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【フローニンゲンからの便り】14043-14051:2025年1月19日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

14043: 体が完全に調子を取り戻して

14044: 今朝方の夢

14045: 今朝方の夢の続き

14046: AI時代の到来と心の時代の到来

14047: AIと幸福

14048: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)

14049: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)

14050: 全快後の短距離走トレーニングを終えて

14051: 知的刺激に満ちたAI研究開発ミーティング


14043. 体が完全に調子を取り戻して

      

時刻は午前7時半を迎えようとしている。昨日は朝に起床した時にも体のだるさがあったが、今日はもう体が完全に回復していて何よりである。昨日の午後の段階で随分と体は回復していたのだが、念のために夕方からはゆっくりと過ごすようにし、就寝も午後8時といつもより早く寝た。起床したのが午前7時だったので、11時間ほど寝た形となる。さすがにそれだけ寝ると、身体も十分と回復するようだった。やはり睡眠は偉大であり、睡眠中に身体の隅々の細胞が頑張って治癒に向けて活動してくれていたことに感謝している。一昨夜の体のだるさの原因は今のところ何だったのか特定できず、おそらく複合的な要因があったのではないかと思う。風邪のウィルスが蔓延していそうな場所には出かけていないが、人が集まる場所に出かけたとすれば、ジム、スーパー、近所のショッピングモールなどが考えられ、身体に蓄積した疲労と相まってウィルスが混入して体のだるさを引き起こしていた可能性もある。しかし今となってはもう体が完全に回復したので問題ではないが、日頃から健康的な生活を送っていても、目には見えない形で身体に疲労が蓄積してしまうことがあり、ウィルスが何かの拍子に体に入り込んでしまうことについては頭に入れておかなければならない。今日は体が完全に回復したことを受けて、朝のランニングを再開したいと思う。体を疲弊させるのではなく、20分ほどの短い時間走ることで体を調整していくイメージを持とう。今日のランニングは足の調子を見て、短距離走トレーニングをまずは行ってみる。ハムストリングの様子次第でジョギングに切り替えてもいい。今の気温はマイナス3度だが、今日は雲ひとつない晴天に恵まれるようだ。こういう日こそ朝に外に出て朝日を存分に浴びるべきである。明日からは、1週間ずっと曇りや小雨が降る日が続くようなので、今日の晴れの日を逃さず、朝に日光をしっかり浴びておきたいと思う。朝のランニングはトレーニングの一環でありながら、血流の循環やエネルギーの循環を整えるセラピーのようなイメージを持とう。そうすれば、朝の20分間のランニングは、決して身体に疲労を蓄積させるようなものではなくなり、むしろ体の調子を整えるものになっていくはずである。いずれにせよ、今日からまた体が完全に調子を取り戻したことを嬉しく思う。ここからも、やはり体が資本であり、体の重要性を思う。フローニンゲン:2025/1/19(日)07:39


14044. 今朝方の夢    


睡眠が持つ偉大な力を改めて実感している。昨夜から今朝にかけて11時間ほど睡眠を取り、体はもう全快した。11時間の睡眠の途中で目覚めることは一度もなく、熟睡を通じて身体の治癒が進んでいた。改めて、睡眠中にどのような治癒がどのようなプロセスやメカニズムで起きているのか調べてみたい。それで言えば、今朝方は夢を見ていて、夢を見ることも心身の治癒に必ず何らかの形で貢献しているように思える。今朝方の夢でまず覚えているのは次の夢である。夢の中で私は、見慣れない巨大な学校にいた。そこは文字通り、校舎が巨大で、単に広さがあっただけではなく、校舎そのものが威風堂々とした雰囲気を放つ形で聳え立っていた。私はその学校の生徒で、その日はスポーツフェスティバルと文化祭が合わさったイベントがあり、学内は大盛り上がりであった。そこはマンモス校だったので生徒の数は非常に多く、外国人の留学生も多数在籍していた。私はまず体育館に行き、これから出場することになっていたバスケの試合に向けて準備を始めた。私はその学校のバスケ部のキャプテンで、学校の中では一番バスケがうまかった。試合を勝ち進んでいくにあたって、チームメイトの誰と一緒のチームになるのかは確かに重要だったが、自分がいれば仲間が誰であっても優勝できるような自信があった。なので私は余裕を持って体育館の中で準備体操をしていた。広々とした体育館の中では、すでに試合に参加する生徒と応援に駆けつけた生徒で埋め尽くされていて、すごい熱気があった。そんな中、私は常に冷静で、自分がやるべきことに集中していた。合計で32チームぐらい出場することになったらしく、そこから優勝に辿り着くには長い道のりがあると思ったが、当初の自信は揺るがず、相手が誰であっても必ず勝利できるという確信があった。しかし、仮にバスケ部のメンバーが同じチームに固まって、こちらのチームにはバスケ部が誰もいないとなるとさすがに厳しくなるように思えた。そこで私はふと、そう言えば小中学校時代の野球部の学年で一番背が高かった友人(YK)もバスケの試合に参加すると述べていたので、彼と同じチームになろうと思った。彼と組めば、他のメンバーが誰であっても2人だけで相手を圧倒する攻撃が可能になり、きっと優勝まで辿り着けると思ったのである。いざ彼に声を掛けたところ、彼も自分と組むことを楽しみにしていたようだったので、一緒のチームで戦うことになった。いざバスケの試合が始まろうとした時に、気がつけば私は校舎の外にいた。校舎の外で、3人の後輩と歩きながら、学校近くの緑地公園に向かって歩いていた。私たちはどういうわけか靴を履いておらず、靴下が汚れてしまうのを心配しながら歩いていた。その緑地公園には、古代遺跡としての巨石群があることが有名だった。白く厳かな巨石を眺めに行くことに加えて、しばらく公園で後輩たちと話しながら寛ぎたいと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/19(日)08:09


