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【成人発達心遊記】13439-13442:2024年10月21日(月)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13439: 誕生日の朝に

13440: 誕生日の朝に見た夢

13441: 顕教としての性科学の重要性/今朝方の夢の続き

13442: 今日のジムでのトレーニングを振り返って


13439. 誕生日の朝に     


時刻は午前7時を迎えた。今日からまた新たな週が始まったなと思った時に、重要なことを思い出した。それは、今日は自分の誕生日であるということである。すっかりそれを忘れていた。昨日の段階でも明日が誕生日であるということをほとんど気に留めておらず、改めて今朝になって今日が誕生日であるということに気づいたのである。それは自分にとって特別な日かもしれないが、毎日が特別な日に感じられるようになっている今日この頃においては、特別な日のうちの1つに過ぎないようになっている。もちろんその大切さは変わらないのだが、連続する特別な日の中に現れる特別な日としての誕生日は、昔のようには光っていない。また別様の光を放ち始めているかのようである。いずれにせよ、この世に誕生させてもらったことへの感謝の念を持ちたいと思う。


誕生日の今日の今の気温は13度と比較的暖かい。正午前後で雨が降るかもしれないが、午後には雨が止み、今日もまたいつもの月曜日のようにジムに行って体を鍛えてこようと思う。先週の木曜日のパーソナルトレーニングで大胸筋下部を鍛えるトレーニングの際のダンベルが肩辺りにも聞いており、数日間は筋肉痛があった。今日はそれはもうほとんどなく、今日もまた大胸筋も鍛えるが、少しばかりメニューを変えてみようと思う。木曜日には行わなかったダンベルを用いた大胸筋中部と上部のメニューとワイヤーを用いて下部を鍛えることを行っていきたい。トレーニングの間の休みの日の数は木曜日の方が多いので、木曜日により追い込んだトレーニングをしていきたいが、中2日の休息でもかなり回復することがわかっているので、月曜日の今日もまた可能な限り追い込んだトレーニングをしていこう。ジムでのトレーニングを始めたのはいつだったか明確に覚えてはおらず、コロナのロックダウンが明けてからであったことは覚えている。そこから今日にかけて色々なメニューに取り組む中でお気に入りのメニューも出来始めており、それをうまく組み合わせる形で筋肉に刺激を入れている。そしてパーソナルトレーニングでは、お気に入りに入っていないような新しいメニューを提供してもらうことでまた新たな刺激が筋肉にもたらされ、トレーニングのレパートリーを増やすことにつながっている。そうした良い循環がある。


ジムでのトレーニングまでは今日もまた学術研究に精を出し、その合間に協働者の方との仕事を1件進めておく。対談インタビューの原稿をチェックすることを午前中に行って、チェック済みの原稿を先方に送る。その原稿のレビューはすでに数日前に終わっていて、原稿を数日間ほど寝かせることにした。寝かせた原稿を改めて読み返しながら、必要な箇所には加筆修正を加えていこう。学術研究に関しては、昨日に後期密教の解説書の再読を終えたので、今日は真言立川流の学術書の再読を楽しみながら行う予定である。誕生日の今日もまたいつものように充実した日になるだろう。フローニンゲン:2024/10/21(月)07:26


13440. 誕生日の朝に見た夢  


時刻は午前7時半を迎え、今ようやく空がダークブルーに変わり始めた。サマータイムもいよいよ今週末の日曜日に終了する。それを受けていっときは日の出の時間が早く感じられるだろう。今、キッチン側の木に小鳥がやって来て鳴き声を上げている。自分の誕生日を静かに祝ってくれているかのようなその鳴き声に感謝したい。


誕生日を迎えた今朝方は次のような夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた高校の体育館に似た場所にいた。そこが完全に実際の高校の体育館だとは断言できず、内装と雰囲気が幾分違っていた。体育館の中で自分は、フットサルのゴールキーパーを務めていた。どうやら今スポーツフェスティバルが学内で開催されているらしく、フットサルはその1つの競技のようだった。いつもはフィールドプレイヤーとして溌溂としながらプレーしている自分が、どういうわけかその日はゴールキーパーとして静かにプレイヤーたちを見守っていた。本来フットサルは5対5で行うわけだが、20対20ぐらいの大人数が体育館の中にいて、しかも2つのゴールを使うのではなく1つのゴールだけで試合が行われていた。それだけ大人数だとボールの奪い合いも激しく、少しグダグタした感があった。そんな中でも自分のところに何度かシュートが飛んできて、それはことごとく簡単にキャッチできるものだった。キャッチしたボールを体育館の奥の左右に投げることを続けていると、腕が痛くなってきてしまった。それを受けて、早く試合を終えたいという気持ちになってきて、本来は簡単に防げるようなシュートをわざとゴールを許し、そこで試合を終えた。試合を終えて教室に引き返す前にふとある数式が閃き、それを体育館の床に書き記した。それは兎角難しい数式ではなく、二次方程式だったのだが、その解は単純に因数分解してもとまるようなものではなく、解の公式を使わないといけないものだった。そう思ってその場を後にしようとした時に、二次方程式の二次の項の字数がnに変わり、解の公式では解けない難解な方程式に化けた。そのような夢を見ていた。


この夢以外にもぼんやりと覚えているのは、学校の教室で小中高時代の女性友達(SS)と何かについて話していたことである。何について話していたのかはもう覚えていないが、話をしている雰囲気は楽しげで、所々にユーモアが溢れていたのを覚えている。ユーモアを発揮していたのはもっぱら自分ではあったが、楽しげな会話を比較的真面目な内容に対して行っていたことをぼんやりと思い出した。フローニンゲン:2024/10/21(月)07:52


