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【成人発達心遊記】13452-13456:2024年10月24日(木)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13452: 今朝方の夢

13453: 食に関する現代人の未熟な知性

13454: 睡眠への投資と夢の世界を豊かに生きること/今朝方の夢の続き

13455: 今朝方の夢のさらなる続き

13456: 充実したトレーニングを終えて


13452. 今朝方の夢      

 

時刻は午前7時半に近づいている。昨日はこの時間帯ぐらいから空がダークブルーに変わっていたように思うが、今朝はまだ真っ暗な世界が目の前に広がっている。昨日に続いてどうやら今日も今は霧が深いらしい。霧の注意報が出ているぐらいだ。朝に霧がかかり始めているのを受けて、季節が冬に入って来たことを実感する。先日は少し暖かい日々が続いていたが、サマータイムが明ける来週からは気温が下がってくる。最高気温も15度に満たない日々が始まる。闇と霧に包まれた朝の世界を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、オランダの今の自宅の近くの通りを小中高時代の友人(YU)と歩いていた。彼を自宅に招待することになっており、街の中心部から自宅の近くまでやって来たところでふと、自分の手に包装紙に包まれたプレゼントのようなものがあることに気づいた。それをいつ受け取ったのか定かではなく、また自分の誕生日はもっと先の日だったので、このプレゼントは誰に贈られたものなのだろうと思った。それが分かればその人に届けることができると思い、包装紙に包まれたプレゼントを開けてみることにした。すると、カルバン・クラインの男性用の香水が2本、女性用の香水1本が出てきた。そして香水のボトルにマジックで誕生日を祝福するメッセージが書かれていて、そこに送り先の相手の名前が書かれていた。どうやらそれは小中高時代の別の友人(TK)に贈られたもののようだった。彼とは最近連絡を取っていなかったので、どのようにして彼にこのプレゼントを送ろうかと思ったが、それは後から考えることにして、今はとにかく自宅に戻ることを優先させた。自宅の前の門にやって来ると、そこに2匹の犬がいた。片方は大型犬で、もう片方は小型犬だった。どうやらその2匹は、私の隣にいる友人のことを警戒しているようで、彼だけに睨みを利かせて唸っていた。彼はそれを怯えていて、私が犬の気を引きながら門を開けるので、その隙に中に入ってくれとお願いした。私は宙に浮いて犬に噛みつかれないようにして門の鍵穴に向かったところ、門が勝手に開いた。どうやら中から同じ敷地内の住人が門を開けてくれたようだった。2匹の犬は門が後ろで開いた頃に驚いており、その隙に友人は敷地内に入ってくることができた。私はそれに安心したのだが、その瞬間に門が巨大化し、天にも届きそうな高さになった。私は門の上の部分に匍匐前進をするような格好で掴まっており、あまりの高さに下に降りれなくなってしまった。先ほどまで発揮していた宙に浮く能力が発動するのかはもう定かではなかった。どうやらその能力は自分が安心している時や使命感に燃えている時しか発動しないようであり、今この瞬間のように恐怖心を覚えている時には宙に受けないようだった。なので困ったことになったと思い、どうやら地上に降りて行こうかと考えている時に夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/10/24(木)07:35


13453. 食に関する現代人の未熟な知性  

 

時刻は午前8時を迎えようとしており、ようやく辺りが明るくなってきた。今朝方は霧が出ていることもあってか、いつもより暗く感じる。サマータイムは今週の日曜日の朝に終わりを告げ、そこから少し日の出が早く感じられるのではないかと思う。それもいっときのことだが、これから深まりゆく冬を満喫していきたいと思う。


