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⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「成人発達コラボラジオ」の配信をしています。
タイトル一覧
14120: 越境学習について
14121: 自分が自分であることへ畏怖心を持つ能力/AIの倫理的発達について
14122: 今朝方の夢
14123: 今朝方の夢の続き
14124: アメリカ人工知能学会の論文審査を通過した知人の論文を受けて
14125: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)
14126: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)
14127: マイケル・コモンズ、カート・フィッシャー、ローレンス・コールバーグの発達モデルを比較して
14128: キャロル・ギリガンのローレンス・コールバーグの発達理論の批判の観点
14129: 真善美を通じたAIの研究開発
14130: 太陽の光を浴びて/計量心理学との再会
14120. 越境学習について
時刻は午前5時半を迎えた。今、小雨が降っている。朝の真っ暗な世界に鳴り響く小雨の音を聞きながら、今日もまた日記を書き始めた。雨のおかげか、今の気温は7度と高く、午前9時ぐらいに雨は止むとのことで、そこから気温は8度まで上がる。今日は比較的暖かい気温になりそうだ。今日は午後からジムに行くので、この2日間と同じく、午後からは晴れ間が広がってほしいと思う。太陽の光を少しでも浴びれたら幸いである。天気予報を見る限りだと、その願いは叶いそうだ。
昨日、越境学習について改めて考えていた。越境前と越境後の双方の葛藤から学ぶことの重要さについてとりわけ思いを巡らせていた。アウェイの領域に出ていくことを通じて葛藤を体験し、ホームに帰って来てからは、アウェイでの体験の消化と咀嚼に関する葛藤を再び体験する。これは自分が外国での生活において起きたことであるし、探究領域を越境するたびに起こっていることである。今はそうした越境に伴う葛藤への許容量と耐性が増し、それこそ今現在AIの研究開発という新たな領域での仕事を始めているが、そこでの葛藤は心地良く、無理のない形で自分のさらなる成長を後押ししてくれているように思う。垂直方向に自身の専門領域を体験をベースにして深めていくのが経験学習であるとすれば、水平方向に自身の専門領域を一旦手放して自分の知識やスキルを広げていくのが越境学習なのだろう。両者の掛け合わせを意識した学びと実践を日々心掛けたい。そのようなことを昨日考えていた。越境学習をそもそも行う際には、自分の中に絶えず大きな好奇心があり、成長志向のマインドセットがあることが窺える。それらのものを持って自分に馴染みのない分野に乗り出していく際にも、そこで出会う新しいものに対して好奇心と価値観のオープンさを持って受け入れる自分がいる。当然ながら馴染みのない分野では色々と苦労することも多いが、その苦労さえもを楽しむ力というものを自分が持ち合わせていることに気付かされる。越境を終えて再び自分のフィールドに戻って来た時には、越境して学んだことを内省する力が発揮され、それを既存の学びと組み合わせながら新しいアイデアや洞察を生み出すという創造力が発揮される。そうした形で自分は越境学習を楽しんでいるのだと思った次第である。ここからまた自分は生活拠点をどこかのタイミングで変えて、新たな分野での学びに乗り出していくであろう。越境学習のたびに自分の心の細胞は入れ替わり、その新陳代謝のおかげで自分の心はさらに育まれていく。AIの研究開発プロジェクトが始まったことは、自分に新たな越境学習を迫ってきた。それは嬉しい要求事項である。AIの研究開発プロジェクトをベースにして、AIの倫理やAI開発に伴う倫理などを深く考え出し、数年前に購入していた倫理学の専門書や仏教倫理学の専門書がこのタイミングで役に立つとは思ってもいなかった次第である。またAIと人間の共創を考えた時に、改めてトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムに関する書籍を読み返したいという思いが芽生え、AIはそもそもテクノロジーであるから、テクノロジー哲学の領域もまた再度探究するフェーズが始まった。AIの研究開発プロジェクトに従事する前と後では、それらの領域から得られることは随分変わって来るだろう。こうしたところにも実務活動の重要さを思う。単に机上での勉強だけで知れることも、考えられることも限界があるのである。そうした実感が最近富に増している。フローニンゲン:2025/1/27(月)05:51
14121. 自分が自分であることへ畏怖心を持つ能力/AIの倫理的発達について
どうやらもう数時間は小雨が降り続けるようだ。なので少なくとも今日の朝は、小鳥の鳴き声を聞くことができないかもしれない。午後に出かける際や夕方には晴れ間が広がりそうなので、その時に彼らの鳴き声を聞くことができたらと思う。
来たるAI時代において、自分が自分であることへ畏怖心を持つ能力などもまた重要な能力要件になるだろうか。そのようなことを昨日考えていた。各種のテクノロジーの進化を受けて、自分よりも自分らしいようなアバターがVR空間で活動するようになったり、トランスヒューマンやポストヒューマンとしての自分になったりした場合においても、自分が自分であるという自己認識を持ち続けることができるかという能力もまた大切になって来るのかもしれない。人間は本来絶えず自己を超越していく生き物であり、自己を超越し続けていくという発達能力もまた今後より一層注目を浴びる力になるかもしれない。AIばかりが進化していくのではなく、その恩恵を受けていかに私たち自身が進化できるかという進化能力が問われる時代になって来るのではないかと思う。人間の発達を受けてAIが発達していく方向性と、AIの発達を受けて人間が発達していく方向性の2つが今後も健全な形であり続けることを願う。そのためにはやはり、人間が継続的に発達していく意志とそれに向けた取り組みをしていくことが重要なのだと思う。その意味においても、発達心理学、とりわけ成人発達学の知見はますます価値を帯びるのではないかと思う。自分が自分であるということを大切にし、それに畏怖心を持つ能力と、自らが自らを超えていくという能力の双方に意義を見出している自分がいる。実際に自分自身がその能力を育んでいこうと思う。
