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【成人発達心遊記】12913-12918:2024年7月1日(月)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

12913. 第35回のシロシビン・セッションの振り返り(その1)

12914. 第35回のシロシビン・セッションの振り返り(その2)

12915. 第35回のシロシビン・セッションの振り返り(その3)

12916. 第35回のシロシビン・セッション後に見た夢

12917. 能面の「中間表情」/VR技術を通じた能の鑑賞に期待して

12918. 第35回のシロシビン・セッション後の筋力トレーニングを終えて



12913. 第35回のシロシビン・セッションの振り返り(その1)


時刻は午前6時を迎えた。昨日、第35回のシロシビン・セッションを行い、一夜が明けた。今からゆっくりと昨日のセッションを振り返っていきたい。その前に今朝方起床して2階に上がってくると、シロシビン・マッシュルームが途轍もなく大きく、そしてたくさん育っていたことに驚いた。まるで昨日のセッションの最中に自分の意識と共鳴するかのような現象が生じ、それによってここまで大きく育ったのではないかと思わせるほどであった。先ほど収穫をしてオーブンでの乾燥を始めた。栽培キットの中にはまだいくつか頭を出しているものがあり、明日もまた収穫をすることになるだろう。


昨日のセッションでは乾燥させたシロシビン・マッシュルームを5.4gほど用いた。当初は5.5gを試そうと思っていたが、マッシュルームの重さを調整することが難儀だったので計りに乗せて目標の重さに近い5.4gほどにした。結論から述べると、やはり5.0gを超えるとシロシビンとシロシンの働きが相当強くなり、体験の質が極度に深まる。テレンス・マッケナはやはり慧眼を持っており、5.0g以上の分量を「英雄の服用量」と称したのは見事である。昨日のセッションの入りは以前の品種を5.0g以上摂取した時よりも穏やかだったが、ピーク体験は同等の強さを持っていた。その時にふと、ここからのセッションの頻度は隔週ではなく、4週間に1度でいいかと思った。毎月に1度のペースを目処に、自己再生の意味を兼ねてここからは毎月1度の頻度にしていく。5.0g以上のセッションを隔週で行うと、その体験の咀嚼に支障が出てしまうと判断したのである。他の探究や実践と同じく、ここからはゆったりとしたペースでシロシビン・セッションを行っていこう。


昨日の体験の中で大変印象的だったのは、自分がヒト属の生き物であるということである。人とは何なのか。人間という種族は何のかについて深く考えさせられる体験が続いていた。その前に生じていた現象として、第六識の消失があった。唯識学で述べられている通り、深い禅定体験、すなわち滅禅定の最中においては第六識は消失する。なるほど、以前の自分はこの現象に恐怖感を感じていたのだと思わされた次第だ。自分の存在が消えていく感覚。目を開けると自分が存在しているように感じるが、目を閉じた瞬間に第六識が消えてしまい、自己が消滅してしまったかのような体験が昨日もあった。振り返ってみると、最初にこの体験をしたのは以前の家でシロシビン・トリュフを摂取した時だった。その時はいっとき精神が錯乱しそうになったが、なんとか心を落ち着かせ、その場を乗り切った。以降、5.0g以上シロシビン・マッシュルームを摂取すると同様の第六識消失現象が生じ、当初はやはり錯乱しそうな時もあったが、今となっては決してパニックに陥ることなく、それは第六識がいっとき消滅しているだけに過ぎない現象だと理解するようになった。昨日もまさにこの現象が生じたが、すでにその現象のメカニズムに対しての理解があったため、これまで以上に落ち着いてセッションを続けることができた。それは1つの収穫である。今後も5.0g以上のシロシビン・マッシュルームを摂取する際には同様の体験が生じるであろうことを心得ておき、決してそれにパニックになることなく冷静にベッドの上に横たわってセッションを続けていきたいと思う。フローニンゲン:2024/7/1(月)06:20


