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【成人発達心遊記】13397-13407:2024年10月13日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13397: ダーマペン治療とボトックス注射

13398: 今朝方の夢

13399: 今朝方の夢の続き

13400: 40代以降の垂直的成長の可能性と成長速度について

13401: 種々の発達測定手法

13402: 自分の発達段階を特定するにはどうしたらいいか

13403: 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その1)

13404: 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その2)

13405: 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その3)

13406: 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その4)

13407: 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その5)


13397. ダーマペン治療とボトックス注射 


時刻は午前6時半を迎えた。日曜日のこの時間帯の朝は静まり返っていて、深い闇に覆われている。どうやら今日は午前中は雲ひとつない快晴に恵まれるようだが、午後からはポツポツと雲が発生するようだ。そして午後には強風注意報が出ている。それは秋風とも冬風とも呼べるようなもので、季節はすっかりと秋と冬の中間帯に位置している。今日の最高気温は13度であり、明日も12度までしか上がらないが、明日に至っては最低気温が2度まで下がるので相当に寒い。幸いにも火曜日からしばらくは最低気温が10度前後になる暖かい日々が続くが、おそらくそれが過ぎれば本格的に冬到来と考えた方が良さそうである。日本に一時帰国する段階ではすっかり季節は冬の様相を呈しているだろう。


一昨日の午前中にダーマペンの初めての施術を受けたが、施術後の肌の赤みはその日の夕方にはもう随分と引いており、昨日の朝の段階ではさらに赤みが引いていた。今朝方起きて鏡で確認すると、赤みはもうほぼ完全に消えているようだった。それに加えて、肌の細胞が活性化され、以前よりもすでにきめ細やかな肌が実現されていることに驚かされた。ここから肌は自分のペースでターンオーバーを繰り返していき、その都度肌質が改善されていくだろうと思う。1回の施術ですでに効果を実感しているため、ここからのさらに継続的な施術の効果に期待がかかる。自分は人前に出ることはあまりないが、それでも身だしなみとして最低限のスキンケアはしていきたいと思う。今回のダーマペンの施術もまたそうした最低限の身だしなみとして行なっている。行きつけのジムのオーナーはゲイで美意識が高く、これまで何回もボトックス注射を施術しているらしく、確かに見た目がとても若々しい。50代とは思えない若さがある。ボトックス注射とはどのような施術だったか改めて昨日調べてみたところ、筋肉を弛緩させる働きを持つA型ボツリヌス毒素を肌に注入することによって、凝り固まっている筋肉を和らげ、シワを軽減させる治療とのことだった。ダーマペンは何か外側から物質を注入するものではなく、肌が本来持っている再生機能を活性化させることが目的になっているのに対して、ボトックス注射は外部から物質を注入していくという違いがある。ボトックスは顔のシワを軽減させるだけではなく、肩こりの解消やワキガや多汗症にも効果があるとのことだ。自分はそれらの悩みは抱えていないが、顔のシワに関しては額のシワは若干気になることがあるので、また美容クリニックで相談してみて一度どこかのタイミングで体験してみるかもしれない。ダーマペン治療に加えてボトックス注射もまた新しい体験として自分の世界を広げてくれるような気がする。フローニンゲン:2024/10/13(日)07:05


13398. 今朝方の夢  


時刻は午前7時半に近づいてきており、今ようやく空がダークブルーに変わり始めた。午後に予報が出ている強風を予感させるような風が今吹いている。稼働する暖房の音に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、見慣れないゲームセンターの外にいた。そのゲームセンターはまるでカジノのように大きく華やかであった。華やかなネオンが灯るゲームセンターに吸い込まれるようにふらふらと入り口に近づいていくと、そこに同い年ぐらいの男性がいて、こちらに話しかけて来た。今からゲームセンターの中にある大きなサーキットでカーレースをしようと持ちかけて来たのである。それはとても面白そうに思えたので、早速入り口に入り、サーキットに向かおうとすると、2人の若い女性が自分たちを出迎えてくれた。どうやら2人はモデルの仕事を本業にしながら、ゲームセンターでも働いていて、カーレースの際にお客をアテンドすることになっているようだった。そしてカーレースの最中も助手席に座ることになっているとのことだった。カーレースに誘ってきた男性は女性に対して横柄な態度を示しており、彼の車に乗車することになっている女性に対してすら何も挨拶をしなかった。さすがにそれは失礼だろうと思ったので、その点を指摘すると、彼は笑いながら失礼でもなんでもないということを述べた。2人の女性は苦笑いを浮かべており、少なくとも私は自分の車に乗車してくれる女性には丁寧に挨拶をした。そのおかげか彼女は自分に心を開いてくれたようで、車に向かうまでの間、なぜゲームセンターで働いているかや普段のモデルの仕事についても色々と話をしてくれた。ゲームセンターでの仕事にせよ、モデルの仕事にせよ、自分には体験できない内容だったので、彼女の話は有り難く、そのおかげで自分の世界観がまた広がったような感覚があった。たった数分間のわずかな会話でもこのようにして世界観を広げてくれるような機会が人との会話にはあるのだから、会話の機会を閉じてしまうようなその男性の態度は尚更勿体無いことだと思った。いざ車に乗り込もうとしたら、人気の車はすでに占有されており、残っているのは走るメリーゴーランドのようなものしか残っておらず、果たしてそれでレースになるのか心配になった。すると突然、自分の脳内でレースが始まり、自分はスポーツカーに乗って、先頭集団の後ろの方に位置しながらトップに躍り出る機会を窺いながら走っている姿が現れた。コースは街中の一般車道となり、スポーツカーだけではなく大きなバイクに乗ってレースに参加している人もいた。先頭集団にはバイクで2人乗りをしている人がいて、彼らが先頭集団のペースを乱そうと画策している様子が窺えた。さてこれからどのような走りをしていこうかと思ったら、再びサーキットに意識が戻り、助手席に乗ってくれる彼女と話し合って、もうレースはどうでもいいので、適当に車を選んで、ゆっくり走りながら会話を楽しもうということになった。自分にとってもその方がよっぽど有意義な時間が過ごせそうだと思った。フローニンゲン:2024/10/13(日)07:38