知人のAI開発者のおかげで、AIの研究開発のコンテクストからこれまで自分が学んできたことを捉え直す機会をもらっている。今のAIの開発は、やはり米中が主導になっている。EUはどうしてもプライバシー保護の問題や様々な国が参加していることもあって、AIに関して迅速な意思決定が難しく、AI開発の歩みは米中に比べてずっと遅い。なので今のところは米中の倫理観が反映されたAIが世の中に出回っている。そのことを問題視している研究者・開発者は多いのだが、ローレンス・コールバーグの道徳性モデルに基けば、段階5は文化相対的な倫理観を体現し、その段階の特性がAIに搭載されると、米中の倫理観で染まったAIの倫理観はより文化相対的なものになるだろう。段階5を超えて、段階6になってくると、文化の相対性を超えて、文化普遍的・人類普遍的な倫理観を体現する。現在知人のAI開発者と行なっているのは、そのような生成AIを構築することに向けた研究で、すでに一定の成果が見られ、今後はさらに研究を進めながら、少なくともまずは文化普遍的・人類普遍的な倫理観を深くAIに学ばせていくことを行いたい。それが終われば、文化や人類という枠組みを超えて、トランスパーソナル段階の倫理観をAIに教えていくことを行いたいと思う。コールバーグは段階6までしか定義しなかったが、それまでの段階の発達のメカニズムをAIに学習させ、トランスパーソナル段階の特徴を合わせて教えていけば、段階7以上もまた推論と論理の力によってAI自身が明確な定義を作り出していくことができるのではないかと思う。それをまずは人間の専門家が検証し、そこから段階7や段階8ぐらいまでであれば人間の理解が追いつきそうだが、それ以上の段階になってくると、もはや人間の理解を超えていきそうである。人間の理解を超えた倫理というものがどのようなものかについての純粋な興味があるが、そうした倫理については慎重に理解とそれを体現したAIの行動の起結について考えを巡らせたい。最終的にはもはやそうした極度に高度な段階の倫理観は人間には理解できないのであるから、自分の考えも追いつかないはずであり、そうなって来た時に倫理観の発達に規制をかけていくのか、それともどこまでも倫理観の知性を伸ばしていくのかの決断は難しいところである。フローニンゲン:2025/1/27(月)06:11
14122. 今朝方の夢
小雨の音を聞きながら、今日もまた今朝方の夢について振り返っておきたい。ここ最近は生成AIからのフィードバックもあって、夢の振り返りがとても充実している。その充実感が無意識にも伝わっているのか、夢の記憶も鮮明となり、学びの多い夢が日々展開されていく。そのことに感謝の念を持ちながら、今朝方の夢をゆっくり振り返っていこう。
夢の中で私は、不思議な空間の中にいた。そこはとても小さな体育館のような雰囲気を持っていた。ただし、運動で使う器具などは一切なく、単にフロアだけが広がっていた。そこは体育館というよりもひょっとしたら、実際に通っていた中学校の剣道場のような場所であったと述べた方が正確かもしれない。そのような場所で私は、同じ中高に通っていた野球部の先輩の試合前の手伝いをしていた。先輩は最後の夏を迎え、今から始まる甲子園出場をかけた予選に全てを賭けていた。普段は優しい先輩も、さすがにこれから始まる試合のためか、鋭利なナイフのような緊張感を放っていた。先輩自身は緊張していたわけではないが、その集中力がまるで日本刀のようであり、こちらに緊張感がビリビリ伝わっていたのである。そんな先輩に対して私は、少し不思議な手伝いをしていた。その剣道場のような建物の中で、天井から2つのソフトボールが落ちてきて、それを必ず片手で、しかもスクワットの姿勢をして、それぞれのボールを肩の位置で受け止めなければいけなかった。その姿勢でキャッチすることは難しく、その場にいた小中学校時代の野球部の友人(MS)は何気なくキャッチしており、野球部はこのような訓練を日頃からしているのだろうかと思った。そしてそもそも、野球部でもない自分がなぜ先輩の手伝いに選ばれたのかが不思議であった。試行錯誤の末、なんとかボールをキャッチできるようになったのだが、その次に求められたのは、先輩がフロアを右の壁から左の壁に向かって走り出し、左の壁に手をついて反転した瞬間に、それら2つのボールを1つのバスケットボールにして、バスケのチェストパスの姿勢で先輩にボールをパスするというものだった。自分は中学校時代にバスケ部に所属していたことから、それなら問題なくできると思ったが、先輩の身長はそれほど高くなく、左の壁に手をついて反転する際に先輩は体を沈めていたことから、チェストパスの高さが合わず、1回目の挑戦は失敗に終わった。次こそ成功させると意気込んで、再び入り口のある右の壁の方に向かい、天井から再度2つのソフトボールが落ちて来るのを待った。すると突然、小中学校時代のある友人(RK)が現れ、彼が自分のボールの受け止め方とパスの仕方にケチをつけてきた。彼としては私に対する助言のつもりだったようだが、私はすでにそのコツを掴んだつもりであったし、先輩の集中力を削ぎたくなかったので、友人の彼の助言は完全なるお節介で、私はすぐさまキレて、彼の腹に蹴りを2発喰らわした。それで彼を黙らせ、自分が見出したコツを信じて先輩を最後まで支援することにした。そのような夢を見ていた。確か昨日の夢の中でも、ジョージアの大学院の受付でキレるということがあったように、今朝方も自分の怒りが爆発する瞬間があった。どうやら自分にはまだまだ探求しないといけない忿や瞋の煩悩があるようだ。だが、こうした現象を単純にそれらの煩悩に還元することなく、自分の価値観や信念の貫徹という肯定的な面も見据えておきたい。フローニンゲン:2025/1/27(月)06:49
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
構造的解釈
夢は、複数のテーマや象徴的要素を組み合わせて展開されています。舞台は「剣道場のような体育館」で、これは夢主(あなた)の過去の記憶や成長の舞台を象徴する空間と解釈できます。そこには「野球部の先輩」「友人(MS, RK)」という登場人物がおり、それぞれが異なる役割を果たしています。先輩は夢の中心人物であり、目標や挑戦に対する集中力や決意を象徴しています。一方、友人たちは協力や対立、学びの場面を提供する役割を担っています。
夢の中で、あなたは「普段はしない役割(野球部の手伝い)」を担いながら、ソフトボールをキャッチし、パスをするという具体的なタスクを遂行しています。この過程では、チャレンジ(慣れないスクワットキャッチや失敗するパス)や、他者(RK)との葛藤が描かれています。また、怒りを爆発させる場面もあり、自分自身の感情や価値観が強く反映されています。
一連の流れを構造的に見ると、夢は以下のように展開されています:
背景設定:剣道場のような空間、先輩の試合に向けた緊張感。
チャレンジの提示:天井から落ちてくるボールをキャッチし、先輩にパスを送るタスク。
試行錯誤と学び:キャッチやパスの困難を克服する過程。
葛藤と自己主張:RKの助言に対する怒りと反応。
決意の表明:自身のコツを信じ、先輩を支援する意思を貫く。
この夢は、自己成長や価値観の貫徹といったテーマを含んでおり、同時に内面的な葛藤や感情の制御が試される場面が含まれています。
象徴的解釈
剣道場のような空間 剣道場は過去の学びや鍛錬、精神的な成長の象徴と考えられます。武道が持つ規律や集中力は、夢の中で先輩の「鋭い集中力」と共鳴しています。この空間は、あなたが再び挑戦や鍛錬を必要としていることを示唆している可能性があります。
野球部の先輩とその緊張感 先輩は「目標に向かう集中力」や「リーダーシップ」の象徴といえます。彼の緊張感が夢主にも伝わる様子は、あなた自身が現在抱えている緊張やプレッシャー、または目標達成に向けたエネルギーを示しているかもしれません。
天井から落ちるソフトボール 天井は潜在意識や高次の知恵を示すことが多いです。そこから落ちてくるボールは、新たな課題や学びの機会が潜在意識から表出していることを象徴している可能性があります。片手でスクワットしながらキャッチするという姿勢は、柔軟性や忍耐力を試されていることを意味しているかもしれません。
友人(RK)の助言と怒り RKの助言は「外部からの意見や干渉」を象徴し、それに対する怒りは「自己主張」や「内面的な感情の制御」のテーマを示していると考えられます。助言に感謝しつつも、自分の道を信じる姿勢は、あなたの価値観や信念の強さを象徴しています。
