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タイトル一覧
13636: 【日本滞在記】 友・恩師・懐かしの場所
13637: 【日本滞在記】 真理がもたらす輝き/今は亡きフレディさんの銀行口座
13638: 【日本滞在記】 今朝方の夢
13639: 【日本滞在記】虹ヶ浜を散歩して
13640: 【日本滞在記】親友たちとの語らい
13636. 【日本滞在記】 友・恩師・懐かしの場所
時刻は午前5時半を迎えた。この時間帯の気温は5度とかなり低く、いよいよ12月目前らしい気温になってきた。昨日ふとフローニンゲンの気温を調べたところ、フローニンゲンの最低気温はマイナス2度だったらしく、やはり相当に冷え込んでいることがわかる。来月にフローニンゲンに戻ったら、もう真冬の感じになっているのではないかと思う。今日の光市は天気に恵まれ、雲一つない晴れになるようだ。明日もそのような天気なのだが、明後日以降は天気が崩れ、雨が降る時間帯がある日が続く。天気が崩れる日がやってくる前に、晴れの日は思う存分朝日を浴びながらの散歩を楽しみたい。
今日は午前中から夕方にかけて、小中高時代の親友と会う約束になっている。本来はもう3人の親友たちと一緒に会って話す計画になっていたが、他の3人の都合がつかず、3人のうちの1人とは先週の日曜日に会って話をしてきた。4人と自分を含めて5人で話をするのも盛り上がるが、こうして1人1人と会ってじっくり語り合うこともまた良いものだと実感する。今日会う親友はすでに2人の娘さんがいて、2年前に会った時よりももう随分と大きくなっているのではないかと思う。彼は大工を生業にしていて、2年前には自らの手で家を作っている最中であり、今日はその完成した家を見せてもらうことになっている。その時に2人の娘さんの成長具合を見ることもできるかもしれない。確か長女はもう8歳ぐらいで、次女は5歳ぐらいになっているのではないかと思う。彼の新居と2人の娘さんに会えるのがとても楽しみだ。親友の彼とは、私たち2人が通った、そして彼の長女が現在通っている小学校に足を運ぶ予定だ。今日は日曜日であるから学校には誰もいないだろう。中庭を歩きながら校舎の様子を眺めたり、グラウンドに降り立つと、当時の思い出をきっと思い出すに違いない。4人の親友と自分を含めた5人のうち、自分と3人の親友が小学校6年生の時にお世話になっていた担任の先生は、今は校長として母校の小学校にいる。いつか先生には直接会って挨拶をしたいし、どこかのタイミングで手紙でも書こうかと思っている。本来はこれまでお世話になってきた全ての先生と直接会って挨拶をしたいところだが、今行方がわかる先生の中で挨拶をしたいのはその先生と、あとは中学校時代の部活の恩師だろうか。親友に加えて当時の恩師たちに会いたい思いが募る中、自分が幼少期だった頃の遊びは探求の宝庫だったことを思った。幼少時代の遊びから得られたことが今、知的な財産になっていると感じる。そこで養われた感性は今の自分の感性を下支えしているし、遊びの際に働かせていた想像力や種々の工夫が今の自分の想像性と創造性の根源にあることを感じる。今日親友と会って、当時の通学路を歩きながら学校に向かっている最中や学校の中を見学することで、また何か大切なことを思い出すかもしれない。自分が育った場所に帰り、そこを散策することは、そのような刺激と促しをもたらす。光市:2024/11/24(日)05:50
13637. 【日本滞在記】 真理がもたらす輝き/今は亡きフレディさんの銀行口座
こうして年齢を重ねても、未だに会って話ができる小中学校時代の親友がいることはとても有り難いことだと思う。しかも4人もそうした親友がいることは、本当に貴重な贈り物をいただいたかのようだ。小学校から中学校へは100人の生徒が基本的に全て同じ中学校に上がり、中学校から自分が通った高校へは30人ほど進学した。そうした環境が関係性を深めるきっかけになっていたのだと思うが、それにしても結婚し、子供が出来てもこうして1年か2年に1度会って話ができるのは嬉しいことである。自分たちはこれから何歳まで定期的に会って話ができるだろうか。お互いが元気である限りは老年期になっても話ができるかもしれない。そうした楽しみがある一方で、会って話をする機会は命の有限性ゆえにもう限定的な回数になっていることも知る。