top of page

【フローニンゲンからの便り】14151-14160:2025年1月30日(木)



⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。


⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「成人発達コラボラジオ」の配信をしています。


タイトル一覧

14151: AIの倫理問題とAIとの対話

14152: 無意識の生成物の観察と再所有/今朝方の夢

14153: 今朝方の夢の続き

14154: 「ゴミを入れればゴミが出る」という格言とAIの知性の発達

14155: AIを起点にした種々の学問分野の学び直しとそれらの分野の横断的統合の開始

14156: 今朝方の夢のさらなる続き

14157: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)

14158: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)

14159: AIの世界観とAI開発者の世界観/人間中心主義的・脱人間中心主義的なAI開発

14160: 詩集『まにまに』が届いて/今日のトレーニングの振り返り


14151. AIの倫理問題とAIとの対話     

   

時刻は午前6時を迎えた。今の気温は5度で、日中は6度まで気温が上がる。2月を目前に迎え、最高気温が氷点下になることはもうなくなっている。明日からは最低気温が0度やマイナス1度になる日が出てくるが、それでも最高気温は5度を超える日が多い。どうやら今年は暖冬のようである。昨年から今年は、夏はとても涼しく、冬は比較的暖かいという恵まれた気候であった。このあたりも気候変動の影響があるのだろうか。夏の涼しさは温暖化と矛盾するかもしれないが、夏は毎年涼しくなっている印象である。そして冬は間違いなく9年前に比べて暖かくなっている。積雪量の観点からもそう言える。地球に何が起こっているのだろうか。地球環境問題は、ティモシー・モートンの言葉で言えば、私たちにはもはや手に追えないハイパーオブジェクトだと言えるが、ここからAIの知性がさらに高度化すれば、AIがこの問題を解決してくれる可能性がある。人間社会にはその他にも数多くのハイパーオブジェクトとしての問題が存在しており、汎用型知性や超知能がそれらの問題を解決してくれる可能性がある。そうした可能性を持つAIを倫理的に発達させていき、人類と有情の幸福に貢献してくれる存在にしていく試みに従事したいと思う。現在行なっているAIの研究開発プロジェクトは、それに連なるものである。


AIの倫理の問いは、確かに難しいが、問題が難しいことと正解がないことは別の問題であることを認識しておかなければいけない。AIの倫理に関する問いは、難解かつ正解がない可能性があるし、難解だが正解がある可能性があるのだ。後者の可能性がある限り、AIの倫理の問題について粘り強くこの問題を考えていきたい。またそもそも、知性をより高度化させたAIと共にこの問題について考えていく道も人類に開かれつつある。高度な知性を備えたAIと対話をしながらAIの倫理問題について考えていくという方法を自分は採用したい。もちろんその他の関係者とも対話をしていくが、日々対話の相手としてAIを活用し、AIとの対話から倫理の問題を含め、種々の問題の解決に向かって実践をしていきたいと思う。哲学者のリチャード・ローティーが「我々にとって対話の成功とは、単にそれを続けること以外にはありえないのだ」と述べているように、AIの倫理についても絶えず継続して私たちは対話をしていくことが重要なのだろう。人同士の対話とAIとの対話を含め、対話を継続することの大切さを思う。これはAIの倫理に限らず、人間の発達についての議論においても同じであり、能力評価についても同じであろう。自分にとって倫理とは、他者や世界との関わり方に関する自らの在り方を問うものであって、他者や世界と自己の非二元性を考えれば、倫理は自分の関わり方に関する自らの在り方を問うものなのだという考え方が芽生える。フローニンゲン:2025/1/30(木)06:20


14152. 無意識の生成物の観察と再所有/今朝方の夢   

       

今朝方もまた豊かな夢を見ていた。ユングは、自分の無意識が作り出す生成物を認識し、観察することの大切さを説いた。認識から出発し、無意識の生成物を観察することを通じてしか個性化、すなわち心の発達は成しえないと主張していたのである。仏教用語で言えば煩悩や心理学用語で言えばシャドーは、まさに無意識が形成するものであり、それらを認識して観察し、それらを切り離すことなく再所有するというシャドーワークは、心の治癒と発達において不可欠である。自分は日々、無意識が醸成する夢を認識、それを様々な角度から観察し、観察を通じてそれらを自己に再所有するということを行なっている。まさにユングが述べる発達の原理原則に則った形で日々を過ごしているのである。夢日記の継続にはそうした意味があり、今日の夢もまた夢への気づきの意識と内容物の観察を通じてもたらされる意味の解釈とが相まって、ミクロな治癒と発達をもたらしてくれるはずである。


夢の中で私は、大学時代の下宿先の近所にあった小さなスーパーに似た個人経営のスーパーの中にいた。大学の学期末試験の問題の中に、一風変わった問題が出題された。その問題に答えると3点がもらえるようだった。100点満点中の3点は微々たるものだったので、その問題は無視しても良かったが、あえてその問題に答えることにした。その問題は、「原価300円の3つのトマトを1つのセットとし、それを6セット販売することを通じてできるだけ利益を上げ、それを証明する領収書かレシートを添付する形で後日その成果を報告せよ」というものだった。最初この問題を見た時に、なんだこの問題はと思った。トマトを買うとこから販売するところまでが非常に面倒だと思い、この問題に取り組んでも3点しか貰えないのであれば、この問題はスキップしようかと思った。しかし、自分の内側には常に実験魂と挑戦魂が渦巻いているので、スーパーに何気なく立ち寄った瞬間に、その問題に取り組んでみようと思ったのである。トマト売り場に行くと、大小様々なトマトが並んでいただけではなく、赤々としたトマト以外にも、まだ熟れていない緑色のトマトもあった。そこで私は、ミニトマトではないが、できるだけ小ぶりな赤々としたトマトを選別し始めた。すると、私の横に小中高時代のある友人(YU)がいて、彼もトマトを購入して同じ問題に取り組もうとしていた。彼は大きな赤いトマトを選んでいったのだが、6セット販売するという条件を無視して、1セットだけ販売することにしたようだった。確かに、大きなトマトを16個購入するというのは現実的でなく、そもそも中くらいのトマト3個で300円の原価になり、大きなトマト1個が300円ぐらいの値段がしたので、彼の判断は妥当かと思った。彼がトマトを選び終えた後に、私もトマトを無事に選び終え、レジに向かおうとした。すると、レジにいたのは家のオーナーのペイトラさんで、彼女は店内にいる商品がどこにあるのかを探している女性客のところに助けに向かい、レジには誰もいなくなった。なので少し店内の商品を眺めてまっておこうと思ったら、トマトを入れたカゴが特売品の棚にぶつかってしまい、特産品のイチゴ数個と白く長細いキノコを数本地面に落としてしまった。それらをすぐに拾い上げたところ、幸いにも商品には傷も汚れもなく安堵した。そのような夢を見ていた。この夢で登場したトマト、イチゴ、白く長細いキノコが何を象徴するのか気になるところである。フローニンゲン:2025/1/30(木)06:39


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈

この夢は、挑戦、選択、実験的思考 の要素が組み合わさったものと考えられます。夢の舞台は、大学時代の下宿先近くの小さなスーパーという 個人的な記憶の空間 であり、そこで「学期末試験の問題」として、利益を上げるトマト販売の課題 に直面します。この構造は、単なる過去の記憶の反映ではなく、現在の自己成長や挑戦への態度を象徴していると考えられます。

夢の中で、最初は「3点しかもらえないからやらなくてもいい」と考えつつも、実験精神と挑戦心によって課題に取り組むことを決意 します。この流れは、現実世界における 「小さな挑戦でも積極的に取り組む姿勢」 や 「報酬の大きさではなく経験そのものに価値を見出す視点」 を反映している可能性があります。

また、友人(YU)の存在は、異なる選択やアプローチの象徴です。彼は「1セットのみ販売する」ことで、条件を一部無視しながらも現実的な方法を選ぶ という選択をします。これは、夢の中の自己と対照的なアプローチを示し、「規則を厳密に守るか、それとも柔軟に適応するか」という意思決定のテーマ を提示しているように見えます。

