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【成人発達心遊記】13817-13825:2024年12月25日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13817: 息を呑むほどに美しい光景を目撃した今朝方の夢

13818: 動画コンテンツ時代において加工情報漬けとなった現代人

13819: 知的実践における一物全体の発想/未加工の豊かな情報を求めて

13820: 今朝方の夢の続き

13821: 入眠前の過ごし方/感情政治が跋扈する社会の中で

13822: 生成AIによる今朝方の夢の解釈

13823: 円寂を味わう心/智を形成する縁起の見方

13824: 幻想的なクリスマスの朝に

13825: 自己への畏怖心/空性に還ること


13817. 息を呑むほどに美しい光景を目撃した今朝方の夢  

 

時刻は間も無く午前6時を迎える。今日もまた深い質の十分な睡眠を取ることができ、清々しい朝を迎えることができている。睡眠の質が以前よりもさらに高くなっていることの要因として、朝の時間帯に散歩を始め、微量ではあるが紫外線を浴びることを通じて、夜の時間帯におけるメラトニンの生成が進んでいることを挙げることができるだろう。また、夕食に食べる茹で野菜のボリュームを若干落とし、入眠の段階で消化にエネルギーを充てることが少なくなっていることも要因かと思う。さらには、入浴後の過ごし方も以前と変えて、パソコンを通じてNetflixで海外ドラマや映画を見ることをやめ、本を読むことにし始めたことも重要な要因であろう。以前より、夕食を作り始める頃から家の明かりを減らし、薄暗くすることを通じて過度な光を夜の時間帯に浴びることを避けるようにしており、これは引き続き継続している。これらの取り組みが入眠を格段に促進し、深い眠りの実現につながっている。睡眠時間としては8時間半から9時間ぐらいの時間であり、今の自分にとってはそれくらいの睡眠時間が最適のようである。


早速今朝方の夢について振り返ってみると、まず覚えているのは、父と母と息を呑むほどに美しい夕日を見ていた場面である。この場面はとても印象的で、まず最初に母が窓際で変わった夕日を見つけたところから始まった。場所はかつて小中学校時代に住んでいた社宅で、母がふと色と形が次々に変わっていく不思議な夕日を見つけ、私に声を掛けてくれた。窓際に駆け寄ると、母の言う通り、息を呑むほどに美しい夕日が色と形を次々に変えて姿を見せていた。一番驚いたのは、桜の花びらの形をし、色も桜色になった瞬間であった。その模様がしばらく点滅するかのように現れては消えを繰り返し、それがあまりにも美しかったので台所にいて料理を作っている父を呼んだ。父もその桜模様の夕日を息を呑みながら眺めており、私はそこに本当の美を見出した。本当の深い美とは、このようにショッキングなほどに美しいものなのである。それは言葉にならず、言葉にできないほどに心に衝撃を与えるものなのだ。ある種「美傷」とも言えるものを私たちの心に残してくれるのが本当の美なのである。そのようなことを思った。その瞬間に、私の意識は朦朧とし、徐々に身体感覚がなくなり、自分が微細なエネルギー体と化していくことに気づいた。そして最終的には自分の体は完全に極微細なエネルギー体となり、それはコーザルボディと呼ばれるものだった。その瞬間にストンとさらに深い眠りの世界に落ち、夢を見ない深い眠りの状態となった。この夢は本当に印象的だった。あのような美しい夕日を見るのは初めてだったし、それはもう恐怖を引き起こすぐらいに美しかった。それは畏怖の美と言えるかもしれない。この美的体験はあまりにも強烈で、目覚めた今もなおあの畏怖心を引き起こす桜模様の点滅する夕日を鮮明に覚えている。フローニンゲン:2024/12/25(水)06:07


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、非常に深い象徴性と美的体験を含んでいます。それを解釈すると以下のようになります:

解釈

家族の繋がりと共有の体験

夢の中で、かつて住んでいた社宅という「過去」と、「両親」との時間を共有する現在が結びついています。これは、過去の思い出や家族の絆を再確認し、改めてその価値を感じ取っていることを示している可能性があります。母が美しい夕日を見つけ、それを共有し、父も含めてその美を分かち合ったことは、家族間の感情的な繋がりを強調しています。

桜模様の夕日と「畏怖の美」

夕日が桜模様になるというビジョンは、日本文化に深く根ざした「桜」の象徴性を反映しています。桜は儚さ、無常、美の極致を象徴する花です。この点滅する桜模様の夕日は、人生の美しさと同時にその一瞬の儚さ、または人間を超えた存在の神秘を示しているかもしれません。

「畏怖の美」と表現したその体験は、スピリチュアルな目覚めや自己を超越する感覚、または存在そのものに対する感謝と尊敬を象徴します。

エネルギー体への変容

自分が極微細なエネルギー体に変容し、最終的には「コーザルボディ」となる過程は、スピリチュアルな進化や自己の本質的な姿に触れることを表している可能性があります。コーザルボディは、多くのスピリチュアルな伝統で「原因の身体」「魂の本質」として知られ、深い意識や究極の本質と関連しています。

