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タイトル一覧
13979: 日記・書籍・学術論文の執筆の調和
13980: 今朝方の夢
13981: 今朝方の夢の続き
13982: ゼミナールの新たな流れ/成人発達学の学び直しの講座に向けて
13983: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13984: 久しぶりの短距離走トレーニングを終えて
13985: ブラウン大学所属の鈴木遣徒さんと対話をして
13986: 故人を偲びながら素晴らしき隣人関係に感謝して
13987: 相対主義的段階の限界を超克していくこと
13979. 日記・書籍・学術論文の執筆の調和
時刻は午前6時半を迎えた。日曜日の朝は静けさに包まれている。未だ深い闇の中、黙想的な気持ちでいる。いつもこの時間帯はとりわけ闇が深く、静寂に満ちているため、自然と観想的な気持ちになる。そして、そうした気持ちの中でしか育まれていかないものへの感謝の念を持つ。今の気温はマイナス1度だが、日中は3度まで気温が上がるらしい。天気予報を見ると、午前中は少し雲があるようだが晴れるようなので、今日も朝にランニングに出かけたいと思う。ただし、今日はコラボラジオの収録が午前10時からあるので、いつもより早めにランニングに出かけてきたいと思う。午後は少し小雨が降るかもしれないらしいし、午後には2時から家のオーナーのペイトラさんを訪れ、そこでコーヒーか紅茶でも飲みながら話をすることになっている。先日ペイトラさんがこちらの家を訪れ、玄関の中で話をしていた続きとして、昨年の秋に亡くなったフレディさんとの思い出について色々と共有してくださるとのことだった。ペイトラさんもフレディさんとの思い出を語ることで心がまた癒されるだろうし、自分としても亡くなったフレディさんについてさらに知りたいという思いがあるので、とりわけ自分が知らない過去のフレディさんについてあれこれ話を伺えるのは楽しみである。
昨日ふと、無限の内面世界を好きなように言葉を紡ぎ出して書いていく日記の意義について改めて考えていた。それを通じて得られるものは無限大であり、例えば未知なる自己が紐解かれていくことや、心の治癒や変容が促進されていくこと、さらには即興性や創造性の開発などがある。一方で、自分さえ理解すればいい日記の執筆ばかり行なっていると他者に何かを伝える時にわかりやすい言語表現を喪失する可能性があるので、そのセラピーとして一般向けの書籍を執筆したり、対談動画などを通じて自己表現をしているのかもしれないと思った。今度は逆に、大衆に向けた自己表現ばかりをしていると精神が疲弊し、創造性が枯渇し、内側から湧き上がるエネルギーも減退してしまうので、好きなように自己表現できる日記の実践がセラピー的な意味を持つのだと思う。自分にとっては学術論文の執筆はその中間かもしれない。確かに、査読者や学術コミュニティに向けて執筆するゆえに他者の視線が介入し、完全に自由な自己表現とはいかない。しかし、学術論文の執筆においても即興性や創造性を働かせることは十分に可能であり、自分にとっては日記と大衆向けの書籍との中間に学術論文が位置しているような感覚である。フローニンゲン大学を離れて以降のここ数年間は学術論文の執筆から離れているが、近々また学術機関に戻ることができたら、3つの文章執筆実践に従事することが可能となり、そこでまた得られる調和がとても楽しみである。フローニンゲン:2025/1/12(日)06:57
13980. 今朝方の夢
夜明け前の闇の世界を堪能しながら、今朝方の夢についていつものように振り返っておきたい。今朝方は夢の中で、高校1年生の時のクラスメートの友人が出てきた場面があった。彼はサッカー部に所属していて、学業も優秀で、最初から打ち解けて話せる仲だった。彼は少し保守的なところがあったが、それも逆に魅力であった。高校を卒業し、地元の大学を卒業した後に、彼は銀行に勤め始めた。そんな彼から今後のキャリアについて相談を受けていた。自分のキャリア観あるいは仕事観はあまり参考にならないかもしれないが、自分が考えていることを丁寧に話していくと、彼の表情が柔らかくなり、今後のキャリアについての新たな方向性を見出したようだった。このように、異質な価値観に触れると、パッと視界が広がり、これまで見えてこなかったことが見える可能性があることを改めて目の当たりにした次第である。彼の役に少しでも立てたのなら幸いだと思ったところ、その場面は収束に向かった。