しかしそれは悲観するものではなく、こうして会える回数がお互いの人生において限定的なものになっているという自覚ゆえに、毎回の再会は光り輝く。光市という町で自分は、友人たちとの関係性を光り輝かせ、自らの心身や霊性を光り輝かせる形で育ってきた。そのことに深く感謝する。諸行無常の真理に貫かれたこの人生において、全てが諸行無常だと感じることは、決して否定的な気持ちを引き起こさない。仮に否定的な気持ちになるのであれば、それは諸行無常という原理を掴み損ねているのである。それはなぜか。なぜならば、諸行無常というのは善悪を超えた真理であるからだ。真理に真に触れたのであれば、そこには悲観も楽観もない。ゆえに諸行無常の真理を掴んでいるかどうかの試金石は、そこにいかなる感情が渦巻いているかであろう。真理は自己と世界を明るく照らす。その晴々とした明るさを実感できる時、それは真理に真に触れたと言えるのではないかと思う。少なくとも、真理触れることは命を輝かせることにつながるという点だけは絶えず頭の片隅に置いておきたい。今こうして諸行無常の原理に貫かれた友人関係に思いを馳せると、それだけで自らの命の生命力が増し、命が輝いている実感がある。
明日、オランダで借りている家の家賃を振り込むことになっていることをふと思い出した時、他界したフレディさんのことを思った。今は亡きフレディさんの銀行口座に家賃を振り込む際には、常にフレディさんのことを思い出すだろう。今はその口座は、妻となったペイトラさんが所有するものとなった。フレディさんの銀行口座に毎月家賃を振り込むたびにフレディさんのことを思い出すことは、故人を偲ぶ意味でもとても意味のあることではないかと思う。フレディさんが自分で建てた自慢の家に住まわせてもらっていることへの感謝の念を改めて持つであろうし、何よりもフレディさんと過ごした良き思い出を再想起することになるはずだ。もうこの世にはいない人の銀行口座にそのような意味があるとわかった時、文明の発展過程で生まれた銀行というシステムも銀行口座という産物もまた個人の人生を豊かにしてくれるものなのだと実感する。そのような意味付けと実感が得られるかは、各人の心に依存する。まさに唯識なのである。光市:2024/11/24(日)06:07
13638. 【日本滞在記】 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えたが、まだ辺りは随分と暗い。日の出までもう少し時間がかかりそうだ。日の出が遅くなったとは言え、オランダのそれに比べれば随分と早い。今の時期、オランダでは日の出は午前8時を過ぎないと日が出てこない。実家のある場所では午前6時半過ぎぐらいには朝日を拝むことができる。そのような違いがある。やって来る朝日に思いを馳せながら、今朝方の夢について振り返っている。
夢の中で私は、実際に通っていた中学校と高校が融合した建物の中にいた。そこで私は数人の友人たちと一緒に小さな恐竜を飼っていた。その恐竜は獰猛ではなく、人懐っこく、とても可愛らしかった。元々は肉食恐竜なのだが、人に育てられることによって、その恐竜が人間を襲う心配はなく、学校ではマスコットキャラクターのようでもあった。その恐竜を育てることに関して一番の責任を担っていたのは自分だったので、学校内でしっかりと飼育をした。理科室でその恐竜に餌をあげ、理科室を出たところで、中学校時代の部活の先輩と出会した。そこで先輩とはお互いの近況について立ち話をした。そのような場面があったことを覚えている。本当はこの夢は、前後にもう少し豊かな場面があったが、今はもうそれらの場面を思い出すことができない。頭を使うような知的な場面があったことを覚えている。そこでは学校では教えてくれない事柄について友人と一緒に考えていた。学校では教えてくれない事柄こそ自分にとっては大切に思え、そうしたテーマについて考えることは自分にとって至福であったし、そうしたテーマについて語り合える友がいることもまた感謝の念を引き起こす。
