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タイトル一覧
13475: 今朝方の夢
13476: 今朝方の夢の続き
13477: 今朝方の夢のさらなる続き
13478: 観念論でも独我論でもない唯識思想
13475. 今朝方の夢
時刻は間もなく午前7時を迎えようとしており、辺りが静けさに包まれている。見渡す限りの闇の世界が広がっているかと思いきや、サマータイムの終了のおかげでこの時間帯でもすでに明るさがある。ここから本格的に夜明けを迎える。どうやら今日は1日を通して曇りのようなので太陽の姿を拝むことは期待できないが、気温は13度から16度の幅で推移し、寒さはそれほどではない。今週末からは寒さのギアが変わり、最高気温は10度前半、最低気温は5度前後になる。寒さのギアが変わり、それに順応する形で心身にも変化が見られるだろう。そうした変化を促している阿頼耶識の存在は絶えずどこかにあり続け、自分の変化を支え続けてくれている。
今朝方もいくつかの夢を見ており、最近は夢の記憶を保持しておく力がさらに高まっているように思う。それは寝具を質の高いものに変えた影響なのか、それともこれまでの夢の振り返りの蓄積の賜物なのだろうか。いずれにせよ、夢の記憶の保持力が高まっているのは好ましいことである。そのおかげでまた色々な自己発見ができるし、治癒と変容がより一層促される。
今朝方の夢でまず覚えているのは、あるプロ野球チームに入団が決まった場面だった。当初から行きたいと思っていた球団に指名してもらうことができ、次の春から晴れてプロ野球選手としての人生が始まることに大きな喜びを感じていた。これから入団会見が行われることになっており、それに向けて着替えをしておこうと思った。ドラフトで指名がかかった知らせは、かつて小中学校時代に住んでいた社宅で受けた。私の近くには両親がいて、希望球団に入団が決まったことを両親はとても喜んでいた。私が喜びの涙を浮かべていると、母は自分の涙に感染したようで母も嬉し涙を流し始めた。父は満面の笑顔を浮かべており、泣くことはしておらず、むしろあえて自分に対して厳しいことを述べた。喜びの涙を流すのは早く、実際に活躍して優勝してから喜びの涙を流すように述べたのである。確かにそもそも高校卒業後のルーキーが初年度に試合に出るのも難しいし、ましてやリーグ優勝するのも難しいことであるから、単に入団が決まって喜んでいるだけでは試合の出場もリーグ優勝も成し得ないと思った。そう思うと自分の表情も引き締まった。とは言えやはり嬉しかったのは、ようやく高いレベルの選手たちと一緒に野球ができることである。高校までは孤軍奮闘で、自分だけが真剣に野球に取り組み、自分と周りのチームメイトのレベル差があまりにもあったので、練習も試合もいつも楽しくなかった。それがプロになると高いレベルの選手たちに囲まれて試合や練習ができるであろうから、高校時代に得られなかった刺激がきっと得られるはずだと思った。そう思うと自分の体は野球場のフィールドに瞬間移動しており、自分はレフトを守りながら試合に参加していた。相手チームのバッターがセンターに向けてボールを飛ばすと、センターとライトの選手が突然消えてしまい、自分がボールを取りに行くことになって大変だった。しかし素早くボールを拾い、ホームベースに送球すると、1塁からホームに向かって走っていた選手をアウトで仕留めることができ、なんとか失点を食い止めた。そこで攻守チェンジとなり、それを受けて夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/10/29(火)07:14
13476. 今朝方の夢の続き
外気は13度とそれほど低くはないが、それでも暖房が入り、1階と2階の家全体を温めてくれている。その恩恵を授かりながら、引き続き今朝方の夢の続きを振り返っている。
