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【成人発達心遊記】13298-13303:2024年9月22日(月)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13298. 睡眠時間と睡眠の質

13299. 2年振りの一時帰国に向けた心の高鳴り

13300. 今朝方の夢

13301. 今朝方の夢の続き

13302. ふとした気づき/基礎を大切にすること

13303. 第98回のゼミナールのクラスを終えて


13298. 睡眠時間と睡眠の質 


時刻は午前6時を迎えた。昨日に、ここ最近は睡眠時間が長いと書いていたが、今日はいつも通りに5時台に起床した。毎晩就寝するのが午後9時前なので、午前5時に起きても8時間は睡眠を取っていることになる。なので今後もその日の身体が欲するだけの睡眠を取る予定だが、午前5時前に起床しても十分な睡眠が取れていたと思ってそこで起床しようと思う。今日はおよそ9時間ほどの睡眠を取った形になる。疲れを持ち越さず、その日その日に必要な治癒を睡眠を通じて実現していくことを行っていきたい。昨日のフレディさんの幾分心配なニュースを受けて、日々睡眠を通じた体のメンテナンスをすることの大切さを改めて思う。食事と睡眠に気をつけながら、日中においてはストレスがかからないような生活をこれからも続けていこうと思う。幸いにもオランダでの生活においてはストレスとは本当に無縁であり、それはこの国に浸透している働き方や生き方に関する穏やかかつ健全な在り方のおかげかと思う。食事についもてオーガニックな食材を用いたヴィーガン食を継続しているし、睡眠に関しても上述の通り十分な睡眠が取れている。今は家具付きの家で生活をしているため、今後引っ越すことがあって仮に家具付きではない家に住むことになったら、ベッドの質にはこだわりたいと思う。厳密には、ベッドというよりもマットをこだわりたいと思う。実家の寝室にある低反発マットはやはりとても寝心地が良く、睡眠の質も高いことを実感する。その体験をもとにして、今後は睡眠の質にさらにこだわるべく、マットにもこだわりたいと思う。


今朝方起床して、シャワーを浴びている時に天窓を見ると、そこに満月が見えた。数日前にエクスタティックダンスのイベントに参加した帰りにも満月が見え、満月に照らされた明るさの中で自宅に帰ったのを覚えている。そこから数日経ったが、まだ満月の状態で、朝にそれを見てとても美しく思った。起床した時はまだ真っ暗だったので、満月の他にも星々が夜明け前の朝空に見えた。今日は満月と星々を眺めることからスタートしたどこか気持ちを美させてくれる1日の始まりだった。今日1日を通して美しい気持ちで過ごしたいと思う。心を絶えず美しい状態に保つこと。そしてさらに心を美しく磨いていくこと。自分はまだまだその果てしない道のほんの入り口にいるに過ぎないが、その道を毎日一歩一歩前進していきたい。フローニンゲン:2024/9/21(土)06:27


13299. 2年振りの一時帰国に向けた心の高鳴り 

   

時刻は午前6時半を迎えようとしており、ようやく空がダークブルーに変わり始めた。夜明けまであと1時間ぐらい時間が必要そうであり、日の出の時間もめっきり遅くなった。来月末のサマータイムの終了まで、日の出時間はさらに遅くなっていく。気がつけばもう9月も終わりに近づいてきており、今年1年の時間の進行の速さを思う。そして2年振りの一時帰国がいつの間にかもう2ヶ月を切っていることにも驚かされる。今回の一時帰国を通じてまたどのような充実した体験をするのか今からとても楽しみである。まだ見ぬ自分を発見し、自分の内面を見つめる素晴らしい旅になるだろう。最後に旅行に出かけたのがいつだったか忘れてしまうぐらいに、ここ最近は旅に出かけていなかった。ひょっとしたら昨年の秋のボストン旅行が最後だっただろうか。昨年の年末年始は、もはや自宅で過ごしていたかもしれない。シロシビン・セッションを定期的に開催するために旅行をしなくなり、そもそもこの8年間の中で欧州中を旅して回ったことから、もはや訪れたい場所がなくなったことも旅行をしなくなったことの要因である。それを踏まえると、旅行そのものがちょうど1年振りだということになりそうだ。その意味でも今回の一時帰国はとても大きな意味を持つ。旅に向けて高鳴る心を味わいながら、ここからの1ヶ月半を有意義に過ごしていこうと思う。

