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タイトル一覧
13491: 視点取得能力と視点探索能力/発達測定を活用したハーバードビジネススクールの興味深い試み
13492: 適切な知的負荷量をかけていく読書の大切さ
13493: 器の成長に重要なシャドーワーク
13494: 今朝方の夢
13495: 今朝方の夢の続き
13491. 視点取得能力と視点探索能力/発達測定を活用したハーバードビジネススクールの興味深い試み
時刻は午前6時半を迎えた。今日もきっと昨日と同様に、あと30分したら空が明るくなり始めるだろう。今はまだ真っ暗な世界が辺りを深く包んでいる。早朝起床して歯磨きをした後にふと、昨日公開になった新R25さんの対談の内容を思い出し、少し考え事をしていた。対談の中では人間の器を開発するにあたって、まず視点取得能力(perspective taking ability)を伸ばすことの大切さを伝えた。1回の対談であまりにも多くの情報量を積み込んでしまうと好ましくないと思ったので、その能力だけに絞って紹介したが、視点取得能力はどのような対象に視点を取れるかというある意味視点の広さを表すものであり、そこからさらに重要なものとして視点探索能力(perspective seeking ability)というものがある。こちらは取得した視点をさらに深めていく視点の深さを司る能力である。もちろん視点取得能力の中に幅と深さを持たせて説明することも可能なので、その対談の中ではそのように説明したつもりである。しかし成人発達学の研究においては、幅と深さを分けて、それぞれに対応する構成概念を設定する形で上記の2つの能力を掲げている。先日の対談の中でも視点取得能力の高め方について1つ方法を提示したが、視点取得能力(視点の広さ)と視点探索能力(視点の深さ)をある特定の領域で深めるために有益な実践は、古典的であるが読書である。発達測定機関のレクティカはかつてハーバードビジネススクール(HBS)と提携し、HBSが提供するリーダーシップ講座のカリキュラムデザインに発達測定の観点を活用したことがある。そこでは、リーダーシップ能力という特定の能力に絞り、その能力を伸ばすためのカリキュラムデザインに発達測定の観点を取り入れ、リーダーシップ能力を構成するサブスキルごとに課題図書のレベル分けをしていった。書物や論文にも思考の複雑性のレベルがあり、それを測定することが可能であり、受講者と課題図書の思考の複雑性をマッチングさせていくようなカリキュラムデザインがなされたのである。この試みは非常に重要である。というのも、多くの教育プログラムにおいて、受講者の思考の複雑性を明らかにすることもまずないし、課題図書が持つ思考の複雑性も明らかにすることがなく、そうした状況においては能力を伸ばすための最適な負荷量をかけることができないからである。発達の要諦は、課題と支援の双方をセットで与えることだと言われるが、まさにレクティカが行ったのは、リーダーシップ能力を構成するそれぞれのサブスキルに対して課題図書という課題を設定し、支援としては受講者と課題図書の双方の思考の複雑性を測定し、各受講生の思考の複雑性に最適な課題図書を提供したことにある。筋力トレーニングをするに際しても、まず今の自分がどれだけの筋肉量を持っているのかをおおよそ把握し、筋肉量に合致した負荷量を選択して鍛錬するのと話は同じである。ところがそうしたある種当たり前のことが、これまでの幼児・成人教育の中で行われてこなかったのである。成人発達学が果たす貢献の1つはまさにそこにあり、発達測定というツールをうまく活用し、それぞれの人が伸ばしたいと思う能力にカスタマイズしたカリキュラムをデザインすることを可能にしてくれるのである。そのようなことを考えながら2階の書斎に上がってきた。フローニンゲン:2024/11/1(金)06:47
13492. 適切な知的負荷量をかけていく読書の大切さ
