⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
13479: 肉体と阿頼耶識/良き社会の実現のための唯識学
13480: 迫る一時帰国に向けての思い
13481: 今朝方の夢
13482: 今朝方の夢の続き/性力の涵養と変換
13483: 何度も立ち返る成人発達理論とインテグラル理論/コンテクストによって形成される性イメージ
13479. 肉体と阿頼耶識/良き社会の実現のための唯識学
時刻はゆっくりと午前6時に近づいている。サマータイムが終了して最初の週も数日ほどが経ち、1時間の時間のずれにももう慣れたようだ。体内時計もうまく調節されており、特に問題を感じることなく過ごすことができている。体内時計もまた身体的なホメオスタシスの1種であり、それもまた阿頼耶識によって支えられていると考えると感慨深いものがある。阿頼耶識は記憶としての種子と自然環境を対象にするのみならず、私たちの肉体も対象としてその維持を司っている。その場合には阿陀那識と呼ばれたりもする。いずれにせよ、身体の維持機能の背後に阿頼耶識の存在があるというのは唯識思想の慧眼であり、身体の調子を整えることに阿頼耶識が関与していることを考えると、阿頼耶識の中の不純な種子を浄化していくことを通じて、身体はさらに軽やかなものになっていくであろう。肉体が経安の境地に至ると、心も同時に同じ境地に至る。唯識思想の実践性あるいは現生利益的な側面は、意識の深層と向き合い、不純な種子を浄化していくことを通じて、平穏でエネルギーに満ちた心身を得ることができることである。そしてそうした心身もまた諸行無常の真理に貫かれているという明瞭な認識から、快調な心身にも囚われることなく自由に生きることを可能にする。唯識思想は学べば学ぶだけ、自らの人生の充実度と自由度が増してくることが興味深く、それに感謝したい。
今日は午前中にコラボラジオの収録があり、それに向けて課題図書の該当箇所を再読しておこうと思う。性愛学に内包される性科学の知識を習得していくことを大切にしながら、性に関する発達領域の知性を着実に育んでいく。書籍の該当箇所を読み終えたら、今日もまた唯識学の研究書の続きを読み進めていく。ここのところは再び唯識学の専門書に目を通すことが増えており、それは上述のように、唯識学の智慧を汲み取れば汲み取るだけ、自分の日々の生活がさらに充実していると感じることと関係している。唯識学は心について徹底的に探究した思想体系であり、やはり最終的には心を理解し、心を磨いていくことが良き人生に繋がっていくことを感じる。良き社会の実現も詰まるところ、各人が心を見つめ、心を磨くことなしには実現しないであろう。美しい心のないところに美しい社会はなく、輝く心のないところに輝く社会はないのではないだろうか。心を見つめ、心を磨くことだけで良き社会が実現できるほどに社会は単純ではないが、磨かれた心は良き社会の必要条件にはなるだろう。自分が日々行っている唯識学の探究は、個人の心を輝かせる支援に繋げていくだけではなく、良き社会の実現にも繋げていくものなのだと改めて思う。そう思うと、日々の探究を進める力が自然と内側から湧き上がってくる。フローニンゲン:2024/10/30(水)06:03
13480. 迫る一時帰国に向けての思い
早朝の午前6時過ぎの今の気温は13度で、今日はもうここから1度しか気温が上がらない。平坦な気温の推移の後に緩やかに気温が下がるが、明日の朝も11度ほどの気温なので寒さは大したことはない。とは言え今も暖房が自動で入っている。今週の土曜日から寒さのフェーズが変わり、最高気温は10度前半、最低気温は5度を下回る日が続々と出てくる予報である。まだ最低気温は氷点下にはならないが、それも時間の問題かと思う。
ふと気づくと、再来週の今日はもう自分は日本にいる。2年振りの日本の滞在に向けて胸が踊る。母国日本は自分にとって、観光で訪れる分には最高の国である。今回の一時帰国では東京に滞在することはなく、いつものように未踏の場所を旅することが楽しみの1つである。両親と話すことや親友と地元で会って旧交を温めることも今回の旅の1つの楽しみである。日本の社会をより良いものにし、人と社会を輝かせることに情熱と使命感を持っている自分にとって、毎回の一時帰国は日本の情勢を肌で感じる最良の機会となる。ここ最近は2年に1度しか帰ることができていないので、毎回の滞在は貴重である。逆に2年に1度という頻度ゆえに、日本社会の水面下で生じている人々の心に関するマクロな変化を微細に掴む自分がいる。それは他の現象と同様に、日々小さく変化を積み重ねているものだが、日本に住んでいるとその変化の微細さゆえに気づくことができず、自分のように外から定期的に訪れた者にしか感知しにくいものがあるかと思う。もちろん日本に住んでいる人の中にも感覚が鋭敏で、人々の集合意識の有り様や社会の動態に敏感に気付ける人もいる。しかしそれができるのは少数であろう。自分がやるべきことは、日本社会の深層で起こっている否定的な方向への変化を掴むことだけではなく、その観察をもとにして処方箋を提供していくことである。日々の探究と実践は全てそのために行っていると言える。毎日の学習と実践は自分を肥やすために行っているのではなく、日本社会に資するためなのだ。欧米社会で過ごす年数が増せば増すだけその思いが強くなる。今回の一時帰国を通じて、とりわけ人々の意識がどのような状態になっているのかを具に観察しよう。直接的に他者の意識に参与して観察することはできないが、他者の肉体を通じて、あるいは他者との会話を通じてそうした観察を行っていく。肉体は精神の写し鏡であり、人々の肉体の様子や身振り手振りに心の状態や特性が現れる。そうした兆候を逃さずに掴みたい。そうした観察に加えて、実際に日本に住んでいる知人や友人から、日本社会の文化・制度的な構造変化についても話を積極的に伺いたいと思う。日本への一時帰国は単なる旅行ではなく、自らのライフワークである母国をより良い国にしていく試みの一環なのだと改めて思う。フローニンゲン:2024/10/30(水)06:35