今朝方は幾分冷えており、今の気温は12度しかない。今日も日中の最高気温は22度に到達するようで、雲ひとつない快晴に恵まれるようだが、昨日出かけた感覚だと、もうそれは秋の風を伴う肌寒さを内包した気温として感じられるだろう。明日もどうやら今日と同じ最高気温だが、それを最後にして明後日からはいよいよ秋がグッと深まっていく。来週の金曜日にはもはや最高気温が12度までしか上がらず、最適おんが6度の日もあるので、その寒さには心しておく必要がある。自分にできることは、季節に深まりの進行に応じて、自分の心と取り組みを深めていくことだけだ。今日の第98回のゼミナールもそれにつながる時間になるだろう。いよいよゼミナールも節目の100回を迎えようとしており、この10月から2周年を迎える形となる。この2年間は、本当に毎週末のゼミナールを通じて成長させてもらったようなものである。これからもゼミナールの受講生の皆さんとの相互発達を実現していければと思う。フローニンゲン:2024/9/21(土)06:45


13300. 今朝方の夢  


時刻は午前7時を迎え、ようやく辺りが明るくなってきた。完全な日の出まではまだ時間がかかりそうだが、辺りが朝日に包まれるのももうじきである。今この瞬間に目に映る朝空には雲がひとつもないのでとても清々しい。遠くの空が本当にごくわずかオレンジ色に色づき始めている。その淡い美しさを眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、見慣れないリゾートホテルに宿泊していた。そこには巨大な流れるプールがあり、その脇にお洒落なレストランがあった。流れるプールの横にはさらに別に流れることのない普通のプールがあり、直線的に泳ぎたい人はそちらのプールを使っていた。私はしばらく流れるプールの流れに任せて泳ぎ、その後に隣のプールに移った。するとそこがもう貸切状態になっていたので、プールの上にぷかぷかと浮かんで過ごすことにした。その日は太陽の日差しが程良く、適度に日焼けができるような状態だった。日差しは夏のそれではなく、秋のそれであり、体に悪いようには日焼けしない日射量だったので、安心して水の上に浮かんでいた。気がつけばそのまま眠ってしまうほどに心地良く、しばらくそのままの状態でリラックスしていた。すると、小中学校時代の野球部の友人(HY)がプールにやって来て、隣の温泉に行こうと声を掛けてきた。そう言えば隣にはさらに適度な温度の温泉もあったなと思い、彼に誘われるままに温泉に行ってみた。するとまだ誰も温泉に入っておらず、一番風呂のようだった。そしたら突然、湯水が流れてくる口の部分からキムチや野菜サラダなど、体に良い食べ物が流れてきたので驚いた。どうやらそれらの食べ物が温泉の素として機能しているようだった。彼はそれを見て、自分が温泉に入った後に温泉の出し汁を飲んだら美味いだろうということを述べた。私は彼が入る前だったらいいが、彼が入った後の出し汁を飲みたいとは思わず、それを素直に伝えた。すると彼は苦笑いを浮かべた。温泉に足だけ浸けて足の血の巡りをよくしたところで温泉から出た。小腹が空いたのでレストランに行くことにした。するとレストランはランチに向けた準備中で客はおらず、2人の従業員しかいなかった。1人は外国人の若い女性であり、もう1人は小中高時代の友人(AF)だった。最初に若い女性に英語で挨拶をし、そこから友人に日本語で話し掛けた。彼がこんなところで働いているとは知らず、このレストランで働くことになった経緯について話を伺うことにした。どうやら彼はこの時期限定でレストランで働いているらしく、この時期が過ぎたらまた日本に帰るとのことだった。そこからも違う話題で話をした後に、彼が親切にも早めにランチを提供してくれたので有り難かった。そこはビュッフェ形式で様々な美味しい料理を振る舞っており、早速色々と皿に盛らせてもらうことにした。すると、まだ客が誰もいないはずなのに、ほうれん草と卵を和えた美味しそうな料理を取るスプーンの取っ手の部分が料理の中に埋もれていて、それでは料理が取れないと思った。すると突然、私の左横に小中学校時代の別の友達(MT)がいて、彼が取っ手ではない部分を掴み、取っ手の部分を綺麗なナプキンで拭いてくれた。そのおかげでその料理を取ることができるようになったので、彼に感謝をした。すると彼は無言で笑顔を浮かべていた。フローニンゲン:2024/9/21(土)07:23


