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【成人発達心遊記】13175-13179:2024年8月27日(火)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13175. 人間として生きることの喜びと楽しみを存分に享受する生き方

13176. 今朝方の夢

13177. 今朝方の夢の続き

13178. 唯識学に関するデジタルカードの作成/性愛と唯識の合流に向けて

13179. ケトルベルを用いたトレーニングに向けて


13175. 人間として生きることの喜びと楽しみを存分に享受する生き方     

   

時刻は午前7時半を迎えようとしている。今、1羽の小鳥がキッチン側で鳴き声を上げ始めた。少し遠くからは鳩の鳴き声も聞こえてくる。今の気温は13度とかなり冷えており、質問も随分と下がっている。暖房の設定温度からすると、暖房が自動で入ってもおかしくないほどに冷えている。まだ8月を終えていないにも関わらず、すでに朝のこの時間は暖房がいつ入ってもおかしくない状況になりつつある。今年の夏の終わりは例年よりも早く感じられた。ここから今年の秋がどのように深まっていくのかは楽しみで仕方ない。とりわけ今年の秋は、唯識学を通じてさらなる深まりを見せつつある心と共に過ごすことができる。秋の感じ方が例年と異なるはずであり、秋の後にやって来る冬の捉え方もまた異なるはずだ。心が変われば、見えるものも感じられるものも変わって来るのである。心を深めることを通じてこれからの人生が進行していくであろう。心の深まりに応じて、捉えられるものも得られるものも深まっていくことに喜びを感じる。人生を生きることの喜びはそこにある。人生の楽しみもきっとそこにあると言えるだろう。昨日書き留めていたように、人間として生まれてきたことに感謝し、人間として生きていられる期間を存分に楽しむのである。人間であることを否定するのではなく、人間を肯定し、限界も問題も多い人間であることを認めながらにして、人間であることを謳歌していきたい。肉体と心を持った存在として、そのどちらの領域においても人間であることを謳歌するのだ。決して肉体だけの喜びでもなく、心だけの喜びでもない。どちらかに偏ってしまうことは仏教では固く戒められている。それを辺執見という。どちらかに偏った辺執見に陥ることなく、心身共に人間であることを謳歌するべきである。肉体にまつわる種々の喜びや楽しみ、心にまつわる種々の喜びや楽しみの双方を存分に味わうべきである。今後の自分の人生は心身共に人間であることの喜びと楽しみを享受する形で進行していくだろう。結局それが良き人生に繋がり、心の治癒と成長にも繋がっていくのだ。


今日の日中の最高気温は19度までしか上がらないようである。太陽がどれだけ出ているかによって、ひょっとしたら20度ぐらいには到達するかもしれない。いずれにせよ肌寒いことには変わりないので、午後にジムに行く際には上に何かを羽織って行ったほうがいいかもしれない。明後日と明明後日は25度を超える夏日が再びやって来るが、それ以降はまた20度前半の気温となる。肌寒かろうが夏日だろうが、どちらも肉体を通じて感じる喜びがそこにあり、それは心を通じた喜びにもつながる。全てが自分の喜びと楽しさの源泉となり、全てが自らの心身の肥やしとなる。自分はそうした在り方で毎日この宇宙を生きている。フローニンゲン:2024/8/26(月)07:37


13176. 今朝方の夢


鳩がホーホーと鳴く声がどこからともなく聞こえてきて、小鳥が囀りながらどこかに飛んで行った。今日は昨日に比べて風もなく、とても静かで穏やかな朝の世界が目の前に広がっている。空にはうっすらとした雲がかかっていることもあり、朝日を拝むことはできないが、朝の清澄さを存分に味わうことができている。


今朝方はいくつか夢を見ていた。それら一連の夢を見れることもまた人間として恩恵と言えるだろうか。夢は想像性と創造性の源泉である。夢との向き合い方いかんによって、心の治癒と成長を実現できる。夢は人間に与えられた心の栄養なのである。それは心だけではなく、身体すらもを癒してくれる。まさに夢は心身にとっての滋養強壮物なのだ。


夢の中で私は、通っていた中学校は異なるが、同じ高校に通っていた同級生の知人がある家に立てこもっている姿を通りから眺めていた。その周りには人だかりができていて、彼はどうやら精神錯乱状態となり、ベランダで叫び声を上げながら物を外に投げ捨てたりしていた。近隣の人たちやそこに集まっている人たちは警察の到着を待っていたが、警察を待っている間にも彼の行動はどんどんとエスカレートしていき、何か嫌な予感がしていた。彼に何を話しかけても彼の耳には届かないような状態になっており、彼は完全に理性を失っていた。そして部屋からマシンガンを取り出して、それを放ち始めた。それを受けて私は、被害がこれ以上拡大しないようにするために彼をピストルで仕留めることにした。マシンガンを放つ彼から距離を取り、物陰に隠れながらピストルの弾を発した。1発目は彼をかすり、うまく命中させることができなかった。それを受けて彼は私に気づき、私の方に照準を合わせてマシンガンを放ち始めた。マシンガンとピストルでは明らかにこちらの方が分が悪かったので、さらに物陰に隠れながら距離を取って、次はライフルで彼を仕留めることにした。ピストルよりもライフルの方が照準が合わせやすく、ライフルであれば一発で彼を仕留めることができるだろうと思った。すると突然、彼は泣き崩れるかのようにしてその場にしゃがみ込み、身体が液体のように溶けていって、しまいには蒸気になって消えてしまった。


