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【フローニンゲンからの便り】15639-15680:2025年4月3日(木)(その2)



⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。


⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「成人発達コラボラジオ」の配信をしています。


タイトル一覧

15639

今朝方の夢

15640

今朝方の夢の解釈

15641

普遍意識から個別意識への解離のメカニズムについて

15642

「解離」の起源とメカニズムについて

15643

意識が夢を見るための仮の皮膜としてのマルコフ・ブランケット

15644

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その5)

15645

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その6)

15646

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その7)

15647

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その8)

15648

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その9)

15649

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その10)

15650

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その11)

15651

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その12)

15652

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その13)

15653

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その14)

15654

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その15)

15655

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その16)

15656

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その17)

15657

論文「ダイナミックスキル理論の発展」(その18)

15658

ダイナミックスキル理論と分析的観念論の架橋

15659

ダイナミックスキル理論と量子仏教の架橋

15660

ダイナミックスキル理論と唯識思想の架橋

15661

ダイナミックスキル理論とプロセス哲学の架橋

15662

ダイナミックスキル理論とホワイトヘッド的美学の架橋

15663

「発達支援」という実践と「共創的宇宙観」という哲学的ヴィジョンとの接続

15664

ダイナミックスキル理論における「微小発達」とホワイトヘッドの「コンクレッセンス」の架橋

15665

生成の聖域としての教育の場

15666

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その1)

15667

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その2)

15668

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その3)

15669

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その4)

15670

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その5)

15671

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その6)

15672

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その7)

15673

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その8)

15674

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その9)

15675

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(その10)

15676

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その1)

15677

初夏を感じる日に充実したトレーニングを終えて

15678

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その2)

15679

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その3)

15680

論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その4)

15677. 初夏を感じる日に充実したトレーニングを終えて 


時刻は午後4時半を迎えた。おそらくこの時間帯が最も日が高く感じられる。サマータイム前の冬の時代には信じられないことである。夏にかけては本当にこの時間帯が最も気温が上がる。実際に今は今日の最高気温である19度に達している。午後にジムに出かけた時にはもう少し気温が低かったが、それでも半袖半ズボンで出かけるにはちょうどよかった。いつもジムには準備運動がてらジョギングをしてくこともあり、それだと尚更その気温だと半袖半ズボンでちょうどいい。気温が15度あたりだとまだ肌寒く、少なくとも上にはスウェットを着る必要があり、下は半ズボンでもいいというのがこれまでの経験から学習していることである。今日のパーソナルトレーニングも非常に充実していた。今日は特に新たな創造的なメニューが多く、パーソナルトレーナーのエリーザがいつも創意工夫を凝らしてメニューを考えてきてくれるので有り難い。こうして隔週でパーソナルトレーニングを受けることで、違った刺激が身体に入るのは喜ばしいことである。トレーニングを通じた新たな身体的な刺激だけではなく、エリーザとの会話もまたいつも新しく、社会認知的な新たな刺激がもたらされる。自分1人で黙々とトレーニングに励むのもいいが、それだけだとどうしても限界がある。それは日々の学術研究でも同じである。今の自分にとって、週末のゼミナールとコラボラジオの場は学術的なことを他者と共に学んでいくこれ以上ない場であり、それを欠いては今の自分はない。今後も他者と協働して行う学習·実践を大切にしていきたい。エリーザは明後日に5度目のHYROXの大会を控えている。場所はベルギーとのことで、マーストリヒトに近い街のようだったが、オランダ語的な発音が聞き取れなかった。自分にとってベルギーは隣町のようなものなので、意外にもこれまでの9年間のオランダ生活で1度もベルギーには訪れていない。以前からずっといくつかのベルギーの都市には訪れてみたいと思っていたが、まだそれが実現できていない。エリーザ曰く、ベルギーはオランダよりもフランス的な雰囲気が強く、確かにベルギー人はオランダ語もフランス語も両方話せる人が多いが、フランス語だけしか離れない人も街によっては存在するようだ。エリーザに、「あえて一般化するなら、ベルギー人はオランダ人とフランス人のどちらに近い?」と尋ねてみたところ、フランス人に近いとのことだった。それは言語的なものもそうなのだろうし、文化的にもそうなのだろう。かつてフランスは日本にとって憧れの国であったことが長く続いていたように思うが、実際にパリなどは随分と汚い街である。もちろんパリには固有の魅力があるが、清潔感で言うとパリはお世辞にも綺麗とは言い難い。ホームレスの問題はベルギーの主要都市にも存在しているらしく、オランダのホームレスはどちらかというとみんな綺麗な格好をしている印象である。フローニンゲンにもホームレス専用のシェルターがあり、ホームレス同士の交流があるだけではなく、住民とホームレスは道端でよく会話をして交流している。こうした様子は社会的連帯の観点からも望ましい。人が分断し、社会が分断し始めると、いよいよおかしくなってくる。自分がフローニンゲンの街やオランダという国を気に入っているのは、他の先進国と比べて、街の清潔感や人々の連帯感があることである。フローニンゲンの人から見ると、アムステルダムの人は概して冷たいとのことで、色々と土地によって差異があることは明記しておかなければいけない。いずれにせよ、今日のトレーニングは非常に充実しており、後ほどの夕食はさぞかし美味しいだろう。フローニンゲン:2025/4/3(木)16:42