13399. 今朝方の夢の続き     


朝の世界は随分と明るくなったが、まだ薄暗さがある。午前8時前の朝の世界の様子を眺めながら、今朝方の夢の続きについて振り返っている。ゲームセンターでのカーレースに関する夢を見た後に、一度目が覚めた。天井をぼんやりと眺め、また夢の世界に入っていこうとすると、すぐにまた次の夢の世界に誘われていった。次の場面として立ち現れ来たのは、実際に通っていた中学校の体育館を思わせるような、それでいてもう一回り大きな体育館であった。そこで今からバスケの部活が始まることになっていたのだが、体育館にはかなりの部員がいて、その中に外国人もちらほら散見された。部員の中で英語が話せるのが自分だけだったからなのか、外国人のメンバーの多くは自分の周りに集まっていた。最初のウォーミングアップの段階で、体育館の中をぐるぐるとランニングしている際に、2人のアフリカ系フランス人のメンバーが自分に近寄ってきて、彼らと雑談しながらランニングをすることになった。彼らはフランス人の典型的なイメージに合致するような人物で、文学をこよなく愛しているようだった。彼らは言葉の感性に優れていて、彼らが部活の合間に作った小説をぜひ読んでほしいと自分に述べた。彼らがどのような言語世界を生き、どのような言語世界を小説の中に具現化したのかに関心があったので、彼らから小説を受け取って、部活の後に自宅に帰ってじっくり彼らの作品を読んでみることにした。小説を手渡す時の彼らの目は輝いていて、嬉しそうに笑みを浮かべていた。私に小説を手渡すと、彼らはランニングの速度を上げて、自分の元から離れていった。彼らが去っていったのとタイミングを同じくして、突然私は瞬間移動し、地元の市の体育館の中にいた。そこは学校の体育館よりも圧倒的に綺麗で、リングも見事な作りをしていた。そこは市の大会が開催される場所で、ちょうど今から試合が行われることになっていた。試合の開始前のウォーミングアップではスリーポイントシュートの感覚を確かめておきたいと思った。ボールに対する指のかかり具合などを確かめ、今日はいつもよりスリーポイントシュートが入りそうな予感があった。そのようなポジティブな予感を持って試合に入っていけば、きっと良い結果が自然とついてくるだろうと思った。そのような夢を見ていた。


夢の続きを思い出しながらも、先に見ていたゲームセンターでの夢の感覚の方がより楽しさがあるものだった。確かにアフリカ系フランス人の2人から小説を手渡され、それを読むことを通じてまた自分の内的世界が広がると思ったが、小説を読むよりも、ゲームセンターで出会ったモデルの彼女との対話の方がより内的世界が広がっていく予感があった。書かれた言語世界ももちろん意義深いものなのだが、今の自分はどうやら対話によって創造される言語世界、そして言葉を超えた感覚世界に関心があるのかもしれないと改めて思わせてくれる夢だった。フローニンゲン:2024/10/13(日)08:07


13400. 40代以降の垂直的成長の可能性と成長速度について  


時刻は午前9時を迎えようとしており、ようやく朝の素晴らしい青空がくっきり見え始めた。紅葉も美しくなり始めている今日この頃であり、家の木々の葉の紅葉を眺めながら、今日もまた明後日に控えた対談インタビューに向けてトピックについて色々と考えを巡らせている。


