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タイトル一覧
13742: 闇と静寂さ/直接体験の重要さ
13743: 奥深き散歩の探究
13744: 今朝方の夢/全ては人々の幸せのために
13745: 新たな散歩コースを開拓して
13746: 真理眼の開発/今回の一時帰国を通じて感じた自らの変化
13747: ゼミナールの第110回のクラスの振り返り
13742. 闇と静寂さ/直接体験の重要さ
時刻は午前7時を迎えた。昨日と同じく、今この時間帯のフローニンゲンは真っ暗闇に包まれている。それに加えて、物音ひとつしない静寂さにも包まれている。ちょうど今は暖房が自動で入っていないので、なおさら辺りが静かに感じられる。この時期のフローニンゲンの朝は、深い闇と静寂さを売りにしていて、それらを今味わっている自分がいる。振り返ってみれば、9年前の最初の越冬においてはそれらは大きな洗礼であった。何か成長に必要な試練であったかのようにしてそれらが自分に降りかかって来た。自分はこの9年間、深淵な闇と静寂さに包まれながら生きて来たのである。そのおかげで心が深く涵養されていったのだ。そう思うと、闇と静寂さには深く感謝せざるを得まい。ここから5月末まで長い冬が続くが、闇と静寂さは常に自分の味方として存在し、それらは自分に心の養分を多大に分け与えてくれるはずである。
昨日は日本からオランダに戻ってきた翌日だったが、早速ダーマペンの3回目の治療を受けた。2度のダーマペンの治療によって、ニキビ跡も随分と薄くなっていき、何より肌質が良くなったことを嬉しく思う。最初のコンサルテーションの時に、6回ぐらいの治療を目安にすると良いと言われたが、すでにここまでのところで効果を実感しており、6回目の治療を終える頃にはニキビ跡は完全に消え、綺麗な顔になっているのではないかと思う。そもそもダーマペンの治療をしようと思ったのは、今こうして心を磨くことを日々行い、心の鍛錬は長らく行っていたが、ぱっと見の見かけを左右する外面の美しさについてはあまり意識的に磨いてこなかったように思ったからである。時間的にも経済的にもゆとりがあるし、最先端の美容の世界はどのようなことが行われているのかを知る意味で、フローニンゲンの美容クリニックの門を叩いた次第である。結果的にそれはとても良かったと思っている。これまでの自分が知らないことを随分と知ることができたし、また1つ新しい経験を得ることによって経験の引き出しが増え、世界が広がったような感じがしているからである。興味を持ったらその世界に飛び込んでみて、新しい経験を得るということは引き続き行っていきたい。最終的には自らの経験が様々なところで物を言い、思わぬところでその経験が生きてくるのである。昨日の治療を担当してくれたのは最初の回と同じのマリエレという性格が穏やかな女性であり、彼女は丁寧な治療をしてくれるのでとても感謝している。前回治療してくれた人と違う点としては、彼女は治療を終えて顔をパックで冷やしている時にヘッドマッサージをしてくれることであり、これがとても気持ち良い。クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにおいても頭を手で支えてもらうだけで心が穏やかになるのだが、それと同じく信頼できる人に頭を優しくマッサージしてもらうと、心身共に深く寛ぐ。個人的に、性的交わりの前戯にヘッドマッサージを入れたほうがいいのではないかと思うほどである。それがあると心身が深くリラックスし、体験もきっとより深いものになるだろう。ダーマペンの治療の体験が、こうして性的実践に関する新たな洞察をもたらしてくれたように、やはり自らの心身を通じて直接体験を積むことの大切さを思う。フローニンゲン:2024/12/14(土)07:21
13743. 奥深き散歩の探究
