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タイトル一覧
13748: 縁起の理の体得に向けて/お世話になったスーツのケア
13749: 入眠前の過ごし方の再考/昨日の夢の振り返り
13750: 今朝方の夢
13751: オーダーメイドのスーツの魅力
13752: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13753: 習慣のリセット/種々の縁
13754: 液状化する現代の時間の中で
13748. 縁起の理の体得に向けて/お世話になったスーツのケア
時刻は午前6時半を迎えた。今日もまた静かな朝の世界が広がっている。闇がその静けさに花を添えていて、闇も静けさもどちらも相互に影響を与え合う形で両者を深めている。ここにも相互依存関係を見る。世界はこうして種々の相互依存性によって成り立っているのだろう。昨日の今頃は、気温が1度だったが、今日は5度ある。しかも今日は右肩上がりに気温が上昇する興味深い天気予報となっている。明日の朝4時頃が一番気温が高く、11度になるようで、今日の日中も9度まで気温が上がり、そこから夜にかけて10度となり、最終的に明日の朝に11度になるようだ。なんとも不思議な気温の形をしている。こうした気温の形もまた種々の縁によって生み出されているのだろう。複数の原因があって、それらに対してまた複数の縁が働きかけることを通じて、この世界の諸現象が生まれている。最近はそれをますます実感し、そこからも自らが縁起の理を体得し始めていることを窺うことができる。しかしひょっとすると、本当の意味で縁起の理を体得するというのは、単にそれを全身的に理解するだけではなく、良縁を生み出せるような存在になることなのかもしれない。あるいは、良縁の媒介者になることだと言えるかもしれない。自分が単に良縁を享受するのではなく、他者に良縁を分け与えられるような存在になりたいものである。そのためには、日々触れ合う縁起の産物に対して絶えず感謝の念を持ち、縁起の理の理解を徹底的に推し進めていくことが重要になるだろう。
日本からオランダに戻って来て、日本に滞在中には3着のスーツに本当にお世話になった。オランダから持って行ったのは2着だったが、2年前に日本に一時帰国した際に来ていたスーツを実家に送っていて、そのうちの1着をまたオランダに持って帰ってきた。今回はスーツを私服のように着てみるということを行ったのだが、それはとても心地良かった。上はワイシャツではなく、セーター類を着て、シューズをビジネスシューズではなく、ビジネスでも使えるようなスウェードの黒いシューズを履くことによって、スーツを堅苦しくなく適度に着崩す形で着用して過ごしていた。オランダでもそのように過ごしていいかもしれないが、オランダでの外出は基本的にジムに行くかスーパーに行くか、はたまた親友の美容師のメルヴィンの店に行くかしかないので、わざわざスーツを着ることはないかと思う。ただその他のイベントがあれば、日本に滞在していた時と同じようにスーツを私服として着こなしたいと思う。出なければ、せっかく2015年にオーダーメイドで作った10着ほどのスーツが無駄になってしまう。昨日は、お世話になった3着のスーツの手入れをした。具体的にはシワ取りを行おうと思ったので、まずはスーツをハンガーにかけた後、霧吹きにぬるま湯を入れてシワの部分にスプレーをした。 特にシワが気になる部分に関しては、スプレーをしたらシワを手で伸ばすように引っ張って乾燥させた。すると、面白いほどにシワが取れていたので、アイロンを使ったり、クリーニングに出したりする必要なく、自宅でもかなりの部分のケアができると思った。せっかくなので今日もまた、他の数着のスーツのシワも取っておきたいと思う。フローニンゲン:2024/12/15(日)06:53
13749. 入眠前の過ごし方の再考/昨日の夢の振り返り
