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タイトル一覧
13592: 【日本滞在記】優しい人
13593: 【日本滞在記】唯識の修行論/贈り物としての睡眠
13594: 【日本滞在記】今朝方の夢
13595: 【日本滞在記】今朝方の夢の続き
13596: 【日本滞在記】外国人観光客の多さに驚いて
13597: 【日本滞在記】第106回のクラスを振り返って
13598: 【日本滞在記】20年の時を経た天然水/降りること
13599: 【日本滞在記】発達段階ごとの傾聴/発達段階の見立て
13600: 【日本滞在記】生成AIによる今朝方の夢の解釈
13592. 【日本滞在記】優しい人
時刻は午前5時半を迎えた。今、夜明け前の大阪湾を眺めている。対岸の街なのか倉庫地帯なのかには灯りが灯っていて、それがまるで蛍の光であるかのように知覚される。人工物の光と自然物の光の融合をどこかで感じながら、朝の換気のために窓を開けると、ビーチ近くにいる虫の音が聞こえてきて、とても癒される。小鳥たちの鳴き声と同じく、虫たちの鳴き声もまた自分の心を癒してくれるには十分である。こうして自分は、日常の何気ない様々なところに幸せを見出していく。多くの人にもぜひ日常の何の変哲もないところに潜んでいる幸せを発見し、それを味わってほしいと思う。何かそのお手伝いができないだろうか。日本に一時帰国して以降、自分の中でますます優しさへの関心が高まる。2年前までの自分は依然として日本を観察する者としてこの国に旅行に来ていたし、そこではどこか観察者として身構える自分が心の深層にあったように思う。それが今となってはそうした身構えが溶解し、とても自然体でありながら、できるだけ多くの人に優しくしようという気持ちで溢れている。この変化をもたらしたのは、昨年秋から今年の夏にかけて集中的に行ったシロシビン・セッションのおかげでもあるだろう。要因としてそれが真っ先に思いついた。シロシビン・セッションの卒業間近のセッションで、「優しい人でありたい」という自分の願いが吐露される瞬間があった。そこから優しさに関して祖父母の世代まで遡りながら、自分の優しさの根源にあるものが何であり、それをどのように涵養していくべきなのかの方向性を見出していた。日本に滞在中は引き続き、自身の優しさについて探究し、至る所で優しさを発揮する実践を積んでいきたいと思う。それは大袈裟なものである必要は全くなく、むしろちょっとした優しい言動で十分である。功徳を積むということを別に意識しているわけではなく、自己の本質にどうやら優しさというものがあるらしいことに気づいたのは、この1年間の最大の収穫だったと言えるだろうし、それを今智慧や慈悲の次元まで昇華したいと思っている自分がいる。今回の一時帰国はそこに向かうためのステップを踏む最良の機会である。
そう言えば、昨日は街中で優しい人たちに出会った。昨日最初に訪れようと持っていた小林美術館の位置が携帯の地図では不鮮明で、少し迷っていたところ、道端にいた自分よりも少し若そうな男性に尋ねたところ、親切にも正しい方向を教えてくれた。しかも念のために自分の携帯を開いて、地図のアプリで小林美術館を検索してくれ、正しい方角を教えてくれたのである。その人だけではなく、小林美術館から中之島美術館に向かった際にも、同様にどの建物が中之島美術館なのかわからず、土佐堀川の交差点にいたこの辺りで働いている雰囲気を発していたビジネスマンに尋ねたところ、その方も親切に美術館の場所を教えてくれた。実際に彼が教えてくれたのは中之島香雪美術館の方だったのだが、結果的にこの美術館に足を運べて良かったと思っている。当初はこちらの美術館に行く予定はなく、そもそも存在を知らなかったので、道端での偶然の出会いが導いてくれた形となった。いずれにせよ、人々の優しさに触れながら、自身の優しさを育んでいき、優しさを出し惜しみしない人間に近づいていきたいと思う。大阪:2024/11/16(土)05:44
13593. 【日本滞在記】唯識の修行論/贈り物としての睡眠
関空近くのホテルでの滞在もあと少しであり、今日の午前中にチェックアウトをする。いよいよ今日から実家への2週間ほどの滞在となる。実家に滞在している時には、両親と四国へ旅行することになっている。両親と四国にかつて旅行したのは10歳かそこらの時だったと思うので、久しぶりの四国への家族旅行が今から楽しみである。父がエクセルファイルに3日間の詳細な旅程を組んでくれており、すでにそのエクセルファイルをもらって、旅への想いを馳せている。午前中のチェックアウト前には第106回のゼミナールのクラスを行う。こうして一時帰国中も普段と変わらずにゼミナールを行うことができてとても幸せである。ゼミナールは自らの探究の最良のペースメーカーになっている。新調したパソコンにはまだZoomがダウンロードされていないのでこの日記を書いたらダウンロードを済ませておこう。今日のクラスのトピックは、「修行の五段階」ということで、いよいよ唯識の修行論に入る。唯識思想では、まずは修行の段階、すなわち心の発達段階を5つに分け、そこからそれらをさらに細分化して、合計41もの段階を説く。そしてそれぞれの段階が修めるべき修行を提示する。こうしたところに唯識の実践性を見るし、発達心理学との繋がりを見出すことができる。自分がこれまで長らく発達心理学の探究をしていたことは、やはり唯識に導かれていくための必然の歩みだったかのように思う。