時刻は午前7時半を迎え、今、暖房が自動で活発に働いており、その音だけが聞こえる。外から小鳥の鳴き声が聞こえてくることはめっきり少なくなった。小鳥たちもこの寒さでは活動を控え、どこか暖かい場所に移動しているのか、あるいは巣でゆっくりしているのかもしれない。今の気温は1度と低く、日中の最高気温は6度とのことである。明日からは少し気温が上がるようで、思ったほどにフローニンゲンは寒くない。むしろフランクフルトの方が寒く感じられたぐらいであり、実際にフランクフルトの方が北オランダのこの地よりも気温が低かったのは発見であった。もちろん寒さはここからより厳しくなるので、1月や2月においては両者の気温は逆転するだろうが、今のところフローニンゲンは極寒とまではいかないので比較的過ごしやすく感じる。昨日から始めた散歩を今日もまた行おうと思う。しばらく毎日継続すれば、それは他の習慣と同じく良き習慣になるだろう。そもそも散歩を習慣にしようと思ったのは、日本に滞在している時に毎日歩き、それを通じて心身の調子が整っていたからである。観光を通じてほうぼうを歩いたり、実家に滞在中には実家の目の前の砂浜を歩いたりと、歩くことを通じてエネルギーが充電するかのような感覚があった。もちろん歩き過ぎは逆にエネルギーを消費するのだろうが、適度な時間歩くことはエネルギーを充足させてくれる。大地から足の裏を通じてエネルギーを得ることを意識したり、太陽のエネルギーを身体全身から得ることを意識すると、地球と太陽の双方からエネルギーを分け与えてもらうことができ、それが心身に大きな活力をもたらす。とりわけこの時期のフローニンゲンは寒さゆえに、用事がないと外出をすることはないので、運動量が減ってしまう。週に2回のジム通いだけだと運動量に偏りが生じ、その他の5日間を1日中家で過ごすのは少し不健康かと思う。散歩を通じて外の空気を吸うことができるし、何よりも気分転換になる。今日も朝食を摂り終えて辺りが完全に明るくなったら近所に散歩に出かけたい。朝の時間帯は静かで、空気も澄んでいる。そうした時間帯に全身運動としての散歩を楽しむ。散歩を愛好していた哲学者や芸術家は多く、彼らは散歩をしながらも思索を進めていたのだろう。散歩を通じてインスピレーションが湧いてくることは自分もよく経験している。書物やパソコンと向き合いがちな自分にとっては、それらと一旦距離を置く意味でも散歩は望ましい。散歩の最中はマインドフルネスに散歩そのものを楽しんだり、心を空っぽにするようなマインドレスの状態でも散歩を楽しみたいと思う。散歩も他の実践領域と同じく、きっと奥が深い。歩き方1つ取ってみても、そこには無限の深みがある。横隔膜から脚を動かす意識を持ってみるだけで腹筋への刺激の入り方が随分と異なるし、腕を後ろに振る意識を持って肩甲骨を活性化させようとしてみると、それはテストステロンの分泌にも繋がる。朝の散歩を心身の調整ワークとして位置付けてみて、ここからウォーキングについても極めていきたいと思う。そのような意欲が自然と湧いてくる。フローニンゲン:2024/12/14(土)07:49
13744. 今朝方の夢/全ては人々の幸せのために
時刻は午前8時を迎えて、ようやく辺りが薄明るくなってきた。それに伴って、小鳥の囀りが先ほど聞こえてきた。ゆっくりと明けゆく朝の世界を眺めながら、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、父と父の会社の役員の男性と3人でタクシーに乗っていた。どうやらこれから私たちが住む社宅に行く予定のようで、その役員の男性を自宅で歓待することになっていた。私はタクシーの運転席の後ろの後部座席に座っていて、手にはオーダーメイドのスーツが1着あり、トランクには旅行用の小さなスーツケースを1つ載せていた。タクシーの運転手を含めて、4人は社宅の周りの土地の開発について話をしていた。私はしばらく実家に戻っていなかったので、3人の話を聞きながら、実家の周りが随分と変わったのだろうと想像していた。実際にタクシーが社宅の敷地内に入ると、見覚えのある景色も残っていながら、確かに新しい家が建っていて、随分と景観が変わったなと思った。もう間も無く実家のある社宅の棟にやって来るところで、父と役員の男性は今から少し辺りを散策しようと述べた。そう言えば、私たち3人は偶然にも同じ大学の出身者で、この周辺に母校にゆかりのある場所があるとのことだったので、そこに行ってみることにした。私も最初それに乗り気だったのだが、ふと実家で待つ母のことが気掛かりになり、自分は先に母のところに行くと2人に伝えた。そのような夢を見ていた。今朝方はその他にも何か夢を見ていたように思うが、その夢についてはもう記憶にない。もう1つの夢も雰囲気としては穏やかで、今の自分の平穏な心の有り様を物語っている。