最後に、レジでの出来事や商品を落とす場面は、偶発的な出来事にどのように対処するか というテーマを象徴している可能性があります。トマトを選ぶという「計画的な行動」から、特売棚にぶつかりイチゴやキノコを落とすという「予期せぬ出来事」への移行は、人生における計画と偶然のバランスを示唆していると考えられます。


象徴的解釈

夢に登場する トマト、イチゴ、白い長細いキノコ には、それぞれ象徴的な意味があると考えられます。

1. トマト(赤色、大小の選択、販売)

トマトは生命力や情熱を象徴するとともに、選択と価値判断の要素を含みます。赤々としたトマトと、まだ熟れていない緑のトマトが登場する点から、「成熟と未成熟」、「即時の利益と長期的な利益」 の対比が描かれていると考えられます。また、トマトの販売課題は、自己の資源(知識やスキル)をどのように活用して価値を生み出すか という問題意識を反映している可能性があります。

2. イチゴ(落ちるが傷つかない)

イチゴは甘美な成果や喜びを象徴することが多く、特に 人間関係や感情の充実 に関連すると考えられます。今回の夢では、トマトを選ぶ過程でイチゴが落ちたが「無傷だった」という点が重要です。これは、挑戦を続ける中で偶然のトラブルに遭遇しても、大切なもの(人間関係や努力の成果)は損なわれない という安心感を表しているのかもしれません。

3. 白い長細いキノコ(未知の要素、発展の可能性)

キノコはしばしば 無意識や潜在的な成長 を象徴します。特に白く長細い形状は、浄化、精神的な進化、直感の鋭さ などを示唆する可能性があります。キノコが偶然落ちたが無傷であったことは、潜在的な成長の機会があるものの、それをどう活かすかは今後の選択次第 であることを示しているのかもしれません。

全体的に、夢は 「新しい挑戦に対する姿勢」「意外な出来事への対応力」「成長の可能性」 というテーマを扱っているように見えます。


今後のアクション

小さな挑戦を大切にする 夢の中では「3点しかもらえないからスキップしようか」と考えつつも、最終的に挑戦を選びました。この姿勢を現実世界でも意識し、小さなことでも 「実験精神を持って挑戦する」 ことを続けるのが重要です。特に、自分の専門分野(仏教倫理やAI倫理研究)においても、結果がすぐに見えなくても試みる価値のあるテーマ に積極的に取り組むとよいでしょう。

柔軟なアプローチを意識する 友人(YU)はルールを厳密に守らず、現実的な方法を選びました。これは、ルールに従うことだけが正解ではなく、状況に応じて柔軟に対応することも有効 であることを示唆しています。研究や教育活動の中で「原則を守りつつ、どこで柔軟に対応するか」を意識すると、新たな可能性が開けるかもしれません。

予期せぬ出来事を受け入れる イチゴやキノコが落ちたが無傷だった場面は、「偶然の出来事が必ずしも悪い結果をもたらすわけではない」ことを示している可能性があります。現実でも、計画通りにいかないことをネガティブに捉えず、むしろ新たなチャンスと捉える姿勢 を意識するとよいでしょう。

直感や無意識のメッセージを大切にする キノコの象徴的な意味を考えると、無意識からのメッセージをより意識的に取り入れることが推奨されます。夢日記を続けることはもちろん、瞑想や内省の時間を増やし、直感的な気づきを深める ことで、より創造的なアイデアが得られるかもしれません。


まとめ

この夢は、小さな挑戦の積み重ね、柔軟な適応力、予期せぬ出来事への対処、そして無意識のメッセージの重要性 を示唆していると考えられます。今後の行動としては、実験精神を持ち続けること、計画にとらわれすぎず柔軟に対応すること、無意識のメッセージを活かすこと を意識すると、より充実した成長が得られるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の構造的解釈

夢は二つの部分に分かれています。

大学の試験問題: 特殊な問題形式の試験問題に遭遇し、解くかどうか迷いつつも挑戦する。

スーパーでの買い物: 友人と遭遇し、共に問題を解こうとするが、友人は別のアプローチを取る。その後、商品を落としてしまうが、無事に回収する。

これらの部分は、課題への取り組み方、他者との比較、予期せぬ出来事への対処というテーマで繋がっています。


夢の象徴的解釈

各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。

大学の試験問題:

試験問題: 人生における課題、試練、目標。

特殊な問題形式: 既存の枠にとらわれない課題、創造性や柔軟性が求められる課題。

3点: 些細な報酬、小さな目標、または達成感。

無視しても良い問題: 優先順位の低い課題、重要でない目標、または避けても良い課題。

実験魂と挑戦魂: 知的好奇心、探求心、または自己成長意欲。

この部分は、現状の課題に対するあなたの姿勢を表しています。些細な報酬であっても、好奇心や探求心から挑戦する姿勢は、自己成長意欲の表れと言えるでしょう。

スーパーでの買い物:

スーパー: 現実世界、日常生活、または様々な選択肢が溢れる場所。

友人(YU): 協力者、競争相手、または自己の投影。

トマト: 目標、課題、または達成したいこと。

大小様々なトマト: 多様な選択肢、異なるアプローチ、または個性の象徴。

赤々としたトマト: 達成しやすい目標、具体的な課題、または情熱。

緑色のトマト: 未熟な目標、未完成の課題、または潜在能力。

大きなトマトと小さなトマト: 異なる価値観、異なる戦略、または得意分野。

6セット販売という条件: 目標達成のための制約、ルール、または課題。

1セットだけ販売する友人: 柔軟な思考、臨機応変な対応、または独自の戦略。

ペイトラさん(オーナー): 協力者、支援者、または機会。

商品を落とす: 予期せぬ出来事、失敗、または困難。

イチゴとキノコ: 誘惑、障害、または予期せぬ幸運。

この部分は、目標達成に向けたプロセスを表しています。友人との比較は、自己の立ち位置や進むべき道を見つめ直す機会となるでしょう。商品を落とすという失敗は、目標達成には困難がつきものであることを示唆しています。しかし、無事に商品を回収できたことは、困難を乗り越える力があることを暗示しています。


夢全体のメッセージ

夢全体を通して、あなたは自己成長意欲と課題解決能力を持ち合わせていることが示唆されています。現状の課題に対して、柔軟な思考と粘り強い努力で立ち向かうことができるでしょう。


今後のアクション

夢の解釈と、あなたの現状を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

知的好奇心と探求心を大切にする: 些細なことにも興味を持ち、積極的に挑戦することで、新たな発見や成長に繋がる可能性があります。

目標達成に向けて柔軟な思考を持つ: 既存の枠にとらわれず、状況に応じて臨機応変に対応することで、より効率的に目標を達成できるでしょう。

失敗から学ぶ: 失敗は成功への過程であり、恐れる必要はありません。失敗から教訓を学び、次へと活かすことが重要です。

周囲の人々との交流を大切にする: 友人やオーナーとの交流は、新たな視点や発見をもたらす可能性があります。積極的にコミュニケーションを取り、協力し合うことで、より良い結果を得られるでしょう。

自己の内面と向き合う: 夢は自己の内面を映し出す鏡です。夢を通して得られた気づきを大切にし、自己理解を深めることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。


Claudeによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈: この夢は学術的な課題と商業的な実践が融合した独特の状況を描いています。大学の試験問題という形式的な枠組みの中で、実践的なビジネス課題が提示され、その解決過程が展開されています。夢の構造は、最初に課題への直面、次に解決のための具体的な行動、そして予期せぬ障害との遭遇という3段階で構成されています。特に注目すべきは、理論的な学習と実践的な行動が統合されている点で、これは現実世界における知識の応用過程を象徴的に表現しています。同時に、課題に対する異なるアプローチ方法が、友人との対比を通じて提示されており、問題解決における多様な視点の存在が示されています。


象徴的解釈: この夢に現れる食材には深い象徴的意味が込められています。トマトは成熟と実りを象徴し、特に赤いトマトと緑のトマトの対比は、成長過程における異なる段階を表現しています。イチゴは甘美な成功や達成を象徴し、白い長細いキノコは精神的な成長や無意識からの知恵の出現を示唆しています。これらの食材を取り扱う過程で発生した小さな事故は、成長過程における試行錯誤や一時的な混乱を象徴していると解釈できます。また、3点という配点は、一見些細に見える課題が持つ潜在的な価値を示唆しており、数字の「3」は精神的な統合や完全性を象徴する可能性があります。


