。自らを記すことは自分のライフワークとなり、喜びと至福さの源泉になっている。自己著述の楽しさの中に没入していき、自己著述の限界線に突き当たることもまた楽しみの1つであり、その向こうに真理の世界があるのが知覚される。それは言葉の手前、あるいは言葉の奥に常にあり続けている。言葉を紡ぎ出せば紡ぎ出すほどに、言葉の手前ないしは言葉の奥にある真理にますます触れることになる。自分はそこに深い快楽、あるいは享楽を見出している。それは真理に触れ、真理と共にあるという極大の享楽なのである。自分の人生は、真理享楽的な形で進んでいく。

今朝方の夢についてもう1つ覚えている場面がある。この半年ぐらいを振り返ってみると、青年期に少しだけやっていたカードゲームの「マジック:ザ・ギャザリング(MTG)」が2回ほど夢に現れていたように思う。今朝方の夢もMTGがモチーフとして現れていた。このゲームが示唆することは何であろうか。そのようなことを考えながら、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、小中高時代のある友人(YK)と一緒にMTGのゲームに興じていた。彼の方がそのゲームに精通しており、私はブランクもあり、ルールを再度彼から教えてもらっていた。彼が構築したデッキは、赤と黒を主体としていた。私のデッキは、青と黒に加え、白色も含まれていた。3色でデッキを組むのはなかなか難易度が高いのだが、自分は自然とその3色の組み合わせを選んでいた。いざゲームが始まってみると、お互いにマナを場に出しながら、少しずつモンスターを召喚していた。魔法の撃ち合いになることはならず、しばらく静かな展開が続いた。途中でふと、彼と同じペースでマナを出し続けていたはずはのだが、彼の方が圧倒的にマナが多く、彼はイカサマをしたのではないかと思った。自分は先行でマナを途切れることなく場に出し続けていたのだが、圧倒的に彼の方がマナが多く、何かおかしいと思った。すると、自分の手札が逆に彼よりも圧倒的に多く、自分もまたイカサマを気付かない間にしたのではないかと思った。自分の手札の多さに気づいた時、私は咄嗟に手札を半分テーブルの下に隠した。それで表向きは彼と同じぐらいの手札の枚数になった。彼はMTGの経験者で、やはりとても手強かった。序盤においては差を感じることはほとんどなかったが、中盤に入ってから彼の戦略の妙が光り始め、形勢は不利になった。これから彼が召喚した強靭なモンスターの怒涛の攻撃が始まると思ったが、なんとか自分は場に出した数多くのモンスターによって彼の攻撃を凌ぎ、形勢逆転のチャンスを狙うことにした。自分の手札には、ライフを大幅に回復させる白い属性のカードがあり、それをどこかで使えば何ターンかは馬を凌げると思った。しかし、そのカードを使うまでもなくゲームが終わりそうになった頃、彼がふと、オックスフォード大学の大学院に出願しようとしている話を切り出してきた。彼曰く、かつて私の方から彼にオックスフォード大学の大学院を勧めていたようだった。その時には彼の関心を踏まえて、倫理学を学べるプログラムに出願することを勧めたが、そのプログラムは募集要件が厳しく、また彼の関心と少し合致していなかったようで、結局彼は社会学に関する修士のプログラムに出願するようだった。オックスフォード大学の社会学に関する修士プログラムも非常に定評があると思ったので、それは賢明な選択だと思った。彼に出願に必要なIELTSについてはどれくらい学習が進んでいるのか尋ねたところ、12月に直近受けた試験でオーバーオール8.0のスコアを取得したとのことだった。そのスコアは自分と同じもので、彼が日本にいながらにしていつの間にそんな高得点を取得したのか驚かされた。彼がどのようにIELTSの勉強をしたのかを尋ねよと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2024/12/28(土)08:40


