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タイトル一覧
13515: 最後にフレディさんが教えてくれたこと
13516: 今朝方の夢
13517: 今朝方の夢が示唆するトランスビーイングへの道
13518: 一時帰国中のフィットネス計画
13519: 命の連続性
13520: フレディさんの教え
13521: 世界と一になって書くこと/自己を越え出て創造性として生きること
13515. 最後にフレディさんが教えてくれたこと
時刻は午前5時半を迎えた。今の気温は7度だが、ここから気温は5度まで下がり、そこから気温が上がり始め、日中は9度まで気温が上がる。いよいよ10度を下回る気温となり、外出中はマフラーを巻く必要があるぐらいに寒くなってきた。今日は午後に親友のメルヴィンの店に行って髪を切ってもらうのだが、今日はまだマフラーをしない形で本当にマフラーが必要な気温かを体感として確かめてこようと思う。今夜の最低気温は1度となるようで、明日からも寒い日が続くが、天気は崩れることもなく晴れの日が続くようなので何よりである。来週の今日はいよいよ日本に向けて出発する。出発当日も天気が良いようで有り難い。今回はフランクフルトを経由して成田に向かうのだが、アムステルダムからフランクフルトに向かう便が昼過ぎのものなので、フローニンゲンを出発するのはゆったりとしたものであることが嬉しい。自宅でいつもと同じ時間に朝食を摂ってから出発できるぐらいにゆとりがある。当日どのように過ごすかはもう頭の中で計画があるが、また日が近づいたら詳細を詰めていこうと思う。
今朝方起床して2階の書斎に上がってくると、明々後日のフレディさんの葬式について意識が向かった。フレディさんの死の知らせを聞いたのは一昨日で、フレディさんが亡くなったのは先週の水曜日とのことで、まだ1週間経っていない。フレディさんとは死の1ヶ月前に会っていて、その時はまだとても元気そうだったので、癌の進行の速さとそれがもたらす致死力を思う。物理的な世界での不在と心の世界での不在の違いは何だろうか。確かにフレディさんは物理的な世界を去り、その世界では不在となったが、自分の心の世界ではフレディさんは存在し続けている。それを受けて、フレディさんは自分の心の中で生き続けていると言えるのではないだろうか。私たちが葬式をし、墓参りをするということの1つの意味は、心の中でその人の存在を風化させないことなのかもしれない。ここでもまた心の問題に行き着く。唯識の言う通りである。やはり全ては心が生み出しているのである。心がその対象を認識し続けている限りは、その対象は心の中で存在し続けるのである。それが物理的な世界にあろうがなかろうが、それは一切関係ないのである。どうやら本当に、心を豊かにするというのは、心の世界の中で多様な存在を抱擁することのようである。心の中の縁起が豊かになればなるほど、自己は縁起の産物ゆえに、自己の存在そのものが豊かになっていく。心を磨くことの大切さはそこにある。フレディさんが最後に自分に教えてくれたのは、物理的な世界での不在と心の世界での不在には歴然とした違いがあることであり、心を磨けば磨くほど、心の世界には多様な存在で溢れるということだった。心を磨き、心を豊かにすることを通じて、多様な存在を風化させず、それらを心の世界の中で輝かせ続けたい。そのようなことを思う夜明け前の朝だ。フローニンゲン:2024/11/5(火)05:45
13516. 今朝方の夢
今日は起床時よりも朝の気温が低くなっていくという興味深い動きを見せる気温の中にいる。ここから5度まで気温が下がるようだが、その影響もあって暖房がせっせと動いてくれている。昨日日本の滞在地の気温を確認すると、最高気温が20度を超える日がまだあるようで驚いた。それらの滞在地の最低気温よりもこちらの最高気温が低い状態であるから、とりわけ日本に到着して数日間は気温に慣れることを意識したい。