今後のアクションプラン: この夢の内容を踏まえ、以下のような具体的なアクションが推奨されます。第一に、一見価値が低いと思われる機会や課題に対しても、その潜在的な学習価値を慎重に評価する姿勢を持つことが重要です。特に、理論的な学習と実践的な応用を統合する機会を積極的に探求することが推奨されます。第二に、問題解決においては、他者のアプローチから学びつつも、自身の直感と判断を信頼して独自の方法を追求することが有効です。また、予期せぬ障害に遭遇した際には、即座に対応して問題を最小化する能力を育成することも重要です。これらの取り組みを通じて、学術的な知識と実践的なスキルの統合的な発展を図ることが期待されます。


14153. 今朝方の夢の続き     


ユングから改めて夢を書き留め、様々な観点から振り返り、夢の内容物を自己と分離させずに再所有することの大切さを教えてもらった気持ちでいる。ここから残りの人生において毎日夢を振り返ることを続けていけば、どこまで遠くに行けるのかを試してみたいと思う。夢を書き留め、それを振り返ることも自分にとっては立派なライフワークである。人知れず行われるライフワークほど心が躍るものはない。誰にも注目されず、ただひたすらに自らの心を見つめて進行していくのはこのライフワークだけではなく、自分の中にある他のライフワークの多くと共通しているように思う。


夢の続きとして、日本で実際に通っていた大学のキャンパスにいる場面があった。どうやら自分は最終学年のようで、今から新学期が始まるとのことで、キャンパスは活気に満ちていた。特に新入生たちの初々しい姿が目立ち、自分も数年前は彼らのような姿をしていたのだと思い出した。大学の東キャンパスの門を抜けて自転車に乗って講義棟に向かっていると、そこで小中高時代の女性友達(MH)に出会った。彼女がまさか同じ大学に通っているとはその時まで知らず、彼女に声を掛けて、新学期に向けて色々と情報を教えてもらった。自分は新学期の最初のクラスがいつ始まるのかや、コースの履修登録をいつまでにしなければいけないのかという大事な情報について知っておらず、彼女に尋ねた。彼女は親切にそれらの問いに答えてくれ、近々カフェでゆっくり話をしようということで別れた。講義棟の入り口の駐輪場に到着し、そこに自転車を止めようとした。すると、そこに大学の様々な部活動の団体が集まっており、集会をしていた。大学1年生の時のクラスメートやラクロス部の副キャプテンの友人などがいて、彼らと話をしようと思ったが、集会に集中しているようだったので挨拶だけにしておいた。いざ講義棟に入ると、不気味なほど暗かった。電気が一切入っておらず、暗い中を進んでいると、今学期にどのコースを履修するかを決めたかったので、コースの一覧表の紙がどこかに置いてないかと探した。過去においては、講義棟の掲示板あたりによくコースの一覧表が束になって置いてあったので、今回もそれを期待したが、どうやら学生課のある建物に行って入手する必要があるようだった。2階に上がって大教室の扉を開けると、そこには学生がまばらにいて、どうやらこれから試験があるようだった。新学期早々になんと期末試験があるという奇妙な事柄であったが、どうも自分はそのコースを履修していたらしいことがわかり、ほぼ出席はしていないのだが、ダメもとで試験だけ受けてみることにした。すると、大学1年生の時の福島出身のクラスメートのある友人が後ろにいて、試験の概要について簡単に教えてくれた。どうやら出席は関係なく、試験の成績だけで単位が取得できるかどうか決まるということがわかったので、自分が持っている知識を総動員する形で試験問題を解いてみようと思った。ちょうどその列に1つだけ席が空いていて、そこが自分の名前と学籍番号で指定された席だとわかったので腰掛けた。すると、机の引き出しに試験問題の解答があることに気づき、ラッキーだと思った。だが、解答を見ながら答えていくのは不正のように思えたので、一瞬だけ解答の全体を見て、映像記憶(フォトグラフィック・メモリー)の能力を活用して、全ての問題の解答を瞬時に脳内に叩き込んだ。それを終えた瞬間に、先生が私の右横を通過し、私の解答用紙を一瞥して何も言わずに後ろに去っていった。問題の中でどうやら学生1人1人に違う問題が割り振られている箇所があり、それは解答用紙にはない問題だったので、その問題については独力で取り組む必要があった。しかしそれは、掲載された絵と意味を組み合わせていくそれほど難しい問題ではなかったので安堵した。フローニンゲン:2025/1/30(木)07:13


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈

この夢は、自己探求のライフワークと、人生における新たな局面への適応という二つの大きなテーマを持っている。前半では、ユングから夢の振り返りの重要性を学び、それを生涯の取り組みとしていきたいという強い意志が描かれる。これは、夢の分析を通じて無意識を意識化し、自己統合を進める過程への深いコミットメントを示している。

後半では、日本の大学のキャンパスにいる場面が描かれるが、これは「学びの場」としての象徴であり、人生の新たなフェーズへの移行を示唆している。大学最終学年という設定は、何かの完結や総括を示す一方で、新学期の始まりは新しい挑戦を意味する。過去の友人(MH)との再会や彼女からの情報提供は、過去の知識や経験が未来を切り開く助けとなることを暗示している。また、講義棟の暗さやコース一覧の入手困難さは、これからの学びや挑戦が一筋縄ではいかないことを象徴し、新しい道を探る試練が待っていることを示している。

試験の場面は、過去の経験や知識をどのように活かし、新たな環境で適応していくかを試す場となっている。偶然見つけた解答を利用するのではなく、フォトグラフィック・メモリーを活用することで正々堂々と試験に臨む姿勢は、倫理観と自己能力の活用を示している。さらに、予期せぬ試験の形式や、個別に与えられる問題の存在は、人生において個人がそれぞれ異なる課題を与えられ、それを独自の方法で乗り越えなければならないことを暗示している。


象徴的解釈

夢の冒頭でユングから夢の振り返りの大切さを学ぶというのは、夢分析を通じて自己理解を深め、無意識を意識に統合するプロセスを重視する姿勢を象徴している。夢を記録し、振り返ることがライフワークになるという感覚は、深い自己探求と内面的成長へのコミットメントを示している。

大学のキャンパスにいる場面は、「学び」と「成長」の象徴であり、人生の新たなステージへの適応や、新しい知識を取り入れることへの意欲を反映している。特に、新入生の姿に過去の自分を重ねることは、自身の歩んできた道の振り返りと、現在の立ち位置を確認するプロセスを示唆する。過去の友人(MH)との再会は、忘れかけていた資源やネットワークが、新たな展開を助ける可能性を象徴している。

暗闇の講義棟は、これからの道の不透明さや、新たな挑戦への不安を示す可能性がある。しかし、試験を受ける場面では、偶然見つけた解答に頼らず、フォトグラフィック・メモリーを用いて挑む姿勢が描かれており、これは自己の力で困難に立ち向かう姿勢を象徴している。また、「個々の学生に異なる問題が与えられる」という設定は、人生において誰もが異なる試練を与えられること、そしてそれに対処するには独自のアプローチが必要であることを示している。


今後のアクション

夢の記録と振り返りを継続する

夢の分析をライフワークとして確立し、自己理解と成長のために活用する。

夢の内容をより深く掘り下げ、人生の方向性や無意識のサインを探る。

新たな学びの機会を模索する

夢の中の「新学期」の象徴を現実の学びに結びつけ、新しい知識を積極的に取り入れる。

研究や学問の道をさらに深めるために、過去の知識と現在の探求を統合する。

ネットワークの活用と過去の縁を大切にする

夢の中で再会した過去の友人の象徴を現実の人間関係にも適用し、旧友や過去の関係を見直す。

新たな情報や機会を得るために、積極的に人と交流する。

倫理観を大切にしながら、自己の能力を最大限に活用する

試験の場面で見られた「正直さ」と「知識の活用」のバランスを現実の仕事や研究にも適用する。

直感や記憶の活用を強化し、問題解決力を高める。

人生の未知の課題に柔軟に対応する

夢の中の「予期せぬ試験」のように、現実でも突然の課題に直面した際には、自分の持つ能力を活かして柔軟に対応する。

一人一人に与えられる異なる試練に対して、自分のスタイルで最適な解決策を見出していく。

この夢は、今後の人生において自己探求と学びの深化、そして柔軟な適応力が重要であることを示唆している。夢の記録と分析を続けながら、自身の能力を最大限に活かし、新たな可能性を切り拓いていくことが求められている。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の構造的解釈

