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【成人発達心遊記】13236-13239:2024年9月8日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13236. 土地の由来から/肌の生まれ変わりと心の生まれ変わり

13237. 今朝方の夢

13238. 智慧と慈悲に溢れた人に向かって

13239. 第96回のゼミナールのクラスを振り返って


13236. 土地の由来から/肌の生まれ変わりと心の生まれ変わり


時刻は午前6時を迎えたところである。辺りは真っ暗で静まり返っている。今日は週末の土曜日だからか、近所で部屋の明かりを灯しているのは我が家ぐらいである。他の人たちはゆっくり寛いでいるようだ。フローニンゲンの街は中心部であっても、平日休日問わず穏やかさがあるが、やはり休日は一際平穏さが増す。自分の名前に「平」の字が入っていることからも、平穏さを好む生得的な性質があるのかもしれない。冗談のように響くかもしれないが、昨夜就寝前にふと、ここ数ヶ月はコーヒーを飲むのはやめてお茶と水だけを飲んでいることはひょっとしたら、お茶の水で生まれたことと何か関係しているのだろうかと考えていた。人間は本来無関係なものに対しても因果関係を見出してしまいがちと言われるが、この件もまたその1つなのかもしれないが、生まれた場所に感謝し、生まれた場所の名前通りに生きることはおかしなことでは別にないだろう。お茶の水の地名の由来を調べてみると、江戸時代にこの地にあった井戸水が良質であり、それを将軍家に献上していたことからそのような名前になったとのことである。今住んでいるオランダの町々は運河が張り巡らされていて、絶えず水と縁のある生活を送っている。その土地に薫習された何か、そして蓄積された集合意識について考えれば考えるだけ、自分という一個人がそれから影響を受けるということは十分に考えられ、その地の深層に内包されている記憶を大切にして生きることはあながちおかしなことではなく、むしろ重要なことのように思える。少なくとも自分の心持ちとしてそのような在り方を持っていれば、自然と内側から力が湧いてくる。兎にも角にも自分の力の源泉は、ちっぽけな一個人としての自分の中にはなく、自分を超えたものであることを自覚している。今日も平穏な心で、そしてお茶と水を楽しみながら1日を充実した形で過ごしていこう。


昨日に美容クリニックで肌のコンサルテーションを受けたことはとても有意義だった。仏教において悩みや苦しみの原因は無明こと無知にあると言われている通り、私たちは様々なことに無知であり、自分にとってはスキンケアは無知の領域の1つであった。美容クリニックで購入したスキンケアセットは市販のものよりも格段に質が良く、これまでも市販のものであってもきちんとしたお店でそれなりのものを選んでいるつもりだったが、美容クリニックのプロダクトはより質が高い傾向にあるように思う。今使っているプロダクトを使い切ったら再びそのクリニックに足を運んで購入するか、クリニックのウェブサイトを経由して購入したいと思う。市販の製品よりも確かに値段は高いが、その差は大きくなく、肌もまた自分を構成する1つの要素として大切なものだから、食材にこだわって腸に良い食事を毎日心掛けているのと同じく、外側から肌に直接与えるものもこだわっていきたいと思う。顔の肌の生まれ変わりは心を新たなものにしてくれ、より爽快さに満ちた心を実現してくれるだろう。新しく購入したプロダクトを試してみて、その効果を実感しながらそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/9/7(土)06:16


13237. 今朝方の夢


時刻は午前6時半に近づいている。空がようやくダークブルーに変わり始めた。今の気温は18度と肌寒いが、来週の火曜日からは今日のこの最低気温が最高気温となる。水曜日に至っては、もはや14度までしか最高気温が上がらないらしい。季節が相転移を起こしている様子を伺うことができる。今日は24度まで気温が上がるそうだが、気温の上昇も限定的で、快適な1日を過ごすことができるだろう。午後に行われるゼミナールの第96回のクラスを終えたら、先日同様に再び近所のショッピングモールに行って、書籍を受け取って来たいと思う。今日の午前中はゼミナールに向けた準備として、課題図書の該当箇所を再読したり、その他の唯識学関連の和書を読み返しながら音声ファイルを作成していきたいと思う。そのようなことを考えながら、今朝方の夢について振り返り始めた。


