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【成人発達心遊記】13346-13350:2024年10月2日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13346: 適度な揺れがもたらす存在の深まり

13347: 人生最後の瞬間に後悔しないために

13348: 今朝方の夢

13349: 他者の人生を生きる癌細胞の克服に向けて/今朝方の夢の続き

13350: 即興性と創造性を愛する者としての絆


13346. 適度な揺れがもたらす存在の深まり   

 

時刻は午前7時を迎えた。今、辺りはうっすらと明るくなり始めている。風はほとんどなく、無風の状態と言っていい朝の世界の静けさを味わっている。今は暖房も入っておらず、小鳥たちも鳴き声を上げていないので、静寂しかない。そうすると、少しそよ風がやって来て、こちらに何かを呼びかけているかのようである。静寂さを味わえというメッセージなのだろうか。それともそよ風がそこにいるということをこちらに呼びかけているのだろうか。いずれにせよ、今日の朝の世界は一際静寂である。


気温に関しては11度ほどあるのでそれほど寒くはない。日中の最高気温として夕方5時頃に14度に達するらしい。その時間帯に最高気温を記録するというのは珍しく、今はまさに変化の潮目にあるようだ。事実明日からは、最低気温が3度となり、明後日も最低気温は3度というまるで冬のような寒さになる。10月に入った途端にそこまで気温が下がるというのは信じ難いが、これがフローニンゲンの10月であることを今思い出そうとしている。明々後日まで最低気温が低い日が続き、日曜日からは最低気温が10度を超えるようになり、また温かさが戻ってくる。このようにして振り子のように季節は深まりを見せていく。私たちの存在もまたそのようにして深まっていくのではないだろうか。心もまた振り子のようにして、上下左右に揺れ動くことを通じて深まりを見せていく。であれば、仮に私たちが心を深めたいと思っているのであれば、適度な揺れを経験しているかを確認する必要があるだろう。自分自身に対しても同様の問いを投げかけている。この秋は自分の存在を揺さぶってくれるような体験を積んでいきたい。それを通じて、少しずつ着実に心を深めていく。新しい学びや新しい挑戦に対して積極的となり、多様なコンテクストの中で多様な人と交わることが存在に揺らぎをもたらしてくれる。それは私たちの成長にとって不可欠な養分であり、それを避けている限りは成長など起こらないと考えた方がいいだろう。静けさに包まれた朝の世界が、そっと自分の存在を絶えず支えてくれていることに気づかされる。広がる朝の世界は、心に憩いをもたらし、静かな活力をもたらしてくれている。その恩恵のおかげで、自分は常に少しずつ前進を遂げることができている。フローニンゲン:2024/10/2(水)07:28


13347. 人生最後の瞬間に後悔しないために     


時刻は午前7時半を迎えた。先ほど、朝の呼吸法と動的ストレッチを終えて、いつものように栄養豊富な温かいドリンクを作った。今それを飲みながらこの日記を執筆している。朝のこの時間帯はうっすらとした雲が空を覆っていて、今朝方はまだ朝日を拝むことができていない。天気予報を見ると、どうやら午前中はずっと曇りがちのようで、午後からようやく晴れ間が見えてくるとのことである。その頃には紫外線量が増えるため、日焼け止めを塗らないままに直接日光を浴びるのはあまり望ましくないだろう。秋の午後の紫外線量と夏の午後の紫外線量を調べてみて、秋のそれはどれくらいなら浴びても害がないのかを把握しておきたい。今日は午前中に日光浴を楽しむことはできなさそうだが、曇った日でも紫外線は地上に降り注いでいるため、こうした日でも朝に散歩に出かけるなどをして、紫外線量が少ない時間帯に適度な日光浴を行うことができる。窓はどうやら紫外線を遮断するらしく、窓辺にいても大して日光浴の効果は期待できないようだが、幾ばくかの光量を期待して、窓を通しても光を感じたいぐらいに太陽の光が恋しい季節となる。