12914. 第35回のシロシビン・セッションの振り返り(その2)  

 

昨日のシロシビン・セッションを経て再び自分は生まれ変わり、そして新たな週を迎えた。精神の宿る在処。昨日のセッションでは精神の存在場所についての洞察が得られる体験があった。それはやはり肉体には存在していないという明確な気づき。精神は肉体を仮宿にすることはあっても、精神が宿っている場所ではない。確かに精神は肉体を通じて現れることが通常の在り方だが、それは本質ではない。精神は本質的に肉体を超えた場所に存在している。それではどこに存在していると言えるだろうか。昨日の体験からすると、この宇宙に遍満していると言える。否、遍く形で存在しているというよりも、それは宇宙に溶け出していて、リアリティそのものとして存在していると言えるかもしれない。精神は確実に時間と空間を超えていて、特定の場所に存在しているようなものではない。精神は全てに宿り得るし、同時にそれは無としても存在し得る。端的には、精神は絶対有と絶対無の2極を取り得るものなのだ。通常の意識状態においては、絶対有と絶対無のいずれにも該当せず、基本的に私たちは精神は肉体に、とりわけ脳に宿っていると考えがちである。ところがそれは完全な誤謬なのである。それは錯覚である。脳も肉体も精神の仮の宿に過ぎない。通常の意識状態の仮の宿に過ぎないのである。それは夢について考えてみるとわかりやすいかもしれない。夢の世界においては夢の中の自分に精神が宿っている。また、夢を見ない深い眠りの意識状態においては、第六識としての精神は消失している。そこにあるのは末那識と阿頼耶識のみであり、それらは途切れることなく永続して存在している。なるほど、昨日の体験においては第六識の消失が絶対無の体験として知覚され、それでも存在し続けている末那識と阿頼耶識の存在を知覚したことが絶対有として体験されたのだろう。人間存在とはこのように絶対有と絶対無の双方を内包した存在なのだ。果たして他の動物はどうなのだろう。動物のみならず植物はどうなのだろうか。彼らの識の世界が気になる。きっと人間とは異なった形であったとしても、彼らにも心があり、種々の識があるはずだ。かつて愛犬が生きていた頃に、母から愛犬が夢を見ているらしいことを聞いた。であれば愛犬には第六識的な心のみならず、自我意識を司る末那識や記憶の貯蔵庫としての阿頼耶識があると考えてもおかしくはない。いずれにせよ、昨日の絶対有と絶対無の知覚体験とその言語化により、今後のセッションでそれらの体験をしても驚くことなくさらに体験を深め、また新しい洞察が得られそうである。フローニンゲン:2024/7/1(月)06:36


【追記】

動物にも植物にも前五識があり、第六識もある。ただし第六識は人間のような言葉を介して比量と非量の働きはしないが、前五識で知覚したものを確証する現量としての第六識あると言えそうである。


12915. 第35回のシロシビン・セッションの振り返り(その3)  

     

時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今日からまたとても涼しい日々が続く。今の気温は14度で、今日の最高気温は17度とのことである。どうやら今日は午後に小雨が降るようなので、ジムに出かける際には折り畳み傘を持っていき、そして上に何かを羽織って出かけたいと思う。20度を下回る場合には半袖半ズボンだと相当に寒い。今週は軒並み20度以下の気温で、明後日に至っては15度までしか気温が上がらないようである。再び20度を超えてくるのは来週の月曜日からのようだ。


昨日のシロシビン・セッションについてその他に何か書き残したことはないだろうか。そう言えば、深い体験からゆっくりと覚めてきた時に、幼少時代に聞いた言葉がやたらと思い出された。それは家族との交流を通じてもたらされた種々の言葉たちであった。中には思わず笑ってしまうような言葉もあった。総じて自分を取り巻いてきた言葉は温かいものが多く、それが今の自分の心を築き上げているのだと思った次第である。そして法相宗の僧侶である貞慶が述べた懺悔の大切さを思い出し、過去や直近の自分の至らない言動や振る舞いを懺悔している時間も長くあった。どれだけ唯識学の探究をしても、どれだけシロシビン・セッションを積み重ねても、自分はまだまだ未熟な存在なのである。これからも様々な過ちを犯すだろうが、その過ちの頻度を抑えていくために心を磨くための懺悔を続けていきたい。


