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タイトル一覧
13800: 今朝方の夢
13801: 世界との絶え間ない合一に向かう心/今朝方の夢の続き
13802: 今朝方の夢のさらなる続き
13803: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13804: 芸術鑑賞の見直し/バノプティコンの時代の中で
13805: 重さと体現の喪失に向かう社会の中で
13806: 美三昧な人生/内なる声の表現について
13807: オランダに戻って来てからの最初のパーソナルトレーニングを終えて
13800. 今朝方の夢
時刻は間も無く午前6時半を迎える。今、真っ暗な朝の世界を吹き抜ける風の音が聞こえている。どうやら今日は朝から夕方まで風が強いようだ。しかし幸いにも、今日は久しぶりに晴れるようだ。雲がほとんどない快晴に恵まれるようなので、午後にジムに行く際には日光を浴びてきたいと思う。今日は午前中の早い時間に協働者の方とのミーティングがあるので、散歩を朝にすることは難しいかもしれないが、15分でもいいので朝に時間を取って、できるだけ朝の時間帯に朝日を浴びておきたいと思う。もう間も無くクリスマスを迎えるが、街はもうクリスマスモードで一色である。クリスマスのデコレーションをしている家が多く、街の中心部はイルミネーションも綺麗である。クリスマスということもあって、今週の木曜日はジムも閉まっており、行きつけのオーガニックスーパーも閉まっている。なので今日は思う存分にジムでトレーニングをし、買い物に関しては木曜日の分も一括して購入しておきたい。特に野菜と果物をいつもの2倍分買って、来週の月曜日までもたせるようにする必要がある。
風の音を聞きながら、今朝方の夢について振り返っている。まず覚えている夢として、かつて住んでいた社宅のリビングにいた場面があったのを覚えている。時刻は午後の時間帯で、ゆっくりと夕方に向かっていた。夕方に向かう世界はとても穏やかで、家の中も同様の平穏さがあった。ダイニングのテーブルには母が座っていた。その母は今の母ではなく、自分が幼少時代の母でとても若々しかった。母の前には自分の友達が1人座っていた。彼はまだ小学校高学年ぐらいの年齢で、母と楽しそうに話をしていた。母が何か楽しい話をしようとすると、彼は体を前のめりにして母に顔を近づけて話を聞こうとしていた。2人のそうした光景はとても微笑ましく、自分はダイニングに隣接したリビングから2人の様子を眺めていた。この夢を見た後に少し目を覚ました。この夢の中の自分は終始穏やかな心を持っていた。母と友人はまるで親子のように仲が良く、夢の中の自分もまた彼と同じぐらいの年齢だったから、嫉妬の感情が芽生えてもよさそうだったが、母が彼に奪われるというような思いは一切なく、むしろ2人の関係性が良いことを喜んでいる自分がいた。どうやら夢の中の自分は、その体を持った時の幼い自分ではなく、今の自分の心を持っているようだった。仮に今の自分の心を持って人生を生き直すことができたらどのような人生になっていたのだろうか。そうした反実仮想的な問いは、誰しも一度はきっと考えたことがあるのではないだろうか。それはタイムマシンでもできない限りは実現不可能かもしれないが、過去のトラウマや発達課題を治癒する実践として、想像上でもいいので今の心を持って過去のある時間軸に戻ってそこで生き直してみるというのは重要かもしれない。自分はそれを夢の世界の中で行なっているようだ。なるほど、夢の世界で過去の友人やかつての場所が現れるのは、そうした実践を積極的に行うためなのかもしれない。夢の中に今の自分の心を持ち込むことは常にできるわけではないが、今後はそれを意識してみよう。フローニンゲン:2024/12/23(月)06:37
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、過去の記憶や情景を通じて、自分自身の内面的な成長や癒しに向き合うプロセスを象徴している可能性があります。以下は夢の解釈とそれに基づいた今後のアクションの提案です。
夢の解釈
母と友人の和やかな関係若々しい母と友人が楽しそうに会話をしている様子は、過去の平穏な記憶や、幼少期に感じた安心感を象徴しているように思われます。このシーンは、母親の愛情や、家庭内の調和があなたにとって重要であることを示しているかもしれません。また、母と友人の関係を穏やかに見守る自分の心境は、成熟した自己が過去の自分を優しく包み込む姿勢を示唆しています。
今の心で過去を見つめる夢の中で今の心を持って過去に戻ることは、トラウマや未解決の感情を癒す一種の心理的実践を象徴しています。過去を今の視点で振り返ることで、当時の経験を新たに再解釈し、ポジティブな意味づけを与えることができます。
嫉妬の感情の欠如自分が嫉妬を感じなかったことは、感情的な安定や、他者との関係性に対する成熟した見方を示している可能性があります。これは、他者をコントロールしたり、独占したりする必要性を手放し、調和を優先できる心理的な成長を反映していると考えられます。
今後のアクション
夢を癒しと成長の道具として活用する夢の中で今の自分の心を持ち込むことを意識する練習を続けると、内面的な癒しが進む可能性があります。夢の中で過去の自分に対して優しく接し、過去の記憶をポジティブに再構築する機会を活用してください。
反実仮想的な問いを探求する「今の自分の心を持って過去に戻ったらどうなるか」という問いは、自己理解を深めるための興味深いテーマです。過去の選択や経験を想像的に振り返ることで、現在の行動や決断に新たな洞察を得ることができるでしょう。