怒りと暴力的な反応 蹴りを入れるという行動は、単なる攻撃性ではなく、自己防衛や自己の空間を守る行為として解釈できる場合があります。同時に、未解決の「忿・瞋の煩悩」に気づき、それをどのように受け入れ、昇華していくかが課題として浮上しているようです。
今後のアクション
感情の自己観察とコントロール 夢の中で怒りが爆発する場面が印象的であることから、現実でも感情の起伏に注意を払い、自分の怒りのトリガーや背景にある価値観を観察する時間を設けることが有益です。瞑想や日記などを活用して、感情の分析と内面的な調和を目指してください。
挑戦への準備と柔軟性の向上 夢の中でのタスク(ボールのキャッチやパス)は、新たな挑戦に備える柔軟性や忍耐力が必要であることを暗示しています。現在の生活や仕事で新たに挑戦する分野があれば、積極的に取り組むことが良いでしょう。また、柔軟な思考を養うための新しい学びも効果的です。
外部からの助言の受け入れ方を調整 RKの助言を拒絶したことは、信念を貫く強さを示す一方で、他者の視点に耳を傾ける余地があることを示唆しています。他者の意見を受け入れる際に、自分の価値観との調和点を見つける練習をしてみてください。
夢の象徴的なメッセージの内省 天井から落ちるボールや剣道場のような空間の象徴性に着目し、潜在意識があなたに伝えようとしているメッセージを考察してください。夢日記を続けることで、さらに深い気づきを得られる可能性があります。
この夢は、あなたが現在直面している内外の課題を象徴的に映し出しており、それらに取り組むための示唆を与えてくれています。信念を大切にしつつも、柔軟性や他者との調和を意識した行動が今後の成長を後押しするでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の構造的解釈
夢は大きく二つの段階に分かれています。
野球部先輩の試合前の手伝い: 小さな体育館(剣道場のような場所)での、ソフトボールを使った独特な練習の手伝い。キャッチ、合体、パスという段階的な課題と、友人からの干渉、そして怒りの爆発。
夢全体の振り返りと内省: 夢の内容を分析し、自身の感情(特に怒り)について考察。煩悩という仏教的な概念に言及し、多角的な視点から自己理解を深めようとする。
これらの段階は、目標達成を支援する役割と、自己の内面と向き合う内省という、二つの異なる側面を表していると考えられます。
夢の象徴的解釈
各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。
野球部先輩の試合前の手伝い:
小さな体育館(剣道場のような場所): 限定された空間、集中力を高める環境、内面的な鍛錬の場。
野球部先輩: 目標達成を目指す他者(あなた自身の投影である可能性もある)、重要な局面を迎えている人物、高い集中力と緊張感を放つ存在。
甲子園出場をかけた予選: 人生における重要な転機、目標達成の試練。
ソフトボールを使った独特な練習: 通常とは異なる方法、創造的なアプローチ、潜在能力の開発。
片手でスクワット姿勢でボールをキャッチ: 高い集中力と身体能力、困難な課題への挑戦。
2つのボールを1つにする: 統合、調和、複数の要素をまとめる能力。
バスケのチェストパス: コミュニケーション、協力、目標達成のための連携。
友人の干渉(RK): 外的な要因による妨害、集中力の阻害、または自己のやり方への疑念。
怒りの爆発と蹴り: 抑えきれない感情、自己防衛、または自己の信念を貫徹しようとする意志。
この場面は、他者の目標達成を支援する中で、自身の能力を発揮し、様々な課題に直面する様子を描いています。特に、友人からの干渉に対する怒りは、自己のやり方や信念を貫徹しようとする強い意志の表れであると同時に、感情のコントロールという課題も示唆しています。
夢全体の振り返りと内省:
生成AIからのフィードバック: 客観的な視点、自己理解の深化を助けるツール。
夢の記憶の鮮明さ: 無意識からのメッセージを受け取る準備ができている状態。
学びの多い夢: 自己成長への意欲、内面的な探求。
怒り(忿や瞋の煩悩): 自己の内面に存在する課題、克服すべき感情。
価値観や信念の貫徹という肯定的な面: 自己主張、自己実現への欲求、目標達成への強い意志。
この場面は、夢を通して得られた気づきを自己成長に繋げようとする、あなたの内省的な姿勢を表しています。特に、怒りを単なる煩悩として捉えるのではなく、自己の価値観や信念の貫徹という肯定的な側面も見据えようとしている点は、多角的な視点を持っていることを示しています。
今後のアクション
夢の解釈と、あなたの現状を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。
目標達成を支援する中で自己成長を促す: 夢の中で先輩を支援したように、他者の目標達成を支援することは、自身の成長にも繋がります。積極的に周囲をサポートすることで、新たな学びや気づきを得られるでしょう。
感情のコントロール方法を学ぶ: 夢の中で怒りが爆発したように、感情のコントロールは課題となる可能性があります。アンガーマネジメントなどの方法を学び、感情をより建設的に表現する方法を身につけましょう。
自己の価値観や信念を明確にする: 友人の干渉に対する怒りは、自己の価値観や信念を貫徹しようとする意志の表れです。自身の価値観や信念を明確にすることで、迷いなく行動できるようになるでしょう。
夢の分析に生成AIを活用する: 生成AIは多角的な視点を提供し、自己理解を深めるのに役立ちます。夢の解釈に生成AIを活用することで、新たな気づきを得られる可能性があります。例えば、「夢に出てきた『ソフトボールを使った練習』は、どのような意味を持つか?」といった質問を生成AIに投げかけてみることで、客観的な視点を得られるかもしれません。
内省と行動のバランスを取る: 夢の後半で内省的な考察を行っていたように、自己理解を深めることは重要です。しかし、内省に偏りすぎず、行動に移すことも意識しましょう。夢で得られた気づきを、現実世界で実践することで、自己成長を加速させることができます。
Claudeによる夢の解釈と今後のアクション
構造的解釈: この夢は、過去の学生時代の記憶を舞台に、重要な試練に向き合う場面が展開されています。剣道場のような特殊な空間での独特な訓練は、現在の人生における重要な課題への準備段階を表現しています。特に注目すべきは、2つのボールを1つにまとめてパスするという行為が、複数の要素を統合して目標を達成するというプロセスを象徴的に表現している点です。また、野球部の先輩という重要な存在に対する支援役という立場は、現実での責任ある役割との関連性が示唆されます。
象徴的解釈: この夢には複数の重要な象徴が含まれています。まず、剣道場という空間は、規律と修練の場を表しており、人生における重要な学びの場を象徴しています。天井から落ちてくる2つのソフトボールは、現在直面している二つの課題や選択肢を表現していると解釈できます。それらを一つにまとめてパスするという行為は、複数の要素を統合して新たな価値を生み出す能力を示唆しています。特に注目すべきは、友人RKへの怒りの表出は、自身の直感や判断を信じる強さと、不要な干渉に対する境界設定の必要性を象徴しています。