最後に、改めてヒト属の自分への深い気づきについて書き留めておきたい。これまで自分がヒト属の生き物であるという明確な意識があっただろうか。概念としてそれを理解していたとしても、自分という人間が他の種族とは異なる生命体であるという明確な気づきはこれまでなかったように思う。シロシビン・マッシュルームという菌類の摂取を通じ、自分という存在が解体され、まるで一度菌類に戻るかのような体験を経てのヒト属への目覚めという流れがあったように思う。大変興味深いのは、かつて恐竜が存在していた太古の地球に意識が飛び、自分が受け継いでいるDNAの一旦は紛れもなくその時に存在していた恐竜の一部から受け継がれたものだと覚知された。それはヴェロキラプトルのような知能が高く狡猾な恐竜であった可能性が高い。知覚されたビジョンの恐竜はまさにヴェロキラプトルのようであった。幼少時代に恐竜図鑑を買い漁り、熱心に恐竜について学んでいた自分について合点がいく。自分の存在の一部は恐竜から受け継がれたものである可能性が高く、それではそれ以前には何から受け継がれたのだろうか。それはやはり菌類のような微生物だった可能性が高い。しかもそれは地球に存在していた菌類ではなく、地球が誕生する前の宇宙空間に散在していた星々に付着して菌類の何かなのではないかと思う。自分の祖先は、そして自分は地球外の生命だったことが確証高く見えてくる。そのようなことを思わせてくれる体験があった。こうして自己の期限が明らかになってくるにつれ、今の自分というヒト属の我への囚われは減少してくるのではないかと思う。自分はかつて恐竜であったという意識。しかもそれはヴェロキラプトルのような知能は高いが狡猾で凶暴な恐竜であった可能性が高いという意識を持ってこれからの日常を生きてみよう。また、自分は地球が誕生する前の星屑に付着していた菌類だった可能性が高いという意識も合わせて持ってこの日常を生き直してみたい。フローニンゲン:2024/7/1(月)07:09


12916. 第35回のシロシビン・セッション後に見た夢  


天気予報とは違って朝日が姿を見せ始めた。今日は確かに気温は低いが、こうして涼しい朝に輝く朝日を拝めることは大きな至福である。昨日のシロシビン・セッションを終えて再び日常を見る目が新たなものとなったことも影響しているだろうか。朝日の輝きがいつも以上に美しく見える。世界が輝きの踊りを踊っているかのようである。


水と呼吸の大切さ。昨日のセッションの中で改めてそれを感じた。人間という生き物として生命活動を維持していく際には種々の栄養が必要だが、やはり最も重要なのは水と酸素であり、それらが生命の根幹にあると改めて実感した次第である。日常生活の中で新鮮な水をいただき、ゆったりと深い呼吸を味わうこと。それを今日からまた意識したいと思う。


シロシビン・セッションを終えた日の夜は夢を見るか見ないかのどちらかのことが多く、夢を見たとしてもそれが鮮明な記憶として残っている場合とそうでない場合とがある。このあたりの場合分けが生じるメカニズムについてはまだよくわかっていない。いずれにせよ、今朝方は断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、高校時代に住んでいたアパートに向けて2人の親友(HO & SI)と一緒に走っている場面である。片方の友人はとても足が早く、彼についていけるか不安があったが、彼はあまり本気を出していないようで、自分たちと同じペースで先頭を走ってくれていた。私ともう1人の友人は彼についていく形で足を前に進めていた。その日は風が強いのか足がなかなか前に進んでいかなった。そこでふと気づいたのは、風は一切吹いておらず、重力が縦方向だけではなく、横方向に働いていることに気づいたのである。なんとも不思議な現象だと思った。横方向に対して働く重力に抗って走るのは非常に困難で、アパートを目前にしてもう足が前に出ていかない状況になった。最後の一踏ん張りをして、目的にアパートの姿が見えたところで走るのをやめようと2人に持ちかけた。走り終えた後は爽快感というよりも安堵感がやって来て、そこで夢の場面が変わった。

