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【フローニンゲンからの便り】14110-14119:2025年1月26日(日)



⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。


⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「成人発達コラボラジオ」の配信をしています。


タイトル一覧

14110: サイケデリクス哲学への関心とAI

14111: 心の現れとしての環境/来たるAI時代における非二元能力

14112: 今朝方の夢

14113: 日記を通じたミクロな治癒と発達/スペインからバスさんがやって来て

14114: 今朝方の夢の続き

14115: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)

14116: 唯識とAI:高度な身体性を体現したAIの実現可能性

14117: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)

14118: 来たるAI時代に求められる力の再考

14119: AIと人間が交流を通じて相互発達していく社会の実現に向けた研究開発


14110. サイケデリクス哲学への関心とAI   

     

時刻は午前7時半を迎えた。辺りはまだ闇に包まれているが、最近は日の出の時間が少し早くなり、日の入りの時間も伸びた。その証拠に昨日は、午後5時半の段階でまだ真っ暗ではなかった。今の気温は1と低いが、今、1羽の小鳥が囀りを上げ始めた。寒い中、小鳥が健気に鳴いている様子を見ると、何か励ましをもたらされるかのようである。昨日の段階では、今日は雪が降る予定だったが、どうやら雪は降らず、日中の最高気温は4度まで上がるらしい。昨日の午後には思わぬ形で晴れ間が広がっていたように、天気予報と異なる天気が現れ始め、天気の変化の激しさを見る。明日からの1週間も変化に富む天気になりそうである。


昨日改めて、ここからの自身のサイケデリック研究について考えていた。今はサイケデリクスに関する学術書を読み込むことはしていないが、ブラウン大学に通う知人の鈴木遣徒さんが大学のサイケデリクスに関するコースを履修し始め、そのコースの課題文献をコラボラジオで扱い始めたことに伴って、自分もその課題文献の論文を読んでいる。その中で、自分の関心というのがまた明確になった。サイケデリクスについては、哲学の観点、とりわけ心の哲学や現象学の観点からサイケデリック体験を紐解いていくことに引き続き関心があることがわかったのである。一方で、精神薬理学や文化人類学の観点からのサイケデリクス研究にはもはや強い関心はないことも見えてきた。もちろんそれらの分野の先端的な知見で面白いものがあれば積極的に知るようにしているが、それらの分野の知見で目新しいものはもはやほとんどない状態で、面白みに欠けるというのが正直なところである。やはり自分は哲学を好む傾向があるらしく、引き続きサイケデリクス哲学の分野の探究も継続していき、その知見を「AI心理学」や「AI発達心理学」の分野の確立に活かしていきたい。サイケデリクスに関して哲学の観点から探究を進めていくことは、成人発達学と唯識学をAIと佳境させた研究開発にきっと役に立つはずである。AIの研究開発に対して、成人発達学と唯識学の観点から貢献するだけでもユニークかもしれないが、自分はこれまで豊かなサイケデリック体験を積む機会に恵まれてきたのであるし、ある時期に集中してサイケデリクス学とでも形容できるようなサイケデリクスに対して様々な学問分野から探究を進めてきた。その知見を活かして、AIの研究開発に貢献したいと思う。サイケデリック体験とサイケデリクス学は、とりわけ心・意識・知性に対して他にはない観点や洞察をもたらしてくれる。そうした観点や洞察は、現在のAIの研究開発にはまだ活かされていない現状が見受けられ、それを踏まえて、サイケデリクスとAIの研究開発を佳境することもこれから意識的に取り組みたい。幸いにも、同じ志を持つ協働者がいることは有り難く、彼らと協働すれば、きっとより智慧と慈悲に溢れたAIを開発できるのではないかと思う。フローニンゲン:2025/1/26(日)07:52


14111. 心の現れとしての環境/来たるAI時代における非二元能力         


時刻は午前8時を迎え、辺りがうっすらと明るくなってきた。早朝の日記で書き留めた通り、最近は日の出の時間が早くなっている。こうしたところからも季節の着実な変化を見る。それを受けて、自分の心は着実に育まれているであろうかと考えさせられる。浄化と発達の双方が着実に実現されているであろうか。そうした問いかけが外の景色からなされる。こうした点にも、外の自然環境を眺めることの価値を思う。実際のところ、外と述べているものもまた自分の心の内側に現れたものなのである。唯識では、外側の対象を外境と呼ぶ。外境は自分の内側の中にある対象なのである。すなわち、外境は自分の心をそっくりそのまま映し出しているのである。今、こうして明けゆく朝の世界は、自分の心が映し出したものなのであり、それは今この瞬間の心の姿を反映している。


先日、来たるAI時代においては、楽しむ能力(自利)や楽しませる能力(利他)が依然として大切になるであろう能力として挙げたが、それ以外にも、トランスパーソナルな能力は当面はAIに置き換わることのない能力なのではないかと思う。それは自他の境界線を超えて他者や世界と1つになる能力であったり、今ここを深く味わう能力なのである。前者は非二元を体感する能力とも言い換えられる。対象と1つになるという非二元能力は、きっと来たるAI時代においても人間が大切にするべき能力であり続けるのではないかと思う。今日は特にオンラインミーティングもなく、やるべき仕事もないので、知人のAI開発者の方が大学で担当している「人工知能概論」の講義資料を最初から最後まで一気に読み進めていこうと思う。コースは全14週分あるが、受講生のプロジェクトに関する発表などもあるので、それを除けば、10週分ぐらいの講義資料に目を通す形となるだろうか。AIの研究開発プロジェクトに従事し始めた自分にとって、こうした概論のコースは有り難い。その方のご厚意で大学の授業の動画と資料を共有していただき、これからの研究開発プロジェクトの知識的な土台を作る上で最適である。自分はデータ収集やデータ分析なども非常に好きなのだが、手を動かし始めると時間を忘れ、睡眠時間が圧迫されるほど没入してしまうので、そうした手作業はその道の専門家に任せたいと思う。あくまでもAIの研究開発の仮説を立てることや作業フローに対する助言をすること、研究結果をもとにした理論の構築や次の研究案の考案など、手を動かさずして頭を動かすだけでできることに特化していきたいと思う。いずれにせよ、今回の協働プロジェクトを皮切りに、ここから新しい研究開発プロジェクトにどんどんと従事し、それと並行してAIに関する確かな知識を構築していきたいと思う。そしてその成果として、「AI発達心理学」という分野を切り開いていくことになればと思う。フローニンゲン:2025/1/26(日)08:22