昨日のジムでのパーソナルトレーニングはとても充実しており、一時帰国前の最後のパーソナルトレーニングであることをトレーナーのエリーザにも伝えていたので、お互いにいつも以上に気合いが入ったトレーニングだった。充実したトレーニングのおかげで昨夜の夕食はより一層美味しく感じ、睡眠の質も良好なものとなった。先ほど書き留めていた器の成長に不可欠な視点取得能力と視点探索能力を伸ばすことに加えて、もう1つ考えていたことがある。その前に補足としては、多くのビジネスパーソンは器にせよ、リーダーシップ能力にせよ、現在地を把握しないままに学びや実践に乗り出してしまうことの問題と、自分の現在の身の丈に合っていない課題レベルの学びや実践に取り組んでしまうことの問題を先ほど指摘していた。器についてもリーダーシップ能力についても、あるいは他の知的な能力についても、視点取得能力と視点探索能力の双方を伸ばすのにお勧めなのは読書である。この時にも闇雲に書籍や論文を読んでいては意味がなく、自分が伸ばしたいと思う領域を明確にし、それに紐づいた文献を選定することがまず求められる。そこから重要なことは、多くの人が無視している文献のレベルの選定である。発達測定の専門家でない限り、厳密な発達測定を文献に対して行うのは難しいかと思うが、簡易的な文献発達測定として、その領域でお手軽に読めるようなビジネス書だけを読むのではなく、咀嚼のしがいがあるような少し難解な書物にも手を伸ばしてみるのはお勧めである。発達測定の能力は実は誰しもの中にあり、その精度は専門的なトレーニングによって高められていくが、それでも目の前に簡単な本と難しい本が置かれた時に、どちらが思考の複雑性のレベルが高い本かはほぼ全ての人が直感的にすぐにわかるはずである。私たちが本来持っている発達測定の能力を活かしながら、自分が伸ばしたいと思う領域の課題図書を選び、その際に文献のレベルを意識するといいだろう。簡単すぎるものばかりを読むのではなく、今の自分が少し難解に感じるぐらいのちょうどいい認知的な負荷量をもたす文献を選定し、それを通じて当該領域の視点取得能力と視点探索能力の双方を伸ばしていくことができるだろう。一概には言えないが、よく書店でベストセラーになっている本は、成人の発達段階の分布から見ても、その多くが集中する知性の段階の人たちが手に取って理解できる内容になっていることから、その書物の思考の複雑性のレベルはさほど高くない傾向にある。もちろん準学術書的なビジネス書でベストセラーになっているものの中で、思考の複雑性のレベルが高いものも例外的にあるが、それはやはり例外であり、大型書店で平積みになっていてよく売れている本はさほど複雑性のレベルは高くない。それも書籍選択の1つの観点となるだろう。それではどのような書物が思考の複雑性が高いかというと、それはやはり生粋の学術書である。ここでは一般書を読むことが悪であり、生粋の学術書を読むことが善であると述べているのでは決してなく、重要なことは自分が伸ばしたいと思っている知性領域の現在地に見合ったレベルの書物を読んでいくということである。往々にして人は、知的な負荷量をかけることを避け、今の自分のレベルと全く同じかそれ以下の書物としか向き合わない傾向にあり、そうした状況は発達を実現させてくれない。適切な知的負荷量をかけていく読書について再考することを奨励したいと思う。フローニンゲン:2024/11/1(金)07:21
13493. 器の成長に重要なシャドーワーク
気がつけば時刻は午前7時半を迎えていて、辺りがようやく明るくなった。昨日はジムでのトレーニングがあったので、朝の栄養補給を兼ねた栄養豊富なドリンクを飲むことがいつも楽しみであり、先ほどそれを味わった。かつてはプロテインを朝に飲んでいたが、今はもう人工的なプロテインを摂取することはなく、プロテインが豊富なヘンプパウダーを代用品とし、そこに小麦若葉のパウダーやカカオパウダーを加え、それをお湯で割って蜂蜜と豆乳を少し加える飲み物を毎朝飲んでいる。それを飲み終えた後に抹茶を淹れるというのが普段の流れである。まさに今は淹れたての抹茶を飲みながらこの日記を綴っている。
先ほどの話の続きとして、今度は人間の器に絞り、器を育んでいくときに必要なことの補足をしたい。それも前回の対談の中では触れることのできなかったものだが、それは極めて重要なものなのでここで補足しておく。対談の中では人間の器を構成する種々の能力領域に通底している視点取得能力に限定して解説をしたが、器を構成する能力の中でも重要な共感能力や協働能力を考えてみると、それらを伸ばすのに必要な方法としては、シャドーワークを挙げることができる。これは極めて重要な実践でありながら、先日の対談では一切触れることができなかった。もちろん視点取得能力はシャドーワークの基礎を構成する能力でもあるため、最初にそれに触れることができたのは良かったが、視点取得能力だけを高めていってもシャドーワークがなければどこかで器の成長は頭打ちになるだろうし、コミュニケーション上の問題を常に抱えたままになるに違いない。そうしたことからも、一時帰国中の次回の対談ではぜひシャドーワークの重要性についても触れたい。
