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【成人発達心遊記】13078-13081:2024年8月4日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13078. フレームワークの学習と手放し

13079. 今朝方の夢

13080. 諸行無常と日々の輝き/今朝方の夢の続き

13081. 新たなる冒険の日々/言葉と自己と世界


13078. フレームワークの学習と手放し 


時刻は午前6時を迎えた。今の気温は17度と大変涼しい。空はうっすらとした雲に覆われていて、朝日を拝むことはできない。どうやら今日は1日を通して曇りがちのようである。そのおかげもあってか、日中の最高気温は20度までしか上がらない。とても涼しい日になりそうである。今日はそのくらいの気温しかないので、おそらくずっと長袖長ズボンで過ごすことになるだろう。8月を迎えてもまだまだ涼しいフローニンゲンの気候に感謝である。


朝日は出ていないが、小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。彼らの鳴き声はいつも通り清澄で、耳に心地良い。彼らも朝の涼しい微風を浴びて喜んでいるのかもしれない。その喜びの鳴き声が響いている。


昨日はゼミナールの第91回のクラスがあった。それを終えて、昨夜改めて考えていたことがある。対人支援の実際の現場で唯識学の枠組みを適用する際には、分析的な頭で支援に当たるのではなく、無分別智を働かせながら、唯識学の教えを無意識的に活用しているという在り方をどれだけ体現できるかが鍵を握るのではないかと思った。唯識学の枠組みを実際の現場で使おうと思えば思うほどに、その枠組みに囚われ、相手と遍計所執性的な関わり方をしてしまう恐れがある。重要なことは現場を離れている時にどれだけしっかりと唯識学の枠組みを学ぶかであり、実際の現場ではその枠組みを手放し、枠組みから解放されている在り方が深い関わり方を実現するのではないかと思う。枠組みへの執着は遍計所執性的な関わり方を醸成し、枠組みへの囚われから解放された在り方は円成実性的であり、円成実性的な関わり方を実現してくれるに違いない。少なくとも対人支援の現場で実際に相手と対峙している時には、脳内を枠組みで一杯にしてしまっていると分別智ばかりが働くことになる。そうすると相手は身構え、防衛的な心の在り方になってしまいかねない。とりわけ相手が自我への執着が強かったり、煩悩の心所を強く働かせている場合には、なおさらその点に注意しなければならないだろう。そうした人に対しては、とにかく防衛的な心の在り方を解放してもらえるように、こちらの分別心を手放して、無分別心の在り方で関わっていくことが重要になる。唯識学は対人支援に有効なフレームワークで満ちているが、それらは実際の現場に入る前の段階でしっかりと学び、実際の現場ではむしろそれらを手放しておくという在り方が重要なのではないだろうか。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2024/8/4(日)06:35


13079. 今朝方の夢    


空には雲が多いが、早朝の空に朝焼けが見え始めている。うっすらとしたオレンジ色に輝く朝焼けを眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。


今朝方は夢の中で、地元の海岸沿いを散歩している場面があった。実際に通っていた小学校から社宅の方向に向かって海沿いを歩いていると、砂浜を侵食するほどに高い波が連続して何度もやって来ている姿が見えた。それはかなりの高波だったので危ないように思えたが、砂浜には海水浴を楽しむ人が多くいて、高波がやって来るのをむしろ楽しんでいるようだった。さらには海にはサーファーの姿もかなり多く見られ、彼らはここぞとばかりに高波に乗るのを楽しんでいた。そうした人の姿をたくさん見かけたので、私も砂浜沿いを歩いていくことにした。しかしすぐさま高波がやって来て、靴が濡れてしまった。そこからはさらに高い波がやって来て、波にさらわれてしまうことを危惧し、再び海岸沿いの方に上がって行った。そこからしばらく海の様子を眺めながら歩いていると、小中高時代の親友(HO)と出会った。そう言えば彼とこれから大事な任務を遂行することになっていたことを思い出した。どんな任務かというと、核エネルギーの結晶体をある軍事施設に届けるというものである。その核エネルギーの結晶体は、海岸沿いの飛行場に保管されていた。今から彼とそれを取りに行き、軍事施設に安全にそれを運ぶことが任務として課せられていた。彼は飛行場のどこにそれが保管されているのかを知っているようだったので、彼の案内に従って行動することにした。実際に飛行場に到着すると、今から飛行訓練に向かっていく戦闘機が数台ほど準備をしていて、空に飛び立とうとしていた。それらの戦闘機が無事に空に舞い上がって行ったのを確認した後に、飛行場の中に侵入して核エネルギーの結晶体を探し始めた。しかし、彼が述べていた場所にはそれはなく、一体どこに保管されているのだろうかと少し困惑した。本来はそれが保管されている予定だった机の引き出しの中には、小さな空き箱だけがあり、本当はそこにそれが保管されているはずだったのだと思った。さてこれからどうしようかと考えていたところで夢の場面が変わった。この夢で主題となっていた核エネルギーの結晶体は、果たしてどのような用途で用いられる予定だったのかは分からない。軍事施設に届けるはずだったところから考えると、軍事利用を意図されていたのだろうか。しかし結局核エネルギーの結晶体が見つからなかったことは何を暗示しているのだろうか。それが見つからなかった時、落胆と共に安堵の気持ちがあったことを覚えている。フローニンゲン:2024/8/4(日)06:48