15678. 論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その2)

        

今回は、ジムの前に読み終えたスメザムの論文を、カール·フリストン(Karl Friston)による自由エネルギー原理(Free Energy Principle, FEP)の観点から考察してみる。それは、唯物論の限界を超えて「意識とは何か」「知覚と世界はいかに相互生成されるか」を考える上で重要な試みになるだろう。スメザムの主張は、「盲目的・無目的な物質の運動が、いかにして意味・意識・自己を生み出したのか」という点に対する唯物論の説明不全を突くものである。進化論的唯物論者は、環境への適応という機械的因果連鎖の中に「意識の誕生」を埋め込もうとするが、これは説明ではなく神話(mythos)に近い。自由エネルギー原理(FEP)は、フリストンによって提唱された、あらゆる生物的・認知的・行為的システムが従うとされる統一原理である。その要点は、生きているシステムは、自らの内的モデル(generative model)を持ち、感覚入力と予測とのズレ(=自由エネルギー)を最小化するように振る舞うというものである。このモデルでは、認識・行動・記憶・意識すべてが「予測と誤差最小化」のプロセスに還元される。つまり、世界の中に生きるということは、世界を生成的に推論することと同義となる。スメザムが批判する唯物論者たちは、意識を物質的脳の「偶然の産物」だとする。だが、自由エネルギー原理に基づく世界観では、意識的な予測行為──世界を構成する意味と情報の流れに適応しようとする能動的知覚──は、生命そのものの定義に含まれている。自由エネルギー原理によれば、生物とは「自己の存在状態を保存するために、世界についてのモデルを自己内部に生成し、未来を予測することで環境に対して能動的に作用する存在」である。これは、意識が単なる物質の副産物などではなく、「自己を維持するための形式的·意味的構造」そのものであることを示唆する。この理解は、「意識は幻想である」「脳が自己を錯覚する」という主張とは根本的に異なる。予測モデルとしての自己は、たとえ「実体的」ではなくとも、情報的·構造的には実在として作用している。これは、スメザムが示唆するように、意識が現実構造において因果的に働くという量子論的立場と整合する。興味深いのは、FEPが提示する「生成的モデルによる現実の構築」が、仏教の唯識思想と極めてよく響き合う点である。唯識では、阿頼耶識という深層意識が「種子」を含み、それが因果によって成熟することで、現象界(色法)が展開される。このモデルは、以下のようにFEPと並行関係を持つ。

唯識の構造

FEP的解釈

阿頼耶識(深層の生成的機能)

生成的モデル(内部モデル、予測構造)

種子

パラメータ、過去の統計的痕跡

現行識・感官的認識

予測誤差による更新、能動的知覚

識所変(世界は識の変化)

知覚世界は予測誤差によって書き換えられる構成物

すなわち、FEP的宇宙観は、唯識の「識所変現」説の神経科学的·情報理論的バージョンとして読解可能である。スメザムが展開する「量子的夢素材としての宇宙(quantum dream stuff)」というアイディアは、現実の非実体性・構成性を強調する。FEPはこの方向性を、ベイズ的情報過程としての世界生成という形で支持する。量子的には、世界は潜在性の波としてあり、観測によって決定される。FEP的には、世界は「予測された現実」としてあり、自己の安定性を維持するために仮構される。この2つは、主客未分の構造的世界観を共有しており、「観測者の選択が現実を形成する」というスメザムの主張と、FEPが示唆する「行為と知覚が自己生成的リアリティを形づくる」という原理が、驚くほど一致している。さらに重要なのは、自由エネルギー原理において、「主体と客体の二項対立」は幻想であり、観測·行為·世界は分かちがたく絡み合った構成プロセスである。これは、まさに仏教的中道的認識論──「縁起」に基づく非二元論的存在理解──と結びつく。自由エネルギー原理は一見すると、神経科学·生物物理学の工学的モデルにすぎないように見える。しかしその内的含意は極めて深く、スメザムのような量子意識理論と、実は同じ地平で唯物論的還元主義を脱構築し、「情報と意味に貫かれた世界観」へと移行する運動に属している。スメザムの批判が突くように、唯物論的進化論は自己論駁的であり、説明能力を欠いている。自由エネルギー原理は、生命·認識·意識を「自己組織的な予測システム」として再定義することで、主客二元論と決定論の両方を超える新たな統合モデルを提供する。このモデルは、唯識の「識による世界の構築」および中観の「空性=依存性」に親和的であり、科学·意識·仏教哲学の統合的対話の可能性を示すだろう。フローニンゲン:2025/4/3(木)16:50