今日の体調は昨日よりもさらに良く、ほぼ完全に時差ボケが解消されたかのようである。昨夜は、オランダでの就寝時間とほぼ同じぐらいの時間に就寝した。実際のところは午後9時半の就寝で、オランダにいる時よりも30分ほど遅いのだが、それでも今日は熟睡できた。熟睡の合間に見ていた夢についてはまた後ほど振り返る。改めて睡眠が持つ回復機能に注目し、しっかりと睡眠を取ることの大切さを思う。今回の一時帰国に際して時差ボケを前回よりも速やかに解消できたのは、やはりフランクフルトに到着してからの過ごし方が良かったのだと思う。フランクフルト空港に到着してからは、ラウンジで現地の日本時間に合わせた形で過ごしていた。端的にはとにかく休むことを意識し、パソコンを開くことは一切なく、とにかく仮眠を取っていた。そこでは熟睡できるかどうかは問題ではなく、とにかく目を閉じて脳を休めることを大切にしていた。パソコンの喩えで言えば、パソコンをシャットダウンするかのように熟睡する必要はなく、スリープモードでいつでも立ち上げられる状態であるかのように目を閉じておくだけで十分だった。成田に向かう13時間ほどの機内では、1時間半弱ほど仮眠を取ることにとどめていた。それはちょうど昼前の時間に該当する頃に行った仮眠で、その仮眠で十分に疲れが取れ、日本到着の時には疲労をさほど感じず、それでいてその夜はきちんと睡眠が取れた。今後も睡眠についてはその大切さを噛み締めながら、各種の考察と実験をしていきたいものである。睡眠は、創造主が与えた心身の治癒と変容を司る大切な贈り物なのだから。大阪:2024/11/16(土)05:59
13594. 【日本滞在記】今朝方の夢
午前6時を迎え、辺りが随分と明るくなってきた。そのおかげで大阪湾の全貌が見え始めた。今日は午前8時半からゼミナールのクラスがあるので、この2日間よりも早めの朝食を摂りたい。クラスを終えたら速やかにチェックアウトをしたいので、昨夜の段階で荷造りの大半を終えていた。朝食後に最後の荷造りをして、出発できる格好で過ごすことにし、クラスを終えたらパソコンをしまうだけの状態にしておきたいと思う。
それではここから今朝方の夢について振り返りたい。夢の中で私は、東京の23区のどこか落ち着いた雰囲気の場所にいた。そこで自分よりも幾分若い女子アナの方と話をしていた。話をしていたのはカフェでも道端でもなく、街の情景を眺めながら自分はまるでその街の上空にいるかのような形で彼女と話をしていたのである。彼女はとても気さくで話しやすかったが、最近まで入院をしていたとのことだった。彼女曰く、昨年の元旦に元彼氏に公共の電波を用いて酷いことを言われ、それが原因で別れたらしかった。その時に負った心の傷はかなり深いものだったそうで、それが原因で心身を壊して入院をしていたそうだった。彼女は今でこそ笑顔でその話をし、素敵な笑顔を浮かべていたが、当時の入院中の写真を見せてくれて驚いた。というのも、まるで別人かであるかのように顔と足がむくんだ彼女がそこに写っていたのである。彼女曰く、あえてその時の辛い状況を写真に収めておくことで、ここからの回復に向けて自分を励まし、晴れて回復した時にはそのようなこともあったなと良い思い出として振り返るためにその写真を撮ることにしたとのことだった。そこに彼女の精神的な強さを見た。彼女は彼氏との破局から十分に立ち直っているかのように思えたが、どこかまだ心の傷が完全に癒やされていないような気がした。なので私は彼女にできるだけ優しく接するようにし、ちょうど近々隅田川かどこかで盛大な花火大会があるらしかったので、彼女を誘って、見事な花火を見ながら心をより治癒することができるのではないかと思った。花火大会のお誘いをする前に、彼女は入院からの復帰第一弾の仕事として、神奈川の政治問題について扱ったらしく、それが高い評価を受けて、今では政治分野に関する報道の重要なアナウンサーとして活躍することになったそうだった。
