top of page

【成人発達心遊記】13156-13160:2024年8月23日(木)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13156. 仏教における性愛に関する研究

13157. 今朝方の夢

13158. 性愛とサイケデリクスに関する日本社会の歪みに対して

13159. 性愛学と唯識学の佳境と社会課題の解決に向けて

13160. 今日の筋力トレーニングを振り返って


13156. 仏教における性愛に関する研究


時刻は午前6時を迎えた。この時間は辺りがまだだいぶ暗く、静かに夜明けを待っているような状態だ。昨日からいよいよ就寝時間と日没時間が重なり始めた。これまでは就寝時間の午後9時前はまだまだ明るかったのだが、ここ数日間においては辺りは随分と薄暗くなってきており、昨日はほぼ就寝時間と日没時間が重なる形となった。寒さに関していうと、来週の水曜日と木曜日こそ再び25度を超えて暖かい日があるらしいが、それでももはや真夏日ではなく、程よい夏日の気温である。すでに秋に入っている心地が日毎に深まる中で、来週の水曜日と木曜日はまた季節の揺り返しのようなものだろう。今の気温は14度と低く、室温も22度まで下がっている。二重窓の内側も閉めることにし、冷たい空気が部屋の中に流れてこないようにする必要が出てきた。今日から来週の火曜日までは20度前半の日が続くので、今日と同じように部屋の二重窓の内側を閉めておきたいと思う。


今日はどうやら1日を通して珍しく曇りのようだ。ここから秋や冬になってくると、曇りであることは珍しくなくなり、むしろ普通のこととなる。太陽を拝めることが夏の特権だったのだ。明日と明後日もまた天気が悪く、雨が断続的に降る予報が出ている。今日の最高気温は21度までしか上がらないようだが、そんな中にジムに行って体を鍛えてこようと思う。むしろそれくらい涼しければ、体を動かすことにおいては好都合である。今日はパーソナルトレーニングの日なので、またどのようなメニューを組んでもらえるのか楽しみである。今週の月曜日の自主トレーニングにおいては、パーソナルトレーニングを見越してあまり無理をすることをしなかった。そのおかげで今日は筋肉痛もなく、活発に動くことには適している。今後もパーソナルトレーニングのある週の月曜日の自主トレーニングおいては、身体を適度に休ませながらも刺激をある程度入れるぐらいの調整のトレーニングとすることが好ましいかもしれない。毎回追い込んでトレーニングをすると、回復が追いつかないで見えない形で疲労が蓄積していることもあるだろうか、2週間に1度のパーソナルトレーニングの日に合わせて、その週の月曜日は調整のトレーニングをするようにしたいと思う。


朝からジムに行くまでの時間はいつもと同じように唯識学の探究を進めていく。昨日ふと、唯識学に加えて、仏教において性愛がどのように扱われているのかについて関心を持ち、関連文献を調べてみた。チベット仏教では性愛に関する思想と技術についてかなり精密な体系があることを思い出し、手持ちの文献を引っ張り出してきた。それに加えて、今後は唯識学だけではなく、仏教の観点から性愛を探究してみようと思った。広くは仏教のもとになっているインド思想まで含めて、現代の性愛の乱れや歪みに対しての問題意識をもとに、このテーマについてもこれから探究を真剣に進めていきたいと思う。フローニンゲン:2024/8/22(木)06:29


13157. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今日は曇っていることもあってか、辺りはまだまだ薄暗い。風も冷たさそうで、朝の世界が寒そうに見えるような時期がいよいよまたやってきたと思う。そんな中、今朝方の夢についてぼんやりと振り返っていた。


今朝方の夢についてまず覚えているのは、現在スペインで活躍するサッカー日本代表のある選手と一緒に世間話を楽しんでいたことである。彼が所属するクラブチームのクラブハウスに招待してもらい、そこのカフェで雑談を楽しんでいた。話の内容はスペインでの暮らしから始まり、チームの状況や今後の移籍についてだった。向こうから自分の専門領域である人間発達について色々と質問をしてくれ、自分の答えをサッカーの技術の向上やサッカー選手としての人間の器の向上に役立てようとする彼の探究熱心な姿勢が窺われた。しばらく話を楽しんだ後に、チームの練習が始まるということで、彼が監督に掛け合ってくれ、急遽自分も練習に参加することになった。スペインのトップチームの練習に自分がついていけるとは到底思えなかったが、どのような強度と内容の練習を日頃行っているのか関心があったし、良い経験になるだろうと思ったので、せっかくなので練習に参加させてもらうことにした。練習についての話を聞いたり、外から眺めているだけでは決してわからないことが練習を実際に参加してみてわかることもきっとあると思ったので、全ては直接体験であると自分に言い聞かせ、練習に参加する決断をした。クラブハウスの更衣室で着替えをし、貸してもらったスパイクの紐を結んで外に出ようとしたところで夢の場面が変わった。