もう1つの夢をなんとか思い出そうとしてみると、それもまた先般の日本滞在時の記憶と結びついているような気がする内容で、旅の最中の移動中に関する夢だったように思う。いずれにせよ、昨日もまだ体内時計が完全に欧州仕様になっていないこともあり、午後8時半には就寝した。途中で一度トイレに目覚めたが、それでも10時間近く睡眠を取っていたように思う。体内時計を一瞬にして元に戻すことはできないと思われるので、これから数日間かけてゆっくりと欧州時間に戻していければと思う。そう思っていると、体内時計の調整は2週間から3週間ぐらいかかることもあるらしいので、焦って元に戻さないようにしたいと思う。生活リズムはすでに以前と変わらないが、目には見えない深層的な次元においてはまだまだ欧州仕様の体内時計にはなっていないことを自覚しておこう。
夢の振り返りを終えてふと、今日もまたビョンチョル・ハンの書籍を詩作を味わうかのように音読しながら、発達心理社会学の確立に向けて探究を進めていこうと思った。今日は午後からゼミナールの第110回のクラスもあるので、それに向けての予習もしておきたい。ハンの書籍を通じて、成長・発達に関する社会学的な素養と洞察を獲得していき、唯識学の探究を通じて、個人の心の治癒と変容についてさらに叡智を獲得していく。人間の心に対して思索することは、人間の心の現実に対峙し、人間が抱える心の問題に立ち向かうことである。人間の心が抱える複雑な問題に挑み、心の治癒と変容を実現させていくのが自分の使命である。全ては人々の幸せのために。フローニンゲン:2024/12/14(土)08:25
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢には、過去、現在、未来のつながりや、自分自身と家族、社会的な役割の調和を象徴する要素が多く含まれています。また、夢全体を通じて、穏やかな心の状態や内的な平和が反映されている点も注目すべきです。以下に解釈と今後のアクションを述べます。
解釈
家族とのつながり 夢の中で父と役員の男性とタクシーに乗り、実家や社宅の景観の変化に触れたことは、過去の記憶や家族とのつながりを再確認する意味を持っています。父とのやりとりや母のことを気にかける描写は、家族への愛情と責任感の表れでしょう。また、母校との縁に触れるシーンは、人生のルーツや自身の歩みを再評価する心の準備を象徴している可能性があります。
新しい環境と変化 社宅や実家周辺の景観が変わったことに驚きつつも、見覚えのある景色も残っていると感じたのは、新しい環境への適応と変化を受け入れる心の準備を示しているようです。この夢は、古い価値観や習慣を手放しつつ、新しい視点を取り入れる必要性を暗示しています。
役割と責任の選択 父や役員の男性と散策に行く提案に乗る一方で、母のことを気にかけて先に帰ると決断する場面は、自分の優先事項を見極める力や責任感を表しています。これは、他者との関わりと自己のニーズのバランスを取ることの重要性を示唆していると言えるでしょう。
平穏な心と体内時計の調整 夢全体やもう1つの夢の雰囲気に「穏やかさ」が感じられることは、現在の心の状態が平和で安定していることを示しています。一方で、体内時計の調整について意識する点は、無理をせず自然なペースで適応していこうとするあなたの姿勢を表しています。
今後のアクション
家族や過去への感謝を深める 夢で感じた家族への愛情や過去の景観へのノスタルジーを現実に活かし、家族や古い友人との関係を再確認する時間を設けましょう。感謝の気持ちを具体的な形で表すことで、より深いつながりが生まれるかもしれません。
新しい変化に対する適応力を養う 社宅の変化に驚きつつ受け入れたように、現実でも新しい環境や変化に柔軟に対応できるよう心構えを持ちましょう。特に、未来の計画において、変化を恐れず前向きに受け入れる姿勢を心がけることが大切です。
自分の優先順位を見極める 母を優先した選択のように、現実でも他者からの期待や提案に流されるのではなく、自分にとって本当に大切なものを見極める練習を続けましょう。これにより、迷いやストレスを軽減し、充実感のある生活を送れるようになります。
心と身体のペースを大切にする 体内時計の調整について夢で示唆されているように、現実でも焦らず、自分に合ったリズムで生活を整えることを意識しましょう。十分な睡眠や規則正しい食事、適度な運動を取り入れることで、内的なバランスを保てます。
