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タイトル一覧
13042. 第90回のゼミナールのクラスに向けて
13043. 今朝方の夢
13044. 今朝方の夢の続き
13045. 三性論/真理の曇ったこの世界で
13046. 第90回のゼミナールのクラスを終えて
13042. 第90回のゼミナールのクラスに向けて
時刻は午前7時を迎えた。今、朝日が燦然と地上に降り注いでいて、キッチン側の木々からは小鳥たちの囀りが聞こえてくる。今日はコマドリではなく、どうやら別の種類が鳴き声を上げているようだ。今の気温は13度と肌寒いが、朝日が姿を見せているおかげか寒さはそれほどではない。とは言え、半袖半ズボンだと寒いので長袖長ズボンを着用して過ごしている。今日の日中の最高気温は23度まで上昇するようなので、程よい暖かさを感じられるだろう。今日もまた穏やかな土曜日になりそうである。朝の平穏さを感じつつ、今日の午後から行われる第90回のゼミナールのクラスについて考えていた。唯識学を扱う第一弾となる今回のゼミナールもクラスの回数は残り数回となった。8月末に第一弾の講座は終了し、引き続き唯識学を扱う第二弾の講座を開催する予定である。今回の第一弾を通じて、唯識学の最重要テキストの1つである『唯識三十頌』についての理解を受講生の方々と随分と深められたと思うが、1回扱うだけでその内容を咀嚼するのは至難の業かと思う。なので第二弾もまた別の解説書を用いて『唯識三十頌』を扱いたいと思う。著者によって説明の角度や説明の仕方が違うため、テキストを変えて同じ対象を学ぶことによって学びがさらに深まるだろう。『唯識三十頌』の理解を疎かにした状態で他のテキストに移ってしまうと学習効果が下がってしまいそうなので、引き続き『唯識三十頌』を扱い、違った角度からその理解を深めていく。今日のクラスにおいては三性論について扱う。ここは識論と同じく重要なものであり、次に待っている修行論と同じく、『唯識三十頌』の3本柱の1つなので、十分に理解を深めていきたい。理解を深める手助けとなる問いを事前に考えておこう。もちろんその問いをクラスの中で提供しなくてもいいが、万が一受講生の方から問いがあまり出てこない場合に備えておく。三性それぞれの意味内容、三性それぞれの繋がりについて、そして三性論を実践にどのように活かすのかという点についてクラスの中で議論をしたいと思う。今日のクラスを通じて開示される真理と発見を楽しみにしている。フローニンゲン:2024/7/27(土)07:23
13043. 今朝方の夢
涼しさと穏やかさで満ちた朝の世界に小鳥たちの囀りが響き渡っている。彼らの鳴き声に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っておきたい。
夢の中で私は、コミュニケーションの幅を広げるためにイタリア語を習い始めることにした。なぜ他の外国語ではなくイタリア語を選んだのかは定かではないが、イタリア人の男性の先生とマンツーマンでイタリア語の習得に励んでいた。これまですでに英語を学び、そしてオランダ語に触れてきた経験からか、さらにもう1つ言語を加えて学ぶことはそれほど大変ではなかった。むしろ知的な楽しさがあり、新たな言語を学ぶことを通じてまた新しい刺激が脳と心にもたらされていることに気づいた。新しい言語を学ぶことは脳を若返らせ、気持ちも若返らせる効能があると改めて実感した次第だ。先生から発音の基本について教えてもらい、その教えに従って単語を次々と発音していった。あるところで非常に難しい発音の単語といくつか出会い、それらを正しく発音するのに随分と苦しめられたが、先生の指導を受けながら何回もチャレンジしていると、いつの間にか正しい発音ができるようになっており、難所も自然とクリアしていくことができた。何事もそうであるが、難所と思われるのは最初のうちだけであって、創意工夫をしながらその難所に向き合っていると、いつの間にかその難所を乗り越え、難所が難所ではなくなっているのである。この夢はそのようなことを改めて教えてくれる内容だった。
その他に覚えている夢として、見慣れない空間の中でパソコンを持ち寄ってエクセルの表を眺めていたことである。実際にはエクセルの集計に奔走しており、エクセルの表の右端の列の項目の最終結果を報告することに集中していた。物がほとんど何もない広いフロアリングの空間には何人かの若い大人たちがいて、彼らも一様に座り込んでパソコンで作業をしていた。フロアリングの前の方の壁の前に中学校時代の数学の女性の先生が立っていて、私たちの集計結果を待っていた。私は集計結果をまとめることに苦戦しており、作業は難航していた。すると、隣にいた小中高時代の親友(HO)が助け舟を足してくれた。それでなんとか計算が楽になったが、自分の集計結果の報告を待っていると他の人の足を引っ張ることになりそうだと思ったので、先生に自分を待たずしてその先の作業に進んで欲しいと要望を出した。