夢の中に女子アナが登場することは未だかつてあっただろうか。一度ぐらいはあったかもしれないが、極めて珍しいことである。こうした珍しい現象を生んでいるのは、やはり今自分が日本にいるからだろうか。オランダにいる時にも日本の友人たちや社会人時代の人たちが夢に登場することは頻繁にあるが、やはり日本にいると、それが新しい感覚の呼び水となって、普段オランダで見ない登場人物たちと夢の世界で出会うことにつながっているのかも知れない。注目するべきは、この夢の中でも優しさを他者に降り注ごうとしていることだ。深層意識の次元においても、自分はどうやら優しさを困っている他者に対して自然ともたらすことができ始めているようだ。深層意識の次元から自らの優しさをさらに育んでいくことがこれからますます進展してくれればと思う。大阪:2024/11/16(土)06:20
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
1. 女子アナとの対話と回復の物語
夢に登場した女子アナは、困難から立ち直る強さと回復の象徴です。彼女が自身の苦しみを写真に残し、それを成長の糧とした点は、困難な状況を乗り越えるための自己励ましの力を示しているでしょう。彼女の姿勢からは、自分の過去を肯定的に捉え、未来への希望を持つことの重要性が感じられます。これは、あなた自身が過去の経験を受け入れ、成長する姿勢を育んでいることを反映しているのかもしれません。
2. 優しさと癒しの象徴としての花火
あなたが彼女を花火大会に誘いたいと考えたことは、癒しと楽しみを共有する意図の現れです。花火は一瞬の美しさと、儚さを象徴するものです。それは、過去の痛みを和らげ、新しい始まりを祝うための象徴的な行為と捉えられるでしょう。あなたが他者の心の傷に寄り添い、自然と優しさを示すことが、夢の中で表現されています。
3. 日本滞在と深層意識の変化
夢の中で日本的なシーンが描かれたことは、あなたが現在日本にいる影響かもしれません。日本という場所が、新たな視点や感覚をもたらし、普段とは異なる登場人物を夢の中で引き寄せている可能性があります。これは、あなたの深層意識が現実の状況や場所とリンクして、特定のテーマや人物を象徴的に表現している兆候と言えるでしょう。
4. 深層意識の優しさの育み
この夢では、困難を乗り越えようとする人物に対して、自然に優しさを注ぐあなた自身の姿が描かれています。これは、あなたの深層意識が、他者への共感と優しさを育んでいることを示しているように思えます。今後もこの優しさを大切にし、さらに広げていくことで、周囲の人々との関係や自身の成長に良い影響を与えることができるでしょう。
今後のアクション
優しさを日常で表現する: 夢で示されたような優しさを、現実の生活でも意識的に他者に示すことで、さらに深層意識のレベルでの成長を促進できます。困難な状況にいる人に寄り添うことで、自分自身もまた成長する機会を得るでしょう。
困難を記録し、前進する意志を持つ: 夢の中の女子アナのように、困難な状況を記録し、それを励ましの道具として用いることも良いでしょう。日記やメモを使って、過去の困難を振り返りつつ、それがどのように自己成長に役立ったかを意識すると良いです。
新たな経験を楽しむ: 花火大会のように、一瞬の美しさを楽しむことが、心の癒しやリフレッシュにつながるかもしれません。今の日本滞在を楽しみながら、新しい体験を積極的に取り入れてください。
この夢は、あなたの深層意識が成長と癒しのメッセージを伝えているように感じます。困難を乗り越える力と他者への優しさが、今後のさらなる成長のカギとなるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
女子アナとの出会い: 女子アナは、社会的な成功や華やかなイメージの象徴かもしれません。夢の中で女子アナと話すことは、あなたが内なる自分、特に女性性の側面と対話していることを示唆している可能性があります。
病気からの回復: 女子アナが病気から回復したという話は、あなたが過去の心の傷やトラウマから回復しようとしている、あるいはすでに回復していることを暗示していると考えられます。
花火大会の誘い: 花火大会は、喜びや解放、新しい始まりを象徴します。あなたが女子アナを花火大会に誘おうとしたことは、彼女(そしてあなた自身)の心の傷が癒え、新しい人生が始まることを願っている心の表れと言えるでしょう。
優しさ: 夢の中であなたが他者に優しくしようとしていることは、あなたの心の温かさと共感性を示しています。これは、あなたの人格の素晴らしい側面の一つです。
夢から得られる教訓と今後のアクション
自己肯定感の向上: 女子アナの回復物語は、あなたがどんな困難な状況からも立ち直ることができるという自信を与えてくれているのかもしれません。過去の経験を糧に、自己肯定感を高めていきましょう。
心の傷の癒やし: 夢の中で女子アナの心の傷がまだ完全に癒えていないように感じたことは、あなた自身もまだ癒やされていない心の傷を抱えている可能性を示唆しているかもしれません。瞑想、ヨガ、カウンセリングなど、自分に合った心のケアの方法を探してみてください。