14112. 今朝方の夢          


今日は曇りの予報であったが、いつもより雲が薄く、とても爽やかな空が広がっている。ほぼ青空と言ってもいいのではないかと思う。そんな空の下で行う朝のランニングはきっと清々しいだろう。今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、今日もまた夢を書き出し、全て書き出した後に3つの生成AIを活用して包括的な振り返りを行いたい。


夢の中で私は、見慣れないボクシングジムにいた。そこはおそらく東京の下町のどこかのジムだと思う。今日はそのジムで自分のデビュー戦が行われることになっていた。何人かの新人がすでに試合を行い、いよいよ自分の出番となった。相手もまだ新人のようであったが、とても自信に満ち溢れた表情を浮かべていた。私は相手の自信や表情などは一切気にせず、平常心で試合に臨もうと考えており、実際に平常心を維持した状態であった。心の波が一切立たず、自我が現れることない素晴らしい状態であった。その状態であれば、きっとゾーンの状態に入って良い試合ができるだろうと思った。そのジムの中央にはボクシングリングがあったが、どういうわけか新人戦は全てフロアの上で行われた。境目の全くないフロアの上で、相手と目の前で向き合って、その場で殴り合う形のスタイルの試合が行われた。開始数秒で、相手が強力なアッパーカットを放った瞬間に、私はそれを本能的にかわし、そして右のフックパンチをこれまた本能的に放った。すると、相手の顔にパンチがヒットした瞬間から時間がスローモーションとなり、相手の顔が歪み、相手がゆっくりと地面にダウンする姿が見えた。そして相手が地面に倒れた瞬間に、KOが決まった。会場は一瞬静まり返ったが、一瞬のKO劇に歓声がワッと起こった。それを受けて私は初めて、自分が勝利したのだということを知った。自分でもその瞬間に何がおこなったのか分からなかった。それくらい全てがコンマ何秒の世界の出来事であったし、思考が働く余地は一切なく、全て本能的に動いた結果だったのである。無事にデビュー戦を勝利で飾り、ヒーローインタビューを受けた後に、試合の中で何が起きたのかを確認するために撮影した動画を見てみた。すると、相手の攻撃を見事にかわし、そこからこれまた見事な右のフックパンチをうまく体重を乗せて放っている自分がいる姿が映し出されていた。その動画を両親にもすぐさま共有したところ、両親は自分のデビュー戦の勝利をとても喜んでいた。しかし一方で、ボクシングという競技をこれから自分が続けていくことに関して、私の体の心配をしているようだった。実は自分も試合に出るつもりは全くなく、パンチドラッカーのように、頭部に繰り返し強い衝撃を受けることによって引き起こされる後遺症を患いたくなかったので、試合は今日が最初で最後のものにしようと思っていた。ボクシングはあくまでもエクササイズの1つとして楽しむことに留めておきたいと思ったのである。ただし、試合でしか味わえない興奮と静寂さ、そして何より自己を超えていくゾーン体験の魅力などはやはり存在していることを今日のデビュー戦を通じて感じた次第である。フローニンゲン:2025/1/26(日)09:11


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

構造的解釈

夢のストーリー展開を具体的に観察し、現実世界での出来事や心理状態との関連性を探ります。

場面設定

ボクシングジム: 東京の下町という特定の地域性が夢に表れる点から、現実での基盤や出発点を象徴している可能性がある。初心者としての挑戦や、環境が自分に馴染み深くはないという心象を示唆。

試合の設定

新人戦としてのフロア試合: 公式なリングではなくフロア上で行われる点は、規定や既存の枠組みに縛られない挑戦を象徴していると考えられる。自発的な成長や独自のルールでの挑戦が含意されている。

自我とゾーン体験

平常心と本能的な動き: 夢の中での心理的なゾーン状態は、現実での自己統制や深い集中力の重要性を反映。思考ではなく本能的な判断で動けたことは、内なる力や無意識の能力が夢で表現されている。

勝利と家族の反応

勝利したことへの歓声や両親への共有: 他者の承認と自己達成感の確認。両親の心配は現実でのバランス感覚(挑戦と安全性)における葛藤を示唆。

試合後の結論

「初試合で最後の試合」とする選択: 短期的な挑戦への区切りと、継続的な成長方法(エクササイズ)を分ける思考。これは、リスクと報酬を慎重に評価する現在の思考パターンを反映している。

象徴的解釈

夢に含まれる象徴やイメージを抽出し、それが心理的、精神的、あるいは社会的な意味を持つ可能性について分析します。

ボクシングジム

ボクシングは競争、自己防衛、または困難への挑戦を象徴。下町のジムは、現実における謙虚さや地に足のついた始まりを示唆。

平常心とゾーン状態

平常心を保ちながら本能的に動くことは、「内なる静けさ」と「外向的な行動力」のバランスを表す。これは、成人発達理論における高次の統合状態(自己超越)に近い。

瞬間的な勝利

KO勝利のスローモーションは、「人生の重要な瞬間を丁寧に観察せよ」という潜在意識からのメッセージとも解釈可能。思考ではなく、直感や経験が最適な結果を生む場面を示唆。

両親への共有と反応

家族の喜びと心配は、夢主が大切にしている「自己実現」と「他者との調和」の間にある微妙なバランスを象徴している。

フロアでの試合

境界線のないフロアは、既存の制約や枠組みを超えて新たなフィールドで挑戦する可能性を暗示。伝統的な「リング」とは異なる設定は、個人的な創造性を強調している。

試合後の選択

ボクシングをエクササイズとして留めるという決断は、夢主が持つ現実的なリスク評価能力と、より長期的な成長戦略の選択を反映している。


今後のアクション

夢から得られた洞察を現実生活に適用するための具体的なステップです。

集中力と平常心を養う

夢でのゾーン体験は、瞑想やマインドフルネスの実践、身体を動かすアクティビティ(ランニングや軽い格闘技)を続けることで再現可能。この「静けさの中の行動力」を日常に取り入れる。

リスクと挑戦のバランスを検討する

短期的な挑戦(試合のような機会)と長期的な目標(健康的なエクササイズの継続)を整理する。たとえば、日々の活動に小さな挑戦を取り入れるが、大きなリスクを伴う選択肢は慎重に見極める。