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

1. MTGの象徴性と過去への再訪

MTGのゲームプレイ カードゲーム「MTG」が夢に現れることは、戦略や選択、過去の趣味や仲間とのつながりを象徴していると考えられます。このゲームは複数の色(属性)を使ってプレイヤー同士が対戦するもので、夢の中の「デッキの構築」や「ゲーム展開」は、あなたの現在の状況や選択肢の多様性を示しているかもしれません。

青・黒・白のデッキ:知性(青)、変化や挑戦(黒)、回復や調和(白)の要素を持つデッキは、あなた自身の個性や価値観を反映しているようです。

友人とのゲーム:夢に登場した友人(YK)は、かつてのつながりを再訪するだけでなく、現在のあなたにとって何かしらの影響を与える存在かもしれません。


2. フェアプレイと自己認識

イカサマの要素 夢の中で、お互いが無意識にイカサマをしていると感じた場面は、自分自身や他者への期待と実際の行動のギャップを示唆している可能性があります。手札を隠す行動は、あなたが「表面的な公平性」を保とうとする姿勢を象徴しているかもしれません。同時に、「他者との競争の中での自己認識」に対するメッセージとも取れます。

行動の見直し:夢は、自分の価値観に沿った行動を意識するよう促しているのかもしれません。


3. オックスフォード大学の話と友人の進展

友人の出願計画 夢の中で彼がオックスフォード大学への出願を話題にしたことは、自己成長やキャリアの目標についての反映と考えられます。この友人の姿は、「過去のつながりを持つ人物が現在進行形で努力をしている」という象徴的なメッセージを含んでいます。

IELTSスコア:彼の高得点は、「自分自身が目指すべき基準」を表すとともに、友人との再接点や学びの機会を意味する可能性があります。


4. 今後のアクション

以下のアクションが考えられます:

過去の趣味や興味を再訪する MTGや他の懐かしい活動を再び楽しむことで、創造性やリラックス感を得るかもしれません。また、それが新たな人間関係や発見につながる可能性もあります。

自己の公平性を見つめ直す 夢の中でのイカサマのように、無意識に行動している習慣や考え方を振り返り、価値観と一致する行動を心がける機会にしましょう。

友人との関係を再構築する 夢に現れた友人(YK)との再会を計画するか、彼に連絡を取ってみることを検討してみてください。彼の努力や進展について話を聞くことが、自分自身の目標設定にも良い影響を与えるかもしれません。

目標に向けた学習計画を立てる IELTSのスコアや友人の努力に触発され、あなた自身の学びや挑戦について改めて考えてみてください。特に、今後の研究やキャリアに関連する具体的なステップを考える良いきっかけになりそうです。


まとめ

この夢は、「過去のつながりの再訪」「自己認識と成長」「新たな目標への取り組み」をテーマにしており、あなたが次のステップに進むためのヒントを提供しているようです。これを機会に、懐かしい活動を再開したり、友人とのつながりを大切にしたり、目標達成に向けた具体的な行動を取ることで、より充実した未来を築くことができるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが抱えている競争心、自己評価、そして将来に対する不安などを反映していると考えられます。

MTGのゲーム: MTGは、戦略性と運が絡み合うゲームです。この夢では、あなたが人生において様々な戦略を立て、目標達成を目指していることを示唆しています。

マナ: マナは、ゲームを進めるためのエネルギー源です。この夢では、あなたが目標達成のために必要な資源や能力を象徴していると考えられます。

イカサマ: イカサマは、不正な手段を用いて有利な状況を作り出すことを意味します。この夢は、あなたが自分自身や周囲の人々に対して、不正な行為をしているのではないかと不安に感じているのかもしれません。

オックスフォード大学: オックスフォード大学は、高い学歴と社会的なステータスを象徴します。この夢は、あなたが学業やキャリアについて高い目標を持っていることを示唆しています。