ルーツや母校とのつながりを再確認 母校やゆかりのある場所を訪れる計画を立てるのもよいでしょう。過去の自分や学びに触れることで、新しいインスピレーションや目標が生まれるかもしれません。
この夢は、あなたが人生の中で家族、過去、現在、未来をどのように統合していくかを考える機会を提供しているように感じられます。日々の穏やかな生活の中で、これらのメッセージを意識し、自然体で実践していくことをおすすめします。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
今回の夢は、ご自身の心の状態や、現在の状況を反映しているように思われます。
社宅への帰還: ご実家への帰省や、新たな生活への期待などを象徴していると考えられます。
スーツとスーツケース: 新しい環境への準備や、新たなスタートを切る決意を表しているのかもしれません。
土地の開発: 環境の変化や、ご自身の内面世界における変化を象徴している可能性があります。
母校の場所: 過去との繋がりや、アイデンティティを象徴していると考えられます。
夢の中で、あなたは新しい環境に期待を持ちながらも、母親への気遣いを示しています。これは、変化に対しての期待と同時に、過去との繋がりや安心感を求めるあなたの心の状態を表しているのかもしれません。また、複数の夢が日本滞在時の記憶と結びついていることから、現在の状況が過去の経験と深く関わっていることを示唆していると考えられます。
今後のアクション
環境の変化への順応: 新しい環境に順応していくためには、無理のないペースで生活リズムを整えていくことが大切です。
過去の経験との繋がり: 過去の経験を振り返り、そこから得られた学びを活かして、これからの生活に役立てていきましょう。
心の状態の観察: 夢日記などを付けることで、自分の心の状態を客観的に観察し、自己理解を深めることができます。
リラックス: 体内時計の調整には時間がかかるため、焦らずにリラックスして過ごしましょう。ヨガや瞑想など、心身をリラックスさせるための習慣を取り入れるのもおすすめです。
コミュニケーション: 周りの人々とコミュニケーションを取り、不安な気持ちを共有したり、アドバイスを求めたりすることも有効です。
まとめ
今回の夢は、ご自身の心の状態や、現在の状況を反映していると考えられます。新しい環境への期待と同時に、過去との繋がりや安心感を求めるあなたの心の状態を表しているのかもしれません。焦らず、ゆっくりと自分自身のペースで新しい生活に慣れていきましょう。
13745. 新たな散歩コースを開拓して
つい今し方、朝の散歩から帰ってきた。散歩と言っても、フローニンゲンの朝はとても寒いので、最初の7分間ぐらいは体を温めるためにジョギングをしていた。これからもジョギングとウォーキングの組み合わせを楽しみたいと思う。今日から新たな散歩コースを開拓することにし、ノーダープラントソン公園とは逆側に向かって歩き始めた。そのコースは車の交通量が少なく、空気も澄み渡っているように感じたので、今後はこのコースをメインにしたいと思う。今日は初めてそのコースを歩くこともあって、所要時間の目処があまり立たなかったが、今後は今日の所要時間を参考にして距離を伸ばしたり、縮めたりすることができるだろう。最初に数分間ほどジョギングをすることは体を目覚めさせる意味でもとても良く、大地に足がリズム良く着地するたびに全身が整う感覚があった。ジョギングもウォーキングと同じくリズム運動して、身体のリズムの調整を整える実践としたい。午前10時前の自宅周辺はとても穏やかで、今日は土曜日ということもあって人は少なく、犬の散歩を楽しむ人をちらほら見かけた。外に出かけてみると、小鳥たちの鳴き声がより鮮明に聞こえてきて、それにも心が癒された。小鳥たちの囀りを聞くために外にウォーキングに出かけることもまた一興である。哲学者で言えばカントが、音楽家で言えばベートーヴェンが散歩をこよなく愛していた。自分も彼らに連なる形で散歩の愛好者となりたい。散歩の最中はマインドがクリアになり、思わぬ気づきや洞察が降ってくる。歩きながらふと、そう言えば大学4年生の時に、卒業論文の執筆に行き詰まったり、卒業後の進路について内省するためによく気分転換にジョギングに出掛けていたことを思い出した。家の中にいると何か煮詰まってしまうような感覚があって、それを払拭させ、頭をクリアにするために自然とジョギングに出掛けていたかつての自分を思い出し、今の自分は何かに煮詰まるほどに思い悩んでいるわけではないが、それでも適宜思考と感覚を整理するために、今後もジョギング兼ウォーキングを毎日楽しもうと思った。雨風が強くない日であれば必ず朝に散歩に出かけようと思う。
