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タイトル一覧
13312: 今朝方の夢
13313: 今朝方の夢の続き
13314: 2年前のヨーテボリでの夏の出来事
13315: 今朝方の印象的な夢
13316: 夢の中のティラノサウルスが象徴するもの/性愛に関する夢
13312. 今朝方の夢
時刻はゆっくりと午前8時に近づいている。昨日のジムでのトレーニングを受けて、筋力を回復するためか、今朝方の起床はゆっくりだった。深夜に途中で目覚めることもなく、10時間ぐらいの睡眠を取っていた。目覚めはとてもすっきりとしていて、それだけ寝たこともあって心身共にエネルギーに満ち溢れている。今日はそのエネルギーを活用する形で充実した取り組みをしていこうと思う。
今朝方はいくつかの夢を見ていたので、それらについて振り返っておきたい。まず覚えているのは、見慣れない薄暗い空間の中で2人の男女と話をしていた場面である。2人とは初対面ながら和気藹々と話をしていた。すると、女性側が実はラジオ番組を放送しているという話を聞き、自分もラジオ放送をしているので、詳しく話を聞いてみた。すると女性が実際にアプリから彼女のラジオ番組を流してくれた。驚いたことに、彼女のラジオ番組の冒頭のBGMが自分のラジオ番組のBGMと全く同じだった。その偶然の合致について指摘しようと思ったが、それをやめてラジオ番組の中身に耳を傾けることにした。
それ以外に覚えている場面としては、小中学校時代の親友(SI)を含めて数人の仲間と一緒に古代遺跡を探索していた場面である。そこは深い森の奥に佇んでいる場所で、ジャングルのような森を抜けるのがまず大変であった。さらには長いトンネルような自然に出来た洞穴を潜り抜けていくことも大変だった。特にその洞穴は、中が迷路のようになっていて、幾つも分岐点があり、その分岐点の先には崖が待っていることもしばしばあった。実際に、洞穴を正しく通り抜けた先に待っていたのも崖であり、そこでは崖から勇気を持ってジャンプすることが求められていた。崖からジャンプをしても真下に急降下することはなく、そこは不思議な重力場を持っていたので、着地はふわりとしたものになることを事前に分かってはいたが、いざとても高い場所がからジャンプするのには勇気がいった。みんなが躊躇していたので自分が率先してジャンプをすることにした。それを見た友人たちは勇気付けられて、恐る恐るではあるが私の後についてきた。いざ崖から飛び降りてみると、その瞬間から不思議な重力の影響を受けて、落ちていく速度は比較的ゆったりとしたものだった。その時に、後ろからやって来た親友に声を掛け、そう言えば完成間近の卒論はどうなったかを尋ねた。すると彼はハッと何かを思い出したようだった。なんと彼は卒論を洞穴の初めの方の地点に置いて来てしまったようだった。それを聞いて、私が彼の代わりに取りに帰ろうと思った。私には空を飛ぶ能力の他に、回数に限りはあるが瞬間移動できる能力があったので、彼の論文を彼よりは楽に取りに帰ることができると思ったのである。一緒に崖から落ちていく中で、彼は私にお礼の言葉を述べ、私はみんなとは逆に再び洞穴の出口に向かって飛んでいった。その時に、洞穴の中を出口から逆に進んでいくのがいいのか、それとも瞬間移動して入り口から彼の卒論がある場所に向かったらいいのかを考えたところ、洞穴を逆に進んでいくのがいいと判断したので、そのように進んでいくことにした。フローニンゲン:2024/9/24(火)08:03
13313. 今朝方の夢の続き
今の気温は12度だが、昨日までの暖かさのおかげで室内では暖房が自動で入っていない。明日からぐっと冷え込んでくるが、今日は最高気温が18度ほどになるようなので、日中に暖房が入ることはかろうじてないかと思う。明日からは最高気温が15度を下回る日も出てくるので、暖房が自動で入ることもあるだろう。いよいよ秋の深まりを感じる次第だ。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、その続きとして、洞穴に戻って親友の卒論をとりに戻ろうとした際に、結局それが難航したので瞬間移動して卒論がある場所まで戻ることにした。すると、瞬間移動して目の前に広がっていたのは卒論がある場所ではなく、夜の日本のどこかの街中だった。時刻は深夜に近づいていたので人通りはほとんどなく、店も閉まっていた。そんな中、1人うろうろと歩いていると、そこで小中学校時代の友人(KF)と出会った。彼も先ほどまで一緒に洞穴の中を探検し、崖から一緒に飛び降りていたので、彼がなぜそこにいるのかと不思議に思った。ひょっとしたら自分が瞬間移動した際に、彼も巻き込んでしまったのかもしれないと思った。彼に声を掛け、元いた場所に送っていくか、今日はもう遅いので一緒に近くのホテルに宿泊し、明日の朝改めて他の友人たちと合流することを考えた。ちょうど近くに灯りがついたホテルがあったので、そこに空き部屋がないかを確認しにいこうと思った。すると、彼の姿が見えなくなり、誰もいない通りで彼の名前を何度か大きな声で呼び掛けたが応答がなく、彼はどこかに消えてしまったのだと思った。