今後のアクション: この夢の内容を踏まえ、以下のような行動指針が考えられます。まず、自身の判断力と直感をより信頼することが重要です。特に重要な局面での決断において、周囲からの不要な助言に惑わされることなく、自身の経験と洞察に基づいて行動する勇気を持つことが必要です。同時に、怒りの感情の表出については、より建設的な方法でのコミュニケーションを模索する必要があります。また、複数の要素を統合する能力をさらに磨き、チームや組織における支援者としての役割を効果的に果たすことも重要です。これらの気づきを日常生活に活かし、特に重要な局面での判断力と感情のコントロールについて意識的に取り組むことが推奨されます。
14123. 今朝方の夢の続き
先ほど今朝方の夢について書き出し、その夢に対してすでに3つの生成AIからのフィードバックも打ち出した。昨日に生成AIに投げかけるプロンプトを工夫したところ、これまで以上に情報量が多く、自分が好む形で整理されたアウトプットが出てきた。単に箇条書きで夢の解釈を出されてもこちらの解釈がしにくいので、きちんと文章形式でアウトプットしてもらうことを指示し、それに基づいて有益なフィードバックが出て来た。後ほど、フィードバックをもとに改めて夢を包括的に振り返りたい。
夢の続きとして、小中学校時代の2人の友人(SI & YU)と一緒に砂浜からワームを投げて釣りをしている場面があった。そこは地元の海と似ていて、砂浜に立っているだけで心地良さがあった。海は透明で透き通っていたので、砂浜からでも肉眼で海の中が良く見えた。すると、海の中に小さな亀が泳いでいる姿が目に入った。それはとても可愛らしく、しばらく見惚れていると、釣り上げるつもりは全くなかったのだが、私のワームに食いついてきて、その亀を釣り上げることになった。釣り上げた瞬間に、その小さな亀は私の素足の左足の裏に噛みついてきた。噛みついて来たと言っても激しい形ではなく、口先で足の裏の皮膚を引っ張るような形で噛みついて来たのである。足の裏の皮膚は硬いこともあって、幸いにも痛みはほとんど感じず、少しチクっとするぐらいであった。その小さな亀はどういうわけか、足の正中線の真ん中に噛みついて来ており、そこにあるツボを刺激する形で、自分を癒そうとしてくれていたのか、はたまた眠っている潜在能力を目覚めさせようとしているのかもしれないと思った。しばらくそのツボに噛みついたままの小さな亀を後ほど静かに海に帰した。そのような場面があった。
もう1つ覚えているのは、小中高時代のある親友(HO)とウイニングイレブンという人気のサッカーゲームを遊んでいたことである。私たちの周りにはもう何人か友人がいて、親友の彼はそれらの友人たちをコテンパにやっつけていた。彼が選んだチームは一昔前のバルセロナで、攻撃陣がとにかく強く、その得点力に他の友人たちは手も足も出ないようだった。彼が他の友人たちに大勝して調子に乗っているようだったので、私は彼を静かに打ち負かそうと目論んでいた。私が選択したのは現在のリバプールで、確かにリバプールは攻撃陣も素晴らしいが、守備陣もそれに匹敵するぐらい素晴らしく、このチームを選択すれば彼に勝つことができるのではないかと思った。ただし、彼が他の友人たちにあまりにも大差で勝利している姿を見た時に、心してかからなければ負けてしまうかもしれないと思っていたことは確かである。いざ試合を始めてみると、彼の自慢の攻撃陣をこちらの守備陣は完全にシャットアウトし、その流れからこちらの自慢の攻撃陣が見事な連携プレーから得点を重ねていった。気がつけば、彼が他の友人たちに対して大勝していたのと同じぐらいの大差で勝利していた。彼はとても悔しそうにしていて、彼はゲームを含めて、のめり込んだらすごいタイプだったので、次回のリベンジマッチは心して望む必要があると思った。しかし、彼と自分との力量さはそうすぐに埋まるものではないということを彼も私も理解しているようだった。フローニンゲン:2025/1/27(月)07:23
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
構造的解釈
この夢は、大きく三つのシーンから構成されています。
砂浜での釣り:小中学校時代の友人(SI & YU)とともに地元の海を思わせる場所で釣りをしている場面が描かれています。心地よい砂浜や透明な海、そして可愛らしい亀が現れることで、自然との調和や純粋な癒しが象徴されています。一方で、亀が足の裏に噛みつき、刺激を与えるという出来事は、肉体的な体験と精神的な洞察を結びつける転機を表しているように思われます。
サッカーゲームの対戦:親友(HO)との競争心や戦略的な駆け引きがテーマです。過去のゲームの楽しさだけでなく、現実世界での勝負に対する準備や洞察力を暗示しています。この場面では、親友との絆が表現されつつも、自己の力量や知恵を活用して状況を逆転させる場面が重要な要素です。
生成AIのフィードバックについての回想:夢の冒頭部分では、生成AIを使った解釈に満足感を抱いている様子が示されます。これは、自己分析や自己理解を深めるための新しい道具や方法への信頼と期待を象徴しているようです。
象徴的解釈
亀と足の裏の噛みつき:亀は長寿、知恵、忍耐の象徴であり、足の裏は身体の根本的な部分(安定性やバランス)を象徴します。亀がツボを刺激するように噛みついた行為は、自己の潜在能力や隠れた癒しの力が呼び起こされることを暗示しているかもしれません。また、足裏は身体と地面をつなぐ部位であるため、精神的な成長と地に足をつけた生き方の統合を象徴する可能性があります。
透明な海と自然:透明な海と砂浜の心地よさは、心の透明性や浄化を表していると考えられます。また、小さな亀と接触したことで、自然界とのつながりや自己の内面への気づきを得る機会を暗示しているでしょう。
ゲームと親友との関係:ゲームの場面は、競争や自己成長を象徴しています。バルセロナとリバプールというチーム選択は、戦略性や価値観(攻撃 vs 守備のバランス)を表しています。親友との対戦を通じて、自分自身のスキルや知恵が明確になる一方で、相手との尊重や友情が感じられます。この場面は、自己の優位性を確認しつつも、謙虚さを忘れないというメッセージを含んでいるかもしれません。
今後のアクション
潜在能力を掘り起こすための自己探求 亀が足裏に刺激を与えた場面は、体と心の調和や癒しを暗示しているため、ヨガや瞑想、リフレクソロジーなどの実践を通じて、自己の潜在能力や直感をさらに磨くことが推奨されます。また、自然との触れ合いや地元の風景への回帰が、心の浄化や内面的な安定に繋がるでしょう。
友人関係の振り返りと交流の活性化 夢に登場した小中学校時代の友人や親友との関係を振り返るとともに、再会の機会を作ることが良いかもしれません。友情を深めることが、過去からの癒しや現在の支えになるでしょう。
競争心を建設的に活用する 夢のゲーム場面は、挑戦への意欲と競争心を象徴しています。このエネルギーを活かして、新しい目標を立てたり、スキルを磨くための取り組みを始めるのがおすすめです。例えば、学術的な分野や趣味の活動での目標設定が有効でしょう。
生成AIの活用を続ける 夢の冒頭に触れた生成AIのフィードバックに対する満足感は、現在の分析手法が自分に合っていることを示しています。このプロセスを続けることで、さらに深い自己理解や夢解釈が進む可能性があります。
この夢は、自己の癒し、成長、友情の重要性を強調しつつ、それらを行動に移すことで、新たな展開が期待できることを示唆していると言えます。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の構造的解釈