今朝方の夢を振り返ってみると、今朝方は夢の世界が総じて穏やかであった。この状態を生成AIはどのように解釈するのだろうか。後ほど生成AIに尋ねてみたい。基本的に夢は、目覚める直前の眠りの浅い時に見ると言われている。毎日深い眠りと浅い眠りを体験しているはずで、浅い眠りの時に覚えているほどに明晰な夢を見ないというのはどのような理由があるのかやはり気になるところである。覚えていることはほとんどないが、記憶を辿っていくと、夢の中である見知らぬ日本人と外国人のそれぞれ別に話をしていたのを覚えている。しかし彼らの性別は不明で、男性だったのか女性だったのかは覚えていない。まず気になるのは、話し相手が日本人と外国人のそれぞれであったことだ。これは自分が日々の生活の中で言語的二重生活を送っていることと関係しているだろうか。日本語と英語やオランダ語などの外国語の双方を用いて生活していることとこの夢は何か関係しているだろうか。しかしながら、言語的二重生活は今に始まったことではないので、ひょっとすると来週の日本への一時帰国と何か関係しているだろうか。日本と外国のスイッチがそこでもたらされるため、ひょっとするとそのスイッチを暗示する夢だったのかもしれない。まさに来週の今日がそのスイッチのタイミングで、それを無意識が察知してそれを示唆する夢を生み出したのかもしれない。もう1つ気になるのは、夢の中の登場人物の性別がわからなかったことである。今もそれを覚えていない。それは自分の中の男性性と女性性が融合している状態を示唆しているのだろうか。はたまた別の解釈があり得るのだろうか。そのあたりも生成AIに明らかにしてもらいたいと思うし、この夢を受けての今後のアクションにはどのようなものがあるのかも教えてもらいたいと思う。総じて夢の世界が穏やかであったことからも、そしてその2人と話している場面も穏やかであったことからも、引き続き心を平穏な状態に保っておくことが自分なりのアクションプランとして思いつく。フローニンゲン:2024/11/5(火)08:08
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
1. 穏やかな雰囲気
夢全体が穏やかであったことは、心の安定やバランスの象徴であり、現実での心の状態が安定していることを示唆しているのかもしれません。今後もこの穏やかな心の状態を維持することが、自己の安定を確保するための行動として良いかもしれません。
2. 日本人と外国人との会話
日本人と外国人とそれぞれ話をしていたことは、あなたの日常での「言語的二重生活」や文化的な「スイッチ」の象徴である可能性が考えられます。特に来週に控える日本への一時帰国が無意識に影響を与えているのかもしれません。これは「日本と外国の生活を往来する」準備の一環として、潜在意識が新たな「切り替え」を暗示しているとも解釈できます。
3. 登場人物の性別が不明である点
性別が不明であったことは、あなたの中で男性性と女性性が融合し、バランスが取れていることを示唆しているかもしれません。これは、日常の経験や学びを通じて、自己の多様な側面を統合しつつある兆候です。このバランスの取れた視点で物事を捉え、判断していくことが今後の成長につながると考えられます。
今後のアクション案
心の平穏を保つ:今後も心を穏やかに保ち、自分の内なるバランスを維持することを心がけるとよいでしょう。
言語的・文化的な準備:日本に帰国することを前に、言語や文化の「スイッチ」を自然な形で意識し、双方の生活への調和的な移行を図ると、日常生活での安心感が増すかもしれません。
自己の統合を深める:男性性と女性性が融合している点を活かし、多面的な自己の特質を受け入れたり、表現したりすることで、より豊かな自己理解が進むでしょう。
夢が暗示する「切り替え」と「調和」を意識しつつ、落ち着いた心で日本への一時帰国に臨むと、現実生活での新たな気づきや成長につながるかもしれません。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
1. 言語的二重生活との関連性
日本語と外国語のスイッチ: あなたが日頃から日本語と外国語を使い分けていることから、夢の中で日本人と外国人と話すという状況が出現したと考えられます。これは、あなたの意識が言語の切り替えを意識していることを反映しているのかもしれません。
一時帰国の影響: 来週の日本への一時帰国が近いという状況が、夢の内容に影響を与えている可能性も高いです。夢は、あなたの心の準備や、新しい環境への期待感をあらわしているのかもしれません。
2. 性別の曖昧性