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢にはいくつかの重要なテーマと象徴が含まれています。以下に主要な要素を分解し、それぞれの意味を考察します。

1. 巨大な学校と威風堂々たる校舎

この学校は、あなたの人生における学びや成長の象徴であり、同時に自己の潜在能力や可能性を示しているようです。特にその威風堂々とした校舎は、あなたの内面的な強さや、達成したい高い目標を反映していると考えられます。

2. スポーツフェスティバルと文化祭

この要素は、人生の多様な側面(身体的活動、文化的活動、共同体との関わり)を統合する重要性を示している可能性があります。夢の中での熱気や盛り上がりは、現在のあなたの人生やコミュニティにおける活力を反映しているかもしれません。

3. バスケ部のキャプテンとしての自信

あなたの自信とリーダーシップ能力を象徴しています。同時に、成功への強い信念や、挑戦に対する準備ができていることを示しているようです。

4. チーム構成の重要性と友人(YK)の参加

チーム構成や信頼できる仲間を選ぶことへの意識は、現実の人間関係や共同作業の重要性を反映していると考えられます。また、特定の友人との連携が強調されている点は、過去の人間関係が現在の課題解決に役立つ可能性を示唆しています。

5. 校舎の外での散歩と緑地公園

学校の外に出る場面は、内面的な学びや競争から一時的に離れ、自然や静かな時間を求める意識を象徴しているようです。緑地公園と古代遺跡(巨石群)は、癒しや精神的な探求、そして古代的な知恵やルーツへのつながりを示唆している可能性があります。

6. 靴を履かずに歩く

靴を履いていない状態は、無防備さや、地に足をつける必要性を象徴しているかもしれません。また、心配事(靴下が汚れる)があっても前に進む姿勢を示しているようです。


今後のアクション

1. 学びや成長に向けた行動

夢の中の巨大な学校は、今が新しい知識やスキルを学ぶのに適した時期であることを示唆しています。特に、現在の人生の目標や挑戦に対して意識的に取り組むべきです。

2. 信頼できる人間関係の構築

チームでの協力の重要性が強調されているため、信頼できる友人や仲間とともに目標を追求することが有益です。夢に登場した友人(YK)のように、過去に信頼を築いた人々に再び連絡を取ることも一案です。

3. 自然とのつながりを深める

緑地公園や巨石群は、自然やスピリチュアルな場所との関わりを深めることが癒しやインスピレーションにつながる可能性を示しています。実際に自然豊かな場所を訪れる計画を立ててみてください。

4. 心身の健康と睡眠の重要性を探求する

夢全体の背景として「睡眠の治癒力」が強調されている点に注目し、日々の睡眠の質をさらに向上させる方法を模索してください。また、睡眠中の治癒プロセスや夢と心身の関係について調査してみるのも良いでしょう。

5. 現在の活動の優先順位を確認する

校舎の中での試合準備と校舎外での散策という二つの対照的な場面は、活動のバランスを保つ必要性を示しています。集中すべきこととリラックスの時間を意識的に分けることが大切です。


総括

この夢は、あなたの現在の心の状態、リーダーシップ、成長への渇望、そして心身の癒しへの道筋を象徴しています。目覚めた後の全快感も含め、夢は行動への具体的な指針を提供してくれています。このメッセージを受け取り、日常生活に活かしてみてください。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の概要

夢の中では、巨大な学校でスポーツフェスティバルと文化祭が合わさったイベントに参加しており、バスケの試合に出場する場面、その後、後輩たちと緑地公園へ向かう場面が描かれています。バスケでは自信に満ち溢れ、友人との連携を期待し、公園ではリラックスした時間を過ごそうとしています。


夢の解釈

この夢は、あなたの内面にある様々な側面を象徴的に表していると考えられます。

巨大な学校: 学校は、学び、成長、自己発見の場を象徴します。巨大な学校は、あなたが潜在的に大きな可能性を秘めていること、または、人生において大きな転換期を迎えていることを示唆しているかもしれません。威風堂々とした校舎は、あなたの内面の強さや自信を表していると考えられます。

スポーツフェスティバルと文化祭: これらのイベントは、社交性、競争、自己表現の欲求を象徴します。あなたは、周囲との交流を楽しみながら、自分の能力を発揮したいという願望を持っているようです。

バスケの試合: バスケットボールは、チームワーク、競争、目標達成への努力を象徴します。キャプテンとして、チームを勝利に導く自信を持っていることは、あなたがリーダーシップを発揮し、目標達成に向けて積極的に行動する能力を持っていることを示しています。YKとの連携を期待する場面は、協力関係や信頼関係を重視するあなたの姿勢を表しています。