親友の卒論を取りに帰るという夢と同じく、また違う場面でも別の友人(MS)の卒論をどこかに取りに行って、卒論へのフィードバックと共にその友人に渡そうとする場面があったことを覚えている。舞台になっていたのは実際に通っていた中学校だった。その友人は学業はあまり振るわず、卒業後は中卒で働きに出ることにしているようだった。私たちが通っている中学校では、大学の学士並みの卒論を執筆することが要求されていて、そんな彼も卒業のためにちゃんと卒論を執筆していた。実際に担当の先生に提出する前に、彼の卒論に自分が目を通し、彼にフィードバックをする約束をしていた。ちょうど彼と2階の廊下ですれ違い、彼から卒論を受け取ろうとしたところ、卒論をどこかにおき忘れてしまったとのことだったので、自分の能力を使ってそれを探し出し、持ってこようということを彼に提案した。すると彼は微笑みながら、自分の優しさを褒めてくれ、部活でキャプテンを務めている時と変わらない責任感を持って接してくれてありがとうと述べた。私は自分の行動は全て無意識的に行ったものだったので、彼の褒め言葉に照れくささを感じながらも嬉しい気持ちになった。今から彼の卒論を取ってくるから待っていてくれと彼に伝え、1階に降りて靴箱に向かっている最中に、保健室の前で学年で一番背の高かった友人(YK)とすれ違った。彼は卒業後は県外の高校に通う予定であり、私も県外の寮がある進学校に通う予定だった。すでに自分は一度高校を卒業していて、大学も卒業している身だったが、今度の高校進学は自転車で通えるという理由で学校を選ぶのではなく、高度な教育を施してくれ、勉強熱心な生徒が集まる場所にしようと思っていた。その旨を彼に伝えると、彼もそれに賛同してくれていた。靴箱に向かう前にふと手を洗いたくなったので、彼と一緒に蛇口の水道から水を出し、石鹸をつけて手を洗いながら引き続き卒業後の進路について話をしていると、ある女性友達(YY)が私たちの話を微笑みながら聞いていた。彼女はどうやらまた同じ高校に通う予定のようで、そこで自分とは違う進路を歩むことになると思った。夢の中の私たちはすでに一度人生をあるところまで歩んでおきながら、再び中学校をやり直すという不思議な体験をしていた。フローニンゲン:2024/9/24(火)08:45
13314. 2年前のヨーテボリでの夏の出来事
時計の針は午前9時半を迎えようとしており、天から優しげな朝日が地上に降り注いでいる。向かい側のアパートの屋上で休んでいる鳩の鳴き声が聞こえてくる。優しい朝日に包まれながら、ふと2年前の夏に訪れたヨーテボリの記憶が蘇ってきた。スウェーデンの第三の都市であるヨーテボリに訪れることになったのはひょんなきっかけだった。当時の協働者の方の息子さんがヨーテボリで開かれるサッカーの少年少女国際大会に出場するとのことで、息子さんの応援を兼ねてヨーテボリを観光してみようと思ったことがきっかけだった。その方とのご縁がなければヨーテボリには足を運ぶことはなかったであろうと思われる。自分もサッカー好きとしてサッカーをするにも見るのも好きなので、世界の子供たちがどのようにプレーするのかを純粋に見たいと思った。当時その協働者の方はシンガポールに住んでいて、息子さんが所属するチームはシンガポールでも一番強いとのことだった。そんなチームも初戦のドイツのチームには完敗し、シンガポールのチームの子供たちはとても悔しがっており、ひどく落胆しているようだった。シンガポールではあれほどまでに完膚なきまでにやられることは一度もなかったらしく、なおさら子供たちにはショックが大きいようだった。観戦している保護者の大人たちは、これも子供たちにとって大きな学びであると達観している人が多かった。その時の子供と大人の反応の対比がふと思い出されたのである。あの夏、あの試合の中で子供たちは、まさに試合の空間に没入していて、そこで起こったことがその瞬間の全てであり、リアルであると捉えているようだった。一方の保護者の大人たちは、そこで起こっていることを達観し、そこで起きたことはリアリティのごく一部に過ぎないということを理解しているようだった。これはもちろん子供と大人の発達段階による差から生じる部分が多分にあるのだが、どちらの世界認識も一長一短があると思ったのである。大人たちのような俯瞰的な視点があれば、大敗という現象に対して涙を流したり、ひどく落ち込む必要はなく、それも1つの学びとして顔を上げて次に向かっていくことができる。