今日まず考えたいトピックは、40代以降でも垂直的成長は可能であろうか?という問いと、成長は可能だとしても成長スピードは落ちるだろうか?というものである。1つ目の問いに対しては、垂直的成長は40代はおろか幾つになっても可能であるというのが端的な回答になる。ただし前提としては、自分が実現したいと思う成長領域を特定し、今の自分の成長段階に対して適度な負荷量を与えてくれるその領域に紐づく学習と実践を継続的に行なっていくことが重要である。ここでの重要性は、漠然と成長したいと思うのではなく、どの領域で成長したいのかを明確にすることであり、そしてその領域での自分の成長の現在地を把握し、適切な負荷量をもたらす学習と実践に継続的に取り組むということである。後に説明するが、発達測定の重要さは現在地の把握にあり、コーチやメンター、あるいは外部専門家の大切さは、その人に合った負荷量の課題を提供することにある。これは筋力トレーニングと同じで、今の自分の筋肉量や強度を把握しないままに重たいダンベルを上げようとしても怪我をするだけであり、逆に軽すぎるダンベルを上げても筋力がつかないのと同じである。それでは後半の問いについて考えてみると、成長スピードが落ちるのは必然だと答えるだろう。というのも、発達段階が上がれば上がるほど、能力レベルが上がれば上がるほど、次の段階の課題の複雑性が増し、その複雑性を乗り越えるだけの器や能力の開発には必然的に時間がかかり、成長曲線が鈍化するのは自然なことである。例えば算数・数学の能力領域を考えてみたときに、足し算をマスターする課題の複雑性と偏微分方程式をマスターする課題の複雑性はどちらが高いだろうか。それは言わずもがなで後者だろう。それではリーダーシップ能力について考えてみても、課をマネジメントするのと部全体をマネジメントするのと会社全体をマネジメントするのとでは、どれがマネジメントに関するリーダーシップ能力における複雑な課題を突きつけてくるだろうか。再度主張を要約すると、どのような発達領域であっても、自分の現在地を見極め、今の自分を少し超えるような負荷量のある課題に継続的に取り組み続けることによって40代であっても、幾つであっても成長は可能であるが、成長に伴って課題の複雑性が増すゆえに成長曲線が鈍化するのは自然なことなのだ。フローニンゲン:2024/10/13(日)09:03


13401. 種々の発達測定手法


青空の下、通り雨が今し方降った。秋を感じさせる紅葉した世界の中で、その通り雨は一瞬の命を輝かせるかのように美しく地上に降り注いでいた。そのような雨が降った世界の中で、引き続き対談インタビューのトピックについて考えを巡らせている。1つ前の日記でも書き留めたように、継続的な成長を実現していく上では現在地の把握が重要になるのだが、それでは自分自身の垂直的能力の成熟度合いを認識するにはどうしたらいいのか?という問いが出てくるだろう。今度はこの問いについて考えてみたい。まず発達測定には3種類あり、文章完成テスト型、自由記述型、インタビュー型の発達測定がある。文章完成テスト(正式名称は「ワシントン大学文章完成テスト」。ロバート・キーガンの弟子のスイス人の研究者スザンヌ・クック=グロイターが1990年代後半からこのアセスメントをさらに洗練させ、 “Maturity Assessment Profile"や“Leadership Assessment Profile”と呼んでいる)は、ジェーン・ロヴィンジャーという研究者が開発したもので、これは自我の発達領域に特化したアセスメントになる。これは合計36問ほどの問いから構成されており、例えば「子供を育てるというのは・・・」に続く文章を自分で考えて記述したり、「~は自分の喜びである」という「~」に該当する部分を自分で考えて記述していく形で36問に答えていくものになる。これを通じて、自己理解・他者理解・世界理解にまつわる自我の発達領域の成熟度が明らかになる。その信頼性と妥当性はかなり高いものだが、36問の問いの項目を見てわかるように、企業人のリーダーとしての器の成熟度を測るという目的に対しては妥当性が下がる。心理統計の復習を簡単にしておくと、妥当性とはその測定目的に合致する事柄を対象としてきちんとそれが測れているかであり、信頼性とはその的に向けて矢を正確に打ち続けることができるかを指す。つまり妥当性は的の位置の正確さを表しており、信頼性はその的の中心に向かって何度も矢を放つことができるかということを指す。企業のリーダーにリーダーシップ能力に対して、子育てに関する問いを持ちかけたり、夫や妻の役割について持ち掛けることは幾分的の設定が不適切だと言える。それでは次に自由記述型の発達測定を見てみたい。自由記述型の発達測定の代表例は、かつて自分が所属していたマサチューセッツ州の発達測定研究機関のレクティカが提供しているものになる。まさにこの組織のフラッグシップショップサービスとして、リーダーの意思決定に関するアセスメント(LDMA: Leadership Decision Making Assessment)というものがある。まさにこのLDMAと呼ばれる測定手法が、FBI、CIA、NSAなどに提供されていたのである。LDMAは文章完成テストと異なり、リーダーが現実世界の中で直面するようなリアルなケースを題材にし、そのケースに紐づいた5つほどの問いに対してそれぞれの問いに数百字ぐらいの文字数を用いて自由に記述していくものだ。これを通じて、視点取得能力、協働能力、意思決定プロセスの洗練さ、議論の説得力などが測定される。自分がレクティカに在籍していた頃には人間の測定者が数人かけて測定者間信頼性を確保しながらマニュアルで分析していたが、現在ではAIを活用して測定をより自動化していく動きになっている。最後に、もう1つの測定手法はインタビュー型のものである。1980年代の後半にロバート・キーガンを含めたハーバード学派の発達心理学者たちが発明したものが「主体客体インタビュー」と呼ばれるもので、それを洗練させたのが自分が長年師事をしていた発達心理学者のオットー・ラスキー博士の「社会的感情的インタビュー」と「認知的発達測定インタビュー」と呼ばれるものである。インタビューゆえに測定の時間がかかり、費用も嵩むが、インタビューそのものがまるでコーチングやセラピーを受けているかのような副産物的メリットもあり、これらのアセスメントはどれも一長一短があるので、測定の目的に鑑みて測定手法を選択することが重要になる。フローニンゲン:2024/10/13(日)09:43