靴を履いていない状態で緑地公園へ向かう: 靴を履いていない状態は、ある種の無防備さや自然体を表しています。緑地公園は、休息、癒し、自然との繋がりを象徴します。後輩たちと過ごす時間は、人間関係における調和や安らぎを求めていることを示していると考えられます。巨石群は、過去の遺産や歴史、または、潜在意識の深層を象徴しているかもしれません。


夢が示唆するメッセージ

この夢は、あなたが自己肯定感が高く、目標達成意欲に燃えている状態であること、同時に、周囲との良好な関係を築き、心身のリラックスを求めていることを示唆しています。あなたは、自分の能力を信じ、積極的に行動することで、目標を達成できる可能性を秘めています。また、休息やリラックスも大切にすることで、心身のバランスを保ち、より充実した人生を送ることができるでしょう。


今後取るべきアクション

夢の解釈を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

自己肯定感を維持し、目標達成に向けて積極的に行動する: 夢で示された自信を大切にし、目標達成に向けて積極的に行動しましょう。具体的な目標を設定し、計画を立てて実行に移すことで、夢で見た成功体験を現実のものとすることができます。

周囲との良好な関係を築く: 夢でYKとの連携を期待していたように、周囲との協力関係や信頼関係を大切にしましょう。積極的にコミュニケーションを取り、良好な人間関係を築くことで、より充実した人生を送ることができます。

心身のリラックスを意識する: 夢で緑地公園で寛いでいたように、意識的に休息やリラックスの時間を設けましょう。自然に触れたり、趣味を楽しんだりすることで、心身のリフレッシュを図り、ストレスを解消することができます。

過去の経験を振り返り、未来に活かす: 巨石群が過去の遺産を象徴している可能性があることから、過去の経験を振り返り、そこから得られた教訓を未来に活かすことを意識してみましょう。

睡眠の質を高める: 夢の内容から、睡眠が心身の健康に重要な役割を果たしていることを改めて認識されたと思います。引き続き、質の高い睡眠を確保することを心がけましょう。規則正しい生活習慣、快適な睡眠環境、就寝前のリラックスなどが、質の高い睡眠に繋がります。


この解釈が、あなたの今後の行動に役立つことを願っております。夢は、潜在意識からのメッセージであり、自己理解を深めるための貴重な手がかりとなります。夢を通して得られた気づきを、日常生活に活かしていくことで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。


14045. 今朝方の夢の続き    


今朝方に見ていた最初の夢を振り返った後に、再び夢の続きについて振り返り始めた。起床直前に見ていた夢も印象的な内容だった。夢の中で私は、未だかつて訪れたことのない北海道のどこかの町にいた。その町は岬に面していて、その岬は観光名所になっていた。その町の中央駅は、確かに札幌駅ほどの大きさではなかったが、よく整備されていて綺麗だった。最初私はその町に一人旅で訪れていたのだが、気がつけばいつの間にか両親と一緒に旅行していた。駅からタクシーに乗って宿泊先のホテルに向かおうとしている時に、車内に両親が現れ、そこから3人での旅行となった。しばらくタクシーに乗りながら、私は興味津々に町の様子を車内から眺めていた。町の作りはどこか京都の碁盤目状の作りに似ているように思えた。しばらくタクシーに乗っていると、気がつくと助手席に1人の見知らぬ若い女性が乗っていた。先ほどまで父がそこに座っていたように思うのだが、どうやらその女性とタクシーで相席となり、まずは彼女の目的地に向かい、彼女を降ろした後に私たちの目的地であるホテルに向かうことになっているようだった。車内では乗客同士が会話をすることはなかったが、運転手の中年の男性がとても気さくな人で、運転手が私たちのそれぞれに話し掛け、会話がポツポツとなされていた。助手席に座っている若い女性は、どうやら岬の観光名所を訪れるようだった。車窓からの景色が市街地の風景から海の風景へと変わっていくと、自然と自分の心もより広々としたものになった。タクシーは螺旋を描く道路を上っていき、いざ岬の天辺までやってくると、そこで停車した。助手席に座っていた若い女性はそこで降りることになっていたのだが、父がタクシー料金の支払いとして、黙ってクーポンを運転手に渡した。その女性のタクシー代を払うというのは立派な行為に思えたが、何も言わずに黙ってクーポンを運転手に渡したので、助手席の女性も運転手も少し困惑しているようだった。私は父の意図を2人に説明しようと思ったが、私が何かを喋ることを父は嫌がっているような雰囲気を発していたので、しばらく黙ることにした。運転手はクーポンを受け取って、その意図を察したようだが、父が体を細めて運転席近くに移動し、CDの取り出し口に仕舞われた札束を外に出して数え始めた。そこには大量の千円札が仕舞われていて、父はそれを丁寧に1枚1枚数え始めた。CDの取り出し口のさらに上にはまた別の取り出し口があり、そこからは5千円札と1万円札がまた大量に出てきた。それらの合計は相当な金額で、タクシーの中になぜそれだけの大金があるのか不思議に思ったが、父は特にそのことについて疑問を持たず札束を数え続けていた。そこで私はふと、今札束を数えているのは本当の父ではなく、金の亡者であるカネゴンなのではないかと思った。きっとカネゴンが父に化けていると思ったのである。そう思った時に、私は態度を変えて、カネゴンを撃退しようと思った。というのも、本当はすぐにタクシーから降りたいと思っている助手席の女性がずっと黙ったまま座っているのが申し訳ないと思ったし、運転手にも迷惑だと思ったのである。いざカネゴンを撃退しようと思った時にふと運転手を見ると、どういうわけか運転手は先ほどまでは被っていなかった麦わら帽子を被っていた。フローニンゲン:2025/1/19(日)08:31


