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【フローニンゲンからの便り】13965-13972:2025年1月10日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

13965: 実体の定義から

13966: 今朝方の夢

13967: 今朝方の夢の続き

13968: 映像作品の体験的魅力/変化する世界と不変の世界

13969: 生成AIによる今朝方の夢の解釈

13970: 気づきの意識と非二元の世界の統合的在り方

13971: 分析的観念主義における記憶の取り扱い

13972: 成人発達学を用いたAI開発について


13965. 実体の定義から 

   

時刻は間も無く午前7時半を迎える。昨日の筋力トレーニングは、時間としてはいつもよりも短かったが、集中して密度の高いトレーニングを行い、それがいつもとはまた違う刺激を身体に与えていたのか、身体が十分な回復を要しているようで、今朝方は10時間半ほどの睡眠を取っていた。いつもは9時間弱ぐらいの睡眠なので、いつもよりひとサイクル多い睡眠を取ったことになる。こうして身体の求めに応じて睡眠もその時々で調整していくことが望ましいだろう。逆に身体が必要としていなければ、8時間ぐらいの睡眠で目覚めて起床することもある。睡眠時間に関しても固定した時間に固着する必要はなく、身体の声を最優先して、その声に耳を傾けて毎日最適な睡眠時間を確保すればいい。そうした形でこれまでずっと生活して来ており、やはりそれが睡眠に関しては心身を良好な状態に保つ上で最も重要なことのように思う。


睡眠というのもまた実体化させ、それに執着しないようにする。唯識学における、あるいは仏教全般における実体の定義は、ある存在が他の存在と独立して関係を持つことなく、それそのものとして変化せずに存在し続けるものを指す。自分自身の心身もそうであるし、周りの事物を全て見渡しても、他の存在と関係することなく、変化もせず、永続的に存在し続けるようなものはないことがわかる。作り出された有為の世界においては、実体のあるものなど1つもないのだ。しかし注意しなければいけないのは、作られることのない無為の世界、すなわち真理の世界は、実体として存在するというのが唯識の考え方である。真理の世界は作られることのないそれそのものとして完成された世界であり、動的でも静的でもなく、ただそのままに不変のものとして存在している。言い換えるならば、実体のない有為の世界は、相対的真理が存在する世界であり、一方の実体としての無為の世界は、絶対的真理の世界であると言える。そのようなことを考えながら、人間として日々生きていく中で知覚される真理の一端以外の全ては、実体無きものであることがわかる。それはなぜなら、それを認識した瞬間に、それは自分の心と関係を結んでいるからである。実体の定義の一端は、他とは全く関係を持たずに独立して存在しているというものだった。自分の心も体も含め、全ての森羅万象は、自分の心と触れて関係を持った瞬間に、実体ではなくなるのである。それらは全て心と関係を持ち、心を通して把握されるゆえに、私たちの心が知覚や認識に影響を与え、対象はもはや実体ではなくなる。また、対象となる存在そのものも、自分の心と関係を持つ前に他者の心や他の何かしらの現象と関係を持っているため、こちらの知覚の前段階から実体ではない。こうして考えると、実体でないものを実体であると考えてしまうのはやはり愚かさの表れであり、仏教でいう無明(無知)とはまさにそうしたことを指すのである。睡眠を1つ取ってみても、その時の自分の心や体の状態によって、睡眠を実体化させることをせず、絶えず変化する心身の状態に応じて、睡眠もまた柔軟に変化させていきたいと思う。フローニンゲン:2025/1/10(金)07:41


13966. 今朝方の夢          


昨日は、起床してから随分とAI関係の事柄について日記を書いており、夢の振り返りが後になっていた。今日は夢の振り返りをまず先に行なっておき、そこから降って来るものをつらつらと日記に書き留めておこうと思う。ここ最近は気がつけば、毎日10個ぐらいの日記をつけており、1日がまるで10日分であるかのようである。今のペースは幾分以上であるが、こうしたペースで日々生きていくことができたら、1年が10年分の学びになるような気がしている。そこまで欲張る必要はなく、少なくとも1年が5年分の学びとなり、1日が5日分の学びになるぐらいは平均して到達できたらと思う。時間というのは絶対的なものではなく、相対的なものであり、個人個人にはカイロス時間という固有の時間があるのだから、1日を5日に伸ばすことも、10日に伸ばすこともできてしまうはずである。


