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【成人発達心遊記】13180-13186:2024年8月28日(水)



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タイトル一覧

13180. ペスカタリアンとオボベジタリアン/オランダの性教育

13181. 今朝方の夢

13182. 今朝方の夢の続き

13183. お茶の楽しみ/清らかな音

13184. 今朝方の夢のさらなる続き/攻撃性の変容としてのマーシャルアーツ

13185. 2足の靴の購入に感じる物との縁

13186. オランダのタントラと性教育事情


13180. ペスカタリアンとオボベジタリアン/オランダの性教育  


時刻は午前6時半を迎えた。辺りが静まり返っていることもあり、フローニンゲン北駅から中央駅に向かって進む列車の音が聞こえた。普段は全く気づかないが、自宅から歩いて少ししたところに線路があるため、静寂極まりない時には列車の音が聞こえる時がある。そのようなことを考えていると、庭側の木々にやって来た2羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。それに呼応するかのように、遠くで鳩が鳴いている。この時間帯はまだ薄暗く、日の出はもう少し先である。9月を目前に控え、日の出の時間も随分と遅くなった。こうして午前7時まで日の出を待つようになり、今度は午前8時まで日の出を待つようになり、しまいには午前9時頃まで日の出を待つようになるのだろう。そこには日の出を待つ楽しみがあり、待ったからこそ日の出の喜びが増す。


昨夜就寝前に今年の日本の一時帰国について少し考えていた。行きと帰りの機内食はすでにヴィーガン用の食事をオーダーしている。これまでJALさんの便で帰る時には日本食をオーダーしていたのだが、今回はメニューの中にヴィーガン用のものがあることに気づき、それを試してみることにした。オランダにいる間は徹底してヴィーガン食を食べているが、日本に一時帰国するときだけ魚介類を食べるペスカタリアンや乳製品を食べるオボベジタリアンとなる。オボベジタリアンは魚介類は食べず、ペスカタリアンは乳製品を含んで魚介類も食べるので、一番基準が緩い。日本はやはり海産物が美味しいので、日本に滞在中のホテルの朝食ブュッフェや実家では海産物を食べることが多い。また滞在中に近所のスーパーで夕食を購入する際にも海産物を購入することも結構ある。食事を変えると腸内環境も比較的すぐに変化するので、その点には注意が必要である。しかしペスカタリアンやオボベジタリアンになった時にも野菜や果物の摂取量は多いままなので、いつも悪い方向には腸内環境は変わらない。今回の一時帰国でも同じことが期待される。晩秋から初冬にかけて一帰国するに際して、その季節の海産物や野菜を堪能できることは1つの楽しみである。そのようなことを思いながら昨夜は就寝に向かった。


今日は午後に親友のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。その時にはオランダ人の性愛に関する思想やオランダでの性教育について尋ねてみたいと思う。自分の世代においては、性教育と呼べないようなレベルのものが中学校や高校の体育の保健の時間にあったように思う。一方オランダでは、4歳から順次年齢に合わせて性教育がなされると聞く。年齢ごとに具体的にどのようなことを教わり、どんな雰囲気で授業がなされているのかをメルヴィンに尋ねてみたいと思う。結局のところ、日本における性愛の歪みはこうした若年層からの教育の不足によるところが大きいのではないかと思う。もちろん他の要因もあるだろうが、オランダを含めた北欧諸国の性教育とは雲泥の差のあるおよそ性教育とは呼べないものを提供していることを自覚するところから始めるべきではないだろうか。フローニンゲン:2024/8/27(火)06:50


13181. 今朝方の夢


時刻は間もなく午前7時を迎えようとしている。ようやく遠くの空に朝焼けが見え始めた。今の気温は13度と低いが、今日は日中の最高気温は23度か24度まで上がるようなので、暖かさを感じられるだろう。午後に街の中心部に出かけていく際には半袖で十分である。引き続き小鳥の囀りが主に庭側から聞こえてくる。彼らの囀りに癒されながら、今朝方の夢について振り返っている。


まず覚えている夢としては、起床直前に見ていたものだ。それは今のオランダの自宅の前の庭を舞台にしたものだった。ある日本人の知人の男性がうちに遊びにやってきて、彼が彼の友達に向けて庭のホースで水を浴びせていた。彼はもちろんそれをいたずらで行っていたのだが、彼の友人も水を浴びせられて嫌な表情を浮かべることはなく、むしろ季節は夏だったのでそれを楽しんでいるようだった。ホースの水の勢いはかなり強く、それがマッサージ効果をもたらしているかのようで、彼の友人はむしろ背中やお尻に水を当てられることを気持ち良く思っているようだった。友人にホースの水を浴びせている彼に対して私もいたずらをしようと思い、彼が友人に向かって熱心にホースの水を浴びせているところを2階からコップの水を垂らして彼の頭に水を浴びせた。あえてぬるま湯を使っていたこともあり、彼はびっくりして体を逸らせた。私はその様子が面白くて仕方なく、またぬるま湯をかぶせてみようと思った。そこで目が覚めた。