夢の中で私は、見慣れない外国の町の屋台通りにいた。どうやらそこでは食べ物屋や土産屋などが観光客向けに多数出店しているようで、通りの最初から最後まで大勢の観光客で賑わっていた。私も観光客の1人として色々店を眺めながら歩いていた。すると、インド料理の出店に行き当たり、そこで2人の若いオランダ人女性が席に座って紅茶を飲んでいた。それぞれ違う紅茶を飲んでいて、最近紅茶に関心を持っている自分としてはとても気になったので、2人に何を飲んでいるのかを尋ねた。すると、2人は聞いたことのもない変わった紅茶を飲んでいることを知った。すると私の左横を数人のイギリス人女性が会話をしながら通り過ぎていった。イギリス英語固有のアクセントから、彼女たちの顔を見なくても彼女たちがイギリス人だとすぐにわかった。私の横を通り過ぎる時に彼女たちが話していた内容が興味深かった。どうやらこの先に、珍しい鉱物を取り扱った専門店と鉱物が保存されている洞窟があるとのことだった。私は彼女たちの跡をつけていくような形でまずは洞窟の中に入った。そこは洞窟であるからもちろん暗かったのだが、中の歩道が適宜したからライトアップされていて、歩く危険性はなかった。歩道の脇にも鉱物が保存されている姿を見ることができ、いずれの鉱物の輝きも見事だった。極め付けは洞窟の先に広がる巨大な鉱物の姿だった。そこに観光客が一番いて、みんな写真や動画などを撮影していた。洞窟の奥には自動販売機がいくつも設置されており、そこで飲み物を購入するだけではなく、なんと洞窟で採れた鉱物も購入することができた。ある背の高い日本人男性が飲み物と間違って高価な鉱物を購入してしまったようで、そうした間違いも起こるだろうなと思って遠くから眺めていた。一通り鉱物を見ていったので、今度はその洞窟で採れたレアな鉱物を扱っている土産屋に行くことにした。洞窟のさらに奥にいくつかの土産屋があり、手頃な価格のものを扱っているところから希少価値のある鉱物を扱っている専門店まであった。私は“BRION”という一番の高級店に入ることにしたが、その前に他の店の鉱物の価格をざっと調べておこうと思った。するとそれぞれの鉱物に表示されている金額は日本円表示ではなく、どこか知らない国の価格表示になっていた。表示されている金額に0.1を掛ければ日本円に換算できると思い、それを受けて、目星の高級店でスーツの胸の部分につけるラペルピンを購入することにした。いざ店に入ろうとすると、自分の格好が半ズボンにランニングシューズだったので、その店の雰囲気に相応しくないと思い、どうしようか考えているところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/10/29(火)07:43
13477. 今朝方の夢のさらなる続き
今朝方見ていた夢を2つほど振り返り、もう1つ覚えている夢があるのでその振り返りを終えたら朝食を摂ろうと思う。昨日はジムでのトレーニングがあったので、朝はお腹が空きやすく、栄養補給が重要になる。起床してから2杯の水を飲んだ後に補給したタンパク質やミネラル豊富な温かい飲みを飲み終え、つい先ほど淹れた抹茶を飲みながらもう1つの夢を振り返っておく。
夢の中で私は、見慣れないガラス張りのオフィスビルの中にいた。そこはどうやらマンションも兼ねているようで、マンションはホテルのように貸し出しもなされていた。今自分がいるのはどうやら北海道の北部の比較的大きな町のようだった。聞き慣れない町の名前で、果たしてそこが地図に記載されているのかはわからず、自分にとってはさしてそれは問題ではなかった。私はそこに観光客として滞在しており、今から観光に出かけようと思っていた。観光と言ってもその町の美術館に行くぐらいで、それ以外に足を運びたいような場所はさほどなかった。いざオフィスビルの1階から外に出ようとすると、すれ違った背の高い日本人男性に声を掛けられた。どうやらその男性は私のことを知っているらしく、自分の著作物を何冊か読んでくれているようだった。そして共通の知人もいるようだったので、その場に立ち止まって彼と少し話をした。すると、1階のラウンジにいる彼の友人に自分のことを紹介したいと言われたので、その申し出を受け入れる形で一緒にラウンジに行った。するとそこには結婚式用のスーツを着た見栄えの良い格好をした少し小太りの若い男性が長テーブルの椅子に腰掛けていた。私はその男性と少し言葉を交わし、今度はその背の高い男性がカフェにいる友人にも自分を紹介したいと述べたので、カフェにもついていくことにした。ラウンジの奥にカフェがあり、カフェの奥の少し暗いソファ席に1人の男性が座っていた。その男性は先ほどの男性と違って、どこか態度が横柄で、つっけんどんな感じであった。その男性と話をしてもあまり心地良くないと感じたので、会話を速やかに終えて、カフェを後にして1人で観光に出かけることにした。本当はその背の高い男性も一緒に観光したいと述べていたが、彼はカフェにいる男性と引き続き話をしていたので、自分は1人で気ままに外に出かけた。やはり見ず知らずの人とと一緒にいると気が張るので、こうして1人で伸び伸びと自由に行動できることに清々しさを感じた。しばらく歩いていると、その町を訪れたのは今回が初めてのはずだったが、一度この町を訪れたような気がして、今から行こうとしている美術館をかつて訪問した感覚があった。その美術館にどのような作品が所蔵されているのかの記憶がありありと蘇ってきたので、それであればもう一度美術館に行く必要ないように思えた。それを受けて私は、近所のスーパーで夕食を購入してホテルに引き返すことにした。ホテルの部屋に到着すると、室温が3度に設定されており、極寒の寒さを感じた。すぐさま20度ぐらいまで設定温度を変えて、部屋が暖かくなったら夕食を食べようと思った。フローニンゲン:2024/10/29(火)08:04
