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【成人発達心遊記】12927-12931:2024年7月4日(木)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12927. 暖房が入る夏の朝に

12928. 今朝方の夢

12929. 真理の深淵/常なる至高体験

12930. 心模様の観察/多様なコンテンツを切り口とした唯識学の紹介に向けて

12931. 秋のような涼しさの中での筋力トレーニングを終えて


12927. 暖房が入る夏の朝に  

 

時刻は午前6時半を迎えた。今朝方起床して驚いたのは、自動で暖房が入っていたことである。起床してしばらく経った今もなお、暖房が自動で入っていて部屋をせっせと温めてくれている。7月を迎えたというのにまだ暖房のお世話になるとは思ってもおらず、これは例年とは少し違う異例のことである。天気予報を見る限りだと今日は1日を通して暖房にお世話になる時間が多く、今日から来週の月曜日までは暖房が断続的に入って部屋を温める状態が続くのではないかと思う。暦の上では夏のはずだが、こうして暖房が活躍していることに改めて驚く。こうしたことからも地球環境の異変を察知する。私たちの惑星はどうなってしまっているのだろうか。人間の心の荒廃と人間文明の暴走により、この惑星は間違いなく機能不全の方向に向かっている。この問題に対しても唯識学ひいては仏教が何か貢献できないだろうか。そのようなことを考えさせられる冷たい朝である。


どうやら今日は朝の早い時間こそ小雨が降るかもしれないが、そこからは晴れるようだ。気温は17度までしか上がらないが、晴れであることは嬉しく、今日も午後にジムに行って体を鍛えてこようと思う。ジムでのトレーニングは単に体を鍛えることを意味しておらず、精神を鍛えることも併せて行なっている。むしろ自分にとっては精神を鍛えることの方に重きを置いていると言ってもいいかもしれない。肉体を通して心と向き合っていくこと。とりわけ自分の弱き心と向き合っていくことを可能にしてくれるのが筋力トレーニングの良さである。そして何よりも、心を沈め、意識を集中させる鍛錬としてもってこいのトレーニングが筋力トレーニングである。坐禅などの静的なものよりも、身体をある程度動かしながら心と向き合って意識を集中させていくことの方が自分の性に合っている。今日のトレーニングも単に肉体を鍛えるというのではなく、鍛える箇所の細胞の意識を鍛え、第六識としての意識全体を鍛えていくことを意識していく。ジムで鍛えられた心はそのまま日常生活で良き形で発揮され、生活の中でも絶えず集中した心を涵養していくことを心掛けていく。フローニンゲン:2024/7/4(木)06:43


12928. 今朝方の夢


暖房が早朝に引き続いてせっせと働いてくれている。部屋を温める暖房の活動に感謝しながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方の夢はかなり断片的な記憶としてしか残っていないが、まず覚えていることは、病院にいた場面である。病院にいたと言っても自分の肉体はそこにはなく、夢を眺める観察者としての自己がそこにあった。その病院に収容されていた患者たちはいずれも地球外生命隊だった。多種多様な地球外生命隊がそこに入院していて、それぞれの病を治癒していた。元気そうなものもいれば、命が危ういものもいた。そんな地球外生命体たちを治癒していたのは人間の医者だった。いや厳密には、人間と地球外生命体のハーフのような生命体が彼らを治癒していた。ある地球外生命体が運搬用のベッドに横たわり、手術室に運ばれていく姿を眺めることを最後に夢の場面が変わった。


