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タイトル一覧
13457: 様々な学問分野と後期密教の横断研究に向けて
13458: 今朝方の夢
13459: 今朝方の夢の続き
13460: 相分を生み出す阿頼耶識/欲求と煩悩の違い
13461: 欲求と欲望の違い
13457. 様々な学問分野と後期密教の横断研究に向けて
時刻は午前6時半を迎えた。昨日はジムで随分と追い込んだトレーニングをし、良い運動をしたこともあってぐっすりと眠ることができた。今日の睡眠時間は9時間ほどであった。一時帰国中には滞在先のホテルや実家のベッドで眠るわけだが、今の自宅のベットでの睡眠の質や量と改めて比較してみようと思う。
今の気温は12度で、ここからもう1度ほど気温が下がり、そこから緩やかに気温が上昇して、今日の最高気温は16度まで上がる。今は真っ暗で何も見えないが、どうやら今日も天気が良いようなので、太陽の姿を拝むことができるだろう。来月の中旬から日本に一時帰国するわけだが、そこから1ヶ月ほど日本に滞在し、オランダに戻って来る頃にはもうオランダはかなり寒い。昨夜月間の天気予報を調べたところ、12月の気温はかなり低くなっている。もちろん先々の予報の正確性は落ちるわけだが、オランダに戻って来る日は最高気温が6度ぐらいで、最低気温はマイナス2度ぐらいの予想である。そうした予報を踏まえて、一時帰国中は使わないかもしれないがマフラーを持っていくようにしたい。ヒートテックはまだかろうじて必要ないかもしれないが、それも検討する。
昨日の段階で、後期密教の経典の現代語訳とそれに関する論文集を含め、全ての書籍の再読を終えた。改めてそれらの書籍を寝かせておき、またどこかのタイミングで3回目の読解をしていきたいと思う。今回の初読と再読を通じて随分と密教に関する知識を得ることができたし、唯識との思わぬ連携も確認することができた。性的実践を真正面から扱っていった後期密教については今後も探究を継続していく。それ単体で扱うというよりも、現代の性科学の知見や道教の性的実践の知見を踏まえた横断的な研究を進めていきたい。おそらくまだ時期尚早であろうが、いつか後期密教についても論文や書籍を執筆したいという思いがある。多くの現代人にとってその叡智は未だ隠されたものになっているし、仮に後期密教に触れたことがある人も、その経典に書かれていることを字面通りに受け取ってしまって拒絶反応を示したり、誤解をする人がきっと多いだろうと想像される。そうしたことも踏まえて、経典解釈のみならず、他の学問分野と横断させる形でその象徴的な意味を解きほぐしていき、現代人の充実した性生活の実現とセクシャルウェルネスの向上に貢献していきたい。そのような思いを持ちながら、性愛に関しては今後も幅広い探究をしていく。今日からはまた唯識学に関する書籍を再読していく予定である。フローニンゲン:2024/10/25(金)06:55
13458. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えたが、依然として辺りは真っ暗であり、空がダークブルーに変わり始めるのももう少し時間が必要のようである。そんな中、暖房が自動で入っており、その音を聞きながら今朝方の夢を振り返っている。
今朝方の夢の1つに前職時代のオフィスに似た場所で働いていた場面がある。そこで私は、成人発達学に関する小冊子のようなレポートを作っていた。そこには成人発達学の歴史や現代の先端的な研究成果を記載しており、一般の人が読んでもわかるように平易かつ分かりやすい説明を心掛けた。そのレポートはほぼ完成しており、実際に最初のドラフトを終えていた。そのドラフトを知人に読んでもらったところ、知人から思わぬ反応が返ってきた。成人発達学に絞ったレポートであるはずなのに、所々でインテグラル理論に関する紹介やその提唱者のケン・ウィルバーの思想の紹介がなされていると彼は指摘したのである。私はそのような記述をした覚えはなく、何かの間違いだろうと思って彼の手からレポートを受け取り、彼が指差す箇所を読むと、彼の言う通りにインテグラル理論やウィルバーの思想が挟まれていた。自分はそのような文章を執筆していないので、きっと誰かがレポートのファイルにアクセスし、文章を勝手に追加したのだろうと思った。そこでふと、1人思い当たる知人がいて、きっと彼がインテグラル理論を普及させたいという思いで勝手に追記したのだろうと思った。彼もそのオフィスの奥の方で働いていたので彼の方を見ると、彼は気まずそうにして私たちからサッと顔を逸らせた。その反応を見て、彼が行った行為なのだと確信をし、何も言わずに勝手にファイルにアクセスして文章を書き足す行為が不気味に思えた。最初から相談してくれれば喜んで彼の提案を受け入れたはずなのだが、何も言わずに文章をある意味改竄した彼の行為には幾分失望感があった。自分としては今回は成人発達学のみに絞って文章を書くことを予定していたので、彼が勝手に追記した箇所を削除していきながら、言い回しも含めての修正作業をこれからしていこうと思ったとこで夢の場面が変わった。