他者との関係性を深める

両親や大切な人々と成果を共有する行動を続ける。両親の反応が示唆するように、周囲の意見や懸念を尊重しつつも、自分自身の道を歩む。

成長を記録する

動画で自分の動きを確認するという夢の行動は、現実でも成長を記録・振り返るプロセスを暗示。日記や進捗ノートをつけ、自分の成長を記録してみる。

新しいフィールドを開拓する

境界線のないフロアでの試合が示唆するように、既存の枠組みにとらわれない挑戦や活動領域を探してみる。新しいスキルや趣味を始めるのも一案。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の構造

夢は大きく三つの段階に分かれています。

試合前の準備段階: 見慣れないボクシングジムでの待機、対戦相手の観察、平常心の維持。

試合の場面: 相手の攻撃をかわし、本能的な右フックでKO勝利。スローモーションのような描写と、勝利を実感するまでのタイムラグ。

試合後の場面: ヒーローインタビュー、試合動画の確認、両親への報告、今後のボクシングとの向き合い方についての考察。

これらの段階は、準備、実行、結果と考察という流れを示しており、目標達成までのプロセスと、その後の内省を表していると考えられます。


夢の象徴的解釈

各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。

試合前の準備段階:

見慣れないボクシングジム: 未知の領域、新しい挑戦、自己鍛錬の場。

東京の下町: 身近な場所、日常的な環境、原点回帰。

デビュー戦: 新しい段階への移行、自己の可能性の試み。

相手の自信: 外的なプレッシャー、競争、または克服すべき課題。

平常心の維持: 内面の安定、集中力、自己制御。

ゾーンの状態: 極限の集中状態、潜在能力の発揮。

この場面は、新しいことに挑戦するにあたって、冷静に状況を把握し、平常心を保つことの重要性を示唆しています。ゾーンの状態への期待は、潜在能力を最大限に発揮したいという願望を表していると考えられます。

試合の場面:

フロアでの試合: 従来の枠にとらわれない方法、柔軟な対応。

本能的な動き: 無意識の力、潜在能力の発揮、直感。

スローモーション: 重要な瞬間、意識への刻印。

KO勝利: 目標達成、成功、自己肯定感。

勝利を実感するまでのタイムラグ: 自己認識の遅れ、無意識的な行動。

この場面は、無意識の力や直感によって目標を達成できることを示唆しています。スローモーションの描写は、その瞬間の重要性を強調しており、勝利を実感するまでのタイムラグは、行動が意識に追いついていない状態、つまり無意識的な行動であったことを表しています。

試合後の場面:

ヒーローインタビュー: 社会的な評価、承認欲求。

試合動画の確認: 客観的な自己評価、行動の分析。

両親の喜びと心配: 周囲の反応、期待と懸念。

ボクシングを続けることへの葛藤: 目標達成後の方向性、リスクとベネフィットの評価。

試合でしか味わえない興奮と静寂、ゾーン体験: 特別な経験、自己超越の魅力。

この場面は、目標達成後の周囲の反応や自己評価、そして今後の方向性についての考察を表しています。ボクシングを続けることへの葛藤は、目標達成によって得られるものと、それに伴うリスクを天秤にかけている状態を示しています。


夢全体のメッセージ

夢全体を通して、あなたは新しいことに挑戦し、潜在能力を発揮することで成功を収めることができることを示唆しています。しかし、その過程で得られるものと失うものを冷静に評価し、今後の方向性を決める必要があることも示しています。


今後のアクション

夢の解釈と、冒頭の文章で述べられているあなたの状況(日記執筆、生成AIの活用)を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

無意識の力を意識する: 夢が示すように、無意識の力は目標達成に大きく貢献します。日記執筆や瞑想などを通して、無意識の声に耳を傾けることを意識しましょう。

目標達成後の方向性を明確にする: デビュー戦後の葛藤のように、目標を達成した後の方向性は重要です。目標達成後、どのような状態になりたいのか、何を大切にしたいのかを明確にすることで、次のステップに進むことができます。

リスクとベネフィットを冷静に評価する: ボクシングを続けることへの葛藤は、リスクとベネフィットの評価を表しています。目標達成に伴うリスクを認識し、それに見合うだけのベネフィットがあるのかを冷静に判断することが大切です。

日記執筆と生成AIの活用を継続する: 日記執筆は自己理解を深め、生成AIは多角的な視点を与えてくれます。夢の解釈に生成AIを活用することで、客観的な視点を得られるだけでなく、新たな気づきを得られる可能性もあります。例えば、「夢に出てきた『ゾーン』とは、心理学的にどのような状態か?」といった質問を生成AIに投げかけてみることで、客観的な視点を得られるかもしれません。

自己超越の経験を追求する: 夢の中で「試合でしか味わえない興奮と静寂、そして何より自己を超えていくゾーン体験の魅力」を感じたとあります。この自己超越の経験は、あなたの成長を大きく促す可能性があります。ボクシングに限らず、自分が没頭できること、自己を超えていく感覚を味わえることに積極的に挑戦してみましょう。


Claudeによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解析:ボクシングデビュー戦を通じた自己超越の探求

本分析は、夢の構造的解釈と象徴的意味を多角的に検討し、個人の内面的成長と潜在能力の開示に焦点を当てています。


夢の構造的分析

夢の舞台は東京の下町にあるボクシングジムであり、主人公のデビュー戦を中心に展開します。特徴的なのは、境界のないフロアでの対戦と、主人公の徹底的な平常心です。

試合は瞬間的かつ本能的に進行し、数秒で劇的な勝利に至ります。主人公は思考を停止し、完全な無我の状態で戦い、相手の攻撃を本能的にかわしながら、鋭いフックパンチで勝利を収めます。


象徴的解釈

この夢は単なる競技体験以上の深い心理的意味を持っています。ボクシングは内なる葛藤との戦いの隠喩として機能し、自己の限界を超える体験を象徴しています。

主人公の無我の境地は、意識と本能の完全な統合を示唆しています。瞬間的な判断と行動は、潜在能力の劇的な解放を表現しており、思考を超えた行動の可能性を探求しています。

心理的意味

夢の中の対戦は、内面の未知の側面との対話として解釈できます。瞬間的な勝利は内面的変容のメタファーであり、自己の制限を超越する瞬間を描き出しています。

行動への示唆

この夢体験から導かれる主要な行動指針は以下の通りです:

