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【成人発達心遊記】13073-13077:2024年8月3日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13073. 今日のゼミナールのクラスに向けて

13074. 今朝方の夢

13075. 溢れる気力

13076. 運動する心/求道心/深層的な問題解決

13077. 第91回目のゼミナールのクラスを終えて


13073. 今日のゼミナールのクラスに向けて  


時刻は午前5時半を迎えた。今朝方の起床は午前5時だったのだが、その時は辺りが暗かった。今もまだ暗さが残っており、日の出までもうしばらく時間がかかりそうである。8月に入ったばかりだが、日の出の時間が随分と遅くなっていることからも、季節が着実に秋に向かっていることがわかる。今の気温は16度と大変涼しく、換気のために2階の両側の窓を開けている。冷たい空気が静かに流れてくる。今日も少なくとも午前中までは長袖長ズボンで過ごすことになりそうだ。昨日は午後になってようやく上は半袖になることができたが、半ズボンで過ごすには寒いほどだった。おそらく今日も午後にはなんとか半袖になれるかもしれないが、半ズボンでは肌寒いだろう。日中の最高気温は22度までしか上がらない予報が出ているし、雷を伴う雨が降る可能性も示唆されている。ここからの1週間は、来週の月曜日と火曜日に25度を超えるだけで、あとは軒並み20度前半の大変過ごしやしい日々になるようだ。8月もこの調子で涼しく過ごしやすい形で進行して欲しいと思う。


今日は午後1時から第91回のゼミナールのクラスがある。気づけばゼミナールも90回を超えていて、100回まであと少しである。このゼミナールがここまで続いてきたことに深く感謝の念を持ち、これからも感謝の念を用いながら心の治癒と発達について学び、その実現に向けた実践を行うコミュニティとしてのこのゼミナールの運営を継続していきたい。受講生の方々との交流から学ばせてもらうことは多大なものがあり、これからも相互発達的な学びと実践を継続させていきたいと思う。


今日のクラスでは、クラスの開始の前にZoomの“AI Companion”のミーティングのサマリー機能をオンにしておき、ミーティングが終わった後に、AIに今日のクラスの内容をまとめてもらうことを試してみる。以前に自動的にサマリーをAIから受け取ったのだが、そのサマリーの内容がなかなか面白いものだったので、今日からは毎回のクラスでこの機能を活用してみようと思う。AIがこうして学習のアシスタントになる時代がとうとうやって来たという思いを持つ。今後はさらにAIの機能が進化し、AIとも相互作用しながら学習が加速される時代になるに違いないという確信がある。これからも絶えず新たなテクノロジーを積極的に活用してみるという実験精神を忘れず、意義がある学びを実現させていきたい。フローニンゲン:2024/8/3(土)05:50


13074. 今朝方の夢     


時刻は午前6時を迎えようとしており、遠くの空がうっすらと赤紫に色づき始めている。今日は少し雲が多い印象なので、朝日がどれだけ照るかはわからないが、日の出は間も無くである。それを察してか、今数羽の小鳥たちと鳩が鳴き声を上げている。彼らの鳴き声は平穏極まりなく、朝の静謐さを深めてくれている。そんな中で、今朝方の夢についていつものように振り返っていた。


夢の中で私は、見覚えのある学校のプールで水泳大会に出場していた。その水泳大会はオリンピックのような盛り上がりを見せており、プールサイドやプールの外にたくさんの観客がいた。観客の多くは学校の生徒だったが、プールの外には学校の近くに住んでいる住人が観戦に来ていた。私は水泳が得意だったこともあり、大会が結果を残したのだが、大会の最中には高校時代の2人の友人から泳ぎ方に関して色々とフィードバックをもらっていた。最初こそ泳ぎ方に関するフィードバックをもらっていたのだが、途中からは自分の能力全般に関するフィードバックをもらうことになった。2人のうちテニス部に在籍していた片方の友人が私の能力の偏りについて指摘した。それに対してもう片方のサッカー部に所属していた友人は能力の偏りについて擁護する発言をした。私は後者の彼の意見に賛成であり、能力は決して平均化してはならず、誰しも能力の偏りがあるのだし、偏りがあるからこそ個性でもあるため、偏りを大切にしながら自分の突出した能力をさらに伸ばしていくことにした。すると気が付けば、学校の入り口にいて、新入生として東欧出身の30歳ぐらいの女性が職員室に入っていく姿を見かけた。どうやら彼女は数学者のようで、天才的な業績をすでに残しているらしかった。そんな彼女がなぜ再び学校に入学しようとしているのかは定かではなかった。聞くところによると、これから彼女はある有名な研究所で働くことになっているとのことだったが、そのための最後の準備としてもう一度学校で学び直すことにしたのだろうかと思った。いずれにせよ、どこかの機会に一度彼女に話し掛けてみて、数学のことや研究のことについて話を伺ってみようと思った。フローニンゲン:2024/8/3(土)06:06


13075. 溢れる気力        


今日もまたいつものように英語の発話能力の鍛錬を頭の準備運動として行う。それは時間としてはあまり長くないが、脳を活性化させるには十分な実践である。現在は再びもっぱら唯識学の探究にほぼ全ての時間を充てており、英語の発話能力の向上実践はそれに並行する形で継続している。この実践は細く長く継続することが重要であり、決してやめることなく日々小さく前進をしていきたいと思う。唯識学の探究においてはこれまでの探求領域と異なって、日本語の文献を読むことが多い。したがって1日の中で日本語に触れ、日本語脳を活性化させている時間が長いことになる。しかしそれ以外の時間は英語のポッドキャストを隙間時間に聴き、英語の映画やドラマなどを見ていることから、1日の中で英語に触れ、英語脳でいる時間も結構長くある。欧米の大学院に戻ることになったら、再び英語脳での活動時間が長くなるであろうから、それまでは今の時間配分で思うままに唯識学の探究を進めていこうと思う。