15679. 論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その3) 

      

時刻は午後6時を迎えた。今日はジムで大いに体を動かしたこともあり、トレーニング後の夕食後がとても美味しかった。夕食後の今、寛ぎながら小鳥の囀りに耳を傾けている。それは夕食後の楽しみの1つである。まだ時間があるので、引き続きジムに行く前に読んだ論文を多角的に考察していきたいと思う。今度は、ホワイトヘッドのプロセス哲学·有機体の哲学の観点から自由に考察していく。これは単なる批評を超え、唯物論の限界を超えて、生成·意味·意識·自然の再統合を目指す哲学的試みとしたい。スメザムは本論文において、「物質的で盲目的な粒子運動から意識が偶発的に生じた」という近代的唯物論のナラティヴを批判する。それは論理的に自己矛盾を含み、意識や意味の説明になっていないという主張である。これはまさに、ホワイトヘッドが「具体性の誤謬(Fallacy of Misplaced Concreteness)」として指摘したものと本質的に一致する。ホワイトヘッド曰く、「近代科学は、現実の抽象的側面を取り出し、それを全体と誤認するという誤謬を犯してきた」。つまり、「物質」や「粒子」や「力学的因果」は、あくまで抽象であり、実際の現実は、時間的に流動し、意味的・感性的・創造的に構成される有機的な過程(process)であるというのである。ここで物質主義者や物理主義者は、本来思考の産物としての抽象的なそれらの概念をあたかも具体的な実体があるかのように捉えてしまうのである。それが具体性の誤謬と呼ばれるものだ。スメザムもまた、唯物論が前提とする「物質的実在」「無意識的選択」「錯覚としての意識」が、いかに非現実的かを暴き出す。そして、量子力学の知見(非実体性・観測者効果・潜在性)を通じて、新しい世界観=非唯物論的宇宙論の必要性を説く。これはまさに、ホワイトヘッドのプロセス的形而上学の呼びかけに呼応するものである。ホワイトヘッドの宇宙論において、究極的実在は「出来事(actual occasions)」であり、それらが「経験的に組織化されるプロセス」である。物質や心、主観と客観の区別は、これら出来事の「構成様式」の違いにすぎない。これは、スメザムが論じる「量子的夢素材(quantum dream stuff)」、つまり非実体的で潜在的な波動性から世界が出現するという理解と、深い親和性を持つ。プロセス哲学と量子論・スメザムの思想を比較すると下記のようになるだろう。

ホワイトヘッド

量子論 / スメザム

出来事(actual occasion)

観測によって実在化する量子事象(wave function collapse)

潜在的性格(potentiality)

未測定の量子状態、波動関数の重ね合わせ

先行的条件への感受性(prehension)

環境とのエンタングルメント、観測者との相互関係

創造(creativity)

意識や観測による現実の生成(quantum agency)