13402. 自分の発達段階を特定するにはどうしたらいいか  

 

通り雨が過ぎ去り、朝空がまた神々しく輝き始めた。そのような中、引き続き発達測定手法について考えていた。では先ほど言及したアセスメントがあることがわかったとして、それを日本語で受けられるのかというと、残念ながら現状では日本語で受けることはできない。かつては発達測定インタビューであれば企業の人材開発プロジェクトや組織の対する成長支援コーチングの一環として提供していたが、今はもうそれを自分は提供していない。文章完成テストにせよ、自由記述型のものにせよ、最近は翻訳機能の発達を受けて、それを駆使すれば英語があまり得意でなくてもそれらのアセスメントを受けることができる。現在地を正確に把握するという点では何らかのアセスメントを受けることを推奨するが、時間もお金もかかることなので、より簡便的な方法についても言及しておきたい。結局どのアセスメントも発達段階の理論がベースになっているので、その根幹になっている発達理論い習熟すれば、ある一定程度の正確性を持って自己分析ができるようになってくるだろう。しかし、拙著『成人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋』でも言及したように、最近では発達測定の専門的なトレーニングを受けていないにもかかわず、他者の発達段階に勝手にラベルを貼るような「発達的暴力」ないしは自己流の発達アセスメントを通じた「発達ハラスメント」が横行し始めていることに危惧している。こうした他者を発達段階のボックスに当てはめて、危害を加えることを避けながら、自己理解を深めるという目的で、特定の発達理論に習熟して、自分の発達段階を考察していくということは有益だろう。その一助として、手前味噌ではあるが現在日本語で読める唯一の発達測定マニュアルである翻訳書『人の器を測るとはどういうことか』を読んでみることは有益だろう。この書籍はなかなか骨太なものでもあるので、勉強会を結成するなどして、仲間と対話をしながら発達測定の理解を深め、その過程で現在の自分の垂直的成長の成熟度を知っていくことをお勧めしたい。発達測定の要諦は、何を言ったか、何を行動したかが問題なのではなく、発言や行動の背後にある論理、つまり出力されたアウトプットではなく、アウトプット生み出す無意識下にある関数を特定するような作業が発達測定であり、それぞれの段階の行動論理は何かに着目して発達マニュアルを何度も読み込んでいくと、発達測定の見立てがブラッシュアップされていくだろう。

要約すると、お金にゆとりがあり、英語力に自信がある方は英語での発達測定を受けてみることがお勧めであり、英語に自信がなくても翻訳機能を使ってアセスメントを受けることができる。仮にお金にさほど余裕がなく、厳密なアセスメント結果を求めていない方には、日本語で読める発達理論の書籍や上記で言及した発達測定のマニュアル本を読み込む形で、行動論理の特定をする能力を高め、それを自分の今の成熟度の分析に使ってみることはお勧めである。発達測定もまた1つの能力領域ゆえに、自分もアメリカに渡った25歳ぐらいから本格的にその能力を伸ばそうとして実際にそれを伸ばすことができたので、誰でも然るべき時間と鍛錬を重ねれば、ある程度の精度を持った発達測定が自分に対してできるようになってくるだろう。フローニンゲン:2024/10/13(日)10:12


13403. 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その1) 