一方で、その達観する視点が邪魔をして、目の前の体験に心底没入することが難しくなってしまうという側面もある。大敗を喫して落胆する子供たちとある種覚めた目で現実を見つめる大人たちの視線とのギャップをふと思い出した次第である。大人の自分として大切にするべきは、双方のリアリティ認識かと思う。どちらかではなく、両方が必要なのである。しかも子供たちが持つリアリティ認識を含んで超えるような、超越次元での没入的視点を持つことが大人が体現するべき冷静な俯瞰的視点を超えた世界認識になるのではないかと思う。絶えず冷静な俯瞰的認識で生きていてはつまらない。子供たちが見せてくれるような目の前の対象や現象に没入するような世界との一体感こそが生きる喜びや楽しさの源泉となる。もちろん、一体化した世界で起こることに対して一喜一憂するのではなく、そこは大人が体現する俯瞰的眼差しを持って、起こることに身を委ねるような心のゆとりと器が必要になる。2年前の夏にヨーテボリで目撃した出来事を突如ふと思い出しながら、そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/9/24(火)09:38
13315. 今朝方の印象的な夢
夢の振り返りが落ち着いたかと思いきや、今朝方見ていたさらに重要な夢を思い出した。それはとても印象に残る夢だった。
夢の中で私は、韓国のソウルの郊外にあるスポーツや芸術に関するエリート養成学校の見学をしていた。そこは広大な敷地を有していて、学校の建物だけではなく、立派な美術館やスポーツ施設を持っており、さらには何の用途に使うのか不明な大きな塔もあった。それはまるでバベルの塔を思わせるような作りをしていた。私は何人かの外国人の見学者の1人として学校に招かれていて、最初はガイドに沿ってその学校を見学していた。最初に案内されたのは、「ピカソ美術館」という名前が付された美術館だった。そこは建物の外にゲルニカの絵がびっしりと描かれており、建物の作りそのものもピカソのキュビスム的な形になっていて目を引いた。まずは案内された通りに美術館を見ていくと、どうやら美術館の地下と水泳選手育成用の大きなプールがつながっているらしく、そちらに向かってみた。そこからは単独行動をするようになり、1人で色々な施設を回っていった。その中で印象的だったのは、このエリート養成学校は全寮制であり、朝昼晩と生徒たちに食事を振る舞っていたことだった。スポーツにせよ、芸術にせよ、全ては体が資本であり、質が高い栄養豊富な食事を摂取することは子供たちにとってとても大事なことだった。自分も食にこだわっていることもあり、どのような食事がどのように作られているのかを見学したいと思った。生徒の数は中学生と高校生を合わせて数百人を超えることもあり、食事を準備する場所はまるで工場のように広く、そこで働く人たちの数も多くて驚かされた。私は宙に浮かんで食品センターの中を見学していき、見学に満足したところで食品センターの外に出た。すると、突然目の前に荒野が広がっていて驚いた。しかもその荒野には、学校が飼育しているらしい肉食恐竜が4頭いた。4頭のうち2頭は中規模の肉食恐竜で、残りはティラノサウルスのような相当に凶暴な肉食恐竜だった。なぜその学校がこんな恐竜を飼育しているのかは不明であり、とにかく自分は生きてその場を脱出する必要があった。自分よりも遥かに大きい4頭の肉食恐竜を前にしても、不思議なことに自分には全く恐れがなかった。自分の方が高度な知性を持っているため、彼らを欺いて生きて帰れる確信があったのである。そもそも自分には空を飛ぶ能力もあったので、いざとなったらその能力を発動しようと思った。まず彼らの様子を観察すると、どうやら彼らは空腹のようであり、その状態が一番凶暴であるため、下手に動かないようにしようと思った。物陰に隠れてしばらく観察していると、荒野に数羽のアヒルがやってきた。するとお腹を空かせたティラノサウルスのうちの1頭が、鼻を地面に擦り付けるようにして、アヒルに足払いを喰らわせ、アヒルたちに次々と噛みついていった。本来であればアヒルを一飲みにすることもできたはずなのだが、あえて噛み付くことでアヒルたちを次々に瀕死状態にさせ、そこから1羽1羽食べていくという残酷な戦略を取っているようだった。その姿を見て、改めてティラノサウルスの狡猾さと恐ろしさを感じながらも、その1頭がアヒルたちを食べ始めたのをきっかけに、他の3頭もそこに集まってきて、今こそ逃げるのに絶好のチャンスだと思った。そのような状態で逃げるのは容易で、しばらく小高い丘の上から彼らの様子を引き続き眺めていた。するとふと、先ほどの食品センターでタンクに保管されていた冷凍キャベツを持ってきて、ティラノサウルスの頭にぶつけてみたいという考えが芽生えた。