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【成人発達心遊記】13161-13164:2024年8月24日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13161. 関心の輪の広がり

13162. 今朝方の夢

13163. 「唯識」ということ/今朝方の夢の続き

13164. 唯識所変/言辞施/性愛における思想の重要性


13161. 関心の輪の広がり


時刻は午前6時半を迎えた。辺りはまだ薄暗いが、随分と明るくなってきている。今、キッチン側の木に1羽の小鳥が止まっていて、時折囀っている。その鳴き声はとても愛らしい。庭側の木には鳩がいて、ホーホーとした鳴き声を上げている。いつもと変わらないような朝でいて、新しい朝が目の前に広がっている。


今の気温は19度と肌寒いが、まだ心地良さを感じられるほどだ。寒すぎるというところにはまだ至っていない。秋の朝のそれはとても心地良く、肌寒さを味わうことができる。明日はもしかしたら25度ぐらいにまで到達することがあるかもしれない。来週は再び火曜日以降に夏日が戻って来る。幸いにも30度を超すような真夏日はもう内容で、20度の後半に達する気温が数日ほど続く。気温は夏のそれでも体感としてはもう秋のそれを感じることができるだろう。気がつけばもう8月も終わりに近づいていて、9月がやって来る。9月を目前にした来週の夏日が本当に最後の夏日となって、季節は秋にバトンを渡すだろう。


筋力トレーニングから一夜が明け、体も整ったところで今日もまた探究活動に精を出していきたい。具体的には唯識学の探究をメインにしながら、途中で休憩がてら仏教の観点から性愛を紐解いた学術書を読み返す。今読み返しているのはチベット仏教の観点から性愛を語ったものである。それを読み終えたら、世界の宗教の観点から性愛を取り上げている書物を読み返そう。9月に入ったら唯識学と性愛学の研究をさらに進めるために、必要な洋書をまた数冊ほど注文する予定だ。それは今後の研究に必要な学術書で、きっと自らの肥やしになるだろう。研究のためだけではなく、自身の実践につながる叡智をもたらしてくれるだろうと期待する。こうして日々人間の心に焦点を当てた形で研究を進めていくと、それに関連する事柄が見えてきて、自然と探究の範囲が広がっていく。心を中心として同心円状に関心の輪が広がっていく様子を見て取ることができる。いつかその関心の輪の広がりが、社会に対して貢献できる実践智として形になってくれればと思う。フローニンゲン:2024/8/23(金)06:50


13162. 今朝方の夢 

   

小鳥の囀りを聞きながら、今朝方の夢を振り返っている。今朝方はいくつかの夢を断片的に見ていた。まず覚えているのは、少し前に引退した元日本代表のサッカー選手と一緒に草サッカーの試合に出場しようとしていた場面である。最初に私たちはウォーミングアップがてら他の数人の選手と談笑しながらボールを蹴っていた。最近のお互いの近況の話から始まり、話は大いに盛り上がっていた。試合前にも関わらず、私たちは随分とリラックスしていて、むしろ逆にそれが良い結果をもたらすように思えた。いざ試合が始まる時になってふと、その方が実は左足の足首を捻挫していると打ち明けてきた。先ほどまでの練習では一切そのようなことをこちらに気づかせなかったのだが、どうやら痛みを騙し騙しプレーしていたらしかった。その方はチームの司令塔でもあったので、その方がいないのはかなり困ったことになりそうだぞと思った。一応その方は怪我を押して出場すると述べていたが、あまり無理をさせないようにしようと思い、他のメンバーにもその方の怪我のことを伝え、その方に依存しないように試合を進めていくことにした。


それ以外の場面としては、オランダから日本に一時帰国しようとしている場面があった。それは今年の晩秋に一時帰国するのと同じくドイツのフランクフルトを経由するものだった。ところがどういうわけか、フランクフルトから成田に向かうのではなく、一度アフリカの国を経由してから成田に向かう必要があった。実質、2回もフライトを乗り換える必要があったのである。それはかなり面倒に思えたが、そういう路線だったの仕方ないと思った。アムステルダムからフランクフルトへ、フランクフルトからアフリカの名前の聞いたことのない都市の空港に到着した。そこで乗り換えをして成田に向かおうと搭乗口に向かった。するとそこにいた係員の女性に、「フライトは明後日のようですね」と言われた。自分の認識では、アフリカの空港に到着する頃には日付がまたがり、その日の夜に搭乗できるはずだったが、どうやらさらに1日後のようだった。そんなはずはないと思ったが、確かにEチケットにはそのように記載があったので、空港のラウンジで宿泊しようと思ったが、ラウンジは深夜に閉まってしまうかもしれないと思ったので、近くのホテルに宿泊することにした。しかし、それだと日本で予約していたホテルの変更などをしなければならないと思ったので、それであったらフランクフルトに戻ってそこから日本に向かう便に乗ることにした。そこで初めて、自分はアフリカのこの都市に来る必要はなく、いつものようにフランクフルトからJALの便に乗ることができたと改めて分かった。Eチケットを改めて眺めると、アフリカの都市を経由する情報がいつの間にか消えていて、いつものようにフランクフルトから成田に帰れることが判明して一安心した。フローニンゲン:2024/8/23(金)07:04


