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【成人発達心遊記】13165-13168:2024年8月25日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13165. 第94回のゼミナールのクラスに向けて

13166. 仮初の現象を眺めながら/今朝方の夢

13167. 諸法を貫く法悦/今朝方の夢の続き

13168. 第94回のゼミナールのクラスを終えて


13165. 第94回のゼミナールのクラスに向けて


時刻はちょうど午前6時半を迎えた。今、遠くの空に赤紫色の見事な朝焼けが見える。この色の朝焼けは珍しく、思わず見惚れてしまう。赤紫色の朝焼けは春や秋に多い印象で、そこからも季節が秋に入ったことを実感する。


今の気温は15度と低いが、今日は26度まで気温が上がるようなので、午後には暖かさを感じられるだろう。今は長袖長ズボンで過ごしているが、夕方になったら半袖になれるかもしれない。今は朝焼けが見えているが、朝の早い時間帯に少し小雨が降る可能性があり、夜にはある程度の雨量を伴った雨が降るという予報が出ている。雨の影響もあって明日と明後日は気温が下がり、明日の最高気温は19度しかない。今日と7度も気温が違うので、気温の変化には気をつけたいと思う。うまく適応するために、室内で過ごす格好に注意をしよう。


今日は第94回のゼミナールのクラスが行われる。100回まで指で数えられるほどにまでやって来た。今日のクラスでは、唯識学を扱う第1弾の講座の課題図書の最後の章を扱っていく。そこは分量が少ないこともあり、今日のクラスではこれまでの内容の総まとめをしたいと思う。どのような問いがあれば今日のクラスがより有意義なものになるだろうか。それについて考えている。問いを潤滑油にして、クラスの中での対話が盛り上がればと思う。もちろん自分から問いやお題を出さなくても、大変熱心な受講生の方々ばかりであることもあって、皆さんからの問いやお題に対して話を進めていく方が有意義だろうか。実際に前回のクラスはある受講生からの2つのお題をもとに進めたところ、非常に対話が盛り上がった。今日もまた皆さんからのお題を求めてみよう。お題が出てこなかった場合に備えてこちらでも当然ながらお題を準備していこう。今回は唯識を扱う最初の講座だったこともあり、「私にとって唯識とは」というお題で自由に語ってもらうことを通じて、それぞれが唯識というものに対してどのように理解をしているのかがわかり、お互いの唯識感を深めることができるかもしれない。また今回の講座を通じて、それぞれの心の在り方がどのように変化したのかについても尋ねてみたい。唯識学は兎にも角にも心の実践思想であるから、その学びを通じて自分たちの心がどのように変化したのかが重要になる。心の浄化・治癒・発達という観点で、それぞれの受講生の方にどのような変化が生じたのかを振り返ってもらうことはこちらからも問いとして投げかけたい。これらの問いに対しては自分自身でも振り返りをしたい。後者の問いに対しては、毎日日々心の成長に向けて歩みを進めている感覚がある。それは確かな手応えである。一歩一歩の前進を毎日続けることはこれからも継続していきたいことであるし、その一歩の成長の実感を大切にしたい。フローニンゲン:2024/8/24(土)06:44