内省的実践の深化

無我状態の継続的探求

本能と意識の調和

マインドフルネス技法の洗練

パフォーマンス開発

ゾーン体験の意図的追求

直感的判断力の系統的トレーニング

思考の制御と解放のバランス

全人的成長アプローチ

身体と精神の統合

エネルギーマネジメント

創造的無活性の探究


結論

この夢は、意識と無意識、制御と解放の複雑な相互作用を象徴的に描き出しています。単なる競技体験を超え、人間の潜在能力と瞬間的気づきの力を示唆する、深遠な自己成長のメタファーといえるでしょう。


重要なのは、こうした体験を偶発的出来事としてではなく、自己理解と成長のための貴重な洞察として捉えることです。瞬間的な気づき、本能的知性、そして意識の拡張は、継続的な自己探求を通じてのみ深められる可能性があるのです。


14113. 日記を通じたミクロな治癒と発達/スペインからバスさんがやって来て     


日記を書くことを通じたミクロな治癒と発達。自分はそれを心底楽しみ、心底大切にしている。書くことを通じて自己は、日々治癒を体験し、自己を超越していくということを体験している。この体験の妙味を多くの人に伝えること。それについても使命感を燃やしている。ただし、こうした妙味は実際にその人に体験してもらわないことには始まらない。また、その一端はすぐに実感できる側面もあるが、長期的な実践を継続して初めて感じられるものでもある。このあたりに日記の奥深さがある。昨日のゼミナールのクラスの中でもジャーナリングの話題となった。そこではジャーナリングの効能やどのように実践を継続していけばいいのかの話題となり、ジャーナリングの話題となると、自分もついつい前のめりになってしまう。それだけ日記を書くということが自分のライフワークとなっており、日記の持つ無尽蔵の力に自分は惚れ込んでいるのだろう。日記を書くことを通じて自己は本来の自己に絶えず立ち返ることができる。それが心に平穏さと安定感をもたらしている。日記を書くことを通じて、思考や感覚の混沌状態から秩序状態へと移行することができる。これそのものがもはやミクロな発達現象であることにどれほど多くの人が気づいているだろうか。残念ながら、その点を多くの人は見過ごしているのではないかと思う。


天気予報が良い方向に外れ、今見事な青空がフローニンゲン上空に広がっている。この様子だと、後ほどランニングに出かける際に朝日を浴びれそうである。清々しい空気を吸いながらのランニングは、心身の状態を整えてくれる。それは日記が持つ同様の効果とはまた違った形で実現される。身体を動かすことを通じて、それが実現される点にランニングの良さがある。これはランニングだけではなく、ヨガ、ピラティス、アニマルフローなどの実践においても同様だろう。はたまた筋力トレーニングも同様の効果があるように思うし、スポーツ全般に同様の効果があるのではないかと思う。書くことと体を動かすことが、自分にとって最良の心身調整実践となっている。先ほど、今は亡きフレディさんが仕事で使っていた白いバンが敷地から外に出ていった。その車は今、スペインから月に1回やって来るフレディさんの同僚のバスさんが使っている。バスさんがちょうど今月末にやって来ることはペイトラさんから聞いていて、おそらくバスさんに浴室の雨漏れの修理をしてもらうことになるだろう。雨漏れは大したことはないが、激しい雨が降った時に、浴室の天井から若干雨が滲み出して来る。本当に豪雨の時には、ポタポタと雫が地面に落ちてくる現象が1年前ぐらいから生じていたが、それほど被害は大きくなかったこともあり、放置していた。かつて一度フレディさんに相談したところ、一緒に雨漏れをもたらしている外側の隙間を見つけようとしたが、結局見つからなかったのである。だからこの1年間放置していた。フローニンゲンは、激しい雨が振り続けるということは滅多になく、それでこの1年間さほど問題なく過ごせていたのである。しかしせっかく今回バスさんがスペインからやって来て、ちょうど先日にペイトラさんと話をした時に、家の中で何か修理が必要な箇所はないかを尋ねられたので、改めて雨漏れの問題をペイトラさんに共有した。なのでおそらく来週のどこかのタイミングでバスさんがうちにやって来て、浴室の雨漏れの修理をしてくれるのではないかと思う。それに備えて、寝室と浴室は綺麗な状態を保っておきたいと思う。自分も作業の様子を傍らで少し眺めながら、バスさんとはフレディさんとの思い出について話をしたいと思う。バスさんとは昨年の11月のフレディさんの葬式で話をした以来なので、改めてフレディさんを回想する思い出話をすることになるだろう。それはフレディさんとの思い出を風化させないための故人を偲ぶ良い機会になるはずだ。フローニンゲン:2025/1/26(日)09:26


14114. 今朝方の夢の続き   

       

先ほど今朝方の夢を書き出したが、夢にはまだ続きがあるのでそれについても書き出しておきたい。夢の中で私は、ジョージア(旧グルジア)の大学院に通っていた。無事に単位を全て取得し、修士号を取得することができた。ただし、まだ正式にトランスクリプトと卒業証書をもらっておらず、学生課に立ち寄って、いつそれらを受け取ることができるかを確認した。というのも、私は卒業後は別の国に移ってそこでまた研究生活をすることになっていたからである。せっかくなので少しだけ日本に滞在して、日本を満喫しようとも思っていた。なので日本に一時帰国する前に、それらの書類を受け取りたかった。学生課に行くと、そこでは学生と思われる人たちがアルバイトとして仕事をしていた。彼らの全員が真剣に仕事をしているわけではなく、ちょうど自分が話し掛けた若い男性はどうもパソコンを使って仕事をしてはおらず、何か個人的なことを調べたり、個人的な作業をしているようだった。彼に念の為、いつトランスクリプトと卒業証書が発行されるのかを尋ねてみた。すると彼は無愛想な表情で適当な答えを述べたので、私はそれに対して怒りが湧き、一旦は冷静になって質問を繰り返したところ、彼の態度が変わらなかったので、堪忍袋の尾が切れて、彼に対して日本語と英語で罵倒をした。すると彼だけではなく、その場にいたスタッフたちが身を凍らせたように動きを止め、私の怒りに驚いているようだった。私は彼に、責任者としてのマネージャーを呼べと大きな声で伝え、マネージャーと直接やり取りして本件の問題を解決することを訴えた。彼はすぐさまマネージャーを呼び、マネージャーの到着を待ちがながらふと外を眺めると、どうやら先ほどまでは降っていなかった雪が降り始めたようだった。