13163. 「唯識」ということ/今朝方の夢の続き 


朝の涼しさが著しい。空は曇っていて朝日を拝むことはできないが、小鳥たちの囀りを拝むことならできる。視覚を通じて自分の世界に入って来るものも、聴覚を通じて自分の世界に入って来るものも、等しく礼拝の対象である。唯識が外界の存在を否定するというのは少し言葉足らずである。正確には、唯識は一言も外界の存在そのものを否定しておらず、ただ私たちが思うようには外界は存在していないということを指摘しながら、外界は即自分の心の内側に取り込まれ、私たちは自らの心を通じて世界を認識するだけなのだということを伝える。それが「唯(ただ)識のみ」ということの本義である。


今朝方の夢の続きとして、外国のどこかの町の立派なホテルに宿泊している場面があった。そこは確かに外国の町にあるホテルだったが、従業員にはちらほら日本人の姿を見かけた。ちょうど時刻は朝食どきとなっていたので、1階のレストランに降りた。そこではブュッフェ形式の朝食が振る舞われていた。ヴィーガンにも嬉しいメニューが豊富にあり、食材選びに困ってしまうほどに多様な料理があった。いくつかの料理をプレートに乗せ、目覚めの紅茶を淹れてから席についた。そこでふと、そう言えば画家の知人も同じホテルに宿泊していることを思い出し、一緒に朝食でもどうかと思ってメールをしておこうと思った。ホテルの近くには良い美術館があるので、よかったら美術館巡りも一緒に行えればと思った。


そのような場面以外も、ある知人と一緒に動画コンテンツの撮影の収録をスタジオで行っていた場面があったのを覚えている。収録前にこちらから色々と収録方法の手順を伝えたところ、その知人は話を聞いているようで、どこかあまり話を聞いていないようにも思えた。その知人はとても賢い人なので、特に手順について説明しなくても大丈夫かもしれないと思ったが、念のため最後まで説明をした。すると、少し年配の別の知人がスタジオにやって来て、私たちに声を掛けた。すると、先ほどまであまり浮かない顔をしていた知人の表情がパッと明るくなり、何やら今やって来た知人の指示なら聞くことができるが、その方以外の指示は聞くことができないということを素直に打ち明けたので思わず笑ってしまった。今やって来たその方も思わず笑みを浮かべ、であれば社会にとって意味のある良いコンテンツを作るようにとだけ指示を出してどこかに去っていった。スタジオに残った私たちは、その方の指示通りに社会にとって有益な良いコンテンツを作ろうと思った。フローニンゲン:2024/8/23(金)07:33


13164. 唯識所変/言辞施/性愛における思想の重要性 


今日は幾分風が強い。午後からは少しばかり小雨が降るかもしれないという予報が出ている。先ほど、午前10時を知らせる鐘の音が風に運ばれてきた。風が強いおかげかいつもと違って教会の鐘の音が聞こえてきた。さらには日々刻々と移り変わる自分の心の様子を投影するかのように、鐘の音の聞こえ方も変わってくる。この世界の事物と現象、そして世界そのものは私たちの心が生み出したものであるということ。心がそれらに脚色を加えた形でそれらを認識するということ。まさに唯識所変の考え方を見て取ることができる。世界の見え方と感じ方は、本当にその時々の私たちの心によって変化する。ある対象が美しく見えてそれに感銘を受ける時もあれば、さほど感銘を受けない時もあるだろう。それはその時の自分の心の有り様が関係しているのだ。心が清らかで豊かであればあるだけ、この世界は清らかで豊かなものとして立ち現れてくる。唯識所変の考え方の実践的な意義はそこにある。心を磨き、心を育み、心を豊かにしていくこと。それに絶えず尽力したい。


昨夜就寝前にふと、言葉は無料であって、優しい言葉を絶えず人に掛けることをしていきたいおものだと思った。日常のあらゆる場面でそれを心掛け、完全な習慣として薫習され、体現されるまで意識的に取り組みをしていく。優しい言葉掛けをすることに慣れていないと恥じらいが生まれるかもしれないが、そうした恥じらいは不要である。そのような恥じらいを捨て、優しい言葉を掛けながら、困っている人に救いの手を差し伸べられる人になっていきたいものである。仏教においては「和顔愛語」という言葉がある。「和顔」は柔らかな表情を指し、「愛語」は優しい言葉を指す。見ず知らずであっても困っている人に柔らかな笑顔で優しい言葉を掛けたいものである。「言辞施」としての優しい言葉は、人を勇気付ける際にも重要で、それが勇気付けにつながるのであれば、それは言辞施から「無畏施」となる。いずれにせよ、恥じらいの心や躊躇する心を捨てて、思いやりの心と布施の心が体現された優しい言葉掛けを日常心掛けたいと思う。


そのようなことを考えた後に、性愛についても考えていた。性愛に関しては、技術よりも思想を大切にしたいと思う自分に気づく。確かに性愛には「性愛術」と呼ばれるような技術的側面があるが、それは根幹の思想があって初めて生きたものになる。思想のない技術ほど危ないものはなく、暴走を招くものはない。そうした意味で、これから性愛学を探究していくに当たっては、仏教やインド思想に立脚した書物を紐解くことを意識してみようと思う。9月に洋書をまとめて購入する際には、『カーマ・スートラ』の英訳書を購入する予定であり、そこには性愛において大切にするべき叡智としての思想が詰まっているはずだ。フローニンゲン:2024/8/23(金)10:30


Today’s Letter

The external world does not exist as we perceive it. It always appears in our minds. Most people do not doubt the existence of the outer world, yet we can only experience it within our minds. Not understanding this is the root cause of our agony and anxiety. Groningen, August 23, 2024


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