13301. 今朝方の夢の続き


今日はそよ風がとても優しげに吹いている。午前7時半を迎えたが、まだ完全に日の出がやって来ておらず、朝日が昇るのを首を長くして待っている自分がいる。今日も午前10時頃までは窓辺で日光を間接的に浴びながら過ごしたいと思う。


今朝方の夢の続きとして、実際に通っていた高校の体育館に似た場所で、1学年上の県内屈指のバスケプレイヤーの先輩を含め、数人と一緒にバスケを楽しんでいた。その先輩は中学校は違ったが、同じ市内の学校だったこともあり、その先輩については中学校時代から知っていた。高校に進学した時にその先輩もその学校に通っていることを知って嬉しくなり、昼休みに一緒にバスケをして遊ぶ機会に恵まれ、そこで初めてその先輩と一緒にプレーする楽しさを実感した。その日もその先輩と同じチームでプレーする喜びに浸っており、楽しい時間があっという間に過ぎた。バスケをして遊んだ後、見知らぬ大人の男性がふと、「彼のように才能もあって努力した人と一緒に過ごすことはこちらの潜在能力を開かせてもらうことに繋がるから、彼のような人と一緒に過ごすのはいいものだね」と述べた。私はその人の言葉に深く同意をしており、能力の高い人と同じ活動に従事していると、自然とこちらの能力が引き出され、さらなる成長が実現されると思った。それを受けて、今後も様々な分野の能力のある人たちと協働することを通じて、自分の中に眠っている種々の才能を目覚めさせていこうと思った。そのような場面があった。


それ以外にも、大学時代のクラスメートの友人と偶然ある会合で出会う場面があったのを覚えている。第二外国語のクラスの全体の人数は正確には覚えていないが、クラスは男女合わせて30人ほどだったかと思う。そのうちの3分の1ぐらいは法曹になり、外務省に行く友人もいて、官僚になる人や公認会計士などの資格を取得した人も数人ほどいたように思う。その他のクラスメートたちは基本的には大手の名門企業に勤め、まさに母校のよくある人材を体現しているようなクラスだった。仙台出身の法曹になった友人と偶然にそこで再開し、彼は今仙台に戻って自分の事務所を開業し、商売がとても繁盛している状態のようだった。そこで富山出身の法曹になった別の友人の話題が挙がり、彼もまた富山に帰って自分の事務所を開業して活躍している話となった。毎月届く大学のOB・OG会の会報誌に、支部での集まりに2人の名前や写真が載っていることがあり、彼らがどこにいてどのような活動をしているのかは把握しているつもりだった。実際に話を聞いてみて、彼らの活躍を嬉しく思ったし、彼らの人柄と能力があれば活躍は頷けるものだった。自分はこれまで何度か海外支部での集まりに参加したことはあるが、海外で自分が何をしているのかについて改めて見つめ直してみようと思った。フローニンゲン:2024/9/21(土)07:58


13302. ふとした気づき/基礎を大切にすること    


今日ようやく気づいたが、今の自宅を取り巻く住環境と今の季節の太陽の昇る角度から、朝は書斎の真ん中の窓から朝日が差し込んでこないことに気づいた。午前8時半の段階で一向に朝日が差し込んでくる様子がなく、あと30分ぐらいしたらキッチン側の窓からようやく朝日が差し込んでくるのではないかと思う。太陽の高度が低く、向こう側の3階建てのアパートに朝日が隠れてしまっている。


それに加えてもう1つ昨夜ようやく気づいたことがある。これまでの人生の中で最も長く過ごしてきた場所は山口県と東京都であり、それぞれ12年間ほど過ごしていた。今、それを超える形で欧米での生活が始まっていることに気づいたのである。欧米での生活が今年13年目となり、これまでの人生で過ごす時間が最も長い場所が海外になったことにふと気付かされた。その気づきそのものは意味があまりないかもしれないが、ここからさらに長く海外で生活することを通じて、故郷としての山口や東京の意味合いが増すのではないかと想像される。そして気がつけば日本で過ごした25年間よりも海外で生活する期間の方が長くなるタイミングがどこかでやって来るだろう。そのタイミングにおいてもアイデンティティを含め、また何か見過ごせない変化が自分の心の世界の中で起こるような気がしている。