13166. 仮初の現象を眺めながら/今朝方の夢     


時刻は間もなく午前7時を迎える。先ほどまで見えていた赤紫色の朝焼けはどこかに消えてしまった。それはそもそも仮初の存在として立ち現れていた現象に過ぎず、実体を持つものではなかったのだ。人間の心はとにかく対象を実体化させる。目の前に生じている事柄が仮初の現象にも関わらず、それが固定不変の実体であると錯覚をしてしまうのだ。実際のところは、その現象は常に刹那生滅を繰り返しており、絶えず変化している。人間の粗い認識ではそれに気づけないのである。逆に言えば、対象認識の精度を精密なものにしていくことができれば、徐々に現象の非実体性が見えてくるだろう。それが迷いからの脱却の道である。私たちは、事物や現象を固定不変の実体とみなすことによって迷い、苦しむ。迷いと苦しみの原因は不正確な物の見方なのであり、それに気づけないという無知さにある。これらは全て唯識学が説くことであり、何ら目新しいことはないが、私たちは日常生活を何気なく過ごしているとそれに気づけなくなってしまい、気づいたら事物や現象を実体化しているのだ。それがもう習い性になってしまっているのである。迷いと苦しみをもたらすそうした悪しき心の習慣から脱却すること。そのためにはそうした習慣を自分が持っていることを自覚することが最初の一歩となる。その自覚から出発し、常に日頃から目の前に映る事物や現象を実体化させないように気をつけていくのである。そうした小さな積み重ねが、私たちに解放をもたらすだろう。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢について思い出したことがあるのでそれについて振り返っておきたい。夢の中で私は、東大の1・2年生が主催する学園祭に参加していた。大学の校内に学生寮と思われるアパートが建っていて、その前を通過していこうとした時に、そこでフリスビーをしている3人の学生を見つけた。どうやらその3人はこれから学園祭の出し物としてフリスビーを披露することを考えているらしく、最後の練習をそこでしていた。手前側にいた少しガタイの良い学生は、変わった投げ方をしていて、それによってフリスビーの軌道が変化に富み、その様子を見ることは面白かったが、その他には特筆することもなく、引き続き歩みを進めることにした。すると今度は、スポーツ観戦サークルなる団体の部屋に行き着いた。そこではミスター東大に選ばれたと述べる1年生と3人の1・2年生の女子学生がソファに座って寛ぎながらだべっていた。どうやらこれからサッカー日本代表の試合を観戦するらしく、1人の女子学生がおもむろに液晶テレビのスイッチを入れた。試合はまだ始まっておらず、そこからまたしばらく彼らは雑談をしていた。その中で、「最近の日本人選手の活躍についてどう思う?」と尋ねた女性学生がいて、彼女の質問に対してその他の3人は少しポカンとしていた。彼女の質問が漠然とし過ぎていたというのもあったし、彼らが扱っているスポーツはサッカーだけではなかったので、どのスポーツにおける日本人選手の活躍のことを聞いているのか3人はわからなかったようだ。そのように思ったのだが、実際のところはスポーツ観戦サークルというのは名ばかりで、彼らは熱心にスポーツなど観戦しておらず、競技に関わらず日本人選手についてほとんど知らない状態だった。そんな中、2年生と思われる女子学生が海外で活躍しているサッカー選手の名前を2、3人ほど挙げた。彼らは誰もが知っている選手だったので、その回答は偏差値で言えば55程度だと男子学生が述べ、その場にいた全員が笑っていた。私からすれば、彼らが本当にスポーツ観戦サークルなのであれば、彼女の答えは良くて偏差値50だろうと思った。それを受けて思わず笑みが浮かび、夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/8/24(土)07:09


13167. 諸法を貫く法悦/今朝方の夢の続き     


小鳥たちの囀りがとても心地良い。今日は幾分曇っているのだが、早朝から小鳥たちが美しい鳴き声を上げている。今日は近くに鳩がいないようで、小鳥たちだけの合唱が聞こえてくる。鳴き声のする木を見るために窓辺に近寄って行ったところ、小鳥たちの体は小さいので木の葉の間に隠れてしまって姿を確認することはできなかった。いずれにせよ、小鳥たちの鳴き声を聞きながら過ごせるこの時間帯は至福の時である。全ての時を私服と化すこと。今の自分はそれに向けて日々心を磨き、鍛錬をしている。心が磨かれて、心が世界をあるがままに映し、世界と一体となることができるようになればなるほどに至福さは増す。今はまだ道半ばであるが、着実に至福に至る道を歩んでいる自分がいる。世界は法悦でできているのである。諸存在こと諸法の本質は法悦なのだ。諸法を貫く真理の正体は法悦なのである。

そう言えば今朝方の夢の続きとして、大学時代のサークルの小柄な友人が現れた場面があったのを思い出した。彼が夢の中で出てきたのは初めてだったかもしれない。福岡出身の彼とは県を跨ぐが地元が比較的近いこともあり、自然と仲良くなった。彼は大学卒業後は名門商社の1つに入社し、そこからは連絡を取ることはなかった。そんな彼と偶然に再会を果たし、大学時代の思い出や社会人になってからの仕事についての話で盛り上がった。そのような場面があったのを覚えている。