それ以外にも今朝方は、学校の教室で映画を2本続けて見ている場面があった。教室には机がぎっしり並んでいて、生徒も満杯に入っていた。そんな中で1本目の映画を見終えると、そこで席替えとなった。席替えに際して他の生徒たちはさっさと席を決めていたが、私はのんびりと席を移動していた。すると、いつの間にかほぼ全ての席が埋まってしまい、自分が座る席がなくなってしまった。先ほどまでは誰も漏れずに座ることができていたのでおかしいなと思ったところ、小中学校時代の双子の友人の弟の方が席を2つ確保していることが発覚した。彼に1つを譲ってもらうことをお願いしたところ、彼はなんと頑なにそれを拒み、無意味に席を2つ確保しようとした。もう1度お願いしても彼はこちらの言うことを全く聞かず、それを受けて私の中に苛立ちが生まれた。彼にこれ以上お願いしてもダメだろうと思ったので、彼の胸元を掴み、ヘッドバットを彼の顔面に入れて、それに追い打ちをかけるようにして彼の顔面を右手の拳で殴った。すると彼は出血し、顔の骨も随分と折れていて、何も話すことができなくなっていた。そんな状態の彼を教壇にいた先生のところに差し出し、彼に席を1つ譲るように言って欲しいとお願いした。彼はもう意識が朦朧としていて、少し激しく殴り過ぎてしまったと反省した場面があった。実はこの場面に以外にも今朝方は、自己の内側に潜む攻撃性が出てくる場面があった。そこでも誰かを手で殴っていた。ひょっとしたら、昨日のジムでのトレーニングの際にジークンドーの稽古をしなかったことが攻撃性の抑圧につながっていたのかもしれないと思った。今週の木曜日は短くてもいいので、サンドバッグを叩く稽古をしようと思う。もちろんそれは表層的に自己の攻撃性を発散することに過ぎないので、その根幹にあるものを見つめていきたい。フローニンゲン:2024/8/27(火)07:09


13182.  今朝方の夢の続き 

 

時刻は午前7時半を迎えようとしているが、まだ完全に日の出を迎えていない。辺りはもう随分と明るくなっているが、朝日が燦然と降り注ぐまでにはもう少し時間がかかるようだ。小鳥たちの鳴き声も落ち着きを見せ、時折囀りが響く程度になっている。そんな中で聞こえてくる囀りはやはり心を深く癒してくれる。ちょうど今、キッチン側の木に止まっている小鳥の優しい鳴き声を聞きながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。


まず思い出すのは、傾斜のある教室にいた場面である。教室の後ろが教室への入り口となっていて、教室に入ると、教壇に向かって急勾配に下がっていく教室の作りに驚かされた。教壇にはすでに先生と思われる人が立っていて、教室にはすでに結構な数の生徒がいた。生徒たちの大半は前の方の席に座っていたので、後ろの方の席はまだガラ空きだった。私は高校時代のクラスメートの友人(SK)と一緒にどの席にしようかと選び始めたところ、手に持っていた物体を落とした。するとそれは急勾配の傾斜を下っていき、教壇にぶつかって弾けて壊れた。その物体の中には水が入っていて、弾けたのに合わせて水が飛び散った。私はその光景を面白く眺めていて、友人の彼も笑っていた。私たちの手にはまだもういくつか同じ物体があったので、まるでボーリングを楽しむかのように、残りの物体も教壇に向かって投げて転がしてみようと思った。教室の前方にいた先生や生徒たちは慌てふためいていたが、そんな様子とはお構いなしに物体を再び投げようとしたところで夢の場面が変わった。