もう1つ同じくオフィスを舞台にした夢があった。そこでは新しい男性のマネージャーがチームにやって来て、私に目をとめてくれて新しいプロジェクトを任せてくれた。ちょうどマネージャーが今日から数日間出張に出かけるとのことだったので、マネージャーが帰って来るまでに成果物のドラフトを作っておくことを約束した。そのプロジェクトはこれまで自分が扱ったことのないような事柄が結構あったので、先輩の女性に色々と指導してもらうことにした。その先輩はとても優しく、親身になって色々と指導をしてくれ、その先輩と一緒に働くことは気持ちがいいし、学びにもつながることを改めて実感した。その先輩の指導のおかげで、想像よりも遥かに早く成果物のドラフトを仕上げることができた。きっとマネージャーは帰ってきてそれに驚くだろうと思って、マネージャーがどのような反応を示すのかが楽しみであった。マネージャーが帰って来るのも想定よりも早く、それに驚いたが、すでに自分はドラフトを仕上げていたので提出すると、マネージャーは自分の仕事の速さに目を丸くし、成果物のドラフトにサッと目を通すと、一瞬にしてそのクオリティーの高さに気づいたようで、さらに目を丸くしていた。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/10/25(金)07:33
13459. 今朝方の夢の続き
時刻は間もなく午前8時を迎える。ようやく辺りが明るくなり始めているが、完全なる夜明けはまだ先のようである。そんな中で、小鳥たちが清澄な鳴き声を上げ始めた。辺りが明るくなり始めたのに呼応して、小鳥たちの囀りが聞こえ始め、今彼らの歌声に耳を澄ませている。彼の鳴き声に心が洗われながら、今朝方の夢の続きを思い出している。
夢の中で私は、日本の近未来都市にいた。そこはゾーニングが徹底されており、最先端テクノロジーを活用したハイテクな場所と、何年前に廃墟となったのかわからない場所に完全に区分けされていた。私は小中学校時代の友人数人とまずはハイテクな場所を見て回っており、それがひと段落したので廃墟となった場所にも足を運ぶかどうかを全員で話し合った。法律で決められているわけではないが、廃墟となった場所に行くことは推奨されていなかった。と言うのもそこは犯罪の温床になっていたし、未確認の病原菌も蔓延しているようだったからだ。そんな危険な場所と知りながらも、私たちはせっかくなのでそこも少し見学をしようと思った。横断歩道を隔てて、その向こう側には異様とした思えない鬱蒼とした雰囲気の廃墟街が広がっていた。建物は軒並み壊れていて、そこに絡み付く木々の枝や葉も目立った。犯罪者や野生の動物が出てきてもすぐに逃げられるように、まずはハイテクな場所に近いところから探索を始めていくことにした。すると、かつて市議会館があったと思わせるような立派な建物とその前に広がっている石畳の広いスペースが目に止まった。私たちはゆっくりと市議会館の方に向かっていくと、かつて噴水があったと思わせるその左脇に、何かが少し山になった上にブルーシートが被されているのを発見した。私はそのシートをどけようとしたときに、シートの下に白骨化した18体ぐらいの屍があるのが見えてギョッとした。私はシートをどけようとする手を止めたところ、隣にいた親友が私の代わりにサッとシートを剥がそうとした。私は彼を止めようと頭の中で思ったが、彼の行動は自分の思考よりも早いものだったので、シートが剥がされ、そこから屍の山が出てきてみんな仰天した。それを見て、やはり廃墟と化したこの場所はかなり危険な匂いがした。おそらく廃墟と化した街の奥に行けば行くほどにもっと恐ろしいものと出会うであることが容易に想像された。私たちはすぐさまその場を去り、ハイテクな街の方に引き返すことにした。しかしそこで私はふと、市議会館とは反対側にある廃墟と化したビル群もせっかくなので見にいこうと提案した。最初友人たちはその提案に怪訝そうな表情を浮かべたが、私は直感的に廃墟とし化したビル群には恐ろしかったとしても見ておくべき歴史的な産物がきっとあるはずだと確信していた。フローニンゲン:2024/10/25(金)08:01
13460. 相分を生み出す阿頼耶識/欲求と煩悩の違い
空には少し雲がかかっていて、先ほど天気雨が降った。相分として映る天気雨の様子にしばらく見とれていると、相分というものは深層意識の阿頼耶識に立脚して生起するものであり、相分は深層意識の投影的現れであるという気づきを改めて得た。世界は常に無限の動画として存在しており、その動画から何を汲み取るかは自分の深層意識が決めているのである。私たちの表層意識がそれを行うのではなく、第一能変の阿頼耶識がそれを規定しているのだ。言い換えれば、私たちは阿頼耶識が生み出す映画の中で日常生活を営んでいる言えるのかもしれない。