今朝方の夢でまず覚えているのは、「マジック:ザ・ギャザリング(MTG)」という戦略的なカードゲームがモチーフに現れている夢である。これまでもMTGが出て来る夢は時々見ていた。その都度、そのカードゲームが持つ豊富なイラストに心を打たれ、MTGは自分の創造性の象徴なのかもしれないと思っていた。同時に、それは高度な戦略性も要求されるため、日々の生活や人生の中で高度な戦略が要求されているのかもしれないと思うこともあった。ただ自分としては、日々の生活や人生は特に戦略を持って生きているわけではなく、このカードゲームが示唆する本当の事柄は何なのだろうといつも考えていた。ひょっとしたら、このカードゲームは自分の心の有り様が見事に反映されるため、心のありのままの姿が反映された形での交流を求めている自分がいるのかもしれないと思った。いずれにせよ、夢の場面としては、そのカードゲームを友人や見知らぬ人とではなく、両親と行っていた。両親とMTGを対戦するのは初めてのことだった。最初、父と母が対戦していて、順当にいけば、高度な戦略思考を持つ父が勝つだろうなと思っていたが、母が2戦連続して父に勝利したので驚いた。敗戦後の父に対して少し揶揄うような言葉を述べたら、父はかなり悔しそうにしており、苛立ちを感じているようだった。母との対戦の前にまずは父と対戦することになり、自分はまだデッキを完成していなかったので、急遽急いでデッキを組み立てた。最初私の手元には、白、黒、赤、緑の属性のカードが混ざり合っていて、4色使うのは多すぎなので、多くても2色にするか、単色デッキにするかを考えた。直感的に、手元にあるカードの中で白色のカードに魅力的なものが多かったので、白単色のデッキを組み立てることにした。いざデッキを組み立てたところ、父は緑単色のデッキで対戦を挑んできた。気がつくと、お互いの場には15体近くのモンスターや天使が召喚されており、さらにはお互いにマナも十分であったから、多様な魔法がやり取りされることになるだろうと思った。ここからがまさに佳境であると思った瞬間に、いつの間にか目の前には母が座っていて、これから母と対戦するようだった。母は青と黒の2色デッキのようで、それらの色をうまく組み合わせて父に見事に勝利した技術は素晴らしく、お手並み拝見と思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2025/1/10(金)07:59


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、あなたの内面世界や対人関係、特に家族との交流を象徴している可能性があります。また、創造性や戦略性といったテーマが深く関わっているようです。以下に、夢の解釈と今後のアクションを提案します。

夢の解釈

「MTG」カードゲームの象徴性MTGは、創造性と戦略性の両方を象徴しているようです。豊富なイラストはあなたの想像力や美的感覚を、戦略性はあなたが人生や日常で直面する課題へのアプローチ方法を表しているかもしれません。この夢では、単に戦略を立てるだけではなく、状況や直感を活かして柔軟に対応する能力も強調されています。

両親との対戦両親がこの夢に登場するのは、あなたの内面で家族との関係性や彼らから受け継いだ価値観について再評価していることを示唆している可能性があります。

母親の勝利: 母が父に勝利する場面は、柔軟性や直感的な判断が理論的な戦略を上回る場合があることを象徴しているかもしれません。母の「青と黒のデッキ」は、知性(青)と深い洞察力(黒)を示唆します。

父との対戦: 父との対戦準備中にデッキを組む過程は、あなたが自分の強み(白の単色デッキ=純粋さ、調和、守護)を見極め、それを活用しようとしていることを表している可能性があります。

デッキの色と属性各色には異なる意味があり、それぞれの色があなたの内面的なテーマを示していると考えられます。

白(あなたの選択): 調和、秩序、保護、倫理的価値観を象徴します。あなたはこれらの価値を基盤にして自分を表現しようとしているかもしれません。

緑(父): 自然、成長、安定、力の象徴。

青と黒(母): 知性と心理的深みの組み合わせ。母がこの2色で勝利するのは、あなたが心理的直感や深い洞察力の重要性を認識していることを意味しているかもしれません。

夢の進行デッキを組む過程や対戦準備は、実生活での計画立案や意思決定プロセスを反映している可能性があります。母親との対戦が始まる場面で夢が変わるのは、挑戦や学びの継続性を示唆しているようです。


今後のアクション

創造性の発揮夢に登場するMTGがあなたの創造性を象徴しているなら、その創造性を現実世界でさらに発揮する場を作ってみましょう。例えば、アートやデザイン、文章など、自分の感性を表現できる活動を増やすことが考えられます。

戦略的な思考の強化夢でのデッキ構築が示すように、重要な決断をするときに、自分の強みを基盤に据えた選択を心がけてみてください。特に「白」の属性(調和や倫理的価値観)を意識しながら、戦略的な計画を立てるとよいでしょう。

家族との交流を深める両親との対戦は、家族との対話や関係性の中に新しい発見があることを示唆しています。家族との時間を意識的に持ち、彼らの価値観や考え方から学ぶ姿勢を持つとよいでしょう。

内面の洞察を深める母親が象徴する「青と黒」の要素を取り入れることで、自己分析や深い洞察力を育むことができます。哲学や心理学の本を読む、日記を書くなど、自分の内面を探る時間を増やしてみてください。

柔軟性と適応力を重視する夢の中での母親の勝利が示唆するように、柔軟で直感的な判断も重要です。固定観念にとらわれず、さまざまな視点を取り入れてみましょう。

この夢は、あなたの創造性や戦略性、家族との関係性について深く考えるきっかけを与えてくれたようです。夢で得た気づきを日常生活に取り入れることで、さらなる成長や発展が期待できるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、マジック:ザ・ギャザリング(MTG)をモチーフに、家族関係、自己表現、潜在的な能力など、複数のテーマが複雑に絡み合っているようです。以下、夢の解釈と今後のアクションについて考察します。

