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タイトル一覧
13623: 【日本滞在記】 自他の幸せの一致/同胞意識
13624: 【日本滞在記】 今朝方の夢
13625: 【日本滞在記】 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13626: 【日本滞在記】 宇宙大の縁起
13627: 【日本滞在記】 縁起によって成り立つ自らの生活
13628: 【日本滞在記】 心・体・自然の三位一体/命を持つ時
13629: 【日本滞在記】 宗教性の意義/軽くなった社会への危惧
13623. 【日本滞在記】 自他の幸せの一致/同胞意識
時刻はまもなく午前5時半を迎えようとしている。昨日は旅行から帰って来て移動の疲れもあったので、午後8時半過ぎにはもう就寝した。旅の最中も基本的には午後9時前には就寝をしていたが、とりわけ昨夜はぐっすりと眠ることができた。途中で一度も目覚めることなく8時間半ぐらいの十分な睡眠を取ることができたので、心身が十分に回復し、非常にすっきりとした気分でいる。今、実家の目の前から聞こえてくる瀬戸内海の波の音に癒されているのだが、それは窓を閉めていても耳を澄ませばいつでも聞こえてくる。今日もまた光市は天気が良いようだ。今の気温は7度と肌寒いが、日中は18度まで気温が上がる。紫外線量が増える午前10時までに1度散歩に出かけようと思う。それと昨日の木曜日は旅先の旅館で朝に筋力トレーニングをすることができなかったので、今日は朝と夕方の2回に分けてトレーニングをしたい。ちょうど先ほど父が大豆から豆乳を作ってくれ、それが非常に良いタンパク質とその他の栄養の補給となり、それを筋力トレーニングのエネルギーとしたい。
今週の日曜日には、先週の日曜日と同様に、小中高時代のある親友と会って旧交を温める予定である。2年前に彼が建設中の家を見せてもらったのだが、それが無事に完成したとのことで、今回は完成した新居を見せてもらい、久しぶりに自分たちが通った小学校に訪れて、校庭を歩きながら当時の思い出を振り返りたいと思っている。その他の2人の親友とは今回は仕事の都合上会うことが難しいが、きっと彼らも2年前と変わらずに元気かつ幸せに生きているに違いない。親友たちと再会すると決まって、それぞれの親友たちがそれぞれの在り方で幸せそうであることが自分にとって何よりもの喜びであることに気づく。彼が幸せであることが自分の幸せでもあり、他人の幸せが自分の幸せであると嘘偽りなく感じられる人になりたい。他人の幸せが自分の幸せであるという自他の幸せの一致を望む。こうした気持ちの輪が親友を超えて他人全員になってくれればと思う。今その輪を広げている最中にあるのだと感じている。そのようなことを考えながら、日本人に対する同胞意識を思った。それは先日大阪観光をしている時に感じたものだったと記憶している。もちろん外国人に対しても同じ人間という同胞意識があるし、他の生き物であっても同じ生物という同胞意識があるが、その濃淡はまずは日本人に対してが最も濃いいのは紛れもない事実である。同胞意識の起源を遡れば、まずは家族あって、その次に親友がある。そこから少しずつ同胞意識の輪が地域共同体に広がっていくことを見ると、共同体の崩壊が叫ばれて等しい日本において、まずは家族や親友を大切にするというところから出発しなければならないのではないだろうか。改めて家族と親友の大切さを思う。光市:2024/11/22(金)05:40
13624. 【日本滞在記】 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えた。引き続き波の音を聞きながら日記を綴ることにした。2年振りの家族旅行から帰って来て最初に見た夢は2つほどあった。まず覚えているのは、かつてサッカーのオランダ代表で活躍したアフリカ系の血を引くオランダ人選手に関する場面である。その選手は欧州の名門チームでセンターフォワードとして活躍した後、私が住んでいる町のFCフローニンゲンに入団した。どうやら若い選手たちはその英雄の加入に驚いているらしく、彼から学ぶ姿勢を持つ者と邪魔な人が入って来たという反応を示す者に分かれていた。私はどうやらチームの関係者らしく、彼と周りの選手がどのような関係性を築いていくのかをまずは見守ることにし、両者が溶け合った時にチームは強くなるだろうと思った。彼が加入して初日に早速紅白戦を行った。