先ほどポッドキャストを聴いていると、死期の迫った人へのインタビューとして明らかになったことが紹介されていた。彼らが人生の最大の後悔として挙げる事柄は、自分の人生ではなく、他人の人生を生きていたことであるとのことだった。「果たして自分は他人の人生ではなく、自分の人生を生きているだろうか」という問いを今の私たち自身に投げかけることは、後悔のない人生を送る上で重要になるだろう。死期が迫った時に後悔を抱く人生を選ぶのか、今この瞬間から自分の人生を生きることを決意するのかは本来誰にでも行えることのはずである。私たちには意志の力があり、それを発揮させるのである。そもそも他人の人生を生きているとは意志の力が弱まってしまっている可能性があるが、人生の最後にこのままでは後悔するという念が少しでも生じるとき、きっとそれは意志の力を呼び覚ましてくれることになるのではないかと思う。自分自身について振り返ってみると、自分は日本に居続ける限り他人の人生を生きることになるような気がして日本を飛び出した経緯がある。日本に蔓延する抗い難いほど強力な同調圧力や他者の視線は、自分にとって精神的にきついものだった。幼少の頃からそれには敏感であり、青年期以降になって生きづらさが増大されたことを思い出す。日本を離れ、アメリカに渡ることを決断したのは、このままでは他人の人生を生きることになり、きっと後悔するだろうという念があったからに違いない。当時はそのような言葉を当てることはなかったが、内心ではこのまま日本の組織で働き続けることは、自らの人生を生きることを剥奪することになってしまうと感じていた。結果として、アメリカに渡り、自由の翼を得た感覚になり、精神がスッと楽になり、伸び伸びと生きれるようになったことを懐かしく思う。精神的に窒息しそうな状態から一転して、精神が健全な呼吸を始めたのである。アメリカで得た自らの人生を歩むという在り方は、欧州にやって来てからさらに深まりを見せ、欧米生活13年目の今もさらに少しずつ深まりを見せている。日本の深層に深く跋扈している精神的な生きづらさの問題に対しては、なんとしても関与していきたいと思う。自分と同じように精神的に生きづらさを抱えている人を決して見過ごすわけにはいかない。自分は縁があって精神的監獄としての日本社会から脱却できたが、それが簡単にできない人たちがいることを忘れてはならず、そうした人たちにこそ救いの手を差し伸べるべきである。フローニンゲン:2024/10/2(水)08:07


13348. 今朝方の夢     


早朝には暖房が入っていなかったが、午前8時を迎えて暖房が自動で入り始めた。午前中の時間帯は暖房にお世話になることが多そうである。今朝方の夢をまだ振り返っていなかったので、心を治癒し、変化の触媒となってくれる夢について振り返っておこう。


