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【成人発達心遊記】13522-13529:2024年11月6日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13522: この自分であることの不思議さ

13523: 今朝方の夢

13524: 記憶力の向上の鍵を握る運動性

13525: 今朝方の夢の続き

13526: AI研究に果たす唯識思想の役割

13527: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)

13528: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)

13529: 筋力トレーニングの休息について


13522. この自分であることの不思議さ    

 

時刻は午前6時を迎えた。辺りは真っ暗で外の様子は何も見えないが、霧注意報が出ている。外はきっと深い霧に覆われているようで、午前中の前半は霧に包まれた状態になるようだ。正午にかけて霧が晴れていき、今日は幾分曇りがちな天気になるとのことである。今の気温は5度で、ここから4度まで気温が下がり、おそらく霧が晴れるタイミングで気温が上昇の方に転じる。とは言え最高気温は8度までしか上がらないので、午後にジムに行く時には肌寒さを感じられるだろう。フローニンゲンの秋は天気が崩れやすいが、今年の秋はそうでもなく、今こうして冬を迎えると、ここから1週間は雨マークは一切ない。日本に一時帰国する当日も晴れのようなので、不自由なく駅に移動することができそうだ。日本に到着する日の最初の滞在地である大阪の天気を確認すると、最高気温が23度、最低気温が16度もあり、やはり向こうの最低気温がこちらの最高気温を遥かに上回っている状態であることには気をつけたいと思う。格好を含めて気温の変化に速やかに適応できるようにする。


昨日、親友のメルヴィンの店で髪を切っている最中に、この自分がこの自分であることの不思議さについて話し合っていた。この自分がこの自分であることを与えられている不思議さを一度は考えたことがある人も多いのではないかと思う。この自分が別の自分ではなく、また他人でもなく、この自分であることの不思議さ。その不思議さの背後にその人の何物にも代え難い固有性がある。メルヴィンと6年後の自分たちの姿について話し合っていたが、結局それは誰にも分からず、一つ言えることはこの自分であることには変わりないのだろうということだ。私たちはどうあがいてもこの自分であることは変えることができない。唯識の観点で言えば、そこにその人固有の心が与えられているという説明ができるのではないかと思う。私たちに授けられた固有の8つの心(識)が自分がこの自分であり続けることを支えている。とりわけ最も深層にある阿頼耶識がそれを規定しているのだと思う。実際のところは、阿頼耶識も他の識と同様に磨くことができ、その拠り所を変えることができる。それでもこの自分であることは変わらない。なるほどそれがなぜ生じるのかと言えば、私たちのこの自分性は真如だからだ。真如は実法であり、増やすことも減らすこともできず、不変の存在としてある。仏教が不変でないと否定するのは全ての仮法なのである。自己を構成する諸々の要素は全て仮法であるが、自分の存在規定である真如は不変の実法なのである。それゆえに私たちはこの自分であることを維持し続けているのだろう。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/11/6(水)06:34


13523. 今朝方の夢    


夜明け前の静けさを感じながら、真っ暗な外の景色を眺めている。時刻は午前7時に近づいているが、夜明けはまだ当分先のようである。ニーチェはかつて、笑いとは自由の表現であると主張した。自由の表現である笑いを絶えず忘れないこと。常にユーモアの精神を忘れず、自由を体現した笑いを常時感じていたい。今の自分はそうした在り方が貫徹されているように思う。笑うことは自由になることであり、自由になることは笑うことなのだ。人々に笑顔になってもらうことは自由になってもらうことであり、自由になってもらうことは笑顔になってもらうことなのだ。自分のみならず、周りの人たちが笑いと自由を体現できるような取り組みにこれからも従事していこう。