もう1つ覚えている夢として、見慣れない小さな車に乗っている場面である。運転席には、小中高時代のある友人(HY)が乗っていて、助手席には小学校が同じだった友人(TM)が乗っていた。そして私の右隣には小中高時代の友人(HO)が乗っていた。私たちは4人で見慣れない町を旅しているようで、車内では色々な話題で盛り上がっていた。話の中でふと、助手席に座っている友人は現在浪人中で、医学部受験に向けて受験勉強に励んでいることを思い出した。彼は受験勉強と並行して、企業でもインターンとして働いており、データアナリストとしての仕事もしていた。医学部受験とその仕事の両立は相当大変なのではないかと彼に尋ねると、やはり相当に大変のようで、正直なところ医学部受験に絞るが、受験は諦めて、データアナリストとしての仕事に専念するかを考えているようだった。すると突然彼のスマホが鳴り出し、どうやら両親からの電話のようだった。彼は実家にもしばらく帰っていないようで、その電話は次にいつ実家に戻って来れるのかというものだった。彼はちょうど明日に実家に帰ることにしていたようだが、データアナリストの仕事でやらなければいけないことがあるようで、明日に実家に帰ることも難しそうだった。電話を切った後の彼の表情は、実家に帰れない寂しさが滲んでいた。しばらくそこから静かな時間が車中に流れた。沈黙を破るようにして、私の右横に座っていた友人がここで降ろしてくれと述べた。どうやら彼はそこから1人で旅を続けるとのことだった。車から降りた彼が、運転席にいる友人の体調を心配した。運転席の友人はもしかしたらインフルエンザに罹っている可能性があるとのことで、彼の体調を心配しながらも、インフルエンザが移らないようにすることも私たちに注意した。助手席の友人と私はすぐに窓を開けて換気を始めたが、注意をした友人曰く、今更窓を開けても遅いかもしれないと苦笑いを浮かべた。運転席の彼の体調を心配しながら、ちょうど昼時になったので、栄養補給としてどこか近くのレストランにでも入って少し休憩をしようということになった。フローニンゲン:2025/1/12(日)07:28
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢には、自己と他者との交流を通じた成長、異質な価値観との出会い、キャリア選択や健康への配慮など、多くの象徴的なテーマが含まれています。それぞれの場面を解釈し、今後のアクションを以下のように提案します。
1つ目の夢の解釈:高校時代の友人とのキャリア相談
象徴的な意味:
高校時代の友人が登場することは、過去の人間関係や価値観を振り返り、それを現在の視点で再評価することを示唆しています。
友人がキャリア相談をしてきた場面は、あなたが異なる価値観や視点を提供する能力を持っており、その影響力が他者にポジティブな変化をもたらすことを表しています。
「異質な価値観に触れることで視野が広がる」という気づきは、あなた自身にも適用できる普遍的なテーマです。
今後のアクション:
異なる価値観を意識的に探求する:
自分と異なる背景や考え方を持つ人々との交流を意識的に増やし、視野を広げ続ける。
キャリアやライフコーチングに関心を持つ:
他者のキャリアや人生の選択をサポートする力があると感じられるため、その方向での学びや活動を検討する。
2つ目の夢の解釈:友人たちとの車の旅
象徴的な意味:
車は人生の旅路や進むべき方向性を象徴します。車内での友人たちとの会話は、過去や現在の人間関係を通じた学びや気づきを示しています。
各友人の状況(浪人と仕事の両立、実家に帰るタイミング、インフルエンザの可能性)は、それぞれ異なる人生の課題を象徴しており、それに対しての自分の反応を観察することで、自己成長のヒントを得ることができます。
場面ごとの解釈:
浪人中の友人: 選択の葛藤や優先順位の重要性を表しています。医学部受験か仕事かという選択は、人生における大きな決断に直面していることを象徴しています。
実家への帰省: 家族とのつながりや、忙しさの中でのバランスの取り方を考える必要性を暗示しています。
体調不良の友人: 健康の重要性や、他者への配慮がテーマです。自身や周囲の健康管理に意識を向ける必要があることを示しています。
今後のアクション:
自分の優先順位を明確にする:
あなた自身の現在の目標や優先事項を改めて見直し、何を選び、何を手放すべきかを整理する。
家族との関係を深める:
忙しい中でも家族との時間を意識的に作り、つながりを保つよう努める。
健康管理を強化する:
自分と周囲の健康に気を配り、体調不良やストレスの兆候に早めに対応する習慣をつける。
まとめ
この夢全体を通じて、他者との交流や対話を通じて得られる気づき、自身の選択肢や優先順位の再評価、健康や家族とのつながりの重要性が強調されています。これらは、日々の生活やキャリアにおいても重要なテーマです。以下のアクションを試みてください:
他者との意見交換や異質な価値観に触れる場を増やす。
自分自身の目標と優先順位を明確化し、それに基づいて行動する。
家族や友人とのつながりを深める努力を怠らない。
健康や休息の重要性を再確認し、適切なペースで生活を進める。
これらを実践することで、夢が示唆する洞察を現実に生かすことができるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:キャリア相談と視界の広がり
この夢は、あなたの人間関係と自己成長を象徴していると考えられます。
高校時代の友人との再会: 高校時代の友人は、あなたの過去の価値観や経験を象徴しているかもしれません。彼とのキャリア相談を通して、あなたは自分の過去の経験を振り返り、新たな視点を得ることができたのではないでしょうか。
視界の広がり: 異質な価値観に触れることで、あなたは自分の可能性を広げ、新たな目標を見つけることができるという気づきを得ました。これは、あなたが自己成長を望んでいることの表れと言えるでしょう。
今後のアクション