人間関係の大切さ: 夢の中の女子アナとの交流は、人間関係の重要性を教えてくれます。周囲の人々とのつながりを大切にし、お互いを支え合うことで、心の安定を得ることができます。
優しさを育む: 夢の中で現れたあなたの優しさは、あなたの心の宝です。今後もこの優しさを大切にし、周りの人々に笑顔と温かさを与えていきましょう。
今後のアクション
自己理解を深める: 夢日記をつけるなどして、自分の夢を記録し、分析することで、自己理解を深めていきましょう。
心のケア: 瞑想、ヨガ、アロマセラピーなど、リラックスできる方法を取り入れて、心身を癒やしましょう。
新しいことに挑戦: 花火大会の誘いのように、新しいことに挑戦することで、人生に彩りを加えてみましょう。
周囲の人々との交流: 周囲の人々とのコミュニケーションを大切にし、良好な人間関係を築きましょう。
夢は、私たちに多くのヒントを与えてくれます。 今回の夢をきっかけに、自分自身と向き合い、より豊かな人生を送ることができるよう、一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
補足:
日本とオランダの夢の違い: 日本にいる時とオランダにいる時で夢の内容が異なるのは、それぞれの環境や文化が夢に影響を与えている可能性があります。
深層意識の力: 夢は、私たちの深層意識が作り出すものです。深層意識の力を意識することで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。
13595. 【日本滞在記】今朝方の夢の続き
天気予報では今日は曇りとのことだったが、オランダいう曇りのように空全体が雲に覆われているわけではなく、ところどころ晴れ間が見える。この日記を書き終えたら、レストランに行って少し早めの朝食を摂りたい。土日は午前6時半からレストランが開いているとのことなので、ちょうど今日のように早朝からゼミナールのクラスなどの予定が入っている自分にとってとても有り難いことである。
先ほど今朝方の夢の最初のものを振り返っていたが、まだ覚えている夢が他にある。その1つとして、おそらく日本のどこか見慣れない夜の街にいたことである。その街の近くには化学工場があって、そこは工場街として栄えていた歴史がある。夜の街の通りでは娼婦が客を捕まえている光景が目に入った。それは肉眼で捉えていたのではなく、心眼で捉えていた。その街に娼婦街があることを事前に知っていたので、心の眼でそうした情景を捉えている自分がいた。ある中年の疲労困憊そうなサラリーマンの男性が1人の娼婦と密会をしている姿が脳裏に知覚された。そこで2人は肉体的な関係を持ったのだが、その娼婦には特別なマッサージの能力があるらしく、2人が再びホテルから夜の街に出てくる頃には、2人ともまるで生き返ったかのような若々しい表情を浮かべていた。どうやらその娼婦には、人の生命エネルギーを再活性させる能力があるらしく、マッサージを通じてその効果が相手にもたらされているようだった。注目に値したのは、マッサージされた側だけが癒しを得ていたのではなく、マッサージをした娼婦側も癒やされて元気になっていたことである。双方向で治癒が起きていた現象を興味深く眺めている自分がいた。
今朝方の夢で鮮明に覚えているのはこの夢と先ほど振り返った夢だけだが、ぼんやりとまだ他にも夢を見ていた感覚が残っている。そこではかつての旧友と話をしていたような気がするし、見知らぬ人と話をしていたような感覚もある。その旧友は小中高時代の友人だったか、それとも大学時代の友人だったかははっきりしない。いずれにせよ、そこでは楽しい会話の時間が過ぎていたことを覚えている。大阪:2024/11/16(土)06:38
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
1. 治癒と再生の象徴
この夢における娼婦とサラリーマンのエピソードは、「再生」と「治癒」のテーマを強く示唆しています。特に、双方向での癒しが起きた点が興味深いです。これは、エネルギーの循環や、与えることで自分自身も癒されるという考え方を象徴している可能性があります。あなたが夢の中でこの現象を冷静に観察していたことから、エネルギーのバランスや、他者との相互作用が持つ癒しの力に関心を持っていることが反映されていると考えられます。
2. 夜の街と心眼の使用
夢の中での「夜の街」は、潜在意識や心の深層に存在する未知の部分を象徴することがあります。また、心眼で状況を把握していたことは、あなたが物事の表面的な側面だけでなく、より深い真実や意味を探ろうとしている姿勢を示しているかもしれません。見えない部分や隠れた真実に対する洞察力を養おうとしていることが示唆されています。
3. 古い友人や見知らぬ人との会話