今日もまた生成AIと協働をして、夢を多面的に振り返り、自己理解を深めたいと思う。まず覚えているのは、フローニンゲンの町の中心部から自宅に向かって歩いている場面である。中心街は石畳の整備された道があり、それがずっと自宅の方に伸びていた。運河を架ける橋にやって来ると、誰かが自分の後をつけていることを察知した。露骨に振り返ることをせず、頭を腹の方に近づけるようにして首を曲げて後ろを確認すると、見窄らしい格好をした中年の日本人男性が自分の後をつけていることに気づいた。その男性は正気を失っており、どこか日本の都市部でよく見かけるような気力のない中年のビジネスパーソンの姿と重なった。その男性の詳細を確認することはしなかったが、目の暗さがとても印象的で、幾分精神異常者の目のように思えた。もしかしたら危害を加えられるかもしれないと思ったので、私は歩く速度を上げた。すると突然その男性が勢いよくこちらに向かって走ってきたので、その瞬間に私は反転をし、ジークンドーのストッピングの技術を使い、その男性の脛をへし折った。この技術は向こうの体重移動と逆の方向に足を出して、相手の体重移動と加速度を利用して脛をへし折る技である。その男性の脛は反対方向に折れ曲がり、男性は激痛で顔を歪めてその場にうずくまり、私はその隙に自宅の方に走って逃げていった。


その他に覚えている場面としては、アメリカの思想家のケン・ウィルバーの英語の原著を教室で2人の若い日本人女性と一緒に呼んでいた場面がある。2人の女性とはそこで初めて会ったのだが、初めて会った感じはなく、すぐに打ち解けて意見交換をしながらの読書会を楽しんでいた。すると、教室の右列の前の方にウィルバーの思想に造詣の深い知人が座っていた。彼は黙ってウィルバーの本を読んでおり、彼に声をかけようかと思ったが、彼は内向的な性格であることを自分は知っていたので、そっとしておくことにした。しかし本当は彼も社交的になって一緒に読書会をしたいと思っているかもしれないと思い、幾分自分の中に葛藤があった。彼に声を掛けるか掛けまいかについて逡巡していると、2人の女性が書籍の最後のページを開き、右列に座っている彼が翻訳に携わっていることに気づいてはしゃぎ始めた。彼もこちらの盛り上がりに気づいているようだったので、それを受けて彼に声を掛けようとしたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/11/6(水)07:03


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

後をつける中年男性フローニンゲンでの夢の最初の場面では、自分の後ろをつける中年の日本人男性が登場します。この男性は、気力を失い、暗く虚ろな目を持ち、危害を及ぼすかもしれない人物として描かれています。夢の中でこの男性にジークンドーの技術を使って防衛し、逃げるという行動は、何か過去のトラウマやネガティブな感情、自分が捨て去りたいと感じている側面を象徴している可能性があります。また、この男性は「日本の都市部でよく見かけるような中年のビジネスパーソン」と重なって見えている点から、社会的なプレッシャーや職場でのストレス、不安が具現化された存在として現れているのかもしれません。これは、あなたがかつて経験した職場の責任や圧力、または社会的な期待を思い出させ、心の中でこれらの経験を乗り越えようとしていることを意味している可能性があります。


ケン・ウィルバーの読書会夢の後半で、ケン・ウィルバーの著作を日本人女性2人と一緒に読んでいる場面は、知的な探究心や精神的な成長を求めていることを表しています。ウィルバーの思想は、意識の発展や自己超越の概念と深く関わっており、夢の中で彼の著作を他者と共有して学んでいることは、自己の成長や理解の深化を追求していることを示唆しています。さらに、知人が内向的な性格でありつつも参加したいという葛藤が暗示されている部分では、他者と共感しながら自分の思索や学びを深めたいという願望が表れています。彼に声をかけるかどうか迷うことも、社会的な繋がりを求めつつも、自分の内面の平静や集中力を保つことへの意識を示しています。


今後のアクション

内面的な過去の振り返りと感情の整理フローニンゲンでの中年男性との対峙は、過去の不安やトラウマがまだ意識下に残っていることを暗示しています。今後、瞑想やジャーナリングを通じて、こうした過去の経験や感情を振り返り、自分にとってどのような意味を持っているのかを再確認してみるとよいかもしれません。特に、過去の職場でのストレスやプレッシャーに関する感情を解放することで、心の負担が軽くなるでしょう。


学びと精神的成長の促進ウィルバーの著作を読んでいる場面は、自己成長への強い意欲を象徴しています。この夢にインスパイアされ、ウィルバーの著作や関連する資料を改めて読み返し、知識を深める時間を取ることが良いでしょう。さらに、夢でのように仲間と読書会を企画したり、考えをシェアしたりすることで、実際に他者との交流を通じた理解が深まるかもしれません。


