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【成人発達心遊記】13092-13095:2024年8月7日(水)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13092. 良きリズムの中で

13093. 今朝方の夢

13094. 今朝方の夢の続き

13095. 理(ことわり)/煩悩や分別へ囚われないこと


13092. 良きリズムの中で

     

時刻は午前6時を迎えた。一昨日と昨日は20度後半まで気温が上がり、幾分暑さを感じさせるような日中の時間帯があったが、こうして朝に起床してみると、暑さが毎回リセットされている。今空にはうっすらとした雲がかかっていて、ぼんやりと遠くの空に朝焼けが見える。今の気温は19度と落ち着いていて、今日は22度までしか気温が上がらない。午前中には雷を伴う雨が降るかもしれず、それによって気温が低く抑えられるようだ。今日はかなり快適な1日を過ごせそうである。ここから数日間は20度前半の最高気温で推移するが、来週の月曜日には30度に到達する真夏日がやって来るようだ。30度に到達する日がやって来るのは久しぶりだが、その日は午後からジムに行っているので、自宅の2階で過ごすよりもジムで体を動かしていることの方が涼しさを感じるかもしれない。こうして突発的に夏日や真夏日がやって来ることはあるが、総じて今年の夏は大変涼しく、過ごしやすいと言える。この8年間、夏の間に暑くて苦しんだことは記憶の限りなく、夏でも普段と変わらずに活動に従事できるこの環境に改めて感謝したい。


今日もまた涼しさの中で自らの取り組みを前に進めていこう。目下唯識学の探究に日々精を出しており、今日もまた文献読解の続きに取り掛かり、それに並行して解説の音声ファイルを作成していく。集中力高く、そしてその状態を維持して永い時間読書に従事することができていることの背景には、サブチャプターの項目を読み終えるごとに音声ファイルを作成していることが貢献している。それを行うことでアウトプットが良い刺激となり、インプットとアウトプットの良いリズムが生み出され、そのリズムに脳が乗っているように思う。そのリズムは心地良いゆえに脳が疲れることもないし、集中力が落ちることもない。今日もそのリズムを大切にしながら探究活動に勤しむ。8月一杯はこの取り組みに集中し、9月に入ったら唯識学に関する洋書を久しぶりに購入したい。以前の一括注文から今にかけて、数冊ほど重要だと思う学術書を見つけた。唯識学関係の洋書は数は多くなく、その大半はすでに入手して目を通していたのだが、改めて検索をするといくつか重要な文献を発見することができたので、9月をめどにそれらを注文したいと思う。それらの書籍は今後の大学院での学術研究においても活躍するであろう。なので先行投資的な意味も兼ねて文献を購入し、今の時期から読解を進めておきたい。こうして日々着実に阿頼耶識に良き種子を薫習し、来るべき時に向けて備えを着実に進めている。フローニンゲン:2024/8/7(水)06:21


13093. 今朝方の夢  


先ほどまで鳴き声を上げていた小鳥たちはどこかに移動したようだ。その代わりに今、カモメが上空を飛んでいて、鳴き声を上げて飛び去って行った。朝の涼しさを感じながら、今朝方の夢についていつものように振り返っている。