夢を通じた啓示的な美の体験

この夢は、単なる感覚的な美を超えた、本質的な美に出会う体験を示しています。このような美的体験は、人生の中で何が本当に重要かを再認識させるものとなるでしょう。


今後のアクション

夢の記録と振り返り

この夢の内容をノートや日記に詳細に記録してください。特に、桜模様の夕日の美しさや、畏怖心を引き起こす感覚について書き留め、それがあなたにとって何を意味するか考察を続けましょう。

美を探求する活動

自然や芸術を通じて「美」を感じる体験を増やす時間を作りましょう。この夢が示したような感動的な美に出会うことは、人生を豊かにし、心の成長を促します。

スピリチュアルな探求の深化

コーザルボディへの変容が示されたことを踏まえ、瞑想や内省を深め、自己の本質や存在の意義について探求する時間を持つと良いでしょう。

家族との時間を大切にする

夢が強調した家族との時間を、現実でも意識的に大切にしてください。特に、親と過ごす瞬間や思い出を共有することは、深い癒しや喜びをもたらします。

桜の象徴性の探求

桜の花やその象徴性について、さらに学んでみるのも良いでしょう。桜が持つ儚さや美の哲学を深めることで、人生の新たな視点が得られるかもしれません。


総括

この夢は、あなたの内的な成長や美的感受性の深まりを示していると考えられます。夢の中の経験を通じて、現実世界での価値観や行動に新しいインスピレーションを与える機会として活用してください。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが人生における深遠な美しさや神秘的な体験を求めていることを示唆しています。また、精神的な成長や自己探求への強い関心を表しているとも考えられます。

美しい夕日: 夕日は、人生の終焉や新たな始まりを象徴することがあります。この夢の夕日は、あなたの人生における重要な転換期や、精神的な成長を暗示しているのかもしれません。

桜の花: 桜は、日本の文化において再生や美を象徴する花です。桜の花びらの形の夕日は、あなたの内面の変化や、新たな可能性への開花を暗示していると考えられます。

コーザルボディ: コーザルボディは、スピリチュアルな概念で、高次の自己や魂を指すことがあります。この夢は、あなたがより高い意識レベルに達しようとしていることを示唆しているのかもしれません。

畏怖の美: 畏怖の美は、言葉では表現できないほどの深遠な美しさや神秘性を表します。この体験は、あなたの心に深い印象を与え、人生観を変えさせるような出来事だったのかもしれません。


今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

自己探求: メディテーション、ヨガ、読書など、自己探求を深める活動に取り組む。

自然との触れ合い: 自然の中に身を置き、自然の美しさを感じてみる。

芸術活動: 絵画、音楽、文学など、芸術活動を通して自己表現をする。

スピリチュアルな学び: スピリチュアルな書籍を読んだり、ワークショップに参加したりする。

夢から得られる教訓

美しさは心に深く響く: 美しいものに触れることで、心が癒され、インスピレーションを得ることができます。

自己成長を続けること: 常に学び、成長し続けることが大切です。

スピリチュアルな側面にも目を向ける: 物質的なものだけでなく、精神的な豊かさも大切です。


まとめ

この夢は、あなたが人生の深遠な意味を探求し、より高い意識レベルに達したいという強い願望を持っていることを示唆しています。夢で得た感動を心に留め、自分自身の成長に繋げていきましょう。


13818. 動画コンテンツ時代において加工情報漬けとなった現代人  


朝の呼吸法と動的ストレッチを終え、栄養豊富な温かい飲み物を飲みながらふと、先日日本に一時帰国している際に出演したインターネットメディアでの対談を思い出した。対談内容を思い出したと言うよりも、こうした対談が世に送り出される時に、そこでは編集という作業が介入し、編集された動画が世の中に出回ることについて考えていたのである。もちろん編集を通じて動画を見やすくするのは重要かもしれないが、それは得てして消費者が消費しやすいようなことだけを目的にしてなされている消費助長行為なのではないかと思ったのである。編集も賢明に活用すれば社会的に意味のあることだと思うが、得てして発話者が真に意図していることを伝えるための発言がカットされていたり、周辺情報や背景情報がカットされることによって、発言の意図が伝わりにくくなる危険性を大いに孕んでいる。というよりも、大半の編集済み動画はそうした発話者の意図が伝わらない形に毒されてしまっているのではないかと思う。編集という技術の誤用は、遺伝子操作技術の誤用と似ている。