内面の平穏を深める夢の中の穏やかな心境を現実にも反映させるために、日常生活での平穏さや感謝の気持ちを意識的に増やす取り組みを行いましょう。たとえば、瞑想や感謝日記を書くことが効果的です。
人間関係における調和を意識する他者との調和を重視する姿勢を、現実の人間関係にも取り入れてみてください。特に家族や友人との対話や交流で、相手を理解し、喜びを共有することを心がけると良いでしょう。
この夢は、自己の成熟や内面的な成長の兆しを感じさせるものであり、それを現実の行動に活かすことができれば、さらに豊かな人生につながるはずです。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
この夢は、あなたが心の奥底で求めている穏やかさや平和、そして過去の癒しを求めていることを暗示していると考えられます。
幼少期の記憶: 夢に登場する社宅のリビングや幼少期の母、そして友達は、あなたの無意識が過去の安全で穏やかな状態を求めていることを象徴しています。
穏やかな感情: 夢の中であなたが感じている穏やかさは、あなたが心の平安を希求していることを示唆しています。
母と友達の関係性: 母と友達が仲睦まじく会話している様子は、あなたが人間関係における温かみや繋がりの大切さを意識していることを表しているのかもしれません。
嫉妬心の欠如: 現在のあなたが過去の自分と異なる価値観を持っていることを示しており、成長したあなたの人格を反映しています。
反実仮想: 過去の出来事を今の心で体験したいという願望は、未解決の問題やトラウマを克服したいという潜在的な欲求を表していると考えられます。
今後のアクション
この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。
過去の自分との対話: 夢に登場した幼少期の自分と対話する時間を設ける。日記を書いたり、過去のアルバムを見返したりするのも良いでしょう。
心の癒し: メンタルヘルスに関する書籍を読んだり、カウンセリングを受けるなど、心の癒しに取り組む。
人間関係の構築: 周りの人々と良好な関係を築くよう心がける。
自己成長: 過去の経験から学び、より良い自分へと成長していくことを目指す。
創造的な活動: 夢の中で経験したことを題材に、絵を描いたり、物語を書いたりするなど、創造的な活動を通して自己表現を行う。
夢から得られる教訓
過去は変えられないが、今を大切にできる: 過去の出来事は変えられませんが、過去の経験から学び、今の自分をより良くすることができます。
心の癒しは大切: 心の傷を癒すことで、より豊かな人生を送ることができます。
人間関係は心の栄養源: 周りの人々との繋がりは、心の安定をもたらします。
自己成長は一生の課題: 常に学び、成長し続けることが大切です。
まとめ
この夢は、あなたが過去を癒し、より穏やかな未来に向かって歩み出したいという願望を映し出しています。夢の中で得た気づきを活かし、自分自身と向き合い、より豊かな人生を送るための第一歩を踏み出しましょう。
13801. 世界との絶え間ない合一に向かう心/今朝方の夢の続き
起床直後から強風が吹いており、今もまだ強い風の音が聞こえる。こうして風の音に耳を澄ませていると、それが風の声となり、そこに込められたメッセージを汲み取ろうとしてしまう自分がいる。世界から絶えず意味を汲み取ろうとしている自分は一体何なのだろうか。自分の心は絶えず意味を求めているのだろうか。心は常に意味を求めて彷徨う存在なのだろうか。心はおそらく絶えず意味を求めながら、同時に意味を手放すことも求める不思議な存在である。風の声から意味を汲み取りたいと願う自分の心はきっと、風と繋がりたいのだろう。風と友達になりたいのだ。それを通じて風と1つになりたいという思いを自分の心は持っているかのようだ。そうなってくると、この世界から意味を汲み取ろうとする自分の心は、世界と繋がりたいと思っていて、世界と1つになりたいのだということがわかってくる。結局自分の心は、意味という自らの自我由来の生成物を媒介にしながら、自我の殻を脱ぎ捨てて、この世界と1つになりたいのである。そこには非二元の絶対的な歓喜と究極的な安心感があることを自分の心はもう知ってしまっている。ワンネスの喜びと安らぎを、自分の心はもう深い次元で知ってしまっているのだ。しかし、今の自分の心はまだそれを求めている状態である。世界との絶え間ない合一化が常に完全に実現できていないようなのだ。まだ自分の心には、分別智の残滓が残っている。より正確には、見性体験を深く体現した後の分別智こと後得智の状態にまで分別智が浄化されていないと言える。そこに自分のこれからの修行の焦点がある。