それではそもそもシャドーワークというのは何なのかを一言で言えば、自分の心の盲点、ないしは影になっている部分と向き合うことである。それは文字通りの定義であり、もう少しわかりやすく言えば、自分の思考や感覚の背後にある過去の体験を通じて形成された思い込みや大小様々なトラウマのようなものがシャドーであり、私たちはそれを知らず知らず相手に投影する形でコミュニケーションを取っている。相手の話を聞く時にも、こちらが話をする時にも、そうした自分の内側にある思い込みやトラウマ記憶を通して私たちはコミュニケーションを図っているのである。コミュニケーションにおけるフィルターとしてのシャドーに無自覚な時、円滑なコミュニケーションは成り立たず、不毛な対立が生じるばかりとなる。相互発達的なコミュニケーションを実現する上で、自分が抱えているシャドーは何なのかを特定していく内省作業がシャドーワークであり、シャドーの無自覚な投影を防ぐのもまたシャドーワークと言える。例えば自分が何か企画書を上司に提出した時に、上司から手厳しいフィードバックが返ってくると、何か怒りや虚しさを感じることはよくあるだろう。そこで重要なことは、そうした怒りや虚しさをもたらしている自分の認識の枠組みや過去の体験を思い返してみることである。深いトラウマ体験の場合はサイコセラピストなどの専門家の支援が必要であるが、まずは表層的にでもいいので、自分の中に生じた不快な感情の根っこに何があるかに自覚的になればなるだけ、シャドーによって抑圧されていたエネルギーを別の方向に振り向けることができるだろうし、そもそも自己理解力や他者理解力の涵養にもつながるだろう。シャドーにも色々な種類があるが、少なくとも価値観や認識の枠組みとしての認知的シャドーとより感情的な側面の強い感情的シャドーを特定していくことが推奨される。器の大きな人は、自身が抱えるこうしたシャドーに対して深く内省的であり、シャドーを無自覚に投影することを極力避けることができ、シャドーを投影した場合であっても速やかにそれに気づき、円滑なコミュニケーションを実現させることができるのである。フローニンゲン:2024/11/1(金)07:48
13494. 今朝方の夢
朝食をつい今し方摂り終え、今日はまだ今朝方の夢の振り返りができてないので、午前中の読書に取り掛かる前に夢について振り返っておこうと思う。夢の振り返りもまた自分の心を多角的に理解することに繋がり、視点取得能力・視点探索能力を養うものでもあるし、何よりもシャドーワークの優れた実践である。そんな格好な学習・実践教材である夢を振り返らないのはとても勿体無いことである。
夢の中で私は、気が付くと欧州の見慣れない町の教会の傍にいた。どうやら先ほどまで教会の中で礼拝をしていたようである。自分はキリスト教の信者では決してないが、その教会には自分を惹きつける目には見えない力があり、それに誘われる形で教会の中にふらりと入って礼拝をしていたようである。教会の外に出てみると、そこに2人の女性の知人がいた。2人とはかつて自分が主催する勉強会で出会い、それ以降良き関係性を続けさせてもらっている。教会の周りも良い雰囲気だったので、教会の脇で立ち話をしていると、もう1人別の女性の知人がやって来て、彼女がどうやら海外の大学院に合格したらしく、それを3人で祝福した。
それ以外に覚えているのは、砂利のサッカーコートでサッカーの試合に参加している場面である。本来は11対11で行うはずのサッカーが、相手チームにはちゃんと11人がいたが、こちらはわずか5人で戦っていた。キーパーを除くと、フィールドプレイヤーはわずか4人であり、2倍以上の数の差がある相手の10人のフィールドプレイヤーを相手にするのは至難の業であった。こちらの4人は自分を除くと、3人の親友(NK & SI & HS)で、なんとか彼らと力を合わせて試合を成り立たせていた。最初のうち私は攻撃的なポジションを担当していたが、なかなかゴールを奪うことができず、攻守の両方に優れた親友とポジションを変わった。そこまではずっと0対0の硬直状態が続いていて、自分はセンターバックとして1人で守備の全てを担当することになり、失点をしないように細心の注意を払うことにした。こちらのキーパーは、さほどキーパーが上手くない小中学校時代の野球部の友人(MS)だったので、彼のところにボールが飛んで行かないようにできるだけする必要があった。一点自分に関して懸念だったのは、私は瞬発力はあったが、数十メートルぐらいの距離の足の速さに難を抱えていることを知っていたので、相手のフォワードに一気に裏に抜けられたらキーパーと1対1になって失点してしまいそうだと思った。なので私はとにかく裏を取られないようにし、また自分のところにボールが来たら、ボールを長く保持するのではなく、早く味方に配給してできるだけディフェンスラインでのリスクを下げることを心掛けようと思った。おそらくそれを徹底させれば失点をすることはほとんどないと思ったし、後半からはサッカーの上手い2人の友人が助っ人として駆けつけてくれることがわかっていたので、そこまで人数のギャップを耐えようと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/11/1(金)08:37
