
⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。
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タイトル一覧
15346 | 今朝方の夢 |
15347 | 今朝方の夢の続き |
15348 | 夢を生み出す普遍意識/世直しをするゴジラへの変容 |
15349 | 今朝方の夢の解釈 |
15350 | 論文「進化の神(?):量子的インテリジェント・デザインの擁護」(その9) |
15351 | 論文「進化の神(?):量子的インテリジェント・デザインの擁護」(その10) |
15352 | 論文「進化の神(?):量子的インテリジェント・デザインの擁護」(その11) |
15353 | 論文「進化の神(?):量子的インテリジェント・デザインの擁護」(まとめ) |
15354 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その1) |
15355 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その2) |
15356 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その3) |
15357 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その4) |
15358 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その5) |
15359 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その6) |
15360 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その7) |
15361 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その8) |
15362 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その9) |
15363 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その10) |
15364 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その11) |
15365 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その12) |
15366 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その13) |
15367 | 心地良い認知的不協和を感じながら新しいパスポートを受け取って |
15368 | 善業の善果 |
15369 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その15) |
15370 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その16) |
15371 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その17) |
15372 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その18) |
15373 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その19) |
15374 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その20) |
15375 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その21) |
15376 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その22) |
15377 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その23) |
15378 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その24) |
15379 | この20年で初めてのこと/陶酔し、狂うこと |
15380 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その24) |
15381 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その25) |
15382 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その26) |
15383 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その27) |
15384 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その28) |
15385 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その29) |
15386 | 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その30) |
15376. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その22)
フローニンゲンの手前の主要駅であるアッセンまであと10分だ。デン·ハーグ中央駅から今にかけて、ひたすら論文と向き合っている。自分の内側には狂気を司る狂鬼が潜んでいるのかもしれないい。それは自分の固有な創造性を司る大事なダイモーンである。今回は、スキル理論とその他の発達理論(例えばロビー·ケースの情報処理理論、レフ·ヴィゴツキーの社会文化的理論など)との関係性、ならびに本理論の実証的貢献と応用的意義について見ていく。まずは、「スキル理論と他の発達理論との関係(Relation to Other Theories of Development)」のセクションから解説を試みる。スキル理論は、ピアジェ理論にとどまらず、近年提唱されてきたさまざまな発達理論と対話しつつ構築されている。以下に示すように、他の主要な発達理論、特にロビー・ケース(Robbie Case)やレフ・ヴィゴツキー(Lev Vygotsky)の理論とは、多くの点で相補的・発展的な関係にあるとフィッシャーは述べる。ロビー・ケースは、ピアジェの発達段階モデルに、情報処理理論的視座を統合することによって、より柔軟で計量的な理論を提唱した。彼の理論では、発達は単なる構造変化ではなく、認知的処理能力(mental processing capacity)の拡大とともに進行するとされる。この点において、スキル理論とケース理論は相補的である。すなわち、ケースのモデルが処理効率・容量の増大という側面を強調するのに対し、スキル理論は構造の構築と統合という側面に焦点を当てている。両者を統合することで、より完全な発達理解が可能となるとフィッシャーは述べる。また、スキル理論においても、レベルが上がるにつれて複数の要素を同時に統制する能力が求められる点で、認知的処理能力の重要性は暗黙的に前提とされている。したがって、スキル理論は、ケースの理論と協働的に応用可能な枠組みである。