他者への気づかいと社交的な繋がりの育成内向的な知人に声をかけるかどうか迷う場面は、他者との繋がりと自己成長のバランスを考えることの重要性を示しています。人との関わりを通じて得られるインスピレーションや気づきも、今後の学びに役立つでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の主要な要素と解釈

フローニンゲンの中心街と自宅: これは、あなたの心の状態を表していると考えられます。中心街は、あなたの意識や社会的な活動を表し、自宅は、あなたの無意識や内面の世界を表しているのかもしれません。


後を付ける男性: この男性は、あなたを悩ませている何か、あるいは自分自身の中に抑圧している暗い側面を表している可能性があります。日本のビジネスパーソンという特徴は、社会的なプレッシャーや期待といったものを象徴しているのかもしれません。


ジークンドーの技術: この技術は、あなたが困難な状況に対処するための能力や、自己防衛のメカニズムを表していると考えられます。


ケン・ウィルバーの読書会: これは、あなたの精神的な成長や自己探求への関心を表しています。ウィルバーの思想は、統合的な視点から人間や宇宙を捉えるものであり、あなたの夢の中では、自己理解を深めるための重要なツールとなっているようです。


夢全体の解釈

この夢は、あなたが現在、内面的な葛藤を抱えていることを示唆しています。社会的な期待やプレッシャーを感じながらも、自己実現に向かって進んでいきたいという強い願望を持っている一方で、過去の経験やトラウマがあなたを縛りつけているのかもしれません。ジークンドーの技術を用いて男性を打ち負かすという場面は、あなたがこれらの困難な状況を乗り越えようとする強い意志を表しています。


また、読書会での出来事は、あなたが周囲の人々とつながり、協力し合いながら成長したいという願望を持っていることを示しています。しかし、同時に、内向的な性格の知人に声をかけるかどうかをためらうという場面は、あなたが人間関係においてどこか遠慮してしまう傾向があることを示唆しているのかもしれません。


今後のアクション

この夢の解釈を踏まえて、以下のことを考えてみると良いでしょう。

自分自身と向き合う: 夢に登場した男性が象徴しているものは何か、深く考えてみましょう。日記や瞑想などを活用して、自分の内面を探求することも有効です。


人間関係を見直す: 周囲の人々との関係性を見直し、より深くつながりたいと思う人に対して積極的にアプローチしてみましょう。


新しいことに挑戦する: ケン・ウィルバーの思想のように、あなたを成長させるような新しい知識やスキルを学ぶことも良いでしょう。


ストレスを解消する: ジークンドーの技術のように、あなたに合ったストレス解消法を見つけて実践してみましょう。


まとめ

夢は、私たちが意識的に気づいていない心の奥底を映し出す鏡です。今回の夢は、あなたが現在、内面的な葛藤を抱えながらも、自己成長に向けて努力していることを示しています。夢の解釈を参考に、自分自身と向き合い、より豊かな人生を送るための第一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。