それを実行するべく宙に浮かんだ状態で食品センターに戻ろうとしたところ、気づけば食品センターの外にいて、また元のピカソ美術館の近くにた。美術館には観光客たちが大勢集まってきており、再び美術館に入るのはやめにして、バベルの塔のような場所に訪れてみることにした。宙に浮いていたこともあり、1階から順番に登っていく手間が省け、塔の天辺付近にある展望台に向かってみたところ、突然高度が落ちて、結局1階から登っていくことになった。そこで欧米人の中年男性の観光客と目が合って、少し言葉を交わした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/9/24(火)10:04
13316. 夢の中のティラノサウルスが象徴するもの/性愛に関する夢
夢の振り返りの流れはとどまることを知らず、まだ振り返りの流れの中にある。夢の中でティラノサウルスを目撃することは記憶にある限り初めてのことだったように思うので、ドリームディクショナリーを通じてその意味を調べてみることにした。するとポイントとして、ティラノサウルスがどのような態度を示していたかやそれに対して自分がどのような感情を抱いていたかが重要のようであった。単純にティラノサウルスを見たことが自分の心の中の何かを示しているわけではなく、ティラノサウルスがどのような振る舞いを見せ、それに対して自分がどのように受け止めていたかが鍵を握るようだった。それで言えば、獰猛なティラノサウルスは確かに数羽のアヒルを襲ったが、自分に対して危害を加えてくることはなかった。そもそも彼らは自分の存在に気づいていなかったのである。自分だけが彼れらに気づいていて、向こう側は自分の存在を認識していなかった。また、本来であればアヒルを丸呑みにすることもできたはずなのに、あえて鼻を地面に擦り付ける形で足払いをし、そこからアヒルを食べようとしていた点も何か意味がありそうである。いずれにせよ、一番注目するべきは、自分はティラノサウルスを全く恐れていなかったことである。アヒルに対して残酷なことをしようとしている時にすら、自分は彼らを恐れていなかった。仮にティラノサウルスを無意識の中にある自らの攻撃性だとすると、自分はそれに気づいていて、同時にそれをもはや恐れずに冷静に観察することができていることを示唆するかのようであった。もちろん無意識の中の攻撃性は1つの塊とは限らず、むしろ無意識に広く浸透し、縁を受けて現行するような存在だと思うが、ティラノサウルスほどの大きさの自らの攻撃性に対しても怯むことなく、冷静にそれを眺めることができる自己が自らの内側に育まれつつあるのは良い兆候かと思った。そしてティラノサウルスは、火やリビドー、さらには生命力を象徴する意味もあるそうなので、まさに自分の深層にある活力とも関係しているように思う。第一チャクラともどうやら関係するらしく、自分の内側には太古存在していたティラノサウルスのような力強いエネルギーが眠っていて、それが今目覚めようとしているのかもしれない。
そう言えばその他にも、自分よりも一回りか二回り上の中年の日本人男性と性愛学について話し合っていた場面があったことを思い出した。その男性は性愛について話すことに躊躇いがあるらしく、それは世代の価値観の影響を強く受けているようだった。その男性は高学歴で立派な会社で働いていたが、その分社会の価値観に固着してしまい、自分の判断軸で自らの価値体系を性愛に対して構築できていないようだった。世の中にはきっとこうした大人たちがたくさんいるだろうと想像され、彼らが自らの価値観を築き上げ、自らの喜びに純粋となり、相手を喜ばせる性愛の在り方を通して真に幸福な人生を送ってもらえるような取り組みに従事していこうと改めて誓ったのを覚えている。フローニンゲン:2024/9/24(火)10:34
Today’s Letter
My current focus lies in attaining not only spiritual well-being but also sexual well-being. Without sexual well-being, our spiritual well-being is incomplete. We are all social beings, and we are also sexual beings. Cultivating healthy sexuality is essential to actualizing a better society. Groningen, September 24 2024
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