時刻は間もなく正午を迎えようとしている。今日は午前11時から両親との2ヶ月に1度のミーティングを行う予定だったが、時間になっても両親が姿を現さなかったので、リスケの依頼をし、第三四半期の税務申告に向けてエクセル表を作っていた。それが終わり、再び明後日の対談インタビューのトピックについて考え始めた。次の問いとしては、「40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長して自身の器を広げるためには何をすればよいと思うか?」というものがある。成長のためにやるべきことや身に付けるべき習慣などについて企画書の中に問いが立っており、それについて考えてみたい。この問いに対して答える前に、そもそも論として気をつけないといけないことは、自分の造語であるが、「成長虚無主義」と「成長強迫症」に陥らないようにすることである。人には誰しも成長欲求が大なり小なりあり、それは生理的な欲求と同じく、自己実現や自己超越において大切な欲求であるが、人によっては自然なはずの欲求に対して過度に禁欲的になったり、過度に潔癖症的な人がいて、例えば「もう成長なんてどうでもいいんだ」とか「成長なんて興味がない」「自分にさらなる成長なんてできるはずがない」というような虚無主義的な在り方を持っている人がいる。それは欲求の自然さに反対する病理的な在り方であり、人は幾つになっても成長できる余地はたくさんあるし、むしろ老いていくことを通じて深まりゆくものもあるため、成長虚無主義には陥らないようにする必要がある。今度は逆に、「成長強迫症」を患っている可能性についても検討する必要があるだろう。成長強迫症とは、成長の目的や対象を考えないままに、「成長しなければいけない」「なんで自分は成長できないんだ。成長できない自分は何か問題があるんじゃないか」というような形で成長に駆り立てられ、その駆り立てによって自己肯定感を下げ、成長疲労に陥ってしまう現象である。それも避ける必要がある。まさに仏教的な発想で言えば、2つの極端な考え方に陥るのではなく、その中道を歩むというような柔軟性のある在り方が重要である。もっと言えば、成長への冷たい眼差しではなくて、成長というものを客観的に捉えるという目覚めた眼差し、すなわち覚めの目、覚醒した目が必要かと思う。この目を持った上で、ではどうすればいいのかを考えていく必要がある。というのも現代人、とりわけビジネスパーソンに多いのは、効率性やコスパなどを求めて、手軽く簡単に何か物事を実現できないかを考えるdoing思考の強い「doing animal」が非常に多い印象を持っているので、何をすればいいのかを考える前に、継続的な成長を実現するのはどのようなbeing、つまりどのような在り方が求められるのだろうかという問いから出発する必要があるだろう。


具体的な実践に入る前に、成長を実現するための在り方や前提となる考え方をまず抑える必要があると思うので、もう少しこの点について説明を加えておきたい。まずは盲目的に手当たり次第成長しようとするのではなく、どの領域の成長を何のために実現しようとするのかを明確にすることが重要だろう。さもなければ、『成人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋』の書籍で警鐘を鳴らしたように、成長が実現されないどころか成長疲労を患うことになる。成長の目的として考えて欲しいのは、その成長が自利だけではなく、利他を志向するものであることだ。利他性は私たちに無尽蔵の力をもたらすが、自利しかない場合は非力であり、どこかで歪みが生じる。なので成長の目的を必ず自利利他の双方を含んだものにする必要が健全な発達を支えるものとなる。それともう1つ、「高次元の成長発達は必ずしも良きものではない」という点にも注意が必要である。つまり、成長していればいるほど一概に良いとは限らないという問題についてもきちんと考える必要がある。極端な例を使ってわかりやすく考えてみると、小学校のリトルリーグにいるある子供がいきなり大谷翔平選手と同じ野球の能力を獲得したら幸せだろうか?その子は最初の試合は無双できて楽しいかもしれないが、そこからの週末の試合はレベルが低すぎて楽しくなく、野球を嫌いになってしまうかもしれない。また企業組織を例にとると、40代のマネージャーが器として部長やCEOのレベルを遥かに超えてしまったら、部長やCEOから嫉妬を受けたり、干されたりする可能性がある。こうしたことを踏まえて、自分が従事する課題と属する環境との兼ね合いから、本当に成長が必要なのかをまず吟味する必要がある。それを受けて始めて具体的に何をしていけばいいのかの議論がようやく始まる。フローニンゲン:2024/10/13(日)11:56


13404. 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その2) 