今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

自己評価: 自分の能力や価値を客観的に評価する。

目標設定: 具体的な目標を設定し、達成に向けて努力する。

人間関係: 周りの人々と良好な関係を築く。

学習: 新しい知識やスキルを習得する。


夢から得られる教訓

競争心は良い刺激になる: 健全な競争心は、私たちを成長させてくれます。

自己評価を正しく行う: 自分の能力を過小評価しすぎないようにしましょう。

目標に向かって努力を続けること: 目標達成には、継続的な努力が不可欠です。

周りの人を大切にする: 周りの人々との関係を良好に保つことは、私たちを幸せにします。


まとめ

この夢は、あなたが競争心や自己評価、そして将来に対する不安を抱えていることを示唆しています。夢で得た気づきを活かし、自分らしい生き方を見つけていきましょう。

夢の具体的な要素からの解釈

MTGのルール: ゲームのルールを再確認することは、あなたが現状を把握し、新たな戦略を立てようとしていることを示唆しています。

マナと手札: マナや手札は、あなたが持っている資源や能力を象徴しています。これらのバランスが崩れていることは、あなたが何か不足を感じているのかもしれません。

オックスフォード大学: オックスフォード大学は、あなたの高い目標や理想を象徴しています。


13848. 他者の言葉で構築された世界に生きるトラウマ        


今日もまた後ほど朝の散歩に出かけよう。そこでの楽しみは、数十メートルほどの短距離ダッシュであり、それは全身運動として全身の細胞を大いに活性化させてくれる。こうした無酸素運度を長らくしていなかったこともあり、それはとても新鮮な実践で、身体が新たに蘇るような感覚がある。インターバルを入れながらの短距離ダッシュは、心肺機能を強化することにも役立っており、それは体力の向上のみならず、日常生活の中で行う深い呼吸を行うことにも役立っている。今日も自分の体の声に耳を澄ませながら、身体と向き合う形で朝の散歩を楽しみたい。そこではグロスボディを鍛えるだけではなく、サトルボディやコーザルボディを鍛錬することも意識する。


昨日ふと、トラウマというものについて考えていた。トラウマには色々な種類があり、知人が体験したトラウマの中に、宗教的トラウマ症候群というものがあることを初めて知った。それは、権威主義的・支配的な宗教集団の中に長らく身を置くことでアイデンティを形成し、そこからその集団を離れた際に引き起こされるある種のアイデンティティクライシスを伴うトラウマである。こうしたトラウマは、それを経験した当事者にしかわからないことがあるが、宗教的トラウマ症候群というものについてのその知人の文章を読んでいると、色々と考えさせられることがあった。自分は特定の宗教団体に所属したことはないが、自分にとっては日本社会で生きることが大きなトラウマ体験になっていたのだとはたと気付かされた。山本七平氏の言葉にあるように、日本には通称「日本教」というものが文化やシステムの隅々に浸透しており、自分はそうしたある種の日本的宗教性の中に閉じ込められる形で長らく生きづらさを感じてきた。それから解放されたのが25歳の時にアメリカの西海岸に留学をした時だった。もちろんその時に得られたのは表面的な解放であり、逆にその解放がある種トラウマ症候群的な形でアイデンティに危機をもたらした。そこではアイデンティの混乱に加えて、実存的孤独さを感じるような体験があったのを覚えている。結局自分は、他者の言葉で構築された体系の中で生きることにひどく生きづらさを感じるのだということが見えてくる。宗教団体であっても、日本社会であっても、そこでは他者が築き上げた言葉の世界に従って生きることが要求され、結局自分はそれが抑圧的なものに感じられてしまうのだ。自分の心は、自らの生命が宿った自分の言葉の世界を生きたいのだという強い思いがあることに気づく。それをさせない世界の中で生きることが、自分にとってはひどく窮屈で、トラウマの原因になることが再度確認される。そのようなことを考えていると、こうしたトラウマ体験もまたある種の緊張状態であり、そうした状態をいかに解きほぐすかが治癒のポイントであるということについて考え始めた。性科学において、オーガズムが身体的・心理的緊張からの不随意的な解放によってもたらされると指摘しているように、治癒や発達もまた葛藤的緊張からの不随意的な解放によってもたらされる性質があることが見えてくる。葛藤的緊張が不随意的な解放を遂げるために必要なこととして、緊張が解放される回路としての心理的・時間的な間が必要は間違いなく必要であろう。また、緊張というのは何かと何かの板挟みによって生じるものであるため、両極にあるものを特定し、その人に必要な極の要素を支援していきながら、板挟みになった両極の間に治癒や発達が起こる間を作るようにする必要があるだろう。間を作る実践としては、言葉を媒介にしたセラピー技法には無数なものがあるし、言葉を媒介しないセラピー技法にも無数のものがあるので、それらを参考にすると良い。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/12/28(土)09:31