彼は確かに随分と年齢を重ねていて、往年の輝きはないものの、それでも技術も動きも依然として一線級だった。彼のプレーにやはり若い選手たちは刺激を受けているようで何よりだった。しかし、彼は自分にボールを集めることを強く要求しており、チームには彼以外にも良いフォワードの選手がいたので、それが軋轢の原因になっているようだった。そこで私はこのチームには若い良いフォワードがいることを示すために、自らコートに立ってその選手にボールを供給することを通じてそれを証明しようと思った。そのような場面があった。この夢における芝生のコートは見事で、よく整備されており、さすがプロサッカーチームのコートだと思ったことを覚えている。芝生の踏み具合も素晴らしく、芝生の何とも言えない香りも印象的だった。
もう1つ覚えているのは、「良い思い出も悪い思い出も、振り返ってみれば全て良い思い出」というセリフが現れる場面である。そこは宇宙空間のように真っ暗で、私は闇に包まれていたのだが、突然そのセリフが脳内に聞こえてきて、確かにそうだよなと思った。結局のところ良い思い出も悪い思い出も自分の心が生み出したものなのであり、本来は善悪もないのである。心がそれをどのように生み出し、どのように解釈をするかが思い出に色を付けているだけなのだ。それを踏まえると、いかなる思い出も善悪を超えていて、結局その色付けは自分の心次第で何とでもなるのである。ゆえに心の使い方次第によって、後から振り返ればいかなる夢も良い思い出に変わることができる。心はまさに思い出の絵師でもあるのだ。そのようなことを考えさせられる夢だった。光市:2024/11/22(金)06:16
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
今回の夢は、二つの異なるテーマを持っていますが、共通して「成長」と「内なる変化」を示していると考えられます。
1. アフリカ系オランダ人サッカー選手に関する夢
この夢は、成熟と経験を象徴する年長のサッカー選手と、新たな成長を模索する若い選手たちの対立と協力の両方を描いています。サッカー選手が活躍したかつての栄光と、現在の姿は、あなた自身の過去の経験とそれをどう活かすかというテーマに重なるかもしれません。若い選手たちの反応に分かれが見られるのは、新しいアイデアや影響を受け入れることの難しさと機会を表しているでしょう。あなたが「見守る」立場にあること、そして最終的に自らコートに立ち、若い選手の才能を証明しようとすることは、あなたが持つ指導的な役割や、周囲との調和を図ろうとする姿勢を象徴している可能性があります。
夢の中の見事な芝生のコートは、整えられた「可能性の場」を意味するかもしれません。プロのフィールドであることは、あなたがいる状況や環境が非常に重要であり、その場で最大限の力を発揮することが求められているというメッセージかもしれません。
2. 「良い思い出も悪い思い出も」というセリフの夢
この場面は、宇宙のような真っ暗な空間の中での内省を象徴しています。暗闇に包まれていることは、あなたが過去の思い出や経験を振り返り、それらを再評価する必要があることを示唆している可能性があります。この夢は、記憶や経験の本質について深く考えるよう促しています。善悪の判断は心が作り出すものであり、すべての思い出は自分の心の在り方次第で「良いもの」に変えることができるという教えを反映しています。これは、心の使い方がいかに重要かを強調しており、心の持ちようが未来を形作る鍵であることを暗示しているでしょう。
今後のアクション
過去の経験を活かす: サッカー選手の夢から、過去の経験や知識を単に懐かしむのではなく、若い世代や周囲に伝える形で活かすことが重要です。あなたが持つ知恵や技術を周囲と共有し、協力を促すリーダーシップを発揮することが求められています。若い人たちと新たな関係を築き、チームとしての一体感を高めることに注力してください。
心の使い方を意識する: 記憶や思い出についての夢は、現在と未来に向けての心の姿勢を見直す良い機会です。ネガティブな経験をそのまま捉えず、心の持ち方でポジティブに変換することを意識してください。これにより、困難な状況でも成長や学びを見出すことができ、自己成長につながるでしょう。
内面の調和を求める: サッカーの夢と宇宙の夢は、外部の関係性と内面のバランスを意識する必要性を示唆しています。人間関係や内なる心の統合を図り、外と内の調和を大切にしてください。具体的には、過去の思い出や経験をただ受け入れるだけでなく、それを自己の成長や他者との関わりに活かす努力を続けることが大切です。