今朝方の夢の続きとして、かつてデロイト時代に働いていたオフィスに似たオフィスビルのエレベーターホールにいた場面があったことを思い出した。時刻は昼食時で、これからエレベーターに乗って11Fのレストランか1Fに降りて弁当を買いに行こうと思った。エレベーターに乗った瞬間に、11Fのレストランに行こうと思ったが、突然気が変わって1Fに行くことにした。というのも、中に乗っている誰も途中階の11Fのボタンを押さなかったので、その場にいた数人の他者に気遣いをして、自分も1Fまで行くことにしたのである。その意思決定は本当に一瞬だった。むしろ条件反射的なものだったと言えるかもしれない。1Fに降りると、駅直結のデパートの食品売り場に向かう人たちでごった返していた。それを見て、デパートの方に行くのはちょっと気が引けるなと思っていたら、2人の若い男性社員と出会い、彼らがコンビニに弁当を買いに行くとのことで、彼らについていくことにした。普段はコンビニの弁当を食べないが、最近のコンビニ飯はどうなっているのか気になったので一緒にコンビニに向かった。コンビニに到着すると、レジにいた若い女性の店員がおでんを宣伝していて、ふらりとそこに向かった。その女性の店員はとても気さくで、美味しそうなおでんの具材を色々と親切に説明してくれ、彼女が笑顔で具材を説明してくれたおかげで、それらを食べてみたいという気持ちが生まれてきた。その気持ちに純粋に従う形で、いくつかおでんの具材を購入することにした。すると彼女はとても嬉しそうな表情を浮かべ、具材の中でも一番形が良くて美味しそうなものを選んでパックに詰めてくれた。そのような場面があったのを覚えている。フローニンゲン:2024/12/23(月)07:05
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、過去の記憶や日常的な選択を象徴的に描きつつ、他者との交流や自分の意思決定に対する気づきを与える内容となっています。以下に夢の解釈と今後のアクションを提案します。
夢の解釈
エレベーターの選択と他者への配慮エレベーター内で11Fから1Fへの行き先を即座に変更した場面は、他者への気遣いや状況に応じて柔軟に対応する能力を表しています。この「条件反射的な意思決定」は、あなたの中にある無意識的な優しさや協調性を象徴している可能性があります。また、選択肢を変更することで新しい出会いや経験(コンビニでのおでん購入)が生まれた点から、柔軟な態度が新たな機会を引き寄せることを示唆しているとも言えます。
コンビニの若い店員との交流店員との交流や彼女の親切な態度が心に残ったことは、人との温かいコミュニケーションがあなたに喜びや新たな視点をもたらすことを意味しています。彼女の説明に従い、おでんを購入するという行動は、自分の感覚や他者からの提案を素直に受け入れる姿勢を表しているように思われます。
「普段しないこと」に対する興味普段は食べないコンビニ弁当やおでんを選んだことは、新しいことへの好奇心や、日常のルーチンから少し離れてみる柔軟性を反映しています。夢の中で新しい体験を楽しむ様子は、現実でも未知のものに対する前向きな姿勢を促していると考えられます。
今後のアクション
柔軟な選択を日常に取り入れる夢の中でエレベーターの行き先を変更したように、現実でも状況に応じた柔軟な対応や新しい選択肢を試みてください。それは些細なことで良く、日常のルーチンを少し変えてみるだけでも新たな発見や喜びを得られるかもしれません。
他者との温かな交流を大切にする店員とのやり取りから感じた喜びや感謝を日常生活に活かしましょう。たとえば、身近な人に積極的に感謝を伝えたり、笑顔で接したりすることで、自分自身や相手にポジティブなエネルギーをもたらすことができます。
好奇心を活かして新しいことを試す普段は選ばない食事や行動を楽しんだように、現実でも新しいことにチャレンジする機会を増やしてみてください。たとえば、行ったことのない場所に行く、食べたことのない料理を試す、あるいは新しい趣味を始めてみるといったことが挙げられます。
気づきと感謝を記録する夢を通じて得た気づきを定期的に記録する習慣をつけると、自己理解が深まり、夢のメッセージをより活かすことができるでしょう。また、他者への感謝や交流の喜びを意識的に振り返ることで、日常生活にさらに充実感をもたらすことが期待できます。
この夢は、柔軟性、他者への気遣い、新しい体験への好奇心を通じて、日常をより豊かにするヒントを与えているように感じられます。それを現実生活で活かすことで、さらなる自己成長や幸福感を得られるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
この夢は、仕事における人間関係や、変化に対する柔軟性、そして日常の小さな喜びを見つけることの大切さを暗示していると考えられます。
オフィスビルとエレベーター: これは、あなたの仕事や社会的な立場を象徴していると考えられます。エレベーターに乗るという行為は、人生の転換期や新たな章を迎えることを暗示しているかもしれません。
1Fへの変更: 11Fのレストランではなく、1Fに行くという決断は、あなたの柔軟性や周囲への配慮を示しています。また、より基本的な欲求や日常的な生活に目を向けることを意味しているかもしれません。
コンビニでの出会い: 2人の男性社員との出会いは、新たな人間関係や協力関係の始まりを暗示している可能性があります。
おでんの購入: おでんは、温かさやコミュニティ、そして日常の喜びを象徴しているかもしれません。店員との交流は、人間関係における心の温かさを表していると考えられます。
これらの要素を総合すると、この夢は、あなたが仕事だけでなく、日常生活においても周囲の人々と良好な関係を築き、変化を恐れずに新しいことに挑戦しようとしていることを示唆していると考えられます。また、小さな喜びを見つけることや、日常的な生活の中に幸せを見出すことの大切さを教えてくれているのかもしれません。
今後のアクション
この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。
人間関係の構築: 周りの人々と積極的にコミュニケーションを取り、良好な人間関係を築くよう心がける。
変化への柔軟性: 新しいことに挑戦する機会を恐れずに受け入れる。