その他に覚えている場面として、日本のどこかの街中を夜の時間帯に歩いていた場面だ。そこは都会なのだが、夜の時間帯における街灯は少なく、月明かりが通りを照らしていた。ある建物の屋上に登って景色を眺めていると、小中学校時代の女性友達が現れた。彼女と屋上から景色を眺めながら色々と話をしている時に、突然彼女が実はレズビアンだったことを打ち明けられて驚いた。小中と一緒に過ごす間において、そのような素振りを1度も見たことがなく、全く予想外の告白だった。そこから彼女とはレズビアンにおける性愛の在り方について色々と話を聞いた。やはり性に関する遅れが著しい日本では、レズビアンは肩身が狭いとのことだった。それは今自分が住んでいるオランダとは対照的で、オランダではどのようなジェンダーであっても自由を謳歌している。性における日本の後進国性は見逃すことができず、彼女の話を聞きながらますますこの問題に対して自分にできることは何かを考え、少しでもできることがあれば貢献していきたいと思った。自分の理想は、どのようなジェンダーも自らの性的指向性を抑圧することなく、健全な形で自由に解放し、性の喜びを感じながら心豊かに過ごせる社会を実現することにあると改めて思った。フローニンゲン:2024/8/27(火)07:44


13183. お茶の楽しみ/清らかな音 


つい今し方抹茶を淹れて、それをゆっくり味わいながら再び日記を執筆する筆を取った。朝日がようやく燦然と輝き始め、小鳥たちもそれを喜ぶかのように鳴き声を上げている。ここから気温がどんどんと下がっていくにつれ、朝の抹茶はさぞかし美味くなるだろう。お茶が覚めてしまわないように、知人の方が日本からやって来た時にプレゼントしてくれた象印の赤い魔法瓶に入れている。その保温効果は大変素晴らしく、昨年の冬の時代においてはまだコーヒーを飲んでいて、その魔法瓶にコーヒーを入れていると常に温かい状態でコーヒーを飲むことができていたので大変重宝していた。コーヒーを飲むことをやめて抹茶を飲み始めてからもその魔法瓶を愛用している。その保温効果はまるで魔法のようであり、まさに「魔法瓶」という何ふさわしい。


ここ最近はお茶に関心を持っており、昨日は近所のオーガニックスーパーでホワイトティーの茶葉を購入した。ブラックティーやグリーンティーならこれまでたくさん飲んできたが、ホワイトティーは飲んだことがないと思ったので試してみることにした。抹茶は朝一番に飲むようにしており、午後は抹茶以外のお茶を飲むことを楽しんでいる。そんな楽しみの1つとして新たにホワイトティーを加えてみた次第だ。今後もしかしたらお茶文化の盛んなイギリスで生活することがあるかもしれず、その時にはまたお茶の楽しみが増えるだろう。イギリスにいなくてもお茶はコーヒーと並んで嗜好品として楽しんでいる人が多いこともあり、今後はお茶を起点にしてまた新しい試みや新しい関係性を築いていくことができたらと思う。


今、午前8時を告げる鐘の音が近くの教会から聞こえてきた。どことなくいつもより鐘の音の回数が多かったような気がするが、それは気のせいだろうか。いつも鐘の音を聞くと心が穏やかなものになるのを実感する。鐘の音は聖なる力を帯びていて、きっとその音が鳴り響く範囲の世界を浄化する力があるのだと思う。磁場が清められ、辺りの雰囲気がさらに落ち着いたように思えてくる。少なくとも自分の心は清められ、穏やかさが増す。深層意識の阿頼耶識が環境世界を生み出していることを考えると、こうした音による心の浄化はやはり環境世界そのものの浄化をもたらしていると考えてもあながちおかしなことではないことが見えてくる。それであれば時折聞こえてくる鐘の音には感謝をし、絶えず聞こえてくる小鳥たちの美しい鳴き声にも感謝をせねばなるまい。それは心を癒し、清め、同時にこの世界そのものを清めてくれているのだから。フローニンゲン:2024/8/27(火)08:04


13184. 今朝方の夢のさらなる続き/攻撃性の変容としてのマーシャルアーツ 


つい今し方朝食を摂り終え、ここから本格的に朝の活動に入っていこうと思う。その前に、今朝方の夢の続きについて覚えているものを全て書き留めておきたい。


まず印象に残っている場面として、川と海が繋がる場所にいて、腰が浸かるぐらいの水の中にいたことだ。私の近くには日本人の知人の男性が1人いて、彼と話をしながらゆっくりと水の中を歩いていた。すると前方に、フクロウのような姿に似た大きな猫を見かけた。その猫は水際の石の上に座っていて、足を見ると、魚を捕まえてしっかりと足でそれを握っていた。猫は私たちと目が合うと、水の中に飛び込んで泳いで逃げていこうとした。その猫は泳ぎが得意なようで、水に潜ってどんどんと先に進んでいった。すると、横にいた知人の男性の知り合いが突如として現れ、その男性が半犬半人の姿となり、水の中を潜って猫を追いかけ始めた。私たちも彼らの後を追いかけようとしたが、水の中に潜ることはせず、そのまま歩いて水中を進んでいくことにした。


