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【成人発達心遊記】13024-13028:2024年7月23日(火)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13024. 対処療法と問題の根本的解決

13025. 今朝方の夢

13026. 日々はいつも新しい/今朝方の夢の続き

13027. 新規性と脳の可塑性/穏やかさへの深い感謝の念

13028. 清々しい平穏な夏の日に


13024. 対処療法と問題の根本的解決 


時刻は午前6時を迎えた。早朝に起床した際には少し雨が降っていたが、今は雨は止み、遠くの空に朝焼けが見え始めた。朝焼けが見え始めてはいるが、空の大部分はうっすらとした雲に覆われている。今の気温は18度であり、換気のために2階の両側の窓を開けていると冷たい空気が流れてくる。今日からまたしばらくの間は涼しい日々が続く。今日に限って言えば、正午前後に雷を伴う雨が降るようだ。今日は午後から親友かつかかりつけの理髪師のメルヴィンの店に行く予定なので、それまでには雨が止んでほしいと思う。


どこか寂しげな鳴き声を上げている猫の声が聞こえたのでキッチン側の窓に向かい、窓の外を眺めてみると、背中が雨で濡れた黒猫が寂しげな鳴き声を上げながら倉庫の屋根の裏をゆっくりと歩いていた。その前には庭側では猫同士が喧嘩しているような鳴き声が聞こえてきていたので、もしかしたら喧嘩でやられてしまった猫なのかもしれない。猫同士にも争いがあるようで、また感情もあるようだから、先ほど見た猫はきっと心が傷ついていたのではないかと思う。猫同士の喧嘩や飼い主からの虐待など、猫を含めて他の動物もまた心が傷ついてしまうということを忘れてはならない。先日見かけたサイケデリック業界のニュースの中で、犬にMDMAを摂取させる研究成果が公表されていた。犬の育児放棄や虐待などによって心身にトラウマを負った犬をMDMAで治癒できるのかどうかを検証する研究のようだった。この研究の問題意識にあるように、動物もまたトラウマを負い、それを放置しておくと自らの心身が崩れてしまうことや他の動物へ危害を加えることにも繋がってしまう。その解決は重要な課題である。MDMAの摂取はある意味対処療法的なものに留まるかもしれないが、それでもトラウマ記憶にアクセスし、トラウマの周りの防壁や鎧を溶解させることを通じて根本的な治癒に繋がる場合もある。しかし本来の根本的な治癒は、それが人間による虐待などによる場合にはそれを解決することである。まさにアメリカでは、戦地に派遣された兵士たちが帰還後に発症させるPTSDの治癒にMDMAを活用したりしているが、それは決して根本的な解決手段ではなく、根本的な解決手段は戦争をやめることなどにある。そもそも戦争などなければ戦地など存在しないし、戦地に兵士を送る必要もないのである。ここでは何も対処療法の存在を貶めているわけではなく、それはそれで非常に重要なことであり、症状が少しでも和らぐのであればそれを積極的に活用することは認められるべきであろう。ただし、より重要なことは問題の根本的な解決をしていくことである。それには問題の構造を発見し、その解決案を考えるための智慧が必要となる。現在探究中の唯識学は、とりわけ心の問題に対する構造的な問題の特定と解決に向けた智慧を授けてくれるものだと改めて思う。フローニンゲン:2024/7/23(火) 06:20


13025. 今朝方の夢


2階の両側の窓を開けていると室温が随分と下がり、足元から冷え始めてきたのでもう少ししたら窓を閉めたいと思う。先ほどまで見えていた朝焼けは雲で覆われてしまい、もう朝日の姿を拝むことはできない。今日は曇りがちかつ正午前後に雷を伴う雨が降るので、気温も必然的に低くなる。


朝の涼しさを感じながら、いつものように夢について振り返っている。まず覚えているのは、戦争映画をまるでその情景を画面越しではなく、目の前で眺めているかのような場面があったことである。日本のとある山間の村から大人たちが徴兵され、彼らがまさに今から戦地に派遣されるところだった。取り残された子供たちの大半はとても寂しそうにしていたが、まだ物心が付かず、状況が飲み込めていないほどの小さな子供もいた。子供たちの親が戦地に派遣される時に、彼らはなんと全員が火だるまとなり、火だるまの行列が静かに山を下っていった。それを追いかけるようにして子供たちも全員が火だるまとなってしまい、彼らもまた行列をなして山を下っていった。大人たちは全員消失してしまい、どこかに消えた。子供たちも大半が消失してしまったが、焼き残った子供たちは手足がなかったりと悲惨な光景が目の前に広がっていた。そんな悲惨な光景が広がっていながらも、山の景色そのものは何も変わらずただただ美しいままだった。人間界における地獄絵図と自然界における天国絵図がまるで対比される形で併存しているような光景に絶句していた。そのような場面があった。