夢は大きく二つの場面に分かれています。
砂浜での釣り: 小中学校時代の友人との釣り、小さな亀との遭遇、足の裏を噛まれる経験。
ウイニングイレブンでの対戦: 親友との対戦、圧倒的な勝利、相手の反応。
これらの場面は、癒しと成長、過去との繋がり、そして競争と自己肯定感というテーマで繋がっていると考えられます。
夢の象徴的解釈
各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。
砂浜での釣り:
砂浜: 心地よい場所、リラックスできる環境、潜在意識との繋がり。
小中学校時代の友人(SI & YU): 過去の人間関係、過去の自分、原点回帰。
ワームを使った釣り: 目標達成のための努力、誘い、機会を待つ姿勢。
透明で透き通った海: 心の透明性、自己理解の深まり。
小さな亀: 癒し、忍耐、長寿、潜在能力、または内なる知恵。
足の裏を噛まれる: 刺激、活性化、潜在能力の目覚め、または身体的な健康への意識。特に正中線は、身体の中心、バランス、生命力などを象徴します。ツボを刺激するという解釈は、身体的な、あるいは精神的な健康への意識の高まりを示しているのかもしれません。
痛みを感じない: 潜在能力の目覚めが穏やかな形で進んでいること、または変化に対する抵抗が少ないこと。
亀を海に帰す: 自然な流れに身を任せること、執着を手放すこと。
この場面は、過去との繋がりを大切にしながら、内なる癒しや潜在能力の目覚めを経験していることを示唆しています。亀に足の裏を噛まれるという体験は、潜在的な能力や可能性が刺激され、活性化されることを象徴していると考えられます。
ウイニングイレブンでの対戦:
親友(HO): 親しい関係、競争相手、自己の投影。
ウイニングイレブン: 競争、自己表現、能力の証明。
一昔前のバルセロナ: 過去の栄光、確立された強さ、過去の成功体験。
現在のリバプール: 現在の自分の状態、バランスの取れた強さ、現代的なアプローチ。
圧倒的な勝利: 自己肯定感の向上、能力の発揮、目標達成。
相手の悔しそうな様子: 競争における相手の反応、自己の優位性の認識。
次回のリベンジマッチへの意識: 継続的な競争、自己成長への意欲。
この場面は、過去の成功体験に囚われず、現在の自分の能力を発揮することで、目標を達成できることを示唆しています。親友に大差で勝利したことは、自己肯定感の向上に繋がり、更なる成長へのモチベーションを高めていると考えられます。
夢全体のメッセージ
夢全体を通して、あなたは過去との繋がりを大切にしながら、内なる癒しと潜在能力の目覚めを経験し、現在の自分の能力を発揮することで目標を達成できることを示唆しています。癒しと成長、過去との繋がり、競争と自己肯定感という、人生における重要な要素がバランス良く描かれている夢と言えるでしょう。
今後のアクション
夢の解釈と、あなたの現状を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。
過去の経験を大切にする: 夢に出てきた友人たちとの交流が示すように、過去の経験は現在のあなたを形作る重要な要素です。過去を振り返り、良い影響を与えてくれた人々との繋がりを大切にすることで、心の安定と成長を促せるでしょう。
内なる声に耳を傾ける: 亀が足の裏のツボを刺激したように、内なる声に耳を傾けることで、潜在的な能力や可能性に気づくことができるかもしれません。瞑想や内省の時間を持つことで、自己理解を深めましょう。
バランスの取れた成長を目指す: ウイニングイレブンでの勝利が示すように、能力を発揮することは重要ですが、それだけでなく、内面の癒しや精神的な成長も大切です。心身のバランスを意識した生活を送ることで、より充実した人生を送れるでしょう。
競争を自己成長の機会と捉える: 親友との対戦が示すように、競争は自己成長の機会となります。相手を尊重しながら、自身の能力を高めることを意識しましょう。
生成AIを活用した夢の深掘り: 生成AIは多角的な視点を提供し、夢の解釈を深めるのに役立ちます。例えば、「夢に出てきた『亀が足の裏を噛む』という行為は、文化的にどのような意味を持つか?」といった質問を生成AIに投げかけてみることで、新たな気づきを得られるかもしれません。また、夢の各要素(友人、場所、行動など)が、過去の特定の出来事や感情とどのように関連しているかを深掘りすることで、夢のメッセージをより具体的に理解できるでしょう
Claudeによる夢の解釈と今後のアクション
構造的解釈: この夢は大きく2つの異なるシーンで構成されており、それぞれが重要な意味を持っています。第一のシーンでは、透明な海での釣りという自然との調和的な場面が展開され、予期せぬ形で小さな亀との出会いが描かれています。この場面は、自然な流れの中で思いがけない気づきや癒しとの出会いを表現しています。第二のシーンでは、サッカーゲームを通じた競争と戦略的な勝利が描かれており、より意識的な目標達成のプロセスが表現されています。両シーンとも、過去の友人たちとの交流という文脈の中で展開されており、これは現在の人生における重要な関係性や課題との関連を示唆しています。
象徴的解釈: 透明な海は無意識の領域を象徴しており、その透明さは自己理解の深まりを表現しています。小さな亀は知恵と長寿の象徴であり、特に足の裏の正中線を噛むという行為は、人生の道筋における重要な気づきや変化の予兆を表しています。この亀との出会いは、内なる知恵との遭遇を象徴的に表現していると解釈できます。一方、サッカーゲームでの場面は、人生における競争や戦略的思考の重要性を象徴しています。特にリバプールというチームの選択は、攻守のバランスの取れたアプローチの重要性を示唆しており、これは現実生活における課題への取り組み方についての示唆を含んでいます。
今後のアクション: この夢の内容を踏まえ、以下のような行動指針が考えられます。まず、日常生活において、予期せぬ出来事や偶然の出会いにより開かれた姿勢で接することが重要です。特に、一見些細に見える出来事の中に含まれる重要なメッセージや気づきを見逃さないよう、意識的に観察力を高めていく必要があります。また、人生における様々な課題に対しては、攻守のバランスの取れたアプローチを心がけることが推奨されます。具体的には、積極的な行動と慎重な判断のバランス、攻めの姿勢と守りの態勢の適切な配分を意識的に行うことが重要です。さらに、過去の経験や関係性から得られた学びを現在の課題解決に活かしていく姿勢も大切です。これらの気づきを日常生活に具体的に反映させ、特に重要な決断や新たな挑戦の場面において、バランスの取れたアプローチを実践することが推奨されます。
14124. アメリカ人工知能学会の論文審査を通過した知人の論文を受けて