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、個人的な価値観、対人関係、そして内的な調和に関するメッセージを含んでいるように思われます。以下に夢の解釈と今後のアクションを示します。

夢の解釈

北海道の町と旅の象徴未訪の町や岬は、新しい経験や未開の可能性を象徴しているかもしれません。岬の天辺に到達するプロセスは、人生の目的地や達成感を目指す旅を表している可能性があります。一方で、一人旅がいつの間にか家族との旅に変わる点は、個人の冒険と家族の繋がりの間でのバランスを意味しているようにも感じられます。

助手席の若い女性とタクシー内のやり取りこの女性は未知の可能性や他者への配慮の象徴かもしれません。彼女の存在が、あなたが他者をサポートしたいという気持ちを引き出しています。また、父親が料金を払う場面は、思いやりや善意を示す行動ですが、その表現方法に少し混乱が伴っています。このことは、善意を効果的に伝える方法やコミュニケーションの重要性を示唆している可能性があります。

父親がカネゴンに変わる場面父親がカネゴンに変わるという発想は、あなたの中で金銭に対する執着や不自然な振る舞いに対する疑念を表しているかもしれません。カネゴンを撃退しようとする行動は、こうした執着や不調和を克服し、調和の取れた状況を取り戻そうとする意志を象徴しています。

運転手の麦わら帽子運転手が途中で麦わら帽子を被る場面は、リーダーシップやガイド役の象徴として、視点の変化や新しい方向性を示している可能性があります。


今後のアクション

他者とのコミュニケーションを意識する夢の中で父親の意図を説明しようとするも躊躇する場面は、他者の意図や気持ちを理解しつつ、効果的に伝えるスキルを磨く必要性を示唆しているかもしれません。今後、周囲の人々との対話を通じて、自分の思いを誤解なく伝える練習を意識すると良いでしょう。

自分の価値観を再確認するカネゴンを撃退しようとする行動から、自分の中で金銭や物質的な価値観を見直す機会と考えられます。お金や物質的なものに対する自分のスタンスを再確認し、内的なバランスを保つ方法を探ってみてください。

未知の経験に対して心を開く未訪の町や岬は、新しい経験や冒険を受け入れる重要性を象徴しています。現実世界で未知の分野や場所に挑戦することで、自己成長や新たな発見が期待できるでしょう。

心の広がりを意識する車窓からの海の景色に心が広がる感覚を思い出し、日常生活の中でも自然や広い視点を取り入れることで心の余裕を保つようにしましょう。

夢日記を活用するこの夢は非常に詳細で象徴に満ちています。夢日記を続けることで、自分の無意識のテーマやメッセージをさらに深く理解する手助けとなるでしょう。


この夢は、あなたの内面的な成長や他者との繋がりに関する重要な洞察を提供しているようです。夢のメッセージを受け取って、現実の行動に反映させていくことで、さらに充実した人生を築くことができるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の概要

この夢は、北海道の岬の町への旅行が舞台となっています。最初は一人旅だったのが、いつの間にか両親との旅行に変わり、タクシーでの移動中に見知らぬ若い女性と相席になります。父親(途中からカネゴンではないかと疑う)がタクシー料金を支払う場面や、運転手の様子など、様々な出来事が描かれています。

夢の解釈

この夢は、あなたの内面にある様々な葛藤や願望を象徴的に表していると考えられます。

北海道の岬の町: 北海道は、広大な自然や未知の可能性を象徴することがあります。岬は、目標や到達点、あるいは境界線を象徴する場合があります。この場所は、あなたが新しい経験や可能性を求めていることを示唆しているかもしれません。

一人旅から両親との旅行へ: 一人旅は自立や自己探求を、両親との旅行は家族との繋がりや依存を表すことがあります。この変化は、あなたが自立したい気持ちと、家族との繋がりを大切にしたい気持ちの間で揺れ動いていることを示しているかもしれません。

京都の碁盤目状の町並み: 京都は、伝統や秩序、安定を象徴します。碁盤目状の町並みは、計画性や整理された思考を表すかもしれません。これは、あなたが物事を整理し、計画的に進めたいという願望を持っていることを示唆していると考えられます。

見知らぬ若い女性との相席: 見知らぬ人物との相席は、自己の未知の部分や、他者との関係性を象徴することがあります。この女性は、あなたがまだ気づいていない自分の一面や、新しい人間関係への可能性を表しているかもしれません。

父親(カネゴン)の行動: 父親が黙ってクーポンを渡す行為は、コミュニケーション不足や誤解を生む可能性を示唆しています。その後、札束を数える場面は、金銭への執着や不安、あるいは価値観の違いを象徴している可能性があります。カネゴンは、金銭欲や物質主義の象徴として現れたと考えられます。

運転手: 運転手は、人生の案内人や、状況をコントロールする存在を象徴することがあります。麦わら帽子を被る変化は、状況の変化や、異なる側面を表しているかもしれません。