CRISPR-Cas9は、狙った遺伝子をまるでハサミのようにカットする技術で、これはまだ世の中に一般普及していないが、昨今の映像コンテンツ産業においては、編集技術が発話者の発言をお手軽にカットし、消費者が消費しやすいということだけを意識した形で活用されてしまっているように思う。本当に学びとなるコンテンツは、消費者に速やかに理解を与えず、求めもしないものなのではないだろうか。消費者が思わず立ち止まって考えてしまうような、そうした深い内省を促すようなコンテンツは、この動画編集時代においては絶滅危惧種の一途を辿っているように思う。人々はますます見たいものだけを見て、聴きたいものだけを聞くという時代になっている。アルゴリズムを活用して、フィルターバブル効果がますます加速し、閉鎖的な情報空間で似たような価値観が集まり、そこでひどく狭く往々にした歪んだ部分情報を交換し合うエコーチェンバー現象も蔓延しており、消費しやすく加工された動画コンテンツはそれらの状況をさらに悪化させることに寄与しているように見受けられる。ここでもビョンチョル・ハンが指摘するように、社会はゴツゴツとしたものを嫌い、滑らかなスムーズなものを好むという傾向が如実に反映されているように思う。本来対談は、お互いの様々な意見を交換する場であり、背景情報を含めると、非常に豊かな情報交換がなされる。それは多分に複雑で、対談の全てを視聴者は本来理解することができなくて自然である。ところが、現代の動画コンテンツ産業においては、視聴者に全て理解してもらうように複雑な情報を削ぎ落とす形でわかりやすく加工し、対談全体がツルツルとしたものになってしまう傾向がある。未加工の状態の対談と加工後の対談には、複雑性と手触り感がまるっきり異なるのである。視聴者に理解しやすい形で加工された動画は、確かに再生数が伸び、より消費されていくのだろうが、それを通じて人々の知性はより劣化していく。食の領域でオーガニックな自然由来の食材が、本質的には最も栄養豊富であることがわかり、オーガニックな食材に関心を持つ人が少しずつ増えているのと同じく、知性の領域で、動画コンテンツに関しても加工食品的な情報ではなく、未加工の情報に価値を見出す時代になってほしいと思う。未加工の情報には、より多くの智慧が含まれているはずである。現代人はどうやら、身体次元では加工食品漬けとなり、知性次元では加工情報漬けとなってしまっているようだ。この状況に対しても自分は声を上げて然るべき対応策を打ち出していきたい。フローニンゲン:2024/12/25(水)06:41


13819. 知的実践における一物全体の発想/未加工の豊かな情報を求めて   

 

つい今し方、温かい抹茶を淹れた。それを飲むことは毎朝の楽しみであり、抹茶生活を始めて、身体の状態がまた良い方向に向かっていることを感じる。抹茶を飲み終えたら水を飲むようにしており、また午後になったら今度は緑茶や紅茶を少々飲み、夕方以降にはもうカフェインを含む飲み物は飲まず、水だけを飲んで過ごしている。抹茶を淹れながらふと、そう言えば自分はまだオランダに戻って来てから2週間も経っていないことに気づいた。もう随分と長く時間が経っているような気がしており、日本に滞在していたのが遠い昔の記憶になりつつある。あるいは、日本での滞在の思い出が結晶化されたことを通じて、ある種風化しない記憶が形成されたことが遠い昔の思い出のように感じさせているのかもしれない。そのようなことを思いながら、先ほどの情報がますます加工された形で私たちのもとに届けられる状況について考えていた。情報もまた生命として捉えてみると、一物全体の発想で自分は情報と接したい。一物全体とは、元々は食べ物に関してありのままの分割されない全体のまま全てをいただくという食実践で活用されきた用語であるが、情報は私たちの知的活動における食材のようなものであるから、一物全体の考え方は知的実践においても当てはめることができるだろう。現代人の知性がますます脆弱なものとなり、劣化し、病的なものになっている背景には、取り入れる情報があまりにも加工され過ぎていることと関係しているのではないだろうか。本来私たちを質的に成長させてくれるのは、直接体験を通じた豊かな一次情報であり、二次情報としては、知的格闘を促すような書物や論文のような高質な情報であろう。現代社会は、そうした豊かで高質な情報をますます喪失しつつある。自分は食実践で大切にしていることを知的実践においても大切にしたい。食実践においては、もう何年間も基本的に自分が口にするものはオーガニック農法で作られたものか、ルドルフ・シュタイナーが考案したバイオダイナミクス農法で作られたものだ。後者の農法で作られた野菜や果物は、有り難いことにオランダやドイツでは入手しやすい。加工することで余計なものを入れず、食材の持つ本来の豊かな栄養を摂取することで自分の身体は作られており、それは自分の心を作ることにもつながっている。知的実践においてもこれからは、加工された情報から極力離れるようにしたい。SNSにおいては加工された歪んだ部分情報ばかりが飛び交い、そうした情報に触れることは知力を弱めるだけではなく、心を病理化させる。実際に、そうした傾向は顕在化しているし、SNS中毒などは脳への影響も問題視されている。確かに書物や論文も、編集作業が入るが、それはSNSや動画コンテンツのそれよりも質が高く、少なくとも噛みごたえのある情報的豊かさを持っている。そして自分は何よりも直接体験という、自分にしか体験できない固有の体験を大切にしたい。それは唯一無二であり、そうした体験を通じて得られる情報が知識となり、智慧となっていく。現代は智慧を喪失した時代と形容できるのは、そもそも智慧の養分となる情報の質が劣化しているからなのだろう。週末に行なっているゼミナールでは、クラスのやり取りを編集することはないし、毎週のラジオでもそれを編集することは一切ない。そしてこの日記もまた編集を通じて部分的に公開されることがないように、自分は真正面から未編集の情報世界に飛び込み、そこから無限の叡智を汲み取りながらこれからも生きていく。フローニンゲン:2024/12/25(水)07:07