この夢に対する2つの生成AIの解釈は下記の通りであり、それを元にもう少し補足の振り返りをしておきたい。なるほど、夢の中の恐竜は自らの内側にある原始的なエネルギーを象徴しているのかもしれない。この夏まで継続して行っていたシロシビン・セッションの最後の方では、自らが知能の高い恐竜であったという直観が芽生えたのを思い出す。自らの祖先が文字通り恐竜であった可能性もあるが、それ以上に、この夢が示唆するような自らの強い原始的なエネルギーが自己の奥底に内在しているのではないかと思う。今自分はそれと向き合い、それを育みながら、そのエネルギーをうまく自他の成長や社会の幸福の実現に向けて活用し始めているのだと思う。また、学校では教えてくれない話題に関心を持っている夢の中の自分は、現実世界の自分と完全に重なり合う。学校では決して、人間の心・性・サイケデリクス・宗教について教えてくれない。自分はそれらの探究に心底強く深い関心を示している。学校教育の枠の中での教育は、得てして調教に堕す。自分はそれを昔から良しとせず、自分が面白いと思うことを自分のペースでひたすらに学び続けていた。そんな在り方はこれからも変わることがないだろうし、これからむしろ加速するかもしれない。光市:2024/11/24(日)06:32
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
恐竜の飼育と責任感
夢の中であなたが飼っていた恐竜は、通常は肉食であるにもかかわらず、あなたたちによって育てられることで攻撃性を失い、マスコットキャラクターのような存在になっています。これは、あなたが自分の内側にある「原始的」または「強いエネルギー」をコントロールし、育てる能力を象徴しているかもしれません。恐竜が人懐っこくなることは、あなたが他者に対して協調的で優しい性質を持っていること、または困難な状況や人物に対してもポジティブに対処できることを示していると考えられます。
また、恐竜を飼育する責任があなたにあることは、リーダーシップや責任感の強さを象徴しています。この夢は、あなたが他者から信頼され、重要な役割を担うことができる存在であることを示唆しているかもしれません。
アクション: 現在、あるいは将来的に大きな責任を担う場面があるかもしれませんが、自分のリーダーシップと信頼を生かして、難しい状況や課題にも果敢に取り組むことが推奨されます。特に、自分がコントロールする力を持つ「エネルギー」や「プロジェクト」を育て、他者と協力して成功へ導く力を信じましょう。
理科室での場面と部活の先輩との出会い
理科室で恐竜に餌をあげるという場面は、知識を探求し育むことの重要性を示唆しているかもしれません。また、中学校時代の先輩との出会いは、過去の経験や関係が今のあなたに影響を与えていることを示している可能性があります。先輩との立ち話は、過去のつながりがまだあなたにとって意味があり、今後の行動に影響を与える可能性を示しています。
アクション: 過去の経験や関係性を大切にし、それを今後の成長や目標達成に活かすことを考えてみましょう。また、新しい知識やスキルを学ぶための努力を続け、過去の学びを基にして自分をさらに成長させることが重要です。
学校では教えてくれない事柄と友人との議論
夢の中で、学校では教えてくれない重要なテーマについて友人と一緒に考える場面は、あなたが独自の視点や興味を持って学び、他者と知的な交流を持つことを大切にしていることを示しています。学校教育の枠にとらわれず、自分にとって本当に価値のあることを探求する姿勢が強調されています。この探求は、あなたにとって「至福」であり、共に考え語り合える友人の存在が感謝の源であることを示しています。
アクション: 自分にとって意味のあるテーマを探求する時間を確保し、同じ興味を持つ仲間との交流を大切にしましょう。学校や一般的な教育にとらわれず、自分の好奇心や知的な探求心を追求することで、さらなる成長と満足感を得ることができるでしょう。特に、自分の信念や価値観に従いながら学び続ける姿勢を持ち続けることが大切です。
夢全体のテーマと共通点
この夢は、学び、育てること、責任を持つこと、そして独自の視点を大切にすることがテーマになっています。また、過去と現在のつながりが重要であり、それが未来にどのように影響を与えるかについても考えるべきポイントがあります。恐竜の飼育や学校での活動を通じて、知識を育み、自分にとって価値のあるものを探求する姿勢が強調されています。
全体的なアクション: 自分の内なるエネルギーを育て、知識を深めるための探求を続けましょう。また、過去の経験や人間関係を大切にし、それを今後の成長に活かすことを忘れないでください。自分にとって重要なテーマを追求することで、充実感や満足感を得られるだけでなく、他者と共有することによって新たな可能性も広がるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の意味の解釈