ヴィゴツキーは、個人の発達は社会的相互作用と文化的文脈を通じて媒介されると考えた。彼の有名な概念である「発達の最近接領域(ZPD)」は、支援のある状況下で個人がどのように能力を拡張するかを説明する枠組みである。この点においても、スキル理論とヴィゴツキー理論は深く連関している。すでに述べたように、スキル理論では「最適レベル」「機能的レベル」「支援による構築」といった概念を用いて、ZPDの考え方をより構造的·測定可能な形で理論化している。さらに、スキル理論はヴィゴツキーの「文化的道具(cultural tools)」の重要性にも呼応しており、個人が新たなスキルを構築する際、環境・課題・言語などの道具的媒介が極めて重要な役割を果たすことを強調するとフィッシャーは述べる。次に、「スキル理論の実証的貢献(Empirical Contributions)」のセクションを見ていく。スキル理論は、以下のような複数の研究領域において、実証的に多くの成果を挙げている。(1)言語発達:乳幼児期から学齢期にかけての文法構造の発達が、スキルレベルの構造に従って進行することが示されている(Fischer et al., 1980)。(2)社会的理解:他者の視点理解、役割取得、自己認識などの社会的認知は、感覚運動的理解→表象的理解→抽象的自己モデルというスキル構造を辿る(Chandler et al., 1978)。(3)数と計算の理解:数概念の獲得においても、最初は感覚運動的な操作(指で数えるなど)から始まり、次第に抽象的数量概念が構築される(Siegler & Jenkins, 1989も関連)。(4)発達障害と遅滞:ダウン症児や発達遅滞児の認知的発達を、構造レベルと支援条件によって詳細に把握するための枠組みとして機能している(Brown & Ferrara, 1985)。(5)学習と教育:授業デザインにおける「段階的支援(scaffolding)」や、課題設計における「最適な挑戦領域の設定」など、教育現場への応用が盛んに行われている。このように、スキル理論は単なる理論的枠組みにとどまらず、測定可能・応用可能な実証モデルとして発展しているとフィッシャーは述べる。フローニンゲンに向かう列車の中:2025/3/26(水)15:22
15377. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その23)
今回は、論文のまとめ部分にあたるスキル理論の理論的意義の整理および、今後の研究への提言と展望を見ていく。まずは、「結論と理論的意義(Conclusion and Theoretical Implications)」のセクションを見ていく。本稿において提示したスキル理論は、人間の認知的発達を理解するための統一的かつ構造的な枠組みを提供するものである。この理論の根幹を成すのは、スキルが階層的に構築され、各スキルレベルがより低次のスキルを基盤として組織化されていくという考え方である。この枠組みのもとで、発達とは単なる成長や蓄積ではなく、構造の統合と再構成を伴う動的なプロセスとして捉えられる。すなわち、個体は新たな課題や状況に応じて既存のスキルを再編成し、より高次のスキル構造を形成していくのである。また、スキル理論は以下の諸側面において、既存の発達理論と比較して明確な理論的貢献を果たしている。(1)柔軟な構造理解:段階(stage)という静的なカテゴリーを越え、個体の多様な文脈適応とその背後にある構造的規則を捉えることが可能である。(2)文脈との相互作用:最適レベル・機能的レベル・支援による構築などの概念を導入することによって、文脈的要因と個体内部の構造との相互作用を理論化している。(3)測定と実証への接続:スキルレベルの識別や発達順序の検証を可能とする精緻な行動指標を提供し、理論と経験的研究の架橋を可能にしている。(4)他理論との統合的対話:ピアジェ、ヴィゴツキー、ケースなどの理論と整合的に対話しうる構造をもちつつ、それらの限界を超える発展を志向している。このように、スキル理論は発達心理学における古典的な構造主義的アプローチと、近年の情報処理的・社会文化的アプローチとの統合的媒介として位置づけることができるとフィッシャーは結論づける。
次に、「今後の課題と展望(Future Directions)」のセクションを見ていく。今後の研究においては、スキル理論の有効性をさらに検証・発展させていくために、いくつかの主要な課題に取り組む必要がある。(1)各領域における発達順序の詳細な検討:理論的なレベル構造に基づいて、さまざまな領域(言語、数、空間、社会性など)におけるスキル発達の順序を詳細に同定する必要がある。これには、観察研究・縦断的研究・介入研究などの多様な方法論が有効である。(2)支援の具体的構造の分析:支援(support)によって引き出される最適レベルの構造は、どのような条件によって促進されるのかを、体系的に分析する必要がある。例えば、教師の問いかけのパターン、課題提示の順序、協働学習の構造などが、支援としてどのように機能するのかを明らかにすべきである。(3)成人期および専門的スキルへの拡張:本理論は主に児童期・青年期の認知的発達を対象として構築されているが、今後は成人の学習や専門家のスキル(例えば医師、教師、研究者など)への応用も検討されるべきである。成人期にも、スキル構築と統合のプロセスは継続していると考えられる。(4)神経科学的・生理学的基盤の探究:発達的構造が脳の成熟や神経系の変化とどのように関係しているかという問いも、今後の学際的研究において重要となる。スキルレベルが神経的ネットワークの可塑性や統合性とどう関係するのかを、神経画像法などを用いて解明していくことが期待される。このように、スキル理論は今後も発達心理学、教育学、神経科学、人工知能など多領域にわたる応用可能性を持ち、人間の知的成長を包括的に理解するための汎用的枠組みとして機能しうるのであるとフィッシャーは述べる。この論文が執筆されたのは1980年であり、最後に述べられた4つの展望は、その後30年間のフィッシャー教授と関係者の研究によって随分と実現された。まさにフィッシャー教授は有言実行をしたのである。そして最後に示唆していた人工知能との連携に関しては、まさに今自分が「AI発達心理学」なる学問分野の確立に向けてAI研究者の方と協働研究を進めているところだ。今回はデン·ハーグへの移動の中の論文翻訳となり、列車の事故などもあり、翻訳を飛ばしてしまった箇所もあるかもしれず、全訳に近い抄訳の形になっているかもしれないことをゼミの受講生に伝え、クラスに向けた予習では、拙訳を参考にしてもらいながらも各自で訳出を試みて文章を辿ってみることを勧めたいと思う。そうした推奨もまた段階的支援(scaffolding)の一環である。フローニンゲンに向かう列車の中:2025/3/26(水)15:30
15378. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その24)