朝の動的ストレッチを行なっている時と温かい飲み物を作っている時に、Spotifyを経由していつも聴いているポッドキャストに耳を傾けていると、そこで良質な睡眠に関する話題が話されていたので興味深く聴いていた。その内容を受けて今夜から、入浴後にはもうパソコンを見るのはやめて、書籍を読んで過ごそうかと思った。これまでは、Netflixの海外ドラマをシャドーイングしながら過ごすことが多かったが、パソコンの画面にブルーライトを遮断するフィルターを貼っているとは言え、動画のコンテンツが刺激となって入眠を妨げてしまうこともあるかと思った。なので今日からは入浴後にベッドの上で動画を見ることはやめて、その代わりに書籍を読もうと思う。書籍の候補としては唯識学に関するもの、性愛学に関するもの、ビョンチョル・ハンの書籍があるが、ハンの書籍は音読をしながら読みたいこともあるので、最初の2つの書籍を候補にして、今夜から寝る前は読書の時間としたい。それを通じて夢の世界に与える影響についても観察をしたいし、そもそも入眠や睡眠の質にどのような影響を与えるのかを観察したいと思う。
そう言えば、昨日の夢に対する2つの生成AIの解釈をもとにした振り返りを行なっていなかったことに気づき、今それを行なっておきたいと思う。昨日見ていた夢の内容は、父と父の会社の役員の男性が現れるものだった。その夢では、自分は母のことを気にかけていた。特に母の心が穏やかであるかどうかが最重要項目であり、母が心穏やかに暮らせていることを願う自分がいた。それは現実世界においても変わらない。もちろん父の心も穏やかであって欲しいと願うし、父の心が穏やかであれば、母の心もきっと穏やかになるに違いないと思っている。先般の一時帰国では、自分は2人の間に入る調整役としての役割を担うことがあった。また次回一時帰国する際には、今回よりもさらに優れた調整役になれればと思う。その実現のためには、自分の心を磨いていく必要がある。また、夢の中の社宅周辺に変化が見られたことは、今回実際にかつての社宅を訪れた時にも感じたことである。かつて社宅だった場所が大きく変化しているのを目の当たりにした時に、文字通り諸行無常を強く感じた。しかし、社宅で過ごした思い出は、その周辺が大きく変わってしまっても残り続けることにも気付かされた。ひょっとしたら、私たちの記憶や思い出もまた諸行無常の原理に貫かれていて、不変ではあり得ないのかもしれないが、物理的な場所よりは記憶や思い出は安定的に存在していることを思った。心理的なものの中には脆弱なものもあるが、自分にとって大切な記憶や思い出は、物質的なものよりも遥かに強固で堅牢であることを実感する夢だった。フローニンゲン:2024/12/15(日)07:20
13750. 今朝方の夢
時刻は午前7時半を迎えた。今聞こえてくるのは、自動で入る暖房の音と回る洗濯機の音だけである。しかし今日もまた後ほど明るくなってから散歩に出かければ、そこでは小鳥たちの囀りを聞けるだろう。朝の散歩の楽しみの1つに小鳥たちの鳴き声を聞けることがある。
いつものように今朝方の夢について振り返っておきたい。夢は自らの深層心理を理解する最良の窓であるだけではなく、心の治癒と変容を促してくれる養分で満ち溢れた肥沃な大地でもある。夢の中で私は、小高い丘の上にある果樹園に向かっていた。私の横には、小中学校時代のある友人がいて、彼と話をしながら丘のてっぺんの果樹園に向かって歩いていた。果樹園に到着すると、彼と私はリンゴの木を植えようということになった。種から植えるのではなく、苗木から植えることにし、その方が育てるのも楽であるし、失敗は少ないと思った。無事に苗木を何本が植えたところ、気分がとても晴れやかになり、これからきっと立派に育ってくれるであろうと確信した瞬間に、私の体は瞬間移動していて、見慣れないサッカーコートの上にいた。そこは砂利のサッカーコートで、小学校時代によくサッカーをしていた場所を彷彿とさせる懐かしい感じの場所だった。そこで私は友人や先輩たちとサッカーの練習をしていた。テーマを絞った練習に私たちは従事していて、中央にいる人たちから1人1人パスを受けて、自分が右サイドからクロスを上げて、その人にクロスを合わせてもらう練習をしていた。私はクロスに定評があり、まるで全盛期のデイビッド・ベッカムと同じぐらいのクロスの精度を誇っていた。