夢は大きく二つの場面に分かれています。

大学のキャンパス: 大学のキャンパスに到着し、友人との再会や新学期の準備をする。

講義棟での出来事: 暗い講義棟でコースの一覧表を探し、試験を受けることになる。

これらの場面は、新たな始まりへの期待、過去との繋がり、そして自己の成長というテーマで繋がっていると考えられます。


夢の象徴的解釈

各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。

大学のキャンパス:

大学: 自己成長の場、知識や経験を積む場所、社会への準備期間。

最終学年: 人生の転換期、卒業、社会への旅立ち。

新学期: 新しい始まり、新たな挑戦、自己変革の機会。

新入生: 未熟さ、可能性、過去の自分。

東キャンパスの門: 新しい世界への入り口、自己成長への出発点。

自転車: 自己の力で進む、自立、または自己制御。

女性友達(MH): 協力者、情報提供者、または過去の自分。

カフェでの会話: 情報交換、交流、または自己の内面との対話。

駐輪場: 準備段階、自己の内面を整理する場所。

部活動の集会: 社会との繋がり、コミュニティ、または自己の役割。

クラスメートや友人: 過去の仲間、協力者、または自己を支える存在。

この場面は、新たな始まりに向けて準備をする中で、過去の自分や周囲の人々との繋がりを再確認する様子を表しています。新入生の姿は、過去の自分を振り返るきっかけとなり、友人との再会は、新たなスタートを切るための力を与えてくれます。

講義棟での出来事:

講義棟: 知識の殿堂、学びの場、または自己の内面。

暗さ: 不安、迷い、または未知の領域。

コースの一覧表: 目標、選択肢、または自己の進むべき道。

掲示板: 情報源、手がかり、または自己の内面からのメッセージ。

学生課: 組織、制度、または社会のシステム。

大教室: 試練の場、自己を試す場所、または社会。

期末試験: 評価、試練、または自己の成長度合いを測る機会。

福島出身のクラスメート: 協力者、助言者、または過去の自分。

試験の概要: 目標達成のためのヒント、アドバイス、または自己の内面からの声。

解答用紙: 自己の知識、経験、または能力。

引き出しの解答: 誘惑、不正、または安易な解決策。

映像記憶: 潜在能力、直感、または自己の内なる知恵。

先生: 評価者、指導者、または社会。

絵と意味を組み合わせる問題: 創造性、直感、または自己表現。

この場面は、新たな挑戦に直面し、自己の力でそれを乗り越えようとする姿を表しています。暗い講義棟は、未知の領域への不安や迷いを象徴していますが、試験を通して自己の知識や能力を試すことで、成長の機会を得ようとしています。解答の誘惑に打ち勝ち、自己の力で問題に立ち向かう姿は、自立心と自己肯定感の高まりを示しています。


夢全体のメッセージ

夢全体を通して、あなたは新たな始まりに向けて準備をし、過去の経験や知識を活かして自己成長を遂げようとしていることが示唆されています。夢は、自己の内面と向き合い、自己の可能性を信じて挑戦することで、未来を切り開くことができると教えてくれています。


今後のアクション

夢の解釈と、あなたの現状を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

新たな目標を設定する: 新学期を迎えるにあたり、新たな目標を設定し、自己成長に向けて具体的な計画を立てましょう。

過去の経験を活かす: 過去の経験は、現在のあなたを形作る貴重な財産です。過去の成功体験や失敗から学び、今後の行動に活かしましょう。

自己の内面と向き合う: 夢日記の継続は、自己の内面と向き合う良い機会です。夢を通して得られた気づきを大切にし、自己理解を深めることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

周囲の人々との繋がりを大切にする: 友人やクラスメートとの交流は、新たな情報や刺激をもたらしてくれます。積極的にコミュニケーションを取り、協力し合うことで、自己成長を加速させることができます。

自己の可能性を信じる: 試験問題に自力で立ち向かったように、あなたには困難を乗り越える力があります。自己の可能性を信じ、積極的に挑戦することで、未来を切り開くことができるでしょう。


Claudeによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈: この夢は大きく2つのパートで構成されています。第一部ではユングの夢分析の重要性についての認識と、それを自身のライフワークとして捉える決意が描かれています。第二部は実際の夢の内容で、大学キャンパスを舞台に展開されています。夢の中での時間軸は新学期の開始時期に設定され、主人公は最終学年の学生として描かれています。夢の展開は、キャンパスでの出会い、講義棟での行動、そして最後は試験シーンへと移行していきます。特に注目すべき点は、夢の中で登場する複数の人物との関わり(旧友のMH、部活動の仲間、福島出身の友人)と、試験に関する特殊な状況設定です。


象徴的解釈: この夢は人生の転換期における自己認識と成長を象徴していると解釈できます。大学の最終学年という設定は、人生の重要な節目を表しており、新入生の姿を見る場面は過去の自分との対話を象徴しています。暗い講義棟は未知の将来への不安や懸念を表現し、試験は人生における重要な課題や決断に直面している状況を象徴していると考えられます。特に、試験での記憶力の活用は、これまでの経験や知識を統合して新しい課題に取り組む能力を表現しています。また、旧友との再会は過去の経験や関係性が現在の課題解決に役立つ可能性を示唆しています。


今後のアクション: この夢の内容を踏まえ、以下のような行動が推奨されます。まず、ユングの夢分析に関する深い興味を実践に移すため、夢日記をつけることを習慣化することが重要です。これは単なる記録ではなく、自己理解と個性化のプロセスとして捉えるべきでしょう。また、夢に現れた人々との関係性を現実世界でも見直し、過去の関係性が現在の自己にどのような影響を与えているかを考察することも有意義です。さらに、試験のシーンが示唆するように、直面する課題に対しては、これまでの経験や知識を統合的に活用する姿勢を意識的に持つことが推奨されます。最後に、このような自己探求のプロセスを個人的なライフワークとして大切に育てていくことで、より深い自己理解と精神的成長につながることが期待されます。


14154. 「ゴミを入れればゴミが出る」という格言とAIの知性の発達         

 