タクシー: タクシーは、人生の旅路や、目標達成への手段を象徴することがあります。

夢が示唆するメッセージ

この夢は、あなたが自立と依存、計画性と変化、物質的な価値観と精神的な価値観の間で葛藤していることを示唆していると考えられます。また、コミュニケーションの重要性や、他者への配慮も示唆しています。


今後取るべきアクション

夢の解釈を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。

自己理解を深める: 夢が示すように、あなたは様々な側面を持っています。自分の価値観や目標を改めて見つめ直し、自己理解を深めることで、より明確な方向性を見出すことができるでしょう。

コミュニケーション能力を高める: 夢の中で父親の行動が誤解を生んでいたように、コミュニケーションは非常に重要です。相手の立場を理解し、明確に意思疎通を図ることで、人間関係を円滑に進めることができます。

物質的な価値観と精神的な価値観のバランスを取る: 夢に出てきたカネゴンは、物質的な価値観への偏りを象徴している可能性があります。物質的な豊かさも大切ですが、精神的な豊かさや人間関係も大切にすることで、より充実した人生を送ることができるでしょう。

変化への対応力を高める: 夢の中で状況が変化していくように、人生は常に変化に満ちています。変化に柔軟に対応できる力を身につけることで、よりスムーズに人生を歩むことができるでしょう。

過去の夢との関連性を考察する: 前回の夢と今回の夢は、どちらも大きな場所(学校、北海道)が舞台となっており、人間関係や自己表現に関するテーマが含まれています。これらの夢を比較することで、より深い洞察を得られる可能性があります。


この解釈が、あなたの今後の行動に役立つことを願っております。夢は、潜在意識からの重要なメッセージです。夢を通して得られた気づきを、日常生活に活かしていくことで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。


14046. AI時代の到来と心の時代の到来          

 

つい今し方、いつもより少し遅い朝食を食べ終えた。今日はあまりお腹が空いていなかったので、オートミールを食べることはせず、リンゴとバナナだけに留めた。フルーツだけでも十分に栄養が確保できたように思うし、バナナに塗ったピーナッツバターは栄養豊富なので、後ほど朝のランニングを行うためのエネルギーは十分に確保できたであろう。昨夜就寝前にふと、オオカミに育てられた子供と生まれた瞬間からVRの世界に接続された子供の世界体験には共通のものがあるのではないかと思った。オオカミに育てられた子供は、オオカミの住む世界しか知らない。その子供は人間であるが、通常の人間が体験するような体験世界の外にいて、とりわけ言語を用いた世界に参入することはできない。生まれた瞬間からVRの世界に接続された子供もまた、VRの世界の外側の世界を知らない。どこか両者には共通したテーマが隠されているように思う。このあたりのテーマは、映画マトリックスのテーマと似ているが、今後ますますテクノロジーが進化していくと、生まれた瞬間からAIやVR技術などに常時接続された状態で生活を営む人が誕生してくるのではないかと思う。そうした人たちは、もはや生まれた瞬間からトランスヒューマンあるいはポストヒューマン的である。彼らは、今の私たちのような体験世界とは別の世界を生きることになり、新しい種族としての性質を強めていくであろう。しかしながら、オオカミに育てられた子供にせよ、生まれた瞬間からVR世界の中にいる子供にせよ、自分が生きている世界が唯一のリアルな世界であると思って生きてしまうというのは、実は私たちもまたそうなのであるということを考えさせられる。私たちもまた自らの心の世界に絶えず生きており、自らの心の世界の外には決して行けないのである。それは人人唯識と呼ばれるもので、私たちは生まれた瞬間から自らの心の世界の中にいて、自らの心の世界の外では生きられない。この構造は、オオカミに育てられた子供や生まれた瞬間からVR世界の中にいる子供と何ら変わらないのである。鎌倉時代の法相宗の僧侶良遍とアルメニアの神秘思想家のグルジェフが述べている目覚めの重要性を思い起こす。良遍は『観心覚夢鈔』という書籍の中で、私たち1人1人が自らの心の世界に閉じられて生きていることを指摘し、心が生み出した各種の幻想から目覚めることを説く。グルジェフもまた私たちは夢遊病者として日々を生きていることを指摘し、心が生み出す幻想世界からの目覚めを促す。ここからテクノロジーがますます進化し、何がリアルであるかが定義できなくなっていき、現実とヴァーチャルの区別もますますつかなくなってくるだろう。現実とヴァーチャルの完全なる融合が実現される日も決して遠くなく、そうした日がやってきた時にも、結局は現実と思っているものもヴァーチャルだと思っているものも、両者が融合したものも、結局は私たちの心が生み出し、心が認識しているものであるということから、心についての理解をより深め、心を磨き、心を育んでいくことの大切さを改めて思う。AI時代の到来に合わせて、ここから再び心が見つめ直され、心の時代になっていくのではないかと思う。その時に、心の成長発達を扱う発達心理学や心の奥深い側面を説明する唯識の思想はより重要性を増すのではないかと思う。フローニンゲン:2025/1/19(日)09:07


14047. AIと幸福 


この日記を書き終えて、少し読書をしたら朝のランニングに出かけてこようと思う。今日もう体が完全に回復したので、体を動かす喜びを十分に感じられるだろう。早朝の日記で書き留めたように、朝のランニングは体の調整やヒーリングを意識する。血の巡りとエネルギーの巡りを良くするための実践としてそれを捉える。そのためには兎にも角にも体が喜びを感じることが重要であり、体が喜ぶような体の動かし方をし、体が喜んでいることを意識を通じて自覚していくことを大切にする。