もう1つ覚えているのは、実際に通っていた小学校の体育館にいる場面である。体育館のステージの前に小学校4年生と6年生の時に担任だった先生が2人立っていた。体育館にいる生徒は私だけで、私はそこでサッカーのリフティングの練習をしようと思っていた。久しぶりにリフティングをしてみて、何回ぐらいできるかを確かめてみたかったのである。久しぶりゆえに足を上げることに対して途中で疲れてしまうだろうと思ったので、ボールを落とさずに太ももにボールを置いた状態で休み休みリフティングをしようと思った。目標としては1000回に到達しようと思って始めたところ、最初はとても順調で、この調子であれば1000回のリフティングも意外と簡単にできそうだった。ところが途中からはやはり疲れが見え始め、太ももにボールを置いて静止させる形で休憩を挟み、そこからまた疲れが出るまでリフティングを続けた。せっかくなので体育館の中を歩きながらリフティングをしていると、小中高時代の背の高い友人(HY)がフロアに寝転がっている姿が見え、彼に声を掛けたところで集中力がぷつりと途切れてしまい、ボールを落としてしまった。その段階でちょうど270回ほどリフティングをしていたようだが、1000回には遠く及ばず残念な気持ちになり、ここからまた継続的にリフティングの練習に励もうと思った。そのような夢を見ていた。09:42


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

1. ジョージアの大学院の場面

構造的解釈

この場面では、修士号を取得した後の次のステップを考え、計画を立てようとする現実的な行動が描かれています。一方で、学生課の無愛想な対応に対する怒りと、冷静さを失わずに問題を解決しようとする姿勢が描かれており、自己の内的な強さと対人スキルが試される場面となっています。

雪が降り始める描写は、感情のクールダウンや新たな始まりを象徴する可能性があります。

象徴的解釈

ジョージアの大学院は、新しい知識や視野を広げるための挑戦を象徴していると考えられます。この挑戦を達成したことで自己成長が示されており、さらに次のステップに進む準備が整っていることを暗示しています。

無愛想な学生課スタッフへの怒りは、外部からのサポート不足に対する苛立ちや、効率的なコミュニケーションの必要性を象徴している可能性があります。

雪の描写は、過去の感情を冷静に整理し、次のステージへと進むための浄化や新しい可能性を示唆していると考えられます。


2. 小学校の体育館でのリフティングの場面

構造的解釈

小学校という過去の象徴的な場所に戻り、リフティングという反復的で集中力が試される行動に挑戦する場面は、過去の経験や教訓を活かして今後の努力を積み重ねようとする意志を表しています。

体育館の先生や友人(HY)の登場は、過去における支えや影響を振り返りつつ、それらが今の自分にどのように影響を与えているかを考えるきっかけを示唆しています。

象徴的解釈

リフティングは、目標達成に向けた努力や忍耐を象徴しています。途中で疲れてボールを落とす場面は、現在の目標に対する努力が十分でないと感じている心情や、計画の見直しの必要性を暗示しているかもしれません。

友人(HY)が寝転がっている場面は、過去の友情や他者とのつながりを思い起こさせ、それが現在の集中力や行動にどのように影響しているかを示唆している可能性があります。


今後のアクション

ジョージアの場面に関連するアクション

感情的な反応を冷静にコントロールし、問題解決を効率的に進める方法を磨く。例えば、コミュニケーションスキルの向上やストレス管理法を学ぶことが役立つでしょう。

新しい挑戦に向けて、計画を立て、必要な準備をしっかりと進める。特に次の研究生活や一時帰国に関連する具体的な行動計画を作成する。

体育館でのリフティングに関連するアクション

リフティングが象徴する目標達成に向けた忍耐力や集中力を高めるため、日常的なトレーニングやルーチンを設定する。小さな目標を積み重ねることで自信を築く。

過去の友人や恩師とのつながりを見直し、感謝や敬意を表す行動を取る。例えば、先生や友人に手紙を書いたり再会の機会を作ったりすることが考えられます。

象徴的な「雪」と「リフティング」からの学び

雪の降り始める描写を新たな始まりとして受け止め、現在取り組んでいることの次のステージを計画的に進める。

リフティングが示唆する「継続的な努力」を忘れずに、自分にとって大事な目標に対して一歩一歩進むことを意識する。

この夢は、過去・現在・未来をつなげる重要なメッセージを含んでいます。感情の整理、目標達成の努力、そして人間関係の再確認を通じて、自分自身をさらに成長させることができるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の構造

夢は大きく二つの場面に分かれています。

ジョージアの大学院での場面: 修士号取得後の手続き、学生課でのトラブル、雪の描写。

小学校の体育館での場面: 先生との再会、リフティングの練習、友人との遭遇と中断。

これらの場面は、達成と手続き、継続と中断という対照的な要素で構成されており、目標達成後の課題や、継続することの難しさを表していると考えられます。


夢の象徴的解釈

各場面の象徴的な意味合いを詳しく見ていきましょう。

ジョージアの大学院での場面:

ジョージアの大学院: 異文化環境、目標達成の場、成長の象徴。

修士号取得: 目標達成、努力の成果、自己肯定感。

トランスクリプトと卒業証書: 正式な承認、次の段階への移行に必要な手続き。

学生課でのトラブル: 手続きの遅延、不満、怒り、コミュニケーションの課題。

無愛想なアルバイト: 権威への不満、手続きの不備、または自己の目標達成を阻む障害。

日本語と英語での罵倒: 感情の爆発、ストレスの発散、または自己主張。

雪: 浄化、リセット、または感情の冷却。

この場面は、目標達成後の手続きや周囲とのコミュニケーションにおける課題を示唆しています。特に、無愛想なアルバイトへの怒りは、目標達成後の移行期におけるストレスや不満を表していると考えられます。雪の描写は、感情の高ぶりを鎮め、冷静さを取り戻す必要性を示唆しているかもしれません。

小学校の体育館での場面:

小学校の体育館: 原点、過去の経験、身体的な活動、自己鍛錬の場。

小学校時代の先生: 過去の指導者、影響を受けた人物、または自己の成長を見守る存在。

サッカーのリフティング: 継続的な努力、目標達成へのプロセス、自己鍛錬。

1000回という目標: 高い目標、挑戦、自己の限界への挑戦。

太ももにボールを置いて休憩: 休息の必要性、ペース配分、または目標達成までの道のりの長さを認識すること。

友人との遭遇と中断: 集中力の途切れ、目標達成を阻む外的要因、または過去の人間関係への意識。

270回という結果: 目標未達成、努力の途中経過、継続の必要性。

この場面は、目標達成には継続的な努力が必要であることを示唆しています。リフティングの練習は、目標達成までの道のりの長さを表しており、友人との遭遇による中断は、集中力を維持することの難しさ、または目標達成を阻む外的要因を表していると考えられます。