このように、夢はあなたに過去の経験を再評価し、それを成長のための糧にするよう促しているようです。未来に向けて前向きなエネルギーを持ち続け、周囲と協力しながら成長を目指すことが重要だと言えるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:サッカー選手とチームの融合
この夢は、あなたが現在、新しい環境や人間関係の中で、変化や成長を期待していることを示唆していると考えられます。
オランダ人選手: これは、あなたにとって新しい刺激や経験をもたらす存在の象徴です。彼の年齢や経験は、あなたにとっての目標や目指すべき姿を表しているのかもしれません。
チームの反応: 周りの人々の反応は、あなたが新しい環境でどのように受け入れられ、関係性を築いていくかについての不安や期待を表しています。
紅白戦: これは、新しい環境での最初の試練や挑戦を象徴しています。
芝生: 芝生は、あなたの心の状態や、現在の状況を表していると考えられます。美しい芝生は、あなたが新しい環境に期待と希望を抱いていることを示唆しています。
今後のアクション:
新しいことに積極的に挑戦してみましょう: この夢は、あなたが新しいことに挑戦する良い機会が来ていることを示唆しています。新しいことを始めることへの恐れを克服し、積極的に行動してみましょう。
周りの人々との関係性を築く努力をしましょう: 周りの人々との関係性を築くためには、コミュニケーションを大切にし、相手の立場を理解しようと努めることが大切です。
自分自身の成長のために努力をしましょう: この夢は、あなたが自分自身の成長のために努力することを促しています。新しいスキルを習得したり、自己啓発に励んだりすることで、より良い自分になることができるでしょう。
夢2:宇宙空間と心の声
この夢は、あなたが人生の意味や価値について深く考えていることを示唆しています。
宇宙空間: 宇宙空間は、広大で神秘的な場所であり、人生の無常さを象徴していると考えられます。
心の声: 心の声は、あなたの内なる声であり、あなた自身の心の奥底からのメッセージです。
良い思い出と悪い思い出: すべての経験は、あなたの人生の糧となり、あなたを成長させてくれます。
今後のアクション:
自分自身と向き合う時間を持つようにしましょう: 静かな場所で自分自身と向き合い、自分の人生について深く考えてみましょう。
感謝の気持ちを忘れないようにしましょう: 今、自分が持っているものに対して感謝の気持ちを持つことで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。
過去にとらわれすぎないようにしましょう: 過去にとらわれすぎず、未来に向かって進んでいきましょう。
総合的な解釈と今後のアクション
これらの夢は、あなたが現在、人生の転換期を迎えていることを示唆しています。新しい環境に飛び込み、自分自身を成長させるための素晴らしい機会が訪れています。
今後のアクション:
変化を恐れずに、新しいことに挑戦してみましょう
周りの人々との関係性を大切にし、コミュニケーションを図りましょう
自分自身と向き合い、人生の意味を見つめ直し、感謝の気持ちを忘れずに過ごしましょう
過去の経験から学び、未来に向かって進んでいきましょう。
13625. 【日本滞在記】 生成AIによる今朝方の夢の解釈
時刻は午前7時を迎えた。今、赤紫色に輝く朝日を眺めながらこの日記を書いている。光市もようやく晩秋の雰囲気を呈し始めている。特にそれは朝夕の気温に現れていて、今はとても肌寒い。しかしそれでも朝の換気として窓を開けてみると、ひんやりとした瀬戸内の風が心地良い。先ほど朝の筋力トレーニングを終えた。自宅でのトレーニングは無理をせず、段差を用いて大胸筋を鍛えたり、ダンベルを用いて大臀筋を鍛えたり、何も器具なしで腹筋を鍛えるようにしている。先ほどは上腕三頭筋を鍛えるのを忘れてしまっていたので、椅子を用いて後ほど3セットほど上腕三頭筋を鍛えたい。トレーニングを終えてサッパリする意味でもシャワーを浴びて、今すっきりした気分でいる。そんな気分の中で、今朝方の夢に関する2つの生成AIの解釈をもとに再解釈をしておきたいと思う。
