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【成人発達心遊記】13002-13007:2024年7月19日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13002. 心身の充実/唯識学の多様な側面

13003. 今朝方の夢

13004. 心の治癒と発達を促す夢の観察/今朝方の夢の続き

13005. シロシビン・マッシュルームの収穫を終えて/今朝方の夢の続き

13006. 激しい河のように流れ続ける心/一なる全体への回帰

13007. 調心のための調身と調息/言語に関する「アポーハ(他の排除)」の理論


13002. 心身の充実/唯識学の多様な側面  

 

時刻は午前6時を迎えた。今、遠くの空にオレンジ色の朝焼けが見え始めた。今の気温は16度とひんやりしているが、今日は日中の最高気温が27度か28度に到達する。明日もまた真夏日のようで、明日の方がさらに気温が上がり、30度に到達する見込みだ。明後日からは一転して天気が崩れ、そのおかげで気温がグッと下がる。明日の暑さだけやり過ごせば、来週からはまた過ごしやすい日々が続くようだ。おそらく今年の夏は、このように時折真夏日がやって来て、また涼しくなるということを繰り返す形で進行していきそうである。そして気づけば夏が終わっていて、秋がやって来ていたという感じになるだろうか。そのような予感がする。


今日は筋力トレーニングの翌日ということもあり、先ほどサツマイモを調理して、レンジで蒸した。余熱でじっくりと蒸し終えたものを後ほどヘンプシードをまぶしていただこうと思う。トレーニングの翌日はサツマイモを食べるか、いつも朝食の1時間ぐらい前に食べているナッツ類を普段よりも多めに摂取している。それに加えて、ヘンプパウダー、小麦若葉、カカオパウダー、蜂蜜を混ぜた栄養豊富なドリンクを飲むようにしている。朝食までの朝の栄養補給はそれで十分である。


唯識学の探究を始めてからというもの、心の充実さに加えて身体の充実さも実感する。改めて食実践に微調整を加え、筋力トレーニングをいつも創意工夫をしながら集中して取り組んでいることもあってか、身体がまた違う次元に目覚め始めているのを感じる。それが心にも影響しており、心身の総合作用を実感している。健全な心と体がお互いに良い影響を与え合っているのだ。だからこそ唯識学の探究も他の実践も有意義な形で進んでいくのだと思う。唯識学の教えにあるように、精神を統一して物事に当たることは何事においても重要なことであり、今日もまた集中した状態で唯識学の研究を進めていきたい。


唯識学は心の宗教としての仏教の中でも、心に関する哲学や科学の両側面を兼ね合わせており、同時に心理療法的な臨床的性格も帯びている。そうしたことから、心に関するOSとアプリケーションの双方を内包している実に興味深い実践思想体系だと改めて思う。唯識学が持つ宗教・哲学・科学の三位一体の側面をいずれも損ねることなく探究していき、心の治癒としての心理療法の側面を実践に適用していく。日々の自分の心の動きの中に治癒の対象を見つけたらそれを治癒していくようにし、発達の対象を見つけたら善の心所や念や定などの心所を通じてさらに育んでいくことを心掛ける。日々の地道な実践が何よりもものを言う。フローニンゲン:2024/7/19(金)06:23


13003. 今朝方の夢 


今の気温は16度と涼しいが、ここから正午に向かってゆっくりと気温が上昇していく。正午の段階で25度に到達するようなので、長袖長ズボンで過ごすことができるのは午前中一杯かと思う。午後からは半袖半ズボンの格好で過ごそう。このように気温によって服装を変える形でうまくその気温に適応していくようにする。


今日は昨日とは異なって、朝の世界が賑やかである。賑やかと言っても平穏さで満たされながらの小鳥たちの鳴き声が聞こえてくるという意味である。小鳥たちに加えて、鳩がホーホーと鳴いている声もする。彼らの鳴き声の合唱に心を落ち着かせてもらいながら、今朝方の夢について振り返っている。