その夢の後に見ていたのは、サッカー元日本代表の2人の選手と一緒に練習後に定食屋に向かっていた場面である。そに2人は同世代としてユースの時代から日本を代表する選手だった。Jリーグでの所属チームこそ違ったが、若い時から付き合いのある2人の仲はとても良かった。自分は2人の後輩のようであり、先輩である2人は自分のことをとても可愛がってくれていた。なので練習後の昼食に誘われたのである。向かっていたのは片方の選手がお気に入りの蕎麦屋だった。そこの蕎麦定食がとても美味しいらしく、自分もご一緒させてもらうことになった。店に到着すると、まだ開店前だったため、中には入れないかと思ったが、片方の選手はその店の常連だったこともあり、店主が快く店の中に入れてくれた。そしていざ開店すると、続々と人が入ってきて、その店の人気ぶりを見た。お勧めの蕎麦定食を全員が頼み、そこからは3人で今日の練習を振り返ったり、サッカー選手としてのこれからのキャリアについて語り合った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/8/26(月)07:54


13177. 今朝方の夢の続き


時刻は午前8時を迎えた。朝の冷え込みから二重窓の内側を閉めた。室温がこれ以上下がってしまうと暖房が自動で入りかねないので、それを防ぐために窓の内側を閉めた次第だ。朝の世界はこれからますます寒くなって来るだろう。早朝の気温が10度を下回り始めるのも間も無くのような気がする。小鳥たちには寒さを感じて欲しくなく、彼らの鳴き声を朝の時間帯にこれからも聞くことができたら幸いである。


今朝方の夢の続きとして、見慣れない高校に通っている場面があった。そこの制服は自分が実際に通っていた高校の制服よりもお洒落で、都会の高校の雰囲気があった。朝学校に行って教室に入ると、1人の女子が自分に話しかけてきた。彼女はクラスの中でも活発的な女子で、とても明るい性格をしていた。教室の左端の列の最後尾にあった自分の席に彼女がやって来て、突然英語を話し始めた。彼女の手には単語帳があり、どうやらその単語帳に掲載されている単語を使って自分なりの例文を作って話をしているようだった。彼女はまるでネイティブのような流暢な発音をして英語を話した。1年や2年外国に留学したぐらいでは決して身に付かないような発音の綺麗さがあって驚かされた。彼女には英語を話す才能があるのかもしれないと思ったし、才能のみならず人知れず英語の学習をしているのかも知れないと思った。一通り英語を話し終えると、彼女は満足気な笑みを浮かべて、私に感想を求めてきた。私は素直に彼女の発音の美しさを褒めた。実際のところは単に発音が綺麗なだけではなく、しっかりと中身のある英語を話していたことが一番驚きで、その点についても誉めようとしたところで先生が教壇にやって来て朝の会が始まった。ちょうどその日は私が日直だったらしく、起立の号令をかけた。彼女は真ん中の列の真ん中に座っていて、号令をかけた後にこちらを振り返り笑顔を浮かべていた。そんな彼女がこの日を境にして突然不登校になってしまった。性格も明るく、友達も多かった彼女がいじめを受けているという話は聞かなかったので、何があったのだろうかと心配になった。ちょうど自分の家に帰る途中に彼女の家があったので、彼女の家に訪問してみた。家の呼び鈴を鳴らすと、彼女の母親が出てきた。彼女のことが心配でやって来たことを伝えると、どうやらいじめが原因ではなく、経済的な理由で高校に通えなくなってしまったことがわかった。しかしそれでも彼女は勉強を続けたいという意志があるらしく、特に英語の学習は継続したいという強い思いを持っていた。その思いを受けて私は、学校が終わった夕方から彼女の家にやって来て、家庭教師のような形でボランティアで勉強を教えることにした。英語に関しては何も言うことがなかったので、彼女が好きなように英語を学べばいいと思った。その他の科目について自分の方で補習を提供することになった。彼女もそれをとても喜んでいたし、彼女の母親も大変喜んでいた。彼女には父親はおらず、小さな妹と母親と3人で暮らしているとのことだった。家族の雰囲気はとても良く、経済的には恵まれないかも知れないが、家族の心はとても豊かで恵まれていた。心豊かな家族が目の前にいることをこちらも嬉しく思い、これから基本的には毎日彼女の家にやって来て、勉強を教え、その代わりに夕食をご馳走してもらうことになった。自分は両親の元を離れて一人暮らしをしながら高校に通っていたこともあり、こうした家庭の温もりを感じられることはとても有り難かった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/8/26(月)08:23