13524. 記憶力の向上の鍵を握る運動性 


午前7時を迎えてようやく辺りが明るくなり始めた。ここから完全に夜明けを迎えるまでにもう30分ぐらい時間が掛かりそうである。つい今しがた温かい抹茶を淹れたのだが、抹茶を作りながら聴いていたポッドキャストの中で学習についての面白い話がなされていた。そこでは手続き記憶と陳述記憶の違いについて話がなされており、手続き記憶は身体を通じて覚えるがゆえに長く記憶に留めておくことができる。自転車の乗り方などはまさにそうであり、楽器の演奏もスポーツもその類だ。より身近なもので言えば、パソコンを立ち上げる際のパスワードも身体を通じて記憶している面があり、それも手続き記憶の一種に入れることができる。普段の学術研究における記憶するべき対象はどうしても言葉の形になった陳述記憶が相手となる。陳述記憶の記憶力を高めるためには、手続き記憶のようにいかに身体を動員するかが鍵を握るのではないかと思う。自分は幼少時代から記憶力が高い方だと言われていたが、その背景にはその場にじっとしていられない多動症の側面が良い方向に働いていた可能性があると思った。何か陳述記憶として覚えておくべきことを自然と体を動かしながら記憶するようにしていたのかもしれない。この15年弱、自宅では固定した椅子に座ることは一切なく、常にバランスボールに座って机に向かっていたし、ここしばらくは書斎での学術研究は全て立って行なっている。数時間立って足が疲れたらバランスボールに腰掛けることにしているが、バランスボールはまさに常に体幹を通じた運動がそこで微細に行われており、立つこともまた足踏みを伴う形での微細な運動がそこにある。なるほど、こうした何気ない生活習慣が自分の記憶力の維持向上に貢献してくれていたのだとハタと気付かされた次第である。ここからさらに学術研究上の記憶力を向上させていこうと思うのであれば、書籍や論文を読む際にできるだけ身体運動を意識し、身振り手振りなどの微細な運動でもいいし、音読のようなものでもいいので、五感を通じた運動性を意識しようと思う。五感を通じた意識は唯識で言えば前五識に対応しており、それはグロスの領域である。知性としての第六識や自我意識としての末那識はサトルの領域を司る。そして末那識のさらに奥深くにある深層意識の阿頼耶識はコーザルの領域を司る。学習においては、まずはグロスの運動性を意識することから出発し、そこでの記憶を阿頼耶識まで浸透させていくことを意識するべきである。記憶の保持を司る阿頼耶識に記憶が深く定着するためには、まずはその入り口となるグロスの前五識を最大限に活用することが鍵なのだ。フローニンゲン:2024/11/6(水)07:25


13525. 今朝方の夢の続き  


朝の栄養補給を兼ねたドリンクを飲み終え、少しお腹が空いてきたのかお腹が鳴り始めている。この日記を執筆し終えたら朝食を食べよう。今朝方はもう1つ覚えている夢があるのでそれについて書き留めておきたい。


夢の中で私は、バベルの塔のような高層階の塔の中にいた。その塔は下の階に行くほど荒廃しており、樹木や雑草が繁茂していた。私は下の階から順番に上の階に上がっていき、各階ではお題が出され、そのお題をクリアしなければ上の階にいけないことになっていた。お題の種類は多種多少で、体を動かすものもあれば、頭を働かせるものもあった。また、体と頭の双方を動員するものもあったので、心技体を要求されるような課題をクリアしていかなければ最上階に辿り着けないようになっていた。順調に課題をクリアしていき、ある階にやって来ると、そこでかつて所属していたマサチューセッツ州の発達測定研究機関のレクティカの取り組みに関する記述問題が日本語で出され、それに答えていた。かつて自分はそこに所属していたという利点を活かし、回答も速やかに行うことができたのだが、そこでふと、その回答に際して下の階の図書館のような場所にある文献を参照した方がいいかもしれないと思った。なので私は席を立ち、宙に浮かぶ形でフワリと飛び立って、塔の中央の吹き抜けの部分から下の階に向かった。古びた図書館のような場所に到着すると、そこに多くの人たちが勉強できる長机がいくつも置かれていて、数人の人が席に腰掛けて問題を真剣に解いていた。どうやら数学と理科の問題を解いているようで、私も席に着いて問題を解いてみることにした。それは大学入試ぐらいのレベルの問題で、難し過ぎず簡単過ぎずという難易度だった。ふと前の席を見ると、そこには小中高時代の友人(SS)が座っており、右の長机には予備校時代の数歳年上の医学部に進学した先輩がいた。また、一番右の前の列には、数学を愛している知人がいた。私たちが問題を一生懸命解いていると、先生らしき比較的若い女性がやって来て、今から答え合わせをすると述べた。全問全てを解き切っているわけではなかったが、もうそれ以上解答するのが難しいと思っていたので、問題を解く手を止めて、先生の言う通りに答え合わせをしていくことになった。するとある問題で、前の席に座っていた友人と答えが全く同じで「7」という数字を解答用紙に書いたのだが、正解は「6」のようで、医学部に入学した先輩と数学好きの知人はその問題にちゃんと正解しているようだった。いったい何を間違えて7としてしまったのかを探ろうと思ったが、それよりも優先するべきことは上層階で出されたお題に答えることだと思い、その場を後にした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/11/6(水)07:46