今朝方の夢でまず覚えているのは、大きな液晶テレビをくじ引きで当て、その箱を持って自転車を漕いでいた場面である。期せずして最新の大きなテレビが当たり、自分はテレビを見ないのであまり必要ないと思っていたが、今度新しい家に引っ越すことになっていたので、その家にこのテレビを取り付けようと思った。テレビはもう見る価値のある番組が一切ないので、テレビはテレビゲームを何か新しく買った時にでも活用しようと思ったし、パソコンと接続してNetflixなどの映画やドラマなどをテレビ画面に映して視聴しようと思った。なので当たったテレビは大切に持って帰ることにした。しばらく自転車を漕いでいると、そう言えば大学に用事があることを思い出し、近くにある有料の自転車置き場に駐車して電車で大学に向かおうと思った。有料の自転車置き場にテレビの箱もハンドルにぶら下げる形で駐車し、急いで大学に向かった。駅に向かうはずだったが、気づけば町の中にある山道の中にいた。そこを超えていく形で駅があるようだったので、複雑な山道に迷いながらもなんとか前に進んでいた。しばらく歩いていると、山頂からゼミナールの受講生の方が数人やって来て挨拶を交わしてくれた。すると驚いたことに、自分とすれ違った瞬間にみなさん一様にコインに変化してしまった。コインになってしまったみなさんは地面に散らばり、それ以上前に進めないような状態になっていた。自分に何かできることはないかと考えたところ、コインから人間の姿に戻すことは難しかったので、コインが山道を下っていけるように、コインを轍に沿って転がすことをしてみた。すると、うまく全てのコインが転がっていき、一安心した。そこから道を迷いながらもなんとか山道を抜けた。山道を抜けたところに待っていたのは、ドラゴンクエストのゲームのスライムを看板に掲げた大きなパチスロ屋だった。そこは新装オープンしたようで、駐車場にはたくさんの車が停まっていて、多くの客で賑わっているようだった。看板だけではなく巨大なスライムが壁に掲げられ、それはとても目立っていた。パチスロ屋を脇目に駐車場を抜け、そこで大学時代のゼミの友人数人と遭遇した。彼らもどうやら今から大学に行くらしいので、一緒に最寄り駅まで行くことにした。正直なところ自分は最寄り駅がどこにあるのかわかっていなかったので、彼らと遭遇できて本当に良かったと思った。授業に関する話をしながら駅に到着すると、そこは裸のプラットホームしかなく、列車がもうやって来ていた。なので列車に飛び乗ったが、その列車もまた壁が一切なく、そして椅子もなく、地面しかない剥き出しの不思議な列車だった。それに乗り込んで列車が動き始めた時に夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/7/19(金) 06:44


13004. 心の治癒と発達を促す夢の観察/今朝方の夢の続き 


午前7時を迎え、朝日の輝きが増し始めてきた。ちょうど今し方、先ほど蒸し終えたサツマイモをいただき栄養補給を済ませた。栄養補給の前にいつものように朝の呼吸法と動的ストレッチを行なっている際に、昨日の筋力トレーニングによって狙った場所にうまく刺激が入っていることを確認した。昨日は念入りにブルガリアンスクワットをダンベルを持ちながら行なったこともあり、大臀筋に筋肉痛がある。そして腹筋についてもトレーニングの最初にアブローラーを使い、トレーニングの最後にまた種目を変えて腹筋を鍛えたことにより、腹筋にも程よい筋肉痛がある。その他にもダンベルを用いたルーマニアンデッドリフトによってハムストリングにも程よい筋肉痛がある。それに比べて大胸筋についてはさほど筋肉痛がない。大胸筋もかなり追い込んで鍛えたつもりだったが、他の部位に比べて筋肉痛が少ないのはどういうわけだろう。筋肉痛が少ないとは言え、それがあることは確かなので、筋肉にはちゃんと刺激が入っていると思われるが、次回はまたフォームを見直す形でトレーニングを行いたいと思う。


第六識の比量の働きと想の心所の豊かな働きによって立ち現れる夢。その他にも様々な心所が関与することを通じて立ち現れる夢を観察するのは本当に面白く、意義深い。過去の偉大な学僧たちが夢を観察材料にしていたことも納得がいくし、フロイトやユングなどの心理学の泰斗が夢に多大な関心を払って探究していたことも納得がいく。そうした夢を蔑ろにするのは実にもったいないことである。夢の観察を通じて、私たちは心の治癒と発達の実現に向けて大いに歩みを進めていくことができる。夢を覚えておこうとするだけでもその意識によってないかしらの治癒と発達の作用が心にもたらされるだろう。また、覚えておいた夢を書き出してみることを通じて客体化することはなお一層のこと、心の治癒と発達を促すだろう。これからも夢は自分にとって本当に大事な心の探究材料となるし、夢について振り返ることは心の治癒と発達に関する最良の実践となるだろう。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中の私は、中学校時代にお世話になっていたある友人の父親が経営する個人塾の教室にいた。しかし先生はそこにはおらず、代わりに見知らぬ70歳ぐらいの男性がいた。その男性の年齢は自分の父と同じぐらいなのだが、父よりも随分と老けていた。髪の毛も薄くなっていて、ここまでの人生の苦労を見たような気がした。もちろん苦労したから髪の毛が抜けてしまうというのは実に短絡的な発想であり、食実践や運動の有無などの生活習慣の方がより影響を与えているかもしれないと思い直した。そのようなことを考えていると、教室にいた小中学校時代のある友人(FF)が、「諸悪の根源」と突然呟いた。彼の声は大きくなく、ボソッとした声で呟いたのだが、教室は静かだったので、教室にいた全員が彼の方を見た。すると先生のように振る舞っていたその中年の男性が、諸悪の根源とは何かについて閃いたことがあったらしく、それを彼に伝えると、彼は頷いた。いったい2人の間でどんな合意形成がなされていたのかすぐには理解できず、自分も「諸悪の根源」と呟いてみたところ、どうやら私のその言葉はその中年男性には響かなかったらしいが、それでも私の目の前にやって来て、「君の言う諸悪の根源は彼のとは違う」と述べた。そこで私は、その男性のあだ名を「諸悪の根源じじい」とし、今度はそのあだ名でその男性を呼んでみた。すると教室中は笑いに包まれたが、その男性は怒りをなんとか抑えようとプルプルと震えていた。フローニンゲン:2024/7/19(金)07:25