昨夜就寝前に菜食と肉食についてふと考え事をしていた。かつは自分も肉食であり、そこから食に関する様々な知識を身につけ、食に対する考察を深めていき、緩やかに最終的にはヴィーガンに至った。食に関する知性の領域というのはやはり明確に存在しているらしく、他の領域で発揮できていた知性が食に関しては発揮できなくなるということがよく見受けられる。自分もまさに食に関する知性の発達領域はかつて随分未熟だったように思う。そもそも現代人は人肉は食べないが、どうして他の動物の肉なら食べるのだろうかと気に掛かった。人肉を食べない理由は同種の種族だからなのか、プリオン病などの病気を発症する可能性があるからなのか定かではない。単に社会の慣習として人肉を食べることは良くないことであるという倫理規範によって人肉を食べることをしないのかもしれない。しかし、それらの理由はことごとく他の動物なら食べても良いという理由にはならないのではないかと思う。同種の種族だから人肉を食べないのであれば、同じく哺乳類という同類の肉を食べないという論理が形成されてもおかしくないはずであるし、病気の可能性を考えるのであれば、かつて狂牛病が流行ったように、他の動物の肉を食べることにも病気のリスクがある。さらに今の科学が証明しているように、赤身肉や加工肉が癌の発症率を高めるというエビデンスがある。最後に残るのは倫理規範となり、今は人肉を食べるのは良くないことで、他の動物の肉を食べることは悪くないことであるという非常に曖昧な倫理規範に支えられる形で人々の食実践が営まれているように思えてくる。こうした慣習的な規範に疑問を投げかけ、それを検証しようとする逞しい知識が著しく欠けているのが多くの現代人なのだろう。知性の発達においては視点取得能力が鍵を握り、これは想像力や共感能力の基盤になるものである。オランダでは少し郊外に出ると、どの町の外にも牧場が広がっており、牛や馬の姿をよく見かける。フローニンゲンの郊外にかつて出かけた時に、牧場に放されている生きた牛を見て、以前の自分はこの動物を何の躊躇いもなしに食していたのだと知って愕然としたのを覚えている。いったい牛は食肉に加工されるまでの段階でどのように扱われるのか気になったのである。牛を加工する前に殺す方法は、薬の入った注射を打ち込むのか、はたまた別の手段なのか。殺してから肉をどのように捌いていくのかなどを含め、それらの全ての工程のイメージがことごとく残虐なものであり、こうした加工過程が隠蔽され、加工後の元の姿を想像させないような姿で切り売りされている肉が店頭に並び、それを当たり前に思って購入していく人の知性にはやはり疑問を投げかけざるを得ない。自分もかつては食に関する知性の発達は非常に未熟で、平然と肉を購入して食していた。しかし元の動物の姿を想像したり、その動物が殺される過程を想像すると、そこに共感が芽生え、人肉を食べないのと全く同じ感覚や倫理規範で肉を食べなくなった。ここでは肉を食べる人を批判しているわけではなく、肉を食べる人は現代の食産業によって食に関する知性の発達を抑制され、歪められた犠牲者なのであり、彼らそのものが悪いわけではない。知性の発達が慣習的段階でストップしてしまうという現象は、実際のところは食に関する領域だけではなく、ありとあらゆる領域にも見られることである。食の領域を1つ取ってみても、現代人はやはりことごとく慣習的段階の知性から脱却できていないことがわかる。逆に言えば、慣習的段階から抜け出すのはそれほど難しいことであり、ごく一部の人しか現代においてはその段階を抜け出すことができないのだろう。今一度自分が何をどのような理由から食べているのかを検証することは、これまで盲目的かつ惰性で食べ物を口にしていたところから一歩引いた視線で自らの食実践を捉えることにつながるだろう。またその食べ物がどのように加工されて目の前にあるのかということを想像力を働かせて考えてみることもまた食の領域に関する知性の発達を促すことにつながるだろう。そのようなことを考えながら昨夜は就寝に向かった。フローニンゲン:2024/10/24(木)08:13