この場面以外にも、ジムで体を鍛えている場面があった。今日の夢は総じて運動に関わるものが多い。ちょうど今日の午後にジムに行くことになっていて、体を動かすことへの欲求が自分の内側にあったのかもしれない。それを象徴するような形で立て続けに運動に関する夢を見ていた。その夢の中では、見慣れない広いジムの中でアブローラーを使って念入りに腹筋を鍛えていた。周りで見ている人たちも自分が随分と念入りにアブローラーを使うものだから興味津々の様子で眺めていた。1セットの回数を限定せず、限界まで回数を増やすことを3セットほど行ってみると、随分と腹筋が鍛えられている感覚があった。今日はこの夢にあったように、パーソナルトレーニングを終えて、整理運動の前にアブローラーを使って1セットの回数を限定せず、限界まで追い込んでいくようなトレーニングをしたいと思う。フローニンゲン:2024/8/22(木)06:41


13158. 性愛とサイケデリクスに関する日本社会の歪みに対して 


今日は本当に肌寒い。まだ8月は終わっていないが、朝の寒さは秋のそれになった。もはや朝の空気の入れ替えとして窓を開けることはなく、二重窓の内側もしっかりとしめて寒さ対策をしている。格好は当然ながら長袖長ズボンである。かろうじて靴下は履かずに素足の状態で、足ツボマッサージのマットの上に立ちながらこの日記を書いている。朝の温かい飲み物を片手に、今後はますます朝の栄養補給としてのこの飲み物と温かい抹茶が貴重なものとなってくるだろう。


先ほどの日記で書き留めたように、昨日突如として仏教の観点から性愛を研究してみようと思った。これまでも意識の発達の観点で性愛について研究をしていたことはあったが、明確に仏教やインド思想に特化する形で研究しようという意識はこれまでなかった。唯識学を通じて人間の心について学べば学ぶだけ、性愛が最終的には心の問題に結びついてくることにハタと気づいたのである。これまでにサイケデリクスの研究をかなり熱心に行っていたが、性もサイケデリクスと同様に多くの社会ではタブーであり、日本ではそのタブーの強さは異常なほどである。それでいて歪んだ形で性産業やドラッグの世界が形成されている。サイケデリクスと性愛はとりわけ日本社会で思想的にも制度的にも歪みが顕著であるという問題意識が強く自分の中にある。それらに関して言えば、過度な抑圧による病理的な症状がいくつも見られるのだ。サイケデリクスも性愛も、最終的には唯識学が扱う心の問題に帰着する。それらは人間の心を治癒し、発達をさせてくれるものである一方で、扱い方を間違うと心を汚したり、傷つけたりしてしまう。現在オランダにいながら思うのは、この国は性とサイケデリクスに対して非常にオープンであるだけではなく、幼少期からの教育の中でそれらの分野に関する正確な知識を得る機会があるし、それらの産業がアンダーグラウンドに潜らないようにする政策や制度が充実している。この点が日本とは雲泥の差である。日本社会が性とサイケデリクスを健全な形で社会に活かそうと思うのであれば、そこには教育の問題が不可避に関わってくる。それは子供だけではなく、大人への教育も含む。内部のことはよくわからないが、外部から見ていると、性やサイケデリクスに関する政策や制度、さらには教育内容は、どう見てもそれらの分野について包括的な正しい知識を持っているような者が作ったものとは思えない。仕組みを作る側も、教育する側もされる側も、結局は正しい知識が圧倒的に欠落しているし、それらの領域における直接体験が乏しいことに問題意識を持つ。人間関係を深める性愛や自らを見つめるためのサイケデリクスの活用について、日本では直接体験を持っている人が本当に少ないのである。政策立案者や教育関係者になるとなお一層のこと少なく、それらの領域で経験豊富で正確な知識を持っている人は、社会の中で異端的に扱われ、辺境に追いやられている傾向にある。この状況は日本を幸福な社会にしていくための大きな足枷になっている。性愛もサイケデリクスも、智慧と慈悲を涵養する機会を与えてくれるものである。米国マサチューセッツ州のサイケデリクスの規制緩和の論理を用いるなら、人工的に作られたサイケデリクスではなく、自然由来のサイケデリクスは宇宙からもたらされたものであり、性愛もまた宇宙からもたらされたものである。それを人間側の歪んだ思考と何らかの思惑によって歪んだ仕組みでがんじがらめにしてしまうことによって、性愛もサイケデリクスも窒息死の寸前となり、結果としてアンダーグラウンドに潜ったり、歪んだ形で社会に噴出するという現象が日本社会の中で見られることは残念でならないし、9年間ほどのオランダ社会の中で体験してきたことやそれらの領域に関する学術研究の成果を日本社会の当該問題の解決に対して活かしていきたいという思いが募る。フローニンゲン:2024/8/22(木)07:14