仏教で言うところの、唯識学が言うところの煩悩は生物として不可避の欲求とはまた別物であり、それは超克するべき心の影の部分である。心の成長を妨げ、心を煩わせるのが煩悩なのであって、それを欲求と混同してはならない。各種の欲が過剰さに傾くことは仏教的中道精神から戒めなければならないが、それが衆生の救済につながるような大欲である場合には肯定される。世俗的な出世欲1つ取ってみても、それが自分の地位や名誉のためではなく、多くの人の生活を向上させるという大乗仏教的な目的に合致する場合には、出世欲というのもまた社会の治癒と変容において肯定されるべき大切な欲となる。現在関心を持って探究している後期密教においては、性欲というものを悟りへの原動力として肯定する。中道の精神を大切にする仏教が性欲を抑圧対象とみなしていた時代こそ倒錯したものなのであって、性欲を無いものとせず、そして性欲によって自堕落な人生を歩まないようにするためにも性欲を真正面から扱った後期密教の真っ当さを改めて実感する。とりわけ性のエネルギーは生理学的にも力強いものであるがゆえに、それを悟りへの跳躍台にしたというのは至極真っ当かと思う。そのようなことを考えながら再び煩悩の話に戻ると、煩悩は西洋の心理学の枠組みで言えば心の影、すなわちシャドーのようなものである。私たちは日常、種々のシャドーを投影する形で生きている。私たちはシャドーによって苦しみ、悩み、コミュニケーション上の種々の問題を引き起こす。これはやはりマズローが言うところの欲求とはやはり別物なのである。もちろん欲求と煩悩を関連付けることはできるが、両者の区別は明確にしておかなければならない。唯識学では抗い難い生理的な欲求を否定しているのではなく、煩悩を問題視しているのである。それは悟りへの道における障害であり、それを伏断捨することを唯識学では重要視する。そしてそのための実践的枠組みを提供するのが唯識学である。改めて唯識学の書籍を読み返しながらそのようなことを考えていた。気がつくと空を覆っていた雲がさらに薄くなり、世界の明るさが増した。そのように知覚される相分の世界もまた自分の阿頼耶識が生み出している。自分が何を見て、何を感じ、何を考えるのかの全てを規定する深層的な阿頼耶識に畏怖の念を抱く。フローニンゲン:2024/10/25(金)10:55
13461. 欲求と欲望の違い
欲求と煩悩の違いについて簡単に備忘録を記した後、今度は改めて欲求と欲望の違いについて考えていた。両者の違いについての説明の仕方はいくつもあるだろうが、自分の中での差異の基準として生に関する必要不可欠性を挙げたいと思う。欲求は私たちが生きていく上で不可欠なものであり、欲望は生きていく上で兎角不可欠なものではないという区別をしたいと思う。生きていくと言うのは身体的に生きるだけではなく、精神的に生きていくことや霊的に生きていくことも含まれるため、やはりマズローが述べている欲求の段階モデルはその観点からも有益かと思う。食欲や睡眠欲、そして性欲を含めて、それらは身体を健全に維持していく意味でも不可欠なものであり、それは心の健全さの維持にもつながる。生理的な欲求を超えて、所属欲求や承認欲求などは精神的な生において不可欠なものとなり、自己実現欲求や自己超越欲求は霊的な生において不可欠なものである。一方の欲望は、欲求と比べて不可欠性はない。良い車に乗りたいとか、良い会社に入りたいとかは、生において必要不可欠なものかというとそうではなく、欲求が歪められた願望的なものであるがゆえに「欲望」という言葉が当てはめられているのかもしれない。唯識学の観点で言えば、とりわけ欲望は私たちの心が生み出す幻想のようなものであり、遍計所執性の産物であると言えるだろう。それは悟りへの障害であり、その観点において煩悩に近い。欲求・欲望・煩悩の近接関係で言えば、欲求よりも欲望の方が唯識学が述べるところの煩悩に近いという理解をしても良いのではないかと思う。欲求の方が善悪を超えた無記性が強く、欲望はより悟りへの妨げとなる。当然ながら欲求・欲望・煩悩もまた空の要素を持っているが、それを仮の存在として見立てた場合には上記のような分類整理を行うと理解が促進され、心の成長に向けて焦点を真っ先に当てるべきは欲望や煩悩であることが見えてくるだろう。とりわけ欲望は、ラカンの精神分析が指摘するように、他者関係を意識して生まれ、社会文化的に構築されたものであるゆえに、それを生み出す社会文化的な構造を視野に入れながら欲望の解毒実践をしていくことが推奨される。煩悩もまた生まれ持っての煩悩ではなく、後天的に獲得された方の煩悩であればどのようの方向性からその超克に向けた実践に乗り出していくことができるだろう。フローニンゲン:2024/10/25(金)11:13
Today’s Letter
Movies are excellent learning materials. They allow us to conduct thought experiments and expand our imagination. Movies can also reveal hidden social issues and suggest ways to address and transform them. Watching and studying movies enriches my life and provides direction for how I can contribute to society. Groningen, October 25 2024
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