昨日また1冊ほど唯識学の文献に対する解説音声の作成を終えたので、今日からはまた新しく『安田理深 唯識論講義(上)』という書籍を取り上げて、1つ1つの項目に対して解説の音声ファイルを作成していこうと思う。ゼミナールが始まる時間まで、とりわけ午前中の時間は全てこの書籍の再読と解説音声の作成に充てたいと思う。この取り組みもまた自利利他の活動であり、それが自分に力を与えてくれる。そして、智慧と慈悲を深めることにも貢献してくれている。日々の歩みがどれだけ小さなものであったとしても、それは阿頼耶識に種子として薫習されていき、良縁を間接原因としていつか良き結果をもたらすであろう。どのような良き結果をもたらすのかは未知であるが、実る果実を楽しみにしつつ、薫習過程を常に楽しみながら日々の学びと実践に従事していこうと改めて思う次第だ。今日もまた気力に満ち満ちている。フローニンゲン:2024/8/3(土)06:29


13076. 運動する心/求道心/深層的な問題解決  


時刻は午前11時を迎えた。朝の時間帯はとても穏やかで、気が付けばこの時間を迎えていたという形である。早朝からここまで唯識学の探究に没頭していた。その没頭が時間の経過を忘れさせてくれていた。


精神は運動する。心は運動する。その運動過程の中で私たちの精神は、心は磨かれて発達していく。心の運動は内在的な自己批判の精神と諸縁によって成り立つ。いずれにせよ心は、自らの運動を通じて健全なる自己批判を通じて自己教育していく形で発達していくのである。健全なる自己批判は精神の根幹である。その根幹を損なうことなく、自らの精神を活性化させる形で、絶え間ない健全な自己批判を通じた自己変革を実現させていきたいものである。


求道心を大切にすること。求道とは道を求め、道を見出し、道に安住し、その過程で得られた事柄を伝えていくことである。自分は求道者としてその役割を全うしていこうと思う。唯識の教えに照らされた自分なりの道を歩みながら、そこで得られた智慧と慈悲を絶えずこの世界に共有していく。もはや自分は自らの道に迷うことはないだろう。そこには確固たる信解がある。


自己が抱える問題について。私たちは自らの問題を解決しようとするのではなく、問題を生み出している自己を深めることを優先させていくべきである。結局のところ、自己から生まれた問題は小手先の問題解決手段によって完全に解決されないのだ。小手先での問題解決は常に不完全なものであり、不完全さをもたらす。重要なことは、自己の涵養を通じて、問題が自然と解決されていくことを導くことである。真の問題解決の要諦はそれである。問題を生み出している自己を変革させていくことを通じて、これまでの問題が問題でないようにしていくことが根底からの問題解決である。自己の問題解決に躍起になるのではなく、地道に自己を深めていくことが巡り巡って最短の問題解決となる。フローニンゲン:2024/8/3(土)11:21


13077. 第91回目のゼミナールのクラスを終えて


時刻は午後2時半を迎えた。空はうっすらと曇っていて、少しばかり風がある。今の気温は25度と暖かく、先ほど半袖半ズボンに着替えた。


つい今しがた第91回目のゼミナールのクラスを終えた。今日のクラスも心の成長の実現において非常に重要なことが話題として上がっていたように思う。うまく成果が出せていない人や成長に陰りのある人の特徴として、強固な自我執着心があり、それに付随する形で煩悩の心所が放置され、暴れているような傾向があるかと思う。逆にうまく成果を出せている人や継続的に成長している人は、自我への執着を緩めながら、煩悩の心所を上回る形で善の心所を働かせている傾向があるのではないかと思う。またそもそもそうしたことができるのは、その人が第六識を内省的に働かせ、善法欲や善の方向での分別をうまく働かせながら人と協働し、物事に取り組んでいるからなのではないかと思う。それではうまくいっていない人や成長が鈍化している人にはどのようにアプローチしていけばいいのかという話題が出た。そうした方へのアプローチとしてはまず、私たちがその人に対して偏見的なジャッジをしていないかどうか、すなわちこちら側が遍計所執性に囚われた観点でその人を見ていないかを確認する必要があるだろう。そして仮にその人が何か特定の煩悩に囚われていることが明らかになったとしても、その煩悩に直接関与するというよりも、煩悩の背後に必ずあるであろう恐れを見抜き、恐れを解放してあげるという無畏施を施すことが有益かと思う。同時に、その煩悩や恐れに関する叡智を共有するという法施も非常に重要なアプローチかと思う。いずれにせよ、煩悩を直接触りにいくというのは腫れ物を触ってさらにその腫れ物を大きくしてしまうことにも繋がりかねないので、直接的に煩悩に関与するのではなく、煩悩の深層にある恐れをその人が自然な形で乗り越えたり、恐れを傍に置けるような関わり方をするのが重要ではないかと思う。


また、ある受講生の方がこれまであまり積極的に触れてこなかった井筒俊彦先生の仕事に触れ、唯識学をこれまで学んできた視点で井筒先生の書物を読んでみると、目を見開かされるものがあったというシェアも印象に残っている。自分もこうして唯識学と出会い、唯識学の観点で他の分野の書物に触れていると、これまでにはなかった発見や意味解釈が得られることが頻発している。それは書物に対してだけではなく、映像作品に対しても同じであり、心について広く深く探究した唯識学を学ぶ思わぬ効能を実感する次第である。フローニンゲン:2024/8/3(土)14:58


Today’s Letter

I need time for my beliefs to mature. All I can do is wait. For something to ripen, it requires sufficient time. Groningen, August 3, 2024

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