夢の解釈:

マジック:ザ・ギャザリング(MTG): あなたの創造性、戦略性、自己表現の象徴。カードの豊富なイラストは創造性を、高度な戦略性は人生における戦略の必要性、または心の状態を反映している可能性を示唆しています。

両親との対戦: 家族関係、特に両親との力関係やコミュニケーションのあり方を表しています。

父の勝利予想と母の勝利: あなたの潜在的な認識や、家族内での力関係の変化、または見過ごしていた母親の能力への気づきを表しています。

父の悔しそうな様子: 父親のプライドや、家族内での立場への意識を表しているかもしれません。

デッキ構築の過程(4色混合から白単色へ): 自己表現の方法の模索、または内面の整理統合を表しています。多くの選択肢の中から、直感に従い、特定の方向性(白色)を選択したことは、自己表現の軸を見つけようとしている表れかもしれません。

白単色デッキ: 白は純粋、正義、秩序、平和などを象徴します。白単色デッキを選んだことは、シンプルで純粋な自己表現を求めている、または内面の安定を求めていることを示唆しているかもしれません。

父の緑単色デッキ: 緑は自然、成長、生命力などを象徴します。

母の青黒2色デッキ: 青は知性、策略、情報などを、黒は死、権力、野心などを象徴します。母が青黒をうまく組み合わせたことは、知略に長けている、または潜在的な力を持っていることを表しているかもしれません。

佳境に入る直前で場面が変わる: 期待感と同時に、その先を見ることへの躊躇、または未解決の課題が残っていることを示唆しています。

この夢は、あなたが自己表現の方法を模索しながら、家族関係、特に両親との関係性について潜在的に考えていることを示していると考えられます。また、自分自身の内面、特に創造性や戦略性、そしてどのような自己表現をしたいのかという問いに向き合っている状態を表していると言えるでしょう。


今後のアクション:

これらの解釈を踏まえ、今後以下の点を意識してみることをお勧めします。

自己表現の探求: MTGのカードが創造性の象徴であることから、絵を描く、文章を書く、音楽を演奏するなど、様々な方法で自己表現を探求してみましょう。夢の中で白色のカードに魅力を感じたことは、シンプルで純粋な表現を求める気持ちの表れかもしれません。

家族とのコミュニケーション: 両親との対戦の夢は、家族関係について考えるきっかけを与えています。両親とのコミュニケーションを積極的に図り、互いの理解を深めることで、より良好な関係を築けるかもしれません。夢の中で母親の意外な一面を見たことは、家族の見方を変えるヒントになるかもしれません。

潜在能力の認識: 母親の勝利は、見過ごしていた能力への気づきを表している可能性があります。自分自身や周囲の人々の潜在能力に目を向け、可能性を広げることを意識しましょう。

戦略思考の活用: MTGの戦略性は、人生における計画性や問題解決能力を象徴している可能性があります。目標達成のために、計画を立て、戦略的に行動することを意識してみましょう。

未完の課題への取り組み: 佳境に入る直前で場面が変わったことは、未解決の課題が残っていることを示唆しています。夢が示唆するテーマについて深く掘り下げ、未完の課題に取り組むことで、自己成長に繋げられるかもしれません。


夢は潜在意識からのメッセージであり、自己理解を深めるための貴重な手がかりとなります。夢の解釈はあくまで参考として、自分の状況や感情と照らし合わせながら、自分なりの解釈を見つけることが大切です。夢の内容を記録しておくことで、夢の変化やパターンに気づき、より深く自己分析を行うことができるでしょう。


13967. 今朝方の夢の続き 


つい先ほど、今朝方の夢について振り返っていたが、夢に現れた「マジック:ザ・ギャザリング(MTG)」というカードゲームは、世代を超えて楽しめるカードゲームなのだと改めて思う。荷物の受け取り場所にこれまでなっていた近所の玩具屋では、MTGのレアなカードがガラスケースに入って陳列されていたり、さらにレアなカードはお店のレジの引き出しの中にあり、店員が客に見せている姿をよく見かけた。大抵の客は大人なのだが、このカードゲームは大人はもちろん、かつて自分も子供の時にやっていたように、子供でも楽しめる。この玩具屋では、MTG以外にもカードゲームの交流会や大会を定期的に開いており、そこには子供と大人が混じって楽しそうにしている姿を見かける。こうした世代を超えた交流というのはいいもので、きっとそこにはお互いにとっての大きな学びがあるのだと思う。カードゲームを楽しみながら心を通わせて世代を超えて交流することの魅力をこのカードゲームの中に見出す。