13820. 今朝方の夢の続き 


時刻はゆっくりと午前7時半に近づいている。今日もまだまだこの時間帯は真っ暗である。今の気温は8度と暖かく、後ほど朝の散歩に出かける際にはあまり寒さを感じないのではないかと思う。今日は幸いにも小雨は降らないようなので、折り畳み傘を持参せずに散歩を楽しむことができそうである。昨日ふと芽生えた早く走ることを意識したトレーニングも上手く朝の散歩兼ジョギングの時間に取り入れたい。この季節は朝の時間は寒いので、心拍数を上げるぐらいに走っても汗をかくことはなく、むしろそこから体が温かい状態で散歩できるので望ましいぐらいだ。心拍数が80%から90%ぐらいになるように、数十メートルぐらいのダッシュを何本か入れる形で朝の散歩を楽しむようにしてみると、午前中の活動や午後の活動にどのような良い影響がもたらされるかを確認してみたい。


今朝方の夢の振り返りの続きとして、夢の中で私は、サッカー日本代表の合宿に参加していた。私は特にスペインで活躍するある若手の選手ととても仲が良く、お互いに海外生活が長いこともあって、日本人同士の付き合いというよりも、国籍を超えた形での人間同士の深い付き合いがその選手とできていた。日本人の付き合いでありがちな年齢差による変な気遣いはお互いに全くなく、フラットな関係性を彼と築けていた。そんな彼とはポジションは被っていなかったが、お互いに前線の選手だったので、攻撃と前線からの守備に関してよく意見交換をしていた。その日の練習は、まずは同じポジジョンでの練習から始まり、そこから縦のポジション同士の練習、そして最後に横のポジション同士の練習を行い、それらの練習を総まとめする形で紅白戦を行った。その時に仲の良いその若手の選手が、前線のある選手のことをとても評価していた。その選手は身体能力が高く、とりわけスプリント能力に優れ、前線からの守備は相手にとって脅威になり、彼はチームに欠かせない存在であるとその若手の選手が述べていて、自分もそれに強く賛同した。するとそれを聞いていた当事者のその選手は、照れ笑いを浮かべながらもとても嬉しそうにしており、紅白戦に向かう士気が一気に高まっているようだった。紅白戦も良い緊張感に包まれながら非常に質の高いものとなり、紅白戦が終わってロッカールームに引き上げようとしていると、練習場にあるバーにACミランの往年のスター選手がいたので驚いた。どうやら私もかつてACミランに所属していたらしく、そこからブラジルの名門チームに移り、ACミランではヨーロッパのタイトルを総なめにし、ブラジルでは南米のタイトルを総なめにしていた記憶を思い出した。バーでその選手は昼から高級なお酒を飲んでいて、自分に笑顔で話しかけてきた。彼と自分は戦友でもあったので、昔話に花が咲き、ちょうど今夜ACミランの往年の選手たちが揃う祝賀会があるとのことだった。それはクラブ創立の大事な節目を祝うもので、自分もぜひ参加したいと思った。彼にそのことを伝えると、彼は嬉しそうな表情を浮かべ、バーテンダーにアイコンタクトをし、バーテンダーがバーの奥からなんとかつて自分たちが勝ち取ったトロフィーの数々を持って来てくれた。私はそれら1つ1つを触りながら、当時のきつい練習や激戦となった試合を思い起こし、懐かしさと共に喜びに浸っていた。すると、先ほどまで一緒に練習していた若手の選手がやって来て、彼がトロフィーに触れた時、彼はこうしたトロフィーを大切に扱うことをせずに、ふざけてトロフィーを壊しそうだったので、その点に注意しながら彼の様子を窺っていた。彼の無邪気な姿を自分は好きだが、それも度が過ぎると周りに迷惑をかけると思ったので、彼にとっての兄のような立ち位置で自分はそこにいた。フローニンゲン:2024/12/25(水)07:31


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

1. 若手選手とのフラットな関係性

夢の中での若手選手とのフラットな関係性は、あなたの国際的な経験や多文化的な価値観を反映していると考えられます。この関係性には、年齢や地位を超えた人間的なつながりの重要性が象徴されています。

解釈:あなたが他者とフラットに接することで、相互の信頼関係が深まり、双方が成長する環境を作り出せるというメッセージが込められています。また、この夢は、同僚や仲間との協働や互いの能力を引き出し合う姿勢を大切にしていることを示唆しています。