今朝方は夢の中で、サッカーのプレミアリーグで活躍するある日本人選手と一緒に彼が所属するクラブの練習場でサッカーの練習をしている場面があった。実は自分もまたそのクラブに最近加入したようで、彼からクラブの文化や施設について色々と説明を受けていた。それがひと段落した後にグラウンドに実際に出て、そのクラブの戦術について体を動かしながら教えてもらっていた。その中で、チームに所属する各選手の特徴についても教えてもらうことができ、試合に向けて準備が一気に捗った感じがあった。彼との練習はとても楽しく、呼吸が自然と合っていることもあって、ボールのパス交換がとても心地良かった。練習を終えてクラブハウスに引き上げようとしていると、突然時空間が変容し、移籍後初出場の試合の場面となった。その試合はホームで行えるアドバンテージがあり、スタジアムは満員の観客で熱気に満ちていた。ホームチームを応援する歌声が鳴り響き、選手の名前を呼ぶ掛け声も随所に聞こえていた。そうした盛り上がった雰囲気の中でピッチに立った時には鳥肌が立ち、いざ試合が始まると、緊張は全くなくて普段通りのプレーで試合に入ることができた。それが功を奏してか、自分の動き出しを囮に使うことによって、先ほどまで一緒に練習していた彼がフリーで抜け出し、キーパーと1対1となって見事に先制点を決めた。ゴールを決めた彼は左側のコーナーフラッグの方へ駆け寄っていき、得点を決めたアピールをした。そんな彼に駆け寄っていって、彼のゴールを祝福した。彼の先制点をきっかけにして、チームは一気に波に乗り、追加点を速やかに奪うことに成功した。それを受けてチームはさらに勢い付き、この試合はきっと勝利を得ることができるだろうと確信した。そのような夢を見ていた。


毎日こうして多種多様な夢を見ることの不思議さ。もちろん自分の夢には何か規則性のようなものがあることを感じているが、その規則性から生み出される夢は毎回新しい。夢の観察を通じて深層的な心の治癒が実現しているような気配も最近増して来ている。夢の表情が幾分変わって来ているのである。唯識学の探究を通じて自らの心を見つめる機会が以前よりも増えており、その観察はほぼ自動的にありとあらゆる時間に行っているようにも思える。意識的な観察だけではなく、ふとした時には心を観察していたということも絶えず起こっており、観心が良き習慣になっている。それが夢の世界にも着実に良き影響を与えているかのようなのだ。ここからも観察行を続けていくことによって夢の世界がどのように変化していくのかを観察したいと思う。夢の世界もまた心の世界なのであり、常日頃の観心が必ずや影響を与え、深層的な治癒と発達を促すことになるだろう。フローニンゲン:2024/8/7(水)06:40


13094. 今朝方の夢の続き     


時刻は間もなく午前7時を迎える。遠くの空はほのかに朝焼けで色づいているが、空の大部分は雲で覆われている。幾分雨雲のようなものが見え始めたので、もうしばらくしたら雨が降り始めるかもしれない。天気予報では午前中の時間帯に雷を伴う雨が降るとされているので、後ほどやって来る雨が地上の熱を冷ましてくれるだろう。フローニンゲンの夏の朝と夜は元々気温が下がるのだが、時折やってくる通り雨が地上の熱を覚ます役割を担っているようだ。晴れの恵みにも、雨の恵みにも感謝しよう。


雨の訪れを感じながら、今朝方の夢の続きについて振り返っていた。夢の中で私は、実際に通っていた中学校の屋外のバスケコートにいた。その日は土曜日で生徒は誰もおらず、1人でそこでバスケの練習をしようと思った。しかし自分はもう学校を卒業していて、最近は学校は在校生しか中に入れないような決まりを作っていたので、卒業生であっても学校の敷地内に入っていることが発覚すると怒られてしまう可能性があった。とは言え、休日には先生も学校に来ていないのでバレることはないだろうと思った。しばらく1人でシュート練習をしていると、休日であるにもかかわらず当時お世話になっていた数学の女性の先生が校舎に現れ、バスケコートの方にゆっくりと歩いてきて自分に声を掛けた。私はてっきり怒られて学校から出て行かなければならないかと思ったが、先生は怒ることは一切なく、単に自分に挨拶をしに来てくれたようだった。むしろ引き続き練習に取り組むように励ましてもらった。それを受けて一安心し、そこからも1人で練習を続けていると、当時のバスケ部のメンバーが続々と学校に姿を現した。同学年のメンバーだけではなく、1学年下の後輩も何人もやって来たので、紅白戦をやろうということになった。その前にふと後輩たちの方を眺めると、1人だけ変わった存在の人物がいた。いやその人物を人とみなしていいのかわからず、人の姿をしてはいるが、どう見てもモンスターのオーラを放っていた。形は人間だが顔や体つきなどはモンスターのそれであり、その存在もバスケをしたいと思っているのだろうか気になった。またそもそもそれがバスケができるのか定かではなく、コミュニケーションを言葉で図ろうとしても、それは言葉を話せないようだった。なので試しにその存在にパスを出してみようと思い、彼にして欲しい動きを自分の頭の中でイメージしたら、なんとそれがその存在に見事に伝わり、それはゴールに向かって勢い良く走り出し、それを見て私はリングに向かってふわりとしたパスを出したところ、それは見事にアリウープダンクを決めた。それを見てその場にいた全員は驚いた。そのプレーを見て私は、その存在は人間の言葉は話せないかもしれないが、脳内でイメージしたことをキャッチし、バスケを一緒にできそうだと判断したので、そのモンスターを加えて紅白戦をすることにした。自分も他のメンバー達もその存在がモンスターであることは特段気にしておらず、むしろスーパープレーのできる存在として一緒にバスケをすることを楽しみにしているような気持ちに満ちていた。そのような夢を見ていたのを思い出す。


