top of page

【成人発達心遊記】12964-12967:2024年7月12日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12964. 2羽の小鳥たち/学習と実践の深まり

12965. 今朝方の夢

12966. 認識の二重構造/因・縁・果の三者関係

12967. 最大の楽しみとしての心の探究と実践


12964. 2羽の小鳥たち/学習と実践の深まり


時刻は午前6時を迎えた。カラスがカーカーと鳴き声を上げており、カラスがいない別の場所で1羽の小鳥が鳴き声を上げている。昨日の夕方にキッチン側の窓から外を眺めた時に、倉庫の上の水たまりで種類の異なる2羽の小鳥が仲良く水浴びをしていた。その姿を見て、彼らは種類が違い、大きさも少し違うのだが、お互いに攻撃したりすることなく友好関係を築いているようでとても興味深かった。まるでお互いの間で同じ種族という認識が共有されているかのようであった。決して争うことなく、夕暮れ時の穏やかな雰囲気の中で一緒に水を浴びている姿はとても微笑ましく思った。同時に、争いの絶えない人間は彼らから学ぶことが多いにあるのではないかと思わされた次第である。


早朝のこの時間帯は涼しく、今の気温は15度である。どうやら今日は午後から雨が降るようで、そのおかげもあって日中の最高気温はわずか17度に留まる。7月も第2週を迎えたが、まだまだ涼しい日々が続く。明日と明後日もまた最高気温は20度未満であり、とても涼しいだろう。来週からは20度前半の気温になるらしく、暖かさを感じられるだろう。引き続き涼しい日々が続くことを望み、気温が上昇したとしても20度前半でおさまって欲しいと思う。


今日もまたいつものように自らの取り組みに着実に従事していこう。昨日の筋力トレーニングを受けて気持ちがまたリフレッシュされ、心身共に良好な状態である。筋肉を鍛えることによって若返り細胞に刺激が入り、それが活性化されているような感覚があり、筋力トレーニングを続ければ続けるだけ、肉体としても、そして心もまた若々しい状態を維持できているように思う。また、日頃のトレーニングは肉体を鍛えることを通じて精神を鍛錬していることもである。その成果が今着実に日々の探究活動における集中力の増大という形で表れている。今日もまた集中力を高く維持した状態で探究活動に励みたい。ここ最近はまた唯識学の文献を読む時間を増やしている。英語の発話能力の向上トレーニングの基礎工事が随分と進み、ここからは改めて構築された土台をもとに自分で即興的に例文を組み立てていくという応用実践を行なっていく時期に入った。もちろん引き続き基礎をさらに固めるような形で学習教材を音読していくことも行なっていくが、その作業に充てる時間を減らしていくようにしている。こうして種々の学びや実践がその進捗に応じて取り組み時間が変化し、お互いが相互作用するような形で深まりを見せているのは喜ばしいことである。フローニンゲン:2024/7/12(金) 06:17


12965. 今朝方の夢


今日は室温も低いこともあって、一日中長袖長ズボンで過ごすことになりそうである。朝のこの時間帯は特に気温が低く、肌寒さを感じるほどである。心地良い肌寒さを感じながら、今朝方の夢について振り返っている。


今朝方の夢でまず覚えているのは、口頭で次々にお題に答えている場面があったことである。哲学や心理学に関する口頭問題を目には見えない人から出され、それに対して次々と回答している自分がいた。1つ1つの問題は難解なものばかりだったが、そうした問題に対して決して物怖じすることなく、自分が持っている知識を振り絞りながら回答を続けていった。自分が次々に難解な問題に回答するものだから、しまいには出題者側がお手上げ状態となり、そこで回答が終わった。自分の中では出題された問題の全てに対して自分の考えを表明できたので、とても晴々しい気持ちとなった。


そのような場面があった後に見ていたのは、小中学校時代の2人の友人(HO & KM)と一緒にサッカーの練習とカードゲームをしていたことである。まずはグラウンドでサッカーの練習に励んでいたのだが、その中でカードゲームの話をしていた。最近入手したカードとその使い方について色々と意見交換をしている中で、彼らがなかなか独創的な形で入手したカードを活用しようとしていることが興味深く思えた。そのカードゲームは戦略性が問われることもあり、そして戦略は無限大の可能性を持っていることもあって、友人たちのアイデアを聞くことはとても楽しかったし、参考になった。自分にはない発想をやはり他者は持っていると思わされた次第だ。同じカードであっても、それをどのような場面でどのように使うのかについてはアイデアが全く異なる。端的には同じカードであっても人によって見え方が違うのである。まさにそれは唯識学でいうところの人人唯識だと思った。1人1人に固有の心の世界があるゆえに、同じカードでも見え方がまるっきり異なるのだ。見え方が異なる景色を共有することによって、お互いの世界観が広がり、また新しい認識世界が生まれることの意義と価値を思った。そのような夢を見ていた。