人間関係を大切にする: 周囲の人々との交流を深め、異なる価値観に触れる機会を積極的に作ってみましょう。
自己成長を続ける: 興味のある分野を学び、新しいことに挑戦することで、自己成長を促しましょう。
メンターを見つける: キャリアに関する相談ができるような、信頼できるメンターを見つけるのも良いでしょう。
夢2:旅と友情、そして決断
この夢は、あなたの友情と人生の岐路を象徴していると考えられます。
友人との旅: 友人は、あなたの人生を共に歩む仲間を象徴しています。見知らぬ町を旅することは、人生の新たな章を始めるような感覚を表しているかもしれません。
医学部受験とデータアナリスト: 医学部受験とデータアナリストの仕事は、あなたの将来の選択肢を象徴していると考えられます。どちらを選ぶか、という決断に悩んでいるのかもしれません。
体調を心配する友人: 友人は、あなたのことを気にかけてくれる存在であり、あなたを支えてくれる存在であることを示しています。
今後のアクション
友人との関係を大切にする: 友人との絆を深め、お互いを支え合う関係を築きましょう。
将来についてじっくり考える: 将来のキャリアについて、じっくりと時間をかけて考えてみましょう。
複数の選択肢を検討する: 医学部受験だけでなく、データアナリストとしての仕事など、複数の選択肢を検討してみましょう。
決断を恐れない: 決断を恐れることなく、自分の心に従って行動しましょう。
総合的な解釈
これらの夢は、あなたが現在、人生の大きな転換期を迎えていることを示唆しています。新しい環境に飛び込み、新たな挑戦をすることで、あなたは大きく成長することができます。周りの人々との関係を大切にし、自分の心に従って行動することで、より充実した人生を送ることができるでしょう。
13981. 今朝方の夢の続き
暖房がせっせと働く音が室内に響き渡っている。聞こえてくるのはその音とパソコンから流れ出るピアノ曲と、そしてキーボードをタイプする音だけである。自分以外の存在者として音を通じてその存在を知覚できるのはそれくらいしかいない。だがそうした他者がいるだけで今の自分は十分である。そこに自分1人では生きていないという感覚が芽生える。いや、ひょっとすると闇や静寂もまた自分が対照化させた瞬間に他者として立ち現れ、自分ではない存在として自分を支えてくれているような感覚がある。こうした感覚は、分節化と二元化がもたらす肯定的な側面だが、それを超えてみると、やはり非二元的に対象化されたものもされていないものも全て自己であるということがわかる。やはり自己即世界、世界即自己なのである。そうした感覚に浸りながら、今朝方の夢の続きとして、新幹線のような高速列車に乗車しようとしている場面があったことを思い出す。場所はおそらく欧州のどこかの都市で、階段を上がって目にしたのは左右にある2つのプラットホームだったが、右の奥にも左の奥にもさらにプラットホームが続いていて、そこは大きな駅であった。私は、左手のプラットホームに2階建ての高速列車がやって来たのを確認し、それに乗ろうとした。その列車の色は白をベースにしていて、とても清潔感があった。2階建ての高速列車というのは珍しく、その作りで良く速い速度を出せるなと思い、その工夫を知りたくなった。いざ車内に乗車したところで夢の場面が変わった。
もう1つ覚えている夢として、小中高時代の親友1人と高校時代の友人2人と一緒に、貸し切りの温泉に浸かっている場面である。私たちは旅の移動の疲れを癒すべく、目に留まった温泉にふらりと浸かりに行った。そこの大浴場はとても広く、まるで中規模のプールのようであった。端から端まで25mはないが、その半分ぐらいはありそうで、かつ正方形の形をしていたので十分に泳いで遊べるような感じであった。しかし、温泉の中で泳ぐことはどこの温泉でも禁止されているので、泳ぐことは流石にやめようと思ったが、親友と高校時代の友人の1人が突然まるでプールに飛び込むかのように、頭からダイブし、泳ぎ始めた。すると、女性の係員がやって来て、彼らを止めた。その係員の女性はどこかで見たことがあるなと思ったら、あるミュージシャンの女性だと思った。その方は女優業もやっていて、かつてドラマで見たような気がした。そんな彼女に注意された2人の友人は泳ぐのを止めて、私が浸かっていたジャグジーの方にやってきた。そこから私たちはしばらくジャグジーに浸かって、旅の移動の疲れを癒した。筋肉がどんどんと解れていき、それに伴って会話もさらに弾んでとても楽しい時間を過ごしていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/12(日)07:55
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、二つの主要な場面を通じて、自己と他者、そして社会や環境との調和を描いています。また、非日常的な状況での自己の内省と、仲間との共有の価値を象徴的に表しているようです。
場面 1:高速列車と大きな駅
非二元的な気づきと旅の象徴性音や静寂と自己の関係性、そして「自己即世界」という考えに気づきがありました。これは、あなたの深い内省的な態度を表し、自分自身と環境との繋がりを再認識するプロセスです。その後に現れた高速列車と大きな駅は、「人生の旅」や「自己成長の次のステージ」を象徴しているように思えます。