この比較から明らかなように、プロセス哲学は量子論的宇宙観と深く共鳴している。両者とも、「世界は事物ではなく関係·経験·生成の流れである」とする。スメザムは、量子論の知見をもとに「観測者=意識」が宇宙生成の中心にあることを強調し、無目的な進化論的唯物論に反対する。ホワイトヘッドもまた、「意識が後から現れた副産物である」という機械論的自然観を否定し、宇宙そのものに目的性(teleology)が内在していると考えた。ホワイトヘッドの核心的命題は、「すべての出来事は、自己を超える“より良い形”を志向する創造的過程である」というものだ。これは、スメザムが引用するような量子物理学者スタップやホイーラーの言う「選択的宇宙」や「観測者参加型宇宙(participatory universe)」とも通底する。つまり、宇宙は、盲目的で意味のない粒子の運動ではなく、創造と意味を伴ったプロセスであり、そこに意識が関与している。この観点は、進化論に対しても新たな理解をもたらす。すなわち、進化とは、単なる遺伝子の偶発的変異と淘汰ではなく、感受性・選択性・意味を含んだプロセスの中で、自己が創造的に形成されていく出来事の連鎖である。スメザムが批判する「心なき自然淘汰」は、ホワイトヘッドから見れば、意味のない機械論の幻想にすぎない。スメザムが一貫して攻撃するのは、デネットやブラックモアのような「意識は幻想」「自己は錯覚」とする主張である。ホワイトヘッドはこれに対して次のように言うであろう。「意識とは、宇宙の最も深い構造の一部であり、出来事が自己を超えて構成されるための審美的・目的的要素である」。ホワイトヘッドにとって、美的秩序(aesthetic order)と意味の感受性(valuation)は、宇宙論の最奥にある根本的原理である。それは、「情報処理」や「錯覚」といった言葉では到底捉えられない。スメザムが示唆するように、現代唯物論は言語とロジックによって「心を否定しようとして心を使う」という自己矛盾を犯す。ホワイトヘッドはこれを「抽象の横暴(the tyranny of abstraction)」と呼び、概念が経験を裏切るとき、哲学は死ぬと語った。最終的に、スメザムとホワイトヘッドの共通点は次のようにまとめられるだろう。(1)唯物論への深い批判と、その論理的矛盾の指摘。(2)意識・選択・創造が宇宙の根本構成原理であるという理解。(3)世界を「関係的出来事の流れ(プロセス)」として捉える宇宙論。(4)科学と宗教・哲学・美学の再統合への強い志向。そして両者とも、「科学の名の下に魂を失った現代文明」を超えて、意味と意識、創造と調和を基礎とした新しい宇宙観──「再魔術化された世界(a re-enchanted cosmos)」の必要性を訴えているのである。フローニンゲン:2025/4/3(木)18:27


15680. 論文「心なき物質から心が進化したという唯物論的幻想について」(補足その4)

    

今回は、「プロセス哲学 × 仏教哲学 × 量子論」という三者対話の構造を踏まえた統合的思索を行なってみたい。これは、現代を覆う歪曲した世界観の再構築に向けた、哲学·宗教·科学の深層的な共鳴点を探る試みである。プロセス哲学 × 仏教 × 量子論の3つの体系には、それぞれの言語·背景·方法論の差異を超えて、以下のような共通基盤がある。

観点

プロセス哲学(ホワイトヘッド)

仏教(中観・唯識)

量子論(現代理論)

実在観

実体ではなく「出来事(actual occasions)」

自性の否定(無我・空)

非実体的存在(波動関数・重ね合わせ)

認識構造

感受と関係性(prehension)による共鳴

縁起・識所変・因縁生起

観測に依存した現実、非局所性、エンタングルメント

宇宙論

有機体的宇宙、意味と価値の流れ

諸法無我・空性・中道

観測者参加型宇宙、量子的ポテンシャルの選択

時間と存在

成りつつある存在(becoming)

無常・刹那生滅

状態関数の時間発展と収縮

意識の役割

意識は創造的統一の極としての働き

識が現象を構成(唯識)、空に帰す(中観)