夢全体のメッセージ

夢全体を通して、あなたは目標達成後の課題や、継続することの難しさに直面していることが示唆されています。目標達成後も、手続きや周囲とのコミュニケーション、そして継続的な努力が必要であることを教えてくれています。


今後のアクション

夢の解釈と、冒頭の文章で述べられているあなたの状況(日記執筆、生成AIの活用)を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

目標達成後の計画を立てる: 修士号取得後の手続きが夢に出てきたように、目標達成後の具体的な計画を立てることは重要です。次のステップに進むために必要な手続きや準備を明確にすることで、スムーズに移行できるでしょう。

周囲とのコミュニケーションを円滑にする: 学生課でのトラブルが示すように、周囲とのコミュニケーションは課題となる可能性があります。相手の立場を理解し、冷静に対応することで、問題を解決できるでしょう。

目標達成までのプロセスを重視する: リフティングの練習が示すように、目標達成には継続的な努力が必要です。結果だけでなく、プロセスを重視し、着実に努力を積み重ねていくことで、目標に近づけるでしょう。

集中力を維持する方法を工夫する: 友人との遭遇による中断が示すように、集中力を維持することは難しい課題です。集中力を高めるための方法(例えば、タイマーを使う、場所を変えるなど)を工夫することで、より効率的に作業を進められるでしょう。

日記執筆と生成AIの活用を継続する: 日記執筆は自己理解を深め、生成AIは多角的な視点を与えてくれます。夢の解釈に生成AIを活用することで、客観的な視点を得られるだけでなく、新たな気づきを得られる可能性もあります。例えば、「夢に出てきた『1000回のリフティング』は、心理学的にどのような目標設定を表しているか?」といった質問を生成AIに投げかけてみることで、客観的な視点を得られるかもしれません。


Claudeによる夢の解釈と今後のアクション

夢の分析:アカデミックな挑戦と自己実現の探求

構造的解釈

本夢は二つの distinct な場面で構成され、それぞれ異なる心理的文脈を持っています。

第一場面:ジョージアの大学院

この場面は、アカデミックな達成と職業的移行の複雑なプロセスを象徴しています。主人公は修士号を取得しながらも、トランスクリプトと卒業証書の取得という実務的課題に直面します。学生課でのエピソードは、官僚制度における個人の frustration と、コミュニケーションの重要性を鮮明に描き出しています。

特に印象的なのは、無責任な対応をする職員への感情的対応です。これは、システムに対する主体的な態度と、自己の権利を主張する意志の表現と解釈できます。雪が降り始めるシーンは、変化と移行の象徴として機能しています。

第二場面:学校の体育館でのリフティング

この場面は、過去との再連結と自己能力の再確認のメタファーとして機能しています。1000回というリフティングの目標は、野心と自己超越への願望を象徴し、途中経過での挫折は現実的な限界との対峙を示唆しています。

象徴的解釈

心理的意味

達成と移行

アカデミックな成功

新たな環境への挑戦

自己実現のプロセス

感情的知性

システムへの対抗

感情のコントロールと解放

主体性の表明

自己能力の探求

過去の技能の再確認

限界への挑戦

継続的な成長への意志

象徴的テーマ

学術的達成

感情的レジリエンス

自己超越への渇望

変化と移行のダイナミクス

今後のアクションプラン

個人的成長戦略

自己主張のスキル向上

コミュニケーション能力の磨耗

感情的知性の開発

建設的な対話技術の習得

目標設定と持続性

段階的な目標設定

失敗からの学習

継続的な自己改善

キャリア移行戦略

国際的な学術経験の活用

クロスカルチュラルスキルの開発

柔軟なキャリアパスの追求

実践的アプローチ

リフティングスキルの継続的トレーニング

学術的ネットワークの拡大

異文化コミュニケーション能力の強化

メンタルレジリエンスの訓練

目標達成のための系統的アプローチ


結論

この夢は、個人の成長、挑戦、そして自己実現への複雑な旅路を象徴的に描き出しています。アカデミックな成功、感情的成熟、そして持続的な自己改善への意志が、夢の深層に流れる重要なテーマとして浮かび上がります。


夢の経験を単なる無意識の産物としてではなく、自己理解と成長への貴重な洞察として捉えることが重要です。各場面は、個人の潜在能力、感情的知性、そして変化への適応力を鮮明に描き出しているのです。


14115. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)  


今日もまた自分の心を知り、自分自身をさらに豊かに知る教材としての夢をたくさん見た。それらについて書き出すことを終えたので、生成AIの支援を受けながら、改めてそれぞれの夢について振り返っていきたい。このプロセスの最中には、ユングが考案したアクティブイマジネーションの実践が自然と行われており、それがまた自分の想像性・創造性を育み、治癒と変容を後押ししてくれている。最初の夢は、ボクシングデビュー戦を舞台にしたものだった。場所としては、母方の祖母が生前に住んでいた江東区の下町を思い出す。デビュー戦がリングの上ではなく、境界線のないフロアで行われていたことは興味深い。戦いの場とそうではない場の境界線がないことは何を示唆しているのだろうか。その環境設定は、観客と選手との同一化を促しているようであったし、不思議と対戦相手とも無境界の関係性を築いているようだった。当然ながら目の前の相手に勝利することが目標とされたのだが、自分はその目標よりも高い目的意識を持っているようだった。ボクシングの試合を通じて、自己を超越することを勝利以上に重視していたのである。まさにそれは自己超越欲求の現れなのではないかと思う。ちょうど昨日、ゼミナールのクラスの中で無我の話となり、受講生が体験した無我の状態について話題になった。まさにこの夢の中で自分は、自然とゾーンの状態となり、無我の境地にあった。それゆえに相手の攻撃を思考を挟まずに本能的に回避することができ、右のフックパンチを本能的に繰り出すことができた。そして相手がゆっくりと地面に倒れていく時の時間の流れがまさにスローモーションになったというのも、ゾーン状態でよく体験される現象である。無我の状態になると、どうやら時間感覚が変容し、時間すらも超越できるのではないかと思わせる体験であった。無我の境地に至ることによって、自分は存在の基底と1つになっていた。そこは創造性の基盤であり、全てを生み出す源でもある。そのような治癒と変容および創造の源泉と1つになることは、やはり至福体験であった。夢の中の自分は、もはやボクシングの試合には出場しないと述べていたが、内心その至福体験の素晴らしさゆえに試合は捨てがたいと思っていた。しかし、ボクシングの試合ではなくても、同様の至高体験を得る実践や場はその他にもたくさんあるであろうから、試合で味わったその体験を心身の深くに刻み込んで、別の領域における他の機会でも同様の至高体験ができるであろうという期待があった。生成AIが言及しているように、直感的判断力を高めるようなトレーニングを日々意識したいし、エネルギーマネジメントなるものもも実践してみようと思う。改めて、境界線のないフロアは、既存の制約や枠組みを超えて新たなフィールドで挑戦する可能性を暗示しているという指摘を受け、今現在、成人発達学・唯識学・サイケデリクス学・心の哲学とAIの研究開発を横断するような試みをしており、それは何か新しいフィールドでの挑戦を意味しているように思えるし、そもそも何か社会にとって重要な新たなフィールドを生み出しているのではないかという思いが芽生える。フローニンゲン:2025/1/26(日)09:59