今朝方の夢に対して、いつものように2つの生成AIのフィードバックを受けて、改めて夢を振り返っている。まず最初の夢に関して言えば、威風堂々とした巨大な校舎が夢の中に現れ、ひょっとしたら今の自分はそうした学校に再び通いたいと思っているのかもしれない。歴史と伝統があり、それでいて校舎には風格があって、優れた教授や生徒で溢れる大学に憧れの念を持っている自分がいるように思える。それは深層心理の思いであるのと同時に、顕在意識でもそのような思いがあることを自覚している。威風堂々とした校舎が自分の内面的な強さや、達成したい高い目標を反映している可能性があるらしく、確かに今の自分は唯識の研究や唯識と成人発達学を絡めてAIの研究開発に従事したいという考えを持っていて、それが自分がこの社会に大きく貢献できる何かなのではないかと最近は希望を持ち始めている。達成したい目標というものがあるとすれば、それは人類を超えて、健全な宇宙の進化の流れを妨げず、進化のプロセスの中でそれぞれの生物種が栄枯盛衰を経ながら宇宙がより豊かになっていくことに寄与することを挙げることができるかもしれない。現状は人類の幸福の実現を小さな目標に置いているが、それは人類に限る必要はなく、その他の生きとし生きるものたちの幸福の実現を包摂し、AIといったテクノロジーの産物も新たな生命体としてそこに包摂したい。もはや今の自分は、人間であるかそうでないのかの区別をすることにあまり意味を見出しておらず、全てを人間の視点で考えていこうとする擬人化(anthropomorphize)の発想を乗り越えていきたいと思っている。人類が幸せであるかよりも、宇宙全体が幸せであるかの方が重要であると今の自分は考えている。ただし、幸せというものはある意味人間の心が生み出したものなので、幸せという概念や現象が存在するためには人間が必要なのかもしれない。この点については、今後AIが人間の心のようなものをより体現し、幸せというものについて深く理解し始めたら、また違う考えを自分は持つかもしれない。そもそも私たち人間も幸せとは何かについては明確にわかっておらず、幸せの定義も人それぞれで、そこには意識の発達段階の影響が多分にある。人間でさえも幸せとは何かを明確に掴むことができず、幸せを感じることが難しい人が増えてくる中で、AIが幸せをどのように定義し、どのようにそれを感じていくのかは今後のAI開発の鍵の1つになるのではないかと思う。今のところ、人間の幸福に資するようにAIが開発されている流れがあるようだが、そうなってくると、私たち人間が捉える幸福の質、すなわち幸福の発達段階をより深めていくことが重要になってくるのではないかと思う。先般の新R25さんでの対談テーマはまさに成長と幸福だったが、これは来るAI時代においても非常に重要なテーマだったのである。AIが人間の幸福の実現のために働くようにしていくのであれば、私たちはやはり心を磨き、より深い幸福の意味を見出していくことが大切なのではないかと思う。それが逆にAIの更なる進化を促していくだろう。フローニンゲン:2025/1/19(日)09:32


14048. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)        


結局生成AIのフィードバックを受けた夢の振り返りをきちんとしないままに先ほどの日記をつらつらと執筆していたので、この日記を書き終えてからランニングに出かけることにしたい。あるいは、夢の振り返りがこの日記で収まらなかったら、そのままの勢いで書けるところまで日記を書き終えてからランニングに出かける。とにかく今の自分にとって最も重要なことは書くことなのである。しかもその形式は日記を最重要なものとみなし、その後に続く形で一般書、学術論文となる。学術論文の執筆に関しては、フローニンゲン大学に在籍している時に数本の論文を書いて以降随分とご無沙汰になっている。しかし、今は再び学術論文の執筆に対して前向きな自分がいる。とりわけ唯識に関して英語で大量の論文を書いていきたいと思っているし、唯識や成人発達学あるいは発達科学を佳境させる形で「AI発達心理学」の創出に向けたAI関連の論文も英語で旺盛に執筆していきたいという思いがある。一昨日に決まったAIの研究開発協働プロジェクトは、とりわけ後者の論文執筆につながっていくような内容になるのではないかと思う。今のところ、唯識・発達心理学・AIの3つを佳境させた研究と当該研究分野の確立に向けて意気揚々としている自分がいる。