旧友や見知らぬ人との楽しい会話の場面は、過去の経験と現在の状況との調和や、さまざまな人々との交流が自分にとって重要であることを示しているように思えます。これは、過去の記憶やつながりが今のあなたにとって、どのように影響を与えているのかを考える機会を提供しているのかもしれません。
今後のアクション
エネルギーの循環を意識した人間関係の構築: 夢の中で見た双方向の癒しのように、あなたの人間関係においてもエネルギーの循環や相互作用を大切にすることが、自己成長につながるでしょう。誰かに手を差し伸べることで、自分自身も癒されることがあるため、他者との関係をより意識的に築いてみてください。
洞察力を高めるための瞑想や内省: 夢の中で心眼を使って物事を見ていたことを踏まえ、現実でも洞察力を高めるために瞑想や内省の時間を取り入れてみると良いかもしれません。見えない真実や、物事の深い意味を探るための感受性を養うことが、今後の成長につながるでしょう。
過去と現在の調和を意識する: 古い友人や見知らぬ人との会話が楽しかったことを思い出したのであれば、過去のつながりを大切にしながらも、新しい出会いや交流を楽しむことを意識すると良いでしょう。これにより、自分の経験と成長が統合され、新たな視点を得る機会が増えるでしょう。
この夢は、再生と癒し、エネルギーの相互作用、人間関係の重要性など、深層意識からのメッセージが込められているように感じます。それらを現実の行動に反映させることで、さらなる自己成長を目指してください。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢が娼婦の話題を含むものだったせいなのか、「私は大規模言語モデルとしてまだ学習中です。そちらについては、必要な情報や機能がないため、すみませんがお手伝いできません」という回答しか出てこなかった。
13596. 【日本滞在記】外国人観光客の多さに驚いて
時刻は正午を迎えた。先ほど無事に新幹線駅に到着した。今日は土曜日なのだが、あるいは土曜日だからか、観光客の姿を多く見かける。本当に外国人観光客が増えたものだなと驚く。2年前はまだコロナの影響があって外国人が日本に来にくい状況があったが、未曾有の円安を受けてなのか、国の外国人観光客の誘致戦略もあってなのか、とにかく外国人観光客を至る所で見る。成田空港に到着した時にも外国人の数の多さに驚いたし、伊丹空港に到着した際にも、そして関空近くのりんくうタウン駅近くのホテルに宿泊している際にも外国人の多さに驚いた。今日は午前8時半からゼミナールのクラスを行い、クラスを終えてすぐさまホテルの自室を出てチェックアウトをし、新大阪に向かった。りんくうタウン駅のエスカレーターで2人のアジア人風のカップルが電光掲示板を見上げていて何か困っているようだったので声を掛けた。すると、天下茶屋駅に行ってそこで乗り換えて違う駅に行き、そこのホテルに向かうところとのことで、天下茶屋駅に向かう列車のプラットホームを教えて欲しいと言われた。ちょうどそれは難波方面の同じ列車だったので、プラットホームでしばらくそのカップルと話をした。2人はマレーシア出身とのことで、父がかつてマレーシアに4年ほど単身赴任をしており、自分も何度かマレーシアに遊びに行ったことがあったので、マレー人にはとても好感を持ち、親しみが湧いた。2人はどうやらまずは東京観光を数日かけて行ったとのことで、今日はこれからホテルに荷物を置いたら京都を観光するとのことだった。そして自分と同じく奈良にも訪問予定とのことで話が盛り上がった。難波行きの列車が来てからも、難波前まで30分以上の時間があったのでずっと話をしていた。記念にということで、カップルの男性の提案で3人で車内で記念撮影をした。2人がこれから日本滞在を満喫して欲しいという気持ちを持って笑顔で天下茶屋駅で別れた。難波で乗り換えをし、かつて2年間住んでいた新大阪駅にやって来ると、プラットホームの感じが2年前とは違っていて新しくなっている感じがした。こうして気が付かないうちに大阪の町も色々と変化しているのであり、気が付かないところで日本中に様々な変化が起こっていることを思った。自分はそれらの細かい変化についていくことはおそらく求められておらず、大きな構造的変化でありながら、人々が気が付かないそれを観察することが求められているように思う。あるいは形骸化した構造の兆候が見えるものについて察知し、その変容に積極的に関与していくようなあり方が求められているのかも知れない。いずれにせよ、今後もますます海外生活が長くなるであろうから、逆にそれが日本の水面下で生じている構造変化を敏感に察知しやすくさせ、人々が気が付かない問題を指摘しながら、その問題の解決にあたっていければと思う。本日にて大都市を離れ、山口県光市の落ち着いた実家にしばらく滞在する。そこで瀬戸内海の穏やかな様子をぼんやりと眺めたり、打ち寄せては帰る波の音に耳を澄ませたりしながら、心身のエネルギーを充電したいと思う。新大阪駅にて:2024/11/16(土)12:22