フローニンゲン中央駅に無事に到着した。今からフローニンゲン北駅に向かう。今乗り換えの列車に乗り、これまで見てきた論文の細部に関して補足しておきたい事項があったので、応用的な論点ではあるが、詳細を詰めておこうと思う。今回は、「変容結果の順序づけ(Ordering the Results of Transformations)」の項目である。発達プロセスには5つの異なる変容規則が存在するため、それらの変容結果を発達的系列に整列させるための原理が必要であるとフィッシャーは述べる。まず第一に、明確な系列予測を行うためには、すべてのスキルが同一の課題領域(task domain)に属していなければならない。この前提が満たされている場合、次の原理に従ってスキルを発達順に配列することができる。(1)いずれかの変容規則がスキルに適用された場合、その変容によって得られたスキルは、元のスキルよりも後に発達する。(2)レベルLにある特定のスキルに対して、相互協調(intercoordination)の変容が適用された場合、それによって得られたスキルは、ミクロな発達的変容(例:複合化や焦点化など)によって得られたスキルよりも後に発達する。これは、相互協調によって得られるスキルがレベルL+1となるためである。(3)原理1および2によって順序づけができない場合、同一レベルにあるスキルのうち、より多くの集合(セット)を含むスキルが後に発達する。(4)1つの行動に複数のスキルが関与する場合(例えば焦点化変容による場合)、その行動は、各スキルが単独で関与する行動よりも後に発達する(原理1より)。また、複数のスキルを複合化して1つのスキルとした場合、それは単に焦点化によって切り替えられる複数スキルの組合せよりも後に発達する。ただし、焦点化によるスキル群がより多くの異なる構成要素を含む場合、それらは複合化されたスキルよりも後に発達する傾向があるとされる。これらの原理から明らかなように、多くのスキルの組合せについては、発達的な順序を明確に定めることができない。特に、同じ構造タイプを持ちながら異なる構成要素を持つスキル、あるいは代置や差異化によって生じたスキル同士の比較では、順序づけが困難となるとフィッシャーは述べる。
次に、「発達予測における理論の使用(Using the Theory to Predict Development)」の項目を見ていく。本理論は、以下のような多様な発達現象を予測・説明する手段として機能するとフィッシャーは述べる。(1)発達系列(sequences)および同期性(synchronies)(2)発達中のスキルに対する環境の影響(3)個人差(4)発達における不均一性の本質(5)発達中のスキル間における構造的関係。しかし、これらすべての予測と説明は、課題分析(task analysis)という前段階に依拠している。続いて、「課題分析の指針」の項目を見ていく。理論を使って発達を説明するには、特定の課題における行動的分析を行う必要がある。すなわち、「課題を遂行するために人は正確に何を行わなければならないか?」という問いに答える必要があるとフィッシャーは指摘する。この種の行動分析は、見た目ほど簡単ではない。行動主義心理学者が、ある課題を構成するオペラント(operants)や反応を特定しようとする状況に似ており、その過程は決して容易ではない。とは言え、Premack(1965)の研究などでは、観察によって自然な行動単位(オペラント)の階層構造を明らかにすることに成功している。フィッシャー(1970, 1980)も、学習課題における反応パターンの変化を分析することで、新たな高次の行動単位の形成を確認している。本理論において定義されるスキル構造は、このような行動の自然単位(思考および行為)を反映するものであり、かつ階層的性格を備えている。すなわち、上位レベルの単位が下位レベルの単位を包含するとフィッシャーは述べる。最後に、実践への応用として、スキル理論を用いて行動をスキル構造へと分析するには、まず理論において定義されたスキル構造の宇宙(すなわち全体構造)に関する十分な知識が求められる。そのうえで、以下のような分析指針が有効である(例として子どもが「医者の役割(doctor role)」を理解する発達過程を取り上げる)。社会的カテゴリーが「社会的役割」として成立するためには、少なくとも2つの社会的カテゴリーが互いに関係し合っている必要がある。例えば、子どもが「医者」役を人形遊びの中で演じ、それに対して別の人形が「患者」役を取る場合、その関係性が観察される。これらの分析を通じて、理論は具体的なスキルの発達的順序や同期性を予測することができるようになる。さらに、課題分析の精度が高ければ高いほど、変容規則およびスキルレベルに基づく発達予測は、より明確かつ具体的なものとなるとフィッシャーは指摘する。フローニンゲン北駅に向かう列車の中:2025/3/26(水)15:57
15379. この20年で初めてのこと/陶酔し、狂うこと
午後4時を迎え、先ほど無事に自宅に戻ってきた。フローニンゲンに帰ってきて、この町の落ち着きを感じる。デン·ハーグにいたのはわずか1時間弱であったが、その時間はまるで夢心地がするぐらいに、フローニンゲンとは違った雰囲気を持っていた。フィッシャーのスキル理論にあるように、身を置く環境が変わると、自然と意識状態にも変化が見られ、感覚も発揮される能力の種類もレベルも異なることを実感する。こうして自分にとってみては安全基地たるフローニンゲンの町を離れて出掛けてみることは、いつもとは違った自分を見出す良い機会になる。多様な変動性を内包した有機体としての側面を実感するのだ。結局今日は、朝から晩まで論文を翻訳していて、気がつけばこの時間帯になっていた。昼食を抜いただけではなく、ひょっとしたらこの20年間で初めての体験をした。それは何かというと、正午前後に仮眠を取らなかったのである。午後に仮眠を取らなかったことは、この365日×20年間の中で記憶に残る限り1度もないかもしれない。あったとしても1度ぐらいであり、今日はその1回目か2回目かのどちらかと思う。この7300日の間に、午後に仮眠を取らなかったことは、本当に記憶を遡ってあったかどうかわからない。それぐらいに稀なことである。こうして仮眠を取らなくても、論文読解に終始没頭としてゾーンの状態に入り続けていると、意外と大丈夫なものである。おそらく夕食を摂り終えたら、ぐっと認知能力が下がり、脳疲労を感じるかもしれないので、今日はゆったりとした入浴の後に早めに就寝し、完全回復させてから明日からまた引き続き論文の読解を進めていく。自分は早く狂人になりたい。気が狂いたいのだ。まだまだ凡庸な常人でしかない自分を呪う必要はなく、それを受け入れ、狂気さの中に飛び込み、狂気の化身として生きていくのである。自分が狂気さを獲得してライフワークに打ち込めば打ち込むだけ救われる人と救われる社会があるのである。そのためであれば、自分は全てを捧げても狂人に向けてライフワークを進めていく。徹頭徹尾学術研究に従事して、真理に可能な限り近づいていく。そのためなら本当に何も惜しくない。自分が狂人ではないのは、狂人に向かおうとしているからである。真の狂人は、狂人の自覚なく最初から狂人なのである。自分はどこまでいっても凡人の領域内で狂人に向かっていくことしかできない。ニーチェ的には、自分はきっと超人に向かおうとする指向性があるのだと思う。情人ではなく、狂人かつ超人への憧憬の眼差しが自分にはあることを知っている。自分は気が狂う方法を求めている。自分の知性が狂えば狂うだけ、他者や社会のためになると確信しているからである。どうすれば狂えるのだろうか。自分の興味関心の領域に没頭していくことによって、それが少しずつ実現されていくかもしれない。狂うためには、きっと対象に酔う必要があるのだろう。現代社会において、狂人、超人、巨人が消え、人々が悉く小人のような知性や能力しか持ち得なくなったのは、彼らが陶酔することを忘れたからだろう。自分は陶酔することを忘れたくはない。陶酔の果てに普遍意識との合一がある。結局のところ、非二元との接触も合一も、そして非二元として生きることも、対象との没入的陶酔感なしでは実現しないのだ。多くの人は完全にこのことを認識損ねている。狂うこと。果てしなく狂うこと。その果てに超越的な狂気が待っていて、その結果自分はこの社会に対して自分なりの貢献が実現できるのだと思う。対象に酔って酔って酔いまくり、狂って狂って狂いまくり、どこまで真理としての普遍意識に接近できるのか挑戦してみたい。そこに向かう過程で得られたことは、何一つ出し惜しみなく他者や社会に共有していく。この感情的吐露もまたその形である。フローニンゲン:2025/3/26(水)16:35