今朝方は、前職時代のオフィスにいた場面があったことを覚えている。何か飲み会に参加し、その流れでオフィスに立ち寄ることになった。すでに時刻は随分と遅い時間だったが、オフィスにはまだ何人かの人たちが働いていて、全員顔見知りだった。その中に同期がいて、彼は若くしてパートナーとなり、どうやら仕事に忙殺されているらしかった。パートナーとなって地位も収入も大きなものを得たことは確かだが、自分の時間を持てていない様子が彼の表情から伝わってきた。彼に話し掛け、最近の稼働率を尋ねてみると、稼働率を管理しているエクセルを見せてくれ、それを見た時にあまりの仕事時間に驚かされた。そこからもう少し仕事の話を聞いた後で、オフィスの前方で部署は違うが顔見知りの女性社員の方が2人いて、仲良く話をしていたのでそちらに行ってみることにした。どうやら2人はスマホゲームを楽しんでいるらしく、そのゲームについて自分は知らなかったので色々と教えてもらった。話を聞けば聞くほどに自分もやってみたくなったが、今はゲームよりも面白い学びや実践があるので、そのゲームをすることは結局ないだろうと思った。すると自分の格好が上半身裸であることに気づき、オフィスの中でそのような格好をしていると、偉い方たちから叱られてしまうかと思ったので早く服を着ようと思ったが、服がどこにも見当たらず、とりあえず外に出ることにして、廊下にあるロッカーから自分の服を探し出そうと思った。そのような夢を見ていた。実際にはこの夢野前後にもう少し場面があったように思う。前後の場面は楽しげで、女性の知り合いと談笑していたような記憶がある。フローニンゲン:2024/9/7(土)06:35


13238. 智慧と慈悲に溢れた人に向かって 


時刻は間もなく午前7時を迎える。今、数種類の小鳥たちが鳴き声を上げ始めており、朝の世界が賑やかになってきた。辺りも随分と明るくなり、日の出も目前に控えている。ここ最近は学習と実践の見直しをしていた。学者としての日々の生活はどうしても読書過多になりがちとなり、どうしてもマインド優位な日々を過ごしてしまいがちになる。確かにジムでのトレーニングと自宅でのトレーニングを行ってはいるが、1日の中で読書から離れている時間をもう少し設ける必要があると思い、ここ1週間ぐらいは意識的に読書を離れてゆっくり寛いでいた。それによって少しずつ読書への飢えが生まれてきている。まさに読書ファスティングをしたことによって、良い意味での読書に対する飢餓感が醸成されつつあると言ってもいい。今の段階ですでにかなり飢餓感が醸成されていることもあり、今日は少しだけ読書をしたいと思う。今後も意識的に読書から離れる日を設けたい。そうした日には散歩に出かけたり、人と話をしたり、映像作品を楽しむなどして時間を過ごせればと思う。また完全に読書から離れることが難しければ、読書の時間を抑えて何か他の活動に従事できればと思う。ひとたび学術期間に戻れば、読書以上に論文を執筆するという創造活動に従事するであろうことが予想されるため、できるだけ早く学術機関への復帰を実現させたいところだ。ひとたび学術機関に戻れば、論文の執筆に加えて、研究を通じて学んだことを積極的に情報発信していくであろうから、それもまた読書以外の1つの創造活動になるだろう。少しずつ自分が実現させていきたいこれからの在り方と生き方に近づいているのを感じる。それは自分の個人のためだけではなく、他者や社会のためにあるものである。自利を優先する在り方や生き方を卒業し、利他的な精神が体現された人としてこの世界のために生きたいという思いが湧き上がってくる。智慧と慈悲に溢れた人。とりわけ今の自分は慈悲の心の涵養に対して精力的であり、ここからどれだけ深く穏やかで深い慈悲の心がもたらされるのかとても楽しみである。今聞こえてきた小鳥の鳴き声のようにどこまでも透き通っていく広く深い智慧、そして小鳥の優しい姿のようにどこ前も優しく穏やかな慈悲の心。それらを体現することがここからの自分の歩む道である。フローニンゲン:2024/9/7(土)07:07