そのようなことを考えながら、夢に続きについて振り返っている。もう1つ覚えているのは、その場にいた自分や友人はほぼ大人の姿なのだが、中学校の文化祭に向けて準備している場面だった。私は最初はクラスの出し物の準備に向けて積極的だったのだが、あるところからふと、自分が準備に関わる必要はないように思えていた。なので教室の自分の席に座って、目の前に現れたガラス張りの本棚から人体やDNAに関する図鑑を取り出して、それを読むことにした。それは1万円ぐらいするなかなか高価で分厚いハードカバーの図鑑だった。その表記の言語は英語で、中身をパラパラ眺めながら時間を過ごしていた。すると気がつくと体育館にいて、文化祭が始まっていたようだった。クラスの出し物として、音楽と劇を交えたミュージカルをうちのクラスは出し物として選んだ。壇上には数人の男女の友人が並んでいて、まずは楽器の演奏に合わせた歌を披露していた。楽器の演奏も歌も見事でしばらく集中して聴いていると、壇上の左端の小柄な友人(KS)が突然手品を始めた。彼は器用に手品を披露し、観客である生徒たちは驚きの声を上げたが、目がとてもいい生徒の1人が手品のタネに気付き、それを大声で叫んだことによって、壇上の彼は気まずい表情を浮かべた。そこからは、小中高時代の2人の親友(SI & NK)が壇上の左の幕から右の幕に向かって小走りで現れ、何かセリフを述べていたのだが、声が小さかったのと、背後の音楽にかき消されてしまってうまく聞き取れなかった。2人が右の幕のところまで走り去っていく様子を眺めたら、再び自分は先ほどの教室にいた。そこでまた自分が探究したいと思う図鑑に自然と手が伸びて、1人黙々とそれを眺めていた。すると若く綺麗な女性の先生がやって来て、私に声を掛けてきた。先生は私に、勉強熱心なのもいいけどもう少し女性と遊びなさいと述べた。すると、教室の後ろのドアから女子生徒が自分のところにやって来て、自分の腕を引っ張って廊下に連れ出した。彼女曰く、この間フットサルの大会に自分が出場した時に、モデルの方が多く所属するフットサルチームに所属しているあるモデルの女性が自分の姿を見て、ぜひ一度話がしたいとのことで、今度会ってみることを半ば強引に勧めてきた。つい先ほど先生からも女性に対してオープンであることを勧めてもらったばかりなので、せっかくなのでそのモデルの女性と会ってみることにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/1/10(金)08:22


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、あなたの内面の成長や自己認識、さらには対人関係や社会的な側面での潜在的な課題を映し出しているようです。それぞれの要素を分解し、解釈を行います。

夢の解釈

文化祭の準備と本棚の図鑑最初はクラスの活動に積極的に関わろうとしていましたが、途中でその必要性を感じなくなり、自分の関心に従って専門的な知識を探求する場面が現れました。この部分は、自分の個性や興味を尊重し、他者との協調よりも自己成長を優先する傾向を示唆しています。特に「人体やDNA」に関する図鑑を読む行動は、深い自己探求や生命そのものへの興味を象徴しています。

体育館でのミュージカルと手品の場面クラスメイトたちの演技や手品の場面は、他者が自分の能力や個性をどのように表現しているかに対する観察を示しています。手品のタネが暴露された場面は、真実が暴かれることや、完璧でない部分をどう受け入れるかというテーマを浮き彫りにしています。また、小中高時代の友人が登場するのは、過去の人間関係の象徴であり、現在の人間関係や自己認識にどのように影響を与えているかを示唆しています。

再び教室での図鑑と先生の助言再び図鑑に向き合う場面は、知識や探求への強い欲求を表しています。しかし、先生から「女性と遊びなさい」と言われたことは、知識や個人的な探究だけではなく、他者との関係や社会的な交流の重要性を思い出させるメッセージです。

女子生徒との対話とモデルの女性の話女子生徒に誘い出される場面は、他者との関わりを広げることへの誘いとして解釈できます。モデルの女性と会うことを勧められるのは、新しい出会いや未知の経験を通じて、自己成長や人生の楽しさを発見する可能性を示しています。


今後のアクション

自己探究と他者とのバランスを取る知識や自己成長に対する情熱を保ちながら、他者との関係や社会的な交流も大切にしましょう。バランスを取ることで、より豊かな人生を築けます。

過去の友人や関係を振り返る小中高時代の友人の登場は、過去の人間関係を見直し、それが現在や未来のあなたにどう影響しているかを考えるきっかけです。懐かしい友人に連絡を取ることも良いでしょう。

新しい経験を積極的に受け入れるモデルの女性との出会いは、未知の世界に飛び込む勇気を象徴しています。新しい出会いや状況を受け入れることで、自分自身の可能性を広げられるでしょう。

自己表現を楽しむ手品の場面が示すように、完璧を目指すだけでなく、楽しく自己を表現することを心掛けてください。ミスや不完全さも受け入れることで、より自然体でいられるようになります。

