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【成人発達心遊記】13122-13125:2024年8月14日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13122. 真夏日の翌朝に

13123. 今朝方の夢

13124. 一回性の真理に貫かれたリアリティ/お茶の楽しみ

13125. 現象的自己と現象的縁起世界の有を説くこと


13122. 真夏日の翌朝に 

   

時刻は午前6時半を迎えた。今、キッチン側と庭側の双方の木々から小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。彼らの囀りはとても穏やかで、昨夜の激しい雷の音とは対象的である。昨夜は天気予報の通り、雷を伴う激しい雨が降った。それは一時的ではあったが、雨量は多く、外の倉庫の屋根には水が溜まっているのが見える。昨日は夜までは雲が一切ない快晴に恵まれており、それゆえに気温が当初の天気予報よりもずっと上昇し、最高気温は34度にまで達していた。完全なる真夏日を久しぶりに体験する形となった。幸いにも直射日光が家に差し込んでこない夕方辺りに34度ほどの気温に到達したこともあり、ずっと2階で過ごすことができたが、さすがに暑さを感じたのは確かである。今のところの週間予報と月間予報を見ている限りだと、もう真夏日はなさそうであり、その予報が確かであることを願いたい。やはり真夏日になると活動に支障が生じる。集中力が自ずと減退してしまうような暑さは望まない。


昨夜は34度ほどの気温になったこともあり、早朝の2階の室温はいつもより高い。なので両側の窓を開け、換気をしている。外気は19度なので、ここからしばらく窓を開けて、部屋の温度を25度ぐらいまで下げたいと思う。それにしても昨夜の雷は激しく、地上に打ち付ける雨の強さも凄まじかった。どうやら今日もまた夕方過ぎから雷を伴う雨が降るらしい。今日の最高気温は24度で、明日は25度まで上がるようだ。しかしそれ以降はもう20度前半の気温となることからも、昨日と今日の雷を伴う雨が夏の最後を告げるような役割を果たしているかのように思えてくる。振り返ってみると、今年の夏はとても短かった。8月に入るまでは長袖長ズボンで過ごす日が多く、8月に入ってもまだそうした日がちらほらとあった。そんな短い夏の間にも、自分の取り組みを着実に前に進めることができていたことは喜ばしい。今日もまた唯識学の探究に集中して取り組む。昨日とは違って今日は午後も快適な気温であるから、午後の探究活動は昨日よりも集中して取り組むことができるだろう。こうした環境に常に感謝しながら、自らの心を磨き、育んでいくための唯識学の探究に何よりも精を出していこう。フローニンゲン:2024/8/14(水)06:55


13123. 今朝方の夢 


月曜日の筋力トレーニングの際に、大臀筋を鍛えるためのブルガリアンスクワットをかなりの数こなしたためか、大臀筋に筋肉痛が随分とある。それはブルガリアンスクワットが効いていたことを示す意味では喜ばしいが、明日のトレーニングまでに完全回復しはしなさそうである。明日のトレーニングは筋肉痛を考慮しながらトレーニングすることになりそうだ。ルーマニアンデッドリフトでハムストリングを鍛えることにも力を入れていたため、ハムストリングにも若干筋肉痛が残っている。明日もまた大きな筋肉を中心に適度な刺激を入れていこう。


そのようなことを考えながら、今朝方の夢について振り返り始めた。今朝方は夢の中で、アメリカ人の比較的若い男性の監督のもとにバスケの練習に打ち込んでいる場面があった。どうやら社会人チームに自分は属しているらしく、その監督はまだ40代と若いが、監督としてすでに実績を残していた。チームのメンバーにも外国籍の選手が数名いて、練習は基本的に英語で行われ、時々監督は片言の日本語を話して選手に指示を送っていた。アシスタントコーチは日本人だったが、コーチはとて大人しく、練習中に選手に指示を出すことは基本的になかった。監督はやたらと私に厳しく、細かな指示を常に出してきて、途中からそれに耐えられなくなってきた。自然と反抗心が芽生えてきて、しまいには監督に強い口調で意見を述べるようになった。すると監督は微笑み、どうやら私が強く意見を主張することを望んでいるようだった。練習後、監督とコート上でしばらく1対1で話をし、自分に期待していることを教えてもらった。監督の意図を聞いて初めて練習中の監督の態度に納得し、次回からの練習では気持ちよくプレーできそうだと思った。こうしてお互いの考えをきちんと伝え合うような場を設けることの大切さを改めて思った次第である。


そのような夢を見た以外には、命の大切さについて仏教の観点から考えている場面があった。まるで時が流れていないかのような静かな空間で、1人その場に座して、静かに命について考えていた。すると、心臓の鼓動が静かに聞こえてきて、自らの内側に命が絶えず宿っていて自分を支えてくれているという明確な感覚があった。しばらくその感覚を味わいながら、命と共に過ごす穏やかな時間を過ごしていた。フローニンゲン:2024/8/14(水)07:08