つい今し方仮眠から目覚めた。やはり西川さんの枕とマットレスが良いようで、午後の仮眠の質もかなり向上していることを実感している。仮眠を終えてみると、午後の世界は太陽の光で輝いていて大変心地良い。そんな中、再び明後日の対談インタビューに向けてテーマについて考え事をしていた。先ほどは40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくために必要な在り方について書き留めていたが、そうした在り方を身につけてもまだ具体的な成長実践に取り掛かるのは早いように思う。そもそも現代人の多くは、成長を実現するための身体的・精神的エネルギーが枯渇している傾向にある。2年に1度ぐらいの頻度で日本に一時帰国するたびに、都心部の多くのビジネスパーソンたちの冴えない表情や死んだ魚のような目をしている姿を見かけると、継続的な成長を実現する実践に取り組む前段階の実践が必要になるかと思う。それはとても基礎的な事柄だが、食事・睡眠・運動の三位一体の実践である。食事・睡眠・運動は脳を健全に保つ上でも重要で、ハーバード大学教育大学院のカート・フィッシャー教授の研究結果で明らかになっているように、どのような発達領域であっても、知性の発達・意識の発達は脳の変化と足並みを揃えて実現される。大人になっても脳は変化する。もちろん死滅していくシナプスもありながらも、脳の可塑性によって増大していくシナプスもあり、ニューロン同士の結合を強固にしていくことが学習や実践を通じて可能である。そのような現象が脳内で起こっている以上、脳によくない生活習慣を続けていると、脳の健全化が実現されず、結果として知性や意識の発達を停滞させてしまうことになりかねない。なのでまずは食事・睡眠・運動の三位一体の実践をした上で、自分が高めようと思う能力領域に紐づいた課題と向き合っていくことが重要になる。この点は当たり前のように思うかもしれないが、その当たり前が意識されておらず、方向違いな学びや実践に従事している人も散見する。つまり自分が大胸筋を鍛えたいと思っているのに大胸筋とは程遠い部位の筋肉を鍛えることに懸命になっている人がいるように、伸ばしたい領域を明確にし、その領域に固有の実践に取り掛かることがまずは重要になる。全ての知性領域に共通するような能力を限定することは難しいが、それでもほぼ全ての能力領域の基盤になっている能力としては視点取得能力がある。身体に優位性がある成長領域だとその重要性は幾分下がるが、身体的な領域であってもその成長には視点取得能力が欠かせない。例えば、大谷翔平選手のような野球選手になるための成長を考えている高校球児であれば、まさに大谷選手の高校時代に描いた曼荼羅図のように、野球選手になるために必要なことを多様な視点で考えることが重要になる。また現代のサッカーは、瞬発的に意思決定をする体を動かすチェスや将棋のような様相を呈していて、サッカー選手としても状況判断に欠かせない視点取得能力を養うことは不可欠になる。これがスポーツの分野を離れて、ビジネスパーソンが主戦場とする知性領域になってくると尚更視点取得能力が重要になってくる。では視点取得能力をどのように高めればいいかというと、視点取得をするための枠組みとして、アメリカの思想家ケン・ウィルバーが提唱したインテグラル理論を学ぶことはお勧めである。インテグラル理論とは、まさに統合的な視点を取ることを可能にする個人・組織・社会の成長・発達に関するメタ理論であり、自分の視点取得能力の基礎を作ってくれたものでもある。まずは兎にも角にも垂直的成長が何たるかを知ることが重要であることを考えれば、インテグラル理論は成長の見取り図を与えてくれるし、成人発達理論はその中でも垂直的成長に特化した理論であるがゆえに、座学としてまずはそれらの理論を学ぶことが重要だろう。こうした見取り図を持つことによって、まずは自分が垂直的な発達段階のどこに位置しているのかを知ることができ、それを知って初めて自分がどのような発達課題を抱えていて、それに対して何をすればいいのかが見えてくるだろう。そしてこの座学をさらに有意義なものにするためには他者と一緒に学ぶことが有効で、それは自分にはない視点と出会うことをもたらしてくれ、視点取得能力の向上にも役にたつ。フローニンゲン:2024/10/13(日)14:32


13405. 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その3) 


視点取得能力が全ての能力領域の基盤になるものであり、それは人としての器と呼ばれているものの根幹になるものなので、視点取得能力だけを高めたらいいかというとそういうわけではない。高度な視点取得能力を獲得することは、スターウォーズで言えばフォースを獲得するようなもので、そのフォースを闇の方向ではなく、光の方向で活用するための鍛錬も必要になる。さもなければ世の中の成長論議はフォースのダークサイドについての議論がほとんどなく、人は容易くダースベーダーとなってしまう危険性についても理解するべきである。ではどのようにすればダースベーダーになってしまうことを防げるのかというと、最良の実践はシャドーワークをきちんと行うことである。シャドーワークとは、自分の心の影の部分、見たくない部分を見ていく実践のことを指し、心の影の部分を見つめないことが影の部分の投影現象を起こしてコミュニケーション上の種々の問題を生み出す。コミュニケーション上のありとあらゆる問題の背後にシャドーの問題があると言っても過言ではない。人は自らの怒りの根源に何があるのかを見つめることしないので怒りを投影するし、自らの嫉妬の根源に何があるのかを見つめることをしないので嫉妬を投影する。こうしたことからシャドーと向き合うことを推奨したい。ではどのようにすればシャドーと向き合えるかというと、ここでも垂直的成長を実現するためには垂直的成長とは何かを知ることの大切さを説いたように、相手を知らなければなず、まずはシャドーとは何か、それにはどのような種類のものがあるのかを把握することが重要になる。西洋のサイコセラピーの理論と実践はシャドーワークを専売特許にしており、それらを学び、実践することは有益だが、個人的に関心を寄せているのは大乗仏教瑜伽行唯識学の教えである。唯識の教えには心の影に関する詳細な分析がなされており、唯識学に親しむことはシャドーワークの学びと実践にもなるだろう。シャドーワークを行えば、衝動的な感情の発露が軽減し、感情的知性も育まれ、コミニケーション能力も向上し、それはダークサイドに陥ることを防ぐだけではなく、器の拡張にも直接的につながる実践になるだろう。そもそもシャドーが何で、シャドーがどのように発生するかを自己分析することそのものもまた視点取得能力の実践になるので、シャドワークが器を拡張することにもつながるのは明確である。では最後に、器の大きな拡張剤になり得る実践を考えてみたい。それは日本では法律上実践が難しいが、1つにはサイケデリクスの摂取、そしてもう1つは性的エネルギーを活用する実践である。これらはどちらも自我の境界線を溶解させ、自分を超越した存在を知覚させたり、それと一体化する体験をもたらす。このある種自我溶解現象及び自我超越現象を通じて、自我の境界線をより拡張した形で引き直し、自我の成長発達の拡張剤、ないしは起爆剤になり得ると考えている。後者の性的実践については法律で規制されていないので、タントラセックスやタオイストセックスなどの気を高め、気を交換するような性的交わりをパートナーと行うこと、あるいは1人でも性的エネルギーを活用した実践はできるので、その領域の実践も進められる。こうしたサイケデリクスや性エネルギーの活用の背後にある実証研究としては、発達心理学者のチャールズ・アレキサンダーが1990年初頭に行った、超越瞑想による自我の発達の研究が挙げられる。超越瞑想はマントラ瞑想の一種で、内観を必要としないものである。この瞑想を毎日5年間繰り返したところ、この瞑想を行った人とそうでない人との間には、統計上有為な差が見られ、5年間超越瞑想を繰り返し行った人は、ジェーン・ロヴィンジャーの自我の発達測定手法を用いたところ、平均すると1.5ほどの発達段階の向上が見られた。現在の発達研究者は、この研究デザインに幾分疑問を呈するが、それでもマントラ瞑想が自我の壁を和らげ、境界線を拡張するメカニズムがあったのではないかと推測される。では人口に膾炙しているマインドフルネス瞑想はどうかというと、これが自我の発達にもたらす実証研究はないが、内観的なマインドフルネスが視点取得能力を向上することにつながったり、感情的な暴走を防いだりするという意味で、器の拡張に貢献する可能性は十分に考えられる。しかしマインドフルネスは、内観のための枠組みの提供が不十分なので、何に着目してどのように内観すればいいのかの方向性を提示してくれる、唯識学の観法瞑想はよりお勧めである。フローニンゲン:2024/10/13(日)15:02