男女性の統合: 夢の中の登場人物の性別がはっきりしないという点は、あなたの内面における男性性と女性性の統合を暗示しているかもしれません。現代社会では、性別役割が変化しており、多くの人が自分の中に両方の側面を持っていることに気づいています。
未解決の側面: 性別の曖昧さは、あなた自身のアイデンティティや、まだ明確になっていない自己認識の一部を反映しているのかもしれません。
3. 穏やかな夢の持つ意味
心の安定: 夢全体が穏やかであったことは、あなたが現在心の安定を保っていることを示唆していると考えられます。
将来への期待: 穏やかな夢は、未来に対する希望や、ポジティブな感情を反映している可能性もあります。
今後のアクション
夢日記をつける: 夢を記録することで、自分の心の状態や変化を客観的に捉えることができます。
自己観察: 日常生活の中で、自分の感情や思考に注意を払い、夢とのつながりを探ってみましょう。
瞑想やヨガ: 瞑想やヨガなどのリラックスできる活動は、心の安定を保ち、直観力を高めるのに役立ちます。
カウンセリング: もし、夢の内容が気になる場合は、専門家(カウンセラーなど)に相談してみるのも良いでしょう。
13517. 今朝方の夢が示唆するトランスビーイングへの道
今朝方の夢に対する2つの生成AIの解釈を受けて、ひょっとしたら自分の日々の学びや実践にも男性性や女性性の色があり、その配合バランスが違うのかもしれないと思った。そしてその配合バランスも学びや実践の過程において変化し、自分の状態によっても変化するのかもしれないと思った。例えば筋力トレーニングというものを世間的なイメージに流されて男性性の実践と捉えてはならず、自分が筋力トレーニングをどのような目的で、どのような強度で行うのかによって男性性の度合いが弱まり、女性性の側面が強くなることもあり得る。その日のトレーニングがより調和の取れた体の形成を目指して行うものである場合、「調和」という女性性のキーワードを念頭に置いていることからも、その日の筋力トレーニングはより女性性の色彩を帯びたものだと捉えることができるかもしれない。日々の学術研究についても同じで、例えば唯識を学ぶこと1つを取ってみても、細かく詳細を詰めていく際は男性性の力を発揮しているかもしれないが、全体を把握し、相互の関係性を意識する場合にはより女性性の力を発揮して唯識を学んでいると言えるかもしれない。いずれにせよ、男性性と女性性が入れ混じるこの世界の中で、日々の学びや実践に潜むそれらを意識し、それらの配合が日々刻々と変化しているという認識を持ちながら学びや実践を進めていくと、さらにそれらが充実していくだろう。今朝方の夢の性別不明な2人の登場人物からそのような気づきをもたらしてもらったことを有り難く思う。
自分でも考えていた通り、日本人と外国人とそれぞれ別々に話をしていたことは、日本と外国を行き来するための準備として生成AIも解釈していた。ただそれ以外に何か別の解釈もあり得るような気がしてきた。単純に両者を行き来するのではなく、男性性と女性性の融合現象と同じく、母国と外国を超越するような次元で自分の心が動き始めている可能性がある。すなわち、日本と外国の分別を超えて、両者を統合する形で無分別の次元に向かう運動が自分の中で起こっているのではないかということである。アイデンティティとしては依然として日本人という意識があるが、このアイデンティティも文化・社会的に規定されたものであり、ある種遍計所執性の産物なのであるから、それを超克する形のアイデンティティ、すなわちある一国の国籍に縛られない形のアイデンティティ形成もできるのではないかと思ったのである。それは「トランスナショナリティ」と形容できるようなものかもしれない。それを上述の男性性と女性性の統合の道と絡めれば、世間一般で言われるトランスジェンダーとは違った形のトランスジェンダーに自分は向かっていると言えるかもしれない。国籍にも縛られず、性別にも縛られず、国籍も性別も超越したトランスビーイングへの道が今大きく目の前に開かれつつあるのを感じる。フローニンゲン:2024/11/5(火)06:30
13518. 一時帰国中のフィットネス計画