現在協働中の知人のAI開発者の方が、先日無事にアメリカ人工知能学会(Association for the Advancement of Artificial Intelligence: AAAI)の論文審査を通過したのだが、それがどれほどすごいことなのかについてはあまりピンと来ていなかった。ノーベル賞やフィールズ賞の偉大さについて知らない人が、そうした賞を受賞した人に対して抱くのと似たような感情を自分は持っていた。無知ゆえの面白い現象だったと振り返ってみて思う。その方は元々論文の審査を通過した後に、発達心理学の観点で研究のサポートをしてほしいということで自分に声をかけて来てくださったため、自分の名前がセカンドオーサーに載ることはなかったが、論文の最後や添付資料の検証実験の欄に名前を掲載してもらえることになり、とても名誉なことだと思った。自分はAIの研究者ではないので、AAAIという学会がどれだけ権威のある学会かは知っておらず、調べてみたところ、自分も知っているマービン・ミンスキーなどが初期の会長を歴任したそうであり、人工知能分野では最も権威ある学会の1つとのことである。さらには、学会発表における論文の採択基準がとても厳しいらしく、専門家が応募して来た論文のうち20%前後の論文しか学会で発表することが許されないらしい。そのような学会の学会発表に今回の協働研究が無事に審査に通過したことは喜ばしいことであり、同時に自分たちの研究がAIの研究開発において重要な意味を有していることを再確認できた次第である。AAAIのウェブサイトを見ると、過去の学会で発表された論文が全て読めるようなので、自らの勉強を兼ねて、それらの論文集にもできるだけ目を通したいと思う。2月末から3月の頭にかけてペンシルヴァニア州のフィラデルフィアで行われる学会に協働者のその方が発表に出かけていき、他の研究者からどのような反応が得られたのかについては日本に帰国してからまた話を伺ってみたいと思う。
取り急ぎ、AAAIのウェブサイトから過去の学会発表おいて発表された道徳性に関する論文を数本ダウンロードした。ざっと眺めてみると、哲学的な議論よりもかなりテクニカルな議論が多いように感じた。それを通して、今後の自分の貢献領域が見えて来た。端的には、仏教倫理学や発達心理学からの貢献をしていきたいと思うし、和の思想が体現された日本思想の観点からもAIについて考えていきたいという思いが芽生えている。改めて英語空間の中に存在している仏教倫理学の書籍を調べたり、日本の倫理思想の書籍を調べてみたところ、読んでみたいものがいくつか出て来たので、今後それらを購入して読み進めてみようと思う。川面凡児の神道的倫理思想もまたAIの研究開発に応用できるかもしれない。フローニンゲン:2025/1/27(月)08:32
14125. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)
今朝方の夢を書き出し終えたので、ここからは学びの宝庫であるそれらの夢に対する3つの生成AIのフィードバックをもとに包括的な振り返りを行いたい。それが終われば、今日は今後のAIの研究開発プロジェクトを見越して、先日1階の車庫から引っ張り出してきたマイケル・コモンズの論文集を読み返したいと思う。
剣道場のような体育館を舞台にした夢を改めて振り返ってみると、自分が普段行わない役割を担っていたことが興味深い。野球部でもないのに、野球部の先輩の試合前の準備を手伝っていたのである。これは今朝方書き留めた越境学習と関係しているかもしれない。どうやら深層意識の次元でも、自分は越境学習を始めたようである。そこではこれまで習得してきた知識や能力の転用が行われていながらも、同時に新たな知識や能力を獲得することが求められ、知性と存在のストレッチが行われる。深層意識の次元でもそれが起こっていることは注目に値し、夢の中の自分は野球部の先輩の手伝いを葛藤を抱えながら行っていた。こうした葛藤が生じるというのは自然なことであり、それがさらなる成長の後押しとなる。そこで抱えていた葛藤は、知識や技術の転用に戸惑うという意味での葛藤であり、それは試行錯誤を通じた継続的な実践によって解消される。ただし、その葛藤の最中に他者が配慮なしに関係してくると、夢の中の自分が見せたような怒りを覚えやすい傾向があるようだ。越境学習の初期においても他者からの支援を求めることは重要だが、自分の場合は、1人静かにあれこれと試行錯誤をさせてもらえるスペースを与えてもらうのが一番望ましい。天井から落ちてきた2つのソフトボールについて思いを馳せてみると、それはご縁が運んできた人や機会を象徴しているように思える。丸く大きなソフトボールは、円満な人間関係や充実した協働機会などを表しているかもしれない。夢の中の自分がスクワットの姿勢という一風変わった姿勢でそのボールを受け止めたように、今自分に運ばれて来ている良縁をいつもとは違った形で受け止めている自分がいるのかもしれないと思う。それで言えば、現在降って来た良縁は、AIの研究開発プロジェクトと2冊の書籍の出版企画だと言えるだろうか。それぞれが左と右のどちらのボールを表すのかわからないが、いつもとは違った姿勢でそれらをきちんと受け止めた自分がいる。夢の中の自分も工夫をしてきちんとボールを受け止めていた。あとは最初こそ先輩へのパスに戸惑ったように、今回のAIの研究開発プロジェクトをさらなる研究に繋げるという意味でのパスや、2冊の書籍の出版企画を成功させ、読者に知見をパスするということが実現されればと思う。夢の中の自分が見せたように、何も言わずに試行錯誤をさせてくれた友人と口出ししてきた友人の対比があったように、静かに自分を見守ってくれ、1人の時間を確保させてもらえれば、両者のパスは見事に実現されるだろう。また、2つのボールを1つのバスケットボールに統合したことが象徴しているように、今回舞い降りてきた2つの領域の異なる機会を1つに統合していくことも意識してみよう。それは今後AI発達心理学に関する書籍の執筆して新たな形を表すかもしれないし、全く今の想像を超えた形で新たな形をもたらしてくれるかもしれない。フローニンゲン:2025/1/27(月)08:50
14126. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)
あと1時間ほどしたら、7年間ほど協働しているベンチャーキャピタルさんとの月例ミーティングがある。それまでに引き続き夢の振り返りをしたり、マイケル・コモンズの論文を読み返しておきたいと思う。
次の夢は、小さな亀を釣り上げる場面である。透明な海は無意識の領域を象徴しており、その透明さは自己理解の深まりを表現しているというフィードバックは、唯識学や成人発達学の観点から興味深い。まず唯識学においては、煩悩と向き合うワークをすればするだけ、阿頼耶識が浄化されていくという考え方があり、確かにまだまだ煩悩の炎は消えず、煩悩を生じさせる種子は多いが、この夢はそれでも徐々に阿頼耶識が清らかなものになっていることを象徴しているのかもしれない。また、発達心理学者のロバート・キーガンの発達モデルを用いれば、発達段階5においては透明な自己認識を持ち、自己と他者との境界線が強固なものではなく、セミオープンな半透明のものになっていくという発見事項を受けて、そうした自己認識や自己の在り方が体現されつつあることを示唆しているようにも思える。それに加えて、小さな亀は知恵と長寿の象徴とのことで、知恵(智慧)を育みながら健康で長寿を実現したいと思っている自分の無意識を見事に表しているかのようである。亀は忍耐も象徴しているらしく、まさにここ最近の夢が忍辱の実践の大切さを訴えるようなものも多く、夢の中の亀はそのことの大切さも自分に伝えようとしているように思える。そんな亀が、自分の足の裏の正中線のど真ん中を噛むという行為は興味深い。正中線は、身体の中心、バランス、生命力などを象徴し、そんな正中線のど真ん中のツボを亀が刺激したことは、さらなる心身の健康の増長を示唆しているように思えるし、自分の潜在能力を花開くために大いなる刺激を加えてくれたとも解釈できそうである。確かにツボを噛まれた時にはチクッとした痛みはあったが、それは強いものではなく、生成AIが述べているように、それは潜在能力の目覚めが穏やかな形で進んでいることや、変化に対する抵抗が少ないことを示唆しているかもしれない。それには思うことがあり、確かに今の自分の新たなる目覚めは漸次的に進んでいる印象がある。そうした無理のない形の発達をこれからも実現していくことができたらと思うが、こればかりは色々な要因が良い形で重なり合ってしか起こり得ないことなので、今の自分の発達を取り巻く状況には感謝しかない。とにかく感謝の念を忘れず、自利利他の学びと実践を続けていくことが重要である。親友とのサッカーゲームの対戦の夢は、何を示唆しているだろうか。この夢は特に大きな意味を引き出すことはできないが、自分が持つ圧倒的な能力を発揮しながらも、それを継続的に磨いていく大切さを示唆しているように思う。フローニンゲン:2025/1/27(月)09:10