13406. 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その4)

     

自我の境界線を溶解させ、境界線の拡張を促す実践としてサイケデリクスの実践と性エネルギーを活用した実践について言及したが、前者については日本では麻薬及び向精神薬取締法によって法律違反である点には注意であることを再度書き留めておく。もしサイケデリクスの実践に関心があるのなら、それが認められている国や場所に行くべきである。日本でそれを推奨すると幇助や教唆になりかねない。国としてはオランダやポルトガル、ペルーやジャマイカなどの中南米のいくつかの国々、アメリカであればセロトニン系のサイケデリクスのいくつかが所持や使用が脱犯罪化された州としてオレゴン州やコロラド州があり、脱犯罪化された市としては、ハーバード大学とMITのあるマサチューセッツ州ケンブリッジ市やカリフォルニア州のオークランド市などがあり、そうした場所に行ってセロトニン系のサイケデリクスの摂取をすることができる。セロトニン系の中でもアヤワスカという2種類の植物を掛け合わせた飲み物であれば、アメリカで連邦法レベルで宗教目的のアヤワスカの使用や、向精神性のサボテン系のサンペドロやペヨーテの使用が認められている。


サイケデリクスの力も性の力もどちらも共に、自我の境界線を溶かし、境界線を溶解させることを通じて自己を拡張させていき、自分を超えた大きな存在との一体化をもたらすので、まさに自我拡張促進剤としての効能がある。ただし、どちらもしっかりとした学習が必要であり、正しい知識がない状態でそれらの力を活用するというのはお勧めできない。サイケデリクスも性も、おそらくこの宇宙上で今の所最も強力な自我拡張作用がある分、逆にその使用を誤ると、鈴木大拙氏が指摘したような魔境に迷い込み、自我が肥大化して暴走する恐れがあり、それは成長に繋がらないばかりか、成長の停滞や退行を引き起こしかねない。それを防ぐ意味でも先ほど紹介したシャドーワークが重要であり、サイケデリクスや性に関するリテラシーを高める必要があるのだ。我が国においては最良の反面教師がいて、サイケデリクスと性を誤った形で活用してテロまでも起こしたオウム真理教の麻原彰晃がいる点を忘れないようにしておきたい。サイケデリクスや性の話をなぜ持ち出したかというと、心や意識の成長・発達に関心を持ったら、遅かれ早かれそれらに突き当たり、世界の潮流としてもとりわけサイケデリクスの活用は欧米社会においては議論も実践も進んできているので、ここで取り上げた次第だ。