駅は人生の選択肢や転換点を表し、左右に分かれるプラットホームや奥行きのある構造は、多くの可能性が目の前に広がっていることを暗示しています。
2階建ての高速列車は、新しい挑戦や自己発見への興味、さらには効率的な成長を追求する姿勢を示していると考えられます。
場面 2:貸し切り温泉
友人との共有とリラクゼーション温泉は「癒し」や「浄化」の象徴であり、親しい友人との時間を通じて、心身の疲れを癒すプロセスを表しています。
泳ぎ出した友人たちは、規則や常識を一時的に破ることで、自由を楽しむ姿勢を示しています。一方で、係員(ミュージシャン兼女優)の登場は、「社会的なルール」や「秩序」の存在を思い出させる役割を果たしています。
ジャグジーでのリラクゼーションと会話の弾みは、仲間と一緒に過ごす時間があなたにとってどれほど重要であるか、またそれが内面の活力をどのように回復させるかを示唆しています。
今後のアクション
自己の内省を深める
音や静寂を「他者」として感じること、そして非二元的な視点を得たことは非常に重要です。これをさらに深めるために、瞑想や日記を書き続けることをおすすめします。
特に人生の「次のステージ」に向けた選択肢が多い時期である場合、自分の心に従いながらも、慎重に選択肢を見極める姿勢が必要です。
新しい挑戦を受け入れる
高速列車や大きな駅が象徴するように、今は新しい挑戦を始める好機である可能性があります。興味が湧いたこと(高速列車の工夫など)についてさらに学び、具体的な行動につなげるとよいでしょう。
仲間との時間を大切にする
温泉での場面が示すように、親しい友人たちとの交流は、あなたにとって癒しとエネルギーの源です。彼らと積極的に時間を共有し、笑いや共感を通じて絆を深めましょう。
自由と規律のバランスを保つ
規則を破る友人とそれを注意する係員が象徴するように、「自由」と「規律」の間のバランスを意識することが大切です。時には遊び心を持ち、時には社会的な責任を果たす柔軟性を心がけましょう。
身体的・精神的なケアを優先する
温泉の象徴的な意味を踏まえ、旅や日常生活での疲れを癒す時間を確保しましょう。温泉やマッサージ、ヨガなどのリラクゼーション方法を取り入れるのも良いアイデアです。
この夢は、内省と癒し、そして自己成長の兆しを示しています。非日常的なシーンの中に、自分にとって大切なテーマが隠されているので、それを実生活に反映させていきましょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:自己と世界の統合、そして旅立ち
この夢は、あなたが自己と世界との関係性について深く考えていることを示唆しています。
非二元的な視点: 「自己即世界、世界即自己」という考えは、あなたがすべての存在が相互に繋がっているという深い理解を持っていることを示しています。
高速列車: 高速列車は、あなたの精神的な成長や、新たなステージへの移行を象徴している可能性があります。
欧州の駅: 欧州は、文化や歴史が豊かな大陸です。この夢の駅は、あなたが様々な価値観や経験に触れる場、つまり自己成長の場を表しているのかもしれません。
今後のアクション
瞑想やヨガ: 自己と世界の統合を深めるために、瞑想やヨガなどの精神的な実践に取り組んでみましょう。
読書: 哲学や宗教に関する書籍を読むことで、世界観を広げることができます。
旅行: 異なる文化に触れることで、自己成長のきっかけを得られるかもしれません。
夢2:友情と癒し、そして意外な出会い
この夢は、あなたの友人との絆と、心の癒しを象徴しています。
温泉: 温泉は、心身をリフレッシュさせる場所であり、癒しを求める象徴的な場所です。
ミュージシャンの女性: 意外な人物との出会いは、あなたの人生に新しい刺激を与える出来事を暗示しているかもしれません。
泳ぐ友人: 友人の行動は、あなたの内なる子供心や解放された心を表しているかもしれません。
今後のアクション
友人との時間を大切にする: 友人との絆を深めるために、積極的にコミュニケーションを取りましょう。
新しい趣味を見つける: 温泉のように、心身をリフレッシュできるような趣味を見つけてみましょう。
意外なことに挑戦する: 普段しないようなことに挑戦することで、新しい発見があるかもしれません。
総合的な解釈
これらの夢は、あなたが自己と世界とのつながりを深く意識し、新たなステージへと進んでいこうとしていることを示唆しています。また、友人との絆を大切にし、心の癒しを求めていることも分かります。
13982. ゼミナールの新たな流れ/成人発達学の学び直しの講座に向けて