13849. 生成AIによる今朝方の夢の解釈           


今、ちょうどバスラマティライスを炊いているところで、それを炊き終えたら朝の散歩に出掛けてリフレッシュしてこようと思う。今の気温はマイナス1度なので、冷え切った朝の新鮮な空気を味わえるに違いない。こうした寒い日には、ダッシュをして体を温めるにはもってこいである。朝の散歩の前に、今朝方の夢の振り返りを2つの生成AIの力を借りながら総合的に行いたい。複数の夢の全体を把握しながら、それらの繋がりを意識して、もう一度それぞれの夢について振り返ることはきっと意義があるだろう。最初の夢の中で、そもそもモンゴル人が登場したことが自分にとっては奇抜であった。自分は特にモンゴルと縁があるわけではなく、なぜモンゴル人が今朝方の夢で突然現れたのかは定かではない。しかし、人間の縁というのは深層的な次元で私たちが思ってもいないところで存在しているものであるから、実はどこかでモンゴル人と縁があるのかもしれないと思う。唯一モンゴル人と触れ合ったことがあるのは、幼少時代に母方の祖母と一緒に浅草の浅草寺かどこかでモンゴル人の相撲取りと握手をしてもらったことである。祖母は江東区の白河に住んでいて、歩いてすぐそばの両国のエリアには相撲部屋が多くあり、浅草寺にも歩いて行ける距離で、当時祖母と散歩がてら浅草寺にお参りに行った記憶が懐かしく甦ってきた。浅草の花やしきで今は亡き祖母と遊んだ記憶も色濃く残っている。1つ目の夢は、そんな遠い昔の良き思い出を思い出させてくれる内容だった。もう1つこの夢で大事なポイントは、生成AIの解釈にもあるように、社会の中にある公平性や対等性に対して問題意識を持っている自分が潜在意識にも存在することを示唆していることだろう。この夢の場面では、明らかに公平性を欠くような状況が広がっていて、私はそれに愕然として立ちすくんでいた。現実世界においても公平性の欠如する有り様が散見され、それが人々を不幸せにする病理的な格差を生んでいる。2つ目の夢については、双子の友人の兄が車を荒く運転していたことが印象的である。ヨガの世界においては、私たちの肉体は馬車に喩えられる。それは現代的には自動車に喩えることができるかもしれない。現代人は、自らが毎日乗っている車について無自覚である。それが何を原動力にして動いているのか、それがどのような仕組みで動いているのか、今の状態はどうかについてはおよそ無自覚で無知なのである。当然ながら自分も全てを自覚しているわけではないし、全てを知っているわけではない。むしろまだまだ知らない領域が無限に広がっているのが人間の身体であり、自らの身体なのだ。少なくとも自分は無知の自覚を持ち、日々自分の存在を駆動させてくれる自動車としての肉体が何を栄養に欲していて、何を取り入れて身体とどのように接すれば身体が喜ぶのかは日々深くわかるようになってきている。最後のMTGが登場する夢においては、自分が構築した3色のデッキに対して、知性(青)、変化や挑戦(黒)、回復や調和(白)の要素があるという生成AIの解釈に注目をした。白色が回復や調和を表すのは直感的にそうかもしれないと思ったが、青と黒の象徴する特性は自分にとって意外であった。しかし、知性を智慧と置き換え、変化や挑戦を新たな自己への道と捉えてみると、自分がそれらを潜在意識で希求しているのも納得がいく。そして、夢の中の友人がオックスフォード大学という名門大学に出願しようとしている姿勢は、自分に対して間違いなく肯定的な刺激をもたらしていた。自分も再び世界の名門大学で腰を据えて研究活動に取り組みたいという思いが顕在意識にもあり、それは深層意識にも由来しているものだということがこの夢からも窺える。フローニンゲン:2024/12/28(土)10:04