日常の喜びを見つける: 日常生活の中で小さな喜びを見つけるよう心がける。
自分にご褒美をあげる: 頑張った自分にご褒美をあげることで、モチベーションを維持する。
夢から得られる教訓
周囲の人々との繋がりを大切にする: 人間関係は、私たちの人生を豊かにする大切な要素です。
変化を恐れずに生きる: 変化は、成長の機会を与えてくれます。
小さな喜びを見つける: 日常生活の中に幸せを見つけることで、心の安定を得ることができます。
自分自身を大切にする: 自分にご褒美をあげることで、自己肯定感を高めることができます。
まとめ
この夢は、あなたが仕事だけでなく、日常生活においてもより充実した日々を送るためのヒントを与えてくれています。夢で得た気づきを活かし、より良い自分へと成長していくことを目指しましょう。
13802. 今朝方の夢のさらなる続き
時刻はゆっくりと午前7時半に近づいている。依然として朝の世界の闇は深い。日の出まであと一時間以上あるが、今日は朝日を拝めるかもしれないという期待がある。それに心がときめき、心が高揚しているのを感じる。朝日が昇ること1つ取ってみても、そこに心を動かす何かがあり、自分はそうしたものを生きる糧にしたいと思う。
先ほどまで今朝方の夢について振り返っていたが、今朝方はもう1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない会議室の中にいた。そこはどうやらビルの会議室のようで、スペースは広く、比較的大きな規模のセミナーがよく開催されているような雰囲気があった。そんな会議室の一番左列の前から2番目の席に私は座っていて、英語で行われるセミナーに参加しようとしていた。講師は日本人の男性で、その人は自分よりも少し年上のようだったが、見た目の年齢は幾分老けていて、それは日頃の生活習慣から来ているようだった。体型はぽっちゃりとしていて、眼鏡をかけているその男性は、教壇の前で静かに立っていた。セミナーの開始時間になってもその男性は一言も喋らず、どうしたのかと思いながらしばらく静かに待つことにした。しかし、15分経っても無言のままだったので、私は痺れを切らせて、その講師の男性に幾分苦情を述べるかのように何が起こっているのかと詰問した。するとその男性は私の問いかけに対しても無言だったが、表情が変わり、動揺した顔を浮かべていた。それを受けてますます私は何が起こっているのか知りたくなり、今度は日本語ではなく英語でその男性に問い掛けた。結局どちらも相手に詰め寄るような口調だったことが問題だったのか、英語で問い掛けたことによって彼はますます動揺してしまい、その動揺に耐えられなくなって部屋から飛び出していってしまった。部屋にいた人たちはきょとんとしてしまい、今からどうしようかと考えているようだった。しかし、すぐさま代わりの講師がやって来た。その講師は部屋に入ってくるや否や、配布したテキストの内容に入り、すぐさまセミナーを開始した。そのセミナーは受験英語の延長のような内容で、自分にとっては簡単すぎるとたかを括っていたのだが、一問目の文法問題が意外と難しく、すぐに空欄を埋めることができなかった。すると突然、自分の目の前の空席だったはずの席に大学時代のゼミの友人の女性が現れ、彼女がその問題の答えを教えてくれた。同時に、隣のページの空欄に自分が埋めた回答に鉛筆でばつ印をつけて、回答は違う単語であることを教えてくれた。彼女が現れてくれたおかげで、話し相手ができたと思って嬉しくなった。すると彼女は、同じ大学の自分が知らない友人の女性を連れて来ていて、その女性のことを紹介してくれた。その女性は容姿端麗で、それでいて性格がとても優しそうな女性ですぐに好印象を持った。するとひょんなことに、実は私はその女性にスマホを預けていて、彼女が自分のスマホを充電してくれていたことを思い出し、スマホを渡してもらうことにした。彼女はカバンの中を探し始めたがスマホは見つからず、2人でおかしいなと言いながらスマホを探し続けていると、自分が着ていたスーツの左のポケットにスマホが入っていることに気づき、笑って彼女に謝った。すると彼女はにこりと優しい笑みを返してくれ、どういうわけか持参したポテトチップスを食べ始めた。彼女曰く、どうやら新作のポテトチップスらしく、何口がそれを食べたら、もう1つ別の種類のこれまた新作のポテトチップスを食べ始め、ジャンクな食べ物であまり体には良くないよねと自ら笑いながら述べていた。私はそれに賛同し、彼女の体のことを思って、ジャンクフードが腸内環境に与えるネガティブな影響について簡単に言及した。彼女もそれに納得しており、私は彼女に、せっかくなのでこのセミナーを終えたら一緒に美味しいものでも食べに行こうと提案をした。彼女はその提案に乗ってくれ、今夜は楽しい夕食になりそうだと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2024/12/23(月)07:34
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
1. 無言の講師と代わりの講師
象徴的な意味無言の講師は、コミュニケーションの断絶や期待に応えられない状況を象徴しているかもしれません。講師が動揺して退室する場面は、自分の問い詰め方や態度が相手に負担を与えた可能性を示唆しており、コミュニケーションの方法を見直す必要性を示しています。一方、代わりに登場した講師は、状況の変化や新たなアプローチへの適応を示しています。この新しい講師は迅速にセミナーを進めることから、柔軟性や効率的な問題解決の重要性を暗示しています。