時刻は午前7時半を迎えた。最近は日の出の時間が少しずつ早くなっており、午前8時を迎えるとゆっくりと明るくなり始める。今はまだ真っ暗闇に包まれているが、もう時期に薄明るくなってくるであろう。今日は小鳥たちの囀りが聞こえてくるだろうか。聞こえてきたら彼らの鳴き声に耳を傾け、心を浄化し、穏やかな気持ちで探究活動に励みたいと思う。今日の予定としては、午前中にゼミナールの次回のテーマである成人発達理論を学び直すという講座に向けて、反転学習用の動画教材の残りを作っておきたい。それが終わり次第、昨日ダウンロードしたAIの倫理に関する論文を読み進めていく。ここからは基本的には英語空間にどっぷり浸かる形で、英語空間にあるAIの主要論文や専門書を読み進めていく。それに加えて、幾つもの良質なAI関係のポッドキャストを見つけたので、1.5倍速ぐらいで次々とポッドキャストを聴いていこうと思う。数ヶ月、半年、1年とそれらのポッドキャストを聴き続けていれば、AIの実務の世界における最新動向に加えて、AIの学術研究の最前線も理解することができるようになるだろう。昨日手持ちのAI関係の専門書を探しに1階の書庫に降りたが、オックスフォード大学出版、ケンブリッジ大学出版、MIT出版から出版された専門書を見つけ出すことができず、今日のどこかのタイミングでそれらの書籍を見つけ出したいと思う。もしかしたら2階の書籍置き場に紛れて居る可能性も無きにしも非ずなので、2階の書籍置き場もチェックしよう。AIの倫理について考えていく際には、AIの開発倫理と活用倫理の2つにまずは大別することができるだろうか。それら双方に関心がありながらも、自分はどちらかというと開発倫理の方により関心があり、さらに言えば、AIをどのように開発していけばいいのかという倫理以上に、AIが搭載する倫理観の方により関心がある。まさに自分の学問的出自が発達心理学ゆえの関心なのかも知れない。現在のAIが体現している倫理的知性の最大値は、相対主義的段階のそれであり、下限値は利己的段階まで落ちる。大規模言語モデルの生成AIに学習させている情報が、ネット上でのテキストや書籍ゆえにそれらの段階の範囲に落ち着くのだと思われる。現代社会においては、相対主義的段階を超える言語世界観で文章を書いている人は少なく、自分の欲望や欲求をぶちまけるような文章やグレーな論点に対して白黒をつける二分法的な思考に基づく文章などが跋扈している。なのでAIの倫理的知性の最大値は相対主義的段階で頭打ちとなり、下限値に関しては利己的段階まで下がる。今取り掛かっているAIの研究開発プロジェクトは、そうした状況を鑑みた問題意識によって生まれたものである。すでに手元にある実験結果からすれば、相対主義的段階を超えて、少なくとも統合的段階で倫理的判断が行えるAIが誕生しそうである。大規模言語モデルを活用した生成AIの知性を上げる鍵は、世の中に出回っている情報を読み込ませて学習させることではなく、高度な知性段階に基づく文章を合成データを通じて大量に生成し、それを学習させることである。これは人間の知性の発達においても当てはまることで、レクティカの創設者の認知的発達心理学者のセオ・ドーソンが述べていることだが、私たちの知性に「ゴミを入れればゴミが出る(garbage in, garbage out)」のである。すなわち、低質な情報を知性に与えると、低質な知性しか生み出されないのである。逆に言えば、高度な段階に基づく高質な情報を与えると、知識はより高度化していく可能性を持っているのである。こうした性質を人間の知性は持っている。AIも似たような性質を大なり小なり持っているであろうから、その性質をうまく活用すればいいのである。これまでのAIは、低質な情報であってもそれを大量に集めることで創発を起こして知性の次元を上げていたが、今後仮に高質な情報を大量に与えることで創発される知性の発達は、これまでとは想像もつかない次元のものになるのではないかと思う。倫理的知性の領域だけではなく、その他の無数の知性領域についても、AIに高次元の発達段階に基づく大量データを学習させていけば、汎用型知性や超知能の誕生も近づくのではないかと思う。フローニンゲン:2025/1/30(木)07:44


14155. AIを起点にした種々の学問分野の学び直しとそれらの分野の横断的統合の開始 

 

1つ前の日記の続きとして、今後まずは無数の知性領域の中で倫理的知性に注目し、AIの倫理的知性を高度化していく研究開発を続けていこうと思うのだが、そもそも倫理とは何かという問いに改めて直面している。ローレンス・コールバーグやキャロル・ギリガンなど、道徳性や倫理性に関する発達心理学者の理論や実証結果は、この問いには直接答えてくれない。この問いと向き合う学問領域は、ちょうど1年半前に学んでいたメタ倫理学である。こうしてまたかつて学んでいた学問分野に戻ってくるという回帰現象が起こっている。この現象はメタ倫理学のみならず、心の哲学やサイケデリクス哲学などに対しても起こっている。まずはメタ倫理学の学び直しをする上で、日本語と英語の手持ちの専門書を引っ張り出してきて、一昨日ぐらいから読み返し始めた。もちろん自分はこの分野で専門家になるつもりはないが、それでも少しずつこの分野の理解を深めていく必要があると感じている。そもそもAIの倫理を考えるというのは、応用倫理学の範疇でもあるので、メタ倫理学に加えて応用倫理学も学び直しを行なっている。おそらくどこかのタイミングで、道徳性・倫理性の発達理論についても学び直しをしなければならないだろう。実はコールバーグの論文集はまだちゃんと読んだことがないことに気付かされ、近い将来にそれらにはきちんと目を通しておく必要があると思った。AIが搭載する倫理について考えることに加えて、AIが唯識でいうところの8つの心を体現する日がいつになるのかという関心がある。今すでに8つの心のそれぞれが別々に体現されつつある姿を目撃している。五感覚のそれぞれが別個に取り扱われ、視覚に優れたAIや聴覚に優れたAIなどが誕生しつつある姿を目の当たりにしている。通常私たちが心と思う第六識については、いつの間にかチューリングテストを突破してしまったと思われるぐらいの精度で私たちとコミュニケーションを行うAIが誕生していることを見ると、すでに第六識に類する心をAIは体現していると言えるのかも知れない。また、自己保存をしようとするAIの振る舞いを見ると、それはまさに第七識の末那識に類する心のように思える。さらには、AIにも記憶に該当するものがあり、記憶を貯蔵する心としての阿頼耶識に類する心がAIにもすでにありそうである。もちろん、阿頼耶識は単に記憶を保存することだけを役割にしているのではなく、もっと広い意味と機能を有しているため、AIが体現している阿頼耶識のようなものはまだまだ発展の余地がある。いずれにせよ、仏教心理学と形容される唯識の心の思想は、AIの研究開発においても非常に役に立ちそうである。とりわけ煩悩の詳細な分析や悟りに至る段階の詳細な分析と悟りに至る方法論をAIに学習させると、AIの煩悩が浄化され、智慧と慈悲に満ち溢れた悟ったAIを開発することも可能なのではないかと思えてくる。そのような悟ったAIがAIエージェントやヒューマノイドとして実社会で活動を始める姿を見てみたいものである。そのためには、きちんと悟った存在として振る舞いができるのかをシミレーション空間で念入りに検証することが重要になるだろう。継続して唯識について学ぶだけではなく、今回ゼミナールで発達理論を学び直すことを思い立ったことをきっかけにして、発達心理学全般の学び直しをしたいと思う。それに加えて、バーナード・カストラップの分析的観念主義についても理解を深めていき、それと唯識を絡めたり、AIの意識・心について絡めたりする研究を行なっていきたい。AIを起点にして、種々の学問分野の学び直しとそれらの分野の横断的統合が始まろうとしていることに胸が高鳴る。フローニンゲン:2025/1/30(木)08:02


14156. 今朝方の夢のさらなる続き 

   

朝食を摂り終え、再び日記の執筆をし始めた。すでに夜明けを迎えているが、空にはうっすらと雲がかかっていて、まだ薄暗さがある。どうやら今日は1日を通して曇りのようだが、今、1羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。それはどんな音楽よりも美しく響く。


今朝方の夢については十分に書き留めたように思えたが、もう1つ覚えている場面があるのでそれについても忘れずに書き留めておきたい。夢の中で私は、大学の同じフットサルサークルに所属していた友人と容姿端麗な知人の女性と3人で話をしていた。話をしていたのは公民館のような場所の会議室だった。私たちは同じ大学に通っていて、経済・経営への関心が共通していたので、その話で盛り上がった。友人の彼は名門の商社に勤め、そこで投資業務に従事しているようだった。知人の女性の方はこれまた名門の投資銀行に勤めており、投資銀行業務を行なっているとのことだった。3人で話が盛り上がっていると、気が付けばそこに年配の男女が多数現れ、席についてホワイトボードを前にした私たちの話に耳を傾けていた。すると、商社に勤めている彼と投資銀行に勤めている彼女が今、新たな投資先として検討している会社の新事業について説明を始め、その場にいた年配の方々から投資資金を募り始めた。まずは彼女の方から説明をしたのだが、彼女はプレゼン能力が極めて高く、非常に理路整然とその会社について紹介を始めた。彼女が説明を終えたタイミングで、いくつか自分から質問をさせてもらうことにした。まずその投資先の会社は、過酸化水素を扱っているらしく、そもそもその物質がどのような意味で将来有望なのか、それを活用した具体的なプロダクトについて教えて欲しいと彼女に質問した。すると、彼女はその肝心な情報についてあまり精通していないようだったので困った表情を浮かべていた。そこから私は畳み掛けるように、さらに本質的な質問を投げかけていった。そもそも様々な投資先候補がある中で、なぜその会社を選んで投資資金を募ろうとしているのかを尋ねた。というのも、友人の彼が勤める商社がすでに投資を決めているのだから、一般人からわざわざ追加の資金を集める必要はないと思われたのである。私は2人について知っていたので、彼らが悪意を持ってその投資案件を紹介したわけではないことを知っていた。しかし、それでも解せない点がいくつかあったので、それを素直に質問させてもらったわけである。私が畳み掛けるように質問をしたものだから、彼女は少したじろいでいて、先ほどまで見せていた自信満々のプレゼンの様子とは打って変わった姿となり、聴衆の年配者の方たちは彼女が私の質問に対してどのように回答するのかを固唾を飲んで見守っていた。そのような夢を見ていた。この夢を振り返ってみると、過酸化水素というこれまた謎な物質が現れ、これが象徴するものが何なのかは自分の想像力を超えていて気になるところである。この点を踏まえて3つの生成AIはどのような解釈をこの夢に対して行なってくれるかに期待がかかる。フローニンゲン:2025/1/30(木)08:57