13481. 今朝方の夢
時刻は間もなく午前7時を迎える。空がダークブルーに変わり始め、夜明けも少しずつ近づいている。日本に1ヶ月ほど滞在し、オランダに戻ってくる頃には日の出の時間はさらに遅くなり、日没の時間がさらに早くなっているのではないかと思われる。オランダに帰って来てからオランダは冬真っ盛りを迎えるだろう。
今朝方もまたいくつかの夢を見ていた。まず覚えているのは、日本の見慣れない町を観光で訪れ、そこでファーストフード店に行ってハンバーガーを食べていたことである。自分がファーストフード店に行くというのは本当に珍しく、記憶にある限り、アメリカの西海岸に留学していた時に何度か訪れたことがあるだけで、それ以来10年以上はそのような店には入ったことはなったように思う。ヴィーガンであるはずの自分が肉入りのハンバーガーの香りに誘われて、久しぶりにそれを口にしてみた時、体にはあまり良くないと分かりながらも、人工的に味付けされた味に味覚が負けてしまい、それを美味しく感じる自分がいた。唯識思想の観点で言えば、味覚もまた心の作用なのであるから、ファーストフード店で提供される人工的に過度に味付けされた食べ物は味覚という心の改変操作なのだと気づく。視覚的にも色鮮やかさが演出され、香りもまた人工的に脚色されたものであるから、そうなってくると少なくとも眼識・舌識・鼻識の3つの識が食によって改変されていることがわかる。また、巧みなマーケテイングによって第六識もまた改変の対象になっていることがわかる。食産業においては、こうして人々の種々の心的作用の操作が水面下でなされているのである。そのようなことを考えながら店を後にし、金輪際ファーストフード店には足を運ばないと改めて誓った。
それ以外に覚えているのは、大学時代の第二外国語のクラスメートの友人とサークルの友人と一緒に大学のカフェテリアで話をしていた場面である。3人とも就職が無事に決まり、残りの大学生活を謳歌している最中で、そんな中でも勉学はこれまでと変わらず3人とも大切にしていた。会話の最初はここ最近学んでいることについての話をしていた。3人とも経済・金融・経営を専門とする学部に所属していたので、学術的な話はそれらの分野に最初こそ偏っていたが、話の途中から社会学や政治学の話となった。真面目な話をしばらくした後にふと、私は一方の友人を揶揄うようにして、身長が150cm台の成人男性しか入れない組織に彼が入ることを勧めた。彼は本当は160cmぐらいの身長はあるが、かなり小柄だったので、彼の身長の低さを明確に指摘しないような言い回しでその話をした。彼は自分の身長の低さをさほど気にしていないようで、表面上は明るく振る舞っており、少し自虐的な返しを私にした。その返答が見事かつ面白かったので、隣にいたもう一方の友人と一緒に大いに笑った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/10/30(水)07:09
13482. 今朝方の夢の続き/性力の涵養と変換
つい先ほど夢の振り返りをしたばかりだが、もう少し覚えている夢がある。それを振り返ったら朝食を摂り、ラジオの収録に向けて課題図書の復習をし、時間が余れば唯識学の専門書を読み進めていこう。
夢の中で私は、父と母と車で旅行をしていた。実家の近くのインターチェンジから高速の乗り、東の方に向かって父が運転する車に母と一緒に乗っていた。どうやら目的地は東北地方のようで、山口県から東北まではかなりの距離があり、父に長距離の運転をしてもらうことに感謝の念が自然と湧いていた。気遣いとして、適宜サービスリアに止まって休んでもらうように父に伝えた。自分も運転免許があるので、高速の運転を変わることも可能であると父に伝えたが、運転経験の浅い自分に運転を任せることを父はしたがらず、自分で運転できると述べた。東北に向かうまでの高速は、ところどころで単調な道があるので、そこで父が眠ってしまわないように注意をしておく必要があると思ったが、父は体調管理が万全であり、眠気を感じる前に休む術も知っていたので、その点は心配ないかと思った。車内でここまで流していた自分が好きなアーティストの曲から父が好きなアーティストの曲に変えることによって、父の意識をさらに覚醒させようと思ったところ、父の方から曲を変える提案を受けたので、私はそれを速やかに承諾した。そのような場面があった。