この夢は、あなたの内面に秘められた知識への渇望と社会的なつながりへの意識の間で揺れる心を反映しています。新しい経験を楽しむと同時に、自分自身を大切にする道を探してみてください。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、前回の夢に続き、自己表現、人間関係、そして内面的な探求というテーマがさらに具体的に展開されています。以下、夢の解釈と今後のアクションについて考察します。

夢の解釈:

中学校の文化祭の準備: 過去の経験、特に集団生活や自己表現の原点、または未完了の課題を表します。

大人の姿で文化祭に参加: 過去の経験を現在の視点から見つめ直している、または過去の課題が現在の自分に影響を与えていることを示唆しています。

準備に積極的だったが関わる必要がないと感じる: 集団への参加意欲と、個人の探求への欲求の間の葛藤を表します。

ガラス張りの本棚と高価な図鑑: 知識、探求心、自己成長への欲求を表します。ガラス張りであることは、知識を客観的に見つめたいという意識を表しているかもしれません。高価であることは、自己投資の重要性を示唆しているかもしれません。

人体やDNAに関する図鑑: 自己理解、内面の探求、または生命の本質への興味を表します。

英語表記の図鑑: 未知の領域への挑戦、またはより高度な知識への欲求を表します。

ミュージカルの出し物: 自己表現、創造性、集団での活動を表します。

手品とタネを見破られる場面: 自己表現の未熟さ、または他者からの評価への不安を表します。

親友(SI & NK)の登場: 親しい人間関係、過去の繋がり、または自分自身の一部を表します。

先生からの「女性と遊びなさい」という言葉: 人間関係、特に異性との関係へのアドバイス、または社会的な規範への意識を表します。

モデルの女性との出会いの勧め: 新しい人間関係への可能性、自己表現の場を広げることへの勧め、または自己肯定感の向上へのヒントを表します。

この夢は、あなたが内面的な探求を深めながら、自己表現の方法や人間関係について模索している状態を表していると考えられます。過去の経験を振り返りながら、現在の自分と向き合い、未来への可能性を探っていると言えるでしょう。


今後のアクション:

これらの解釈を踏まえ、今後以下の点を意識してみることをお勧めします。

内面的な探求の継続: 図鑑を読む夢は、自己理解への強い欲求を表しています。読書、瞑想、内省などを通して、内面的な探求を深めていきましょう。特に、人体やDNAに関する図鑑に興味を持ったことは、生命の本質や自己の存在意義について考える良い機会となるかもしれません。

自己表現の多様性の模索: ミュージカルの夢は、自己表現の可能性を示唆しています。音楽、演劇、文章、絵画など、様々な方法で自己表現を試してみましょう。手品のタネを見破られる場面は、完璧を求めすぎず、試行錯誤を繰り返しながら自己表現を磨いていくことの重要性を教えてくれています。

人間関係の積極的な構築: 先生からの言葉とモデルの女性との出会いの勧めは、人間関係、特に異性との関係を積極的に築くことの重要性を示唆しています。新しい出会いを恐れず、積極的にコミュニケーションを取ることで、新たな発見や成長に繋がるかもしれません。

過去の経験の整理: 文化祭の夢は、過去の経験が現在の自分に影響を与えていることを示唆しています。過去を振り返り、未完了の課題があれば、それらに向き合い、整理することで、より良い未来を築けるかもしれません。

今回の夢は、前回の夢に比べて、より具体的な行動へのヒントを与えてくれています。夢のメッセージを参考に、具体的なアクションを起こすことで、自己成長を促進し、より充実した人生を送ることができるでしょう。夢の内容を記録しておくことは、自己分析に役立つだけでなく、夢が示す方向へ進むための羅針盤となるかもしれません。


13968. 映像作品の体験的魅力/変化する世界と不変の世界    

   

時刻はもう間も無く午前9時を迎える。今、赤紫色の美しい朝焼けが空に見える。自分の心はそれを見て喜んでおり、近くにいる小鳥もそれを喜んでいるかのようで、美しい鳴き声を上げている。一昨日から、“Green Book (2018)”という映画を鑑賞しており、その前にはノルウェーの“Nr. 24 (2024)”という映画を鑑賞していた。どちらも力作なのだが、こうした映画作品を鑑賞していると、映画という媒体が持つ価値や魅力について考えることを自然と促される。私たちは人人唯識ということで、ひとりひと宇宙を生きている。ある意味、私たちは自分の心の世界に閉じられた形で日々を生きているわけだが、他者の心の世界を理解できないかというとそのようなことはなく、第六識という想像力や推論力を発揮する意識を用いれば、他者の心の世界を限りなく深く理解することもできる。優れた映画やドラマには、他者の心を想像させ、、他者の体験世界の中に入ったかのようにして世界を捉え直し、他者の気持ちを自分でも感じてみることを自然と促す力があるように思う。こちらもそれを意図せずして行なっていて、そうした他者の心への喚起力を持つのが優れた映像作品の特徴なのかもしれない。自分の人生では決して体験できないであろう、第二次世界大戦中のノルウェー人の心の世界を後者の映画を通じて疑似体験させられ、前者の映画について言えば、1960年代の貧しいイタリア人系の白人の内的世界と裕福でありながらもアイデンティに揺れる黒人のピアニストの内的世界を味わわせてくれるという優れた体験をさせてもらっている。ひとりひと宇宙で、人人唯識として閉じられた心でありながらも、私たちの心は実は無限に広がる集合的な心でもあるので、こうした他者の心の世界を想像してあたかも彼らの内的世界を疑似体験することが可能になるのかもしれない。