先生はそれを承諾してくれ、一安心したが、改めて自分はこうした単調な作業かつ細かさが要求されるものを苦手にしていると思った。そして、こうした作業は得意な人に任せ、自分が得意なことに集中した方がチームとして望ましい結果になると思ったのである。なぜ日本ではこうもそれぞれの人の個性に注目せず、苦手なことを強制させ、本当に得意なことに特化させないのかが不思議でならなかった。それは人的リソースの無駄遣いであるだけではなく、その人の潜在可能性を潰すことにも繋がりかねないのである。むしろ実際には人の才能や可能性を潰すことが自然と行われているのが日本という国における教育現場や企業の場の実情であろう。それぞれが各自の才能を活かし、そしてお互いが助け合うような社会が実現されてほしい。それを切に願いながら苦手なエクセルの計算を続けている自分がいた。フローニンゲン:2024/7/27(土)07:57
13044. 今朝方の夢の続き
先ほど振り返っていた夢が示唆することについて改めて考えていた。人がそれぞれの固有の輝きを放ち、お互いに助け合う形で円満に運営される社会の到来。そうした社会が日本にも早く訪れて欲しいという願いは切なるものである。日本社会で生きていく中で経験したいくつも辛く、苦しい体験の記憶が脳裏をよぎる。自分だけがそうした地獄社会から脱出して良しとするのではなく、地獄を浄土と化していく試みに一刻も早く具体的に取り組んでいなければならない。そのような気持ちを新たにする。
今朝方の夢の続きとしては、もう1つ自分が好まないことを無理にしないようにする場面があった。夢の中で私は、大学のゼミのメンバーと一緒に花火大会に参加することになっていた。同期のゼミのメンバーたちとだけではなく、1つ上の学年の先輩たちを含めての花火大会への参加が予定されていた。それは名目的には花火大会への参加と言われているが、実際のところは花火など打ち上げられず、単に外で飲み会をするものだった。桜を見ながらの飲み会でもなんでもなく、単に屋外で一緒に飲み会をするという企画のようだった。最初私はそれに参加しようと思っていた。というのも、一応ゼミのメンバーはそれへの参加が義務付けられているからだった。しかし改めて自分のスケジュールを眺めると、翌日に重要な資格試験があり、仮に飲み会でお酒を飲まなかったとしても帰りが遅くなり、十分な睡眠が取れなくなる恐れがあった。またそもそも自分は表面上はそうした飲み会で盛り上げ役になったり、楽しんでいるかのような表情を見せるが、内心は多くの人数で集まることが好きではなかった。気の置けない数人の友人との飲み会ならまだしも、先輩を含めてゼミのメンバーが全員集まって飲み会をするというのは形式としても好ましいものではなかった。そうしたことを考慮して、自分はその飲み会へ不参加表明をすることにした。ゼミのメンバーも自分の性格や生活スタイルを知っていることもあり、自分の不参加表明を受け入れてくれたことは有り難かった。そのような場面があったのを覚えている。
この夢においても自分が望まないことを強制されることへの不快感と、望まないことはしないという自分の方針を改めて確認する。夢の中の自分も現実世界の自分もそれは一貫している。重要なことはとにかく自分の内側の心の声を聞くことであり、そしてその声に従って行動することだ。自分が望まないことであれば、断固としてそれを拒否し、自分の心が望むことだけに従事していく。それが幸福な人生の実現の基礎であり、その基礎がないところに幸福な人生の実現はあり得ない。単に他者や社会に迎合するだけの奴隷的人生が待っているだけである。そうしたことを改めて教えてくれる夢だった。フローニンゲン:2024/7/27(土)08:09
13045. 三性論/真理の曇ったこの世界で
穏やかな朝日が降り注ぐ朝の世界の中で、つい今し方今日のゼミナールのクラスに向けての予習を終えた。今日は三性論を扱っていく。迷いの根本にある遍計所執性について、計らいを行う心と計らわれた対象とを区別し、双方に気づきの光を当てていこう。計らわれたものは縁起によって生まれたものであるから、それを無に帰することはできない。確かに計らわれたものは実体を持つものではないが、縁起を通じて生じたことを直視し、なぜそれが計らわれたのかを考えていく。計らう側の心は第六識と第七識の末那識に二分される。深層意識としての末那識と向き合うことは容易ではないが、幸いにも私たちは第六識と向き合うことなら可能であり、第六識に影響されて末那識が働くことを考えてみた時に、実践の主眼は第六識に置いて良いことがわかる。ここ数日の中で計らう心がどのように立ち現れただろうか。そしてそれは何を対象にして計らいの心を働かせただろうか。そのようなことを静かに振り返る。夢の自分にもまた計らいの心があり、夢の中の自分が何に対して計らいの心を起こし、妄執したのかを考えてみよう。