13441. 顕教としての性科学の重要性/今朝方の夢の続き


時刻は午前10時にゆっくりと近づいている。誕生日ということをさほど意識せず、いつもと同じような形で午前中を過ごしている。つい今し方、真言立川流に関する学術書の再読終えた。改めて、密教が開示してくれるタナトス(死)とエロス(性)の奥深い世界には大変魅了されるものがあると感じた。まずは唯識学の徹底的な探究を進めていくが、そこから後期密教の研究へと移っていく日も遠くないだろう。もちろん唯識学の探究の最中も後期密教の研究も水面下で進めていくつもりであり、両者を明確に分離させるのではなく、仏教の歴史としても両者は一連の流れとしてつながっているのであるから、両者の探究もまた一連の流れとして探究していきたい。


性科学を性に関する顕教とするならば、後期密教が開示する性の思想と秘技は文字通り密教と位置付けることができる。性の発達ラインを育み、セクシャルウェルビーイングを高めていくためにはその双方が重要だが、まずは性科学の知識を堅牢にしていく必要があるだろう。顕教としての性科学の知識のない土台に密教的な性の思想と秘技を打ち立てようとするのは砂上の楼閣であり、危険ですらある。おそらく後期密教がうまく社会に普及せず、定着しなかった背景には、当時の民衆の発達段階が依然として神話的段階にあり、後期密教の世界観が第二層や第三層の意識段階にあり、両者に大きな隔たりがあったことが大きな要因の1つではないかと思う。その隔たりを埋めるのが合理性段階の産物である科学的な知識となる。性について学び、実践を深めていく際に、発達段階を飛ばしていきなり密教的な世界に入っていくことの危険性は段階論的にも明らかである。性科学を学ばずして後期密教的な世界に入ってしまうから前超の虚偽が生じ、結果として高度な世界観のものが利己的や衝動的な低次元の段階のものとして貶められてしまうのだ。そうした事態を防ぐ意味でも性科学の探究はこれから主眼を当てていくべきものであると改めて思う。


この時間帯になって今朝方の夢の続きを思い出した。そう言えば、どこか見覚えのあるダイニングで、小中高時代の友人2人と話をしていた場面があった。その時に私は英語で“Would you give me a water?”と丁寧な表現で飲み物を友人にお願いした。その時に、友人の1人(SS)が“water”の前に“a”を付けていることを聞き取り、その点を指摘してくれた。本来“water”という単語は不可算名詞で、“a”を付けるのはおかしいが、実はコンテクストによって“a”を付けることもできる。それは話者と聞き手の間で、水をボトルやグラスを通じてもらうことを前提としている場合である。すなわち、“a water”という表現は、“a bottle of water”や“a glass of water”の省略形として認識することができるのである。片方の友人は、“water”の前に“a”を付けることは間違いではないのかという表情を浮かべていたが、もう片方の友人はその表現もまた正解であることを理解しており、私が改めて説明すると2人は納得していた。そこからまた別の具体例を用いながら、不可算名詞が可算名詞になることを説明している自分がいた。フローニンゲン:2024/10/21(月)09:57


13442. 今日のジムでのトレーニングを振り返って    


時刻は午後4時を迎えた。早朝の天気予報では正午前後に雨が降る予定だったが、結局雨は全く降らなかった。念のために午後にジムに行く際に折り畳み傘を持って行ったが、全く使うことなく先ほどジムから帰ってきた。帰り際、数日前に日本のAmazonに注文した『秘密集会タントラ』の現代語訳と2冊の論文集を玩具屋で受け取った。これ以上にない誕生日プレゼントを受け取ったかのような気持ちで一杯だ。早速明日からこれら3冊の初読を始めたいと思う。午前中の日記で書き留めていたように、唯識学の探究を核としながらもそれと佳境させる形で性的実践を内包した後期密教の探究を進めていく。


今日の午後のジムでのトレーニングは合計80分くらいをかけてじっくり全身を鍛えていった。すでに気温が下がっているフローニンゲンであるが、いくつかのトレーニングを組み合わせてインターバルの間隔をなくしてメニューをこなしていくとジワリと汗が滲んでくる瞬間があった。80分のトレーニングを終える頃には代謝も随分と上がっていて、幾分汗ばんでいる肉体があった。ここ最近は腹筋を鍛える際に、腹筋の上部・中部・下部と3つに分ける形でより解像度を上げてトレーニングすることを意識している。今日は久しぶりにアブローラーを使ったが、今後もアブローラーをうまく使いながらも道具に頼らない形で腹筋のそれぞれのパーツを鍛えていこうと思う。明々後日のトレーニングの際には、大腿四頭筋を今日よりも追い込んで鍛えていく。ケトルベルを用いたスクワットからのジャンピングスクワットの組み合わせを3セットほど行う。ケトルベルの重さをこれまでよりもまた少し重たいものにしてみようと思う。学術研究と同じく筋力トレーニングも色々と創意工夫や試行錯誤をしながら実践を進めていけることが楽しく、また自分の肉体の変化も感じられるため、知的鍛錬と同じくらいに肉体的鍛錬にも喜びがある。とにかく精神は肉体の上に成り立っているということを忘れずに、これからも着実な肉体的鍛錬を進めていきたい。誕生日の今日もまた大変充実した1日だった。フローニンゲン:2024/10/21(月)16:22


Today’s Letter

I forgot that today was my birthday. As I get older, the importance of my birthday seems to fade away. However, I cannot forget how grateful I am to have been born into this world on this day. To me, every day is a birthday; each day is a gift, a chance to be reborn in this world. Groningen, October 21 2024

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