アクション:・現在の仕事や人間関係において、他者と対等な立場で接することを意識する。・相手の能力や長所を積極的に認め、共有の目標に向けて意見交換を促進する。


2. トロフィーと過去の栄光

夢の中でACミランやブラジルのクラブでの成功を思い出す場面は、あなたの過去の達成や功績がどれほど価値のあるものかを再確認するシーンです。一方で、若手選手がそのトロフィーを扱う場面は、次世代との価値観の違いや、経験をどう継承するかについての問いかけを表しています。

解釈:トロフィーを懐かしむあなたの姿は、過去を尊重する気持ちや、自分が成し遂げたことへの誇りを表しています。一方で、若手選手の無邪気さと慎重さへの欠如は、次世代に対する教育やサポートの必要性を示唆しています。

アクション:・自分の経験を次世代に伝える方法を考える(例:指導、教育、執筆など)。・若手との接し方を工夫し、彼らの成長を見守りつつ、時には適切に注意するバランスを取る。・自分自身の過去の成果に感謝しつつ、未来志向で次の目標に向かう。


3. 祝賀会と昔話

祝賀会の場面は、仲間や戦友との絆、そして過去の努力と成功を振り返る機会を象徴しています。この場面では、あなたが一緒に過ごした人々との関係性や、過去の経験がいかに現在の自分に影響を与えているかを示しています。

解釈:祝賀会は、過去の自分を振り返りつつも、現在の人間関係を深める重要性を示唆しています。また、成功を共有する喜びや、それを周囲と分かち合う姿勢が強調されています。

アクション:・旧友やかつての仲間と連絡を取り、過去の関係を再確認する機会を持つ。・現在の人間関係において、共通の目標や思い出を作ることを意識する。


全体を通じてのメッセージ

この夢は、あなたの過去・現在・未来のつながり、そしてそれらをどう調和させるかというテーマが強く込められています。過去の成功を再確認しつつ、未来に向けた行動を起こすことが求められていると言えます。


アクションのまとめ:

フラットな関係性を築き、他者と成長を分かち合う。

自分の経験を次世代に伝える機会を作る。

旧友や仲間との再会を楽しみ、関係を再構築する。

自分の功績を誇りに思いつつ、新たな挑戦に目を向ける。

この夢から得た気づきを、日常の中で具体的な行動に落とし込み、より充実した生活を送る手助けとしてください。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたが抱えている目標や将来への期待、そして過去の経験がどのように現在のあなたに影響を与えているのかを示唆しています。

サッカー日本代表の合宿: サッカーは、チームワークや目標達成、そして競争心を象徴します。この夢は、あなたが仕事やプライベートにおいて、目標に向かって努力し、チームの一員として貢献したいという願望を持っていることを示唆しています。

若手の選手: この選手は、あなたの未来の自分や、これから出会う可能性のある人々を象徴しているかもしれません。彼との関係性は、あなたが周囲の人々と良好な関係を築きたいと思っていることを示唆しています。

ACミランの往年のスター選手: この選手は、あなたの過去の経験や実績を象徴しています。また、彼が開催する祝賀会は、あなたの過去の成功を振り返り、未来への展望を立てる機会を表しているかもしれません。

全体として、この夢は、あなたが過去の経験を活かし、未来に向かって積極的に進んでいきたいという強い願望を持っていることを示唆しています。また、チームワークの大切さや、目標達成に向けて努力することの重要性も教えてくれています。


今後のアクション

この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。

目標設定: 具体的な目標を設定し、達成に向けて努力する。

チームワーク: 周りの人々と協力し、チームとしての目標達成を目指す。

過去の経験を活かす: 過去の経験を振り返り、現在の課題解決に役立てる。

自己成長: 新しい知識やスキルを習得し、自己成長を続ける。

メンター探し: 経験豊富な人に相談し、アドバイスを受ける。

夢から得られる教訓

目標に向かって努力を続けること: 目標達成には、継続的な努力が不可欠です。

チームワークの大切さ: チームワークは、目標達成を加速させます。

過去の経験を活かすこと: 過去の経験は、私たちの宝です。

自己成長を続けること: 常に学び、成長し続けることが大切です。


まとめ

この夢は、あなたが将来に対して抱いている希望や、過去の経験を活かして成長したいという強い願望を示唆しています。夢で得た気づきを活かし、自分らしい生き方を見つけていきましょう。