この場面以外にもう1つ覚えているのは、見慣れない屋外のバスケットコートでバスケの練習をしている場面だった。そこには中学校は違うが同じ高校に通っていたバスケ部の友人が数人いた。その中でも中学校時代からバスケが上手いことで評判だった友人がいて、後ほど行われる試合では彼を中心にしてゲームを進めていこうという提案をこちらからした。チームの戦術を決めるのは私の役割だったので、その場にいたメンバーは全員私の戦術に賛同してくれた。基本的にそのエースの友人にボールを集め、彼ができるだけ自由に攻撃をして得点を重ねていくことができるようにしていく方針だった。そのため、コートの中では彼をアイソレーションとして、私たちはコートの片側にいて、彼が積極的に1対1を仕掛けられるように配慮した戦術を採用することにした。基本的に彼以外の私たちはシュートは打たないようにし、ゴール下やレイアップシュートなどの確率の高いシュート以外は全て彼に任せることにした。そのような戦術方針を伝えたところで夢の場面が変わった。


今日は総じていつもより多くの夢を見ていたように思う。攻撃性に関する夢が2つあったことは印象的であり、動物として自然に備わっている攻撃性はやはり普段の生活の中で抑圧することなくうまく発散していく必要があるだろう。筋力トレーニングでも確かにその発散になるが、それ以上により発散できるのはやはり武術のトレーニングかと思う。実際にミットやサンドバッグを叩くことによって、筋力トレーニングにはない攻撃性の発散ができる。そこでは単に自己の攻撃性を発散するのではなく、攻撃性の表現をまた自己の内側の肯定的なエネルギーに変容させていきたいものである。まさにマーシャルアーツの本義は本来そこにあると言えるだろう。自己の攻撃性をそのままの状態で表すのではなく、それを肯定的なエネルギーに変換・変容させて初めてアートとしてのマーシャルアーツになっていくのだと思われる。木曜日に再びジムに行ってトレーニングをする際には、サンドバッグを叩くときにその点を意識したいと思う。フローニンゲン:2024/8/27(火)08:58


13185. 2足の靴の購入に感じる物との縁


時刻は午後5時を迎えようとしている。今日は気温が25度を超え、半袖で出かけるのにはちょうどいい気温だった。風は秋のそれであり、日光も真夏のそれではなくなっていて、全体として優しさを感じた。午後に親友のメルヴィンの店に行く際にはとても気持ち良く、帰りに買い物をして帰ってくる時も心地良さがあった。今日は久しぶりに新しい靴を購入した。これまで大事に履いていたスエードの靴の底が随分と擦り切れてしまっていて、新しい靴を購入する必要があると感じた。この靴はフローニンゲンにやって来てすぐに購入したものだったかと思うので、かれこれ7年近く履いていた。この靴で世界中を色々と旅したわけだが、その思い出の靴もそろそろ寿命かと思った。その他のもはや履かなくなったシューズについては少し前に断捨離として処分をした。この靴はまだ雨の日などには履くことができるので取っておくこととし、この秋に日本に一時帰国する際には今日購入した新しい靴を履いていきたいと思う。個人的に素材としてスエードのものが気に入っている。思い起こせば今から5年ほど前にベネチアに行った時、街全体が歴史的に浸水した時に履いていたのがスエードのその靴で、雨によって痛むこともなく、乾燥するのも比較的早かったので、雨への耐久性としても他の素材のものよりも好んでいる。これまで履いていたものがブラウン系のものだったので、秋にスーツを着る時にも合わせやすいようにブラックのスエードの靴を購入した。街の中心部の靴屋で良さそうなものを2足見つけ、片方を購入しようと思ったら、店員の女性にそれと同じ値段以下のものであればもう1足が60%割引になるとのことだったので、せっかくなのでもう1足購入することにした。またスエードの靴を購入しようと思い、ブラウン系のものを探してみたところ、あまり良さそうなものがなく、結局先ほどどちらにするか迷っていたもう1つのブラックのスエードの靴を購入することにした。どの店も夏の終わりのこの時期は半額セールなどをやっていて、散髪後に立ち寄ったその他の店でも割引セールスをやっていた。その店でも普段使いでもスーツに合わせても映えるようなお洒落なスエードの靴があったが、他の店も回ってみてから判断しようと思い、そこから2軒梯子をして、結局最後に訪れた店で2足新しく靴を購入することにした。自分は物を大切に扱うようにしているため、今日購入した靴は長く履けるだろうと思われる。前回のスエードの靴がまさか7年も履けるとは思ってもおらず、その靴はまだこれからも履いていこうと思うので、相当に長持ちした。物との出会いも人との出会いと同じく縁があり、その縁を大切にして、今日新しく自分の所にやって来てくれた2足の靴はこれから大切に履いていきたい。フローニンゲン:2024/8/27(火)17:05