この夢に加えてもう1つ、日本のどこかの地方都市の大きなデパートの中にある体育館でバスケの練習をしていた場面があったことを思い出す。夢の中の自分は中学生で、そこには自分の学校の部活のメンバーだけではなく、2つの他校のバスケ部のメンバーもいて一緒に練習をしていた。3校合同練習をするのは初めてのことだったので、慣れない感覚があったが、合同練習は実りの多いものだった。特にスリーポイントの練習では、動きの中で様々な位置からシュートを放っていくことを次から次に行うメニューがあり、それは自分の学校では取り入れてしないものだったので非常に参考になった。しかしそれは難易度が高いものでもあったので、自分の学校のメンバーはなかなかシュートを決めることができないでいた。自分もまたそうした1人で、幾分フラストレーションが溜まり始めていた。そこで一度休憩となったが、自分の中での苛立ちと憤りは収まらず、顧問の先生のところに歩み寄って、「しばらくバスケから離れます」と伝えた。先生はその申し出に驚き、思いとどまるように説得しようとしていたが、自分の決意は固く、一旦バスケから離れてリフレッシュしようと思った。キャプテンを務めている身としては非常に勝手なことだと承知しながらも、この状態でバスケを続けても何もいいことはないと思ったので、バスケから離れることにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/8/24(土)07:35


13168. 第94回のゼミナールのクラスを終えて  


時刻は午後3時を迎えた。今日は26度ほどまで気温が上がっているが、以前として肌寒さを感じさせている。天気は良く、日が照ってはいるが、夕方過ぎからは雷を伴う雨が降るらしいという予報が出ている。


つい先ほど、第94回のゼミナールのクラスを終えた。今日のクラスは、『『唯識三十頌』要項』を扱う最後のクラスで、最後のクラスにふさわしい意見交換を受講生の皆様とすることができた。まだZoomのレコーディングが処理中なのでAIのサマリーレポートやチャットコメントの記録を見ることができないが、1つ印象に残っているのは唯識学でいうところの煩悩に対する見方の話である。ある受講生の方が「煩悩は悪ではなく、発達課題のようもので、私たちの個性でもある」というシェアをしてくださったことがとても印象に残っている。煩悩と聞くと即座に悪いものや避けるべきものと思ってしまうかもしれないが、唯識学を学ぶ者にとってはそうしたこれまでの薫習を通じた自動的な反応をまず見つめなければならない。大抵の場合、そうした反応は遍計所執性の具現化であり、ある対象や言葉に対して私たちは歪んだ形での意味付けをしてしまう生き物なのだ。まずはその自覚を持って、「煩悩」という言葉を聞いて浮かび上がる印象や意味に眼差しを向けてみよう。そこから、「欲望」や「欲求」との対比を考えていくと良いだろう。欲求はマズローのモデルを参照しながら、自然な欲求と過剰になってしまっている欲求や逆に欠けている欲求、さらには歪んでしまった欲求などを特定していくといいだろう。端的には、欲求の対象と度合いを見ていくことが推奨される。ここ数日探究に目覚めた性愛学での観点で言えば、性愛を通じて不可避に生じる欲望・欲求・煩悩は、深い自己発見と治癒・成長をもたらす大事な存在である。性的な欲求というものが自分よがりのものとなってしまうと、それは不善な快楽や享楽でありながら、逆に自利利他のものであれば、性的な欲求は行為を通じて自己と他者の双方の心を深く満たし、豊かなものにしていくれる。性は最も根源的で巨大な力を持つものであり、ゆえに扱いは非常に難しいが、後期密教で性がテーマとなって探究や実践されたことには納得がいく。日本の密教は残念ながら、空海が導入した中期密教どまりであるため、チベットの後期密教を学んでみたいという思いと、日本の仏教の中で性の思想と技術を組み込んだ真言立川流(しんごんたちかわりゅう)や「彼の法」集団(かのほうしゅうだん)の教えについて学んでみたいと思う。こうした今後の研究に繋がる有意義なシェアがその他にもたくさんあったことに感謝である。フローニンゲン:2024/8/24(土)15:14


Today’s Letter

The joy of the Dharma penetrates everything in reality. Can you savor its taste? Have you experienced it before? If not, you can start discovering and savoring it now. Give it a try. Groningen, August 24, 2024


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