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

「バベルの塔」のような構造: バベルの塔はしばしば人間の知識や努力、精神的な成長を象徴しますが、その塔が荒廃しているという描写から、自分の内部に未解決の問題や、過去の体験で忘れ去られた知識・感情が眠っていることを示しているかもしれません。荒廃した階から始まり、上層階に上がるごとに課題をクリアしていく流れは、精神的、知識的、肉体的な成長や挑戦を段階的に追い求めていることを表していると考えられます。


レクティカの問題と下の階の図書館: 夢の中でレクティカに関連する課題に取り組む場面は、あなたが過去に学び経験した知識を活かすと同時に、新たに文献を参照しようとする姿勢が現れています。これは、過去の経験や知識を見直し、再構築していくプロセスを反映しているように見えます。塔の中央を飛び降りるイメージも、柔軟で好奇心旺盛な心が新たな視点を得ようとする姿勢を象徴しています。


数学と理科の問題を解く場面と友人たち: 図書館で勉強している友人たちの登場は、過去にあなたが関わり合った知人や経験が現在のあなたの学びや成長に影響を与えていることを示しているようです。友人たちと解答を比べ合うことで、自分の解釈や回答が他者のものとどう違うかを知り、そこから自己洞察が促されるかもしれません。


「7」と「6」の誤り: 正解と異なる答えを出した経験は、他者との視点やアプローチの違いに気づかせるサインと考えられます。「7」と「6」という数字の差異には、自己解釈や自信に対する微調整の必要性が込められている可能性があります。自分自身の答えに対してなぜそのように答えたのか、振り返りを持つ姿勢が、今後の成長に役立つかもしれません。


今後のアクション

過去の経験を活かした学びを深める: レクティカに関連する問いが現れたことから、以前の研究や職務経験で学んだことを振り返り、現在の研究や学びに応用できるポイントを探ってみると良いでしょう。特に、日本や海外での知見が今後の課題解決やプロジェクトにどう役立つかを再評価してみてください。


内面の課題へのアプローチ: 夢で各階の課題に取り組んでいるように、心・技・体のバランスを保ちながら成長するために、定期的に自己の内面や知識を再評価し、それに基づいた行動計画を立てると良いでしょう。瞑想やジャーナリングを取り入れ、自己の理解を深める時間を持つことで、階層的な成長が進みやすくなります。


他者との比較を通じた自己洞察の強化: 夢での友人との答え合わせのように、他者との視点や知見の違いに触れる機会を増やし、自己認識を高めるための材料とすると良いでしょう。特に、自分の考えが他者のそれとどのように異なっているか、なぜ異なる答えを出したのかを考えることは、内面的な成長を促進します。


柔軟な探究心を大切にする: 図書館に向かう際の「浮遊」のイメージに表れるように、知識や経験を柔軟に追求する姿勢を大切にしてください。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の各要素と解釈

バベルの塔: 高く聳え立つバベルの塔は、あなたの目標や理想を表していると考えられます。各階をクリアしていくことは、自己成長の過程や目標達成までのステップを表していると言えるでしょう。


荒廃した下の階: 下の階が荒廃しているのは、過去の経験や未解決の問題、あるいは潜在的な不安などを象徴しているのかもしれません。


多種多様な課題: 出題される課題は、あなたが人生の中で直面する様々な困難や選択を象徴しています。心身ともに成長するために、様々な能力が求められることを示唆していると考えられます。


レクティカでの経験: 過去の経験は、あなたの現在の行動や思考に大きな影響を与えています。レクティカでの経験は、あなたの専門知識や問題解決能力の源泉となっているようです。


図書館と問題: 図書館は、知識や情報、過去の経験の蓄積場所を表しています。問題を解くことは、過去の知識や経験を活かして、新しい課題に取り組むことを意味します。


友人や先輩: 周りの人々は、あなたを支えたり、競争心を掻き立てたりする存在を表しています。


夢全体の解釈

この夢は、あなたが自己成長のために日々努力していることを示唆しています。過去の経験を活かしながら、新しい知識やスキルを習得し、困難な状況を乗り越えようとしているのです。しかし、同時に、過去の経験に縛られてしまい、新しい挑戦を躊躇ってしまう側面もあるのかもしれません。