中学校と高校の融合: 過去(中学校)と現在(高校)の統合、あるいは異なる側面を持つ自分自身の統合を象徴している可能性があります。
小さな恐竜: 未熟ながらも力強く成長する何か、あるいは自分自身の内に秘められた野性的な部分や創造性を表しているかもしれません。
人懐っこい恐竜: 危険な側面を持つものも、愛情を注ぐことで良い方向に変化させることができるという可能性を示唆しています。
理科室: 知的好奇心、探求心、そして論理的な思考を象徴しています。
部活の先輩との出会い: 過去の経験や人間関係が、現在の自分にも影響を与えていることを示しています。
学校では教えてくれないこと: 真の学びは、教科書やカリキュラムにとらわれないところに存在するという気づきを表しています。
総合的な解釈: この夢は、あなたが過去の経験を土台に、新しい自分へと成長しようとしていることを示唆していると考えられます。また、自分自身の内なる力や創造性を信頼し、それを育んでいくことの大切さを教えているのかもしれません。そして、学校で学ぶ知識だけでなく、自分自身で探求し、考えることの重要性を意識していることも示されています。
今後のアクション
夢から得られたヒントを活かして、以下のことを試してみてはいかがでしょうか。
過去の自分と向き合う: 中学校時代のことを振り返り、当時の経験が今の自分にどのような影響を与えているのか考えてみましょう。
新しいことに挑戦する: 恐竜のように、未知なるものに飛び込んでみることで、新たな可能性が開けるかもしれません。
学び続ける: 学校で学ぶことだけでなく、興味のあることを自主的に学び、深めていくことが重要です。
人間関係を大切にする: 周りの人たちとのつながりを大切にし、共に成長していきましょう。
自分の内なる声を聴く: 自分の心に正直になり、本当にやりたいことを追求してみましょう。
13639. 【日本滞在記】虹ヶ浜を散歩して
今朝方もまた晴れ渡る空の下、実家の目の前の虹ヶ浜を散歩していた。それは実家滞在中の晴れの日の大きな楽しみになっている。平日も休日も変わらずに穏やかな表情を浮かべている瀬戸内海。今日はとりわけ波打ち際に近づいてみたのだが、海が透き通っていてとても美しいと思った。澄み渡る海水にどこか身も心も引き込まれ、深く癒される感覚があり、それこそが海の浄化作用の現れかと思った。虹ヶ浜は、「日本の渚・百選」や「快水浴場百選」に選定されており、海岸沿いの松は日本の名松百選にも選定されている。砂浜を歩きながら、今日は快晴だったので先日訪れた四国が向こう側に見えた。また、海水浴場の反対側にある山々の眺めも美しく、砂浜を歩いているだけで、まるでサウナに入った後の整う感覚がじんわりと内側から溢れてきたことが印象的である。改めて海の魅力、砂浜を歩く魅力を実感した次第だ。
砂浜に二片のガラスが落ちていた。最初に一片のガラスの破片を見つけた時、すぐにそれを誰かが踏んだら大変だと思った。この時期はもう海水浴のシーズンではないので、子供たちが素足でそれを踏むことはないが、散歩中の犬がそれを踏んで怪我でもしてしまうと大変だと思ったのでそのガラスの破片を拾い上げた。もう一片のガラスの破片を散歩の途中で見つけた時、それもすぐさま拾い上げた。今度の夏に子供たちがやって来て、誰かが素足でそのガラスの破片を踏み付けたら大ごとだと思ったのである。夏休みにせっかくこの名海水浴場にやって来て、楽しい時間を過ごしている時に怪我をしたらとても可哀想だと思った。澄み渡る海を泳いで楽しんだという夏の良き思い出を良き思い出のままにしてもらうためにも、自分はそのガラス片を拾う必然性があった。それは偶然ではなく、必然の行為だったのだ。ふと偶然にそれを拾い上げたのではない。自分の中にある幾ばくかの慈悲心と想像力がそれを必然的に拾い上げたのである。おそらく砂浜にはまだまだたくさんのガラスの破片が落ちているだろう。自分がその全てを拾い上げることはできない。だからと言って自分は拾うことを諦めるだろうか。自分が拾い上げるガラスの破片は全体の中の微々たるものであったとしても、自分はガラスの破片を見つけ次第拾い上げ続ける。自分はそういう人間なのだ。名前も知らない大人や子供が来年の夏にこの海水浴場にやって来て、足を怪我しないようにするために、自分はまた明日もガラス片を拾い上げるだろう。それは来年の夏のためだけではなく、そこからもさらに続く悠久の夏のためにもなる。今日拾い上げたガラス片はわずか2つであったが、それで傷つくことを免れた人や犬がいるのであれば本望である。虹ヶ浜を覆う白砂のように、この世界が優しさと慈悲で包まれてほしいと願う。光市:2024/11/24(日)09:33