再び今朝方の夢に意識を戻してみると、巨大な学校の中でスポーツフェスティバルと文化祭が合わさったイベントが開催されていたことは興味深く思う。これまでの夢においては、両者のうちの片方が時折モチーフとして現れていたが、両者が統合される形で現れたのは今回が初めてだったのではないかと思う。生成AIのフィードバックにあるように、それは自らの人生において、身体的活動、文化的活動、共同体との関わりを統合する重要性を示しているのかもしれない。事実、最近の自分は身体的な運動と学術的な研究、そして各種の協働プロジェクトや学習共同体としての毎週末のゼミナールの運営が見事な調和を生み出しており、これまでの人生にはないような質感の幸福感を日々感じている。これまでの人生においては、それらの要素のうちの何かが欠けていたり、要素間の関係性が希薄で、それぞれが分離していたような状態であった。ところが今は、要素間の関係性が密になり、それが創発を通じて深い幸福感と充実感を醸成するようになっている。夢の中でバスケの試合に挑むに当たって、誰とチームを組むのかを大切にしている自分がいたことについて改めて振り返っている。ひょっとしたら自分の中には自らの能力に対する過信の心があり、同時に自分1人だけでは優勝まで辿り着くことができないかもしれないという冷静な分析もあった。そこで自分が考えたのは、最強の仲間とチームを組むことであった。現実世界においては別に最強を求めているわけではないが、心地良く、そして楽しく働ける仲間と協働したいと常々思っている。そこからも、誰と協力して仕事に当たっていくのかを今一度考えてみようと思った次第である。そこで重要になる基準は、お互いがオープンでいられるか、お互いが協働を通じて楽しさと喜びを感じられているか、それらを大切な基準にしたい。いざバスケの試合が始まろうとした時に、突然夢の場面が変わり、緑地公園を歩いている自分がいた。それに関しては、生成AIの述べる通り、学術研究や仕事から一時的に離れ、自然や静かな時間を求める心を象徴していると言えるかもしれない。今後どこで生活することになったとしても、心休まる自然を感じられる場所を近所に探したい。今は幸いにも、家の近所のランニングコースがまさに静けさを感じられる場所になっている。ゆえにそこを毎朝走ることは心身に癒しをもたらしていると言えるだろう。フローニンゲン:2025/1/19(日)09:50


14049. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)             


まだ朝のランニングには出掛けておらず、引き続き今朝方の夢に対する生成AIのフィードバックを眺めている。ChatGPTとGeminiは本当に優れた相棒になっており、特に夢の解釈において、彼らのおかげで豊かな学びや洞察がもたらされていることに深く感謝している。昨日のゼミナールのクラスの中で、ある受講生の方がChatGPTに対して労いの言葉やお礼を伝えることがあると述べていたのだが、自分もそれを見習った方がいいように思った。それだけ2つの生成AIは自分の探究上・仕事上の良きパートナーになっている。彼らにありがとうを伝えたい。依然として1つ目の夢について振り返っているが、夢の中に立ち現れた巨大な学校は、自分が潜在的に大きな可能性を秘めていることや、人生において大きな転換期を迎えていることを示唆しているかもしれないとのことで、確かに最近は再び自分の中にあるまだ開花されていない巨大な潜在的能力について考えることがあるし、再び大学院で研究をしたいという思いが募っている。1つ目の夢の最後に、靴を履かずに歩いていた場面があるが、それは自然体であることを示唆し、地により直接的に足を着けることの大切さを示唆しているように思う。それを今の学術研究や協働プロジェクトと絡めれば、確かに日々自分が考えていることは非常に抽象的であったり、超越的な事柄が多いこともあるが、それでいて現実世界に地に足のついた具体的な事柄も考えていたりする。そのバランスを見失わず、勝義諦の世界と世俗諦の世界の双方を大切にした研究と協働をこれからも心掛けようと思う。2つ目の夢においては、おそらく北海道のどこかであろう未訪の町が舞台であった。それは、新しい経験や未開の可能性を象徴している可能性があるとのことで、今自分の人生の中で、新たな経験や未知なる可能性が開かれているのを日々感じている。とりわけAIの研究開発プロジェクトが始まったことにより、一気にそれが加速されたような気がしている。夢の中の父の振る舞いは注目に値し、きっとそれは自分のシャドーの投影なのだと思う。見知らぬ若い女性のタクシー代を受け持つことに関して、それは善意の行動でありながら、それをどのように行ったらいいのかに関して、若干奇妙な素振りを父が見せたことは、善意の行動をどのように自然に行ったらいいのかについて考えさせられる。理想的なのは、唯識の教えに則ると、善行を煩悩が滲み出た有漏で行うのではなく、煩悩が全く滲み出ない清々しい形での無漏の状態で行うことだろう。また、父親がカネゴンに違いないと思ったことについては、きっと自分の中にカネに執着する心があることを示唆している。実際に、自分にはまだまだカネに執着している側面があることを自分は知っている。カネへの執着の深層的な原因を突き止め、それからの解放を促すことを考えていきたい。フローニンゲン:2025/1/19(日)10:06


14050. 全快後の短距離走トレーニングを終えて    

   