今後のアクション
他者とのやり取りで、自分の言動がどのような影響を与えるかを客観的に考える練習をする。
柔軟に対応する姿勢を強化し、期待が外れた場合でも冷静に次の行動に移れるようにする。
2. 友人の助けと問題の解決
象徴的な意味大学時代のゼミの友人が問題の答えを教えてくれたことは、過去の人間関係や学びが現在の問題解決に役立つことを示しているようです。また、友人が新しい友人を紹介してくれたことは、過去のつながりが新たな出会いや機会をもたらす可能性を表しています。
今後のアクション
過去の友人や知人と再び連絡を取ることで、現在の課題や目標に新たなインスピレーションを得る。
新しい人間関係を築く際に、オープンマインドで接し、相手との相互理解を深める努力をする。
3. スマホを探す場面と自己の気づき
象徴的な意味スマホがポケットにあったことに気づく場面は、「答えは自分の中にある」という内省的なメッセージを含んでいます。自分自身が既に持っているリソースや能力にもっと目を向ける必要性を示唆しています。
今後のアクション
自分の内面を見つめ直し、現在の状況に役立つスキルや知識を再評価する。
必要以上に外部の助けに頼らず、自分の力で問題を解決する練習をする。
4. ジャンクフードの話題と健康への配慮
象徴的な意味ジャンクフードの場面は、楽しみや誘惑と健康や責任のバランスを象徴しています。新作のポテトチップスを食べる女性は、目の前の楽しさを追求しながらも健康面での影響を意識していることを示しています。
今後のアクション
健康を意識した食生活を続けながら、時には自分に小さなご褒美を与えるバランスを保つ。
他者と楽しい時間を共有しながらも、相手の健康や幸福を尊重する姿勢を大切にする。
5. セミナー後の食事の提案
象徴的な意味食事に誘う場面は、相手とのつながりを深めたいという願望や、共有の時間を楽しみたいというポジティブな感情を表しています。この提案を快く受け入れた女性の反応は、今後の人間関係がスムーズに進む可能性を暗示していると言えます。
今後のアクション
新たな人間関係を築く機会があれば積極的に行動し、相手と一緒に楽しい時間を過ごす工夫をする。
食事などの日常的な場面で、他者との絆を深める機会を大切にする。
全体的なまとめ
この夢は、自己の成長や他者との関係性、コミュニケーションの改善に焦点を当てたテーマを持っています。また、過去と現在、新しい出会いを調和させることで得られる成長を暗示しています。これを踏まえ、以下のアクションをおすすめします:
過去の友人や関係を大切にし、それを基に新しい人間関係を築く。
コミュニケーションの際には、相手の感情や状況に配慮する柔軟性を持つ。
自分の内なる力や能力を信じ、問題解決に活かす。
健康やバランスを意識しながら、楽しみを共有する時間を持つ。
夢のメッセージを日常生活に取り入れ、心豊かな日々を過ごしてみてください。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
この夢は、あなたが抱えている様々な感情や願望、そして今後の成長を象徴していると考えられます。
セミナーと講師: セミナーは、あなたの現在の状況や目標を象徴していると考えられます。講師の行動は、あなたの周囲の人々や状況に対する不満や不安を表しているかもしれません。
ゼミの友人: 大学時代の友人の登場は、過去の経験や知識が、現在のあなたの問題解決に役立つことを示唆しています。また、友人との再会は、人間関係の大切さを思い出させてくれるかもしれません。
容姿端麗な女性: この女性は、あなたの理想の女性像や、達成したい目標を象徴している可能性があります。
ポテトチップス: ポテトチップスは、一時的な快楽や満足感を表しているかもしれません。しかし、同時に、健康への影響を考えさせる要素も含まれています。
全体として、この夢は、あなたが新しい知識や経験を求めている一方で、人間関係の大切さや、健康的な生活を送ることの重要性にも気づいていることを示唆しています。また、過去の経験が、現在のあなたの成長に役立つ可能性があることも示唆しています。
今後のアクション
この夢から得られる示唆を基に、以下のアクションを検討してみてはいかがでしょうか。
目標設定: 具体的な目標を設定し、達成に向けて努力する。
人間関係の構築: 周りの人々と良好な関係を築くよう心がける。
自己成長: 新しい知識やスキルを習得し、自己成長を続ける。
健康的な生活: 食生活や運動習慣を見直し、健康的な生活を送る。
過去の経験を活かす: 過去の経験を振り返り、現在の問題解決に役立てる。
夢から得られる教訓
目標に向かって努力を続けること: 目標達成には、継続的な努力が不可欠です。
人間関係を大切にすること: 人間関係は、私たちの生活を豊かにする大切な要素です。
自己成長を続けること: 常に新しいことを学び、成長し続けることが大切です。
健康的な生活を送ること: 健康は、すべての基礎です。
まとめ
この夢は、あなたが現在抱えている様々な感情や願望を反映しており、今後の成長のヒントを与えてくれています。夢で得た気づきを活かし、より良い自分へと成長していくことを目指しましょう。
13803. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