散歩から帰ってくると、敷地内の車庫の前に同じジムに通うミヒル(Michael)がいた。彼はバイク好きで、車庫には立派な大型のバイクが数台所有されており、かつて彼にそれらを見せてもらった。今年の夏にはスコットランドに行ってツーリングを楽しんだ話を聞かせてもらったことがある。今日もバイクの手入れをしているのかと思いきや、小さな可愛らしいツリーを車庫から出していた。ミヒル曰く、クリスマス用のツリーとのことで、自宅に帰って飾り付けをこれから行うとのことだった。ドイツはオランダ以上に盛大にクリスマスを祝い、アメリカはそれ以上であり、アメリカのクリスマスツリーはデカ過ぎるとミヒルが笑いながら述べていた。そのような雑談をした後に、先月フレディさんを亡くしたペイトラさんの話になった。自分はフレディさんの葬式の数日後にオランダを出発して日本に帰っていたので、この1ヶ月間ペイトラさんとは話をしていない。クリスマスのシーズンとなると、きっとペイトラさんは過去何十年も一緒にフレディさんとクリスマスを祝った記憶を思い出し、寂しい思いをするに違いないということをミヘルが述べていた。その話を受けて、ペイトラさんのことが気掛かりとなり、敷地内で出会った時には彼女の心の状態を確かめながら優しく接することができたらと思った。フローニンゲン:2024/12/14(土)10:23
13746. 真理眼の開発/今回の一時帰国を通じて感じた自らの変化
時刻は間も無く午前11時を迎えようとしている。日本とフローニンゲンの最大の違い。それはこの時期のフローニンゲンにおいては太陽の姿を拝むことが大変貴重だということだ。ほぼ毎日うっすらとした雲が空を覆っていて、太陽を拝むことがなかなかできないのは、人によって気が滅入ってしまうことだろう。そんな環境で9年ほど過ごしてきた今の自分にとってみれば、雲の向こう側に常に存在している太陽に眼差しが絶えず向けられている。もちろん太陽の光を存分に浴びたいという思いがあり、その点に関しては、日本は冬でも太陽の光をしっかりと浴びれるので素晴らしい場所だと改めて思った。フローニンゲンではなかなかそれが実現しないゆえに、太陽の貴重さをますます実感し、太陽が見えなくても雲の向こうに存在している太陽に対しての想像力が増し、それは常に現象世界の背後にある真理を見通す真理眼の開発に繋がっているのではないかと思う。
今回の一時帰国を通じて、自分の中にある変化が起きた。確かに日本は自分にとっての母国だが、そんな母国で講演会やセミナーなどをする時には、どこかアウェーな感じが幾分あった。ところが、今回の一時帰国からは、全ての場が自分のホームであるかのように感じられたのである。それはきっと、この2年間の自己探究と心の成長実践によるところが大きいのではないかと思う。振り返ってみれば、欧米でのこの13年間の暮らしの中で、仕事は基本的に全てオンラインを通じて行われていた。講演会もセミナーも、そして各種の対談も、基本的にはオンライン空間で完結しており、オンライン空間こそが自分のホームで、リアルな場はアウェーであるかのように感じられていた。ところが、今回の一時帰国においては、オンラインとリアルの分別の境界線が溶解し、オンラインとリアルが非二元となり、自分はどちらの環境においても常に自分らしく佇んでいられるという感覚が得られたことは大きな収穫であった。成長を阻害する煩悩とシャドーにこれからも向き合い続けていけば、心はますます純化されていき、どんな場所にいても自分はオーセンティックな存在でいられるだろう。その状況の中で真に深い即興性と創造性が発揮され、その瞬間を十全に楽しむことができるのではないかと思う。ここからも複利の成長を心掛けていこう。1日1%成長することは難しいかもしれないが、それができれば、1年で37倍に成長し、4年後には200万倍に成長することができる。明日の自分は今日の自分が作る。次の瞬間の自分は今この瞬間の自分が作るのである。日々少しずつでいいので、毎日着実に心を浄化させていき、心を逞しく育んでいきたい。そうすれば、自分固有の命の美しさがさらに輝き、それは内側から外側に向かって大きく放射を始めるだろう。フローニンゲン:2024/12/14(土)11:03