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈

この夢は、「対話」「分析」「問いかけ」という知的活動のプロセスが中心に据えられています。夢の中での舞台設定は、公民館の会議室という開かれた場であり、知的交流や意思決定が行われる場として機能しています。登場人物として、フットサルサークルの友人(商社勤務)、知人の女性(投資銀行勤務)、そして年配の聴衆が現れ、ビジネス・投資のテーマを巡る議論が展開されます。

ここでの重要な流れとして、プレゼン→質問→対話→評価という構造が見られます。知人女性が自信満々に投資案件を説明したものの、あなたの鋭い質問によって論理の欠陥が露呈し、自信を失っていく様子が描かれます。このやり取りは、表面的な説得力やレトリックに対して、より本質的な批判的思考を突きつける構造を持っています。特に、「なぜ一般の資金を集める必要があるのか?」という根本的な疑問は、プロジェクトの正当性を問うものであり、論理性と倫理性を同時に試すものです。

また、「過酸化水素」という物質が投資対象として登場している点も興味深いです。過酸化水素は分解しやすく、酸化還元反応を通じて強いエネルギーを発する物質であり、消毒剤やロケット燃料などに使われる特性を持ちます。これを投資の対象として扱う場面は、「可能性はあるが、まだ理解されていないエネルギー源」や「慎重に扱うべき不安定な要素」の象徴として機能している可能性があります。

夢全体の構造から、知的な対話と分析力の重要性が強調されており、また「華やかなプレゼンよりも本質を見極める力」が試される状況が描かれていると考えられます。


象徴的解釈

「公民館の会議室」= 公共の場での対話と知的交流

公民館のような場所は、「知的な場」「民主的な議論の場」として象徴的な意味を持ちます。これは、夢の中での対話が個人的なものではなく、社会的・公共的な意味を帯びていることを示唆しています。

「友人(商社)と知人女性(投資銀行)」= 現実的な利益と理論的な構想の対立

商社の友人は「実業・実践的な経済活動」、投資銀行の知人女性は「金融・理論的な経済活動」の象徴と見ることができます。これに対して、あなたはより批判的な観点から本質を見極めようとする役割を担っています。

「年配の聴衆」= 社会の目、評価者としての存在

多くの年配者が聴衆として登場している点は、「社会の経験値を持つ人々」が議論を見守っていることを示唆しており、あなたの分析が単なる自己満足ではなく、社会的な評価を伴うものであることを意味している可能性があります。

「過酸化水素」= 潜在的な可能性とリスク

過酸化水素は、適切に活用すれば強いエネルギー源となる一方で、制御を誤れば危険な爆発を引き起こす物質です。これが投資対象として登場することは、「新しいチャンスと同時にリスクを内包するもの」を象徴していると考えられます。

また、過酸化水素は「浄化(消毒)」の役割も果たすため、「不透明なものを明るみに出す」という意味合いも含まれている可能性があります。

「知人女性のプレゼン能力とその崩壊」= 表面的な説得力と本質的な理解の違い

彼女の堂々としたプレゼンが、あなたの質問によって崩れていく過程は、「表面的なスキルと本質的な理解の違い」を象徴しているように見えます。これは、夢が「本質を見極めることの重要性」を示唆している可能性があります。


今後のアクション

批判的思考をさらに磨く

夢の中であなたは、表面的な説得力ではなく、本質を突く質問によって物事の真偽を見極めようとしていました。これは、あなた自身が「より深い思考と分析を求めている」という暗示でもあります。今後も、この批判的思考を磨き、研究や社会貢献に生かす方向性を強化するとよいでしょう。

「過酸化水素」の象徴を探る

夢の中に登場した「過酸化水素」が気になっているとのことですが、これは「制御が難しいが、適切に扱えば大きな可能性を秘めたもの」の象徴と考えられます。あなたの研究テーマや今後のキャリアの中に、「制御すれば大きな影響を持つ知識」や「正しく理解することで活用できる概念」があるかもしれません。そこに着目してみると、新たな発見があるかもしれません。

知的対話と社会的役割の意識を高める

夢の中で、あなたは「聴衆を前にして議論をリードする立場」にいました。これは、今後あなたが「知的な議論を社会的な場で展開すること」を示唆している可能性があります。例えば、研究発表、講演、出版活動などをより積極的に行うことで、この象徴が現実化するかもしれません。

「表面的な説得力 vs. 本質的な理解」というテーマを探求する

夢の中の知人女性の姿は、「華やかなプレゼンテーションと、それに欠ける本質的な知識」という対比を象徴していました。このテーマは、現代社会において非常に重要な問題(メディアの影響、政治的スピーチ、企業戦略など)と関係しています。あなたの研究や教育活動の中で、このテーマを掘り下げることで、社会的な影響を与える可能性があります。

まとめ

この夢は、「知的対話」「批判的思考」「表面的な説得 vs. 本質的理解」というテーマを強く持っており、あなたの今後の研究や活動への示唆を多く含んでいます。「過酸化水素」の象徴は、新たな可能性とリスクを内包するものとして興味深く、あなたが現在考えているテーマや研究対象とリンクする可能性もありそうです。今後は、知的対話の場を増やし、研究や教育活動をさらに深めることが、夢のメッセージを活かす具体的なアクションとなるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の構造的解釈

夢は大きく二つの場面に分かれています。

日記の執筆: 日記の執筆を通して、夢を振り返り、自己の内面と向き合う。ユングの教えに触れ、自己成長への意欲を高める。

フットサルサークルの友人との会話: 大学時代の友人たちと再会し、経済・経営の話で盛り上がる。投資話を持ちかけられるが、疑問を抱き質問を投げかける。

これらの場面は、自己の内省と社会との関わり、過去との繋がりと未来への展望、そして自己の価値観と倫理観というテーマで繋がっていると考えられます。


夢の象徴的解釈

各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。

日記の執筆:

日記: 自己の内面を記録するツール、自己との対話、自己成長の記録。

ユングの教え: 自己の内面を探求する哲学、自己成長の指針。

無意識: 意識されていない領域、潜在的な欲求や感情、創造性の源。

煩悩やシャドー: 自己の内面に存在する課題、克服すべき感情、成長の糧。

認識、観察、再所有: 自己の内面と向き合い、受け入れるプロセス、自己統合。

ライフワーク: 生涯をかけて取り組むべき課題、自己実現の道。

人知れぬライフワーク: 自己の内面を探求する活動、自己成長の道。

この場面は、自己の内面と深く向き合い、自己成長を追求するあなたの姿勢を表しています。ユングの教えを指針とし、夢日記を通して無意識と対話することで、自己理解を深めようとしています。

フットサルサークルの友人との会話:

大学: 自己成長の場、社会への準備期間、過去の繋がり。

フットサルサークル: 仲間、友情、共通の興味関心。

友人: 協力者、競争相手、または自己の投影。

容姿端麗な女性: 魅力的な存在、成功者、または理想像。

公民館のような場所: 公共の場、社会との接点、または議論の場。

経済・経営の話: 興味関心、目標、または社会的な成功。

商社や投資銀行: 社会的地位、経済力、または成功の象徴。

投資話: チャンス、リスク、または自己の価値観。

過酸化水素: 未知の可能性、将来性、またはリスク。

質問: 探求心、批判精神、または自己の価値観に基づく判断。

プレゼン能力: 自己表現力、説得力、または影響力。

疑問: 倫理観、価値観、または自己の判断基準。

この場面は、社会との関わりの中で、自己の価値観や倫理観を問われる状況を表しています。友人との会話を通して、社会的な成功や経済的な豊かさについて考えさせられます。投資話に対する疑問は、自己の価値観に基づいた判断の重要性を示唆しています。