先ほど朝食を摂り終え、時計の針が午前8時半に向かっている今この瞬間に、ようやく辺りがうっすらと明るくなり始めて来た。明けゆく朝空を眺めながら、今朝方の3つ目の夢に対する生成AIの解釈を元に、夢を再度総合的に振り返っている。最初の夢は、その夢に対する自分の考えを述べていた通り、今後は今の心で過去を見つめるということをより意識してみようかと思う。とりわけ夢の中の自分に今の心を体現させる形で、夢の中の自分を癒すことができたら何よりである。それは特にトラウマ記憶やトラウマ体験にまつわる自己の癒しに深く関わっていくであろう。あとは今の自分の心をどのようにして夢の中に持ち込んでいくのかの方法を確立することだが、人間の意識には無限の力や可能性があることを考えると、そうした意識の性質を存分に活用し、入眠前に今の自分の心を夢の世界に持ち込んでみるということを強く意識して眠りの世界に入っていくのも1つの方法かもしれない。実際に生成AIも、夢の中で今の自分の心を持ち込むことを意識する練習を推奨している。それを続けると、内面的な癒しが進む可能性があることが示唆されているので、夢の中で過去の自分に対して優しく接することを心掛けます、過去の記憶を自らの心の癒しと成長につながるように再構築することを意識してみたい。次の夢について言えば、エレベーターに乗ることが人生における転換期を示唆している可能性があるというのは大変興味深いことであった。おそらくそうなのだろう。今の自分は探究生活上もそうであるし、人間関係上も新しいフェーズに向かおうとしている最中のように思う。そうした過渡期に自分が置かれていることが、エレベーターとして現れたのは興味深い。そしてさらに興味深いのは、高層階から途中の階に降りるのではなく、一番下の階に降りたことだ。それはひょっとすると、真理の世界から得られた叡智や慈悲を地上に還元しようとすることに自分が向かっていることの現れかもしれないと思ったのである。また、おでんは温もりの象徴であり、おでんを囲んだ交流があるように、今の自分は人と交流することに伴う温もりを求め、それを大切にしているのかもしれないと思った。さらに、夢の中の自分が行ったように、その瞬間の直感に従って柔軟に意思決定をしていくことが、新たな選択肢や出会いをもたらす可能性も示唆されていることを興味深く思った。今後も、既存の意思決定基準ではなく、ある種ガットフィーリングのように、身体の内側から芽生える直感に従う形で意思決定をしていくことで、より多様で新しい出会いに恵まれるかもしれない。最後の夢について言えば、これは自分の心にある瞋の煩悩の姿が現れる内容だった。思わず自らの憤りを言葉を通じて相手に吐き出してしまったが、瞋の心の働きとはより深く向き合っていく必要がある。瞋の煩悩の根本には痴の煩悩があるため、無知の克服を色々な事柄や領域に対して行っていくことをこれからも心掛けていく。無知の完全なる克服は難しくても、それに向けた努力を怠りたくはない。スマホがポケットにあったことに気づく場面は、「答えは自分の中にある」という内省的なメッセージを含んでいるというのは言い得て妙であり、自分の内側に答えがあるという発想を忘れずに、無知の克服を含め、様々な学びや実践を展開させていきたい。フローニンゲン:2024/12/23(月)08:39
13804. 芸術鑑賞の見直し/バノプティコンの時代の中で
協働者の方との定例ミーティングを終え、今朝日をぼんやりと眺めている。確かに空にはうっすらとした雲がかかっているが、全体として輝きに満ちた空が目の前に広がっている。冬のこの時期の朝空はやはり美しく、空気も透き通っているゆえに黄金色に輝く朝日の美しさが際立っている。朝日を眺めながらふと、観想的な在り方をさらに深める意味で、家の中に飾っているニッサン・インゲル氏とアレックス・サロウ氏の4つの絵画作品をぼんやりと眺めることを意識してみようと思った。また、クラシック音楽のピアノ曲をぼんやりと聴くことを再び始めてみようという思いも湧いてきた。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノ曲をまずはもう一度目的を持たずに聴き直してみたい。抽象的な絵画や音楽を鑑賞することは、心が複雑性を抱擁する筋力を高めることにつながっていることを思う。もちろん、鑑賞は鑑賞として、目的を持たずにその時間に没頭し、鑑賞体験そのものを楽しむことをしたいが、結果的にその行為が、複雑性を愛で、複雑性を受け入れる心の器を磨いてくれることにつながっているように感じた次第だ。ここからまた芸術鑑賞というものをそうした観点から楽しんでみようと思う。
心の成熟や人格的な成熟には時間を要する。しかし現代社会は、時間概念に歪みが生じており、時間の流れは加速化する方向に加え、時間というものが消失の一途を辿っているビョンチョル・ハンの指摘を汲むと、成熟というものが起こりにくい状況になっているのかもしれない。それは人間発達上は由々しき問題であり、時間概念を正常化させる試み、少なくとも時間が豊かに内包する固有の持続性を取り戻す実践は重要になるだろう。こうして日記を執筆している時間は、自分にとっては何にも変え難いほどに豊かな時間が流れている。自分の心と向き合い、その瞬間に出てくる言葉と戯れることは、豊かな時間的持続と触れていることに他ならず、自分はそうした時間に没入することを通じてそれと同一化している。豊かな質感を持つ時間と1つになれることほど至福なものはないと言えるかもしれない。