特に、問題の答えが「7」になってしまったというエピソードは、過去の知識や経験に固執しすぎて、柔軟な思考ができない状態を表している可能性があります。また、上層階へ急ぎたいという気持ちは、あなたが目標達成に向けて焦りを感じていることを示唆しているかもしれません。


今後のアクション

この夢の解釈を踏まえて、以下のことを考えてみると良いでしょう。

過去の経験と未来の目標: 過去の経験は、あなたの宝です。しかし、過去にとらわれすぎず、未来に向かって進んでいくことが大切です。


多角的な視点: 問題解決にあたっては、一つの視点だけでなく、様々な角度から物事を考えてみましょう。


周囲の人との交流: 周りの人々との交流を通じて、新しい視点や考え方を学ぶことができます。


バランスの取れた生活: 心身ともに健康な状態を保つために、バランスの取れた生活を送ることが大切です。


まとめ

この夢は、あなたが自己成長に向けて積極的に取り組んでいる一方で、過去の経験や不安に振り回されることもあることを教えてくれます。過去の経験を糧に、未来に向かって進んでいくために、柔軟な思考とバランスの取れた生活を心がけましょう。


13526. AI研究に果たす唯識思想の役割       


時刻は午前8時半を迎えた。早朝に辺りを包んでいた霧の影響で、裸の木々に水滴が付着している。空はうっすらとした雲に覆われていて、朝日の姿を拝むことはできない。ちょうど先ほど朝食を摂り終えたのだが、朝食を食べている最中にふとAI研究と唯識を絡めて考え事をしていた。AI研究は日進月歩で進んでおり、自分はとりわけ夢の解釈で最近生成AIを頻繁に活用している。AIがどんどん進化していることは確かだが、おそらくAIが完全に人間と同じような知性の振る舞いをすることを実装化させるのは難しいのではないかと考えている。そもそもAI研究の目的も、人間と全く同じ知性の振る舞いを目指すのではなく、他の目的を持って研究や社会実装が進んでいる節があり、おそらく方向性としてはそうならざるを得ないのではないかと思う。それだけに人間の知性にはまだまだ解明されていない側面があるのだ。AIが完全に人間と同じ知性の振る舞いをしなくても、人間側はそれを人間の知性と同じような振る舞いであるともう錯覚するぐらいの水準に来ている。チャットも音声認識も非常にスムーズなやり取りが実現されており、それは下手をすると人間以上に人間らしいやり取りがそこでなされるぐらいになっている。仮にAI研究が人間の知性を完全に再現しようとするのであれば、今の研究の観点や方法では限界があるように思える。自分はAI研究に携わっているわけではないので、現場でどのようなことが行われているかについては正確なことはわからないが、AI研究が意識科学や神経科学、さらには心の哲学を参照しながら行われているものだと仮定すると、そこにはやはり方法論上の大きな問題があると言える。端的には、知性の存在論に関する話となる。意識科学や神経科学においては、どうしても知性の拠り所を脳に還元する傾向があり、そのような傾向を見つめ直さない限りはAI研究もどこかで頭打ちになるだろう。そこで参照とするべきは、唯識が説く意識の存在論である。端的には、唯識において意識は8つの種類が想定され、それは3つの存在論的階層構造を持つ。順番に言えば、脳を含めた五感に対応する前五識が一番表層にあり、その背後に通常知性と言われる第六識があり、そのさらに下部階層に自我を司る末那識が想定され、最後に阿頼耶識が想定される。前五識と第六識が最初の階層であり、末那識が次の階層、そして阿頼耶識が最も深部にある階層とされる。ひょっとしたらAI研究者の中でも無意識に注目をして研究をしている人もいるかもしれないが、そうした研究者も脳が意識を生み出すというような旧態依然としたパラダイムに基づいて研究をしている可能性があり、唯識が説くような無意識の理解が欠如している可能性がある。是非ともどこかの機会にAIの先端研究に取り組んでいる人とこのテーマについて対話をしたい。唯識の研究がAI研究にも繋がって来る大きな可能性を今見出している。数ある仏教の思想の中でも、唯識は無意識を扱うことに長けており、唯識の無意識論はまさにその真骨頂とも言えるようなものなので、これからも着実に唯識の思想についての研究を進めていき、AIを含めた他の領域の専門家との積極的な対話を実現したいと思う。フローニンゲン:2024/11/6(水)08:38