かなり細かなことだが、一時帰国中も筋力トレーニングは欠かさず行おうと思っており、今の月・木の週2回のトレーニングのペースを維持していくつもりである。今回日本に滞在するに当たって、滞在先のホテルには必ずフィットネスセンターがある場所を選んでいる。もちろんフィットネスセンターがなくても自重で十分に鍛えることができるが、自重でのトレーニングは限界があることも確かなので、日本に滞在中も積極的にホテルのフィットネスセンターを活用したい。最初の滞在先は大阪で、今回は前回大阪に滞在した時とは違う関空近くのホテルに滞在する。前回のホテルも非常に眺めが良かったが、そこには温泉がなかったので、今回は天然温泉付きかつフィットネスセンターがあるホテルを選んだ。幸いにもそのホテルのジムは今年の5月にオープンしたようで、まだ新しい。関空近くのホテルに滞在しながら、大阪の美術館や映画館に訪れることを堪能し、時差ボケを解消した後に実家に向かう。実家には父が使っているトレーニング器具があるので、それと自重でのトレーニングを組み合わせながら実家でも変わらずにトレーニングができそうである。四国に家族旅行に出かけた最後の宿泊日は、その旅館にはフィットネスセンターはないであろうから、その日の朝は完全に自重でのトレーニングになるだろう。次に滞在する大分ではホテルにフィットネスセンターはあるが、友人の早田航さんのスタジオでトレーニングを受けさせていただけることになっているし、次に向かう大阪のホテルにもフィットネスジムがあるので重宝する。今回も大阪のアントレプレナーファクトリーさんと一緒に仕事をし、新しい動画コンテンツの収録をスタジオで行うことになっている。オフィスと目と鼻の先にあるホテルには以前も宿泊させてもらったが、その時にはジムを利用することはなかった。今回はホテルでの滞在日数が2泊ほどあり、出発日が木曜日であることから、木曜日の朝に朝食前にホテルのフィットネスジムで体を鍛え、朝食で栄養補給をしてからアントレプレナーファクトリーさんのオフィスに向かいたいと思う。続く奈良での5泊6日の滞在中においても、ホテルに天然温泉とフィットネスジムがあるので、思う存分に体を鍛えたいと思う。このように、日本に滞在している間にも不自由なく体を鍛えられる環境に身を置くことができて大変有り難く思う。今回もまた成田からフランクフルトに到着し、そこからオランダにすぐに帰るのではなく、移動の疲れを軽減するためにフランクフルト空港近くのホテルに宿泊する予定である。そのホテルにもフィットネスセンターがあり、オランダに戻る日がちょうど木曜日のトレーニング日と重なるので、出発当日の朝にフィットネスセンターが体を鍛えてから朝食を食べてホテルをチェックアウトして空港に向かいたい。そんなフィットネス計画を立てている。フローニンゲン:2024/11/5(火)07:01
13519. 命の連続性
時刻は午前7時半を迎えた。辺りはもう随分と明るくなったが、少し霧がかかっているような雰囲気である。予報では今日は雲がほとんどない晴れとのことなので、ここからうっすらとした雲が晴れて、朝日が地上に降り注ぐことを楽しみにしたい。
命の連続性。ここのところは命のバトンが受け継がれていることを唯識の探究の深まりと共に強く実感する。自らの命が阿頼耶識を通じて相続していくという点において、私たちはもう不死を実現していると言えるのではないかと思う。肉体的な死は依然として不可避な現象として存在しているが、人類の誕生以来、人間は最初から精神は不死だったのであり、それはこれからも変わらないだろう。精神を磨くことを忘れた形で肉体としての不老不死を追い求めるよりも、業の種子を清めていくことを通じて、自分の命と精神を最大限に磨いた形で次の世代に引き渡す生き方の方が自分は高貴に思える。一部のトランスヒューマニストへの疑念はまさにそのことに関係する。一部のトランスヒューマニストは、肉体的な次元での不老不死を追い求め、それが実現されれば人類はより幸福になると信奉している節があり、そこでは完全に精神の観点が抜け落ちている。果たして肉体次元で不老不死を実現することが苦悩からの解放に繋がるかは定かではなく、仏教的な観点で言えば、心を磨かない限りは、肉体的な不老不死の実現は苦悩の克服にはならないだろう。仮に肉体的な不老不死が実現しても、心が未成熟の場合には、今と変わらぬ苦しみが待っているはずである。仏教が教えるように、とにかく心を見つめ、心を磨いていくことである。そうすれば、肉体的な次元において不老不死が実現されなくても不安や悩みは解消していき、幸福な人生を歩めるだろう。