それ以外に覚えているのは、豪華客船の旅に出かけ、その中でのイベントしてクイズゲームに参加していたものだ。他の乗客と同じく、自分の気持ちは高揚しており、これからの船旅にワクワクしていた。そんな中、クイズゲームに参加し、そのゲームもまた他の客たちと一緒に楽しんでいた。しばらくゲームに興じていると、船が海の上を通り過ぎ、宇宙に向かって進行し始めた。それに伴って船の窓の景色が突然大きく変わり、まずは星空が手の届くところに見え始め、そこからさらに進んで宇宙空間に船が進行していった。他の乗客たちも息を呑むようにして窓の外の景色に目が釘付けのようだった。そのような夢を見ていた。


最初の夢はとても斬獄でありながら、人間界と自然界がそもそも別の時空間を持っていることが知覚されたのが印象的である。動物には動物固有の時空間があり、人間には人間固有の時空間があることはすでに知られているが、改めて人間界と自然界とが共存状態からかけ離れ、人間界の異常性が立ち現れた時、思わず絶句してしまう体験をその夢の中でしていた。現実世界において、人間界が異常な方向に着実に向かっているように感じられる問題意識を反映したかのような夢だった。フローニンゲン:2024/7/23(火)06:41


13026. 日々はいつも新しい/今朝方の夢の続き     


日々はいつも新しい。その新しさに心打たれ、至福さに浸っている自己がいる。自らの幸福の源泉は毎日の新しさにある。日々の生活の中に絶えず新しさを見出すことができるのは、きっと自分の心が毎日生まれ変わっているからなのだろう。自らが新たな存在となるがゆえに、知覚される世界が新しく感じられるのである。世界が新しく変わったのではない。自己が新しく変わったから世界から新しさを汲み取れるのだ。これは唯識学の教えとも合致する。外的世界は実体として存在するのではなく、それは私たちの心と触れた瞬間に心の中の現象となる。外的世界もまた心的現象なのである。私たちは絶えず心的現象世界の中に生きていて、心が生き生きと新たに生まれ変わっていけば、自ずから新しさを汲み取ることができ、感じることができるのだと思う。心的現象世界もまた諸行無常の原理に貫かれているが、それは決して悲観的なことではなく、絶えず変化するがゆえに新たな景色を私たちに見せてくれる肯定的な側面もある。心的現象世界の新しさは夢の世界においても見受けられる。日々夢について振り返っていると、一度たりとも同じ夢を見ないことに気づく。心は表層心理から深層心理まで河のように絶えず流れているものなのだ。


絶えず新しさのある夢の世界。新規性に満ちた夢の振り返りは脳を刺激し、想像性や創造性を育んでくれる。今後も絶えず新たな心の世界を開示してくれる夢を大切にしながら、たった一度の夢との出会いに感謝して、その内容を振り返っていきたいと思う。そのような誓いを立てたところで、今朝方の夢の続きを思い出した。


夢の中で私は東京駅にいた。駅の構内で今から乗車しようと思っている列車がやって来るプラットホームに向かおうとしていた。東京駅はいつものように大量の人でごった返しており、これだけ人が行き交う駅は世界的に見ても稀なのではないかと思う。それは稀であり、かつ異常なのだと改めて思う自分がいた。そんな中、数人の外国人観光客が少し困ったような表情をしているのを見かけたので声を掛けてみた。すると、自分たちが乗車する列車がどの番号のプラットホームにやって来るかわからないで困っているとのことだった。スマホの地図に一応小さくプラットホームの番号が示されていたが、それを見落としているようだったので、彼らが向かうべきプラットホームの番号を口頭で教えてあげた。その際に、東京駅の複雑さは東京に住んでいる人にとっても厄介だということを彼らに伝えると、彼らは笑みを浮かべた。迷ってしまうのは彼らに責任があるのではなく、日本人でも迷うものだと伝えると、彼らは安心したような表情で笑顔を浮かべたのである。彼らは私にお礼を述べ、その場を去っていった。彼の姿が見えなくなるまで彼らを見守ることにし、姿が見えなくなったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/7/23(火) 07:18