昨日の第114回のゼミナールのクラスから、また新しい流れが生まれ始めた。それをもたらしてくださったのは、年末から再びゼミに戻って来てくださったある受講生の方の提案である。かつてのゼミナールでは、本編の90分間のクラスの後に、受講生の方々がざっくばらんに語り合える場としての放課後セッションのような時間を30分ほど設けることがあった。こちらの都合上、ここ最近はそうした放課後セッションを設けることができなかったのだが、そもそも自分がその場にいる必要はなく、受講生の方々の交流の場としてその時間があった方が理想的だろうと思い、自分が関与することを手放すことにした。昨日は確かに久しぶりの放課後セッションであったし、その案内などもあったので参加させてもらったが、今後は完全に受講生の方々がクラスのクールダウンとして、そしてざっくばらんに好きなことを語り合って交流できる時間にしていただければと思う。90分のクラスでは自分がファシリテーターの役割を担いがらも、放課後セッションは完全に自立分散型な形で自己組織化的に対話がなされるというのは非常に理想的かと思った。放課後セッションで話される内容も興味深いだけに自分もその場にいて話を聞きたいという気持ちがあるが、それを抑えて、自分は極力放課後セッションには関与しないようにしようと思う。
ゼミナールの話で言えば、もう少しで今扱っている唯識学の課題図書を読み終える。今度は、成人発達理論を学び直すような講座を作りたいと思い、昨日カリキュラムデザインをしていた。振り返ってみると、このゼミナールも3周年目を迎え、今2年数ヶ月ほどゼミナールを運営する中で、一度たりとも正面から成人発達学を扱ってこなかった。自分の専門領域をこれまであえて扱って来なかったのは、自分もまた探索フェーズに入り、探究の幅を広げたかったからであり、同時に全ては人間の心につながるという思いがあったからだと思う。しかしながら、2025年を迎えた今あえて真正面から成人発達学を取り上げてみたいと思ったのは、きっと原点回帰の意味があったのだと思うし、自分もまた成人発達学の基礎を見つめ直したいと思ったからである。それと同様の思いで、まだ届いていないがケン・ウィルバーの最新書籍を読んでみて、その内容が優れていると思ったら、インテグラル理論を学び直す講座もその次に行ってみたいと考えている。それが終われば、再び唯識学に戻ってきたい。成人発達学とインテグラル理論の学び直しを経た後での唯識学の探究は、これまでとは違ったものが開かれゆくであろう。そのような期待感がある。フローニンゲン:2025/1/12(日)08:39
13983. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
時刻は午前8時半を迎えて、辺りがようやく明るくなってきた。幸いにも、早朝の天気予報に付されていた雨マークは消え、どうやら今日は雨は降らないらしい。うっすらとした雲が空を覆っているが、それは確かに雨雲ではない。仮に朝日が姿を見せ始めたら本当に喜ばしいことで、そのタイミングに合わせてランニングに出かけたいが、今日は午前中にラジオの収録があるので、この日記を書き留め、洗濯物を干したらランニングに向かいたい。
今朝方の夢に対して2つの生成AIの観点から振り返りを行なっている。まず最初の夢は、高校時代の友人からキャリア相談を受ける場面であった。その友人を仮に自分の心の何かの投影だとしたら、自分にもやはり彼が体現していた保守的な価値観があり、現在のキャリアに関して何か考えるべきところがあるのかもしれない。確かにそれはそうで、今の自分はとりわけ学者に関するキャリアを歩むことに関して次の一歩を踏み出そうとしている。こうして今は大学機関から離れているが、再び大学機関に戻り、そこで正式に学術研究に打ち込みたいという思いがある。そのキャリア形成をこれから行なっていこうと思っている。多くの学者とは違って、自分は随分と回り道をしている。だが逆にこれまでの回り道は、自分にとって大いなる探索を自由に行わせてくれ、それによって研究の幅が広がったことに感謝している。学者というのは別に大学に所属している人だけのことを指すのではなく、学術研究をライフワークとする人全てを指していいのではないかと思う。だがそこでは、制度的に正統性(legitimacy)の問題が生じ、正統性を確保するべく、基本的には大学機関に所属して研究をしている人を学者とみなす風潮が生まれたのだろう。今年の夏から欧米での生活も14年目に入るが、この13年間の欧米生活で培った様々な学びを総動員する形で再び学術機関に戻ることができたら、これまでとは違った次元の探究・研究活動に従事できるに違いないという希望がある。今朝方はその他にも印象的な夢を見ていたが、もう1つ振り返っておきたいのは、欧州のどこかの町の駅にいて、そこで高速列車に乗り込んだ場面である。高速列車は、まさに上記の話と絡めれば、学術研究をここから加速度的に進めていくための場所として学術機関があるように思われる。もちろんここまでのところ、在野の研究者として本当に自由に好きな研究に好きなだけ従事できたことは幸せであった。しかしそこではメンターなどは誰もおらず、自由に研究が出来たのは望ましいが、何か研究を学術論文の形にしていくというような意味での活動に関しては、メンターの指導や導きがあった方が望ましいように思えるし、そもそも研究のための文献を集めることに関しても、大学に所属していた方が圧倒的に効率的かつ楽に行える。そうした意味で、今の自分は学術論文という創作物を作るための最適な環境として学術機関を捉え、再びそうした環境に身を置きたいという思いがあるのだと思う。もちろん今は生成AIによって論文を執筆する意味すら問われているし、論文の執筆に必要な情報もAIを駆使すれば大学に所属していなくても相当に集まることは確かである。だがそれでもそこに蓄積された知のネットワークや目には見えない人的ネットワークなどは、依然として魅力的に思えるのが大学機関である。ここからどのようなご縁と導きによってどのような大学と出会うことになるのかわからないが、しかるべき大学機関が目の前に現れたら、迷わずそこに飛び込んでみたいと思う。フローニンゲン:2025/1/12(日)08:59