13124. 一回性の真理に貫かれたリアリティ/お茶の楽しみ 


時刻は午前7時半を迎え、朝日が顔を覗かせ、輝きを見せ始めた。早朝こそ曇っていたが、こうして朝日を眺めていると、新たな1日がやってきたことを実感する。ここのところは日没も以前より早くなった。以前であれば午後10時まで明るかったが、今は9時頃になると薄暗くなり始めるようになっている。もちろんまだそれだけ日が出ているのだが、ここから日没が早くなっていき、気がつけば冬の時代における午後5時前には真っ暗になっているような状態を迎えるだろう。日の出に関してもそうで、以前であれば午前5時にはもう随分と明るくなっていたが、今は午前6時を迎えなければ明るくなってこない。ここからピークにおける午前9時頃まで薄暗い状態になるにも時間の問題かと思う。こうして季節は着実に進行していく。自分の人生も他者の人生も、季節と同じく着実に進行していくものなのだ。それは諸行無常の真理に貫かれている。そんな人生の中で何が起こるかは、縁起の真理が決定することなのだ。それら2つの真理の当事者である自己も諸存在も無我であること、それが諸法無我の真理である。自分も全ての事象も仮に立ち現れた存在にすぎない。ゆえに無いとも言えないし、有るとも言えないものなのだ。仮の存在としてなら有ると言えるが、それは実体を持つ不変のものでは決してない。絶えず縁起の真理によって生まれ、諸行無常の真理によって変化する存在なのだ。今を生きる1秒1秒がそれらの真理に貫かれている。今聞こえてくる鳩の鳴き声も、決して同じものは二度と聞こえない。朝日で輝く木々の葉が風に揺れる様子もまた二度と同じものを見ることはできない。全てが一回性で貫かれているのである。全てとの出会いは一回限りのものなのだ。まさに、流れゆく川に足を着けた時、もう二度と同じ川の流れを経験できないのと同じことである。一回性の真理に貫かれたリアリティがここにある。私たちはそうしたリアリティを日々生きているのだ。


そのようなことを考えながら日記を綴っていると、気づけば朝の温かい飲み物を飲み終えていた。起床後に1杯の水を一気に飲み、その後さらに1杯の水をゆっくり飲むことが日課になっている。その後に朝の呼吸法と動的ストレッチをして、栄養補給をかねて、ヘンプパウダー、小麦若葉、カカオパウダー、蜂蜜を混ぜた温かい飲み物を飲んでいる。それらを飲み終えた後に抹茶を作り始めるというのがここ最近の日課である。コーヒーをやめてからは、コーヒー以上に健康効果の高い抹茶を午前中に飲むことを習慣にし、ここ最近は午後にはルイボスティーを飲むようにしている。様々なお茶を今後挑戦していきたいと思っているが、当面は2つのお茶を楽しんでいこうと思う。コーヒーを飲んでいる時にはお茶を飲む余白がなかった。コーヒーを飲んで抹茶を飲むというのはカフェインを摂りすぎのように思うし、濃い味のものを続け様に飲むことも自分には合わなかった。今はお茶の健康効果や味に魅了されていて、趣味の1つとしてお茶についても勉強をしていきたいと思う。日本茶をメインにしながらも、世界の様々なハーブティーについても学んでいきたい。座学のみではなく、そこには実際に五感を働かせてお茶を飲むという楽しみがある。仏教とお茶は関係性が深いこともあり、その観点での探究も密かな楽しみとして進めていきたいと思う。フローニンゲン:2024/8/14(水)07:40


13125. 現象的自己と現象的縁起世界の有を説くこと


涼しさが戻ってきた。時刻は午後4時半を迎え、冷たい風が吹き始めた。空には雲が覆っていて、夕日は見えず、天気予報によれば、これから雷を伴う雨が降るかもしれない。実際のところ、雷こそなかったが、午後には小雨が降る時間帯があった。今の空模様を見ていると、雷を伴う雨がいつ降ってもおかしくないと思う。昨日は気温が34度にまで到達したことにより、朝から室温が高かった。深夜には雷を伴う雨が降り、それによって気温は確かに下がったが、いつもより湿度があったことにより、朝の時間帯には気温に比して蒸し暑さを感じていた。それが今ようやく涼しさに変わりつつあることを嬉しく思う。仮に昨日の真夏日が最後の真夏日であってもそれでいい。むしろそれが最後であってほしい。過ごしやすい秋の到来を望む自分からしてみると、涼しさが増してくることは本当に有り難いことである。うだるような暑さよりも凍てつく寒さの方が活動に支障が出ない。とりわけ自宅での探究活動においては凍てつく寒さの方がうだる暑さよりも好ましい。


今日も朝から今にかけて唯識学の文献を読んでは解説の音声ファイルを作成するということを続けていた。午前中の終わりから、『成唯識論』の解説書の六読目を始め、それに並行して音声ファイルを作成している。6回目の読解となるが、すでに新たな気づきに満ちており、充実した読書が実現されている。探究が着実に進み、自分の心が治癒・発達していくと、同じ書物から新たなものが汲み取られることを実感する体験となった。


そんな自己は現象に過ぎないということ。それは固定不変の実体を持つ存在ではなく、絶えず変化する儚き現象なのだ。実体としての自己や諸存在を否定しながらも、現象的自己と現象的縁起世界はあると肯定すること。空(くう)を悪しく解釈し、全てが存在しないとする虚無主義に陥らないこと。釈尊は虚無主義に陥ると救いようがないので、虚無主義に陥るぐらいであるなら何かに執着している方がマシだと述べていた。それだけ空の思想は取り扱いに注意しなければいけないものなのだ。世間では空の思想を誤って解釈して、全ての存在を空化してしまうような人がいるが、本当の意味での空の思想は空にも偏らない中観思想なのであり、縁起的現象世界とそれを貫く真理の有を認める唯識思想の本質が体現されたものなのだ。そのようなことを考えながら、雷の鳴り響くのを待ち侘びている自分がいる。フローニンゲン:2024/8/14(水)16:35


Today’s Letter

Since I stopped drinking coffee, I’ve been drinking matcha in the morning and rooibos tea in the afternoon. Each has different health benefits. I’m considering studying tea in addition to enjoying it. The world of tea is profound and could enrich my life. Groningen, August 14, 2024

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