13821. 入眠前の過ごし方/感情政治が跋扈する社会の中で 


時刻は午前8時半を過ぎたところで、ようやく辺りが明るくなってきた。まだ薄暗さが残る中、先ほど朝食を摂り終え、これから午前中の探究活動に取り掛かるところである。今日もまたいつものように、まずは唯識学のテキストを読み進め、そこからビョンチョル・ハンの書籍を再読し、昨日からこれまた再読を始めたケン・ウィルバーの“The Religion of Tomorrow”の続きを読み返していこうと思う。そうする形で午前中と午後の時間を過ごし、夕方頃になればまたコレクションしてきた画集を観想的に眺めるということをしたい。そこでは文字情報に縛られることなく、ただただ掲載されている絵画作品をぼんやりと眺めていく。今のところ夜寝る前に本を読むことが習慣となっているが、入浴後、薄明るい寝室で本を読んでも頭はそれほど働いておらず、そこでの読書はこれまでの学びの復習のような形として位置付けている。深く思考を巡らせる形での読書ではなく、知識項目を再想起するような読書を心掛けている。もしかしたら今後は、入眠前の時間にも画集を観想的に味わってみるというのは良い時間の過ごし方かもしれない。そこで得られた絵画の視覚刺激が夢の世界にまた何か影響を与えるような気がしている。あるいは画集ではなく、楽譜を眺めながらその作品を聴くということも豊かな時間の過ごし方かもしれない。画集に加えて楽譜も大量に家にあり、それはかつて作曲実践をしていた時に参考にしていたものである。文字ではなく音楽記号に満たされた楽譜を観想的に眺めることもまた自分の感性を豊かに刺激し、夢の世界や日常世界での自分の心に良い影響を与えるかもしれない。ここからは入眠前に本を読む形での時間の過ごし方だけではなく、画集や楽譜を眺める形での過ごし方も模索してみたい。はたまた、ピアノ曲をかけながら瞑想をするということも良い時間の過ごし方になるだろう。


そのようなことを考えているとふと、昨日考えていたことを思い出した。昨日考えていたのは、感情に訴えかける感情政治が跋扈する中で、深い共感性と合理性の双方が発揮されにくくなっている現代社会の有り様に危機感を覚えるという内容だった。現代社会においては、およそありとあらゆることが俗物的かつ反応的な感情によって動かされ、深い共感や論理が働くことがますます難しくなっている。そのような状況の中で、社会は悪化の傾向を辿っている。具体的な政策1つ取ってみても、政策が対象とする課題を取り巻く当事者に対して深い共感の念を持っているとはどうしても思えない政治家や国民が多く、深い共感に加えて、彼らがその課題を真に解決していくための合理的な知性を発揮しているとも思えない。共感と論理が欠けた状態で、社会は果たして良くなるのだろうか。社会は沈み込んでいく一方ではないだろうか。全員が総がかりで慈悲と智慧を育むことに乗り出していくが喫緊の社会課題として頭をもたげているように自分には映る。自らの取り組みは絶えず、その課題の解決につながるものにしていく。フローニンゲン:2024/12/25(水)08:44


13822. 生成AIによる今朝方の夢の解釈          


今朝方は印象に残る夢を2つ見ていたのだが、それらに対する生成AIの解釈を踏まえて、もう一度今朝方の夢を俯瞰的に眺めてみようと思う。まず最初の夢は、ここ最近の中でも非常に印象的なものの1つで、そこには真正の美が顕現していた。それは息を呑むほどの驚愕の美であり、存在が縮こまるほどに大きな印象を心に与えた。そうした美を家族3人で分かち合っていたことは興味深く、大切なものを家族と分かち合うことの喜びと大切さを実感する。また、顕現した夕日が桜模様であったことは、生成AIの解釈が示唆するように、桜は日本文化の象徴的存在であるし、それが儚さや無常を象徴していることからも興味深い。日本的な美の極致を自分は体験し、それがまさに仏教を学ぶ自分にとって諸行無常の原理を象徴するものであったことは心に響くものがある。今朝方のこの夢は、自分の霊的覚醒のさらなる進展を予感させる。また、美的発達領域における成長も示唆しているように思う。夢の中の自分がグロスボディからサトルボディへ、そして最終的にはコーザルボディへと変容していったことも注目に値する。自分はその状態変化を徐々に感じることができ、最終的には絶対無空間へと飛び込んでいった。そこには恐怖心はほとんどなく、むしろ好奇心が勝る形であったし、そうした状態変化と絶対無空間への参入は、比較的慣れた感覚でもあったことを覚えている。この夢が啓示する本質的な美の探究は、これからもまだまだ続いていく。その探究の過程で自己はより美を体現し、より純化された存在になっていくだろう。自己が本質的な美そのものに溶け出していく日が来ることを望む。ちょうど今、日常生活の中で画集を眺めることやピアノ曲に耳を傾ける時間を意識的に取っていることは、今朝方の夢とも深いつながりがあるように思えるし、美の探究や霊的成長に不可欠の試みのように思えてくる。どうやら自分の美性と霊性は、芸術的美を栄養として欲していたようなのだ。今、まさにそうした栄養を十分に与える時期に差し掛かっていると言えそうである。2つ目の夢についても何か追加で言えることはないだろうか。そこでは世代の違うサッカー選手たちと交わることを通じて、色々な学びを得ている自分がいた。自分はこうして世代や価値観を問わず、多様な人と交流することを心底楽しむ人間なのだと改めて思った。夢の中で自分は、イタリアのサッカーチームとブラジルのサッカーチームに所属していたことがあるという設定だった。イタリアには旅行で2度ほど足を運んだことがあるが、ブラジルはまだ見ぬ土地である。夢の中の自分は、欧州大陸と南米大陸のそれぞれで自分の持っている力を十分に発揮し、その分野で活躍をしていた。果たしてここからの自分は自らの分野で大陸を跨ぐ形で活躍ができるのだろうか。そこでは社会的な評価は問わず、自分が自分らしく自らの能力を最大限に発揮できているかどうかを大切にしたい。そうした状態こそが生きる喜びと楽しさを醸成してくれるのである。自分はこれからも自らが活かされる場で生きていき、その場をこちらかも活性化させるような存在でいたいと思う。フローニンゲン:2024/12/25(水)09:03