13239. 第96回のゼミナールのクラスを振り返って     


時刻は午後6時半を迎えようとしている。穏やかで涼しげなそよ風が吹いており、夕日ももう随分と落ちた。これまでであればこの時間帯は西日が差し込んでいたはずだが、気づけば日没の時間が早まり、2階に西日が差し込まなくなっている。このあたりにも季節の変化を感じる。今日は午後に行われた第96回のゼミナールのクラスを終えて、近所のショッピングモールに行って書籍を受け取ってきた。門から外に出る前に郵便受けを確認したところ、アメリカのAmazonで注文していたタントラの専門書が届いており、予想以上に早い到着で驚いた。今日受け取った2冊の書籍は来週から早速読み進めていこうと思う。書籍の受け取りを終えて、家の軒先を見ると雑草が伸びていたので、家にぶら下がっていた蔦をカットするついでに雑草の手入れもした。正直なところ未だにどこまでが自分が借りている敷地なのかわかっておらず、とりあえずいつも気持ち広めに雑草の掃除をしている。それも利他的な活動の一環である。


さて、今日のゼミナールのクラスの内容を振り返ってみると、やはり受講生の皆さんと唯識を中心に据えてあれこれ話すことは実に学びが多いと実感する。課題図書を1人で読んでいるだけでは理解が深まらないことが対話を通じてどんどんと深まっていくことが全員に起こっているように思う。そうした意味でも自分としては継続が重要であり、継続してクラスを開催することが大きな学びの蓄積をもたらしてくれている。毎週のチェックインでは直近の1週間でそれぞれが問題意識を持って取り組んでいたことをシェアすることを通じて、純粋に各自の世界観が広がっていく実感がある。知識やノウハウも付随的に獲得されていくことも魅力の1つである。今日のクラスを終えて、ここから自分が意識的に取り組んでいきたいことは、ある受講生の方がシェアしてくださった過去の自分の世界や世界観をいかに含んで超えていくかということである。それを極端に拒絶することを通じては健全な含んで超えるという発達現象が起きない。過去の世界や世界観を過度に拒否してしまうことは、抑圧や発達的課題を温存したままにしかねないのである。ゆえにどれだけ振り返りたくない過去の世界や世界観であっても、まるで筋力トレーニングをするかのように、少しずつそれと向き合うことを通じて心の筋力を育んでいくことが重要かと思う。それが結果的に心の器の拡張につながっていく。辛い過去や切り捨てたい過去と向き合えるところから少しずつ向き合うことは、ちょっとずつ筋力に負荷を加えていくことに似ている。心に大きな傷を負った体験であれば、それは1人で振り返るよりもサイコセラピストの支援を仰ぎながら向き合っていくのが理想であるが、1人でもできることは必ずある。自分自身も完全に忘れ去りたいような過去の世界や世界観、そして出来事や記憶などがまだあることは確かであり、それらに対して今述べたようなことを有言実行していきたいと思う。心の治癒と発達は足並みを揃えて実現されるゆえ、きちんと心をケアし、治癒を進めながら心の筋力を育んで、器を拡張していきたいと思う。フローニンゲン:2024/9/7(土)18:37


Today’s Letter

Sex is like creating a work of art with a partner. I aspire to be a compassionate tantric artist for my partner.


Tranquility is an essential nutrient for both my mind and body, deeply nourishing my entire being. Serenity is indispensable to my life. Groningen, September 7 2024

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