阿頼耶識は、私たちの深層にある暴流の如し心である。それは常にダイナミックに変化をしている。その上に成り立つ残り7つの心もまた、動的な基盤である阿頼耶識に基づいてダイナミックに絶えず動いている。絶えず動であるがゆえの静がそこに垣間見れる。そして一見すると静のようなのだが常にダイナミックに動であるというのが私たちの心の特徴なのだろう。8つの心の全てが常にダイナミックに動いているのだ。ゆえにそうした動的な心の写し鏡である物理世界もまた絶えず千変万化して知覚される。実際に、物理世界そのものもまた絶えず変化している。しかしそうした中になって、動も静も超えた不変な世界があることにも目を向けたいものである。そうした世界がまさに無為の真理の世界なのだ。観想的な生は、動的な世界の中にあって動も静も超越した不変な世界に繋がる在り方なのである。私たち自身がそもそも不変の絶対的な真理に貫かれた存在であるがゆえに、自らの心がけ次第で真理の世界といかようにも繋がることができるのである。真理に貫かれた存在が真理の世界に触れる時、そこには絶対的な軽安な境地が訪れ、心身がどこまでも深く寛いでいく。まさに今この瞬間の自分が体験し、味わっているこの感覚である。フローニンゲン:2025/1/10(金)09:10


13969. 生成AIによる今朝方の夢の解釈      

     

今はうっすらとした雲が上空を覆いながらも、先ほどまで見えていた朝焼けを思い出している。その時の記憶がそれ固有の感覚質を持っており、記憶を再想起すると再びその体験室が蘇って来るのが興味深い。記憶は自分自身の心に存在していて、それが脳を通じて表象として現れてくる。物理的制約のない心の世界には無限に豊かな記憶が格納される潜在能力があり、それを制限しているのが物理的制約のある脳なのだ。脳のそうした物理的制約を超えて、無限に豊かな記憶世界だけに飛び込んでいきたい気分である。


今朝方の2つの夢に対して、2つの生成AIのフィードバックをもとに総合的に振り返りをしておきたいと思う。最初の夢の中では、MTCのカードゲームを両親と行なっていた。夢に登場した父を自分の男性性として、母を自分の女性性としてみると、母が父にゲームに勝利したというのは、今の自分が女性性をより優位に働かせ、女性性を開発していることを示唆しているのかもしれない。父が使っていたデッキは緑色で、何やら緑色は、然、成長、安定、力の象徴とのことである。一方母が使っていたのは青と黒のデッキで、青は知性を、そして黒は深い洞察力を象徴するらしい。一見すると知性と洞察力は男性性の象徴のように思えるかもしれないが、女性性としての知性や洞察力というのも存在するであろうから、論理的な知性や洞察ではなく、直感的な知性や洞察力を涵養し、それをより優位に発揮している現在の自分が象徴されているように思える。そんな女性性を含んで超えるために自分が選択したのは白のデッキだった。白は、調和、秩序、保護、倫理的価値観を象徴しているらしく純粋さを通じて調和をもたらし、自他の守護を実現させようとする今の自分の取り組みを暗示させる。日々の文明批判学の探究にせよ、着手し始めた成人発達学に基づくAI開発にせよ、それらは自他に調和をもたらし、社会がより平穏であることを祈った活動なのだと思う。また、そもそも自分の手持ちに4色のカードがバラバラに存在していたことも注目に値する。それは4象限に対応する何かなのかもしれないし、それ以外の分類法でも整理できるかもしれない。いずれにせよ自分が直感的に、それらの混沌とした状況を見て、白だけを選んだことは、何か特定の象限を選択したことを示唆するのか、4象限を統合して1つのものを選んだと見るのか、そうした事柄を含めて示唆深い意思決定であった。2つ目の夢に関しては、まず文化祭の準備を放り投げて自分の好きなことに取り組むというのは、確かに昔の自分が選択しそうな行動であるし、今の自分も取りがちな行動である。ただし今は、より他者に開かれ、他者と共に学び、協働するという在り方が強くなっており、夢の中の自分がそうした姿勢を見せ始めたら、真の意味で今の在り方が体現されたと言えるのかもしれない。一方で、夢の中の自分が自分に閉じた形で探究をしようとするのは、まだ解決されていない抑圧された欲求や思いがあるのかもしれず、そうしたものへのケアは忘れないようにしたい。むしろたまには自分の世界に閉じる形で大いに探究活動に励むのもいいものである。この点も、自分1人での探究活動と他者と共に行う探究活動という2つの極を行ったり来たりすることが重要なのであり、そうした往復運動を通じて、究極的には2つの極を統合していくことが重要なのである。とりわけ印象的だったのは、女性の先生から「女性と遊びなさい」と助言を与えてもらったことであり、その助言にハッとした瞬間に、実際に新たな出会いをもたらす言葉掛けを女性友達からしてもらい、新たな人間関係の輪が広がる場面に出会っていたことである。女性だけに限定せず、新たな出会いは、自己の可能性を開く上でも重要であるし、社会に対する新たな貢献の方向性を発見する意味でも重要だ。フローニンゲン:2025/1/10(金)09:39