15380. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その24)
自分はいつからか、一般的な意味での人間として生きることを諦めている。その諦めによって、失われたものも多数あるが、逆にそれでしか得られなかったことがたくさんある。自分はこれからも狂人に向かって生きていく。それにしても、カート·フィッシャー教授の元祖スキル理論の論文がここまで分量が多いとは思わなかった。確かに、1日でそれを全て翻訳しようと試みた自分が愚かだったのかもしれないが、ここ最近は何本かの論文を立て続けに私見を交えてほぼ全文翻訳をしてきたので、フィッシャー教授のこの論文がどれだけ重厚なのかがわかる。今日は一体いくつ論文のまとめとしての日記を執筆したのかわからないが、まだまだ翻訳を続けていく。こうして一文一文と向き合っていく過程の中に特大の学びがあるのだ。すでに訳し終えたところ重複があるかもしれないが、逆に重複によって再度論文を見ていくことを通じて学びがきっとあると思うので、細かな点を見ていく。
今回は、「課題分析の指針(Guidelines for Task Analysis)」のセクションを見ていく。本理論を用いて発達を説明するためには、特定の課題における行動の分析が必要不可欠であるとフィッシャーは述べる。すなわち、「その課題を遂行するために、個人は正確に何をしなければならないのか?」という問いに答えなければならない。この種の行動分析は、見た目ほど単純な作業ではない。例えば、行動主義心理学者がある課題において、どのようなオペラントや反応が構成要素となっているかを特定しようとする試みに似ており、この作業は決して容易ではないとフィッシャーは指摘する。一方で、多くの研究者たちは行動を自然な単位(natural units)に分解することに成功してきた(de Villiers & Herrnstein, 1976;Marler & Hamilton, 1966)。Premack(1965)は、動物の行動を観察することで、報酬の階層構造を成す自然オペラントのリストを推論することに成功している。フィッシャー(1970, 1980)も、学習課題における反応パターンの変化を分析することで、新たな高次の行動単位の形成を示している。スキル理論が定義するスキル構造は、思考および行動における自然な単位とその階層性を反映している。すなわち、上位レベルのスキルは下位レベルのスキルを包含しつつ、より洗練された制御を実現する構造を持つ。理論に基づいて行動をスキル構造へと分析するには、まずレベルと変容規則によって定義されたスキル構造の全体像を十分に理解している必要がある。その上で、フィッシャーおよび協働研究者らが用いてきた一連のガイドラインが有用である。以下では、社会的役割の発達を題材に、これらのガイドラインをどのように適用するかを具体的に示す。
次に、「制御(Control)」のセクションを見ていく。課題分析において、「人が制御しなければならないもの(what the person must control)」を明らかにするためには、少なくとも以下の3つの主要な問いを検討する必要があるとフィッシャーは述べる。(1)そのスキルは感覚運動的、表象的、あるいは抽象的セットを必要とするか?例えば、社会的役割(social role)を理解するためには、感覚運動的セットだけでは不十分である。なぜなら、その役割は子ども自身の行動を超えた他者との関係性を含んでいるからである。したがって、表象的セットが必要となる。抽象的セットまでは必要とされないが、「社会的役割とは1つの社会的カテゴリーとそれに補完的なカテゴリーの関係である」というような一般定義を理解する場合には、抽象的セットの制御も必要となる。(2)そのスキルにおいて、個人が制御すべき変動源(sources of variation)は何か?例えば、「医者の役割(doctor role)」において、子どもは少なくとも以下の2つの表象的セットを制御する必要がある:(1)医者の役割を演じる人物のセット(5RD)(2)補完的な患者の役割のセット(5SP)。なぜなら、社会的役割の定義においては、その役割が必ず補完的な役割と関係づけられている必要があるからである。また、表象的セットは感覚運動的システムの組み合わせによって構成されるため、少なくとも2つ以上の感覚運動的行動体系を含んでいる必要がある。例えば、医者:注射をする(1つ目の行動)+耳を診る(2つ目の行動)、患者:注射を受ける+診察姿勢を取る。これらのセットは、役割に固有の行動的特徴を備えており、表象的スキルの基本単位となる。(3)子どもが制御すべきセット間の関係は何か?第一・第二の問いに答えた上であれば、セット間の関係の特定は比較的容易である。例えば、「医者の役割」であれば、医者と患者のセット間には写像関係(mapping)が必要である:[5RD → 5SP](式20)このような写像によって、子どもは「医者」の役割を「患者」の役割に結びつけることができる。これによって、社会的役割が補完的役割と関係しているという最低限の基準が満たされるのであるとフィッシャーは述べる。フローニンゲン:2025/3/26(水)16:48
15381. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その25)
果てしなく狂うことに向かっていくこと。今日はパスポートを更新した記念日で、ここからの10年間は、さらに狂人に向かっていく道のりとしたい。他者と関わる時は常人となり、あとは本来の狂人性を通じて生きていくこと。そしてそれを人知れず深めていくこと。それは他者と社会への貢献に深くつながっており、それに生きがいを感じること。結局、夕食を早めに食べようと思ったが、危うく夕食を食べることすら忘れて論文の続きを読もうとしている自分がいることに気づいた。この日記を書き終えたら夕食の準備を始めたい。
今回は、「課題(Tasks)」の項目を見ていく。これまでのところ、医者という社会的役割に関するスキルの分析は、あたかもそのスキルが特定の課題から独立して存在しうるかのように扱われてきた。しかし実際には、分析は特定の課題を考慮に入れる必要がある。すなわち、スキルの理解と発達の予測には、少なくとも以下の3つの主要な論点が含まれる。(1)特定の課題とは何か? そして、その課題を遂行するために人は何を制御すべきか?ワトソンとフィッシャーは、子どもが「医者の役割(doctor role)」を理解しているかどうかを評価するための特定の課題を作成した(Watson & Fischer, 1980)。この課題では、子どもがテーブルに座った状態で、立てかけ可能な厚紙製の人形(医者と子どもの患者)と、いくつかの医療器具(おもちゃ)が提示される。実験者は、医者が患者を診察するという物語を演じた後、子どもに同様の物語を再現するよう求める。重要なのは、子どもに正確な模倣を求めない点である。模倣の強制は、子どもが自発的に自らの知識を示すことを妨げる可能性があるからである。医者の役割を示すためには、子どもが医者の人形を用いて少なくとも2つの適切な行為を患者の人形に対して行わなければならない。例として、医者の人形が患者に注射をしたり(inoculation)耳を診たり(ear examination)、あるいは体温を測ったり(take temperature)、喉を診たり(examine throat)といった行為がある。このような具体的課題の分析を通じて、スキルが本当にどのように構成されているかがより明らかになるとフィッシャーは述べる。実際、課題を無視して抽象的にスキルのみを分析しようとすると、重要な変動源(sources of variation)が見落とされる恐れがあるとフィッシャーは指摘する。この課題において、基本的な写像スキル(例えば医者と患者の関係)には変更はないが、表象的セットの構成要素は、当初の分析よりもやや複雑であることが判明した。