13850. 短距離ダッシュによる整う感覚とその効能       


つい今し方、朝の散歩から戻ってきた。最近はもはやそれを純粋な散歩とは呼ぶことができず、散歩をしている時間は短距離ダッシュのインターバルの期間だけであるから、もっと他の名前で呼ぶ必要があるかもしれない。いずれにせよ、朝外に出かけて歩いたり、走ったりすることは、自分の肉体と向き合うのには最良の時間であるし、それは自己そのものと世界と向き合っている感覚がある。週に2回の筋力トレーニングもまた無酸素運動に数えられるが、朝のダッシュはより無酸素運動の色合いが強く、それは体脂肪燃焼を促し、循環器機能の向上を促してくれるそうだ。自分は体脂肪は全く気にしていないので、後者の機能が向上することが望ましい効果である。今日のダッシュは昨日の筋力トレーニングを受けて、8割ぐらいの力でのダッシュとした。昨日言ったブルガリアンスクワットの影響か、ハムストリニングに少し張りがあったので、無理をしない形でダッシュを楽しんだ。5セット目のダッシュを終えてゆっくり歩きながら呼吸を整えていると、まるでサウナに3セット入り、水風呂に浸かった後の整う感じと同様の感覚がやって来た。ここからも短距離ダッシュは、頭を空っぽにし、まるで深い瞑想と同じぐらいの心を浄化する効果があるのではないかと思ったほどである。昨日の日記で書き留めたように、瞑想だけを熱心に実践していてもその効果は大したことはなく、領域横断型の実践をした方が効果が大きくなる。身体の実践に関して言えば、早朝のアニマルフローの実践と週に2回の筋力トレーニングに加え、毎朝のダッシュを取り入れることにしたが、この実践は瞑想実践や学術探究にも良い影響を及していることをすでに実感している。ここにも領域横断型のトレーニングの効能を見る。短距離走の効能を改めて調べると、脚部の筋肉量増加に加え、心臓の状態を向上させ、肺活量を増やすことができると書かれており、大きな怪我のリスクを減らすことにもつながるとのことである。筋肉の部位については、すでにここ何日かの短距離ダッシュをしてみて感じているように、大臀筋、ハムストリング、大腿四頭筋、腓腹筋、ヒラメ筋などが鍛えられるらしい。通常の筋力トレーニングで鍛えるよりも、それらの筋肉を総合的に一括して鍛えられる点にも短距離ダッシュの魅力がある。それらの筋肉を複合的に動かしながら走ることを通じて、それらの筋肉の部位の連動を高めることにもうながる。今の自分は、そうした肉体の連動性を大事にしており、その力を高める上でどうやら短距離ダッシュは効果的なトレーニングのようだ。今日のダッシュでも実感したが、走る際の力は全力ではなく、8割ぐらいに留める方が怪我につながらず、無理をしない形でトレーニングできそうである。実際のところは、100%の力を出そうとしても、肉体が無意識的にブレーキをかけるのが人間の体のさがであり、心のブレーキも存在しているため、通常の状態では100%の力を出すことは困難である。緊急事態などの特殊な状況でもない限りは、人間は100%の力を引き出すことはできないのだろう。今後は、8割の力が徐々に高度化していくような形でトレーニングに励んでいきたい。今の100%の力が将来の8割の力になるというように、8割の力の最大値を更新していくような意識でトレーニングに励んでみたいと思う。肉体と知性の双方の鍛錬においてそれを心掛けてみる。フローニンゲン:2024/12/28(土)10:51


13851. 2024年最後の充実したゼミナールのクラスを終えて       

 