次の場面でも1つ前の夢で出てきた親友(HO)が姿を現した。彼以外にも小中学校時代の友人が数名いたし、高校時代の友人もいた。総勢で15人ぐらいの友人たちがいて、5人1組で雑巾掛けのような姿勢で地面を這っていく遊びに興じていた。私たちを見守っている遊びの主催者の男性がいて、彼の掛け声に合わせて何往復か5人1組で地面を行ったり来たりした。3往復ぐらいしたところでその主催者の男性が、結果発表をした。自分の隣にいた組が一番良い成績を収めたらしく、景品として任天堂のゲーム機やソフトを割引で買えるクーポンが渡された。そのクーポンの割引率はとても高く、そのようなものがもらえるのなら最初からもっと頑張っていたのにと少し後悔の念が生まれた。そこで私は隣の組にいた親友に声を掛け、実は自分たちの組はわざと負けてそのクーポンを彼の組がもらえるようにしたという嘘を述べた。彼は一瞬それを疑ったが、私が言葉巧みに説明をしたので、彼は私が述べたことを信じた。そこで私は彼と交渉し、自分もそのクーポンを使えるように手配してもらうことになった。そのクーポンは基本的には勝者の組の人しか使えないようになっていたが、それは単なる決まりで、実際のところそのクーポンは販売機のようなものにかざすと何枚も複製され、ある一定期間の間であれば誰でも使えるものだった。なので私は彼にその場でクーポンを1枚複製してもらうことにし、それを持って任天堂の最新のゲーム機とソフトを購入しようと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/7/1(月)07:43


12917. 能面の「中間表情」/VR技術を通じた能の鑑賞に期待して


時刻は間もなく正午を迎える。午前中は晴れ間が見えたり、小雨が降ったりを繰り返していた。どうやら午後も引き続き晴れたり雨が降ったりを繰り返すようである。


今日の午前中は能と唯識に関する探究を前に進めていた。能面の「中間表情」という性質はとても興味深く、そこには仏教でいう中道が体現されている。能面は演者の動きに合わせて角度を変えることによって表情が変わる。その表情の移ろいはまさに人間の心の移ろいのようである。物質で作られた能面が人間の表情と同じく動きを通じて感情を豊かに表現できる点に改めて着目してみたい。


能への関心が高まるだけ、実際に能楽堂で能を鑑賞したいという思いが強くなる。しかし今は残念ながらオランダという国いることもあり、また日本へ頻繁に帰ることができないので、リアルで能を鑑賞することは難しい。動画配信サービスを調べてみても、能の演目が見られるものはほとんどなく、Blu-Rayもなく、DVDでいくつかの作品が見られるぐらいである。DVDのボックスセットで何か良いものがあれば購入して視聴してみようかと思う。今後VR技術がさらに発展し、伝統芸能がテクノロジーをより活用することになる日を待ち望む。いつか能の演目がVR技術を使って配信され、世界中どこにいても臨場感を持って鑑賞できる日が来ることを期待する。