13080. 諸行無常と日々の輝き/今朝方の夢の続き  


時刻は午前7時半を迎えた。早朝に空を覆っていた雲が晴れ、今は青空が広がっている。青空を照らすかのように朝日が輝いている。早朝の天気予報では今日は曇りがちだったはずなのだが、それが嬉しい方向に外れ、朝日の温もりと輝きの恩恵を受けている。こうした平穏な日々がいつまでも続いて欲しいと願う一方で、自分の人生もまた諸行無常の真理に貫かれていることを思う。それを思って悲壮的になることはないが、どこかしみじみとした感情が静かに湧いてくる。むしろ人生の諸行無常性に自覚的であればあるほどに、日々が輝くのかもしれない。自分の人生の日々がこうして毎日明るく平穏なのは、きっと諸行無常への自覚があるからだろう。おそらくこの自覚はこれからさらに増して来るに違いない。それが歳を重ねていくことなのだろう。有意義に歳を重ねるというのはきっと、諸行無常へ目が開かれていくことなのであり、それを通じて日々が若かりし頃以上に輝くことなのだ。少なくとも自分の人生はそのようにして進行し、日々静かに深まりを見せている。


遠くから聞こえてくる鳩の鳴き声に耳を傾けていると、今朝方の夢の続きを思い出した。まず覚えているのは、かつて協働していた組織で働いているある女性社員の方と話をしていたことである。どういうわけかその方と話をしていたのは、実際に通っていた小学校だった。誰もいない教室で海が見る窓際に腰掛けて、2人で話をしていた。その方は若くして結婚し、最近2人目の子供が生まれたとのことだった。家庭と仕事の両立で少し悩んでいることがあるらしく、その悩みを聞いていた。しばらく話を聞いていると、その方は何かスッとしたようで、表情がパッと明るくなった。それを受けて悩み相談を終わりにしようと思った。一度席を立ってトイレに行って用を足し始めると、後ろから誰かがやって来る気配がした。すると後ろからやって来たのは、高校時代の小柄な野球部の友人だった。彼とは小学校が違うはずなのだが、どういうわけか彼がその場に現れ、彼も用を足しにトイレに現れたのである。そこで私は彼と少し立ち話をした。彼はとても性格が優しく、話をしていて不快になることは決してなかったのだが、その時の自分は1人になりたいという思いがあって、話を早々と切り上げてトイレの外の廊下で中庭を眺めながら考え事をしようと思った。砂浜に寄せては返す波音が後者の後ろから聞こえてきて、そのリズムに合わせて考えが色々と生まれ、ゆっくりと整理されていった。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/8/4(日)07:42


13081. 新たなる冒険の日々/言葉と自己と世界


日曜日の朝の世界はとても穏やかで、落ち着きに満ち溢れている。天気予報の通り、涼しげな空気が充満し、大変過ごしやすい。そんな中、新たな冒険に出かける気持ちで唯識学に関する書物を紐解く楽しみを味わっている。日々こうした気持ちで唯識学の探究に従事できることを改めて嬉しく思う。心の世界の探究に終わりはなく、その冒険は果てしなく続く。

ふと顔を上げて外の木々を眺めてみると、まだ夏の時期であるにもかかわらず、葉が枯れて地面に落ちているものがあることに気づいた。季節はどうやら着実に秋に向かって動いており、木々は諸行無常を体現して常に変化を続けている。木々の葉が枯れて落ちるかのように、自分もまた諸行無常の理に従って変化を続けているのだろう。


昨日、ゼミナールの受講生のある方が先日ニュージーランドでコーラスの大会に出場した話を共有してくださった。翌日の今朝方にゼミナールの投稿欄に大会の動画をシェアしてくださり、それを早速拝見した。演目の映像を通じて、見事な合唱に大変感銘を受けた。そこには、日本人の魂の故郷を思い出させてくれるかのような素晴らしい合唱が広がっていた。自らの阿頼耶識に蓄えられ、世代を超えて相続され続けてきた種子が刺激され、覚醒されるかのような感覚があった。自分の起源を立ち止まって考えさせてくれるような力を持った演目であった。


そこから今度は言葉との向かい方についてふと考えていた。言葉を大切にすることと言葉を実体化せずに手放していくことの塩梅。まさに中道的なその在り方が言葉の価値を享受しながらにして、言葉への囚われに陥らない形で言葉と付き合っていく要諦かと思う。毎週末のゼミナールのクラスの場は唯識学の言葉を積極的に活用する練習場のような位置付けにしており、意識的に唯識学の言葉を活用するものの、実際の対人支援や生身の人との交流の場ではできるだけ唯識学の言葉を手放し、全体として中道的な距離感を言葉に対して持てるように努めている。言葉の本質の探究、言葉と自己と世界との関係性の探究、そして言葉との付き合い方に関する探究はこれからも続いていくだろう。フローニンゲン:2024/8/4(日)10:40


Today’s Letter

A golden wind is blowing through the world. It comes from nowhere and everywhere, and it goes nowhere and everywhere. This is how the world begins to shine. Groningen, August 4, 2024

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