13597. 【日本滞在記】第106回のクラスを振り返って
つい先ほど新大阪を出発し、徳山駅に向かう新幹線に乗車した。毎回の如く、旅の移動で疲れを溜めないように、移動の際にはできるだけ快適な空間に身を置くようにしている。20代半ばまではお金に余裕がなく、お金は全て海外留学を含めた学びに投資していたこともあり、優雅な旅の移動を実現させることは難しかったが、20代半ばを過ぎてお金にも余裕が出てくると、時間的なゆとりと空間的なゆとりを求めて移動にもお金を惜しまなくなった。例えば今乗車している新幹線もグリーン席と通常の指定席とではやはり雰囲気が違う。それでいて金額的にはさほど大きな差がないのである。海外においても一等席と二等席とではやはり雰囲気が異なり、これは別に差別意識でもないが、やはりそれぞれに乗車している人とでは雰囲気が異なる。一概に全ての人が品が良いかというとそうではないだろうが、金銭的にゆとりのある人はやはり心のゆとりもある傾向にあるのだと思う。それと盗難リスクを考えてみると、二等車両・自由席と一等車両・グリーン席とではそこにいる人の属性から発生率は随分と異なるのではないかと思う。飛行機においてもビジネスクラスとエコノミークラスとでは同じようなことが言えそうである。自分はいつも溜まったマイルを使わせてもらっているので安易なことは言えないが、やはり2つの搭乗クラスでは利用客の雰囲気は異なるのではないかと思う。そのようなことを考えながら先ほどグリーン車の席に腰掛けた。
それではこれから1時間40分ほどの乗車時間を使って、午前中のゼミナールの振り返りをしたい。今日のゼミナールのクラスもいつものように思わぬ盛り上がりを見せた。いつも課題図書の該当箇所の大きなテーマだけ念頭に置いておき、あとはその場で受講生の方々シェアしてくださった話をある種のケーススタディにさせていただく形で、唯識学・成人発達学・インテグラル理論を絡めながら対話をしていく。今日の話の中でまず印象に残っているのは、私たちは相手の話を聞くときに、絶えず言葉を通じて遍計所執性の像を作る。それは悪いことではなく、むしろ言語を活用する私たちからして自然な行為なのだが、問題は特定の言葉を聞いたときにそれによって想起されるイメージや感覚は人それぞれであることを忘れてしまったり、想起されるイメージや感覚に自分が縛られてしまうことである。対立解決や相互発達を促すようなコミュニケーションを実現するときに鍵となるのは、言葉を用いたコミュニケーションにおいて不可避に発生する遍計所執性に自覚的になることであり、それを絶えず自覚しながらコミュニケーションを進めていくことである。遍計所執性への絶え間ない自覚が言葉はある特定の文脈によって立ち現れ、イメージや感覚も言葉とコンテクストによる産物なのだという縁起的な気づきが得られ、徐々に相手の言葉尻に反応しなくなってくる自己が実現されていくであろう。それはすなわち縁起的な自己の在り方の実現でもあり、それをさらに深めていくと、縁起的な自己さえも手放して自己も他者も出来事も全てをありのままに映し出す円成実性的な在り方へと結実していくだろう。しかしここで注意が必要なのは、その完成は凡夫である私たちからすると完全に完成の境地に入ることは難しく、その過程においては積み残しになっているシャドー、すなわち煩悩が色々な姿を伴って現れてくるであろうことだ。それに折れずに、コミュニケーションによって立ち現れる種々の煩悩と地道に向き合っていくことが菩薩道を歩むことである。少しずつでいいのである。少しずつ煩悩を発見し、それを伏し、断じ、捨てていく試みこそが成長の王道を歩むことなのだと思う。徳山駅に向かう新幹線にて:2024/11/16(土)13:03
13598. 【日本滞在記】20年の時を経た天然水/降りること
難波から新大阪に向かう列車の中で、興味深い吊り革広告を見つけた。それは天然水に関するもので、私たちがペットボトルで飲む天然水はなんと20年もの月日をかけて届けられたものなのだそうだ。山や森から20年間もの月日をかけて今私たちが飲んでいる天然水があるということはとても感慨深い。1本のペットボトルの天然水の背景を知ると、それを感謝の念を持って飲めるのではないかと思う。先ほど新大阪のKIOSKでサントリーの天然水を早速1本買って乗車した。それを今から感謝の気持ちを持って味わいたいと思う。山と森の縁起、水を濾過する人や運搬する人たちの縁起など、1本のミネラルウォーターにはそうした無数の演技が関与している。1つの存在はこのようにして縁起の宝石箱なのである。