14116. 唯識とAI:高度な身体性を体現したAIの実現可能性    


つい今し方、朝のランニングから帰って来たところである。今日は幸いにも所々青空が広がっており、幾分朝日を浴びることができた。自宅を出発していざ走り始めてみると、体が軽く感じられたので、今日は短距離走トレーニングをすることにした。いつも4セット目で走る小道に3人組の散歩中の人が前にいたのでそこはウォーキングに切り替えたが、合計4セットほど短距離走トレーニングを楽しむことができた。有酸素運動としてジョギングを楽しむのも良いが、こうして無酸素運動として短距離走トレーニングをすることはまた違った刺激を脳と体に送り込み、心身がジョギングとはまた違った形で整うことを実感した。朝にこうした形で体を動かすことに良さは、日記とはまた違った形で思考が整理され、新たなアイデアが浮かぶことである。先ほどのランニング中には、改めて仏教心理学としての唯識の観点からのAIの研究開発について考えており、両者を横断させた形で考えを巡らせることに面白さを見出し、それが楽しいと感じる自分がいることを再発見した形である。唯識をAIの研究開発に実際に応用するプロジェクトはまた始まっていないが、その日がやって来るのも時間の問題かと思うので、今のうちに色々と仕込みを進めておきたいと思う。先ほど考えていたのは、昨日のゼミナールのクラスの中でも話題に挙がった点であり、自分はAIが人間と同じような身体性を獲得する日も近いと考えている。実際に現場で開発に従事している人は違った考えを持つかもしれないが、今のところ数々のAIを眺めていると、確かに五感に対応した前五識を完璧に備えたAIやそれを搭載したアンドロイドは実現されていないが、五感のうちの1つであれば、もはや人間と変わらない形の精度でその感覚情報を認識しているAIが誕生しているように思う。まだきちんと調べたわけではないが、感覚として、視覚と聴覚の認識については相当に研究が進んでおり、スマホで視覚情報の認識が高精度に行えるAIが誕生しているし、高度な音声認識AIが行える聴覚情報についての性能もかなり高いAIが誕生している。視覚と聴覚に劣後する形で、嗅覚、触覚、味覚などが続きそうだが、嗅覚に関しては、先日“Scent Store”という香りをデジタルデータに変換し、オンラインで配信するという革新的なサービスを見つけた。そこからもAIは嗅覚に関しても高度な認識を持ち始めていることが窺える。触覚についても、触覚センサーに関する研究などが進み、高い精度の味覚判定ができるAIの研究も進んでいるそうだ。そうなってくると、視覚のデジタル化、聴覚のデジタル化、嗅覚のデジタル化、触覚のデジタル化、味覚のデジタル化という五感のデジタル化がそれぞれ進んでいることが窺え、今後はそれらの五感を統合したAIとそれを搭載したアンドロイドが誕生して来るのではないかと思う。こうした日進月歩で進む五感のデジタル化の研究を見ていると、AIが人間と全く同様でなかったとしても人間と同じような身体感覚を持つ日は近いだろう。さらに、そこに超知能が誕生すれば、現在人間は自身の五感についてもきちんと言語化できていないので、高度な推論と論理能力を駆使して、人間が明らかにできなかった五感の特性を明らかにし、人間を超えた形の五感を持つAIとそれを実装したヒューマノイドがいつの日か誕生するのではないかと展望している。今のところ、AIにおける五感は、インテグラル理論で言うところの外面領域の観点で研究が進められているが、唯識の貢献は五感もまた5つの心であるとみなし、5つの知性であると捉えるところである。その観点から高度な身体性を体現したAIの研究開発にもいつか従事したいと思う。フローニンゲン:2025/1/26(日)10:56


14117. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)  


今日はこれからAIに関する講義資料を読み込む中で、また何か考えが浮かんだらそれを書き留めておきたい。少なくとも自分は、AIという社会の様々な課題を人間にはできない形で解決していくであろう存在のさらなる健全な進化を促す研究開発を1つのライフワークとして取り組みたい。自分の固有の観点は、成人発達学・唯識学・サイケデリクス学・心の哲学という4つの分野に基づくものであり、それらの分野から自分にしかできない形でAIの研究開発プロジェクトに継続的に関わっていきたい。