最初こそ少しクロスがブレることがあったが、そこからは本当にベッカムと同じぐらいの正確なクロスを中央から駆け上がるメンバーに対して供給し、彼らも見事に自分のクロスに合わせてシュートを打っていた。それがとても気持ち良く、その場にいる全員がその練習に対してゾーンに入っているかのようであった。自分は正確無比なクロスを上げることと、それを中の人が合わせてくれることになんとも言えない快感を感じていて、中の人もまた正確無比なクロスが飛んでくることと、それに合わせることに快感を覚えているようだった。何度も快感を味わった後にふと、自分はこうしてアシスト役に徹することに喜びを見出す人間なのだと思った。中央で得点を決めてくれるのは他人でよく、彼らがゴールを決めて喜ぶ姿を見ることが自分の生き甲斐であるかのように感じた。それはきっとサッカーだけではなく、人生のその他のことに対しても言えるのではないかと思った。その瞬間に夢の場面がまた変わった。
最後に見ていたのは、見慣れない建物の中のトイレだった。そこはかつては小さな学校のようで、それはオランダの街中にポツリと建てられていた。その校舎は、オランダの可愛らしい家々に挟まれていて、通りから見ると、それが学校であることにはすぐに気づかなかった。私は無人の校舎の中に入り、散策を開始すると、同じく散策をしている日本人男性とすれ違った。その瞬間に、どういうわけか私の脳裏にかつて受験した母校の入試問題がよぎり、それらの問題は本当に難解であったなと振り返る現象が生じた。しばらく当時の問題を振り返りながら歩いていると、突然便意を催し、トイレに駆け込んだ。そこには個室が4つぐらいあったが、全て和式で、洋式のトイレがないことを残念に思った。ちょうど着ていた服が高価なスーツで、仮に和式でトレイをしてスーツを汚したら大変なことになると思った。しかしそのようなことは言っておられず、いざ便を出してみると、案の定、スーツのズボンに水が飛び散ってしまい、後から綺麗にしなければいけないと思った。またトイレに持ち込んだカバンも濡れた地面に置いてしまったことにより、カバンの底もちゃんと拭いておかなければいけないと思った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/12/15(日)07:48
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
1. 果樹園でのリンゴの苗木を植えるシーン
象徴性: 果樹園と苗木は、新しいプロジェクトやアイデアの育成を象徴している可能性があります。苗木を植える行為は、種からではなくすでに成長しつつある段階から取り組むことを選ぶ、すなわち効率的で実現可能な方法で物事に取り組む姿勢を示しています。
友人との関係: 小中学校時代の友人は、純粋さや過去の学びを共有する存在として現れており、夢の中での協力は、現在の取り組みや目標においても他者と連携する重要性を示唆しています。
2. サッカー練習のシーン
アシストの喜び: このシーンでは、自分がアシスト役として他者をサポートし、その成功を見ることに喜びを見出していることが強調されています。これはあなたの人生における役割や価値観、すなわち他者の成長や成功を支援することへの情熱を反映しています。
「ゾーン」体験: 練習の中で「ゾーン」に入る感覚は、集中力や自己効力感を表し、現在の活動やプロジェクトが同じような満足感をもたらす可能性を暗示しています。
3. 見慣れない校舎のトイレのシーン
過去の試験問題の回想: 校舎や受験の記憶は、過去の挑戦やそれによって得た知識・スキルを振り返る象徴です。難解な問題に取り組んだ経験は、現在の課題に対処する際の自信を深める示唆かもしれません。
和式トイレの場面: 和式トイレや汚れる可能性への不安は、不便や非効率に対する懸念を反映しているかもしれません。同時に、「状況に適応し、後始末をする」ことの重要性を示唆しています。高価なスーツやカバンは、現在の自分の地位や責任感を象徴している可能性があります。