13747. ゼミナールの第110回のクラスの振り返り
時刻はゆっくりと午後3時に近づいている。つい先ほど、第110回のゼミナールのクラスを終えた。毎週末開催しているゼミナールのクラスも110回を数え、110週連続して毎週末ゼミナールを開催させていただけていることへ感謝の念が自然と溢れてくる。奇しくも、今日は感謝の話やご縁が話題に挙がった。その中でも、現代人が感謝やご縁を感じにくくなってしまっている要因について話し合ったことが印象残っている。端的には、私たちには自らが何かを獲得したという思い込みが強くあり、本来全ての人や事物との出会いは奇跡的なことであり、1つの現象もまた奇跡の産物なのだが、そうした奇跡に対して感性が閉じてしまっていて、それらの出来事を全て自分の努力の成果だと思ってしまう倒錯した考え方が多くの人に蔓延っているように思う。「ありがとう」という言葉は、「有り難し」という言葉に由来することは広く知られていることかもしれないが、現代は本来有り難いはずのものが「当たり前」のものだと思ってしまうような状況に陥ってしまっている。当たり前が蔓延する社会の中で、そもそもなぜ私たちは全ての事柄を当たり前のように思ってしまうようになってしまったのだろうかとまた一歩考えを進めて考えさせられる。やはりそこには、ビョンチョル・ハンが指摘するように、達成型社会の構造的問題が背景にあるのかもしれない。達成型社会においては、なんでも自らの努力によって獲得が可能で、実現可能だという風潮が土台になっている。そうした風潮は、1つの社会的な大きな物語を構成し、その物語はある種1つの夢の世界を作り出す。そして人々は、そうした夢の世界に迷い込み、なんでも自助努力で実現可能だと思い込む中で、目標や目的に向かってあくせく働き、あくせく活動に従事する。そうした生のあり方において欠落しているのは、観想的な在り方である。今日のクラスでも、ゼミナールのクラスそのものが生活の中に余白を生む場であるということを述べてくださった方がいたが、まさに自分も同じことを感じている。毎週末のゼミナールの場が自分にとって最良の余白を生み出していて、そうした余白があるからこそ、そこに豊かなものが自然と流れ込んでくるのである。ゼミの場の中で交わされるのは1人1人のナラティブであり、ナラティブにはその人固有の豊かな時間がある。単純な情報伝達においては、その人固有の時の流れを言葉から感じることはできない。ナラティブを交わす場としてゼミナールのクラスがあるからこそ、1人1人の内側に流れる時間を感じることを通じて、私たちは自らの内側にある自分固有の時間に目覚め、それに自覚的になるのかもしれない。そうした気づきがあって初めて、心に余白が生まれるのかもしれない。つまり、自分の命に固有の時の流れに気づくことによって、その時の流れが余白という空間を自然に形成してくれるのである。忙しなく活動に従事する現代人にはきっと、こうした自らに固有の時の流れへの自覚はないはずである。今一度ここで立ち止まって、自分の心に耳を傾け、自分の心の世界に流れる固有の時間を味わってみることを勧めたい。フローニンゲン:2024/12/14(土)14:59
Today’s Letter
I live in an enduring present moment. Living this way is challenging because time is eroded by the accelerating pace of modern society. I choose not to live on the surface of the sea but in the depths of the ocean, where my entire being can fully relax. This is my way of living—a practice that continuously nourishes me. Groningen, December 14, 2024
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