13495. 今朝方の夢の続き
つい先ほど今朝方の夢について振り返ったが、まだ夢の続きがいくつかあるので、それらについても振り返っておきたい。続きとして覚えているのは、暗号資産への投資を行っている場面である。そこでは小中高時代の親友(SI)が現れ、彼がつい先ほど購入した暗号資産のある銘柄の話をしてくれた。実は偶然ながらその銘柄は自分も最近投資をしていたばかりだったので、彼との話が盛り上がった。彼はリスクをそれほど背負わず、余剰資金の100万円を50万円ずつ2つの暗号資産に投資したらしかった。その分散投資の姿勢は素晴らしく、投資した銘柄にも先見の明があると思った。事実2つのうちの片方は自分も投資をしており、今後の値上がりが期待された。その銘柄は、人間の命を大切にするビジョンを掲げており、アメリカの金持ちたちもそのビジョンに共感して多くの富裕層たちが投資をしていた。もちろん暗号資産に限らず、投資にはリスクがつきもので、その銘柄の価格がどのように変動するかは誰にも読めないが、彼と自分が投資した銘柄は長期的にはかなり高い確率で大きく値上がりすることが予想された。
この夢を受けて次に見ていたのは、外国の見慣れない町の郊外にいる場面である。そこは軍隊の特殊訓練に用いられる広大なフィールドを有していて、私は野原にポツリと立って風を感じていた。野原を歩いていると、そこに土が盛り上がった場所があり、そこに登った。するとその土のてっぺんで、地面から突然人の声が聞こえてきて驚いた。声の主は、小中学校時代の双子の友人の兄の方で、何やら私にお願いがあるとのことだった。近くにあるFBIの行動科学センターに行き、そこの所長に言伝して欲しいとのことだった。偶然にも私は所長と知り合いだった。というよりも、アメリカ人のその所長はかつての私の上司であり、元上司への挨拶も兼ねて彼の依頼を受けることにした。その上司はかつてアメリカの有名な俳優で、多くの人が必ず見たことがあるであろう映画やドラマに出演していた。今はもうFBIの仕事に専念しているようで、特に人材育成に力を入れているようだった。友人からの言伝を受けて、早速FBIの行動科学センターに向かった。行動科学センターの他の支部にはかつて訪れたことがあるが、本部を訪れるのは初めてのことだったので、その場所が本当に本部か少し戸惑ってしまったが、敷地内を歩いている人たちの様子からそこが確かに本部だとわかった。所長を務める元上司は、担当しているクラスを終えて、おそらく自分のオフィスにいるだろうと思ったので、彼のオフィスに向かうことにした。所長のオフィスに行くためには面談のアポイントメントが必要だろうし、こちらの身分を受付で証明する必要がありそうだった。今回はアポイントを取っていなかったので、元上司に会えるか少し心配だったが、自分もかつてはFBIの外部アドバイザーとして働いていたのだが、上手く融通を効かせてもらって中に入ることができるだろうと思った。建物の中に入ろうとすると、若いアメリカ人の双子の兄弟が自分の姿を見つけ、少し不審そうにこちらを眺めていた。そしてこちらに近寄ってきて、何の用でここにいるのかを尋ねてきた。2人に事情を説明しようとするよりも先に、自分の体は護身術を発動させ、2人の腹にエルボーを喰らわせ、2人を即座に悶絶させた。それでもう邪魔者はいないだろうと思い、そこから涼しい顔をして建物の中に入っていくことにした。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/11/1(金)08:53
Today’s Letter
Where does humanity go from here? What is the direction of our future? The term 'human' might one day disappear, and humans could become interbeings with other species including AI. Groningen, November 1 2024
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