その他に覚えている場面としては、日本語と英語の双方を交えて誰かと会話をしていた場面である。そこはアメリカのどこかの大学院のようで、これから教授職に就こうとするポスドクのアメリカ人の男性と椅子に腰掛けて会話を楽しんでいた。彼もまた仏教研究に従事していて、お互いの研究に関する話に花が咲いた。彼は日本語を少々学んでいたこともあって、日本語と英語を交えた会話を行なっていたのである。彼と会話をしながらふと、ここからの自分の研究の方向性がまた明確なものになった。新たな研究テーマはちょうど彼の専門分野でもあったので、彼に協力してもらう形で論文を協働執筆していこうということになった。このように今後の自分は様々な研究者と協働する形で仏教研究を進めていくのだろうと思った。それはとても良い兆しで、自分1人で行う研究にはもう限界があると常日頃から感じていたこともあり、多様な研究者との協働研究を通じて再び研究の喜びに浸りたいと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/7/4(木)06:52


12929. 真理の深淵/常なる至高体験 


――深淵を見入る者は深淵から見入られる――ニーチェ


深夜に降っていた雨は止み、早朝の朝空を覆っていた雲はどこかに消えていった。時刻は午前7時半を迎えようとしており、今、朝日が美しく輝いている。空を覆う雲はもう姿を見せておらず、爽快な青空が広がっている。朝日の輝きも美しく、見事な朝の世界が広がっている。いつもと少し違うのは、今日は暖房が朝からずっと入っているということだろう。夏の朝日の輝きを見ながら暖房が入っている音を聞くというのはなかなか体験しないことである。季節外れの暖房の音に耳を傾けながら、その背後に聞こえてくる小鳥たちの鳴き声に耳を澄ませる。今日もまた朝の気温が低いためか、小鳥たちの活動はさほど活発ではない。


ニーチェが述べるように、この世界を貫く真理の深淵を覗き込んでいくこと。そして深淵から魅入られる形で真理と一体化すること。これまで積み重ねてきたシロシビン・セッションを振り返ってみると、ニーチェの言うように、深淵を覗き込むものは深淵から見入られる。実際にはその先があり、深淵から見入られた瞬間に私たちは深淵と化すのである。ここで述べている深淵を真理と置き換えることは可能であり、私たちは真理を覗き込み、真理から見られる形で真理と同化する。この同化現象は仏道修行の5段階のモデルで言えば通達位に入る際に体験する事柄だと言えるかもしれない。真理を知的に理解するのではなく、真理を知覚して真理となる体験。それが通達位の通過儀礼として求められることである。


真理と一体となる体験を積めば積むほどに、それは日常においてはゾーンの状態の至福さとも性質が似ていることが見えてくる。それはある種の至高体験であり、至高体験の中を生きることが日常となってくること以上に幸福な日常はないのではないかと思う。真理を知覚するしないは別として、ゾーンの状態を生きることは誰しも行えることである。絶え間ないゾーンの状態を生きるためには精神統一が必要で、絶えず今この瞬間の自分の活動や取り組みに集中し、それと同化することを心掛けていくことを積み重ねていけば、いつか必ず至高体験の中を生きることが常態化するであろう。自我の殻を破り、殻の外に出て真理の世界である世界全体と同化すること。それが可能になれば、絶え間ない至福さの中で生きていくことが可能となる。そうした形で自分はこの生を全うしたい。フローニンゲン:2024/7/4(木) 07:29


12930. 心模様の観察/多様なコンテンツを切り口とした唯識学の紹介に向けて 


時刻は間もなく正午を迎えようとしている。今日は少し風が強く、秋のような涼しさが早朝から続いている。足元から冷えるような夏の日である。


今日もまた早朝より自分の心を見つめることを通じて唯識学のテキストを読み進めていた。最近は少し英語の発話能力の鍛錬に充てる時間を減らし、再び唯識学のテキストを読み進めていくことを行っている。それに並行して講義動画を毎日着実に作成してゼミのコンテンツとしてアップロードしている。これは毎日自らに課している実践行であり、それは唯識学の叡智を共有するという意味での法施になっている。これは是非ともこれからも毎日続けていき、いつの日か欧米の大学で唯識学を教えることに繋げたいと思う。