現代社会を覆う種々の禁止事項。ハンが指摘するように、現代社会は無数の禁止に覆われた「バノプティコン(banopticon)」社会に成り果ててしまっている。公園から遊戯が撤去されていく姿や、社会的に人々の活動を抑制する種々の禁止事項が掲げられるのを見るたびに、それは人々から活力を奪い、精神的な抑圧を超えて抑鬱を招いてしまっていることに危機感を覚える。特に自分が関心を持って探究している性やサイケデリクスの領域は、まさにバノプティコンの温床になっている。それらの領域には明示的な禁止事項が多いだけではなく、文化的な暗黙的禁止事項で満ちている。自分としてはそうした禁止事項が多ければ多いだけその領域に関心を持ち、禁止事項を越境する形で色々なことを試してみたくなる気持ちを持つ。ゆえに自らの探究上においては、むしろ禁止事項はその分野への関心と実践への意欲を駆り立てるのだが、集合的に見れば、そうした種々の禁止事項は表向きは社会の安全性や快適さを高めるためだと訴えていながらも、内実は人々から活力を奪い、それを通じた精神病理の悪化を進行させてしまっている。張り巡らされた禁止事項によるバノプティコンの時代に私たちはどのように生きていくのか。それを問われているように思う。フローニンゲン:2024/12/23(月)10:50
13805. 重さと体現の喪失に向かう社会の中で
リアルとオンラインの差異について先日のゼミナールのクラスの中で話をしていたのだが、その話題に関連付けて、社会がますますデジタル化が進み、今後本格的にメタバースの世界で人々が生きるようになってくると、重さという概念に変化が生まれる可能性があることを思った。また、体現という概念もまた価値変質を起こしそうな予感がしている。今はまだ物理世界で種々の事物のリアルな重さを感じることができるが、今後事物のデジタル化が進むと、データにはデータ容量という重さはあっても、私たちが皮膚感覚で感じるような重さはないゆえに、私たちの世界から重さというものが消失していく可能性があることを思う。事物の重さが消失していく先には、ひょっとしたら精神的なものに関する重さも失われていくのではないかという危惧がある。価値観からも重さが消えていき、智慧からも重さが消えていき、気持ちや感情からも重さが消えていく、そうした重さの消失した社会が到来してしまうことを恐れる自分がいる。そのような社会においては、命の重さというものが蔑ろにされてしまい、生きる意味を含めた生の重さがなくなってしまう恐れがある。そして重さという身体感覚および心理感覚を喪失すると、私たちの学びにとって重要な体現(embodiment)という現象が起きづらくなってしまうのではないかと思う。今現在は種々のものがデジタル化され、便利になっていくことを人々は喜んでいるかもしれないが、データ管理社会の到来に加えて、事物の重さの消失による心理的な重さの消失を招き、体現化を失った生の在り方がそこに広がってしまう危険性がある。物理的にも心理的にも重さを感じるということは非常に重要なのだと改めて思う。デジタル化の波を食い止めることはおそらくできないであろうから、デジタル化社会においていかに私たちが事物の重さを感じるかを考えていくことが重要になるだろう。単純にテクノロジーを活用して、デジタルデータに対しても身体感覚を伴う重さを感じられるようにするだけではなく、より抜本的なアプローチを通じて、事物に内包された固有の重さを大切にする社会が到来してほしいという思いがある。
全てが均一化し、同質化していく社会の中にあって、いかに多様な変化や差異を含んだ異質さを大切に日々を生きていくかについて考えている。確かに、今こうしてパソコンのキーボードを打って文字を書き連ねていくことは便利だが、1つ1つの文字は全て均質的なものになっていることに気づく。これが仮に手書きでこの一連の日記を綴っていれば、1つ1つの文字には固有性と差異がある。そしてそこには唯一無二の肉感が伴う。現代社会は多様性尊重社会だと謳っておきながら、実質のところは同質社会・均質社会に突き進んでいる。表面上の多様さは確保されていくのかもしれないが、人間の感覚や実存レベルでは、均一化と同質化は進む一方なのではないかと思う。少なくとも自分個人としてできるのは、そうした社会の趨勢を見抜きながら、日々の自分の生活の中でいかに差異や異質さ、そして肉感を大切にしていくかということを心掛けていきたいと思う。フローニンゲン:2024/12/23(月)11:29
13806. 美三昧な人生/内なる声の表現について
観想的に凝視することと傾聴することから生まれる美を楽しみたい。正午に向かう穏やかな朝の世界の中でそのようなことをふと思った。今目の前に広がっている久しぶりの青空を観想的に眺めていると、自然とそこから美しさが汲み取られてくる。そこには自分ではない何かが持つ他者性の美がある。同時に、そうした他者の中に潜む美に触れてみると、その美が自分の内側にもあることを思い出させてくれる。この世界の美は深く見つめることと深く聴き入ることから滲み出てくるものなのだろう。それは物理的な世界における種々の美だけではなく、きっと内面世界における美でも同じことが言えるだろう。観想的な凝視と傾聴を通じて、より多様な美に開かれ、美を味わい尽くす生活を心掛けていこう。自分の人生は美三昧である。