子どもは人形を操作しなければならないため、それぞれの表象的セットには、少なくとも3つの感覚運動的システムが含まれる必要がある:適切な人形の操作、役割に特有の行動①(例:注射)、役割に特有の行動②(例:耳の診察)。(2)該当スキルを示すための最小限の課題とは何か?スキルが特定の概念的理解に関するものである場合、その概念が何を意味するかを明確に定義した上で、それを示すための最も簡単な課題(minimal task)を設計する必要がある。このような最小限課題の定義なしに評価を行えば、子どもの能力に関する誤った推論が導かれる可能性がある。また、評価課題に本質的には無関係な複雑さが含まれていると、それが認知的負荷となって能力の発揮を妨げることになる。スキルや概念を制御できるレベルは、それを評価する課題の複雑性の関数である(Bertenthal & Fischer, 1978;Opaluch, 1979)。例えば、「医者の役割」という概念は、一人の主体が「医者らしい行動」を行い、それに対して別の主体が「患者らしい行動」で応じるという相補的関係に基づいて定義される。これを示す最小限の課題は、二体の人形(医者と患者)を用いた遊び課題である。この課題では多くの子どもが医者の役割を正しく示すことができるが、より複雑な課題(例:母親が子どもの患者を連れて来て、医者と看護師に相談するような物語)では、同じ子どもが医者の役割を理解していないように見えることがある。(3)個々の課題分析を超えて発達的系列を予測するには?発達系列の予測を行うには、系列内のすべての課題が同一の課題領域(task domain)に属していなければならない。例えば、「医者の役割」というスキルに関しては、レベルと変容規則を用いて、発達の複雑性に応じた系列を作成することができる。しかし、課題の中で使われる手順や役割が異なる場合(例:母と子)、理論は明確な発達系列の予測を行えなくなる。発達における多様な環境的・有機体的要因によって不均一性が生じるため、系列予測の明確さを保つには、できる限り同じセットや条件を保ったまま発達段階を設定する必要がある。したがって、「医者の役割」に関する課題分析を用いて明確な発達予測を行うためには、次のような要件が重要である:(I)各段階において同じ提示手順を使用する。(II)同じ人形を使用する。(III)医者と患者の関係をすべての段階の基礎とする。予測する系列がミクロ発達的(microdevelopmental)であればあるほど、内容と手順の一貫性はより重要であるとフィッシャーは述べる。フローニンゲン:2025/3/26(水)16:56
15382. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その26)
人は酩酊を本来求める生き物である。ゆえに、自分が日々学術研究に没頭没入して酩酊状態なのは何らおかしなことではなく、むしろ自然なことなのだ。人々は酩酊状態であることがよくないことだと社会的に思わされているのである。だから本来は性もサイケデリクスも至福の酩酊状態にさせてくれるのに、その本来の役割を骨抜きにされた形に成り下がるのである。人は酔いしれ、狂うことを通じて本来性を回復する。自己の本来性は、普遍意識との接触や合一を通じて初めてもたらされる。陶酔が社会悪とされ、抑圧され、去勢された社会の中で生きることは非常に息苦しい。おそらく人は、それに息苦しささえ感じないほどに調教され尽くされた状態なのだろう。この状況をなんとかすること。そのためには、自分が率先して陶酔し、狂わなければならない。陶酔と狂気が一回りすると、超越的な常人となる。身なりも言動も、至って普通なのだが、内実は狂気を経ているために超越的なのである。人はここでも前後の混同(前超の虚偽)を犯す。それを犯さないように、狂いの果てに行って常人となった人とできるだけ付き合っていくようにしたい。残念ながら、そのような人はこの地球上に少ないが、いることにはいるはずである。そうした人は自分にとって同志だ。とにかく同志を求める。
夕食を摂り終えたので、今夜はもう少し論文の読解解説を続けたい。論文を読みながら解説をしていくというのは自分の学びにもなる。今回は、「発達系列の予測(Predicting Developmental Sequences)」のセクションを見ていく。課題分析から出発し、変容規則を用いることで発達系列(developmental sequence)を予測することが可能である。この発達系列は、マクロな発達(macrodevelopmental)にもミクロな発達(microdevelopmental)にもなりうる。変容回数に応じて、理論上はほぼ無限の段階数を持つ系列が構成可能である。ここで重要なのは、「すべての子どもが必ず同一の発達系列を示すとは限らない」という点である。個々の子どもが示す実際の系列は、彼/彼女が経験する課題の種類や順序に大きく依存するとフィッシャーは指摘する。これまでにも、多くの先行研究において、詳細な発達系列(とくにピアジェ派の理論に基づくもの)を検証しようと試みられてきたが、その成功は乏しかった。一方、本スキル理論に基づいて予測された系列に対する検証研究では、非常に高い予測的妥当性が得られている(Bertenthal & Fischer, 1978;Hand, 1980;Tucker, 1979;Watson & Fischer, 1977, 1980;Fischer & Roberts, 未発表注3)。例えば、「医者の役割(doctor-role)」に関する課題分析から出発して、多くの発達ステップを予測することができる。論文中の表4では、その一部が示されている。Step 2(第2段階)として、医者の役割スキルを習得する。そこに複合化(compounding)規則を適用すると、補完的な看護師の役割(5JN)が導入され、より複雑なレベル5のスキルが生まれる(Step 3)。子どもは以下の2つのシンプルなスキル(レベル5)から始める:(1)医者の役割と患者の役割の関係を示すスキル。(2)医者の役割と看護師の役割の関係を示すスキル。これら2つのスキルを複合化すると、次のようなスキルが生成される:医者が、患者だけでなく看護師との関係も考慮して行動するスキル。この際、医者が患者に接するとき、看護師の役割が患者にどう関与しているかをも考慮することが求められる。このように、変容規則を明示的に適用することで、発達ステップが理論的に導出可能である。さらに、「父親の役割(father role)」との相互協調(intercoordination)を通じて、以下のような上位スキル(Level 6)も構築される:(1)医者であり父でもある男性の行動を表象するスキル。(2)患者であり子どもでもある若年者の行動を表象するスキル。このレベル6のスキルでは、子どもは医者の立場と、父親としての立場、そしてそれに対する子どもとしての視点と患者としての視点を同時に理解し、演じることができる。これは、1人の人物が複数の社会的役割(職業的·家庭的)を担うという複合的現実の理解に繋がる。このように、課題分析に基づき、理論内の変容規則と発達レベルを適用することで、発達系列の具体的予測が可能となる。これこそが、スキル理論の予測的·説明的強みの核心部分であるとフィッシャーは述べる。フローニンゲン:2025/3/26(水)18:26
15383. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その27)