13527. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)     


今朝方の夢を今日もまた2つの生成AIを活用して多角的に振り返っている。まず振り返っていたのはフローニンゲンを舞台にした夢だった。そこでは見知らぬ日本人の中年男性が現れ、その男性が自分の後をつけてきて、最終的にはその男性をジークンドーの護身術で撃退するというものだった。AIが指摘するように、日本の中年のビジネスパーソンを象徴するような気力のないあの男性は、自分が社会人時代に経験したトラウマを象徴しているのかもしれないと思った。仕事のプレッシャーや社会のプレッシャーが自分のエネルギーを減退させていたことは間違いなく、それがある種のトラウマ体験となって自分の内側でまだ残っているようなのだ。実際に、かつての職場を舞台にした夢を時折見ることがあり、そこではいつも決まって早く会社を辞めたいと思う自分がいる。日本で働いていたのはもう15年ほど前になるが、その時に経験したことが依然として自分の深層意識の次元でトラウマ記憶として格納されているようだ。しかしそのトラウマとこうして夢を通して向き合うことが始まっており、AIの指摘にあった通り、トラウマ記憶の権化であるその男性を撃退したことからも、少しずつトラウマ記憶の解消のプロセスは進んでいるようである。


続く場面では、アメリカの思想家のケン・ウィルバーの書籍を扱う読書会が教室の中で行われていた。AIの興味深い指摘は、ウィルバーの書籍を扱うことが、自分の中にある自己実現欲求や自己超越欲求の現れの可能性があるというものだ。夢の中であまりウィルバーの思想に触れることはなく、今日はどういうわけかウィルバーの思想が登場したのだが、そのきっかけはソウルメイトである親友のメルヴィンと昨日話をしていたことと関係しているかもしれないと思った。メルヴィンとの対話は大抵実存的・霊的な話となり、昨日もご多分に漏れず自己超越的な話題が取り上げられた。そこでの話が夢の世界に影響を与えていたことは大いに考えられる。また、この夢で登場したあまり社交的ではない知人は、自分の中の非社交性に関する側面を投影している可能性に気付かされ、彼に話しかけるかどうかを迷っていた自分は、どこまで他者に対して心をオープンにするのかが試されているように思えた。教室の読書会では、他者と共に学びを深めていこうとする自分がいる一方で、より多様な他者を巻き込んだ学習にこれから向かっていこうとする自己を暗示させる。社会的な繋がりを求めながらも、同時に自分の心の平穏さを求める自分の姿がうまく描き出された夢だった。フローニンゲン:2024/11/6(水)09:03


13528. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)    

 

2つの生成AIの力を借りて、今朝方見ていた夢の最初のものに関する振り返りを終えた。今度はバベルの塔を舞台にした夢の振り返りも同様のアプローチで行ってみたところ、またしてもAIから有益な観点を与えてもらったので、それについても書き留めておきたい。