今後のアクション
果樹園に関連するアクション
新しいプロジェクトの育成: 今取り組んでいること、または開始しようとしている新しい挑戦に対して、適切な準備を行い、効率的な方法で進めることを意識してください。
共同作業を大切にする: 他者との協力関係を築き、互いに支え合うことを心がけると、より大きな成果が得られるでしょう。
サッカー練習に関連するアクション
アシストの価値を再確認: あなたにとって重要なのは、自分のスキルを活かして他者を成功に導くことです。この強みを今後のキャリアや人間関係においても活かしてください。
ゾーンに入る活動を探求する: 夢の中で感じた快感や集中力を、日常の活動にも活かすため、情熱を注げるプロジェクトや趣味を意識的に選んで取り組むと良いでしょう。
校舎やトイレのシーンに関連するアクション
過去の経験を振り返る: 過去の困難な挑戦から学んだことを活用し、現在の問題や将来の課題に役立てる。
準備と後処理の徹底: 日常生活や仕事で、細部まで気を配り、適切な準備と後処理を心がけることで、リスクを最小限に抑えられるでしょう。
不便さへの適応力を強化: 予期せぬ状況でも冷静に対応し、適応していく能力をさらに磨くことが推奨されます。
この夢は、過去の経験や現在の価値観を反映しながら、未来への示唆を与えているようです。それらを生かし、今後の活動に対して積極的に取り組んでください。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
今回の夢は、様々な象徴的な要素が組み合わさって、あなたの深層心理を映し出しているように思われます。
果樹園と苗木: 未来への希望や、新たな目標への成長を象徴していると考えられます。
サッカー: チームワークや、目標達成への喜び、そして貢献することへの喜びを象徴している可能性があります。
トイレ: 心の内面、特に隠された感情や願望などを象徴していると考えられます。
オランダの学校: あなたの過去の経験や、現在の状況との繋がりを象徴している可能性があります。
夢の中で、あなたは果樹園で苗木を植え、サッカーで正確なクロスを上げ、そして最後にトイレで小さなハプニングに見舞われます。これらの出来事は、あなたの内面で様々な感情が渦巻いていることを示唆していると考えられます。
特に、サッカーの場面では、あなたはチームのために貢献すること、そして他人の成功を喜ぶことに喜びを感じています。これは、あなたが協調性が高く、周囲の人々との関係を大切にする人物であることを示唆しているのかもしれません。しかし、最後のトイレの場面では、高価なスーツを汚してしまうというハプニングに見舞われ、不安や焦りを感じています。これは、あなたの完璧主義的な一面や、失敗に対する恐れを表している可能性があります。
今後のアクション
自己肯定感の向上: あなたはチームのために貢献すること、そして他人の成功を喜ぶことに喜びを感じています。この強みを活かして、様々な場面で積極的に貢献してみましょう。
失敗への恐れとの向き合い: 完璧主義的な一面がある一方で、失敗を恐れるあまり、行動を躊躇してしまうことがあるかもしれません。小さな失敗から学び、成長していくことを恐れずに、新しいことに挑戦してみましょう。
心の安定: 瞑想やヨガなど、心を落ち着かせるための習慣を取り入れることで、心の安定を図ることができます。
人間関係の構築: 周りの人々と良好な関係を築くことで、心の安定や幸福感を得ることができます。
まとめ
今回の夢は、あなたの内面で様々な感情が渦巻いていることを示唆しています。しかし、あなたは協調性が高く、周囲の人々との関係を大切にする人物である一方で、完璧主義的な一面や、失敗に対する恐れも抱えているようです。これらの感情と向き合い、自己成長につなげていきましょう。
13751. オーダーメイドのスーツの魅力