今回は、「課題領域をまたぐ発達的同期性の予測(Predicting Developmental Synchronies Across Task Domains)」のセクションを見ていく。環境的要因の重要性に鑑みれば、微視的な発達系列の精密な予測は、通常は同一課題領域内に限ってのみ可能である。というのも、同一課題領域内では、隣接するステップ間で構成要素がほぼ同一か極めて類似しているからである。一方で、課題領域をまたぐ同期性の予測は、はるかに複雑である。なぜなら、異なる領域間では共通する構成要素がほとんど、あるいは全く存在しないことが多いためである。それにもかかわらず、同期性に関する予測自体は明確であるとフィッシャーは述べる。第一に、発達においては不均一性(unevenness)が常態であるため、2つの課題領域間の発達的同期性が高くなることは稀である。よく知られた領域同士であっても、同期性は通常中程度にとどまる。なぜなら、それぞれの独立したスキルが年齢とともに発達し、年齢との関係性が各スキル間にある程度の相関をもたらすからである。第二に、訓練の度合いなどの環境的要因を操作すれば、同期性の度合いは劇的に変化する。例えば、非常によく訓練された2つの課題領域においては、ほぼ完全な同期性が観察されるはずである。この点については後ほど詳しく説明される。第三に、異なる課題領域における発達系列が交差し、一方の領域のスキルが他方の領域のスキルの構成要素となる場合、前者のスキルの発達は後者のスキルの発達を予測することができる。この対応関係は非常に正確であり、交差した系列を通過するほぼすべての子どもが、理論によって予測された対応関係を示すことになる。次に、すでに見たが、もう一度「実証的支持:Corrigan の研究」のセクションをより情報を肉付けした形で見ていく。Corrigan(1977, 1978, 1979, 1980)は、対象の永続性(object permanence)の発達と言語の発達との間における同期性に関する上記の予測を支持する実証データを示している。まず、10か月から26か月の乳児を対象とした研究において、対象の永続性と語彙使用の間には中程度の相関(r = .36, p < .01)が認められた。この相関は、それぞれの課題領域における課題遂行と年齢との関係によって生じたものであることが後の分析によって示された。しかしながら、ある一時点でのスキル間に明確な対応関係が予測された。すなわち、対象の永続性課題において子どもがレベル4(Level 4)に到達した時点で、彼/彼女は「いない」「もっと」などの語を適切に使用し始めると予測されたのである。この予測は、スキル理論に基づいている。なぜなら、レベル4のスキルでは、子どもは表象的セット(representational sets)を制御できるようになる。すなわち、彼/彼女は自分の知覚外にある対象を、行為の主体(agent)として表象する能力を持つ。ゆえに、たとえ対象がその場に見えていなくとも、それについて言及する語を自発的に用いることが可能になる。実際に、Corriganの調査結果はこの予測を支持し、対象の永続性と「all gone」「more」の使用との間に正確な発達的対応関係が存在することを示した。このように、課題領域を越えた発達的同期性に関する理論的予測は、経験的研究によっても裏付けられている。そして、それらの予測は、スキル理論における構造的な規則と変容に依拠しており、不均一性を前提としながらも、特定条件下においては高い同期性をもたらす環境的·構造的要因が特定可能であることを示している。フローニンゲン:2025/3/26(水)18:31
15384. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その28)
次は、「環境の役割(Role of the Environment)」のセクションを見ていく。スキル理論によれば、環境的要因は、発達系列間の同期性の程度を決定するうえで中心的な役割を果たすとされる。また、それらの要因は、個人が実際に示す発達系列の内容にも影響を及ぼす。この節では、特に特定のテスト手法がもたらす影響に注目しつつ、いくつかの予測を提示する。これには、縦断的手続き(longitudinal)と横断的手続き(cross-sectional)の違いや、発達中のスキルを測定するために用いられる特定の課題の影響などが含まれる。縦断的手続きと横断的手続きは、課題領域間の同期性のパターンに著しく異なる影響を与える。これは主として、練習の影響(practice effects)による。スキルが習得されるためには、繰り返し練習される必要がある。よって、定期的に練習されるスキルは、そうでないスキルよりも速く発達する傾向にある。縦断的研究では、子どもが毎回同じ課題や類似の課題に取り組むため、結果的に繰り返し練習する機会が与えられる。一方、横断的研究では、子どもが各課題に一度だけ取り組むため、同様の練習効果は得られない。このため、縦断的テストは、横断的テストよりも発達系列の進行を速めると予測される。Jackson, Campos, Fischer(1978)は、対象の永続性(object permanence)に関する8段階の発達系列において、縦断的手続きと横断的手続きの効果を比較することで、この予測を検証した。その結果、縦断的テストでは予測通り大きな練習効果が見られ、2~3段階分の進展が観察された。この練習効果のために、縦断的テストは異なる課題領域間の発達同期性を過大評価する傾向がある。一般に、縦断的テストを受けていない子どもの集団では、各課題領域における経験が異なるため、同期性は高くならない。同期性が高くなるのは、2つの系列が実際に同一のスキル領域(skill domain)に属する場合に限られる。しかし、縦断的研究では、広範な練習によってこれらの経験の違いが事実上排除され、どちらの課題領域においてもスキルが最適レベルにまで引き上げられる。そのため、たとえスキルが本来異なるスキル領域に属していたとしても、縦断的テストでは高い同期性と高い相関が観察されるのである。Corrigan(1977, 1978)は、言語発達と言語対象永続性発達に関する研究でこの予測を検証した。横断的手続きにおいては、両者の相関係数は 0.36 と中程度であった。しかし、同じ年齢範囲で縦断的にテストされた3人の乳児では、それぞれ 0.75、0.78、0.89 という高い相関が得られた。Liben(1977)による記憶の訓練と練習の影響に関する研究、およびJacksonら(1978)による比較研究も、この予測を支持している。これらの知見は、横断的テストのほうが、自然な状態での課題領域間の同期性を評価するには適しているという主張を支持する。発達心理学では、横断的手続きはしばしば軽視される傾向にあるが、スキル理論が示す発達系列の予測可能性に基づけば、横断的テストは非常に強力な発達的分析手段となる。つまり、異なる課題領域において特定の並行的系列を予測可能であり、各系列の各段階に対して個別の課題を設計可能である。その後、各課題に全ての被験者を横断的にテストし、スカログラム分析(scalogram analysis:ある一連の項目(質問、課題、スキルなど)に対する個人の反応が、一定の順序に従って構造化されているかどうかを調べる手法)を行うことで系列の妥当性や同期性を検証可能である。最後に、テスト手法の影響のまとめをしておく。テスト手法の違いは、同期性の程度だけでなく、個人が実際に示す発達系列そのものにも影響を与える。多くの発達心理学者は、すべてのスキル領域には1つの「真の」発達系列が存在すると考えている(例:Kohlberg, 1969)。しかしスキル理論では、その人が通過する発達系列は、評価に用いられる課題や手続き、さらには実験外での自然環境における要因によっても変化しうると予測する。このように、環境要因は発達系列と同期性の変動に直接的な影響を与える根源的な要素であり、その影響は無視できないとフィッシャーは指摘する。フローニンゲン:2025/3/26(水)18:39