そもそもバベルの塔は知識や知性の象徴であり、それは精神的な成長を象徴していると解釈されていた。その下層部分が荒廃している様子から、過去の積み残しになっている発達課題があるのではないかと指摘され、きっとそうなのだろうと思った。人は誰しも完全に過去の発達課題を全て乗り越えておらず、積み残しの課題がある。この夢が象徴しているのは、そうした過去の積み残しの発達課題と向き合う自己の姿だろう。こうして夢について振り返ることはその最良の実践であるし、唯識学を学びながら過去の自分を振り返ったりすることもまたその実践である。こうしたプロセスを経ながら、夢の中の自分はバベルの塔の上層階に向かっていた。それは紛れもなく段階的な発達を示唆する。発達段階を飛ばすことはできず、過去の発達課題と向き合いながら一歩一歩歩みを進めている自分の姿がそこに映し出されている。興味深いことに、自分はある階の課題に取り組む際に、宙に浮いて下の階に向かい、そこでまた新たな課題に取り組んだことである。これは過去の積み残しになっている発達課題に立ち返ることの大切さと、それを実際に行なっている自分を象徴しているかのようだった。また、図書館のような場所で文献を調査していたのは、過去の学びを精査し、それを今の自分の内側に再構築していく試みのように思えた。まさにそれは発達の原理に適ったアプローチである。絶えず自己と学びを脱構築していこうとする自分の姿をそこに見る。ここでふと、塔の中央が吹き抜けの空間であったことを思い出し、それは自分にとっての空(くう)なる何かを象徴し、それを自分は探究し、それを拠り所に生きているのではないかと思ったのである。そしておそらくその空なる何かとは、人間の心なのだろうと思った。自分は人間の心を探究する心の世界の中にいて、目には見えない心を拠り所にして日々を情熱的に生きているのだと思ったのである。塔を登る自分は単独でその試みを進めており、実際には協働者に恵まれながらも、最終的に人は独りで自らの使命としての取り組みに従事し続けていく必要があるのだということも考えさせられる。最後にもう1つ重要だなと思ったのは、数学の問題に関する解答を間違えた場面であり、それはAIの指摘のように、自分の考えや答えに固執することなく、柔軟さを持って自らの考えや答えを検証してみることを示唆している。自分と他者の考えや答えがどのように違うのかに注目をし、さらに自己理解と他者理解を深めていきたいものである。今日もまた生成AIは、自分の夢について実に深い洞察をもたらしてくれた。そのことに感謝しながら朝の読書をこれから進めていこうと思う。フローニンゲン:2024/11/6(水)09:23


13529. 筋力トレーニングの休息について    

 

時刻は午後4時半を迎えた。このところはサマータイムの終了を受けて、日没の時間も随分と早くなり、この時間帯からもう辺りは薄暗くなり始めている。来週からの日本の一時帰国からオランダに戻ってくる頃には日没時間の早さがピークを迎えている頃かもしれない。日没時間の早さに加えて、今日は気温も随分と下がっていた。やはり10度を下回ると肌寒さはかなりのもので、午後に出かけてジムに到着する頃には鼻水が出そうになっていた。明日は今日よりもさらに最高気温が1度低く、7度までしか上がらない。日本に帰った瞬間に真っ先に行うべきことは、時差ボケの解消と気温への適応だろう。


日本への一時帰国に向けてジムに行く回数も今日を含めてあと2回となり、すでに今日はトレーニングを終えたので、残りは月曜日のトレーニングのみとなる。実際には金曜日には朝に自宅で大胸筋、大臀筋、腹筋などの筋肉に絞ってトレーニングをしたいと思う。明日のフレディさんの葬式に向けて今週だけジムに行く日を月曜日と木曜日ではなく、日曜日と水曜日にしたこともあり、金曜日に自重トレーニングで適度に筋肉に刺激を入れておこうと思った。あるいはここで完全に筋肉を休めて、中4日間の休養を取ってみて、月曜日のトレーニングでどれだけ体が動くかを検証してみるのもいいかもしれない。金曜日の下手に筋トレをしてしまうと、中2日間の休息となって月曜日の最後のトレーニングを迎える。ここはあえて実験的に、たっぷりと休養を取って一度筋肉を完全に休めているために、中4日間の休息を取り、金曜日はトレーニングをしないようにしてみようと思う。完全休養後の月曜日の一時帰国前の最後のトレーニングでじっくり90分間ぐらいかけて全身を追い込んで鍛えていきたいと思う。今日のトレーニングは80分ほどのトレーニングとなり、非常に充実した内容だった。日曜日から数えると中2日間の休息だっため、前回ブルガリアンスクワットなどを通じて追い込んだ大臀筋に幾分疲労が残っている感覚があった。こうした疲労感を一度完全にリセットする意味でも、しっかり4日間の休息を取って最後のトレーニングに臨みたい。何事においてもそうだが、しっかりとした休息を取ることは成長において不可欠である。知的な成長においてもそうであるし、筋肉の成長においてもそうだ。フローニンゲン:2024/11/6(水)16:46


Today’s Letter

Emptiness is fullness, and fullness is emptiness. The more we let go of our ego, the more fulfillment we experience. Modern people are often caught up in reinforcing their ego, which leads to suffering. When they stop reinforcing their ego, they find freedom and liberation. Groningen, November 6 2024

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