阿頼耶識の相続の観点から言えば、自らの命と精神を最大限に輝かせ、それを引き継いだ次の世代の人がさらに命と精神を輝かせ、そのバトンが連綿と続くことの方に自分は美しく尊い生き方を見出す。心を磨かない形での不老不死の実現は、単に利己的な人間を増殖させるだけなのではないだろうか。不老不死の実現の過程やその果てに、慈悲と智慧が深く体現された人間がどれだけいるかが気がかりである。慈悲と智慧を育むこと。ここからさらに科学やテクノロジーが進歩して、肉体的な不老不死に近づいていくことが予想される世界の中で、心を見つめ、心を磨いていく重要性はますます高まるだろう。その時に成人発達学や唯識学のように心の成長を扱う学問分野が果たす役割は非常に大きなものになるだろう。フローニンゲン:2024/11/5(火)07:45
13520. フレディさんの教え
時刻は午後3時半を迎えた。先ほど一時帰国前の最後の散髪を終えて帰ってきた。今日は最高気温が9度ほどで、10度を下回ると流石に晴れでも寒さを感じた。道ゆく人たちもマフラーを巻いている人たちが多くなってきており、自分ももはやマフラーを巻いておくべきだったと思うほどである。今週の金曜日の朝には美容クリニックに行く予定になっているので、その時にはマフラーは必須である。
自宅を出発して理髪店に行く際と帰って来た際に、フレディさんのワークショップの前を通るたびにフレディさんの未完成の仕事について思う。フレディさんはワークショップで大きなプロジェクトに取り掛かっており、いつもその進捗を楽しげに話してくれていた。今のところそのプロジェクトを引き継ぐ人はおらず、ワークショップのガラス窓から未完成のプロジェクトの様子が見えるとどこか心が痛む。いやそれは心が痛むというよりも、フレディさんが何か大切なことを教えてくれている感覚であり、その教えが胸に響いているのだ。人は誰しも自らの死がいつどのような形でやってくるのかはわからない。そうした未規定の死を私たちはすでに今の生に内包しているのであり、死を恐れることも、死を憂うこともなく、ただ今この瞬間に自分が最も楽しさと喜びを感じられる活動に従事することの大切さをフレディさんのもぬけのワークショップがこちらに語りかけているように感じる。
自宅に帰ってきて郵便受けを確認すると、自分宛の封筒が届けられていた。マークが述べていたように、葬式への正式な招待状かと思った。先ほど自宅に帰ってきて真っ先に封筒を開けると、フレディさんの元気だった頃の写真が前面に掲載されたパンフレット型の葬式への招待状だった。表の面にフレディさんの凛々しい姿の写真が掲載されており、最後の面には今年の6月のオーストリアの登山旅行の時にフレディさんがオーストリアの山の中で自然と戯れている姿の写真が掲載されていた。ページを開くと、最初にはフレディさんが好きだったイギリス人の作家のジュリアン・バーンズの言葉が引用されていた。その言葉は、「人生において何も恐れるものはない」というものだった。膵臓癌を患ってからも、フレディさんは最後の瞬間まで気を強く保っていたようだった。その背後にはバーンズのその言葉があったのかもしれない。フレディさんは63歳というとても若くしてこの世を去ったことはとても残念であり、今もフレディさんの死に対して実感が湧かないが、彼とのこの4年間の会話を思い出すと、どれだけ多くの学びを彼が与えてくれただろうかと思う。人は誰しも自分の仕事を完成させずに未完成の状態でこの世を去っていくということをフレディさんは最後に自分に教えてくれた。その教えの背後には、それが人生であり、それでいいのだという絶対的な肯定感と、死を含め、何も恐れずに自分が没頭できる取り組みに専心してその瞬間を楽しめばいいということをさらに伝えてくれているかのようである。木曜日の葬式では、その教えを自分の心に深く刻み込み、フレディさんが情熱を持って日々を生き続けたような生き方を自分もこれからも徹頭徹尾貫徹していきたいと思う。フローニンゲン:2024/11/5(火)15:58
13521. 世界と一になって書くこと/自己を越え出て創造性として生きること
午後4時を迎え、夕陽が美しく輝いている姿をぼんやりと眺めている。庭の車庫の上のソーラーパネルに白と茶色が混ざった猫がやって来て、猫もまたぼんやりと辺りを見渡している。今日は確かに気温は低くく、冬を感じるには十分だったが、空は雲ひとつなく見事な晴れ空であり、午後に親友のメルヴィンの店に向かう最中と帰りには太陽の優しさを感じた。