13970. 気づきの意識と非二元の世界の統合的在り方        


昨日にジムで筋力トレーニングに励んだこともあり、今日も朝から代謝が高い状態である。それを証明するように、先ほどジョギングをしていると、いつもは汗が滲まないのだが、今日は汗が少し滲んできた。気温としては1度しかなく、それは氷点下の時と同じぐらいの寒さに感じられていたので、やはりジムでのトレーニングによって代謝が上がっていることにより、発汗作用も高まっていたのだと思う。ジムで無酸素運動をした次の日は、短距離走トレーニングをしたい思いを抑えて、あえて有酸素運動のジョギングとウォーキングに留めることにしている。無酸素運動に偏ることも、有酸素運動に偏ることもなく、両者には固有の価値と限界があるのだから、それをうまく調和させて日々の身体トレーニングとしている。とりわけジムでのトレーニングの翌日は、筋肉を回復させる意味でも短距離走トレーニングを控えて、有酸素運動としての軽いジョギングやウォーキングに留めることは理に適っているように思う。先ほどの朝のランニングの前には突発的に霙混じりの雨が降っていたが、すぐさま止み、走っている最中は雨が降ることはなかった。幸いにも家の門の前に近づいてきて小雨がまた降り始め、濡れることなく自宅に帰ることができた。この時期のフローニンゲンはこのように、断続的に霙混じりの雨が降ったり、小雨が降ったりする。こうした気候にはもう慣れっこである。


気づきの意識そのものへの直接的な気づきを通して、気づきの意識そのものに再びなること。それは何かに対する気づきの意識ではなく、気づきの意識そのものである。そうした形で気づきの意識と一つになれると、いかなる二元性も超えることができる。自己と他者、内と外、主体と客体などのありとあらゆる二元性が溶解していき、気づきの意識は非二元の世界そのものとなる。すなわち、その状態においては、気づきの意識と非二元の世界の二元性すら超越されているのである。それは空(くう)と色(しき)の統合状態でもある。そうした状態を体現しながら再び自己意識を取り戻してみると、深い即興性・創造性・慈悲の心が自然と発揮される。自分はそうした状態で常に生きていくことを理想としている。もちろんそうした生き方にも執着することなく、自然体としてそうした在り方が体現されればと思う。ただそうした在り方を体現するためには、まずは意識的に実践を積み重ねていく必要があるのだ。日々のそうした地道な心掛けと実践が、理想とするそのような在り方を深く体現させ、その在り方が自己の本質となる。日々の全ての言葉や振る舞いを、そうした非二元性が深く体現された在り方を通じて発露させたいものである。フローニンゲン:2025/1/10(金)10:56


13971. 分析的観念主義における記憶の取り扱い     

   