13454. 睡眠への投資と夢の世界を豊かに生きること/今朝方の夢の続き      


睡眠への投資。先日、ふとんの西川さんの「エアーシリーズ」のマットレスと枕を購入してそれを使い始めたところ、睡眠の質は格段に上がっているように思う。そこでふと、睡眠の質と夢を見る量の関係を考えてみたところ、夢を見る量に関してはこれまでと変わっていないように思えた。睡眠の質と夢に関してどのような実証研究がなされているのか定かではないが、今のところ睡眠の質が向上したからと言って夢を見なくなったわけではなく、むしろ夢を記憶する量は増加しているようにさえ思える。実はマットレスや枕を変えた背景には、単に睡眠の質を高めるためだけではなく、もっと深く夢を見ることができないかと考えていたことがある。人生の3分の1を睡眠に充てる中で、意識が夢の世界にいる時間も長くあり、その時間を最大限有意義に過ごせないかという問題意識があったのである。その観点で言えば、新しいマットレスと枕はその期待に大いに応えてくれる形となった。夢の世界に関する記憶量は増大し、あとは夢の世界の中での臨場感をより増大させていくだけである。そして理想は、ラマナ・マハリシがかつて述べていたように、夢の中でもそれが夢の世界であるという明晰な意識を保つことである。残念ながら自分の意識は今のところそこまでは育まれていない。明晰夢を見ることはほとんどなく、これからさらに夢日記の執筆を継続させていき、意識をより育んでいけば、いつか夢の世界でも覚醒した意識を保つことができるかもしれない。それに向けて日々の夢日記の執筆を怠らず、そして夢の世界での体験をどのようにすればより豊かなものにできるかの考察と試行錯誤を怠らないようにする。自分にとって夢の世界の中で過ごす時間はとても貴重であり、そこに自分の想像力や活力の源泉がる。またそれは自分の創造性にも直結することである。それだけ夢の世界は重要であり、睡眠は重要なのである。唯識的な視点に立てば、現実世界も夢の如きものであるから、二重の夢の世界をどうやって豊かに生き、無限の入れ子構造を持つ夢のさらに深い層、あるいは高い層に到達できるかに挑戦していきたい。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢の続きを思い出した。その夢は、今住んでいるフローニンゲンの郊外を舞台にするものだった。父と母がフローニンゲンに遊びに来ていて、どうやら2人は郊外に散歩に出かけたようだった。その一帯にはオフィスや店が広がっており、オフィスと言っても高い建物はなく、全て1階建ての建物だった。2人は片道歩いて45分ぐらいかけてその辺りを散歩し、また自宅に戻ってきた。流石に片道45分歩くのは疲れたと笑いながら述べていた。すると私の意識はどういうわけかバルセロナの郊外にあり、ダリの美術館に向かう道を見知らぬ外国人の女性に教えていた。その美術館は非常にお勧めの場所で、最寄駅からは少し歩かなければいけないが、歩くだけの価値は十二分にあることを伝えた。するとその女性は微笑んだ。その微笑みを受けて、気が付くと今度はどこか見覚えのあるかつての社宅の寝室とリビングが融合したような場所にいて、そこで私は自分の鼻の下に麻酔を打とうとしていた。何のために麻酔を打とうとしていたのかは不明で、手元には即席で組み立てられたような麻酔の注射器具があり、それを用いて1発鼻の下に注射した。針の痛みを全く感じず、失敗したかと思ってもう1発打った。するとそれでも何も感じなかったのでもう1発打ったところで、突然麻酔が効き始め、3発分の麻酔は過剰であったらしく、口の感覚が一気に麻痺し、これはしばらく何も飲み食いできなさそうだと思った。できることは安静に寝ておくことぐらいしかないと思い、ベッドの向かおうとしたところで部屋に数人の友人がやって来た。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/10/24(木)08:41


13455. 今朝方の夢のさらなる続き      

     

時刻は午前9時半に近づいている。今、辺りが随分と明るくなり、早朝の霧は晴れた。今日はここから雲ひとつない晴れた世界が広があるようであり、今からとても楽しみである。午前中の読書に取り掛かる前に、今朝方の夢のさらなる続きを振り返っておきたい。