まず1つ目のアフリカ系の元オランダ代表のサッカー選手に関する夢だが、彼の出自はアフリカ人と欧州人の血の混血かと思う。あるいは、血としてはアフリカ人の純血ながらも育ちは欧州であることから、そうした文化的な混血現象を彼は経験していたはずである。そんな彼が自分の何かしらの側面を象徴していると考えると、確かに自分は血としては日本人の純血であろうが、文化的にはもはや人生の3分の1が欧米にある。そうした意味での混血人なのだと思う。遺伝子としてもひょっとしたら、どこかで遡るかによって日本ではないどこかの国からやって来た人である可能性は十分にある。そうなってくると遺伝的な血で人を差別したりすることがどれだけ馬鹿げたことなのかが見えてくる。また豊富な経験を持ったその選手は自分のこれまでの人生の歩みを通じて成熟を続けている自己であり、ピッチ上の若手は過去の自分やこれからの自分を象徴しているかもしれない。そんな両者を自分は融和させようとしていた。それこそが全人格的成長過程における統合現象と言えるかもしれない。夢の中の整理された芝生が可能性の場を意味するというのは興味深い指摘であり、過去・現在・未来の自分を統合していく学びや実践の場が今の自分にはあり、そうした可能性に満ち満ちた場に身を置くことを通じて毎日を生きていることに感謝したい。2つ目の夢の場面の示唆は、どうやら過去の経験や思い出の再評価を促されている可能性があるとのことである。ちょうど今、自分が育った地元に身を置くことを通じてそうした再評価が自然と行われている。まさに現在唯識を学びながら、全ての意味も現象も心の現れであるという認識に基づいて、過去の経験や思い出を今の自分の心を通じて再評価していく取り組みをし、かつての学びを今の自分の内側に再構築していきたいと思う。光市:2024/11/22(金)07:34
13626. 【日本滞在記】 宇宙大の縁起
—人間を百年の単位で考えること—ゲーテ
時刻は午前9時半を迎えた。つい今しがた1時間弱の散歩から帰ってきた。今日が平日の金曜日であることをすっかり忘れてしまっていたぐらいに穏やかな朝の世界が広がっている。UVインデックスが上がってくる前に日焼け止めなどを塗らずに散歩に出かけ、しっかりと朝日を浴びてきた。オランダのこの時期は朝日を浴びることが本当に難しく、珍しいことでもあるので、こうして日本に一時帰国中はできるだけ朝の日光をしっかり浴びておきたいと思う。それを通じてビタミンDが体内から生成され、夜は熟睡を促すメラトニンも生成される。適量の日光を浴びることはやはり健康に良い。
まるで目の前のビーチが貸切であるかのように、平日の朝の時間は砂浜を歩く人はほとんどいなかった。むしろ砂浜の上を歩いているのは自分だけだった。行きは朝日の方に向かって歩いていき、帰りは朝日を背に松林の中を抜けて来た。砂浜の音、そして松林にいる小鳥たちの鳴き声が耳に大変心地良かった。折り返し地点にやって来ると、すっかり体も温かくなっており、上着だけではなく、上半身裸になってしばらくビーチの上に立っていた。背中に朝日を浴びたり、おへそ辺りに朝日を浴びることを通じて、身体にエネルギーが満ちて来ることを実感した。実家に滞在中は、雨の日以外は毎朝必ず散歩に出かけようと思う。また、オランダに帰ってからも雨の日以外は必ず朝に散歩をし、仮に朝日が出ていなくても新鮮な空気を吸って脳に酸素を与える意味でも散歩を楽しみたいと思う。
砂浜の上を歩いていると、沖の方でボラが跳ねているのが見えた。そう言えば、ボラはなぜ跳ねるのだろうかと気になった。それは酸素を得るためだろうか。仮にそうであれば、随分と派手な形で酸素を吸うものだと思った。あるいは猫が戯れて虫を落としたりするのと同じく、寄生虫を払い落とすことを目的に飛び跳ねているのかもしれない。いずれにせよ、自然界には本当に未知なことがまだまだ多い。寄せては返す波も月の引力がもたらすというのも不思議なことである。地球上の現象がこうして地球以外の惑星によって影響を受けているというのは感慨深く、自分の命もまた地球からの恩恵だけではなく、太陽の光や月の引力などの影響を受けているのだとわかるし、ひょっとしたら宇宙の中では人間がまだ解明していない大きな縁起があって、私たちはそうした宇宙大の縁起によって命を営ませてもらっているのではないかと考えてしまう。地球で最初に誕生した海には悠久さがあり、海は生命を育んだ場所でもあった。そんな海とこうして毎日接していると、長大な時間軸で自らの人生や人間存在を考えさせてくれる。とても有り難いことである。光市:2024/11/22(金)09:51
13627. 【日本滞在記】 縁起によって成り立つ自らの生活