13027. 新規性と脳の可塑性/穏やかさへの深い感謝の念     


時刻は午前10時半を迎えようとしている。今日は早朝から大変涼しく、非常に快適である。空はうっすらと曇っていて、雲のおかげで気温が低く抑えられ、体感温度も涼しく感じられる。正午前後に雷を伴う雨が降るとのことで、それが早々と過ぎ去ってくれるのを祈りながら午後の街の中心部に出かけて行こうと思う。


早朝の日記で書き留めたように、絶えず新たな気持ちを持って日々を生きている自分がいる。それは脳の可塑性をさらに強めることに繋がっており、学習においては理解と記憶を促進しているように思う。とりわけ記憶の保持に新規性を感じることは一役買っていることを実感する。午前中はここまでのところ、良遍の『観心覚夢鈔』の解説音声ファイルを次々と作成していたのだが、人に説明することを前提にしてテキストを眺めると、それが新たな眼差しとなって得られることがまた新しくなっていく現象が起きている。絶えず新たな気持ちで唯識学についての説明をしていくことを心掛けながら、絶えず新たな学びを得ていこうと思う次第だ。


何とも言えない朝の穏やかさ。それを無理に形容する必要はなく、ただそれを深く味わっていけばいいという感覚がある。それは一見すると何気ない穏やかさかもしれないが、それ以上に心に滋養を与えてくれるものはないように思う。平日の火曜日のこの穏やかさ。フローニンゲンという町は平日も休日も絶えず平穏さに包まれている。こうした町で粛々と自分の取り組みに打ち込めることに改めて深く感謝する。今日もここから引き続き、その感謝の念を持って少しずつ自分の取り組みを前に進めていきたいと思う。フローニンゲン:2024/7/23(火)10:36


13028. 清々しい平穏な夏の日に 


 時刻は午後3時半を迎えた。先ほど散髪と買い物から帰ってきた。今日は結局早朝の天気予報が良い方向に外れる形で、一切雨が降ることはなかった。雷がやって来るような気配もなく、とても穏やかに午後の時間が過ぎていった。散髪の行き道はとても清々しく、風が爽やかであった。ちょうど昨日は筋力トレーニングをしたこともあり、メルヴィンの店までの片道20分ほどの散歩はとても良い運動になった。火曜日は中央市場が開催されている日でもあるので、市場はとても賑わっていた。逆にこの時期は大学が夏休みに入っていることもあり、フローニンゲン大学のメインキャパスにいる人たちは少なかった。町全体が平日とは思えないような穏やかさに包まれており、夏休みの様相を呈している。至福さを感じながらメルヴィンの店に早めに到着すると、メルヴィンはまだ1人前の客の髪を切っていた。待っている間にお茶を淹れてもらい、本棚にあったオックスフォード大学出版の夢に関する書籍を手に取ってパラパラと眺めていた。前の客の髪の毛を切り終えてからはまず最初にソファにお互い腰掛けて雑談を楽しんだ。メルヴィンは夏休みを先々週に早めに取り、1週間ほどオランダ南部にリトリートに出かけていたようだった。そのリトリートは古城を開放し、ダンスや歌や瞑想などのワークショップが開催される内容でとても充実した時間を過ごすことができたとのことだった。リトリートの中で色々と自己探究が進んだようで、メルヴィンの表情はとても活き活きとしていた。そこから散髪台に移り、そこでも引き続き会話を楽しんで髪を切ってもらった。今日はメルヴィンとの会話を通じて何か大きな発見をすることは特になかったが、多忙なメルヴィンがリトリートを通じて英気を養うことができ、スピリチャルコーチやスピリチャルティーチャーという新たな役割を全うしていく方向に今後少しずつ舵を切っていく方向性が見えたとのことで、メルヴィンの門出を大いに祝いたい気分であった。とにかく今日は気温が涼しく、風も爽やかで、家を出発して帰って来るまでの全ての時間が至福さに満ちていて、まるで夢のようであった。フローニンゲン:2024/7/23(火)15:46


Today’s Letter

Rather than the phenomenal world being new every day, our mental world becomes renewed each day. Novelty comes from our minds. Feeling newness in our daily lives is the source of bliss. I’m always blissful in this way. My mind is constantly being born again. Groningen, July 23, 2024

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