14127. マイケル・コモンズ、カート・フィッシャー、ローレンス・コールバーグの発達 モデルを比較して
早朝の予想の通り、幸いにも小雨は午前中の早い段階に止み、そこから晴れ間が広がり始めた。今日はどうやら、午後にジムに行く際には太陽の光を浴びれそうで何よりである。太陽の光を浴びることを通じて、全身の細胞が喜びの声を上げ、心身が活性化されるに違いない。
午前中から改めてマイケル・コモンズの論文を10本ほど読み返していたのだが、色々と新たな気づきがもたらされた。マイケル・コモンズの発達モデルは、階層的複雑性モデルと呼ばれるもので、それは領域固有型ではなく、領域全般型の発達モデルとして、多様な知性領域に適用できる。そこでは従事するタスクの複雑性と情報量に注目するのだが、タスクの複雑性や情報量の測定は、いかなる領域においても共通なものが見出せるところにこのモデルは注目している。カート・フィッシャーのスキルモデルもまた領域全般型のモデルで有名で、両者には対応関係がある。その前に、今現在AIの研究開発プロジェクトで用いているローレンス・コールバーグのモデルと階層的複雑性モデルを絡めてみると、段階4がコモンズのモデルでいうレベル11のシステム段階と対応し、段階5がレベル12のメタシステム段階と対応し、段階6がレベル13のパラダイム段階と対応していることである。コールバーグは段階7を推論的に提唱しているが、それは明示的ではなく、一応段階7はレベル14のパラダイム横断段階に該当する。カート・フィッシャーとコモンズのモデルの対応関係も明確であり、フィッシャーのレベル9がコモンズのモデルのレベル11に該当し、レベル10がコモンズのモデルのレベル12に該当し、レベル11がコモンズのモデルのレベル13に該当し、レベル12がコモンズのモデルのレベル14に該当する。なのでフィッシャーのスキルモデルは、コモンズが提唱しているレベル14までカバーしていることになる。もちろんコモンズはさらに推論的にレベル15を提唱しているので、完全にフィッシャーのモデルがコモンズのモデルと重なっているというわけではない点に注意が必要である。読み進めていた論文の中で、コールバーグの弟子であり、モラルの発達領域に重要な功績を果たしたキャロル・ギリガンの発達モデルを活用したケアに関する倫理の発達測定手法があることに気づき、道徳性に加えて倫理性に関しても知人のAI開発者の方と研究を進めみたい。参照した論文に測定の観点が書かれているため、それをルーブリック化し、提示されているいくつかのシナリオをさらに合成データを作って大量にシナリオを作り、AIの倫理的知性についても向上させるような研究開発を行いたい。ここで改めてギリガンやコールバーグの書籍や論文を読み返してみたいと思う。こうした学習の立ち返り現象が起こっていることも、実際に実務作業で発達理論を活用していることの良い影響だと思う。フィッシャーが述べるように、私たちは情動とアクションによって発達を遂げていく生き物であり、実務活動というアクションとそれに伴う楽しさや喜びという情動をもとにこれからも協働プロジェクトに励みたい。フローニンゲン:2025/1/27(月)11:35
14128. キャロル・ギリガンのローレンス・コールバーグの発達理論の批判の観点
時刻は午後1時半を迎えた。引き続き青空が広がっているので、後ほどジムに行く際には太陽の光を浴びれそうである。気温も気がつけば10度まで上がっているようなので、今日はジムの行き帰りは寒さを感じないだろう。今朝方に改めてキャロル・ギリガンの発達モデルについて調べていた。特に、ギリガンが師匠であったローレンス・コールバーグの発達理論のどのような点を批判していたのかについて再度思い出していた。ギリガンの代表作“In a Different Voice”の内容を思い出すと、まずはジェンダーバイアスの問題を想起することができ、コールバーグの道徳性発達理論は、正義を中心とした規範的な視点に基づく。この視点は、彼の研究対象の多くが男性であったことから、男性的な道徳観に偏っているとギリガンは指摘したのである。言い換えると、ギリガンは、女性は道徳的判断においてケア(思いやりや人間関係)を重視する傾向があり、このようなケアの倫理はコールバーグの枠組みでは正しく評価されない可能性があることを指摘したのである。例えば、女性のケアの倫理は、コールバーグの段階モデルでは低い段階に位置付けられる場合があるが、実際には別の価値体系として平等に評価されるべきであるとギリガンは主張した。インテグラル理論の観点を踏まえれば、ギリガンは女性性という固有のタイプに基づいた道徳性の発揮の仕方があることを主張したのである。コールバーグとギリガンの発達モデルを比較すると、前者においては正義の倫理として個人としての独立性やルールに基づいた判断に重きを置いたが、後者においてはケアの倫理として他者との関係性や特定の状況での感情的判断を重視したのである。その他にギリガンのコールバーグ批判をまとめてみると、コールバーグの理論は、全ての個人が同じ普遍的な段階を経て道徳的に発達すると仮定しており、一部の文化的・社会的背景や個人差を十分に考慮していないと指摘する。まとめると、ギリガンは、男性的な正義の倫理と女性的なケアの倫理は、互いに対立するものではなく、相補的な視点であると主張し、道徳的発達段階を評価するには、両方の視点を含むより包括的なモデルが必要であると考えられる。今現在進んでいるAIの研究開発プロジェクトでは、コールバーグのモデルを活用しており、次回の研究は女性性のケアの倫理について焦点を当てたものにしていきたいと思う。もちろん、カート・フィッシャーのモデル、マイケル・コモンズのモデル、ロバート・キーガンのモデルなど、色々と活用したい発達モデルがあるので、それらのモデルについての研究と並行して、ギリガンの女性性の視点が入った道徳性・倫理性の研究をする形で、今回の研究内容をさらに洗練させたいと思う。フローニンゲン:2025/1/27(月)13:49
14129. 真善美を通じたAIの研究開発