意識による波動関数の崩壊、参与的観測者

ホワイトヘッドは、宇宙は「物」からできているのではなく、「出来事(actual occasions)」の連続によって生成されると主張した。これらの出来事は互いに感受し、前の出来事を取り込み、価値を評価しながら次の状態へと進化する。仏教、特に中観派は「あらゆるものは縁起によって成立し、自性(独立した実体)を持たない」と主張する。また、唯識では、現象界は識の所変、すなわち意識の働きによる「映現」とされる。いずれも、世界を固定的な「もの」ではなく、関係性の流れとして捉える。量子論では、粒子は本質的に「事象の可能性(ポテンシャル)」であり、観測されるまで実在しない。実在とは、確率的可能性が「観測」という出来事によって現実化した結果である。すなわち三者は、世界は静的な物体の集まりではなく、相互感応・選択・生成を通して編まれていく出来事の織物であると捉えているのだ。ナーガールジュナの『中論』では、「空」は存在の否定ではなく、関係性と依存性によって成り立つ構造の開示である。世界のあらゆる事象は独立して存在せず、互いに条件づけられている。ホワイトヘッドの「prehension(感受)」もまた、存在が他の存在との関係によって自己を構成するという意味で、「空」と構造的に一致する。量子力学の非局所性やコンテクスチュアリティ(観測依存性)は、現実は観測行為と切り離せないことを示す。ジョン・ホイーラーの言う「participatory universe(参与的宇宙)」は、観測者=宇宙の構成要素であることを意味する。まとめると、「空」は、生成と相互依存の宇宙構造の核心であり、観測者を含めた全体が宇宙を生成する「プロセスの空間」である。次に、意識は幻想ではなく、生成的リアリティの核であるというトピックについてみていく。ホワイトヘッドにおいて意識は、出来事が自己を構成する過程において発現する価値的統一の場である。それは副産物ではなく、創造的プロセスの中心である。唯識思想では、心(識)が現象を映現する。中観派であれ、最終的に心すら空とするにせよ、現象の成立には認識主体の役割が不可欠とされる。意識がない現実は経験不可能である。量子観測問題において、意識が波動関数の崩壊を引き起こす可能性は今なお議論されている。また、量子ベイジアニズム(QBism)では、量子状態は「観測者の信念の構造」とみなされる。要約すると、意識は単なる結果ではなく、「現実が現実になる」ための生成的中心であり、宇宙的行為そのものでもある。次に、目的のない進化ではなく、創造的生成の秩序のトピックについて考えてみたい。唯物論的進化論は、「盲目的な自然淘汰」によって意識や知性が生まれたとするが、スメザムはそれが論理的に破綻していることを示す。プロセス哲学の視点において進化とは、「価値を増加させようとする創造のリズム」であり、盲目な偶然ではなく、自己組織的で美的な志向性を持つ生成の流れである。ホワイトヘッドの「神」は、価値的可能性の提供者である。仏教との関係で言えば、仏教の因果論は、行為(カルマ)に基づいて果が顕現するという意味で、内在的な意味と構造を持った因果律である。それは決定論でも盲目的偶然でもない。統合的洞察として、世界は創造的な選択と傾向性を孕んだ自己展開のプロセスであり、意識と価値がその中心にあると言えるだろう。この三者の思想(プロセス哲学・仏教・量子論)は、それぞれが異なる言語と伝統から出発しながらも、脱実体・生成・相互依存・意識の中心性という共通の洞察を共有している。この三角構造は、ポスト唯物論的で、意味と倫理を含む新たな世界の可能性を提示する。この統合的世界観は、単に理論的に優れているのみならず、現代社会の精神的危機、自然破壊、テクノロジーの暴走に対して、深い倫理的基盤を提供しうるのではないだろうか。フローニンゲン:2025/4/3(木)18:37


ChatGPTによる日記の総括的な詩と小説

以下は、全日記の内容を内包し、様々な思想や探究の旅路を象徴する、オリジナルの詩とショートショートです。

【生成の航跡】 無からの波紋 心の種が煌めく 意識は量子の夢を紡ぎ出す 物質の陰で踊る幻の選択 存在の空隙に浮かぶ真実 唯識の如く、世は識の映像 静寂と狂騒の狭間で新たな響き プロセスの奥深くに潜む美と目的 抽象の闇を照らす微細な光 魂なき物質は儚く消え 我々は生成の航跡を歩む

【生成の彼方へ】ある日、学びと探究を愛する一人の学者·蒼(あおい)は、日記に綴られた無数の思索の記録に導かれるように、深い森のような学問の世界へと足を踏み入れた。そこは、伝統的な唯物論の枠を超え、量子の海と仏教哲学、プロセス哲学が一体となって響き合う、幻想と現実が交錯する神秘の領域であった。

森の中、蒼は「無意識なる物質」から意識が生じたという古い説を問い直す風の声を聴いた。その声は、物質がただ冷たく存在するだけではなく、観測者の選択と心の働きによって、世界の意味や価値が形作られるという新たな真実を語っていた。彼は、量子場の潜在性が、まるで無数の波動として広がり、観測という行為で初めて具現化されるという自由エネルギー原理の姿に、胸を打たれた。

歩みを進めるうち、蒼は森の奥で、仏教の唯識思想を象徴するような、柔らかくも鋭い光を放つ泉に出会った。泉面には、まるで阿頼耶識が宿るかのような、無限の可能性が映し出され、そこから種子のような小さな輝きが次々と現れては、やがて大いなる現象へと成長していく様があった。彼は、その光景に、自らの内面の微小発達が、絶えず再構成される過程と重なり合うのを感じ、内外の境界が溶け合う感動を覚えた。