13640. 【日本滞在記】親友たちとの語らい
今日はとても充実した1日だった。午前10時から小中高時代の親友と会ってゆっくりと話をする予定のところに、商工会議所の会長を務める小中学校時代の親友が市のイベントに参加していたところを急遽仕事を抜け出してカフェまで来てくれたのである。彼と合流する前に、小中高時代の親友の家を見せてくれた。2年前にはまだ骨組みだけの家が、今ではもう立派な家になっていて、すでに家族4人で生活をしている生活感が何とも言えない良さを発していた。特に自分が恵まれているなと思うのは、小中学校時代の親友たちの職業が本当に様々で、その親友は大工なので自分が決して知ることのない世界の話を色々聞けるのは有り難い限りである。親友の彼に家を見せてもらった後、彼の自宅からかつて通っていた小学校まで歩いていき、当時の通学路を懐かしく思った。そして学校に到着してみると、幾分建物や中庭の様子に変化はあったが、体育館の様子や校舎の様子は当時のままで、小学校時代の種々の懐かしい思い出が流れこ出来た。彼とはまず校門を抜けて中庭を歩き、高学年の校舎を見た後に飼育小屋を通ってグラウンドに出た。当時はだだっ広く感じたグラウンドも大人の自分からすれば当時よりも小さく感じられたが、それでも田舎の学校のグラウンドは都会のそれに比べると十分なスペースがあることを思った。自分たちは1学年3クラスほどあったが、彼の娘さんの世代はもう1クラスしかないとのことだった。かつては暑さが残る季節に行われていた運動会も、熱中症の対策も含めて5月に行われるようになったらしく、そして生徒数の減少のためか、昼食を挟まずに午前中だけで終わるようになったとのことである。自分たちの代は、地区ごとに運動会の席が分けられていて、ビニールシートの上に座って昼食を様々な学年の子どもたちや彼らの親と一緒に食べ、そこから午後の部に移って行ったことを懐かしく思い出した。小学校を十分見て回った後は、近所の普賢寺というお寺で今昔市という市場が開催されていて、それを親友の彼と見て周り、2年前にも一緒にランチを食べたカフェに移動した。そこで上記の小中学校時代の親友と合流し、そこから3人でランチをゆっくり食べ、また別のカフェに移動して午後4時頃まで思い出話に花が咲いていた。親友たちと昔話を語り合うことは時空を超えさせてくれる。人は記憶を持つ生き物であり、人は語り合うことによって絆を深める生き物であることを改めて実感した。来年は年末に久しぶりの同窓会をするかもしれないとのことなので、もう何年振りになるかわからないが久しぶりに年末年始に地元に帰って来たいと思う。それだけ自分は素晴らしい親友に恵まれたのだと思うと感謝の念が溢れてくる。今日は良き友との語らいを楽しむ本当に素晴らしい時間だった。自分たちは残りの人生であと何回直接会ってゆっくり語り合うことができるのだろうか。そのようなことも考えさせられる感慨深い時間であった。人間として生まれて来たことの妙味の1つは、そしてこの人生を生きれたことの喜びの1つは、良き友に恵まれたことにあると嘘偽りなく言えることである。光市:2024/11/24(日)19:45
Today’s Letter
A beautiful sunrise appears before my eyes. The bright orange and yellow glow energizes all sentient beings on the ground. My innate, primitive yet powerful energy is fully activated. The sun is the origin of all living beings and energy. Hikari, November 24, 2024
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