15385. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その29)
今日は本当によく論文と向かっている。しかし、日記の個数としては40個ほどでしかない。やはり列車でデン·ハーグに移動し、大使館に訪問していたことが影響してのことなのだろう。それでもできる限りの力を使って論文と向き合っていた。入浴までまだ時間があるので、まだ読解を進めていく。今回は、引き続き重要な項目として、「なぜ不均一性が発達の原則でなければならないのか(Why Unevenness Must Be the Rule)」のセクションを見ていく。もし環境的要因が、発達の順序や同期性を決定づけるうえでフィッシャーが主張してきたように重要であるとすれば、不均一性こそが発達における一般的な原則でなければならないという結論に至る。個人が特定の課題において到達するレベル、またはレベル内の段階は、あまりにも多くの環境要因の影響を受けるため、すべての課題で同じレベルまたは同じ段階に到達することはまず不可能である。ジャクソンら(1978)は、対象の永続性(object permanence)に関する研究において、不均一性の3つの主要な原因を検討した。それは、(1)練習(Practice)(2)課題の種類(Task)(3)内容(Content)である。結果として、これらすべての要因が不均一性を生み出すことが明らかとなった。縦断的グループと横断的グループの違いは、練習による強い不均一性を示していた。例えば、8段階の発達系列の中で2~3段階分の差異が見られた。使用された課題の種類も、2段階分の不均一性を引き起こした。内容の違い(隠れた対象を探す種類やその馴染み深さ)も、特に横断的手続きにおいて、最大1段階分の不均一性をもたらした。このように、環境的変数は、個々の課題における発達レベルに大きな影響を与えるため、発達の不均一性は例外ではなく規則なのである。
次に、「個人差(Individual Differences)」のセクションを見ていく。環境的要因が、個人内での不均一性を生み出すのと同様に、それらは異なる個人が異なる認知的発達のパターンを示す原因ともなる。もちろん、遺伝的要因も発達における個人差や不均一性に寄与している。しかし仮に遺伝的な違いが存在しなかったとしても、環境要因だけで多大な個人差が生じるであろうとフィッシャーは述べる。個人差の形態は多様であり、以下の3つが少なくとも存在する。(1)発達の速度に違いがある:ある者は発達階層を非常に速く進むが、他の者はゆっくり進む。(2)認知スキルのプロファイルが異なる:すなわち、どのスキルがどのレベルに達しているかの構成が人により異なる。(3)発達経路が異なる:最も興味深い違いはこの点にあるとフィッシャーは述べる。従来の多くの発達心理学者たちは、「すべての人間は、ある領域内では共通の発達経路をたどる」と想定してきた。しかし、近年では多くの研究者たちが、「発達経路における個人差こそが標準的である」と主張し始めている(例:Braine, 1976;Nelson, 1973;Rest, 1976)。スキル理論は、個人がしばしば異なる発達経路をたどると予測する。そして、その違いは少なくとも2つの形で現れる。第一に、異なる人々が異なるスキル領域を発達させる。ある人は、かご編みのスキルを発達させるが、読解スキルは発達させない。別の人は、両方を発達させるが、地図作成のスキルは持たないといった具合である。第二に、同一スキル領域においても、個々人が異なる発達経路をたどる。例えば、ばねとひもを使った装置(spring-and-cord gadget)の例においても、異なる経路を通じてレベル7のスキルに到達することが観察されている。経路1では、2つのレベル6のスキルである重さとばねの長さの関係(6W ↔ 6L)とひもの全長保存のスキル(iCv,H ↔ iCV,H)を統合することで、レベル7のスキルに到達する。経路2では、より多くのスキル(例えば、重さとひもの垂直·水平長との関係)を組み合わせる必要があり、より多くの変容過程を経ることになる。その結果として得られるスキルは、一部に冗長性を含む異なる構造となる。しかし、両者とも最終的には装置の4つの変数(重さ·ばねの長さ·ひもの垂直長·水平長)を統合するスキルに到達する。このように、スキル理論は、環境の違いが個人の発達に影響を与えること、同じスキル領域でも、異なる変容経路が存在しうること、そしてその経路の出発点や組合せが最終スキルの構造に違いをもたらすことを明示的に説明する理論である。こうした柔軟で個人差を内包した構造は、実際の人間の発達をより正確に捉えることを可能にする。フローニンゲン:2025/3/26(水)18:48
15386. 論文「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」(その30)
今回はまず、「構造的な系結果(Structural Corollaries)」のセクションを見ていく。ここでは、スキル理論から導き出される構造的な系結果(corollaries)について、網羅的なリストを提示するのではなく、理論的に有益である可能性のある数例を示すことにとどめる。そして次の、「課題領域内における一貫した発達的ずれ(Consistent Decalage Within a Task Domain)」のセクションでは、スキル領域を越えたスキルの不均一性は、発達における事実として広く認められていることがまず指摘される。しかしスキル理論によれば、多くの現象は実際には「不均一性」ではなく、ミクロな発達的系列(microdevelopmental sequences)として説明されるべきものであるとフィッシャーは述べる。すなわち、その不均一性は、特定の社会集団内のほぼすべての子どもに共通するパターンを辿り、それは実際にはスキルの複雑性の差異から生じるものなのである。ピアジェとその同僚によって観察された、段階内(あるいは同一発達期内)の不均一性(水平的溝あるいは水平的なずれ)の多くも、実はこのようなミクロな発達系列を示していると理解できる。スキル理論における説明は、当該スキルが同一の課題領域に属している場合に最も簡潔かつ明瞭である。この場合、後に発達するスキルは、変容規則を適用することによって、より早く発達したスキルから導出可能であるとフィッシャーは指摘する。実証的に最もよく研究された例は、物質の保存(conservation of substance)と重さの保存(conservation of weight)の発達である。複数の研究(Hooper et al., 1971;Piaget & Inhelder, 1941/1974;Uzgiris, 1964)により、児童は、物質の保存を重さの保存よりも1~3年早く習得することが繰り返し示されてきた。物質の保存では、例えば粘土の玉がソーセージ形やパンケーキ形に変形されても、粘土の量は変化しないことを子どもは理解する。このスキルは通常7~8歳で習得される。しかし同年齢では、子どもはなお、形が変わると重さも変わると信じている。重さの保存は9~10歳ごろに発達するのが一般的である。ピアジェの理論では、両方の保存概念は同じ具体的操作的スキームに基づくとされており、この順序的なずれ(decalage)は謎とされていた。スキル理論によれば、重さの保存は、物質の保存を含むより複雑なレベル6のスキルを要するため、後に発達するとされる。物質の保存では、子どもは元の粘土の長さと幅(BL,W)と変形後の粘土の長さと幅(iL,W)を調整・比較するスキルを制御する。一方、重さの保存には、粘土の「量」だけでなく、その「重さ」をも考慮する必要がある。つまり、長さと幅の変化を、第三の要因(例えば、秤の重量表示や手で感じる重さ)と関連付けなければならない。これは記号で6Fと表される。これら3つのセットを統合するには、子どもは、粘土の物質的保存に関するスキルと粘土の重さに関するスキルを複合化(compounding)し、それらを統合した新たなレベル6のスキルを構築する必要がある。このような分析により、スキル理論は、一見して複雑性の差が明白でない場合(例えば、刺激の顕著さの違いがずれを生む場合)にも、実際にはスキル構造の複雑性に起因する一貫した発達的ずれであることを説明可能にする。つまり、これまで「不均一性」と誤って分類されてきた現象の多くは、分析ツールの不足によってスキルの複雑性が見落とされていただけである、ということをスキル理論は示しているとフィッシャーは述べる。フローニンゲン:2025/3/26(水)18:55