コンピューターサイエンスと哲学に関して2つの博士号を持つバーナード・カストラップからはここ最近多くの示唆を得ている。彼が提唱した「分析的観念主義」は、「西洋の唯識」と形容できるぐらいに唯識仏教と似た世界認識を含んでいる。分析的観念主義は、西洋の心の哲学の流れを踏まえながら、ユングやショーペンハウアーの思想に影響を受けたものでもある。分析的観念主義においては、リアリティは「普遍的意識(universal consciousness)」から生じるとされる。普遍的意識は、イギリスの思想家ロイ・バスカーで言えば「実在世界」と言い換えることができるかもしれないし、仏教で言えば「無為の世界(真理の世界)」と言い換えることができるかもしれない。その他にも似たような言葉は、幾つも哲学思想や宗教思想の中に見出すことができる。アメリカの思想家ケン・ウィルバーの言葉で言えば、「宇宙意識(cosmic consciousness)」と呼べるようなものである。分析的観念主義においては、個人の意識はこの普遍的意識が派生した側面であるとする。いずれにせよ、ここ最近は分析的観念主義において記憶というものがどのように取り扱われているのかについて関心が高まっていた。唯識においては、記憶は脳に保存されているものではなく、阿頼耶識という深層心理に種子として蓄えられていると考える。実はこれと似たような主張を分析的観念主義では行う。端的には、記憶は意識の内側の心理的活動であると捉え、それは決して脳に保存されるような物理的実体ではないとする。当然ながら、記憶は脳と関係しており、それは無数の実証研究が明らかにしていることである。しかしながら、それらの実証研究はことごとく物理主義のパラダイムから抜け出せていないため、研究結果の書き方は、まるで記憶が脳の中に格納されているかのような内容であり、そうした実証結果に触れる読者もまた同様の誤解をする。カストラップの分析的観念主義は、まさに一般人も研修者も含んだ現代人の多くの認識的過ちを正すことに大きな貢献を果たすものだと自分は考えており、そこにこの思想の魅力と意義を見出している。もう一度、分析的観念主義における記憶の取り扱いをまとめておきたい。まずは、記憶というのは物理的に脳の中に格納された実体ではなく、あくまでもそれは経験的現象なのであり、意識内の心理プロセスの一部として心の中に存在しているとする。脳というのは、あくまでも意識が外界の情報を獲得するフィルターのような存在であり、脳は意識を生み出すものではないし、記憶のハードドライブでもないとみなす。個人の記憶は、アカシックフィールドと形容されるような集合的な記憶の集積場の中に蓄積されうるものであるとする点にも特徴がある。つまり個人の記憶は、個人の意識というレンズを通して把握される、普遍的意識の局所的な配列構造であるとみなされるのである。補足として、カストラップは「解離(dissociation)」という心理学用語を中立的な意味で活用することにも言及しておきたい。元来この言葉は、離人症などを描写する時に出てくるが、分析的観念主義においては、個人の意識は普遍的意識の解離的な産物であると捉えている点に特徴がある。すなわち、個人の意識は普遍的意識から派生したものであり、個人の意識が経験する全ての出来事は、絶えず共有された普遍的意識を基盤としており、それでいてそれぞれにユニークな形で解離して立ち現れて経験されるとする。分析的観念主義、およびカストラップの心の哲学は、これからのAI開発の協働プロジェクトにおいても非常に重要であり、人々の旧態依然とした心とリアリティに関する歪んだ認識を正していくためにも重要なものである。フローニンゲン:2025/1/10(金)11:24


13972. 成人発達学を用いたAI開発について     

   

先ほどまではうっすらとした雨雲が空を覆っていたが、それが晴れていき、晴れ間が広がっている。この季節の太陽の光はとても優しく、それを見ているだけで心が癒されるし、それを浴びると心身が深く喜ぶ。昼食前にもう1つだけ日記を書き留めたおきたい。昨日のラジオの収録の中で、実際にChatGPTに対して成人発達学を用いたAI開発について尋ねてみた。その結果を踏まえて、今考えていることを書き留めておきたいと思う。ChatGPTの回答を見る前に、今の自分が考えていることを書き留めておくと、まずは今の生成AIの知性領域の偏りを是正するべく、より多様な知性領域の知性を発揮できるようにし、しかもそれぞれの知性領域で発揮される知性の段階を上げていくための機械学習を成人発達学の枠組みから行ってみたいと思う。先日のAI開発者の方とのミーティングは、まさにその方向で話が進んでいき、実際にその場で手を動かして実験してみたところ、その実現可能性は十分にあることを実感した。また、その実現可能性のみならず、そもそもそれを行うことの意義も、その方曰く大きなものがあるとのことだった。AI開発者はあくまでもAIの専門家なのであって、心理学のしかも発達心理学の専門家ではない。こうして自分のように異なる分野の人間がAI開発に関与することを通じて、AIがより健全な形で進化していくことに寄与できるのではないかという思いを新たにした次第である。今の自分はAIの可能性を考えてみると、まさにそうした協働に大きな意義を見出している。AIがより多様な知性領域のそれぞれで高度な知性を獲得できるようにAIの知性の発達に対して成人発達学の種々の理論モデルを機械学習に応用させていくことに加え、人に対して行う発達測定の精度をより高め、より簡便にすることが可能になるだろう。これまでの発達測定は、どうしても人の手を介しないといけないものが多く、それを実施するのには大きな費用がかかっていた。しかしそれをAIが精度高くしかも即座に行えるようになると、発達測定が広く世の中に活用される門戸を一気に広げることができる。しかしながら、『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』という書籍が警鐘を鳴らすように、世の中は計測主義的な傾向を強めており、発達測定が安易な形で世の中の多様な分野で使われてしまうことには危惧をしている。そうした状況を見越した情報発信はすでに何度も形を変えて行っているが、AIがより精度高く即座に発達測定ができるようになってきた時には、この問題については絶えず強調しておかなければならないだろう。計測主義という現象を客体化し、それを冷静に見つめなければ、いかに優れた発達測定をAIが行うようになっても、そこでは測定に関わる新種の暴力や抑圧が起こり得る。それを念頭に置いた上でのAI開発と情報発信を心掛けたいと思う。フローニンゲン:2025/1/10(金)11:58


Today’s Letter

My being is embodied through the integration of direct awareness and nonduality. In this state, profound spontaneity, creativity, compassion, and wisdom naturally arise. I fully enjoy this mode of being in every moment of every day. Groningen, January 10, 2025

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