それ以外にももう1つ何かを夢を見ていたような気がする。それはどこか外国の町が舞台になっていたように思う。そこで日本人だったか、外国人だったか、知り合いとカフェで道ゆく人たちの姿を眺めながら談笑をしていた記憶が微かにある。こうして今日もまたいくつかの一連の夢を見た。夢から醒めていると、自分の性器に脈打つ鼓動を感じ、血流の流れだけではなく、サトルボディでの次元におけるエネルギーの活性化を感じていた。男女ともに性器には新たな生命を育む無尽蔵の力が内包されており、それを意識的に活性化させ、心の浄化を含め、日常の活動の駆動力に転換できる。こうした次元の話は今の性科学ではまだ扱い切れていないが、後期密教の教えや性的実践を伴う道教の教えではすでに扱われて来たことなのである。性の力をどのように活性化させ、それを自らの幸福と社会の幸福の実現の力に変換していく道を探りたい。フローニンゲン:2024/10/30(水)07:24
13483. 何度も立ち返る成人発達理論とインテグラル理論/
コンテクストによって形成される性イメージ
時刻は午後2時を迎えた。先ほど仮眠を取った後に、部屋の掃除とトイレ掃除を行った。いつもはそこに浴槽の掃除を加えているのだが、先ほどはそれを失念していたので、また後ほど浴槽を洗いたいと思う。今日の仮眠はいつもより長く取っていた。仮眠は基本的に21分ほどのタイマーを付けてその時間がやって来たらアラームとして鳴る音楽に合わせて目覚めるようにしている。ところが今日はその音楽に気付かず、21分の間に夢を見ない深い眠りの世界にいたようで、気がつくと1時間ぐらいの長い仮眠を取っていた。そもそも今朝は8時間半の睡眠をしっかり取っていたので、なぜ今日の仮眠が長くなったのかの理由は定かではない。ひょっとしたら午前中に収録したラジオによって脳がフル回転し、そこから休憩と昼食を挟んで脳が反動で一気にクールダウンされるタイミングで仮眠を取ったので仮眠が長くなったのかもしれない。
そのようなことを考えながら、今日のラジオでのやり取りを振り返っている。毎週末のゼミナールの場も対話を通じて学びを深められる貴重な機会であり、ゼミナールのクラスが終わってからもいつもできるだけ振り返りをするようにしている。ラジオの収録も同じく、そこでなされる対話はいつも楽しく、刺激と洞察に満ちているので、それを振り返らないことは勿体無い。今日のラジオの中でも話題に挙がったが、人間は思い出すこと、すなわち振り返ることを通じて学びが定着していく生き物なのである。振り返るというのは過去を悔いるとかそういう否定的な意味合いはなく、むしろ積極的に今を生き、より肯定的に未来を生きることに繋がることをもたらすものである。中でも印象的だったのは、ラジオのパーソナリティーのお相手を務めてくださっている早田航さんがおっしゃったように、自分もまた普段は成人発達理論やインテグラル理論という成長に関するメタ理論としてのOSをさほど意識せずに生活をしているが、ことあるごとにそれを思い出す。何度も成長の地図としてのそれらの理論に立ち返ることを通じて、自分がどこにいて、何を考え、何を感じているのかを省察することを通じてさらなる学びや成長に繋げていることがわかる。あくまでもそれらは成長に関する地図なのであり、成長という現象そのものでもなければ、実践そのものではないが、成長という現象と成長を促す実践の呼び水となるものであり、成長が生じる世界で生きることを深く豊かなものにしてくれる。ゆえに自分は定期的に、あるいはことあるごとにそれらの地図を参照するのだと思った。
それ以外には、今日のラジオで取り上げたのは課題図書のコンテクストにおける性というテーマである。そもそも性的興奮も性意識も理想とする身体イメージもコンテクストによって規定される。今回の課題図書の該当チャプターの狙いは、他者や社会によって構築されたコンテクストの産物としての性に関する諸々の事柄を対象化し、それを脱構築する形で自分が真に望む性意識や身体イメージを形成していこうというものである。端的には私たちの性に関する正しさや理想は、社会文化的なコンテクストによって規定されているので、それらを客体化させ、それらから自由になることを今回の該当チャプターは狙いとしていた。ラジオでの対話を通じて、どのようなコンテクストがいかなる産物を構築しているのかを明らかにしていき、それから解放される道を探っていったのが今日の内容のサマリーである。もちろん今日の2回の対話のみで社会文化的な性イメージからの脱却を図れるとは思えず、何度も回数を重ねて省察を加えていくことが重要だと思うが、今日の対話をきっかけに自分の中での自己分析がより一層進むに違いないと確信させてくれるのに十分な内容であった。今日の収録が一時帰国する前の最後のものだったので、次回は日本の大地に足を着け、日本の秋の風を感じながらラジオの収録ができることがとても楽しみである。フローニンゲン:2024/10/30(水)14:27
Today’s Letter
Purifying and beautifying our minds is key to realizing a good society. Without purified and developed minds, a good society cannot be actualized. Yogācāra Buddhism provides us with a comprehensive map to cleanse and cultivate our minds. Groningen, October 30 2024
Comentários