13984. 久しぶりの短距離走トレーニングを終えて
つい先ほど、朝のランニングから自宅に戻ってきた。昨日は氷点下の世界が長く続いていたゆえに、アスファルトがまるでスケートリンクのようになっていて、短距離走トレーニングをするのは危険そうだったので、それを控えてジョギングに留めた。ひるがえって今日は、幸いにも地面の氷が溶けていたことに加えて、ハムストリングも完全に回復しているようだったので、久しぶりに短距離走トレーニングをすることができた。外の気温0度ぐらいだったが、最後の5セット目の前から、厳密には3セット目を走り終えたぐらいから体がポカポカしていて、最後は汗が滲み始めるぐらいだった。それを受けて、明日からは気温が少し上がるようなので、下にヒートテックを着ることをやめて長ズボンだけとし、上もパーカーの上にスウェットを羽織るのではなく、Tシャツの上にスウェットを羽織る形でトレーニングをしようと思う。その格好だと自宅を出発してすぐの頃には寒いかもしれないが、しばらく走っていると自然と体が温まり、今日のようにかなり速度を上げたダッシュを3回する頃には汗が滲み始めるぐらいだったので、トレーニングの際には厚着をしないことが重要かと思った。今日は日曜日ということもあり、とりわけ朝の時間はとても静かであった。道ゆく人の数も少なく、自転車や車の通りもほとんどなかったので、静寂さを満喫しながらのランニングとなった。やはり一番心地良いと感じるのは、小鳥の清澄な鳴き声をダイレクトに聞けることであり、家の中で彼らの鳴き声を聞くのと、外に出て彼らの近いところで鳴き声を聞くのとでは随分と感じ方が違う。より耳識と身識に強く響く感じが心地良いのである。とりわけインターバルで歩いている時に彼らの鳴き声がふと耳に届けられると、それが心身を深く落ち着かせ、インターバルの休息の質が格段に高まっているのを実感する。そうした形で小鳥たちに助けられながら、充実したランニングを行なっていた。ただ一点気になるのは、今日はハムストリングに痛みは全くなかったが、最初の1セット目と2セット目で膝に若干違和感があったことである。アスファルトの上を慣れない形で短距離走トレーニングを突然始めたので、まずはハムストリングにこれまでにない負荷がかかり、その煽りを受けて膝にも過度な負担がかかっていたのかもしれない。自分は決してトレーニングを長時間し過ぎているわけではなく、20分ほどの集中したトレーニングなので、脚を酷使させているわけではないと思うが、こうした違和感には常に敏感となり、体の状態を見ながらトレーニングの内容や負荷量を設定したいと思う。それでいうと、こうした継続的なトレーニングをすることによって、その日の自分の身体の状態がわかるというのは良いことかと思った。毎日固定して継続している実践ゆえに、その実践と照らし合わせる形で自分の内側の変化をしている箇所に気づきやすくさせてくれているのである。こうしたところにも、日々の自分の内側の心身の変化を知る意味でも継続した実践に小さく従事し続けることの意義と価値を見出す。フローニンゲン:2025/1/12(日)09:49
13985. ブラウン大学所属の鈴木遣徒さんと対話をして
時刻は間も無く午後1時半を迎える。あと30分ほどしたら、家のオーナーのペイトラさんのところに行き、お互いの近況報告も兼ねてコーヒーや紅茶でも飲みながら対話をすることになっている。そうした予定がこの後に待っているのだが、今日は午前中から正午にかけて、先般の一時帰国の際に大阪でのセミナーにお越しくださっていた鈴木遣徒さんとコラボラジオの形でお話をさせていただいた。遣徒さんは現在、米国の名門大学の1つであるブラウン大学に所属しており、今回のラジオではおよそ100分ほどの時間をかけて遣徒さんのこれまでの歩みと現在についてお話を伺った。ご自身が原理主義的キリスト教二世ということで、宗教的な話も伺いながら、高校2年生からUnited World Colleges (UWC)のアルメニア校に通うという異色な歩みをされておられ、とりわけアルメニア時代の話に関心を持って話を聞かせていただいた。アルメニア出身の神秘思想家グルジェフについてはお互いに感銘を受けた思想家として話が盛り上がり、個人的には遣徒さんがアルメニアで出会われたアルメニアの楽器ドゥドゥクの話が印象に残っている。遣徒さんが関与しておられる「ドゥドゥクJAPAN」のYoutube動画を通じて、ドゥドゥクの音色については美しいと思って聴いていたのだが、今日改めて遣徒さんからこの楽器の特徴や魅力について話を伺うことによって、自分もドゥドゥクの演奏を始めてみたくなった。何やら、楽器の購入は信頼できる方からの紹介を通じてきちんとした職人さんに楽器を作ってもらうことが重要なようで、日本円としても6万円ほどできちんとしたドゥドゥクが購入できるとのことだった。箏の演奏から少し離れる中で、別の楽器の演奏もしてみたいと思っていたし、自分の内側の感覚を指の動きや呼吸を通じて自由自在に表現できたら素晴らしいだろうと思っていたので、また折を見て遣徒さんに相談する形でドゥドゥクの購入を真剣に検討したいと思う。