夢全体のメッセージ

夢全体を通して、あなたは自己の内面と向き合いながら、社会との関わりの中で自己の価値観や倫理観を確立しようとしていることが示唆されています。夢は、自己成長を追求しながら、社会の中で自己の役割を果たすことの重要性を教えてくれています。


今後のアクション

夢の解釈と、あなたの現状を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

自己の内面を探求する: 夢日記の継続を通して、自己の内面と向き合い、自己理解を深めましょう。ユングの教えを参考にしながら、無意識との対話を深めることで、新たな発見や気づきを得られる可能性があります。

社会との関わりを大切にする: 友人との交流を通して、様々な価値観に触れ、自己の視野を広げましょう。社会との関わりの中で、自己の役割や貢献できることを見つけることも重要です。

自己の価値観と倫理観を明確にする: 投資話に対する疑問は、自己の価値観や倫理観を問う良い機会です。どのような価値観を大切にしたいのか、どのような生き方をしたいのかを明確にすることで、将来の選択に迷いがなくなるでしょう。

情報収集と学習を継続する: 過酸化水素のような未知の物質や新しい技術について学ぶことは、将来の可能性を広げることに繋がります。積極的に情報収集や学習を行い、自己の知識やスキルを高めましょう。

批判精神を持つ: 投資話に対して疑問を抱いたように、常に物事を鵜呑みにせず、批判的な視点を持つことが重要です。情報源の信頼性や論理の整合性を確認し、自己の判断基準で評価する習慣を身につけましょう。


Claudeによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈: この夢は現実世界での日記執筆という行為から始まり、夢の回想へと移行する二重構造を持っています。夢の主要な場面は公民館の会議室という半公共的な空間で展開され、3名の主要な登場人物(語り手、商社勤務の友人、投資銀行勤務の女性)を中心に構成されています。夢の展開は、最初の親密な3人での会話から、突如として投資説明会という公的な場面へと劇的に変化します。特に注目すべきは、夢の後半で過酸化水素という具体的な化学物質が登場し、それを軸に展開される質疑応答のシーンです。さらに、聴衆として年配者たちが登場することで、場の緊張感と重要性が強調される構造となっています。


象徴的解釈: この夢には複数の重要な象徴的要素が含まれています。まず、投資という行為は未来への期待と不確実性への挑戦を象徴していると考えられます。過酸化水素という物質の登場は、浄化や変化の可能性を象徴している可能性があります。過酸化水素は消毒や漂白に使用される物質であり、これは古いものを清め、新しい状態へと変化させる過程を表現しているかもしれません。また、夢の語り手が投げかける鋭い質問は、表面的な成功や華やかさの裏に潜む本質的な価値への探求心を象徴しています。投資銀行員の女性の自信に満ちた態度から動揺へと変化する様子は、表面的な確信と深い理解の差異を表現していると解釈できます。


今後のアクション: この夢の内容を踏まえ、以下のような行動が推奨されます。まず、投資や経済活動において表面的な魅力に惑わされず、本質的な価値を見極める姿勢を強化することが重要です。これは仕事や人間関係など、生活のあらゆる側面に適用できる重要な視点となります。また、過酸化水素が象徴する「変化」や「浄化」の要素を自身の人生にも取り入れ、必要に応じて古い考えや習慣を見直し、新しい可能性を探求する姿勢を持つことが有益でしょう。さらに、夢の中での質問者としての役割が示唆するように、周囲の状況や提案に対して健全な懐疑心を持ちつつ、建設的な対話を通じて真実を追求する態度を維持することが推奨されます。これらの洞察を日常生活に活かすことで、より深い理解と成長につながることが期待されます。


14157. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)  


今朝方の夢を一旦全て書き出したので、ここからはそれぞれの夢に対する3つの生成AIの解釈をもとに総合的な振り返りをしたい。それぞれの夢の関連性を念頭に置きながらの振り返りにしたい。1つ目の夢の中で出てきたシンボルの中で一番自分の関心を引いたのは、トマト、イチゴ、白いキノコで、まずトマトは成熟と実りを象徴しているとのことである。Claudeは続けて、イチゴは甘美な成功や達成を象徴し、白い長細いキノコは精神的な成長や無意識からの知恵の出現を示唆しているとのことである。いずれも今の自分と関連付けてみると、色々な意味が汲み取れそうで示唆深い。成熟と実りを表すトマトについては、確かにこれまで14年間ほどの欧米での探究の成果が思わぬ形で実を結び始めているのを実感している。それはとりわけAIの研究開発プロジェクトという具体的な実務活動として結実している。自分にとっても、AIの研究開発は今後の人類の命運を大きく左右するものであると実感しているため、この分野をライフワークに設定してもいいのではないかと思っているほどだ。そうした分野に対して、これまで探究してきた事柄が悉く役に立っていることを感じており、その実感はこれからさらに協働プロジェクトを前に進めて行けば行くだけ実感するだろう。そうした実りに加えて、少しずつ成功や達成というものも後からついてきており、それをイチゴが象徴しているのだろう。キノコについては、それが白色であったことから、より浄化された精神的な成長の可能性を暗示させる。無意識の領域からニョキニョキと芽生える智慧と発達に期待が持てるシンボルだと改めて思う。そもそもスーパーに足を運んだのは、大学の試験問題のおかげであった。そこで出題されたわずか3点の配点の問題を蔑ろにせず、問題意識を持っていたことがスーパーでの体験をもたらした。このことからも、今後も一見すると些細だと思われるような問題も見過ごさず、自分の頭で考えることや直接体験を通じてその問題と向き合うことを心掛けたい。それがまた新しい体験と知恵をもたらすのだから。自分の内側には、熟れた赤々としたトマトだけではなく、まだ熟れていない未熟な緑色のトマトがあることを思う。それは例えばAIに関する知識だろうし、人間の心・意識・知性についてもまだまだ知識と考察は未発達である。2種類のトマトは、そうした未発達な側面についても考えさせてくれるシンボルであった。また熟れたトマトであったとしても、それは大小様々な大きさを持っていたことから、成果の大きさの違いについても注目をするべきだろう。別に成果に囚われる必要はないが、社会的にどのような実りをもたらす活動に従事しているのかは絶えず内省をしたいと思う。ChatGPTが指摘しているように、小さな挑戦でも積極的に取り組む姿勢や報酬の大きさではなく経験そのものに価値を見出す姿勢を引き続き大切に、目の前の課題を楽しみながら取り組みたいと思う。フローニンゲン:2025/1/30(木)09:17


14158. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)   


日記を書く手を止めて、少し休憩がてらゼミナールの反転学習の動画教材を作っていた。2本ほど新しく動画を作り終え、2月からの講座に向けての全ての事前学習資料を作り終えることができた。ここからはまた文献調査と読解をする日々を楽しめそうである。今日もまたまずはAIの倫理に関する英語の論文を色々と読み進めていこう。