夢の中で私は、実際に通っていた高校に似た体育館の中にいた。そこでは全校集会が開かれていたのだが、そこに集まっている生徒たちは実際に通っていた中学校の人たちばかりだった。最初私は体育館に並べられた無数のパイプ椅子の1席に腰掛けていた。近くには小中学校時代の友人(MS)がいて、彼は友人のために席をいくつも確保していて、そこにはまだ誰も座っていなかった。いざ集会が始まろうとした時に、小中学校時代の双子の友人の兄の方にステージ上に来るように呼ばれた。ステージ上に上がってみると、その時間帯はもう夜だったので体育館全体がとても暗く見えた。ステージには照明が当てられていることもあって、なお一層のことフロアにいる生徒たちの顔が見えなかった。すると突然、ステージ上で踊りのパフォーマンスが始まった。私もそのパフォーマンスに巻き込まれる形となり、音楽に合わせて踊り始めた。その時にステージの床を見ると、そこに色や形が様々な土の付いたニンジンが大量に並べられていて驚いた。私は咄嗟に左手で1本のニンジンを掴んだ。にんじんを掴むと、双子の兄の友人が持っていた箒に掴まり、それは魔法の箒のようで、少し宙に浮かんだ。全校生徒の視線はステージ上の他の生徒たちの方に向かっていたので、その隙に私たちは体育館の裏のドアから外に出た。すると見る見るうちに高度が上がっていき、高度1万メートルの高さまで上がった。もうそこからでは学校の様子を見ることが難しかったが、私たちは鳥の目を持っているのか、なんとか肉眼で豆粒ぐらいの大きさの体育館と外にいる生徒たちの姿を確認した。一体友人の彼は箒に掴まって私をどこに連れていくのだろうかと思った。すると、先ほどまで箒だった物体がタケコプターのような物体に変わった。もうそれは掴む場所がほとんどなく、左手にはニンジンを依然として握っていたので、右手でなんとかタケコプターを握り、左手をそこに添えるようにして落ちないようにした。先ほどまでは笑顔を浮かべていた友人の表情がどんどんと厳しく冷たいものになっていき、どうしたのかと尋ねた。すると彼はふと、「これから『一文字(いちもんじ)の谷』に連れていく」と述べた。私はそれが一体どこかなのかわからず、眼下に見える海をぼんやり眺めていると、海に白い波が立ち、それが十文字の形になっていくのが見えた。彼が述べたのは一文字だったが、海に現れたのは十字架の形をした白い波だった。そこではたと気づいたのは、私は一文字の谷に待つ何者かに引き渡され、そこで殺されるのだと思った。それに気づいた瞬間に、友人の彼は彼の母が最近自殺をし、妹を養っていく必要があって仕方なく私を一文字の谷に連れていくとのことだった。私は彼の母親が自殺をした知らせに驚き、涙と鼻水が出そうになったが、高度1万メートルの高さの空気はとても乾燥していて、涙も鼻水も全く出なかった。このままタケコプターに掴まったままだと一文字の谷に連れて行かれ、自分の命が危ないと思ったので、タケコプターから手を離すか、それとも彼を説得するかを考えた。彼をタケコプターからふるい落とすという選択肢は自分の頭の中にはなく、説得は難しそうであるから、自ら手を離して空を飛ぶことができたらなんとか助かるかもしれないと思った。そこで一度目を覚まし、随分と怖い夢を見たものだなと思っていると、寝ぼけた目には通常では見えない何かが浴室の天井付近に見えていた。フローニンゲン:2024/10/24(木)09:46


13456. 充実したトレーニングを終えて


時刻は午後4時半を迎えた。天気予報の通り、早朝の霧が晴れてからは、午前中から今にかけて本当に素晴らしい青空が広がっている。今もまだ夕方の美しい空を堪能することができており、先ほどジムから帰って来る際の散歩はとても気持ち良かった。帰りは筋力トレーニング後のために体が温まっていたので寒さを感じることはなかったが、今日は晴れにもかかわらずジムに行く際には幾分肌寒さを感じていた。ジャケットを羽織っていたが、ジャケットの内側はもうジムですぐに運動できる半袖の格好だったので、この格好でジムに行けるのももう少しのことかもしれない。11月に入ってくると、ジャケットの内側にもう少し着込んでおかないと寒そうである。日本への一時帰国もいよいよあと数瞬間となり、それまでの間に行われるパーソナルトレーニングは来週の木曜日のもので最後となる。今日はジムでパーソナルトレーナーのエリーザと少し話をした。彼女も今日は自主トレーニングをしており、この間のアムステルダムで行われたHYROXの後の筋肉痛から回復し、また本格的にトレーニングを始めたようだった。来週の木曜日にどのようなメニューでトレーニングしていくかについて少し意見交換をしてまたそれぞれのトレーニングに戻った。今日のトレーニングは、来週の月曜日のトレーニングまで中3日間の休息日があることを考慮に入れて、できる限り全ての部位を追い込んでいくことにした。最近は腹筋の上部と下部に分けてそれぞれを追い込んでいくことを1つの楽しみにしており、今日もそれを行った。今日は腹筋を含め、月曜日に行ったトレーニングによる筋肉痛が回復していない箇所が幾つかあり、無理をしないようにしながらもそれらの部位もできるだけ追い込んでいくことにした。来週の木曜日にパーソナルトレーニングがあることを見越して、来週の月曜日は少し調整のトレーニングをしたい。今日は90分ほどのトレーニングを行ったが、月曜日は1時間強ぐらいのトレーニングに留める。こうして筋肉への刺激の量や種類に変動性を持たせながらトレーニングをすることは、筋肉の発育にも脳の発達にも貢献しているようであるし、何よりもトレーニングに新鮮さがもたらされるのがいい。今日もまた夕食が美味しいだろうし、夜もぐっすり眠れそうである。フローニンゲン:2024/10/24(木)16:52


Today’s Letter

Since I changed my mattress and pillow, I have been getting plenty of high-quality sleep. It enriches my dream world. I can recall my dreams more vividly, and their transformative power has been enhanced. I wonder how much further my dream world can be enriched and where it will take me. Groningen, October 24 2024

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