13005. シロシビン・マッシュルームの収穫を終えて/今朝方の夢の続き


朝の涼しさを感じながら、先ほどシロシビン・マッシュルームの収穫をし、オーブンでの乾燥を始めた。今回が今の栽培キットにおける3周目の収穫であり、それもいよいよ佳境を迎えている。4周目の栽培に向けて栽培キットを水で浸し、しばらく置いている。おそらく4周目でもう最後となりそうである。3周目の最後においては、マッシュルームの大きさも小さくなり、色も薄くなっていることからこの栽培キットとの別れの時期が迫って来ていることを感じる。シロシビン・セッションは隔週ではなく毎月1度の実施にすることにしたので、乾燥させたマッシュルームは冷蔵庫で保管し、今のあと数回分、すなわち数ヶ月分のセッションのストックがある。最後のストックを用いる段階でまた新しい栽培キットを購入しようと思うが、その時には最初に購入したGolden Teacherの栽培キットを購入することにしたい。今のところこの品種が一番自分に合っていそうだという感覚がある。その感覚を大切にし、引き続き無理のない範囲で瑜伽行としてのシロシビン・セッションを継続させていく。


昨日は随分と夢について振り返っていたように思うが、今日もまた昨日と同じぐらいに夢について思い出すことができる。もう1つだけ覚えている夢の場面がある。夢の中で私は、見慣れない湖にいた。そこは都会から離れていて、雰囲気としては北欧のどこかの町の郊外にある湖のようだった。湖の周りを散歩しながら寛いでいると、小さいハムスターのような小動物が走っていくのが見え、その後をイタチのような動物が追いかけているのが目に入った。どうやらイタチのような動物はハムスターのような動物を捕獲しようとしているようだったが、ハムスターのような動物はすばしっこく、うまく姿を隠しながら逃げているようだった。しばらくその追いかけっこの様子を眺めていると、ハムスターのような動物はうまくイタチのような動物から逃げ切ることができ、イタチのような動物はその場に佇んでいた。その姿はどこか呆然としているかのようであり、ハムスターのような動物がどこに行ったのか皆目見当がつかないような様子であった。すると、湖につながる山道から数人の子供たちが下りて来た。彼らは元気良くこちらに挨拶をしてくれ、私も挨拶を返した。すると、湖の中央に何かがプカリと浮かぶ姿が見えた。そこに現れたのは細長い蛇だった。それがこちらにゆらゆらと泳ぎながら向かって来る姿が目に入ったが、子供たちも私もその場を動くことなくその様子を観察していた。と言うのもすぐにその蛇が毒蛇ではなく、人を襲うような蛇ではないと分かったからである。ゆらゆらと岸の方向に泳いできた蛇は岸に到着すると、茂みの中に静かに去っていった。それを見て、子供たちも私も、自分たちが向かうべき方向に向かって歩き出した。そのような夢を見ていたのを覚えている。フローニンゲン:2024/7/19(金)07:57