13186. オランダのタントラと性教育事情   

 

時刻は午後6時半を迎えた。つい今しがた夕食を摂り終えた。昨日はジムでのトレーニングがあり、今日は午後に街の中心部に散髪と買い物に出掛けていたこともあり、よく歩いたのでお腹が空いていたこともあって夕食が大変美味しく感じられた。アクティブレストとして散歩をすることは心身共に良いことが実感され、適度に体を動かすことの効能を実感する。

今日の午後に親友のメルヴィンに散髪をしてもらっていた時に、オランダでのタントラの普及具合とオランダの性教育について質問をしてみた。今日の1時間の散髪はその話題で持ちきりだった。驚いたことに、メルヴィンの感覚だとオランダ人の成人の10%ぐらいがタントラを知っているとのことだった。果たして日本人の成人でタントラを知っている人がどれくらいいるだろうか。いたとしてもそれを実践に活かせている人はどれくらいいるだろうか。メルヴィンは21歳ぐらいの時にタントラの書籍と出会い、それ以降性愛関係にタントラの思想を活かして来たとのことであり、それに関する幾つかの興味深い体験談を聞かせてもらった。ちょうど自宅から歩いて10分ほどにあるカルチャーセンターで定期的にタントラのワークショップが開かれていることを今朝方偶然にも知り、もしオランダ語ではなく英語でワークショップが提供されるのであれば来月の入門講座に参加してみようと思う。早速明日に主催者に連絡をしてみて、ワークショップの言語が英語かを確認しておきたい。


タントラの話題から始まって、次にオランダの性教育について尋ねてみた。インターネット上ではオランダでは4歳から性教育を始めるとのことであったが、メルヴィンに尋ねてみると、学校によって開始年齢と内容が全然違うとのことだった。オランダは代替教育を含めて、選べる学校の種類が豊富である。ゆえに性教育が開始される年齢も扱う内容にもばらつきがあるというのは納得できる。おそらく英語空間におけるインターネット上の情報は、オランダの公教育に基づいているものかもしれない。少なくともメルヴィンの時代や学校では性教育は乏しく、自分で学ぶ必要があったとのことである。両親がこっそり準備してくれていた性に関する書籍を1年間かけて繰り返し読んで正しい知識を身につけたそうだった。メルヴィンには兄と弟がいるので、兄弟で性に関する話をしたことがあるかを尋ねたところ、大きくなってからしか話をしたことがないとのことだった。このあたりも兄弟姉妹の関係によるのだろう。世間一般で言われるように、オランダ人は男女ともに性に対してオープンであるというのはほぼ全ての人に当てはまるとのことだった。そのような話をした後に、以前メルヴィンに誘ってもらったエクスタティックダンスのイベントについて改めて話を聞いてみたところ、面白そうだと思ったので9月の中旬に行われるそのイベントに参加してみることにした。元ダンスイストラクターのメルヴィンがいると安心であるし、メルヴィンも最初は友人に誘われて行ったらしい。それ以降は1人で参加できるようになったとのことで、イベント中は無言で一切言葉を話してはいけないらしい。まるでヴィパッサナー瞑想のリトリートのようであり、瞑想修行の一環として緩やかな音楽に合わせたゆったりとしたダンスを踊りながら馬のエネルギーを感じたり、自分の心身と向き合ってみる最良の機会になるように思われた。参加者の年齢層は25歳から65歳ぐらいと幅広いらしいが、中心は25歳から40歳とのことである。だいたい60人ぐらいが毎回参加し、良いエネルギーを持った人たちが参加しているとのことなので楽しみである。メルヴィンは今夜にでもチケットを予約すると述べていたので、自分も明日にでもチケットを予約したいと思う。メルヴィンは毎回自分の世界を広げてくれるとても素晴らしい大切な親友だ。フローニンゲン:2024/8/27(火)18:50


Today’s Letter

As gentle breezes pass by, they always seem to whisper something to me. Whether I can decipher their message is entirely up to me. What did the last breeze tell me? Groningen, August 27, 2024


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