最後の夢は唯識学の観点からもとりわけ印象的だった。夢の中の自分が考察を進めているように、人はそれぞれに固有の心の世界がある。お互いが同一のものを見ていても見えているものが全く違うため、見えているものを共有し、お互いの世界観を広げていくことに相互発達の原理を見る。明日にはまたゼミナールのクラスがあるが、そこではお互いに感じたことや考えたことを共有していくことを通じて、お互いの認識世界をさらに豊かなものにしていければと思う。それにしても、夢の中の自分も唯識学の枠組みを通じてその場で考えを深めていくことをし始めているのは喜ばしい限りである。覚醒世界での学びが夢の世界の自己に着実に良い栄養を与えているようだ。夢の中でも引き続き人間の心についての学びを深めていきたい。フローニンゲン:2024/7/12(金)06:31


12966. 認識の二重構造/因・縁・果の三者関係     


気が付けばいつの間にか午前10時を迎えようとしていた。早朝こそ幾分朝日を拝むことができていたが、今は空全体にうっすらとした雲がかかっている。天気予報の通り、おそらく午後からは雨が降りそうである。


午前中の静けさに包まれながら、唯識学の探究を旺盛に進めていた。その中でまず、私たちの認識における二重構造について考えていた。私たち人間は何かを認識するときに、まず見るものと見られるものを二分する。それはもう無意識的に起こる反射的な現象である。唯識学の言葉で言えば、認識主体としての自体分が主観としての見分と客観としての相分に即座に分岐するのだ。そして見られるものとしての相分は、言語を用いてAとNot-Aに二分される。例えば、目の前のリンゴに対して、リンゴと自分がまず知覚反射的に二分され、言葉を通じてリンゴとリンゴでないものに二分されるのだ。こうした二重の二分法構造で私たちは世界を認識しているのである。知覚を通じた二分と言語を通じた二分の双方にまずは気づきの意識を当てていくことが、二分法的な認識がもたらす囚われからの解放において重要になる。そして知覚的な二分はより生理的・内在的な側面が強いため、まずは言語的な二分を具に検証していくことが有益だろう。言語も当然ながら反射的な側面があるが、言語によって二分されたものを再び全体としての一に戻していく観法行を積んでいきたい。


そのようなことを考えた後に、因・縁・果の三者関係について考えていた。まず、縁と因の双方がなければ果は生じないことに注目していた。縁起の世界そのものは、すなわち縁起の本質は無為法の世界に属するゆえに人為的な関与は難しいだろう。しかし、縁を大切にしながら、絶えず善なる因を積んでいくことなら意識的に行える。それがきっと善き縁を引き込み、善き果を生むことにつながるだろう。因・縁・果は有為法の世界においてだけ当てはまり、真如の世界たる無為法の世界には当てはまらない。真如の世界においては事物は存在せず、そこには理しか存在しない。理しか存在しない世界についてさらに明瞭な認識眼を持ってその世界を眺めてみたいものである。こうした思いもまた純粋な善法欲に導かれたもののように思えてくる。フローニンゲン:2024/7/12(金)10:06


12967. 最大の楽しみとしての心の探究と実践     


時刻はゆっくりと午後4時に近づいている。今日も早いものでもう夕方だ。仮に今が冬であれば、もうこの時間帯から暗くなっている頃である。


今日は天気予報の通り、午後から雨が降り始め、今も雨が降り続いている。雨脚はかなり強く、車庫の上には水が随分と溜まっているのが見える。そんな中、午後も唯識学の探究を進めていた。そこで改めて、唯識学や心理学を通じて自らの心を理解していくことの楽しみ、そして他者の心を理解していくことの楽しみが自分の中にあることに注目していた。他のいかなる営みよりもそれが一番の楽しみである。やはり自分の天職は心の研究とその実践にあるようだ。その他のことに目移りするのではなく、心の探究により一層のこと専心していこう。そのような思いを改めて持った。世の中にはそれこそ無数の学習対象や実践対象があるし、現代社会には時間を奪われる様々な誘惑も多い。他の領域に目移りすることなく、様々な誘惑に惑わされることなく、心の探究と実践に自分の生命時間を充てていこうと改めて思った次第である。その過程の中でまるで自然発生的に生じるかのような煩悩と向き合い、それを生み出している阿頼耶識に薫習された種子を断じていくことを行っていく。煩悩を滅していくことが心の治癒であるという唯識学の世界観に則って、煩悩を滅却していく形で清浄な心を獲得していきたい。実は本来私たちの心は清浄なものであるから、清浄な心を獲得するというよりも、本来清浄な心を覆っている障害を取り除いていくのである。そして2度と心に煩悩という埃が被らないようにする心掛けをしていくのである。そのような気持ちを新たにした。


唯識学の学術書に加えて、漢文法の解説書の初読を前に進めていた。初読が無事に終わったので、今後は本書を傍にまた唯識学の古文書をゆっくり紐解いていこうと思う。いつか日本の法相唯識学の英訳し、それについて解説を施していく形で論文を執筆していきたいし、論文の数がある程度まとまったらそれを書籍として欧米社会での出版を実現させたい。千里の道も一歩からという言葉があるように、明日からもまた探究上の小さな一歩を大切にしていく。フローニンゲン:2024/7/12(金)15:59


Today’s Letter

The unconscious realm of my psyche always conveys important messages to me. The amount of information and wisdom I can obtain from this realm is critically significant for my mental health and psychological development. I wonder what kind of letter my unconscious is writing to me at this moment. Groningen, July 12, 2024

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page