夢の中で私は、おそらく外国であろう国の見慣れない町の郊外にいた。そこは避暑地としてのリゾートになっていて、山を開拓する形で宿泊できるホテルやロッジがあった。どこかそれはスイスの山間のリゾート地を思い起こさせた。そのような場所で私は、大学時代のゼミの友人と話をしていた。話をしていたのは、宿泊施設の中の会議室だった。そこは広い会議室で、大学の大きな授業が行えるぐらいの広さがあった。その場には私たちだけではなく、結構な人が会議室の椅子に腰掛けて話をしていた。私の右横にゼミの友人がいて、彼が私のスマホから必要のない連絡先リストを削除してくれると述べた。確かにもう何年も、いや一度も連絡先リストの整理をしていないなと思ったので、彼にスマホを渡して連絡先を整理してもらうことにした。連絡先の整理と言ってもシンプルなもので、リストにある人を一括して削除するというものだった。その中にはまだ連絡を取っている人もいるような気がしたが、完全に彼に一任する形で連絡先の一斉削除を行なった。すると、私の後ろに日本人の若い女性が座っていることに気づき、振り返ってみると、その女性の容姿端麗さに驚かされた。それと同時に、彼女の顔を見てハッとした。彼女とは数年前に仕事を通じて会ったことがあると思ったのである。さらには、彼女と連絡先を交換しておきながらも一度もこちらから連絡をしないままであったことを思い出した。そんな彼女の連絡先も、友人が全て一括して削除してしまったので、何か気まづい気持ちになった。そんな気持ちとは裏腹に、彼女は黙ってこちらに優しく微笑み続けていた。それを受けてこちらから声を掛け、数年前にお会いしたことがあるということを伝えると、彼女はまた笑みを浮かべ、「覚えていてくれて嬉しいです」と述べた。このような場所で再会できたこともまた何かの運命かと思い、食事でもどうかと提案した。すると彼女はまた優しい微笑みを浮かべ、一緒に食事に行くことに同意してくれた。その段階では自分はまだ彼女に連絡先を聞くことはできなかった。すでに数年前に連絡先を聞いていたし、にもかかわらず一度も連絡をせずに連絡先を削除してしまっていたから、そう易々と再度連絡先を聞くことはできなかったのである。そこから私たちは、宿泊先の施設から歩いていける山間のレストランに行った。そこでは数年間のお互いの仕事や生活の話に花が咲き、とても幸せな時間を過ごすことができた。そのような夢を見ていたところで一度目を覚ました。すると時刻はまだ4時前で、再び夢の中の世界に入っていった。フローニンゲン:2024/10/2(水)08:29


13349. 他者の人生を生きる癌細胞の克服に向けて/今朝方の夢の続き  

 

午前9時を迎えたが、依然として空にはうっすらとした雲が覆っており、今日は朝日を拝むことは期待できそうにない。そんな中で、朝に書き留めていた後悔しない人生の過ごし方についてまた考えていた。結局のところ、好きなことを好きなだけ学び、好きなことを好きなだけすることが自分自身の人生を生きることにつながるのだろう。好きなことに従事することを抑圧することは、誰かの人生を生きていることの証である。過剰なまでにとことん自らの好きなことに従事して、それを突き詰めていく生き方をすること。それが自分自身の人生を生きることであるという考えを改めて持つ。その考えに鑑みてみると、今の自分は自らの人生を毎日生きていると確信を持って言える。好きなことだけしか従事しておらず、24時間の中に1秒たりとも義務感で行うものは入っていない。こうした徹底さが重要なのだ。1秒でも他人の人生が入ってくると、それは癌細胞のように無尽蔵に増殖し、自らの人生を蝕んでいく。日本人の死因の25%は癌とのことであり、他者の人生を生きることによる人生癌を患って死ぬ人の割合はさらに高いであろう。おそらく大半の人が人生癌を患った状態でこの世を去っていくのではないかと思う。この癌は自分の意志次第で即刻治癒が可能である。自分が好きなことにとことん従事し、他者の視線や世間体が混入した他者の人生を生きることに繋がる時間を排除していけばいいのである。人生癌を克服した幸福な人たちで溢れる社会の実現に向けて取り組みをしていくこともまた自分にとっては自分の人生を歩むことである。ここに自利利他の合致した生き方を見る。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、どこかの国の砂浜にいて、そこでアメリカメジャーリーグでかつて活躍していたレジェンドの日本人の方と話をしていた。なんの話をしていたかというと、砂浜の近くにある野球スタジアムで行われているメジャーリーグの試合についてである。そこである日本人選手が6打席6安打を記録し、その選手に対してその方が大きな賛辞を送っていた。またその選手以外にも、韓国人の打者でいい選手がいるとのことで、その選手についてどのようなところが素晴らしいのかについても話を伺っていた。その選手に対する評価を終えたところで、今試合が行われているスタジアムが老朽化のために新しく建設し直されるという話になった。そのスタジアムは海に近いことで観光客にも人気があった。生まれ変わるスタジアムがどのようになるのかに期待を馳せていると、突然場面が変わって、2人の日本人の男女が綺麗な公衆トイレの前で真剣な顔をして話をしている場面に遭遇した。私は夢を目撃する者で、2人はまだ20代で、女性はとても小柄で可愛らしい感じであり、男性の方はどうやら女性用風俗で働いている顔立ちの良いセラピストのようだった。そこでは彼女の性に関する悩み相談が行われていて、しばらく会話がそこで行われた後、実際の施術のためか、2人は公衆トイレの中に消えていった。そこでどのような施術が行われるのかは定かではなかったが、2人はトイレの前で半裸の状態で上半身に洗濯バサミを至る所に止めており、彼女の性癖は確かに人と少し違う者なのだと思われ、その性癖に対してどのような施術が行われるかは興味があるものだった。フローニンゲン:2024/10/2(水)09:20