今朝方にいつものようにポッドキャストを聴いていると、そこで成功者に共通の事柄が特集されていた。それに興味深く耳を傾けていると、何やらどのような分野であれ、成功者はその分野の基礎を疎かにしないことが言及されていた。レブロン・ジェームズやジェフ・ベゾスなどを例に取り、彼らが自らの分野における基礎を大事にし、創意工夫をしながら基礎を楽しみながら反復させていったことが彼らを成功に導いたという話がなされていて興味深く思った。もちろん成功という結果をもたらす要因はその他にもあるだろうが、成功をもたらす要因の1つに、その分野における基礎を大切にするということは確かに不可欠かと思う。現在の自分の探究領域である唯識学と性愛学において、その探究を進める際には常に基礎を大切にしたいと思う。幸いにもこうした学術分野には基礎テキストと呼ばれるようなものがあるので、そうしたテキストを大切にし、それを工夫しながら反復して知識を血肉化させていくことをこれからさらに意識して取り組みたいと思う。今からの音読実践もその一環である。フローニンゲン:2024/9/21(土)08:43


13303. 第98回のゼミナールのクラスを終えて


時刻は間もなく午後3時半を迎えようとしている。今、天気予報の通り、雲1つない見事な青空が広がっている。素晴らしい青空を眺めながら、先ほどまで行われていたゼミナールの第98回のクラスの内容を振り返っている。ゼミナールは来月からいよいよ3年目を迎え、3周年に入る。ゼミナールの開始から今にかけてずっとご参加いただいている方もいれば、途中からご参加いただいている方も含めて、これまで様々な方々と一緒に学びと実践を共有してきた。その在り方は今後も変わらない。毎回楽しく、それでいてお互いにとって意義のある学びと実践の場になればと思う。こうしたゼミナールにもハネムーン期があって、それを過ぎてからどれだけ学びを一緒に深められるかが鍵を握ると思っている。そのためには、まずは自分自身が毎日小さな変化・成長を実現していくことが重要であり、問いや返答の幅を広げ、それらを深めていく努力も怠らないようにしたい。


今日のクラスで話されていたことの中で印象に残っているのは、相手の話を聞き切ることの重要性についての話である。ついつい私たちは、事前のアジェンダに引っ張られたり、こちらの認識の枠組みや既存の知識を当てはめて相手の話を聞きがちとなる。そこをそれらを手放しながら、相手と同一化するようにして相手になり切る形で話を聞くというのは、末那識を通じた遍計所執性な形での話の聞き方ではなく、末那識が平等性智に変化した後の一段深い話の聞き方かと思う。今日その話題をシェアしてくださった方の在り方はひょっとするとさらに深く、全てをあるがままに映し出す大円鏡智の在り方を体現した話の聞き方だったのかもしれない。ゆえに話を聞いてもらった人が話終えて何かスッキリした感覚になり、一段視点が上がるという現象が起こっているように見える。相手の存在は常に満月なのだが、満月には大抵雲がかかっていて、自らが満月であることが見えなくなってしまう。そうした本来の輝く満月を映し出せるような聞き手になることは高度であるが、対人支援上は非常に重要ではないかと思う。そのためのステップとして、まずはこちらが鎧を脱ぎ、雲を晴らして相手をリラックスさせるというのは重要なステップだろう。今日はその話が放課後セッションで出てきた。なので要約すると、こちらの在り方としては常にオープンな姿勢を持ち、可能であればその場が安心した場所であるという感覚を与えるような在り方を持ち、相手が見えているもの、すなわち相分を吐き出し尽くしてもらい、それを通じて相分を見ている見分に気づきという自証分の発見を促すような聞き方を自分も心がけていこうと思う。フローニンゲン:2024/9/21(土)15:56


Today’s Letter

Needs are essential for our survival and well-being, whereas wants are things that can enhance the quality of life but are not essential. Furthermore, desires are what we crave and reflect what is missing. Do we have wholesome needs, wants, and desires? Groningen, September 21 2024

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