今日のゼミナールのクラスの振り返りとして、ブレークアウトの中で、例えば発達段階が高度に発達した人は、自らのプライバシーを侵害するような言動があった時にどのような反応を見せるのだろうかという問いかけがあった。キーガンの段階モデルの最高到達地点の段階5であっても、シャドーこと煩悩の積み残しがあり、プライバシーの侵害を含め、積み残しの煩悩を刺激するようなものであれば、段階5の人であっても一時的に段階が下がり、感情的な反応を示してしまうことは十分に考えられる。しかし他の段階と異なるのは、その後の反応であり、段階5の人は自己変容段階と形容されるように、一時的に感情的に振る舞ってしまった事象を自発的に内省し、なぜそのような反応を自分がしてしまったのかというさらなる発達につながる振り返りが自然と起こる。多くの人にとっては取るに足らないような些細な出来事であったとしても、段階5の人は絶えず学習し続ける存在であるがゆえに、全ての事柄を自分の学びに自然と変えていく力があるのである。逆に言えば、そうした段階に至るためには、平素より意識的にいかなるものからも成長に繋げていく学びをしていくという姿勢が必要である。そうした姿勢を手放すのは段階5に至ってからか、あるいはトランスパーソナル段階である段階6に到達してからで十分である。
それともう1つ、対立解決やコミュニケーション上における不要なぶつかり合いを解消する概念としての「降りる」という考え方と、同時にそれと一見すると対立するような自己を主張することが話題に挙がった。端的に言えば、それらは矛盾するものではなく、「降りる」という概念を拡張すれば健全な自己主張の後押しになる。受講生の方の1人が、「降りることはゲームチェンジである」という秀逸なコメントを述べてくれた。降りるというのは諦めるとは違っていて、感情の浴びせないような議論や論理による不要な空中戦を避けるためにゲームの土台そのものを変えてしまうことが降りるという高次元の意味であり、仮に相手が立場が上で、高圧的な態度を自分に示している場合において、これまで自己を主張することができなかった場合には、相手の立場や考えを理解していることを示した上で、状況をより良くし、お互いにとっての善につながるという前置きを伝えながら自己を主張すると、その主張は相手に案外届きやすいものである。仮にその瞬間にすぐにその主張が相手に届かなくても、これまで感情の掛け合いや論理の掛け合いしかしてこなかった場合に比べると、随分と良質なコミュニケーションが実現できるのではないかと思う。考えていることや思っていることを我慢し続けるというのは精神衛生的にも望ましくなく、健全な自己主張は健全な自己を育んでいく上でも不可欠の実践であることを念頭に置いて、これまで自己主張できなかった自分を降りて、必要な前提と前置きを担保しながら健全に自己を主張することは誰にとっても重要であろう。徳山駅に向かう新幹線にて:2024/11/16(土)13:29
13599. 【日本滞在記】発達段階ごとの傾聴/発達段階の見立て
東京駅から実家まで行くのと新大阪駅から実家まで行くのとでは、後者の方が格段に時間が身近いことを改めて思う。新幹線に乗車する時間も気がつけばあと40分ほどになっている。そうしたメリットが大阪滞在にはあり、今回のように関空近くのホテルに宿泊して新大阪駅まで行く労力も大してないのだが、今回は伊丹空港と関空の間違いもあったことから、次回からは東京駅近くのホテルに宿泊した方が便利かもしれないと思った。いつもお世話になっているJALさんは関空に到着する便が欧州線ではないようなので、成田空港に到着したら、伊丹空港に移動するのではなくて、東京駅に向かうようにして、今後は東京駅近くのホテルに数日宿泊して時差ボケを解消し、そこから実家やまだ足を運んだことのない地方を巡ろうと思う。
今日のゼミナールのクラスの振り返りとして、傾聴は我慢して聴くことではないという重要な指摘が受講生からなされた。この点はとても重要なことである。翻訳した『「人の器」を測るとはどういうことか』の書籍の中でラスキー博士が言及しているように、自分の主張をせずに単に相手の話を我慢して聴き続けるというのは他者依存段階的な傾聴の可能性があり、自己主導段階的な傾聴は、自分の価値観と相手の価値観の境界線や領域を明瞭にしながら、建設的な自己主張を交えながら話を聴くという形になる。そこからさらに相互発達段階になると、認識した自己の価値観の境界線を引き直したり、意図的に透明化させることを通じて、相手の価値観を適宜自分の世界の中に取り込みながら、さらなる成長を実現していき、話を聴くことを通じて他者の成長も自然と促すことができる傾聴の在り方となる。そして重要なことは、傾聴能力もコンテクストによってばらつきが起こるということだ。偶然にもある受講生の方も自分と同じく本日実家に行くらしく、実家で両親の話をクライアントと同じように傾聴できるかというとそうではないという話があり、自分に当てはめて考えてみても思わず頷いてしまった。