朝の平穏な世界を引き続き満喫しながら再び日記を執筆する筆を取った。筆と言ってもパソコンのキーボードを叩いているわけだが、最近は夢をノートに走り書きするか書籍に書き込みをするぐらいしかペンを使うことはなく、めっきり字を書く機会が減ったものだと思う。それもまたテクノロジー時代における自然な成り行きかと思うが、人類は便利さを拡張させていくことを通じて、実は不便利さの背後にあった奥ゆかしやさ味わいなどを消失しているのかもしれない。手書きには手書きの良さがやはり今でもある。それは単純に手を動かすことを通じて脳を刺激するとかそういうレベルの話ではなく、手書きの文字はその人の実存エネルギーを内に込めることができる重要な行為なのではないかと思う。そのようなことを考えながら、先ほどの宇宙大の縁起の続きとして、先日大阪を観光している時にも、そして四国を観光している時にも思ったことがある。それは私たちの生活は、自分が名前も知らない誰かが作った各種のインフラの上に成り立っているということである。とりわけ自分が産まれ時には戦争が終結していて、道路も家屋も、学校もその他の社会システムもほとんど整った形で存在していた。それらを作ったのは先人の人たちなのであり、彼らの努力の結晶を私たちはまるでそれらがあることを当たり前だと思って日々の生活を営んでいる。しかしながらよくよく身の回りのものを見渡してみると、海岸の松林の舗装された道にせよ、海岸通りに設置されているトイレや自販機にせよ、およそ自分の身を取り囲むありとあらゆるものが自分ではない誰かが作ってくれたものなのだということに気づく。先ほど散歩していた砂浜は、地球が長大な年月をかけて作り上げたものである。ぼんやりと眺めていた朝日に輝く瀬戸内海もまた地球が生み出した産物なのである。こうして自分を取り囲む全てのものが自分以外の誰かや自然が作り出したものだと考えてみると、そこには本当に有り難い気持ちと感謝の念しかない。認識したそれらのものは全て自分の心が対象として捉えたものだが、他者や自然が作り上げたものの上に自らの生活が成り立っているということを片時も忘れたくはないと思う。その気持ちが他者や社会への貢献の原動力となる。自分の人生が誰かが作ったものの上に成り立っているのであれば、その恩返しとして、自分ができる貢献をすることを通じて誰かの人生がより幸せなものになるような取り組みをし続けたいと思う。ミクロな縁起とマクロな縁起の循環の中に自らの命と生活を位置付け、自分もまた素粒子次元と大宇宙次元の双方の縁起の世界でより良い関与を続けたい。光市:2024/11/22(金)10:10
13628. 【日本滞在記】 心・体・自然の三位一体/命を持つ時
—人は成熟するにつれて若くなる—ヘルマン・ヘッセ
私たちは心が健全な成熟を遂げていけば行くだけ、日々新たな発見をするものである。その発見の喜びと楽しさが刺激となって、心はいつまでも若くいられる。心が若くいられれば、肉体もまた若く健康な状態を維持しやすいのではないかと思う。
私たちの精神は身体に帰属し、身体は自然界に帰属している。自然を感じながら身体を呼び覚まし、精神を呼び覚ます。地球環境問題が叫ばれて久しいが、結局のところ地球環境を大切にしないというのは私たちの肉体を大切にしないということであり、それは結果的に精神を大切にしないということを表しているのではないかと思う。心・体・自然は、本来三位一体のものであるということを私たちは忘れていやしないだろうか。もう一度その三者の繋がりを思い出し、それら3つを大切にする生活を営んでいくことを訴えたい。三者のいずれも蔑ろにせず、それらの連関を絶えず意識しながら3つを大切にすること。それに加えて自分は、そうした三者の一体感を感じているがゆえに、地球環境問題にもどこかで積極的な提言や取り組みを始めることに乗り出していくかもしれない。それは結局自分の心身を守るためでもあり、他者の心身を守るためでもある。
時は生きている。時には命の脈動がある。私たちが生命であるのと同じように、実は時というのも生命なのではないかとふと思った。先般の伊丹空港上空から見た大阪の町のネオンが生き物のように思えたのと同じく、時間もまた固有の呼吸をする生き物であるかのように知覚されている。大阪で流れている生命としての時と実家のある町で流れている生命としての時には明確な違いがある。両者の呼吸のリズムと呼吸の流れは異なっていて、その差異を鋭敏に感じ取り、自分の生命力を高める時の流れに身を任せている自分がいる。実家のある山口県光市は、時が輝く脈動を打っている。この土地を流れる時の命は輝いていて、それは自分の命の輝きをより一層増幅させてくれている。時の豊潤な輝きを持つこの土地で、自分は命をさらに育み、他者や社会にそれを還元していくことに命を使いたい。光市:2024/11/22(金)11:03