円成実性を見ずしては依他起性は分からないという一説が『唯識三十頌』の中にある。端的には、真理を見ずしては本質的な縁起は分からないということである。さらに言えば、永遠なる真理に触れなければ、自己や諸存在の有限性、すなわち諸行無常性に気付けないということである。仏道修行においては、兎にも角にも心を清らかなものにしていくことが目指されるわけだが、自己の心の汚れを真に理解するためには、清浄なる真理に触れる必要がある。真理への接触とそれへの目覚めを促してくれるサイケデリクスの役割について改めて考えさせられる。サイケデリック実践もまた1つの瑜伽行に過ぎないが、それが果たす役割は極めて大きい。とりわけ真理の世界に私たちを飛び込ませてくれる力は多大なものがある。サイケデリクスの使用に関する教育と文化的な枠組みを醸成していくことに加え、おそらくこれからの私たちに必要なのは真理に関する教育と文化的な枠組みなのかもしれない。真理に関するそれらが欠落した状態で何を研究しようとも何を実践しようとも、それらは全て的を外した試みのように映る。有限性と染汚性の自覚をもたらす真理との接触体験を出発点にする必要性を強く感じる。現代社会の種々の乱れと暴走は、真理が蔑ろにされ、それと触れ合う機会がほぼ皆無になってしまっていることと関係しているのではないだろうか。少なくとも自分の眼にはそのように映る。真理が曇った社会で生きることはひどく息苦しい。そこには真の意味での深い優しさや美しさはなく、刺々しさと利己的な汚れで満ちている。そんな世界の変革に向けて、まずは心について深く学び、心を浄化させていく唯識学の教えを上手い形で宣揚していきたい。フローニンゲン:2024/7/27(土)09:29
13046. 第90回のゼミナールのクラスを終えて
時刻は午後3時半を迎えた。今、青空が上空に広がっていて、穏やかな陽の光が地上に降り注いでいる。夕方の涼しさを感じながら、先ほど終えた第90回のゼミナールの振り返りをしている。今日のクラスは少人数での実施となったが、その分実りのある対話が実現された。特にクラスの中で話題となった「ゲーミフィケーション」のテーマはとても興味深いものだった。クラスの対話を受けて、ゲーミフィケーションの要素を活用した唯識の学習を実現できないだろうかと考えている。唯識学は専門用語が多いので、キーワード解説をしたイラスト入りのカードを作ってそれを用いて対話学習を楽しむのは1つの方法かもしれない。学習システムの中で1つの用語について自分なりの具体例を説明したらその用語に関するオリジナルカードが入手できるなどのカード収集要素を導入してみたり、学習システムの中でコメントを交換するときに、入手したカードの用語を用いてある人にコメントを返したのであれば、そのカードを持っていない人もそのカードを得られたりするなどの協調要素もあると面白いかもしれない。その他にもZoomでクラス運営をする際に、これまであまり積極的に活用してこなかったホワイトボード機能やノート機能を使ってみてもいいかもしれない。特にノート機能を共有できるのであれば、クラスの事前にその回で取り上げるキーワードを準備しておき、それをノート機能を通じてシェアをし、キーワードを用いて対話をしやすくするように工夫を凝らしておきたい。その際には、単純に用語を列挙するだけではなく、簡単な定義も記載しておくと、用語を対話の中で活用しやすくなるだろう。チャット機能だと空間が小さく見づらい、ノート機能をうまく活用することを早速次回のクラスで試してみたい。自分だけがノート機能を活用するのではなく、クラスの中で話題となったトピックや概念などを受講生の方も積極的に書き留めてもらうことを推奨し、全員が貢献できるような仕組みを作りたいと思う。また、Zoomには“AI Companion”という機能もあり、それもうまく活用してみたいと思う。その中にあるサマリー機能は、ミーティングの内容の要約を自動的に作成してくれるらしく、ミーティング後に参加者にメールで共有共有されるそうだ。この機能もうまく活用する形で、より多様な学びの場を実現していきたいと思う。実験的に、今日のクラスの振り返り音声ファイルを今から作成する際に早速のサマリー機能を活用してみたいと思う。自分の学びやクラス運営の方法を絶えず脱構築するためにも、こうしたテクノロジーを積極的に活用し、より楽しく意味のある学びの場を作っていけたらと思う。フローニンゲン:2024/7/27(土)15:54
Today’s Letter
Having an insightful dream is a promising start to the day. Reflecting on its meaning gives my psyche vital energy. Every dream has the power to restore and replenish our being. Groningen, July 27, 2024
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