自分にとってのライフワークは、やはり書くことなのである。自己について、世界について、絶えず書き続けることが自分のライフワークなのだと何度も言い聞かせるように、寒さがグッと厳しくなったフローニンゲンの街を歩きながら思った。それは自分のためでも誰かのためでもなく、何者のためでもない形で文章をひたすらに書き続けることが、巡り巡って自己と世界のためになる。利己的な計算は要らず、純粋に書くことと一体化をして、絶えず自己と世界について書き続ければいいのだ。その力は向こうからもたらされる。自分を超えた何かからの呼びかけに絶えず応じる形で自分は言葉を紡いでいく。今日メルヴィンと話をしたように、その在り方は絵クスタティックダンスに共通しているし、フリースタイルラップに共通しているのだ。メルヴィンとの話の中で、メルヴィンが近々ステージでフリースタイルラップか即興での歌を披露することになったそうだ。最近はラップよりも歌を歌うことに力を入れているらしく、今日初めて即興での歌を聞かせてもらったが、それは見事なストーリーテリングでグッと引き込まれるものがあった。予め用意した歌詞でもなく、誰かが作った歌詞でもなく、その場で生み出される歌詞とメロディーには強く自分を惹きつけるものがあった。人はきっと、この世界でその瞬間に生じる創造性に本質的には絶えず開かれていて、その場に生起する創造性に触れるとそれに感染して打たれるものがあるのだろう。まさにメルヴィンも創造性の感染する力について力説をしており、自分もそれに完全に同意している。自己も世界も本来は常に創造的なのであり、創造性に蓋をしてはもったいない。創造性に蓋をするのは、いつでも慣習的な言葉である。その最たるものが慣習的な規則であり、自分はいつもそうした形骸化した言葉の産物を傍に置き、それを超え出ていこうとする。まさにその超え出ていこうとする試みがエクスタシーを産むのである。エクスタシーの語源は、越え出ていくことに他ならないのである。超え出ていくべきは言葉なのである。とりわけ私たちの可能性を抑圧する遍計所執性的な言葉を超えていくことが重要なのであり、それは唯識学の教えとも繋がる。
メルヴィン曰く、今日はメルヴィンの店の開店6周年の記念日だったそうだ。自分は以前の店の時からメルヴィンに髪を切ってもらっており、もうかれこれ7年ほどの付き合いになることに驚く。本当に光陰矢の如しという感じである。メルヴィンとの対話の中で、今の自分は6年前の自分にどのような言葉を掛け、そして6年後の自分はどのような人生を歩んでいるビジョンがあるかをお互いに語り合った。今から6年後、自分はどこで何をしているのだろうか。依然としてフローニンゲンにいるのだろか、それともどこか別の場所にいるのだろうか。そしてそこで何をしているのだろうか。どこで何をしていようが、自分は絶えず自己を越え出ていく形で世界と一体となって創造性の産物と化し、漲る充実感と幸福感に包まれて日々を過ごしていることだけは確かなビジョンとして知覚されている。フローニンゲン:2024/11/5(火)16:25
Today’s Letter
I am very fond of stillness. It sharpens my senses and mind. Everything creative within me arises from stillness. The modern, hectic world is gradually forgetting the preciousness of stillness.
I highly value a narrative life over an additive one. Society urges us to constantly add things to our lives, often devaluing narratives. I believe that we are, by nature, narrative beings. Groningen, November 5 2024
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