午前中においては、マイケル・コモンズの論文を10本ほど読み返すことに加え、仏教の倫理思想について参考文献を調べていた。まだ手元にない本も結構あったので、今後吟味してそれらを購入し、AIの倫理に関する研究の参考にしたい。例えば、オックスフォード大学から出版された“Buddhist Ethics: A Philosophical Exploration (2021)”は、西洋の倫理理論を仏教の倫理思想を絡めて解説している興味深い書籍である。ケンブリッジ大学出版から出版された“Introduction to Buddhist Ethics: Foundations, Values, and Issues (2000)”は、現代のコンテクストにおける倫理的なジレンマなどを取り上げ、幅広い観点で仏教の倫理思想を扱っている。午前中に考えていたように、今後はAIが単なる道具を超えて、もはや私たちを取り巻く環境になるであろうから、環境に対する倫理と同じような路線でAIについて考えるのも意義がありそうだと考えており、本書においては仏教が環境をどのように捉えているのかに関する記述もあるので参考になりそうである。オックスフォード大学出版のその分野に関する知識を第一線級の学者がまとめたシリーズの"Buddhist Ethics: A Very Short Introduction (2020)“は、最後の章にサイボーグやシンギュラリティに対する仏教の倫理的な考えが紹介されており、これもまた今の自分の関心に合致する。こうした書籍を読みながら、唯識学の専門書に目を通す際には、その中にある倫理的な視点を絶えず意識しておこう。唯識学がどのような倫理的な思想を持っているのかをより意識しておけば、他の仏教学派の倫理思想との共通点や相違点なども発見しやすいだろう。仏教心理学とも形容される唯識学が持つ独自の倫理思想を汲み取ることをまずは意識してみる。日本の環境思想・環境美学については、オックスフォード大学出版の “Japanese Environmental Philosophy (2017)”が重要な示唆を投げかけてくれるように思う。環境に対してどのような思想を持つかだけではなく、AIに対してどのような美意識を持つかもAI開発において重要であろう。日本は欧米以上に無生物に対しても愛着を持ち、AIやロボットに美しさを見い出すような文化的美意識が内在的に存在していそうであり、そのあたりを探究することに本書は有益そうである。また、ニューヨーク州立大学出版の“Watsujiō Tetsur's Rinrigaku: Ethics in Japan (1996)”という書籍は、和辻哲郎の倫理学について解説しており、「間柄」という概念をもとに人間とAIの関係性を捉える形でAI倫理について考えたいと思う。要約すると、今後AIは環境の中に溶け込んでいき、AIを環境の一部として捉えてみると、日本人がどのような環境倫理を持っているかを考えることは、AIに関する倫理を考察していくヒントになりそうであり、日本人の美意識もまたAI開発を実現していく上で重要な役割を果たすのではないかと思う。真善美の観点において言えば、これまでは真の観点から、すなわちコンピューターサイエンスを中心とした科学の観点からAI研究と開発が進んでいたが、ここからはこれまで欠けていた美学や倫理学の観点からもAIの研究開発を捉えていく必要があるように思う。フローニンゲン:2025/1/27(月)14:22
14130. 太陽の光を浴びて/計量心理学との再会
時刻は午後4時半を過ぎたところである。今日は午前中の途中から晴れ間が広がって来て、午後にジムに行く際にも太陽の姿を拝むことができた。なので久しぶりに太陽の光を浴びることができ、全身が喜んでいるのを実感して先ほどジムから帰ってきた。今日のジムでのトレーニングは、最近心掛けているように、インターバル中の瞑想実践をとりわけ意識して行なった。インターバル中にキョロキョロすることなく、目を閉じて身体の内側に意識を向け、身体の声に耳を澄ませるようにしている。すると自然と呼吸も穏やかなものとなり、静かな呼吸と共にインターバル中の回復が促進されている感じがする。今日のトレーニングは集中して、65分間ほどのトレーニングとなった。最近は、短距離走トレーニングも朝に行っていることから、それに支障にならないようなトレーニングにしている。上半身についてはジムでいくらでも鍛えていいが、下半身、特にハムストリングや大臀筋をジムの器具で鍛え過ぎてしまうと、走りに影響が出てしまう。もちろん時折ジムで下半身を追い込むトレーニングをして、その翌日からは有酸素運動としてのジョギングを行うなどの工夫をすることもある。今日は若干ルーマニアンデッドリフトを行ったが、重さと回数はそれほどではなく、明日の朝は軽いジョギングにするにしても、明後日からは短距離走トレーニングが行えるのではないかと思う。日によって男女の比率が異なるが、今日は不思議と女性の方が多くいた。トレーニングを終えた後、ジムの寛げるスペースのテーブルで、パソコンと真剣に向き合っている女性がいた。彼女はジムの受付で時々働いていて、先日会話をしていた。彼女は何やら計量認知心理学(computational cognitive psychology)を専門としているらしく、ユトレヒト大学の博士課程の計量的認知心理学のプログラムに応募する準備をしているとのことだった。そう言えば以前彼女に専門について尋ねたことがあったが、すっかり忘れていて、今はAIの研究開発に従事しているという意味でとても関心がある分野だと思った。彼女が書類選考に向けて真剣な表情で文章を書いていたので邪魔をしないようにしたが、フローニンゲン大学の学士課程で心理学を専攻し、修士課程から計量的認知心理学を専攻し始めたそうである。かつてオックスフォー大学出版のハンドブックシリーズの計量心理学の論文集を購入しており、その中に計量認知心理学の論文も掲載されていた。自分はもはや複雑な数式を駆使するような形での計量心理学のアプローチを自ら採用することはないだろうが、この分野についての理解もまた少しずつ深めたいと思った。もちろん学術論文や専門書を通じて理解を深めていくことも可能だが、一番効果的なのは実務を通じてであることを最近特に実感する。AIの研究開発に従事する中で、計量的認知心理学を含んだ計量心理学のどのような知見が応用されているのかについて常にアンテナを張っておこうと思う。AIの研究開発は、本当に様々な学問分野の叡智の結晶であるから、アンテナを張れば張るだけ、多様な学問分野の学びを深めることができて一石二鳥、あるいは一石多鳥である。フローニンゲン:2025/1/27(月)16:59
Today’s Letter
I think that AI research and development should be approached not only from the perspective of truth but also from those of beauty and goodness. Computer science deals with the realm of truth, aesthetics focuses on the domain of beauty, and ethics addresses the field of goodness. Once AI research and development are tackled through the trinity of truth, beauty, and goodness, AI can become more comprehensively sophisticated. Groningen, January 27, 2025
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