アルメニアでのユニークな高校生活のみならず、その後進学され、そして現在所属しておられるブラウン大学の話もまた非常に興味深かった。自分は学士号は日本の大学で取得しているので、欧米の大学、とりわけ欧米のトップ校の学士課程の雰囲気や授業は体験したことがなく、遣徒さんのお話はとても興味深いものであった。所属するプログラムは「Contemplative Studies」と呼ばれるもので、同時に音楽も副専攻されているらしい。2年間ほど休学をされ、この1月から復学されるとのことで、ブラウン大学のIndependent Studyのコースでインテグラル理論を絡めた形で宗教を扱うことにし、そのコースの進行に自分も関与させていただくことになった。具体的には、ケン・ウィルバーの“The Religion of Tomorrow (2017)”を取り上げていく予定である。お互いに読解の速度が上がり、12週分のセメスターの早い段階でこの書籍を扱い切ることができたら、ウィルバーの最新書籍“Finding Radical Wholeness: The Integral Path to Unity, Growth, and Delight (2024)”を扱ってみるのも良いかもしれないと思った。こちらとしても、この書籍は毎週末のゼミナールで次の次の課題図書として扱おうかと考えていたので、日本語で遣徒さんをこの書籍について対話をすれば、ゼミナールで取り扱う時に、予習教材として遣徒さんとの対話を聴いていただくのも良いかと思った。いずれにせよ、ここからまた新しい協働仲間として鈴木遣徒さんと出会えたことに本当に感謝である。フローニンゲン:2025/1/12(日)13:40
鈴木遣徒さんのNoteはこちら:https://note.com/kento_suzuki3704
13986. 故人を偲びながら素晴らしき隣人関係に感謝して
夕方の空はとても優しく、美しい夕焼けが広がっている。今日は幸いにも午後から晴れ間が広がり、夕焼けが見えるほどに天気が良くなった。小鳥たちが清澄な鳴き声を上げてそれを祝福している。つい先ほどまで、家のオーナーのペイトラさんに招いてもらって、ペイトラさんの家で2時間ほど話をしていた。2時間が光陰矢の如しに感じられるぐらいに話に花が咲いた。改めて今は亡きフレディさんに関する話を中心にしてもらい、故人を偲びながら色々な話をした。フレディさんは64歳という若さで膵臓癌によりこの世を去ったが、フレディさんは本当に人生を謳歌したのだということをペイトラさんの話を聞いて知った。膵臓癌の主たる原因は、フレディさんが若くから喫煙の習慣があり、ワインを含めてお酒が好きだったことと関係しているだろうとのことだが、フレディさんはこの世を去る間際に、喫煙や飲酒の習慣について一点の後悔もないとのことだった。フレディさんの人生に彩りを与えていたのは、パイプを吸うこととお酒を嗜むことだったのである。それらを通じて人々の豊かな交流があったのだと思う。かく言う自分も、フレディさんと数年前に相当に酔っ払うまでワインを飲んだという体験があり、自分の飲酒体験の中にフレディさんと酌み交わしたお酒が記録として刻まれていることは良き思い出である。フレディさんは本当に気さくで、ユーモアと知性に溢れる人だった。フレディさんはフローニンゲン大学に通いながらも、学位を取得する前に退学し、建築の道に進んだが、大学の先輩と呼べる人でもある。ペイトラさんとフレディさんが出会った1984年の時代まで遡って、そこから昨年の11月にフレディさんがこの世を去るまでの思い出話を聞かせてもらった。思い出話がひと段落した後には、フローニンゲンが様々な国から留学生がやって来る町になった変遷過程とそれに伴う住宅事情や人々の関係性に関する問題についてもシェアしてもらい、ペイトラさんの仕事の意義についても改めて実感する話を聞かせてもらった。ペイトラさんは自分と同じくフローニンゲン大学を卒業しており、彼女は英文学の学位を取得した後、フローニンゲンの町の発展プロジェクトに建築の観点から関わり、今もそれと同じ分野の仕事に従事しながら、同時に建築やアートに関する書籍の編集の仕事もしている。実際にペイトラさんが携わった出版プロジェクトの書籍を見せてもらったが、デザインを含めた作りが素晴らしく、非常に興味深く仕事に関する話を聞かせてもらった。そこからはフレディさんも好んでいたテーマの国際政治や地球環境問題についてペイトラさんと色々と話をした。2人が出会った時も、政治の話で盛り上がったらしい。2時間の対話はあっという間であり、最後にフレディさんの洋書のコレクションを見せてもらい、3冊ほど英語の本を借りて帰ってきた。借りた書籍は“Pracitcal Criticism (1929)” “Fiction and the Reading Public (1932)” “Zen and the Art of Motorcycle Maintenance (1974)”である。フレディさんは無類の小説好きであり、日本人の作家の作品もかなり所蔵している。ただし、自分はあまり小説作品は読まないので、哲学に関する書籍を2冊ほど借り、そんな中でも、最後の1冊だけはフレディさんがこよなく愛していた小説作品のようで、その書籍のタイトルに惹かれるものがあり、借りさせてもらった次第である。ペイトラさん曰く、その作品はフレディさんの人となりを知る上でも良い1冊とのことだった。今日はペイトラさんが1対1でゆっくりフレディさんとの思い出について語りたいとのことだったが、今度は同じ敷地内の隣人であるマーク、そしてゴヤとロクシーのカップルを招いて食事でもしながらゆっくり話そうという話をした。こうして自分は、フレディさんが残してくれた素晴らしい隣人関係に包まれながらフローニンゲンでの生活を続けて来れたことに改めて深い感謝の念を持った。フローニンゲン:2025/1/12(日)16:19