13350. 即興性と創造性を愛する者としての絆

 

時刻は間もなく午後4時半を迎えようとしている。今日は天気予報の通り、曇りがちの1日だった。午前中には少しばかり太陽の光を浴びることができていたが、夕方に向かう今はうっすらとした雲が空を覆っている。そんな中、午後に部屋の掃除をして、その後には昨日メルヴィンから教えてもらったフリースタイルダンスのステップの練習をしていた。フリースタイルダンスの動画を探すとたくさんあるが、それらを真似るよりも、自分の内側から出て来る動きこそが自分の真正な動きだと思ったので、動画を見るのはやめて、Spotifyを経由してエクスタティックダンスのプレイリストを再生しながら少しばかり踊りを楽しんでいた。10月末にメルヴィンと一緒に参加することになったエクスタティックダンスのイベントに向けて、メルヴィンから教えてもらった4つのステップを何度も練習しておきたい。音楽に合わせてダンスをしていると、ほんの数分で体が温かくなってくる。ここからは寒さが厳しくなってくるので、朝の時間帯に体温を上げたい時などにはまさにダンスの練習はうってつけかと思う。暖房の暖かさに頼るだけではなく、ダンスを通じて自分の身体の内側から熱を発するようにしたいと思う。それは血液の巡りや気の巡りにも直結するだろう。


昨日メルヴィンの店で色々とダンスの話を聞いている最中に、メルヴィンは誰からもダンスを教わらず、18歳の時に完全に独学でダンスの技量を高めていったことを改めて聞いて驚いた。当時はYoutubeも流行っていなかったので、本当に自分で手探りをしながらダンスの技術を高めていったそうだった。楽しみながらダンスに従事していると、いつの間にかダンスの技量がみるみるうちにダンスの技量が上がっていき、ダンスの資格を持っていないにも関わらず、メルヴィンはフローニンゲンと隣町のアッセンのダンススクールでダンス教師としてフリースタイルダンスを教えてみないかと声を掛けられ、実際に数年ほどダンスを教えていたとのことである。そんなメルヴィンから昨日は髪を切ってもらう前にダンスを教えてもらっていたのだが、まるで自分が彼の生徒になったような気持ちでいた。メルヴィンは生徒に動きの型などを押し付けることはせず、生徒の内側から生まれてくる身体表現を引き出すような言葉掛けや振る舞いが見事であり、そうした姿勢は自分も自らの活動領域で大切にしていることである。メルヴィンとこうして何年も親友として関係を続け、友人関係を深め続けているのはきっと、お互いが各人の潜在能力と個性を信じ、それを自然と発露させることを大切にしているからだろうと思った。メルヴィンと自分は、即興性と創造性を愛する者としての絆で結ばれていることを改めて実感する。フローニンゲン:2024/10/2(水)16:33


Today’s Letter

I love spontaneity and creativity. One of my best friends shares the same fondness. Spontaneity and creativity are seeds of happiness; they can also nurture our being. Groningen, October 2 2024

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