自分が脳内で思い描いたことをキャッチし、言葉ではなく脳内イメージでコミュニケーションする夢の中のモンスター。それは何を象徴しているのだろうか。それは自分の心の中に住む超人間的な存在なのだろうか。そのモンスターには攻撃性はなく、ただ超人的な能力が備わっていただけである。しかし人間の特徴でもある言葉は一切話せず、言葉を超えた特殊なコミュニケーション能力が備わっていたことが印象的である。きっと自分の中にその存在が持っていた能力が潜在的に眠っており、今少しずつそれが開花しているような気がする。フローニンゲン:2024/8/7(水)07:07


13095. 理(ことわり)/煩悩や分別へ囚われないこと        


時刻は間もなく午前9時半を迎えようとしている。天気予報の通り、先ほど小雨が降った。しかし雷は伴うことなく、雨脚も非常に弱いものだった。うっすらとした雲が空を覆っていて、またどこかのタイミングで雨が降って来そうだが、今のところはとても静かな朝の世界が広がっている。


理(ことわり)。私たちが分かることができるのはあくまでも事物のある側面だけであって、事物を貫いている道理そのものではない。事物の道理はもはや頷かれることでしか把握することはできず、私たちが何かを分かったと思っても、その背後には絶えず分からぬ道理が存在しているのである。分かるというのは分けることであり、そもそも真理は分けることなどできないものなのだ。道理は部分に分割できない全体性なのである。分かることに関する謙虚さは、事物を貫く道理への認識から生まれるのだろう。ここで述べている認識というのも、了別を離れた頷かれる形で把握されるものである。語られるものは全て事物に関する事柄なのであって、事物を貫いている道理、すなわち真理そのものではない。真理は常に言葉を離れているという離言性を持っている。その点を肝に銘じておきたい。それを肝に銘じながら、いかに真理に頷く体験を豊かにしていくか。ここからの実践の方向性はそこにある。


確かに悟りの智慧は究極的には煩悩を伏するだけではなく、煩悩の根幹の種子を断じていくものだが、それに加えて重要なことは、起きてしまった煩悩に囚われないようにすることかと思う。煩悩を実体化せず、そこに固着させないことが悟りの智慧の大切な価値である。煩悩を完全に無くそうとすることもまた迷いの現れなのだ。重要なことは煩悩に縛られないことにある。解脱とは、煩悩の束縛から脱却することなのである。煩悩に加えて私たちは分別にも囚われている。分別は了別とも言い換えられ、それは人間の認識作用の根幹にあるものだから、分別を無くそうとすることもまた迷いの現れである。分別を無くそうとするのではなく、智慧と慈悲を通じた成熟した分別を働かせていくのだ。そして分別の対象や分別の結果として現れるものに対して固着せず、それに囚われない在り方が悟りの体現者のそれだと言えるだろう。フローニンゲン:2024/8/7(水)09:33


Today’s Letter

Truth is indescribable by words. It is as it is, and it is suchness. We know the truth just by nodding instead of grasping it with words. Truth is beyond words, yet palpable. Groningen, August 7, 2024

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