13159. 性愛学と唯識学の佳境と社会課題の解決に向けて

   

今日は幾分風が強く、風が吹き抜けていく音が時折聞こえる。木々の葉が風に大きく揺られている。今目に映る木々の葉もこれから秋が本格的に深まってくると、枯れ葉になって落ち葉になっていくのだろう。来週の水曜日と木曜日は再び夏日らしい気温になるが、ここ最近はぐっと寒さが増してきたので体調管理には気をつけたいと思う。季節の変わり目が一番体調管理に気を遣うところである。格好を間違えないようにしたいものだ。


仏教の観点から性愛について探究していく情熱に火が灯り、唯識学の研究に並行してそれを進めていきたいという思いが強くある。仏教の観点からの性愛に関する学術研究は日本語の文献でまとまっているものは少なく、英語の文献に焦点を当てて探究を進めていく。この探究も唯識学の探究と同様に、単なる研究で終わらせずに、そこで得られた知識や智慧を広く社会に共有し、性愛の問題解決に少しでも役に立てるようにしていきたい。性愛の問題も最終的には人間の心の問題に行き着くであろうから、両者の探究は必ずどこかで合流するはずである。性愛の問題を眺めてみると、そこには個人として幼少期から歪んだ形で無意識に薫習されたものや両親の性愛関係の歪みが相続されて無意識の深層に薫習されていることを見て取ることができる。この点については万人共通なのではないかと思う。当然ながら何がどの程度歪んだ形で薫習されているかは個人差があるが、その問題の構造特性は普遍性を持つはずだ。誰しもが性愛に関して何らかの傷を負い、歪みを持っているということ。その認識から出発し、傷と歪みの治癒に向けた個人的な取り組みと社会的な取り組みの双方が求められる。そこには西洋の心理学と東洋の唯識学は大きな貢献を果たすであろう。


成人以降の人間関係の歪みも本を正せば、幼少期からの性愛体験や両親の性愛関係の歪みに問題があるのではないかと思う。巷では表面的な形でコミニケーションを深める方法が説かれている傾向にあるが、それでは根本的な問題解決には至らなしい、真に深い人間関係を醸成していくことはできない。ここからの自分がやるべきことは、それぞれの個人と集合規模で性愛に関して歪んだ形で薫習されてしまっているものを特定し、それを治癒していくことである。そのために仏教の観点から性愛学について探究し、それと並行して唯識学の探究を地道に進めていく。どこかのタイミングでこのテーマについても情報発信をし、社会に具体的に関与していきたいと思う。フローニンゲン:2024/8/22(木)07:38


13160. 今日の筋力トレーニングを振り返って

 

時刻は午後5時にゆっくりと近づいている。先ほどまでジムに行っていたのだが、ジムの行き道は取りわけ肌寒く、今日は上に羽織るものを持って行った。生きはそれを羽織る必要があったが、帰りはジムでのトレーニングで体が温まっていることもあり、不要であった。気温が20度を下回る時には上に羽織るものを持っていき、20度を超える日には半袖で出掛けるようにしたいと思う。


今日は隔週で行っているパーソナルトレーニングの日だったが、予定の時刻である3時になってもトレーナーのエリーザが現れなかった。受付のオーナーのルウェルに相談してみたところ、彼がエリーザに電話をしてくれ、今日は珍しく彼女がトレーニングの日を忘れてしまっていたそうだった。なので今日は自主トレーニングをする形となった。ここから次のトレーニングまでは中3日間の休養日があるので、今日は可能な限り追い込んで鍛えていった。トレーニングの最初のうちには知り合いの男性が2人ほどいたが、先日の月曜日に知り合ったジョスリンは今日は来ていないようだった。今日のトレーニングでは大胸筋や大臀筋をとりわけ追い込んで鍛えていった。大胸筋についてはダンベルを用いるメニューとケーブルを用いるメニューをこなし、大臀筋についてはダンベルを持ちながらのブルガリアンスクワットとスピリットスクワットを行っていった。とりわけ下半身を鍛えるそれらのメニューは自分が好むものなので、自然と負荷量と回数を増やすことができる。また、トレーニングの後半ではダンベルを持った形でのルーマニアンデッドリフトを行っていった。最近はもはや体重を増やすことにはさほど意識をしておらず、無駄に食事量を増やして体を大きくすることには関心はなく、三食はきちんととながらも少しずつ筋肉量を増加させるような意識でトレーニングに励んでいる。色々と実験的に試行錯誤しながらその結果を楽しむことができる筋力トレーニングはやはりいいものだ。フローニンゲン:2024/8/22(木)16:56


Today’s Letter 

Integrating the wisdom of both Tantric yoga and the Yogācāra school of Buddhism is currently my main focus. This integration helps heal the wounds caused by human relationships and enriches our connections. I plan to start reading some of the primary texts. Groningen, August 22, 2024


 
 
 

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page