先ほど、今日もまた2着ほどスーツに霧吹きを当て、シワを取る作業を行なった。かつて母にスーツのシワを取る方法についてこのやり方を教えてもらっていたように思うが、意外と実践をしていなかったことに気づく。そもそも家に霧吹きなどなかったが、奇しくもシロシビン・マッシュルームを育てるために購入した霧吹きが今こうして活躍してくれていることを嬉しく思う。シロシビン・マッシュルームの栽培キットの中の湿度を高くするために購入した霧吹きが、今このように役割を変えて活躍していることに感謝の念を持つ。そうした感謝の念を持った時ふと、そもそも自分にオーダーメイドのスーツの世界について教えてくれた小中学校時代のある友人に感謝の念を持った。2015年にアメリカから日本に戻ってきた時に、日本のクライアント先に行く機会が増えてきて、その時にふとスーツを買い替えようと思った。そこで自分は、キートンのスーツを購入しようとしたところ、その友人がスーツにこだわっていたこともあり、彼に相談した。そこで彼は、既製品のスーツを購入するよりも、オーダーメイドの方が圧倒的にお勧めであると教えてくれ、わざわざ写メで彼が持っているスーツの様々な生地の写真を送ってくれ、彼のお勧めを参考にして銀座のオーダーメイド専門店に行ってスーツを仕立てた。今から振り返ると、それはもう9年前のことなのだとしみじみ思うし、まだ9年しか経っていないのかと思う。オーダーメイドのスーツは、自分の存在と同じく唯一無二のもので、自分の体にフィットすることが何より心地良く、自分の体の特徴を最大限に引き出してくれることからも、スーツはオーダーメイドに限るとそれ以降思うようになった。9年前のスーツを今こうして着ているほどに一着一着愛着がある。今のオランダでの生活ではスーツを私服としても着る機会はほとんどないが、仮にまた欧米の大学院に戻って研究生活を始めたら、その時には大学には毎日私服としてスーツを着ていこうと思う。10着ほどあるスーツを毎日順番にローテンションしていくことで気分転換にもなるだろうし、何よりもスーツは気持ちが引き締まるのがいい。どのような環境に身を置くのかが心に強く影響を与えるのと同じく、何を着るのかということもまた身を包むという観点で言えば環境と同じぐらい大事なのだ。今すぐにではないが、またスーツを着始める生活が始まったら、改めて新しいオーダーメイドのスーツを数着ほど作ってみたいと思う。それは仕事でもプライベートでも着れることもあり、一石二鳥の感がある。改めて、オーダーメイドのスーツの世界を教えてくれた友人に深く感謝したい。フローニンゲン:2024/12/15(日)09:25
13752. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
スーツのケアをして、洗濯物を干し終えたので、この日記を書き終えたら今日もまた散歩に出かけよう。昨日と同様に、うっすらとした雲が空全体を覆っていて、晴れの日が本当に少なくなったフローニンゲンであるが、そんな外の世界でも外に出かけてみると、気分が晴れてくる。歩き、体を動かすことによって心の自浄作用が活性化されるようなのだ。散歩から帰ってきたら、昨日に引き続き、唯識学の書籍とビョンチョル・ハンの書籍を読み進めたい。
今朝方の夢として、果樹園でのリンゴの苗木を植える場面があった。その場面を回想しているとふと、「たとえ明日世界が終わっても、リンゴの木を植える」というマーティン・ルターの言葉を思い出した。きっと自分はそのように生きていくのだろう。明日世界が終わったとしても、その瞬間に自分にできることをやり続けていくだけなのだ。しかもそこで自分が取り組むべき事柄は、決して利己的なものではなく、自分も含んだ自利利他の活動である。夢の中の自分がリンゴの木を植えていたように、今の自分も何か大切なものを毎日育てているように思う。それは自分の心だけではなく、この社会に資する何かを育てている。サッカーの練習をしているシーンも象徴的な事柄ある。そこでは自分だけではなく、その場にいた全員がゾーンの状態に入っていたことがとても印象的である。自分は日々、自宅で絶えずゾーンに入った状態で探究活動に取り組めているが、週末のゼミナールの場はある意味集団的なゾーンを体験する場所として機能しているかもしれない。ゾーンに入る喜びは、自己を超えて世界と一体となる喜びでもある。