時刻は午後2時半を迎えた。ちょうど先ほど2024年最後のゼミナールのクラスを終えた。年末最後の今日のクラスも非常に学びが多く、充実した90分を過ごさせてもらったことに感謝したい。今日のクラスで印象に残っているのは、ある受講生の方が脆弱性(自己の弱さ)を開示することの意味について語ってくださっていた内容である。唯識学の観点を絡めてその方の話を自分なりにまとめてみると、脆弱性を開示するというのは自我の鎧を脱ぎ捨てて、自分と他者に誠実になることを要求する行為である。それを通じて、開示した側は鎧を着続けていたことに伴うエネルギーを解放することができ、そこで使われていたエネルギーを治癒や変容に活用することができるようになる。まさにこれはシャドーワークの原理と同じで、私たちはシャドーを抑圧することに見えない形で多大な精神エネルギーを使っており、シャドーワークを通じて、抑圧に使っていたエネルギーを治癒や成長の方向性に活用できるようになるのである。偶然ながらそれに類する話が今日のクラスの前半でも出ていた。そこでは、偏頭痛の話題が挙がっていて、ある受講生の方は今年の夏か秋ごろに原因不明の偏頭痛を体験していた。その原因は特定することは難しいが、話を伺ってみると、自己成長に関する鬱屈した状態が続いていたことが偏頭痛の原因ではないかとのことだった。そこではある意味、深層的な次元で成長したいと思っている自己と成長エネルギーがどこに向かっていけばいいのかという行き場のなさの間にある緊張が偏頭痛という症状を生み出していた可能性がある。ある種のその方の中に滞留していた発達エネルギーが、多様な学びやな人との出会いによって行き場を見つけ、スッと次の次元に向かうことができたのではないかという話が出て来たことが印象に残っている。脆弱性の話に戻ると、自分が自らの脆弱性を開示することは、唯識の言葉で言えば、慚愧の実践と言えるだろうし、それは別の言葉で言えば懺悔の実践とも言えるかもしれない。懺悔は過去の過ちを自己開示することに結びつきやすいが、慚愧はまさに自分の中にある恥を自律的・他律的に開示していく実践である。それをすると不思議なことに、聞いている側も何か自然と慚愧を始める可能性が生まれるという慚愧の連鎖、あるいは脆弱性の開示の連鎖が生じうる。それが起こればしめたもので、相手との心理的な距離はグッと近くなり、関係性が深まることを示現させてくれるだろう。そこからわかるのは、自己の脆弱性を開示するというのは、自身にとっては勇気の証であり、成長・発達エネルギーを解放することを促し、他者に対しては相手にも自然と自己開示を促すような無畏施という勇気を分け与える営みでもあるのだ。そして間主観的には、お互いが脆弱性を自己開示することを通じて、私たち空間(we-space)が深まり、関係性がより密なものになる。そのような効能を自己開示は持っていると改めて思った次第である。この話題をシェアしてくださった受講生の方は、脆弱性をテーマにして来年書籍を出版するとのことなので、その書籍が今からとても楽しみである。それともう1つ、今日からゼミに復活してくださった方がいらっしゃって、その方がゼミを離れていたこの1年間の変容の姿に大いに感銘を受けた。その方が、まさに今ここに寛いでいて、自我の囚われから相当に解放されておられる解放感を放っていたのが印象的である。そうした在り方を体現された方から生まれる言葉には引き込まれる力があり、思わず聞き入ってしまう洞察が体現されていた。言葉や自我に囚われる遍計所執性の在り方を脱却し、依他起性を絶えず感じながら円成実性の在り方を体現してその瞬間に心身共に軽やかに寛ぐことの重要性を垣間見たような体験だった。こうして2024年もゼミナールという多聞薫習の場が深い充実感と共に幕を閉じ、また2025年からのゼミの場に大いなる期待を頂かせてくれる時間であった。フローニンゲン:2024/12/28(土)14:57


13852. 無酸素運動としての短距離ダッシュの効能     

   