13178. 唯識学に関するデジタルカードの作成/性愛と唯識の合流に向けて 


時刻は午前11時を迎えた。早朝こそ空にはうっすらとした雲がかかっていたが、今は雲はほとんどなく、優しい朝日が地上に降り注いでいる。朝日の質感を見ていると、やはりそれは朝のそれである。気温は19度まで上がっているが、ここからはこれ以上気温は上がらないようである。とても涼しい朝の世界が午後の世界にも引き継がれていく。


先ほど唯識学の探究を進めながら、ChatGPTのイメージ作成機能を用いて、唯識学に関するデジタルカードを試しに作ってみた。実験的に阿頼耶識に関するカードを作成することを依頼してみたところ、速やかに目を奪われる美しいデザインのカードを作ってもらうことができて驚いた。阿頼耶識の解説の文言を入れてもらうように依頼したところ、最初は英語の解説が付されていた。なので日本語での解説の依頼をしてみたところ、どうやらそれは苦手なようで、解説はイマイチであった。今後さらに工夫をしながら、唯識学の様々な述語に対してカードを作っていき、それを学習に役立てていきたいと思う。作成したカードをゼミの皆さんに共有するだけではなく、ぜひゼミの皆さんにも独自のカードを作成してそれを共有してもらうことをお願いしてみようと思う。1人で作成するよりも個性豊かなカードが生まれて来るだろし、それを用いて楽しく学習ができることが期待される。こうしてAIを積極的に活用しながら有意義な学びをこれからも実現させていきたい。


それ以外にも午前中の探究の中で、性愛というものを唯識学の観点から捉えるとどのようなことが言えるだろうかということを考えていた。唯識学の観点から性愛を捉えてみた時に、どのような新しい発見と気づきが得られるだろうか。心の治癒と発達をもたらす可能性を内包する性愛を心の思想である唯識学から紐解いていきたいという思いが増す中で、両者を佳境させた探究をここから意識的に取り組んでいきたいと思う。あまりに秘教的過ぎる教えや実践だと現代人にとってはそれを活かしにくいことから、タントラのエッセンスは押さえながらも、唯識学の教えを根幹に据えて性愛についての探究を進めていきたい。それは人間の心を理解する上でも重要な試みであり、実際に性愛に関する実践に従事する際にも重要な思想的基盤となるだろう。現代社会の性愛はお世辞にも健全なものとは言えず、方向性を間違え、行き場を失っているように見える。本来は心身を癒し、育むはずの性愛の復権を実現するべく、性愛に関する探究と唯識学に関する探究のどちらも焦ることなくゆっくり進めていき、2つの流れを合流させることを実現させたい。フローニンゲン:2024/8/26(月)11:37


13179. ケトルベルを用いたトレーニングに向けて  

 

時刻は午後4時半を迎えた。先ほどジムから帰ってきてシャワーを浴びて今に至る。今日は朝からとても涼しく、ジムの行きと帰りは秋の雰囲気を感じることができていた。秋といってもまだ寒いほどではなく、半袖半ズボンで出かけられるほどだった。とりわけジムの帰りはジムでのトレーニングによって体が温かくなっていることもあり、半袖半ズボンで十分であった。気温が20度ぐらいであればまだまだそれくらいの格好で過ごせる。いよいよ気温が20度を下回り、10度後半ぐらいになってくると、少なくとも行きにおいては上に何かを羽織っておいたほうが良さそうである。ジムにいる際に突発的に通り雨が降ったが、ここから1週間は快晴の日が続く。天気が良い日がこれだけ続いていることを見ると、その点においては天気が不安定な秋のそれを思わせない。


今日のジムでのトレーニングでは大胸筋をベンチプレスを中心にして追い込んで鍛え、下半身を様々なメニューを通じて追い込んでいった。ベンチプレスの3セット目でさらにウェイトを上げたことにより、途中で全く上がらなくなってしまい、隣にいた男性に助けてもらった。限界まで追い込み過ぎるとこうしたことが起こる。ウェイトを上げて回数がほとんどこなせないような状態になるよりは、少しウェイトを落として自分で回数をコントロールできるぐらいがちょうどいいということを改めて学んだ。下半身を鍛えるに際して好んでいるブルガリアンスクワット、ルーマニアンデッドリフト、スプリットスクワットなどは重さも回数もコントロールしやすく、それはいつも限界まで追い込んで問題ないかと思う。個人的に最近は、ケトルベルをスイングするメニューを好んで取り入れている。これは大臀筋・ハムストリングスを中心に全身を鍛えることができ、心肺機能を高めることもできる。今週の木曜日はパーソナルトレーニングがあるので次回の月曜日のトレーニングの際には、ケトルベルを用いて様々なメニューを取り入れてみたい。例えば、ケトルベルで段差をつけることによって、床で行うプッシュアップよりも胸を深く下ろし、大胸筋への負荷をより強めながらのプッシュアップを行うなどである。ランジやスクワットに関しても、ケトルベルを積極的に用いたトレーニングを取り入れてみよう。フローニンゲン:2024/8/26(月)16:55


Today’s Letter

Consuming previous works extensively and attentively is the key to cultivating our creativity. Creativity doesn’t appear out of nowhere; it requires sources. Any creative work has its foundation in previous works. Groningen, August 26, 2024


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