最後に今日はクラスの冒頭で、ある方のシェアの中に出てきた登場人物の発達段階を即座に見立ててみるということを意識的に行なったわけだが、発達段階の見立てをするのは安易に行なってはならない一方で、その安易さというのは何かというと、ある人の発言から見立てた段階がその人の全体を表すという誤解である。逆に言えば、私たちは絶えずいかなる状況においても発達段階測定のOSを立ち上げている状態なのであり、それを意識的に活性化させて活用させていくことは重要かと思う。その時に重要なのは、今述べた発達段階の見立てはあるコンテクストにおけるその人の一部分を表したものにすぎない自覚を持つことであり、コンテクストが変わればその人は別の段階特性を表す可能性があるということである。安易な発達測定を戒めるからと言ってその瞬間に直感的に感じ取れる相手の段階のおおよその目安を無視することはむしろ健全ではない。その瞬間に立ち現れるのは確かに影像に過ぎないが、ある特定のコンテクストを通じて立ち現れた影像にも儚くも一瞬の輝きがあるのであり、それをスナップショット的に捉えるのがコミュニケーション上における発達段階の見立てなのではないかと思う。とりわけ対人支援や対立解消の文脈においては、いかにこうした発達段階の見立てを精緻なものにし、コンテクストや課題ごとに立ち現れるその人の姿に寄り添っていくことができるかが鍵を握るのではないかと思う。徳山駅に向かう新幹線にて:2024/11/16(土)13:49
13600. 【日本滞在記】生成AIによる今朝方の夢の解釈
まもなく広島に到着する。徳山駅まであと25分ほどである。徳山駅に到着してから光駅に向かう列車まで40分の待ち時間があるので、その時間も使いながら、今朝方の夢に対する2つの生成AIの解釈を振り返っておきたい。夢に登場した女子アナが困難を克服した姿として描かれていることから、それは粘り強さや回復の象徴であるというのは興味深い。困難を克服しながらも、それでいてまだ癒されない心の傷を負っていたように思えた女子アナを自分は花火大会に誘った。それはどうやら優しさと癒しを象徴しているらしく、まさにそれは自分がテーマに掲げ続けていることでもあったので納得感があった。癒しと楽しみの双方を自分はできるだけ多くの人に提供したいのだろう。少なくとも自分と何かしらの関係を持った顔の見える他者にはとりわけその点を意識している。花火は一瞬の美しさと儚さを象徴するものとして捉えてみると、先日のフレディさんの葬儀に参加している時にも感じた、私たちの人生を悠久の時間の流れで眺めてみると、それは一瞬の美しさと儚さを持った姿として捉えることができる。いかなる痛みも苦悩も本質的には一瞬の泡沫的出来事なのであり、そのようにしていかなる苦難を捉えてみることで、不必要に苦悩の沼にはまり込むことを防ぐことができ、より軽やかで安らかな人生が実現できるのではないかと思う。
つい先ほど徳山駅に到着した。徳山駅も様変わりしていて、駅をちょうど出たところに本屋とカフェが併設された店ができていることに驚いた。そこでは休日に勉強に励む学生や社会人の姿を見ることができ、自らもまた絶えず学び続ける学徒ゆえに彼らは自分と同志のように思えてくる。そのようなことを思いながら、もう1つの夢についても振り返っておきたい。娼婦とサラリーマンが登場した夢のテーマは「再生」と「治癒」であったとのことであり、治癒の側はすぐにわかったが、再生側については新たな視点をもたらしてくれたように思う。なるほど再生は治癒と陸続きにあるものだから、治癒が起こった時には何かしらの再生現象が生じていると見ることはとても自然なように思えた。さて、今の自分はどのような再生と治癒を経験しているのだろうか。その点についてはまだ具体的なものがよくわからない。身体的な次元においては時差ぼけの解消という非常に卑近なものが思いつくが、自らのグロス・サトル・コーザルボディを日本の社会や文化に適応させた仕様に再生している状況であるという解釈ならできそうである。夢の中の自分が夢の場面を肉眼ではなく心眼で捉えていたように、肉体の眼には見えない微細なものを捉えていくための感覚の涵養は、どこにいても絶えず意識的に取り組みたいものである。今から到着する地元の光市のとりわけ瀬戸内海は、目には見えないものを捉えるための感覚を呼び覚まし、それを研ぎ澄ませてくれるに違いない。徳山駅:2024/11/16(土)14:38
Today’s Letter
I’ll leave Osaka for Yamaguchi today. Right now, I’m gazing at the peaceful Osaka Bay. The chirping of insects soothes my mind. The sea is serene, as if it reflects my current state of being. Osaka, November 16, 2024
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