能と唯識の探究以外にも、今日もまたいつものように英語の発話能力の鍛錬にも従事していた。かなり集中的にある程度の期間鍛錬をしたこともあり、ここからは長時間ではなく、1日に最大3時間程度に学習時間を短縮して、細部を詰めていくような鍛錬をしたい。ネイティブの感覚をここからもより浸透させていく試みに従事していく。スピーキング力とリスニング力を合わせて鍛えていくためのインプットの教材としては、“Psychedelics Today”と“Wisdom Publications”のポッドキャストを中心に据えたい。サイケデリクスと仏教のコンテクストで使われる英語表現にじっくり親しんでいくことは自分の今後の活動において重要である。なぜならそれらの英語を活用することが今後の自分にとって最も多いであろうからである。このようにコンテクストを限定して鍛錬をしたり、コンテクストを広げたりすることを繰り返しながら、着実に自らの英語の運搬能力を高めていきたい。フローニンゲン:2024/7/1(月)12:03


12918. 第35回のシロシビン・セッション後の筋力トレーニングを終えて  


時刻は午後4時半を迎えた。先ほどジムから帰ってきてシャワーを浴びて今に至る。今日は1日を通して涼しく、最高気温は18度ほどだったが、ジムからの帰りは半袖で十分であった。ジムの室温が外気よりも高く、ジムで汗をじんわりかき、代謝も上がっていたことから帰りは上に何かを羽織る必要はなかった。


今日のジムでのトレーニングはシロシビン・セッションの翌日ということもあり、無理をせずに体を鍛えていった。とは言えいつもとさほど変わらない負荷量と時間をかけてのトレーニングとなった。シロシビン・セッション翌日のトレーニングはいつもと違う集中力が発揮される。より身体の内側に向かう意識が高く、集中力は鋭敏である。鋭く高い集中力を発揮しながら体に向き合うことは固有の喜びがある。いつも思うが結局体を鍛えながら自分は精神力を鍛えているのである。肉体を鍛えることは心を鍛えることなのだ。筋肉の肥大化を主とするよりも、それは副産物としてほどほどに生じれば良く、一番の目的は肉体を通して心を強靭なものにしていくことなのだ。とりわけ集中力を鍛えることは唯識学の教えに適っている。唯識学では兎にも角にも禅定状態での高度な集中力の発揮を重要視し、雑念を払って対象に集中し、対象と一体化する訓練が推奨される。観法行だけを実践しているとどうしても雑念に負けてしまうことがあるだろうが、身体を入り口として体を鍛えながらにして集中力を研ぎ澄ませていく道は大変理に適っている。


今日のトレーニングでは大臀筋やハムストリングなどの体の背面の筋肉に焦点をより当てていた。もちろん全面の大胸筋などの筋肉も鍛えていたが、上腕三頭筋や広背筋などの背面の筋肉がやはりトレーニングの焦点であった。今週木曜日のトレーニングでは大腿四頭筋などの前面の筋肉に焦点を当てながら、ダンベルによるルーマニアンデッドリフトではなく、マシーンを使ったハムストリングの鍛錬をしようと思う。ここ最近はジムを終え、老廃物を除去する適度な有酸素運動としての散歩がてら近所のオーガニックスーパーに行って買い物した後に、買い物袋をダンベル代わりとして、ハンマーカールを片方ずつ行いながら歩いて自宅に帰るようにしている。これを通じて上腕二頭筋と腕の前部を鍛えることができている。このトレーニングがあることからジムでわざわざダンベルを用いて上腕二頭筋や前腕の筋肉を鍛えることをしていない。このようにジムだけではなく、生活の中で体を鍛えていく工夫をこれからも楽しみながら行っていきたい。フローニンゲン:2024/7/1(月)16:52


Today’s Letter

I had the 35th psilocybin session yesterday. I took 5.4 grams of dried psilocybin mushrooms, which was more than the so-called hero’s dose (5.0 grams). During the session, I realized that I belonged to the species Homo sapiens, but that my origin was a Velociraptor that existed about 75 million to 71 million years ago. The dinosaur was highly intelligent and cunning. The deeper the experience became, the more I recognized that my origin dated further back to a fungus. The fungus did not live on Earth but came from outer space. Most likely, my origin was an extraterrestrial fungus attached to a star fragment. Groningen, July 1, 2024

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