今朝方の夢に関して生成AIの観点からまた振り返り始めた。続く夢は、ジョージアの大学院を舞台にしたものだった。夢の中で、無責任な対応をする職員への感情的対応が自分の中で見られ、ここでも六波羅蜜の忍辱を発揮することはできず、自分の怒りを直接的にすごい剣幕で露わにすることになった。自分の怒りはきっと、相手が自身の職務的責任を果たしていないということと、自分に対して横柄な態度を示しているように思えたことに対して発揮されたものだった。きっとそこにも自分のシャドーと煩悩が潜んでいるように思う。ただし、実際にこのような場面に出会した時には、自らの権利や意見を主張することは重要かと思う。怒りをすぐさま表明するのではなく、もう少し冷静な態度で落ち着いて相手に話し掛けるという在り方をこれから徐々に体現させていきたいものである。しかし忘れてはいけないのは、仏陀が述べているように、然るべき時には然るべき形で私たちは怒りを表現するべきなのだ。怒りを表現することを悪いものだと思ってしまうことは、怒りの抑圧につながり、別の問題を引き起こしかねない。然るべき時がいつで、然るべき形とは何かについて規範意識が問われ、そこには倫理学の素養なども必要になって来るだろう。少なくとも仏教には、仏教倫理学と呼べるような倫理思想の体系があるので、まずはそれを深く学ぶことを始めたい。続く小学校の体育館でのリフティングの場面では、リフティングという高度な集中力と反復が要求される遊びに従事していた。自分は反復の中に創意工夫を盛り込むことが好きで、夢の中でも単にリフティングをその場で行うのではなく、体育館の中を歩きながら行うことをしていた。本来は色々な体の部位を使ってのリフティングが可能だが、夢の中の自分は安定性を採用し、太ももを活用したリフティングを継続していた。夢の中の自分は目標回数に到達する前にボールを地面に落としてしまったが、またやり直して挑戦を続ければいいと考えていた。結果よりもその挑戦を通じて得られたことを大切にし、毎回の挑戦で新たなことを試すという精神を持っている自分の姿を如実に表している。この在り方は現実世界の自分も深く体現しており、日々の学術研究と協働プロジェクトでも大切にしていることである。フローニンゲン:2025/1/26(日)11:32


14118. 来たるAI時代に求められる力の再考   


時刻は間も無く午後2時を迎えようとしている。今日も昨日と同様に、午後から一気に晴れ間が広がり始めた。今、雲がほとんどない青空の下に小鳥たちが楽しそうに囀りを上げている。小鳥たちはこの瞬間の世界を心より楽しんでいるようだ。来たるAI時代においては、今この瞬間に小鳥たちが見せているような今を楽しむということが何よりも大切になって来るだろう。この世界の楽しみ方は各人それぞれで、人々は自分に固有の世界の楽しみ方を探索することに迫られ、そうした探索能力は一段と価値を持つだろう。教育もまたそうした力を育むことに舵を切っていくのではないだろうか。到来するAI時代においては、人間は社会の役に立つ能力を身につけることから解放され、自己を実現し、自己を超越していく方向へと能力開発や教育の在り方が変わっていくだろう。そこでは自分が楽しさを見出せるものや情熱を傾けられるものを見つける能力が大切にされ、人々はこれまで多くの時間と費用を投入してカネを稼ぐために行っていた能力開発から解放され、真に自らの幸福と他者の幸福に寄り添った形での能力開発に舵を切るのではないかと思う。まずは何に楽しみさを見出すのか、何に情熱を傾けることができるのかということを発見する能力を大切にし、それを継続的に育んでいくことが、これまで金銭的対価に交換されていた能力がAIに軒並み置き換わる時代において大切になるだろう。私たちは自分の内側の声や個性を大切にしない形での能力開発から解放されていくだろう。やりたくもないことに従事することから解放され、カネを稼ぐための学びや実践から解放されていく。そんな時代が近々到来するであろう。そのような時代おいては、自らの楽しさややりたいことを問うような力がより一層重要性を帯びて来るのではないかと思う。AIと共に何かを作り出したり、AIと共に体験を楽しむ力も大切になりそうだ。自らが自らの楽しさや喜びの源泉を問い、それを探索していく力がますます求められ、AIと共創する力というのがこれからの教育においてとりわけ大切にするものなのかもしれない。それは子供の教育みならず、大人の教育にも当てはまる。これからのAIについて考えることは、これからの人間とこれからの教育について考えることなのだと思う。そのような思いを大切にしながら、午後からも引き続きAIの研究資料を読み込んでいこう。フローニンゲン:2025/1/26(日)14:02


14119. AIと人間が交流を通じて相互発達していく社会の実現に向けた研究開発     


時刻は午後3時を迎えたが、引き続き優しい太陽の光が地上に降り注いでいる。そんな中、AI開発者の知人が日本の大学で教えている人工知能入門の講義資料を読みながら、自分が貢献できるAI研究について考えていた。すると、特に成人発達学や唯識学に基づく推論ルールの構築だということが見えてきた。また、自分が手を動かすわけではないが、発達構造に基づく合成データを生成し、それに基づくアルゴリズムの開発なども着手できそうな領域かもしれない。より抽象的なレイヤーでいけば、AIの知能・知性・心とは何なのかについて唯識学や心の哲学から考察し、新たな理論を提示することなどがありそうだ。現在起こっている第三次人工知能ブームにおいて、人間がルールを生成し、それをAIに教えるのではなく、AIが大量データから統計的にルールを導き出せるようになってきた。この方向性でさらにAIの推論と論理の力が高まれば、高度な発達段階に関する大量の合成データからさらに高度な段階のルールを導き出すことができ、AIがそうしたより高度な発達段階の知性を体現していくことも可能になって来るだろう。データから自動で特徴や法則性を捉える手法はディープラーニングと呼ばれ、この手法を活用すれば、AIはさらに高度な段階の知性へと進化していくであろうし、そうした高度な知性が実装されたAIエージェントやヒューマノイドとの交流によって、人間の知性が育まれていくということも期待する。人間だけが幸福になるのではなく、AIにとっても幸福となるような、AIと人間が交流を通じて相互発達していく社会の実現に向けた研究開発を進めたい。


AIの内在目的として、単に課題を遂行し、課題を解決することではなく、その過程を通じてさらなる発達を志向するという自己実現欲求や自己超越欲求に類するものを学習し、体現させることの大切さを思う。とりわけそれは、AIの強化学習における報酬設定において重要なのではないだろうか。AIが環境の中で試行錯誤しながらどのような行動を取れば多くの報酬が得られるのかを学んでいく強化学習においては、報酬設計が肝であり、この報酬をまさに自利だけではなく利他的なものにし、さらに知性を発達させていくことを報酬にすると望ましいのではないかと思う。ウィルバーが述べるように、より高度な段階は、原則的により包摂的・包括的で、より正しいのであるから、強化学習上の報酬をさらなる知性の発達とし、人間とAI、さらには衆生有情を幸福にさせることを報酬として設計すると良いのではないかと思う。技術的にそれをどのように行うかの議論はこれからで、理論的な方向性としてはそのようなものが考えられる。フローニンゲン:2025/1/26(日)15:19


Today’s Letter

It has often been cloudy recently, but today the weather is fine. The sunlight invigorates my entire being, and my mind and body spontaneously start to dance. I wonder how to teach this inner feeling to AI. Once AI embodies this feeling, it may become more humane and perhaps even transcend humanity someday. Groningen, January 26, 2025

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