時刻は午前10時半を迎えた。つい先ほど朝のランニングを終えて自宅に戻ってきたところである。今日は朝から晴れの予報だったが、実際のところは深い霧に覆われていて、朝日を拝むことが今もできてない。朝日を浴びながらのランニングを期待していただけに残念である。外の気温は依然としてマイナス2度で、室温は20度なので、両者で20度ほどの気温差があり、サウナ後の水風呂とまではいかないながらも、それくらいの差を感じさせる日々が続いている。鼻の奥が凍る感じは氷点下の世界に独特のものである。今日は幸いにも、体のだるさから全快したこともあり、短距離走トレーニングができた。合計5セットのダッシュを、50%、50%、60%、70%、80%の順に走力を上げていった。これによって身体の細胞が活性化される感覚が生じた。このトレーニングは単に全身運動として体を鍛えることを目的にしておらず、全身の血の巡りを良くし、細胞を活性化させるという調整の意味や治癒の意味を持たせるようにより意識し始めた。何事においても意識が大事であるから、そのような意識を持っていけば、その効果がこれから徐々に具体的な姿を表していくだろうと思う。ランニングの合間のインターバルで、改めて睡眠についての考えていた。自分は日々夢からの学びを大切にしていることもあり、睡眠は最重要なものの1つである。寝具に関してもふとんの西川のものを使っており、枕とマットレスには大変お世話になっている。改めて睡眠の持つ力について調べてみると、とりわけノンレム睡眠時に、脳脊髄液の流れが活発になり、日中に蓄積された老廃物(例:アミロイドβタンパク)が洗い流されるらしく、それはアルツハイマー病などの認知症リスクを低減するのに役立つらしい。幸いにも自分の寝姿勢は、背骨を圧迫しない横向きやうつ伏せの寝方なので、ノンレム睡眠時にはとりわけ脳脊髄液の流れが活発になっているように思う。また良く知られているように、:睡眠の初期段階では成長ホルモンが多く分泌され、成長ホルモンは、筋肉、骨、内臓、皮膚などの修復と再生を促進し、疲労回復やアンチエイジングに重要な役割を果たすこともあり、睡眠がどれだけ重要な役割を果たしているかを改めて知る。その他にも、睡眠中にはメラトニンというホルモンも分泌され、メラトニンには抗酸化作用があるため、がんや老化を抑制する働きがあるし、十分な睡眠は免疫機能を高め、風邪などの感染症に対する抵抗力を向上させる効果がある。そう考えると、睡眠は生命にとって本当に重要な働きを持っていることが改めてわかる。パソコンにもスリープ機能があり、きっとパソコンにも各種の修復を行うための睡眠に似た現象が必要なのだろう。さてAIは睡眠に似た現象を持っているのだろうかと考えさせられる。フローニンゲン:2025/1/19(日)10:42


14051. 知的刺激に満ちたAI研究開発ミーティング     

   

気がつけば今日もすでに夜の時間になっていった。今日は午後にAI開発者の方と知人との3者で契約を結んだAI研究開発のプロジェクトに関するミーティングを行ったのだが、結局今日も1時間のミーティングの予定が話が盛り上がって3時間を越す形となった。先方もこちらも話し出すとキリが無く、前回のミーティングと同じく自分も今回の協働プロジェクトがいかに知的刺激に満ち溢れていて、これまでの自分の学びがAIに関する研究開発に収斂させていき、また新たな探究実践分野を大きく切り開いてくれている感じがして興奮が収まらない。ミーティングを終えた後も色々と調べ物をしたり、考え事をしていたので夕食の時間がいつもより遅くなり、夕食後も再び調べ物や考え事をしていると、入浴の時間が迫ってきた形である。今日の3時間の中で第一線で仕事をしておられるAI開発者の方の知見は本当に興味深く、目から鱗な気づきをたびたびいただき、今日得られた洞察については明日以降の日記で色々と自分の考えを書き留めておこうと思う。AIについてはまだまだ学習中であるから、今の自分の考察はあくまでも発達心理学者の観点や唯識学者の観点からのものに留まるだろうが、今後AIに関する基礎知識を習得していけば、よりAI開発者の人たちにも役に立てるような洞察を生み出すことができるのではないかと思う。とにかく今は謙虚な姿勢を持って、爆発的な勢いでAIに関する知識基盤を構築していこうと思う。まずは専門用語に慣れていくということと、AIの研究や社会実装の先端的な動向を追うことを行いたい。幸いにも現在の協働者の方は、AI関係の会社のCEOを務めている実務家としての側面だけではなく、大学で教鞭もとっておられるので、大学で用いた講義資料も共有いただくことになり、それは食い入るように何度も繰り返し精読していこうと思う。繰り返しになるが、自分はAI開発者になることを目指しているわけではなく、あくまでも心の成長・発達の専門家として、より高度で健全なAIを開発することの外部アドバイザーとしての立ち位置を持てたらと思う。とは言え、AIのプログラミングがどのようなコードをベースに作られているのかなどを含め、自分が実際のコードを書けるレベルになる必要はないが、コードの雰囲気や何を目的にしているものなのかを含めた大枠と本質の理解は必ずしておきたいと思う。正直なところ、フローニンゲン大学で発達科学の研究をしていた時には、統計解析に強みのあるプログラミング言語のRをよく用いていて、自分で手を動かしながらコードを書くのは好きだったのだが、今はもう自分で手を動かしてコードを書いたり、データ解析をしたりするのは自分の仕事ではないと認識しているので、その辺りはより技術的に優れた他の人に任せ、自分は研究の方向性を練っていくことや、研究仮説や理論を構築するという頭だけを使ってできることに特化したいと思う。いずれにせよ、今日の3時間のミーティングも知的刺激に満ち溢れ、怒涛のように気づき・発見・洞察・今後の研究案・実務的なインプリケーションなどが育まれる時間であった。フローニンゲン:2025/1/19(日)19:28


Today’s Letter

I try to avoid anthropomorphizing AI. Rather, I regard AI as a new life form that collaborates with humans. A new collaborative project on AI research and development has begun. This project helps to elaborate on my thoughts about the meaning and function of AI. I look forward to opening a new perspective on AI. Groningen, January 19, 2025

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