13006. 激しい河のように流れ続ける心/一なる全体への回帰     


昨日の日記の中で、全ては流れであり、流れそのものであると書いていた。それについて補足すると、このリアリティそのものがまず全体として流れでありながら、相似形として私たちの心もまた流れであるということだ。これは心理学者かつ哲学者のウィリアム・ジェイムズの「意識の流れ」という言葉からもわかることであるが、唯識学においても心を流れとして捉えていることがわかる。六つの表層心と深層心の末那識は絶えず変化をしている流れとして捉えられており、何よりもさらに深い場所にあると想定される阿頼耶識が流れとして捉えられていることが興味深い。阿頼耶識は別名「蔵識」と呼ばれ、それはこれまでの行動記録を全て蓄えるような場所である。しかしそこで蓄えられている種子がまるで激流のように流れ続けていると説く点に深層心の動的な姿を見る。私たちの心の奥底には、絶えず流れを止めない河が流れているのだ。しかもそれは修行を通じて鎮めていかない限りはまるで暴流の如しものなのである。心の奥底を流れる激流に自覚的になればなるだけ、末那識も穏やかとなり、表層心も穏やかになってくる。逆に表層心や末那識を浄化していく試みを通じて、少しずつ深層心を清めて穏やかなものにしていくこともできる。いずれにせよ、私たちの心は深層から表層までまるで激しい河のように流れ続けているものなのだ。絶えず流れそのものを観察し、流れの上に生じるものを見つめていこう。


この世界は元来一なる全体である。それを諸縁が分別して仮に分かれたものとなり、私たちの言葉の作用もまた分別をして世界を分ける。結局のところ仏道修行の根本は、この分かれたものを再び統合していくプロセスなのだと思う。とりわけ人為的に分けて病理化してしまった現象とその在り方そのものを治癒していくことが最大の焦点なのだろう。世界は元々一なるものであったということ。その認識を絶えず持ちながら、自らの分別心によって分けてしまった世界を少しずつ調和の取れた世界に戻していく心の観法行を続けていこう。また、諸縁によって仮に分別された世界を眺める際には、諸縁を可能な限り遡っていくと、それ以上遡れないところで世界の一なる全体性に気づくであろう。その観法行もまた有効である。フローニンゲン:2024/7/19(金)10:55


13007. 調心のための調身と調息/言語に関する「アポーハ(他の排除)」の理論   

 

習慣的に行っている筋力トレーニングは自分にとって調身の実践である。唯識学の修行の中で最も重要とされているのは禅定であるが、精神を統一し、禅定を修していくためには、まずは身体を整えていくのが入りやすい方法なのではないかと思う。心はまさに暴流の如く絶えず激しく運動を続けているため、いきなり何もないところから心を整えて、精神を統一して禅定に入っていくのは多くの人にとって難しいはずである。なので調心の前に調身としての実践を行うのは理想的であり、自分にとっては筋力トレーニングそのものとそれによって鍛えられた肉体が調身の実現に大きな貢献を果たしている。調身だけではなくて、呼吸から入り、呼吸を整えていく調息もまた有効な手段である。いずれにせよ、私たちはまずは意識的にコントロールしやすい身体や呼吸に関与していくことを通じてそれらを整え、そして最終的に心を整えていくことが有益だろう。面白いことに、身体や呼吸を整えることができれば、別途心を整える必要はもうないぐらいに心が穏やかになっている。ここにもまた心が本質的には身体や呼吸と一なるものであることが見えてくる。


正午に向かって思ったほど気温は上がっておらず、25度ぐらいの気温でもまだまだ涼しさを感じ、大変過ごしやすい。フローニンゲンの夏は気温のみならず、湿度も高くないために、真夏日であってもカラッとした開放感がある。心地良い涼しさを感じながら、今日も午前中は唯識学の探究に精を出していた。唯識学においても根幹とされる空の思想について改めて文献を読み返していると、唯識学者かつ仏教論理学者でもあった陳那の言語に関する「アポーハ(他の排除)」の理論について目が止まった。それが意味するこことは、ある概念はその矛盾概念を否定することによって成立するのであって、決して実在する対象に言及するものではないということである。これは大変慧眼であり、同時に実践的にも注目するべき考え方である。と言うのも私たちの迷いの根幹には言葉による実体化と実体化したものへの執着があり、言語が持つ特性についての陳那のこと考え方は言葉による実体化と執着を防ぐ働きがあるからである。私たちが日常頭に思い浮かべる全ての言葉には実体はないのである。その言葉は実在する対象を指しているのではなく、その矛盾概念の否定として存在しているだけなのだ。目の前の火に対して「火」という言葉を思い浮かべたとしても、それは火という実在する対象をありのまま示しているのではなく、あくまでも火ではないものの否定として火なるもの(「火」と呼ばれているもの)を思い浮かべているに過ぎない。すなわち、言葉は何かをあるがままに指し示しているものでは決してなく、その対象ではないものを否定するもの(非Aの指示)として存在しているだけなのだ。フローニンゲン:2024/7/19(金)11:50


Today’s Letter

Dreams are superb materials for healing and developing our minds. They reveal unnoticed aspects of our psyche. Just recollecting dreams is beneficial. Writing down dreams is even more helpful for understanding their hidden meanings. Reflecting on dreams is my most important daily practice in cultivating my consciousness. Groningen, July 19, 2024

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