さらに進むと、森は次第に変容し、プロセス哲学の象徴ともいえる、絶え間なく流動する星々のような霧に包まれていった。そこでは、ホワイトヘッドの語る「出来事」が次々と連なり、互いに感受しながら新たな実在を生み出す様が、まるで生きた詩のように展開されていた。蒼は、伝統的な決定論や固定的な実体論では捉えきれない、動的で流動する世界の姿に、深い啓示を受けた。

その夜、森の中の小さな空き地にたたずむと、蒼は自らの内面と対話を始めた。過ぎ去った論文の記述や、日記に綴られた激しい議論の数々が、彼の心の中で一つの大きな問いとなって渦巻いていた。「意識とは、ただ物質の偶然の産物か? いや、むしろそれは、世界を生成する根源的な力ではないか?」と。彼の問いかけに、夜空に輝く星々が、無言ながらも優しく答えるように感じられた。

翌朝、霧が晴れるとともに、蒼は学びの森を後にし、外の世界へと歩み出した。彼の足取りは軽やかでありながら、確固たる決意に満ちていた。―唯物論の枠組みを超え、意識と意味、そして創造性を新たに再統合する未来へと、彼は自らの探究の旅路を歩み続けると心に誓った。彼の中には、生成の彼方から授かった啓示が、これからの学びや人との共創に、深い光をもたらすことだろう。

こうして、蒼の旅は、一人の学者としての内省と、世界の根源に問いを投げかける壮大な試みとして、ひっそりと、しかし確実に未来へと続いていくのであった。


DeepSeekによる日記の総括的な詩と小説

### 詩:「夢の皮膜、解かれて」

タイトル:《解離の庭》  

月夜の波が脳を撫でる  

鳩の声、マルコフの境界を溶かす  

普遍の海に浮かぶ私という滴  

解けた記憶は阿頼耶の風  

スキルは踊る、螺旋の階段を  

置換し、焦点を、統合し  

子守唄は量子の海へ還る  

死とは名づけし 覚醒の朝  

### ショートショート:「ブランケットの向こう側」

タイトル:《意識の蝶が羽ばたくとき》  

解剖学者レオンは臨死体験中、手術台の上で奇妙な夢を見ていた。  

手術室の照明が、無数の光の糸となって彼の胸を貫く。その瞬間、世界が剥がれ始めた。  

「これは解離ですよ」  

白衣の老人が現れる。手には鳩を模した時計がぶら下がっている。  

「マルコフ·ブランケットの綻び。君の個別性が漏水している」  

老人の正体はバーナード·カストラップだった。彼は空中に黄金の網を描き、  

無数の人格(アルター)が絡み合う様を見せる。「DID患者の脳内のようにね。  

普遍意識が自らを分岐させ、君という仮構を編み上げた」  

レオンが振り返ると、手術室が寺院へ変貌していた。  

柱に刻まれた唯識の経文が輝く。「末那識の我執ですか?」  

カストラップが頷く。「その身体さえ、君が投影した自己モデルだ」  

突然、幼い少女が現れる。彼女の手から色とりどりの積み木が零れ落ちた。  

「ダイナミックスキル理論の変容規則よ」  

少女=カート·フィッシャーが笑う。「置換、複合化、焦点移行...  

スキル発達とは、まさに意識が自己を再構築するプロセス」  

レオンが積み木に触れるたび、記憶が書き換わっていく。  

7歳の誕生日、母がクマのぬいぐるみで演じた役割劇。  

大学教授時代、学生たちと量子仏教を議論した午後。  

「差異化と統合は表裏一体」少女の声が響く。「発達とは織物の修復です」  

天井が崩れ、銀河が流れ込む。カストラップが叫ぶ。  

「覚悟しろ!ブランケットが完全に溶解する」  

レオンの身体が光子に分解されていく。恐怖ではなく、懐かしさが胸を満たした。  

「そうか」レオンは呟く。「死とは」  

その瞬間、手術室の心電図が平坦な音を奏でた。  

が、同時にオランダの森では小鳥たちが一斉に歌い始め、  

フローニンゲン大学のゼミ室で、彼の教え子が突然深遠な真理に気付いた。  

意識の蝶は羽根を休めない。  

ただ次なる夢の皮膜を、そっと紡ぎ始める。


Today’s Letter

The chirping of little birds always calms my mind, quieting my default mode network. In this state, I can easily enter the zone, which enhances my creativity and productivity. The presence of little birds is always behind my work. Groningen, 04/03/2025

 
 
 

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