それ以外に重要なこととしては、40代になってくると成功体験も蓄積されてくる頃であり、それによって成功体験に縛られてしまったり、学びも仕事も固着した習慣の惰性で行ってしまう傾向が増してくる。なので、習慣を絶えず脱構築していく習慣を身につけることも重要になるだろう。さらには、この年代になってくると、ライフサイクル上も大きな課題、例えば転職・子育て・離婚・出産・事故・病気・死別といったもの向き合うことも増えてくるだろう。この時に、それらのイベントとどのように向き合うかが、自分を成長させてくれるのかそうでないかが別れてくるかと思う。それらの出来事に対して悩めと言っているわけではなく、例えば離婚をするに際しても、それを弁護士に外注しておしまいとするのと、お互いにどのような価値観の相違があったのかを双方で話し合い、何が離婚に導き、そしてこの離婚は自分に対して何を教えてくれる出来事だったのかと学びのメッセージを汲み取るようにして向き合うのとでは、成長に対するインパクトは全く違うものになるだろう。これは言い換えるならば、発達的葛藤ときちんと向き合うことの大切さを指している。かつて師事をしていたフローニンゲン大学のサスキア・クネン教授が応用数学を用いたシュミレーション結果で明らかにしているように、葛藤体験を素通りしてしまうとどこかのタイミングで発達が停滞するのに対し、葛藤体験ときちんと向き合うことし続けている人は継続して成長していくことが明らかになっている。なので、人生で生じる全ての出来事に対して、それを効率的・簡単に解決しようとするのではなく、その出来事からのメッセージを受け取り、その出来事は自分にどのような学びをもたらそうとしているのかを考えるということが、継続的な成長を実現する上で重要なことなのだ。フローニンゲン:2024/10/13(日)15:33


13407. 40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくためには(その5)  

   

40代以降のビジネスパーソンが垂直的に成長していくための実践として、最後に幾つかの補足をしておきたい。自我の発達は、多様な価値観を受け入れ、自らの価値観を刷新していくプロセスでもあるので、異なる価値観を持つ異質な他者との出会いを通じた学びや実践が重要であることも付け加えておく。性別・年齢・職業・国籍といったカテゴリーに捉われることなく、様々な価値観を持った人たちに開かれていくこと、すなわち異質な他者との交流を通じて、異質さを受け入れていくための器の許容量が自然と増してくるだろう。それと関連して、40代のビジネスパーソンは心の器の筋肉が硬直している傾向があるので、その硬直を解きほぐす意味でも、これまで本当はやってみたかったのだけど、種々の事情で取り組めなかった新しい趣味を始めてみることも自分の器に対して新しい刺激を入れることができるという点で重要かと思う。趣味にもよるが、趣味は性別・年齢・職業・国籍といったカテゴリーを越えやすいメリットがある。概して、日本のビジネスパーソンの多くは仕事に費やす時間が過剰であり、趣味に充てる時間が少なかったり、趣味すらないような状態なので、そのような状態では価値観が閉鎖的になり、仕事において交感神経を高めるような刺激はあったとしても、副交感神経を高めるような要素は少ない。趣味を通じてリラックスすることも、40代以降の成長には時間がかかるという長期戦ゆえに英気を養う点でも重要かと思う。また、成長の見取り図を獲得するべく成人発達理論を学ぶに際しても、40代はおそらく、学校教育においてグループワークやプロジェクト型ラーニングをほとんど受けてきていないと思われるので、1人で勉強しようとする学習上の癖を脱却し、他者と共に成人発達理論を学ぶこともお勧めである。視点取得能力のところでも言及したが、他者と学ぶことは様々な価値観に触れることにもなるので、異質さを自己の器に取り込む意味でも重要だろう。


最後に、成長というものに関する発想の転換をすることについても触れておきたい。成人発達理論でいうところの成長は、変容と呼ばれるようなものであり、それはイモ虫からサナギへ、サナギから蝶へと姿を変えていくようなものである。ゆえにイモ虫の状態でできたことがサナギではできないことがあるというのは当たり前で、成長過程において、あるいは変容過程において、前にできていたことができなくなることも当然起こり得るということを自覚しておくことも重要だろ。カート・フィッシャーの研究で明らかになっているように、大きな成長が実現される前には停滞や一時的な退行は所与である。そうした所与の出来事に右往左往することなく、適度に休息を取りながら学びや実践を継続していくことが重要だ。そして仮にある1つの能力が停滞したとしても、それは能力全体というエコシステムで見た時には、他の能力を伸ばすことにおいて起こるべくして起きた剪定作業のようなものだと思い、ある能力の減退を楽しみ、また別の能力を伸ばすことの楽しみに期待を馳せ、それに向けて学習や実践をしていくという心のゆとりを持つことが重要かと思う。おそらく多くの人は能力の減退を恐るというある種の恐怖症に陥っているのではないかと思い、そのような恐怖を感じる必要はなく、発達研究に取り組む自分からしてみれば、能力が減退するというのは、庭に植えた花の1本が、自然の摂理によって朽ちていく自然現象だと思うので、その摂理に怯え、争うのではなく、また別の種を植えて、また新しい花を育てていく楽しみに従事する発想が重要ではないかと思う。フローニンゲン:2024/10/13(日)15:50


Today’s Letter

Dialogue expands my worldview more than anything. I have always been inclined to engage in dialogue with people from various backgrounds. The more I engage in dialogue with someone, the more my worldview evolves. We are beings who develop through dialogue. Groningen, October 13 2024

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