自他を対象とした動的な心模様の観察を常日頃から行っている自分がいる。唯識学を学び始めてからというもの、自他の心模様の観察に余念がない。それは心が描く絵の観察を絶えず行っていると言い換えることができる。煩悩に塗れた絵から目を背けることはできないが、社会の多くの人たちが善の心で描く美しい絵をとにかく眺めたいという思いが沸々と湧いてくる。世界は心が生み出すものである。清く美しい心で描き出された世界に身を置き、そうした世界の中で生きたいという思いは善法欲からもたらされたものだと言えるだろうか。自他の心模様の観察は、自他の心が描く絵を清く美しいものに繋げていくための最初のステップである。


唯識の思想を欧米社会でわかりやすく伝えていくために、映像作品を唯識学の観点から解説するような試みに従事したい。映画・ドラマ・アニメ作品を題材にして、唯識学の観点から心の機微を解析し、心の浄化と成長への道を示していく。伝統芸能においてはまさに深層心理劇と評して良いであろう能を取り上げたいが、これは日本人せよ、欧米人にせよ、能に親しむには少しハードルが高いように思えるので、能も唯識学の観点から紐解いていきながらも、より一般の人が接しやすいものを題材にして唯識学を紹介していきたい。能・映画・ドラマ・アニメ作品を縦横無尽に横断する形で、多様なコンテンツを通じて唯識学を紹介していこう。これにまつわる論文や一般書を英語空間で紹介していく試みに向けての準備を着実に進めていこう。フローニンゲン:2024/7/4(木)12:02


12931. 秋のような涼しさの中での筋力トレーニングを終えて


時刻は午後4時半を迎えた。先ほどジムから帰ってきたのだが、今日はジムで汗をかくことはなく、自宅に戻ってきてからシャワーを浴びる必要はなかった。今日はそれくらいに冷え込んでいた。ジムの行き帰りには秋用のジャケットを羽織っている人の姿を数多く見かけた。今日は全くもって夏らしくなく、秋を感じさせるような涼しさがあった。ジムでのトレーニングもそのおかげで捗った。クーラーを効かせて室温を下げた環境下でトレーニングするのはあまり好きではなく、同時に暑すぎる環境下でトレーニングするのも好ましくないので、今日のような日が一番トレーニングしやすい。清々しい気持ちで始終トレーニングに従事することができた。


ロッカールームでトレーニングに向けて着替えている際に、今日のトレーニングも集中して各部位を鍛えていこうと思った。惰性で体を鍛えていても意味はなく、肉体を鍛えることがそのまま精神を鍛えることに繋げていきたいとう思いを持って毎回のトレーニングに励んでいる。最近はそれが成果となって日常生活に現れてきているのを感じる。日常生活で学術的探究に従事している際の集中力が格段に増しているのを感じるのだ。学術的探究だけではなく、英語の発話能力の鍛錬にせよ、日記の執筆にせよ、何事に取り組む際にも集中力の高まりを見せているのは嬉しい限りである。ここからより一層ジムでのトレーニングは筋肉量を増強していくというよりも集中力を高めていくためのものとしていきたい。こうして今の年齢で鍛えられた筋肉は老後においても筋肉の維持に役に立ち、仮にトレーニングができない期間があったとしても、マッスルメモリーとして再びトレーニングを再開したら再度筋肉が以前のように付くことにも繋がる。今はとにかくそうした先を見据えたトレーニングというよりも、今に集中し、日常生活のあらゆる活動において没入状態に速やかに入れるための精神を鍛えるための肉体鍛錬という位置付けて週に2回のトレーニングに励み続けていきたい。フローニンゲン:2024/7/4(木)16:40


Today's Letter

It’s already July, but I cannot believe that the heater has been automatically switched on since early morning. This summer is very chilly. The positive side is that I can easily concentrate on my work. I prefer a cool climate to a hot one. I hope this cool weather continues for a while. 


When we look into the fathom of reality, the entire reality itself peeks into us. This experience unites us with the truth. We find the truth and become one with it. This is the secret of encountering the truth. Groningen, July 4, 2024

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