13823. 円寂を味わう心/智を形成する縁起の見方    


今日は三日に一回の黒豆の水煮を作り、米を炊く日である。炊飯器ではなくてステンレス鍋で米が美味しく炊けることを知って、炭水化物の量を増やし始めて半年弱ぐらいになるだろうか。これまでは主食となるものが一切ない生活を長らく送って来たが、こうして栄養豊富なバスラマティライスを常食してみると、身体的にも確かな変化があって嬉しく思う。筋力トレーニングをしている身として、これまでもタンパク質を意識して積極的に摂取していたが、体を動かすガソリンとしての炭水化物までには思いが至らず、今こうしてオーガニックの良い米を食べることができて身体を動かすエネルギーが十分にあることは喜ばしく、そのエネルギーのおかげで脳の働きも良好である。今米が炊き終わり、蒸らしの時間を過ごしている。蒸らし終えて鍋をかき混ぜたら散歩に出かけよう。


今日もまたうっすらとした雲が空を覆っていて、朝日を拝むことはできない。しかし、そのような状況であっても、円(まどか)で静かな円寂を味わう心が深く涵養されつつあることを思う。まるで生きながらにして涅槃に入っているような、そんな寂静さが自分の心の世界の中に広がっている。心が完全に涅槃寂静の状態になる日もそれほど遠くないかもしれない。そして自分は完全に涅槃の世界に入って安住して生活するのではなく、あえて涅槃の世界に入らない形で衆生の解放と救済に向かって活動を続けていく。まさにそれが唯識学が目指す無住処涅槃の在り方である。


ここ最近は、情報、知識、叡智についての違いについて考えることが多い。叡智という言葉に含まれる「智」の性質として、現代的に重要なのは、それは自分の認識の枠組みや価値観のレンズを通じて世界を見るのではなく、それらを傍に置いて、多様な視点で物事を見るということが挙げられるように思う。智の重要な性質にはまさに、様々な種類の視点という横方向と、高次元からの視点という縦方向があるように思う。そして何より重要なのは、全ての事物が互いにつながり合い、影響を与え合っているという空の見方、すなわち縁起の見方が智の大切な性質として挙げられるのではないかということだ。こうした見方ができてくれば来るほどに、私たちの心はこだわりや囚われを捨て、ますます軽やかになっていく。そしてどこまでも心が広がっていく。本来私たちの心は無限の広がりを持つが、自我の形成過程においてどんどんと心が狭まり、限定された境界線の中で心は生きるようになる。心の境界線を溶解させ、心を解放させていく見方に空の見方、すなわち縁起の見方がある。そしてそうした見方ができるのが智の最重要要件である。そのようなことを考えながら、これから行う散歩では、それを実践に落とし込むべく、縁起を体感しながら街を歩きたい。智慧はどこからか突然降ってやってくるようなものではなく、私たちの心から生まれる。具体的に地に足を付けて、日常生活の中で心を開いていく試みと体験の積み重ねから智慧は生まれるのである。フローニンゲン:2024/12/25(水)09:39


13824. 幻想的なクリスマスの朝に    


現代人にとって幸せとは何なのだろうか。それは物質的にだけ豊かになって、日々忙しなく何かに駆り立てられながら生きることだろうか。心が汲々として、不自由さの中で喜びや楽しさを感じられずに生きていくことだろうか。自分は少なくとも円寂さを幸福の1つの要件として挙げたい。心が静けさに満たされ、心が円(まどか)である状態。少なくともそうした状態が維持され、体現されていることを幸福の1つの大切な要件としたい。


2024年のフローニンゲンのクリスマスはとても幻想的な雰囲気を発している。先ほど朝の散歩がてら家の外に出てみた瞬間に、辺りが深い霧に包まれていて驚いた。最初、小雨でも降っているのかと思ったが、それは小雨でもなく、折り畳み傘は別に必要のない状態だった。深い霧の中で、今日はHIITのエクササイズのように心拍数を上げるようなランニングを行なった。それはもはやダッシュで、30mぐらいの距離をかなりの速度でダッシュすることを5本ほど行なった。それぞれのダッシュのインターバルを散歩に当て、呼吸を整えながら歩く姿勢を意識して散歩を楽しんだ。久しぶりに全力疾走に近いことを行なったことによって、身体がこれまでとは違う目覚めを経験しているようだった。最初は7割ぐらいのダッシュから始め、そこから8割、9割と速度を上げていき、次回は全力でダッシュすることができそうだと感じた。久しぶりに30mほどのダッシュを繰り返してみると、こうした無酸素運動をどこか自分の肉体が欲しているような感覚があった。それは通常の筋力トレーニングとは異なる刺激を肉体にもたらしており、全身の細胞が大いに活性化していることを体感した。まさに全身が喜んでいるような感覚が今も続いている。もちろん無理は禁物だが、これから毎朝の散歩の際には、30mほどのダッシュを組み込んでみようと思う。今日は気温が8度ほどあったので、家に帰ってくる頃には全身がポカポカしており、汗が出て来そうな状態であった。これからますます寒さが厳しくなると思うので、そうした季節には朝のダッシュは打って付けである。こうして全身が活性化されるのを体感すると、ここから午前中と午後の知的生産活動が大いに捗りそうだという予感がする。これからも全身運動として短距離ダッシュを日々の生活に組み入れたいと思う。