13478. 観念論でも独我論でもない唯識思想
朝の世界が静謐さと落ち着きに包まれている。時刻は午前9時を迎え、早朝の読書を通じて色々と考え事をしていた。後期密教の文献の再読を数日前に終えてからは、再び唯識学の専門書を読み返している。今年の一時帰国の際には、唯識学に関するセミナーや動画コンテンツの制作などがあるため、それに向けて復習がてら専門書を読み返している。先週末のゼミナールのクラスでも話題に挙がった唯識の外界批判について再度考えていた。唯識においては外界の事物を全くの無として否定しているわけではなく、外界の事物は心の現れとする。外界の事物は固定不変に存在しているわけではなく、それは常に変化を続けているという諸行無常の真理に貫かれたものであり、その点において事物の固定不変な実在性を否定するのが唯識の思想である。ここで注意が必要なのは、事物の固定不変な在り方を否定しながらも、事物を貫いている真理、すなわち真如の存在は認めているということである。その点において、唯識は単なる観念論ではないと言える。唯識思想は、事物の背後にある真理の世界、すなわち真如の実在を立てているのである。その他にも、唯識思想を独我論とみなしてしまう考え方もあるが、唯識を観念論とみなすのと同じく、それもまた唯識思想を深く理解していない場合に起こる誤解である。唯識思想が独我論でもない理由として、唯識が他者の心の存在を認める「人人唯識」の思想を持っている点を挙げることができる。さらには、「共種子」としてお互いの阿頼耶識に共通として存在する種子を立て、共通の認識世界を持ち得る発想を持っている点も挙げることができる。こうしたことから、唯識思想は独我論でもない。
唯識思想には、全て心が映し出すものであると説くことによって、心と向き合うことを重視する宗教性が窺える。仮に外界の事物の実在を認めると、私たちは自分の心と向き合うことから離れていってしまう危険性があり、また外界の事物の実在を認めると、私たちは有るということに囚われてしまう危険性がある。そうした危険性を避けるために、「唯識無境」という考え方を提示し、徹底的に自分の心と向き合うことを課すのが唯識の宗教実践性だと言えるだろう。唯識無境について補足すると、それは、物質的なものもまた織の表象に過ぎないという考え方であって、物質の存在の無を述べているわけではない。しかし同時に有を認めているわけでもないのだ。現代の先端的な量子論が指摘するように、いかなる物質も見方によっては無であり、有でもあるという非無非有の中道的性質を持っている。強いていうならば、唯識の物質観は非無非有中道という立場に落ち着くはずである。いずれにせよ、悟りを開いていない迷いの世界にいる凡夫には、物を実体化してしまい、織の表象を物そのものであると誤解してしまう傾向がある点には注意である。悟りの世界に入った者の目には、物そのものである真如を知覚し、物体としての物を実体化することもなければ、その物によって立ち現れた表象にも囚われることもない。物質的存在を非無非有中道的存在とみなし、それは織の表象として私たちに知覚されるという明瞭な理解を持って心と向き合い続けていれば、迷いの世界から脱却していくことができるという道が見えてくる。フローニンゲン:2024/10/29(火)09:25
Today’s Letter
Silence and tranquility are my primary sources of energy. Without them, my life could not exist. My vibrant life is constantly sustained by serenity and peacefulness. Groningen, October 29 2024
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