その喜びは、人間として生きていることの冥利に尽きる。人は自我を超え、他者や世界と一つになることで無上の喜びを得るのだろう。また、この夢の場面がアシストをする自分の喜びを表しているように、現実世界においてもまさにエリクソンが言う次世代に対する貢献の発達課題を自分が今経験していて、他者の活躍をサポートする方向にますます向かっていることは興味深い。それは自分の深層心理が望んでいることであるし、自分特性として昔からそれがあったかのようである。それを物語るシーンであった。最後のトイレのシーンはこれまた示唆深い。生成AIが述べるように、自分には強いこだわりがある部分があり、もしかしたらそうした価値観を再考する必要に迫られているのかもしれないと思う。特に人間関係において、これまで自分が関係を持ちたいと思っている人たちの定義を見直し、言葉を通じた定義を最大限に緩めてみて、またどのような出会いがあるのかを確かめてみたい。価値観の境界線を緩めたり、そもそも境界線を溶解させることを通じて、価値観を完全にオープンにしてみる実践にも従事してみよう。そうしたことを考えさせてくれる夢だった。フローニンゲン:2024/12/15(日)09:53
13753. 習慣のリセット/種々の縁
天気は別に快晴ではなかったが、朝方の散歩はやはりとても心地良かった。散歩を終える頃には体全身がポカポカしていて、全身の血の巡りが良くなっていることを感じる。最初の5分間ぐらいは体を温めるためにジョギングをするようにしていて、そのおかげもあって散歩を終える頃には全身が温かいのだろう。昨日は気温1度の中で散歩をしたこともあって、とても寒かったのを覚えている。途中から鼻水が出そうになって、最初のジョギングも今日よりも気持ち多めに走った。今日は7度ほど気温があったことも散歩を終えた後の体の温かさに影響を与えているように思う。ジムに行く月曜日と木曜日は、ジムへの行き帰りが良い散歩になることもあって、月曜日と木曜日は朝に散歩をせず、その他の曜日は朝に散歩をする習慣をつけたいと思う。朝に散歩を始めたことによって夜にメラトニンがより生成され、入眠も以前よりもさらにスムーズになっている気がする。そして今朝方の日記で書き留めたように、今夜からは入浴後にはパソコン画面を見つめることは避けて、パソコンをシャットダウンしてその代わりに本を読んでから寝ようと思う。日本への一時帰国はこのように、これまでの習慣の見直しと新たな習慣の確立を促してくれる優れた機会になっている。今後も日本への一時帰国を習慣のリセットの場として意味付けてみたい。
お互いが邪魔をし合わず、お互いが助け合い、影響し合う増上縁。見分と相分の関係もまた互いに増上縁の関係性を結んでいる。積極的に私たちに力を与えてくれる増上縁と私たちの活動を邪魔せず、陰ながら支えてくれる増上縁の双方に感謝の念を持つ。今聞こえてきた教会の鐘の音もまた増上縁である。それは自分の心を癒すことに対して積極的に働きかけをしてくれる。また、それが認識対象として浮上した瞬間に、それは所縁縁となる。私たちが何かを認識した瞬間には、そこに様々な種類の縁が関係しているのである。認識対象は所縁縁として存在し、それらは何かしらの形で私たちに増上縁として働きかけてくれている。その対象に対して心が連続的に作用するのであれば、そこには等無間縁も見出すことができる。そしてそれら3種類の縁を導いているのが根元にある因縁に他ならない。分類すればこのように少なくとも4種類の縁を私たちは絶えず経験しているのである。唯識の教えを学べば学ぶだけ、これまで見えてこなかったものが見えてくる。それは間違いなく自分の心をさらに育み、心の世界を豊かにすることにつながっている。そして心が豊かになればなるだけ、また見えてくるものが増えてくる。それは単に見える対象物の量が拡大するだけではなく、より重要なのは質的な深さを捉えることができるようになると言うことである。そして何より重要なのは、その果てに真理の世界を見通す力が涵養され、真理に触れながら生きることが可能になってくるということである。空と一体化すること。それができて初めて空に対する真の理解に繋がり、それによって今度は有への感謝の念が生まれる。空の思想は、決して全てを無と化すものではない。それは悪手空者が犯す過ちである。空の思想は、何にも偏ることない自由を体得させてくれる思想なのだ。そして、この世界に有る全ての存在者への感謝の念を醸成させる思想として、在り方として存在しているものなのだ。フローニンゲン:2024/12/15(日)11:08