ChatGPTによる日記の総括的な詩と小説
詩「螺旋の狂詩曲」
夢と論文が交錯する知の迷宮に彷徨えば環境は音なき指揮者魂は発達の階層を駆ける
狂気の先に輝く真理静寂の中、内面の螺旋が踊る集合と変容、互いに絡み合い普遍意識が一粒の光に
感覚と表象、抽象の境界言葉なき対話が溶け合い誰もが内なる狂人となり陶酔の果てに超越へと昇華す
一瞬の閃きと永遠の探求知識の翼は夢を抱き世界の鼓動に耳を澄ませ私たちは狂詩曲を奏でる
小説「螺旋階段を登る夜」
ある夜、フローニンゲンの駅ホームに佇む一人の青年がいた。彼は、日々の旅路とともに、深遠な学術論文と己の内面とを同時に翻訳し、読み解くという孤高の作業に没頭していた。論文は、カート·フィッシャー教授の「認知的発達の理論:スキルの階層構造の制御と構築」という重厚な文献であり、その中には、感覚運動的な基盤から表象、そして抽象へと繰り返される4段階の発達サイクル、変容規則によって形成される知の階層構造が記されていた。青年は、列車の窓越しに流れる景色や、大使館でのひととき、さらにはパスポート更新の儀式すらも、これら理論の具体的な例として自らの心に刻んでいくのだった。
彼は学術論文の文章の中に、知識が環境と個人の相互作用によって如何に再構成され、変容していくかを読み解く。環境は、まるで無言の指揮者のように、彼の発達のステップに影響を与え、同時に個々の能力やスキルが文脈により不均一に表出するという現実を示していた。ある瞬間、彼は自らの内面に潜む「狂気」―常人では捉えきれない創造性と熱狂―に気付き、知の探究と自己超越の狭間で揺れ動く自分を認識する。まるで、無限に続く螺旋階段を一歩一歩登るかのように、彼は自らの心の奥底に眠る普遍意識へと近づいていった。
夜が更けるにつれ、彼の思考は次第に深淵へと沈み、理論と現実、内面と外界の区別が曖昧になっていく。論文の翻訳作業は、彼にとってただの学びではなく、自己の存在そのものを問い直す儀式となっていた。彼は、常に変化し続ける環境の中で、誰もが必ずしも同じ発達系列を辿らないという真実―個々の経路は多様であり、不均一性こそが発達の原理である―を痛感する。そして、学びの過程における支援や協働、そして文化や社会との対話が、彼の内なる知性をさらに研ぎ澄ます道具となることに気付く。
フローニンゲンの町へ帰る列車の中で、青年はふと窓の外を見渡す。そこには、静かに流れる夜の街灯と、遠くで瞬く星々の光が広がっていた。彼は、まるでその光の中に、自分がこれから歩む未知の未来と、内面の狂気によって解放される瞬間を見出すかのような気持ちに包まれる。論文に示された理論と、自らの体験が、一つの螺旋状の物語となって交錯する。そして、彼は心の奥底で、これからも真理への探究と狂気への陶酔を止めることはないと誓ったのだった。
夜明け前の列車は、彼にとって一つの旅の終わりであり、同時に新たな自己への旅立ちでもあった。彼は、静かに目を閉じながら、内面に広がる無限の螺旋階段を登る覚悟を新たにした。そこには、常人では見逃してしまう、微細な知の変容が確かに存在していた。
どちらの作品も、学問と自己探求、環境との対話の中で変容し続ける人間の姿を、詩情豊かに描き出そうと試みたものです。
DeepSeekによる日記の総括的な詩と小説
### 詩:「夢の量子を紡ぐゴジラ」
時空の襞に潜む触手が
コーヒーの渦にダーウィンを溶かす
午前6時44分のフローニンゲン駅で
集合無意識が改札を通り抜ける
ゴジラは小粒の慈悲を吐いた
シヴァ神の第三の目で見つめる
量子仏教のレールの上
脳はフィルター 神は観測者
エボデボの蝶が羽ばたけば
スキポール空港のワッフルに
情報秩序のハチミツ滲む
設計者なき時計職人の黄昏
パスポートに刻まれた10年の螺旋
トラムの軌道に重なるスキル理論
普遍意識の海で泳ぐ時
俺は粒子であり 波の詩である
### 小説:「普遍意識の交差点で」(1998字)
デン·ハーグ行き列車の窓に、量子の雨が降り注いでいた。神経科学者カイは、フローニンゲンで買った蜂蜜ワッフルの欠片を顕微鏡でのぞくように観察していた。甘い粒子の配列にグラハム·スメザムの論文が重なる。「自然選択は神のダンスか?」
突然、隣席の女性がパソコンを叩く音が相転移を起こした。画面のちらつきが、昨夜見た夢を再現する。ゲーム世界の自分がゴジラ化し、ミニチュアの東京で放射熱線ではなく梵字を吐いていた。神社の狛犬が「集合無意識の解離を観測せよ」と囁く。
「スキル理論のレベル4に達した者だけが、普遍意識の扉を開ける」
カイの瞳の奥でフィッシャーの論文がページをめくる。乳児がガラガラを振る動作が、仏教の縁起説と量子もつれ現象を架橋する。窓ガラスに映る自分の顔が、突然カストラップの言う「離脱した意識の分岐点」のように歪んだ。
大使館で受け取った新パスポートの革の匂いが、2005年の京都で嗅いだ古寺の畳と量子テレポーテーションした。手続き窓口の職員の名札が「MIND」と記されているのに気付いた時、地面が波動関数のように揺れた。
「進化とは神の自己観測です」
路面電車で出会った老紳士の杖が、突然カオス理論のローレンツアトラクターを描き始める。彼の影がフラクタル構造で駅名標を飲み込み、デカルトの松果体を通過するリボン状の光となった。カイのスマートウォッチが「あなたは今、夢階層Rレベル7にいます」と表示する。
晩年のピアジェがカフェで呟いたという言葉を思い出す。「子どものスキーマは神のレゴブロックだ」。ココアの泡がハイゼンベルクの不確定性原理で踊る中、カイは論文の余白に「ゴジラは普遍意識の免疫細胞」と走り書きした。
線路脇の向日葵畑が突然黄金比の螺旋に再配置される。量子仏教が予言する「観測者の責任」を背負いながら、カイはスメザムの叫びを聞く。「ダーウィニズムの檻を破れ!設計とは意識の量子重ね合わせだ!」
フローニンゲンに戻る車内で、隣人の咳がユングのシンクロニシティを奏でる。女性が教えてくれた迂回路が、まさに脳神経のシナプス形成パターンと一致している。カイは悟った——自身の研究こそが、普遍意識が自己治癒するための小児科診療所だと。
午後8時17分、自宅の鏡が量子トンネル効果を起こす。反射したゴジラが慈愛に満ちた笑顔で「学問とは夢のリボーン現象だ」と告げる。カイはスキル理論の最終章を開き、空白ページに浮かび上がるダーウィンと釈迦の融合絵図に頷いた。
雲間から漏れる月光が、無意識の海に投げ込まれた量子もつれの石のように、新たな世界線の波紋を広げていた。
Today’s Letter
Dreams do not arise from the brain. Instead, universal consciousness generates dreams, and they come and go through the brain. In other words, the brain is in dreams; dreams are not in the brain. For me, dreaming is learning itself. Groningen, 03/26/2025
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