それともう1つ、幻想的な雰囲気の中で散歩をしていると、今日はクリスマスということもあって、外に出かけている人はほとんどいなかった。散歩やジョギングをしている人もいつもよりも圧倒的に数が少なかった。そんな中で、通りかかった運河の上を優雅に泳ぐカモに目が止まった。カモたちはクリスマスであってもそうでなくても、自由気ままに運河の上で優雅に泳いでいる姿に感銘を受けたのである。彼らは人間とは異なる時間を生きている。人間が構築した文化的な時間とは全く違った時間の世界の中で、彼らは自由気ままに生きている。一方で人間は、人間自らが構築した種々の時間的枠組みの中に閉じ込められて生きている。もちろん、祝祭日などが本来の意味で人々に活力を与える器として機能する場合もあれば、現代はどうも人間は自らがこしらえた時間的枠組みに無自覚な状態で、そうした枠組みに押し込められる形で不自由さを被っているようにしか見えない。運河を自由気ままに泳いで遊びあのカモたちのように生きること。自分の人生は、人間が人為的に作り上げた窮屈な時間的ボックスの中で進行して行かないようにする。自分は常に人間が作った時間の外で生きる。そこには自分固有の豊かな時間的園があり、自分はそうした園で種々の遊戯に興じながら人生を過ごしていく。フローニンゲン:2024/12/25(水)10:25


13825. 自己への畏怖心/空性に還ること    


静けさに満たされたクリスマスも、気がつけば午後3時に向かっている。今日は家を掃除する日なので、この日記を書き終えたら掃除に精を出したい。家全体を掃除することで心も掃除されたかのような気持ちになる。心もまたこまめに掃除をしないと、煩悩の埃が溜まる。心を掃除することはすなわち、シャドーワークをすることであり、可能であればシャドーが湧き起こるたびにそれを掃除していくことを勧める。


時間や場所に心が拘束されず、心を時間と場所から解放していくこと。時空間に固着するのをやめ、時空間を超えた世界に寛ぐこと。そのようなことを先ほど考えていた。基本的に私たちは、時空間というものを所与として生きているが、意識を深めていけば、決して時空間が所与のものではないことが体感としてわかってくる。そして時空間が色(しき)の産物であることに気づけば、それを生み出す空(くう)に寛ぐことができてくるだろう。


この世界に対して畏怖心を抱くだけではなく、無限の縁によって自分が自分であることに畏怖の念を持ちたい。この世界も確かに畏怖の対象として存在しているが、それと同様に、あるいはそれ以上に本来畏怖心を引き起こすのは自分という存在である。この無我なる自己は、縁起ゆえに空であり、そんな存在として自分が生きていることにやはり畏怖心を抱かずにはいられない。


こうしてつらつらと降ってきた考えを言葉にしていると、自己は書き、書かれるという営みの中で癒されていき、変容を体験することに改めて目を開かされる。自分にとって人にわかってもらうような文章は、書籍や論文の執筆を通じて行うことにしている。一連の日記は、他者にわかってもらうことを意識していない。むしろ可能な限り他者の視線を排除し、自分の心が望むように言葉を紡ぎ出していく自由な表現行為としている。唯一の読者は自分だけである。あるいは、名前も知らない自分と似たような感性や問題意識を持つ人だけが読者として意識されていると言えるかもしれない。いずれにせよ、一連の日記は、心の憩い空間として存在している。その空間で自分は心に栄養を与え、活力を与えている。即興的に言葉が生まれてくる創造的な空の地盤に自己の存在を接着させているだけで、無限の活力が湧き上がってくる。なるほど、自分が自らの心に栄養を与え、活力を与えているのではなく、空の基盤からそれらを与えてもらっているのである。空に寛ぎ、自らが本来の空性に還っていくと、無尽蔵の創造性と活力を分け与えてもらうことができる。得られたそれらを自利利他のために最大限に活用していくこと。そのような誓いが静かに立つ。フローニンゲン:2024/12/25(水)15:01


Today’s Letter

The process of deconstruction has been progressing steadily, which is a positive sign of my development. Keeping a reflection journal definitely facilitates this process. It is an essential practice for my continued growth.

I’m always outside the artificial concept of time created by humans. Instead, I live my life in the Eden of my kairos time, where I can experience ultimate freedom. Groningen, December 25, 2024

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