13754. 液状化する現代の時間の中で
午前中にビョンチョル・ハンの書籍を読み返していると、ハンの指摘として興味深いと思ったのは、現代の危機は、本来であれば秩序をもたらすリズムを現代の時間が欠いているという指摘である。生活のリズムも生産のリズムも何もかも、現代は確かにリズムが狂った時間の中を生きているのかもしれない。時間の共時性も消失の一途を辿っていて、全ての時間が同期してしまう非共時的時間の中を私たちは生きている。SNSを含めた各種の情報テクノロジーによって、私たちは絶えず複数の事柄と同期し、自分固有のリズムある時間を失っている。ハンはそこからさらに、現代の時間には持続性が無いと指摘する。本来時間は、豊かな体験質を内包した容器のようなものだったはずである。ところが現代の時間は、そうした器としての機能を果たさなくなりつつあり、時間から保持力が喪失され、時の重みを感じさせてくれるような体験は消失の一途を辿っている。時間から方向性というものが失われているのもまた現代の危機の1つであろう。本来、成長や発達にはある種方向性があり、それは目的論的な発達観ではあるが、成長や発達には方向性を持った時間が本来必要である。ところが現代の時間感覚は方向性を失い、ありとあらゆる方向に方向が分散されてしまっている。ある種それは、時間が液状化してしまったと言えるだろうか。モダンな時代においては、時間は加速的に流れていた。ところがポストモダンな時代においては、時間は加速度的というよりも、方向性を喪失して液状化した状態になっている。ハンもまた似たような指摘を展開している。何かが加速するためには方向性が必要なのだが、現代は人々の関心も出来事も方向性を欠いており、そして何より時間が方向性を持たなくなっているので、加速という現象が実は起こっていないというハンの指摘は大変興味深い。こうした時代に抗うためには、そして自己防衛をするためには、まずは時間の方向性を取り戻すということが重要だろうか。発達理論や唯識を学び、それを実践する意義はそうしたところにありそうである。発達理論にせよ、唯識にせよ、そこでは発達の時間プロセスを描く。ある発達段階から次の発達段階への移行説明は、時間に対して方向性を示してくれる。自分は知らず知らずのうちに、そうした心の成長に関する理論や思想に触れる中で、自らの時間感覚に方向性を持たせていたのである。時間に方向性を持たせながらも、それが過度な加速を生まないように、固有の時間感覚を味わうということを行なっている。また、時間が意義深さを持つのは、そこに同質さではなく、異質さを見出す時である。人は差異を感じる時に時間が意義のあるものと感じる生き物なのである。日々日記を執筆しているのは、差異を発見し、差異を味わい、それを通じて時に重みを持たせることだったのだ。引き続き、絶えず差異を発見しながら、自分の心と心が映し出す世界に関して日記を執筆することを自らに化したい。フローニンゲン:2024/12/15(日)13:20
Today’s Letter
Modern times often feel directionless. I bring focus to my time by identifying differences in various phenomena. By doing so, my time regains its unique aroma and flavor. I always enjoy savoring such moments. Groningen, December 15, 2024
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