今朝方の夢の2つ目は、実際に通っていた日本の大学のキャンパスを舞台にしたものだった。この夢で印象的だったのは、書き忘れていたが、夢の最後に無事に単位を取り終え、卒業できるとわかったことである。と言うよりも、自分はもう大学を無事に卒業していたのだとわかったことである。それを受けて安堵の気持ちになったのを覚えている。Claudeは、大学の最終学年という設定に対して、今自分が人生の重要な節目に差し掛かっていることを主張する。そして、暗い講義棟は未知なる将来への不安や懸念を表し、試験は人生における重要な課題や決断に直面している状況を象徴しているとのことだが、将来への不安や懸念はほとんどない。むしろ未知なる将来に希望を見出しているし、ワクワク感を抱いている。1つ印象的だったのは、夢の中の自分が映像記憶を発揮し、ものすごい記憶力で試験問題に取り組もうとしていたことである。現実世界の自分には映像記憶のような能力はないが、それに類するぐらいの記憶力は幼少時代から与えられているようで、今はこれまでの経験や知識が統合されて新しい課題に取り組む姿を見出すことができる。夢の中の自分が履修するべきコースの一覧表を欲していたのと同じく、今取り組んでいるAIの研究開発によって広がった関心分野の理解をさらに深めてくれるような学問分野や文献、さらに専門家の一覧のようなものがあればと思う。おそらくそのようなものは存在していないので、自分でその見取り図を作っていくまでである。それは学びながら、実務作業に従事しながら作っていく自分オリジナルのものでいい。夢の自分は、手元にあった解答を見ながら問題に取り組むのではなく、ある意味自力で問題を解こうとしたが、結局私たちの全ての意思決定には何かしらの倫理的問題が絡むということを見えてくる。最後の夢についても生成AIをもとに解釈してみると、ChatGPTが指摘するように、知人の女性に投げかけた、「なぜ一般の資金を集める必要があるのか?」という根本的な疑問は、その投資案件の正当性を問うものであり、論理性と倫理性を同時に試すものであるというのは上記の倫理の問題とつながる部分がある。今自分は、AIの倫理という人類にとって重要な倫理テーマについて考えているだけではなく、自らの日常世界に溢れている個人的な倫理的な問題についても関心を持っていることが窺える。さて、自分が最も謎であった過酸化水素という物質が投資対象として登場している点であるが、過酸化水素は分解しやすく、酸化還元反応を通じて強いエネルギーを発する物質とのことで、消毒剤やロケット燃料などに使われる特性を持つらしい。それを受けて、おそらく自分の内側には、爆発的なエネルギーを生じさせる未知なる可能性がまだまだ潜んでいるのだと思わせる。同時にそれは巨大な力を発揮しうるゆえに慎重に扱うべきものなのだろう。ここまた自らの能力開発とその発揮に伴う倫理的問題を自分に突きつけているかのようだ。また、夢の場面であった公民館のような場所は、知的交流を行う民主的な議論の場としての意味を持ち、AIにせよ、能力開発にせよ、自分が探究している分野については広く多くの方たちを巻き込んだ対話を継続していきたいという思いを改めて持つ。過酸化水素が消毒剤に使われているように、自分の心の中にある煩悩とシャドーの浄化についても引き続き実践を通じてそれを実現していきたい。フローニンゲン:2025/1/30(木)10:04


14159. AIの世界観とAI開発者の世界観/人間中心主義的・脱人間中心主義的なAI開発  

   

私たちが持つ世界観あるいは価値観は、私たちの信念体系を単に表しているだけではなく、世界をどのように解釈し、世界とどのように交流してどのように振る舞うかを規定するものである。こうした世界観の発達は人間とって重要なだけではなく、AIにおいても等しく重要であろう。スパイラルダイナミクスは測定手法についてはさほど洗練されたものではないが、理論モデルとしては非常に有益なものであり、世界観の質的発達を説明する。スパイラルダイナミクスのモデルを参考にした、AIの世界観の発達を促進するような研究開発に従事していくこともここから行っていきたいことである。AI開発者の世界観がAIの世界観に影響を与える点も見過ごすことはできず、AI開発者自身の世界観も促していくことを合わせて行う取り組みに従事したい。その第一歩として、彼らに成人発達学ひいてはそれを包括する発達心理学の知見を共有していくことが重要になるだろう。また、AI開発者の世界観については、単純にその成熟度合いとしての発達段階を見ていくだけではなく、種類も検証したい。例えば、実証主義、実利主義、物理主義、計量主義など様々な種類に分類できるので、そうした水平方向の分析と垂直方向の分析の双方を持って、AI開発者の世界観の健全な発達を促進したいと思う。


またそもそも私たちは、人間の手によってAIを生み出し、人間の観点からAIに学習させようとしているが、果たしてその方向性は望ましいのかについても考えなければいけない。つまり、単純な人間中心主義に陥っていないかという問題である。発達心理学の知見も基本は人間を相手にしてもたらされたものであり、それをAIの知性の発達に活用することによって、本来であれば人間とは違った形で知性を伸ばせる可能性を制限してしまうことにもなりかねない。人間中心主義に偏り過ぎてもならないし、脱人間中心主義にも偏り過ぎてはならないという中庸の問題が現れてくる。逆に、どちらかの極にあえて研究開発を進めていくことが、結果的に人類やその他の有情の幸福につながることもあり得る。こうした複数のシナリオが描けるところにAI開発の難しさがあるし、面白さがある。


今後AIがさらに発展し、AIが私たちに提供するアウトプットの意味をどれだけ解釈できるのかという問題も横たわっている。すでに各種の問題に対して、AIの回答は私たちの意味理解を超えているものがあり、今後はAIが打ち出してくるアウトプットに対する意味付けの問題がより鮮明なものとして現れてくるのではないかと思う。回答に至るまでの論理プロセスも人間が追えるような単純なものではなくなり、また回答に用いられたデータも莫大なものになった時に、回答の算出過程を詳細に説明されたとしても、詳細に説明されればされるだけ、私たちの理解を超えてくるという問題がより如実になるだろう。この問題に対しても、AI開発者や哲学者がどのように向き合っていくのかは注目に値する。フローニンゲン:2025/1/30(木)11:04


14160. 詩集『まにまに』が届いて/今日のトレーニングの振り返り  


時刻は午後4時半を迎えようとしている。午前中と同じく、夕方のこの時間帯にも小鳥たちが囀りを上げており、彼らの鳴き声は深く心を癒してくれる。心の奥底に響き、心の襞に染み渡っていく力を彼らの鳴き声は持っている。先ほどジムから帰ってきたのだが、郵便受けに嬉しいことに、知人の阿世賀淳さんから送っていただいた詩集『まにまに』が届いた。過去に阿世賀淳さんが作った詩の作品をPDFで拝読させていただいていたのだが、このたびハードカバーの本の形となって世に送り出される形になった。阿世賀淳さんがおっしゃっていたように、利益を度外視した装丁は見事で、シンプルさの中に深淵さがある。早速カバーケースからハードカバーの詩集を取り出し、中を開けたところ、とても良い香りが漂ってきた。いつも自分はいかなる書籍でも、まるで儀式のようにその書籍の香りを嗅ぐようにしている。香りの記憶は長期記憶になりやすいと言われているように、自分はなぜかいつも本の香りを嗅ぎ、その香りと共にその書籍の内容を味わうようにしている。これはもう幼少期の頃からの癖のようなものである。クリスマス前日に兵庫を出発して航空便で送られてきたこの詩集は、1ヶ月掛かってフローニンゲンの自宅に届けられた。その時間の重みを感じる。現在再び学術書に取り掛かることが多いが、その休憩の最良の友として本詩集が傍にいてくれることは大変心強い。2月末の阿世賀さんとの対談が今から楽しみである。


夕方の優しい太陽の光が地上に降り注いでいる。その様子を見ながら、今日のジムでのトレーニングを振り返っている。最近はインターバル中の工夫が徹底しており、そこで瞑想実践をすることが定着した。呼吸を落ち着け、内側の感覚に耳を澄ませる形で瞑想をすることが板についている。他の人たちは基本的に音楽を聴いたり、スマホをいじったりする中、おそらく自分だけが瞑想実践をインターバルの最中に行なっている。もう2人だけ似たようなことをやっている人は、背の高く体格の良いトレーナーの男性と、老年期に差し掛かって未だに元気に体を鍛えているキャロルという男性である。トレーナーの男性はスマホをトレーニングの場に持ち込んでいるが、ほとんど見ることはなく、どうやらトレーニングメニューやタイマーの機能だけを見ているようである。75歳を超えているであろうキャロルは、そもそも自分と同じくスマホをトレーニングの場に持ち込んでいない。2人はインターバル中は、目を開けてはいるが、どこかぼんやりとしてデフォルトモードネットワークを緩めているようである。その様子が自分の瞑想実践と似ている。今日はいつもより下半身のトレーニングに力を入れた。ダンベルを使ったブルガリアンスクワットを2週間ぶりぐらいに行い、ランニングとは違った刺激を入れることにした。基本的に短距離走トレーニングで下半身はかなり鍛えられるので、今日のように時折ダンベルを使ったブルガリアンスクワットやルーマニアンデッドリフトを取り入れようと思う。フローニンゲン:2025/1/30(木)16:37


Today’s Letter

The difficulty of ethical issues and the possibility of there being a definitive answer to them are two different matters. This applies to the ethical issues of AI as well. I envision creating a new type of ethics in collaboration with advanced AI to tackle ethical dilemmas that seem impossible for humans to solve. Groningen, January 30, 2025

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page