時刻は午後4時半に向かっている。今日は本当に寒い1日で、朝から今にかけてずっと霧が出ていた。とりわけ朝に散歩に出かけた際には霧が非常に深く、朝から夕方の今に至るまで氷点下の状態であった。氷点下の気温だったので、鼻から呼吸をしていると、鼻の奥から凍りつくような感覚があった。明日は少し気温が上がるとは言え、午前中の気温は3度ほどなので、朝に散歩に出かける時には暖かい格好をして出かけたい。明日からはもはやそれを散歩と述べるのではなく、朝のトレーニングという名前にしたい。というのも、短距離ダッシュはれっきとした全身運動であり、それは筋力トレーニングと同じ無酸素運動であるからだ。また、自分の意識は散歩よりも短距離ダッシュを優先させており、散歩はあくまでもインターバルの時間に楽しんでいるに過ぎない。短距離ダッシュのインターバル走を日々行う中で、自宅の周辺を走っていると、確かに自分は一直線で車や人の通りの少ない場所を選んでいるが、何が飛び出してくるかわからないので、明日からは近くのサッカーグラウンドを走ることにした。近所にちょうど天然芝なのか人工芝なのかはわからないが、手入れのされた芝のサッカーグラウンドがあり、そこは誰でもコート内に入れるようになっているので、明日の朝からはそこで短距離ダッシュのトレーニングをすることにしたい。雨の日は短距離ダッシュではなく、傘を差しながら純粋に散歩コースを散歩するということを楽しむことにする。サッカーグラウンドでは、今の5本のダッシュではなく、もう少し本数を増やす形のトレーニングをしたい。まずは7本ぐらいを目安にし、体がそれに慣れてきたら10本ぐらい30mぐらいのダッシュをしたいと思う。筑波大学体育系ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センターの研究チームが行った調査によると、ダッシュ(高強度運動)と休息を繰り返す間欠的トレーニングは持久力を高めるだけではなく、記憶や学習を担う脳内の海馬の神経成長を促す効果があるとのことである。確かにここ最近は朝にダッシュをすることを通じて、頭の働きが以前よりも良くなっているような気がする。どうやら高強度間欠的トレーニングは前頭前野を刺激し、認知機能を高める効果があるようで、自分の肉体にもすでにその効果が現れていることを実感する。これまで無酸素運動と有酸素運動の違いについて誤解していたことがある。これまでは運動の最中に呼吸をしないのが無酸素運動と思っていた節があるが、無酸素運動と有酸素運動の違いは運動時における酸素の摂取の有無ではなく、短時間で高強度の運動の際には体内の酸素を利用しない形でエネルギー代謝が行われるという点で無酸素運動と呼び、ジョギングや散歩など長時間で低強度の運動には酸素を利用したエネルギー代謝が行われるので有酸素運動というのである。そうした違いを理解しながら、明日からは無酸素運動としての短距離ダッシュを楽しみたい。それを行うと、ストレス解消にもつながる脳内麻薬としてのエンドルフィンが分泌され、短い時間の運動でリラックス効果を得られ、幸福感を感じることができる。ちょうど今日の短距離ダッシュの後にサウナ後に似た整う感じがそれを示している。また、無酸素運動は成長ホルモンの分泌を促すため、肌、髪、爪などの再生にも重要であり、全身の細胞を活性化させてくれる働きがある。無酸素運動と有酸素運動の双方に、長寿遺伝子のサーチュインをオンにしてくれる働きがあるとのことである。また、筋肉量が増えるとともにミトコンドリアも増加することがわかっているようなので、無酸素運動によってミトコンドリアを増加させ、逆に有酸素運動を通じてミトコンドリアの体積を増やすことができるらしいので、引き続き両方の運動を掛け合わせていきたいと思う。フローニンゲン:2024/12/28(土)16:54


Today’s Letter

I was wondering about the possibility of consciousness sharing in the future. Although our subjective worlds are unique and inaccessible to others, we have intersubjectivity. If the intersubjective realm were expanded through advancements in the science of consciousness and developments in technology, we might be able to share our consciousness with others. I was envisioning the moment when this becomes a reality. Groningen, December 28, 2024

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page