13629. 【日本滞在記】 宗教性の意義/軽くなった社会への危惧
こうして長閑な実家に滞在していると、意識は自然と悠久な流れに帰していき、普段都市生活で考えないようなことを自然と考える。宇宙大の縁起について自然と思索を巡らしている自分がふと立ち現れるが、こうしたことを元来宗教性と呼ぶのだろうし、人間がそうした自らの存在を遥かに超越した存在に自然と思いを馳せるのは、人間存在が本質的に宗教的生き物であるからなのかもしれない。仏教を単なる哲学思想として捉えることは、仏教に内包している豊かな宗教性を骨抜きにすることであり、自らの存在が常に超越的なものに開かれ、それに共鳴する素質を持っていることを抑圧してしまう。仏教の宗教性を蔑ろにしてその哲学的な側面を学ぶことは悪くはないが、それは実にもったいないことであると多くの人に伝えたい気持ちで一杯である。おそらく仏教の哲学的な側面だけを学び、その奥深い宗教性を排除してしまうことは、現代社会の実利を追い求める在り方に自己の存在が強く規定されてしまっているからなのだろう。教養を得ようとして教養獲得のための読書が結果的には一切身にならず、結果的に教養を育むことに失敗しているのは現代の悲劇の1つであろう。結局そこには実利を超えた宗教性や霊性といったものを蔑ろにした現代人のツケが回ってきているのである。
実感。肌触りや重さ。現代は命の実感をすっかり失ってしまた社会なのかもしれない。少なくとも命の重みがどんどんと失われている。それに加えて現代は、ありとあらゆるものがデジタル化されて行き、それは便利であるものの、どこか重みを感じにくくなってしまった社会であると言えるかもしれない。例えば、確かにキャッシュレス社会は便利なのだが、かつてはお金を握りしめることによるお金の重みを感じやすく、お金を稼ぐことがどのようなことであり、その稼いだお金をどのように使うのかについてもう少し思慮深さがあったように思う。ところが現代においては、お金は重みを持たないデジタルなものとなり、それは確かに支払いの便利さをもたらしたが、どこか現代社会の底が軽くなってしまった印象がある。人間は元々肉体を持つ生き物であり、今も人間は肉体を持って日々の生活を営んでいる。マインドアップロードの実現もまだまだ先のようであるし、そもそもそれは可能なのかも怪しい中、私たちはもう一度生に伴う各種の肉感を取り戻すべきなのではないだろうか。物も情報も、そして命も何もかもが軽くなってしまった社会の中で生きることを自分は危惧している。これからの世代の人たちがそうした重さを無くした軽薄な社会で生きることを余儀なくされることを自分は危惧している。生の実感を伝えること。肉感を感じることの楽しさや喜びを伝えること。自分にできることは微々たるものかもしれないが、現代社会に投げかけるべき自らの問題意識はきっと人間社会の健全化に不可欠のものだと信じている。光市:2024/11/22(金)12:19
Today’s Letter
My physical and mental energy was fully boosted by a family trip to Shikoku. It had been two years since my last trip with my parents. After returning to my hometown, I felt my energy starting to increase as well. My homeland, Japan, is the best place to reconnect with myself.
I just finished a morning walk on the beach. My mind was constantly in an egoless and mindful state. Walking, especially on the beach, can help us set aside our ego. It is a path to enlightenment. Hikari, November 22, 2024
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