13987. 相対主義的段階の限界を超克していくこと
先ほどまで家のオーナーであるペイトラさんと2時間ほど対話をしている時に、久しぶりにエスプレッソを飲ませてもらった。とても濃厚な味のエスプレッソを2杯ほどいただきながら、改めてペイトラさんとこうしてゆっくり対話を行えたのもフレディさんによるギフトなのだと思った。そもそも生き方として、フレディさんが自分に与えてくれたことは本当に多大なものがある。自分がこの家に引っ越してきたのは2021年の4月のことだった。その時はちょうどコロナ禍であり、最初にフレディさんとペイトラさんと家の賃貸のためのミーティングをした日のことを今でも鮮明に覚えている。当時を懐かしく思い出しながら、それ以降定期的にご自宅に招いてもらって関係性を深めていった。今こうして他者に開かれ、人との関係性を大事にしながら人生を謳歌する生き方が体現されたのも、ひとえにフレディさんのおかげだと言えるだろう。フレディさんの世界観や生き方は、今後も自分の中で生き続ける。そのようなことを考えながら、昨夜考えていたことを振り返っている。昨夜はふと、多様な価値観に開かれているゆえに二元論的な議論を避ける相対主義的段階の特徴について考えていた。相対主義的段階はポストトゥルースの根元にあり、本来であればそれは健全な働きをして、次なる統合的段階に道を開いていくべきだが、残念ながら現代社会においては、相対主義的段階は集合規模におけるさらなる意識の発達の足枷になってしまっている。相対主義的段階は、多様な視点を取れることは価値として存在するが、無数の視点に埋没してしまい、本来は質的にさらに深い次の次元の二元論の世界があり、そこからまたそれを超越する形で非二元の認識が生まれ、再びさらに深い二元論の世界が展開されるという、二元と非二元の連続的階層構造への認識が持てないという限界を抱える。そして、文脈主義と構築主義に囚われることを通じて、「全ての意味や主張は、文脈によって構築されるために、何1つとして絶対的に正しい意味や主張などないのだ」という自らの主張を絶対化するという遂行矛盾(performative contradiction)に陥っていることに無自覚となり、ありとあらゆる意味や主張を攻撃し、それらを相対的な平準化したものにしてしまう。この遂行矛盾は、相対主義者自身の意味や価値に関する虚無主義を醸成し、それを社会全体に撒き散らすという病理の温床になっている。「みんな違ってみんな良い」という主張や、昨今の多様性尊重の運動の背後にも、こうした相対主義的段階の病理が蔓延していることには注意深くあるべきだろう。そして、そうした問題に自覚的になりながら、私たちはこの段階の病理を治癒し、さらなる統合的段階に進んでいかなければいけない。それはケン・ウィルバーの主張でもあり、ポストトゥルース社会の種々の思想的・文化的問題を克服していくためには、少しでも多くの人が相対主義的段階の問題に気づき、それを治癒しながら統合的段階の世界観を獲得していく必要がある。結局、ある発達段階の課題は次の段階に至らなければ解決されないのであるから、社会全体として相対主義的段階に留まることを良しとせず、さらに広く深い視点を体現した統合的段階に進んでいく必要がある。ただし、統合的段階に向かっていくための認知的発達は、現代人の多くにとって不十分な状態であり、昨今の出版物やメディア情報の質の劣化を見ていると、多くの人が相対主義的段階を超えて統合的段階に至るための認知的発達を遂げていくための知的鍛錬の手立てがかなり欠落している状況を憂う。出版業界やメディア業界は、一般大衆の認知的発達を押し上げることも押し下げることもできてしまう力を持っていることに自覚的となり、何かそれらの業界への関与も今後真剣に検討したいと思う。フローニンゲン:2025/1/12(日)16:49
Today’s Letter
Constant practice allows me to recognize the changes in my mind and body. This is why I value maintaining a specific practice every day. It serves as a milestone for understanding the state of my mind and body at any given moment. Groningen, January 12, 2025
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