唯一無二の自己をこの世界に表現し始めた人の輝きと美しさ。自分はそれに最も心が揺さぶられ、感動するのだとふと思った。私たちは心を発達させていく過程の中で、自分の内なる声をこの社会に表現し始める段階を経験する。しかしこれは現代のように表向きは自己表現を推奨していながらも、内実はそれを抑圧する社会的コンテクストの中でそれを実現するのは難しい。自分の周りを見渡しても、真に自分の内なる声を社会の中で表現している人は少ない。結局多くの人は、内なる声を社会に表現する形で自己実現を果たし、社会に貢献していくことの大切さを頭ではわかっていながらも、それができないのである。それは多分に発達段階的な課題なのだが、そうした課題を彼らが乗り越えていけるようにする支援にはどのようなものがあるのかを考えていた。最終的にはその人が自己著述活動に真摯に取り組み、自らの声を表現していく具体的な活動に従事するより方法はないのだが、その前段階で何ができるだろうかと考えていたのである。それはその人が内側に持つ声を丁寧に聴き、彼が自らの声により自覚的になることを支援することであったり、そもそも自らの内なる声を社会に表現していく際には大きな心理的負担があるから、その負担を軽減するような励ましというのは重要なアプローチになるだろうか。本質的にはこの社会そのものが変わっていく必要があるが、ここにも鶏と卵の問題があり、内なる声を抑圧する社会が変わることによって、人々が自らの内なる声を表現しやすくなる一方で、そうしたことを行える人が増えれば増えるほど、社会が変わっていくという側面もある。おそらくその両側面でのアプローチが必要なのだろう。いずれにせよ、自己超越に向かう前段階にある自己実現においては、少なくとも自分がこの社会に伝えたい内なる声が何であるかを発見し、それを社会に貢献する形で自由に表現していくことが求められる。この領域についても自分は一体何ができ、何をすることをこの世界から求められているのかを引き続き考えたい。フローニンゲン:2024/12/23(月)11:50
13807. オランダに戻って来てからの最初のパーソナルトレーニングを終えて
時刻はちょうど午後5時を迎えた。この時間になると、もう辺りはほぼ真っ暗である。今日は本当に良い天気で、午後にジムに出かける際には晴れ渡る空のもと、適度に太陽の光を浴びることができた。ジムでのトレーニングも大変清々しく、今日はオランダに帰って来てからの初めてのパーソナルトレーニングだった。その前に20分ほど自主トレーニングをしたのだが、その際に2人ほど知り合いの男性に声を掛けられた。2人とも私がここ最近ジムに姿を見せないことを心配していたらしく、別の場所に引っ越したか、ジムに来ることをやめてしまったのかと思っていたらしい。再びこうしてジムに戻って来たことを2人は歓迎してくれて、しばらく雑談をしていた。1人はキャロルというもう70歳を過ぎている男性で、彼はいつも熱心にトレーニングをしている。非常に細身の体だが、ランニングも負荷量のあるトレーニングもどちらもまだまだこなすことができ、とても元気そうな表情をいつも浮かべていて、ジムで会う際にはいつも挨拶をしている。キャロルはフローニンゲンではないがこの辺りの出身らしく、オランダのその他の場所で生活したことはないとのことだった。自分がフローニンゲンは第二の故郷であることを伝えた時に、彼にとってはフローニンゲンこそが唯一の故郷であるという話をしてくれた。今日のパーソナルトレーニングは、オランダから帰って来て最初のものだったこともあり、調整のメニューをエリーザが組んでくれた。ちょうど先週の木曜日の自主トレーニングの際に、自分ではそこでも調整のトレーニングのつもりだったが、ついつい追い込んでしまい、結果的にいくつかの部位に筋肉痛が生じ、それがまだ完治していない状態だった。そのことも伝え、今日はゴムバンドを活用したエクササイズを何種目か行うことを通じて、徐々に体を慣らしていくことを意識した。今日が2024年最後のパーソナルトレーニングとなったわけだが、2025年においては筋肉量は確かにもう少し増やすことを意識しつつも、バランス感覚を養うようなよりしなやかな筋肉をつけていくことを目標設定にしてみた。その点もエリーザに伝え、次回の2025年最初のトレーニングが楽しみである。今日のトレーニングの中での雑談を通じて、オランダ文化に関する謎が1つ解けた。それは過去何回か、街中を馬に乗った警官が移動している姿を見て、あれは何なのかと思っていた。エリーザ曰く、それは昔からの名残らしく、かつて人々は馬に乗った警官を恐れていたことから、今もパトカーや自転車だけではなく、街の見回りに馬に乗って警官が徘徊することがあるとのことだった。その光景は最初何かのパフォーマンスなのかジョークなのかと思っていたが、どうやら真面目な見回りらしいことがわかった。それはもしかしたらドイツなどの他の国でも見られる光景かもしれないとのことである。いつもインターバル中のエリーザとの雑談は色々と気づきをもたらしてくれて楽しいものである。フローニンゲン:2024/12/23(月)17:09
Today’s Letter
The morning world is serene today. I’m relishing this moment of peace. Simply listening to the whispers of the wind deeply calms me. Embracing tranquility is essential to enriching both my being and my life. Eros alone invigorates my being; it is the fundamental source of my vitality. While experiencing profound eros within myself, I am also committed to valuing agape. Groningen, December 23, 2024
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